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2024年03月02日
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テーマ: 雑感(117)
カテゴリ: つぶやき
母の母体より生命(いのち)を授かり、この世の空気に触れた時から別れが待っている。別れは寂しく哀しく辛い。そして、命ある限りいく度となく小さな別れ、大きな別れを経験する。しかし、人は決して悲しみに慣れることは出きない。
 「寂しい・・本当に寂しい」瘠せて皺で覆われた顔の瞼の奥の目から涙がにじんだ。私と兄は慰める言葉が見つからなかつた。仏壇の隣に設えている台で、遺影が明るく微笑んでいる。明るく元気な人だった。
『叔母さんが、引き合わせてくれた。・・まだ24じゃから早いといったけど。長男じゃけーそんなことはないと叔母さんに押されて、一緒になった。・・・でも本当いい女(ひと)じゃった。」叔母さんと言うのは私の母だった。世話好きで涙もろく、勝気な人だった。「女が先に逝っちゃあいけん。ワシより4つ下なのに・・・」遺影の人は私の姉の友人だった。しかし、その姉も10数年前鬼籍に入った。姉もまた連れ合いを残し逝ってしまった。広い家に一人残された義兄は夜になるとすべての部屋に明かりをともした。食事も不規則になり、牛乳と酒で生きていた。70歳の古希の祝いを温泉旅館で行ったとき「還暦の時は生きちょったのになー・・・」ため息とともに呟いた。
「兄ちゃん、悪い方に考えず、自由に生きたらええ・・前に向って・・・」兄が元気づける様に言った。
私も「好きにしたら、ええいね」兄とは戦後間もない頃一緒に暮らしたこともあったらしい。母も叔母も同じ戦争未亡人で姉妹が肩を寄せ合い生きた時代もあったのだ。従兄は兄とは70年以上の付き合いだった。兄弟以上の絆だった。皆、老境に差し掛かり人生も残り少なくなぅた。懸命に生きて来たのに、寂しい晩年を送ることが最後の試練なのだろうか。割り切れぬ不条理を感じながら、従兄の家を後にした。





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Last updated  2024年03月02日 18時02分50秒
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