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このボードは、20年前の物です。以前書きましたように、昨日、スキー場に行って来ました。地区の公民館主催のスキー教室に子供たちが初めて参加するというので、私もその気になってついていきました。実際に滑り初めてみると、とても快調で20年もご無沙汰していたとは思えない感じです。新たにスノトレを購入するのも無駄になってはと思いブカブカの長靴で滑ったのですが、少し反応の遅れは有るもののビンディングが壊れるまでは一回も転ばずに軽快に滑れました。この板は、元々市販しようとしてサンプル版を100本以上全国に売りましたので、もしかすればご存じの方もいらっしゃるかもしれません。その板の修正版です。備前焼の縁が出来てこちらに転向する前は商売をしながら、何かをしなければならない変な気分があって、その当時知ったジェットスキーとスノーボードがとても面白く、自分がたのしめるものは人も楽しいだろうという感じと、将来性も有るだろうとも思ったので前向きに取り組んでみたのです。ジェットスキーは、海岸の漁協の土地を借りウインドサーフショップのオーナーと共同出資で基地を作ったものの自分の遊び場にしただけに終わりましたが、そのショップで扱い始めたサーフボードのツアーに参加したのがきっかけでスノーボードの世界に入り込んでしまいました。当時は、木製の板の後にアルミのフィンがついていて新雪やシャーベット状のゲレンデでは滑れるのですが、スキーヤーの圧雪したゲレンデではとてもうまくコントロールすることは出来ませんでした。そこで圧雪上でもスキーヤー並みにコントロール出来るボードは出来ないだろうかと思って、友人の力を借りながら作ってみました。すると未完成ながらも深雪はもちろん圧雪されたゲレンデで子供たちが遊んでいる中に突っ込んでも安全にコントロール出来るのでこれはいけるのではないかと思ったのです。そこで本格的に型を作り製品作りには入りました。どういう訳かタイミングがうまく合わなくて製品版の最終テストも出来ないまま見切り発車で作ったものですから、製品版が出来上がり最初に滑った時にショックを受けてしまいました。失敗でした。直進性に欠点が有ることの不安感から型をいじりすぎてどうにもならない状態にしていたのです。ずっと以前にメルマがでも書きましたが、その時の失敗と同時に重なった逆流のために全体の仕事も縮小せざるを得ませんでしたけれど、その逆境の時に非常に大きな学びがありました。その後3年ぐらいして備前焼と縁が出来るのですが、こちらの方はいろんな他力が及んで甘やかしてはくれませんでしたが、道をどんどん開いていただけている感じでした。スノーボードの時には、こちらの道じゃないよとでも言わんばかりにタイミングが悪かったのに不思議です。考えてみれば結婚なんかもそうですね。私も30過ぎてから結婚願望が強くなりいろんな女性とご縁はあったけれど、何らかのブレーキがどこかでかかってしまいます。今結婚している家内とは何でこうなるのというほどトントン拍子に事が運みました。話はそれますが、私は40で結婚したのですけれど、チャネリングをしていた友人の中に出会う3ヶ月くらい前から彼女の守護霊が入って来て「早くお会いしたい」と言っていましたけれど、彼女がそうだとは全く気がつきませんでした。結婚の縁のことで参考になると思うのでもう一つ書いておきます。霊言をしていた友人の結婚相手の守護霊もそのような場所に良く来てくれていましたが、そのようなことをしていることを心配したり色々アドバイスをしてくれていました。彼は私よりずっと後で出会いが有り結婚したのですが、彼女の守護霊は過去生でインテリア関係の仕事をしていたそうですが、その友人が亡くなり働きに出始めたのも、やはり、建設会社のインテリア部門です。そのような霊的な場を持つといろんな霊たちが寄ってきているようでした。彼も非常な読書家で学びを深めていたので地獄霊や邪霊は排除出来ているという自信もあったようですが、明らかに悪意を持ってだまそうとする者も入り込んでいたようです。私たちの力だけでは見破ることは出来なかったけれど、善意の第三者のおかげで二人とも我に返り以後そのような事はやめにしました。(守護霊とは、本人の良心部分でもあり、魂の兄弟。 本人の過去生の姿でもある。本人の陽に対する陰の部分。)話はそれてしまいましたが、今回スノーボードに20年ぶりに乗る機会が出来たということも不思議です。以前、NHKの「クローズアップ現代」という番組でスノーボードで緩斜面での事故が多いということ、そして頭を打っての死者が出ていることを聞いて、うちのこのボードなら逆エッジがかかりにくくそのようなことは防げるのだがと思いいろんな所にアピールしたことがあります。できれば、息子もスキーが気に入ったようだし、私も冬場の運動不足解消になるし、されど今更スキーは滑れないし、出来れば、この板もまだ修正した方がいいところが有るのでどこか、誰か、作ってくれないかという思いでここに書いています。どちらか興味を持たれる所が有りましたら、ご連絡下さい。この板の基本的な考え方は、スキーの板が4枚組み込まれているような感じです。片方2枚、ソフトエッジとハードエッジ、その2本のレールの上でバランスをとるので圧雪上で安定がとりやすいことです。現在のボードとその滑りをみていると、上手な人はうまくエッジに乗った滑りをしていますが、切り返しが緩慢な滑りが多いようです。20年前にもバートンの人たちにも提案していたのですが前後どちらにも滑れるような形になり、立ち位置も真ん中よりになっているので横向きで流す滑りが目に付きました。しかし、昔と比べてビンディングが格段に良くなったせいもあるでしょうけれど、逆エッジがかかって吹っ飛ばされるような光景を目にしなかったのは隔世の感が有ります。私の板の特徴は、構造上左右の切り返しが簡単でスラロームがしやすい事。そして、ルーズに直滑降しているときに小さなコブに振られてバランスを崩しそうになってもハードエッジが少し浮いていることと、板をローリングさせやすいことから簡単にバランスが戻ります。今のビンディングを使えばもっと応答性も良くなるでしょうし、初心者とかゲレンデでの遊び用には気楽に滑れて安全な板が出来ると思いました。ビンディングにも少しアイデアが有るのでそれも実現できたらと思うのですが・・・・・今まで避けていた部分も有り現状どのようなのが出回っているのか調べてないので分かりませんが見たところまだ無いようです。長所1,圧雪上で滑りやすい2,切り返しがしやすい3,逆エッジがかかりにくく転倒しにくい欠点1,直滑降での直進性が少ない2,少し重い3,ビンディングは原始的(しかし、ぶかぶかの長靴で滑ったけれど楽にコントロール出来る)
2005.01.31
「信はたて糸 愛はよこ糸 織りなせ 人の世を 美しく」(岡崎嘉平太)これは、元全日空の初代社長の岡崎嘉平太氏の言葉です。日中友好に人力を尽くされ国交回復の架け橋と成られた方です。今日、岡崎嘉平太記念館長の光岡さんの説明を聞く機会が有りました。岡崎嘉平太さんのお墓もうちのすぐ近くにあり、窯の土地もその親戚筋の方から譲っていただいていますのでそれなりに偉人であるとは知っていましたけれど、今一度感動してしまいました。氏が使っておられた机が展示されているのですが、その上に老女の座像がおかれています。そのブロンズ像は、氏が日銀を辞められて中国に渡られるときに作っていただいた物だそうですが、その像はお母様の像でした。そのお母さまは、とても信仰心があつく厳しく子育てをされていたそうです。その教育の成果が岡崎氏の人生観に大きく影響し中国に渡っての仕事も、敗戦後国内に帰ってからの仕事にも、そして日中国交正常化のために尽力され、周恩来首相から「水を飲むときその井戸を掘った人のことは忘れない」というようなことわざが引き合いに出されるように、多くの人の信頼を得たようです。「信はたて糸 愛はよこ糸 織りなせ 人の世を 美しく」この言葉は氏が色紙などに好んで書かれた言葉ですが、これも陰と陽の両目で見ている事だと思い、私もとても好きな言葉です。氏がどのような宗教を信仰されていたのか知りませんが、この言葉からするとキリスト教にもご縁があったのかもしれません。イエス様の十字架がイメージ出来ますし、そのお母様の事が聞いていてマリア様とダブってしまいました。子供にとって母親とは「偉人」です。歴史上の偉人はその数では男性に譲るでしょうが、簡単に身近に偉人と成る道が用意されているのに、最近ではその権利を放棄する人たちが多くいることを悲しく思います。ジェンダフリーだかなんだか知りませんけれど、神から与えられたそのような機会を放棄するとは愚かとしか言いようがありません。お孫さんを抱いている女性にしつこく聞いて回ったことが有るけれど、子育ての時が女性にとって人生の中で最大に輝き幸福感、充実感の有る時期だと言うことを認めておられました。もう一度やれといわれれば二の足を踏みたくなるほど大変ではあるけれど、人生の華であると。もちろん他の人生計画の元に生まれている人もいるでしょうから男性のようにもっと空間的に広がりを持った女性もいらっしゃるだろうけれど、しかし、そのような機会が与えられているのであるなら無駄にすることだけはやめていただきたい。その母親の優しさと、その厳しい愛がその子供にどれだけの社会的意義の有る仕事をさせることになるのか、もちろん亭主に対してもそうだろう。男は偉そうにしているけれど、女性の持っている力は偉大なものがあると思います。机の上の母親の座像を見て思いを強くした次第です。
2005.01.26
先の土曜日、地域の新年会運動不足を解消しようと山仕事をして汗をかいたものだからのどが渇き、ビールをグイグイとやった。この時期、どちらかというと日本酒の方がいいほうなので勧められるままにチャンポンそれほど酔っぱらった気分でもなかったが、久々の二日酔いまだその余韻が残っている自分では、まだ30代のように錯覚しているけれど実年齢はごまかしようがないようだ。今度の日曜日、久しぶりにスノーボードに行く子供のスキー教室にくっついて行く20年ぶりかもしれない20年前の自作のボードを先週修理したが、プラスチック部分が相当変色して、劣化しているようだけれどこの体力だと壊すほどには乗れないだろう子供たちと雪遊びしに行って来る。備前焼と縁が出来る前、玄明ブランドでスノーボードを作り販売しょうとして失敗したあと、欠点を修正し数点作ったのが1本残っていた。いろいろあった、あのころを思い出すと懐かしい。最近のボードは、研究していないけれどこのボードは、圧雪されたゲレンデ向きのもので、逆エッジもかかりにくく安全に乗れる板だった。ゲレンデで、他のボードと比較してまだ理論的に見込みが有るようだと、ここで紹介しようと思う。誰か製品化する気が有ればしていただきたい。とにかく、圧雪のゲレンデを気楽に思い通りにコントロール出来るボードだったので、初心者向きには良いかもしれない。しかし、本当に年を重ねるのは早いものだ。ついこの間の事のような気分だが、おそらく体力の衰えがその時間の重みを教えてくれるだろう。粘土で作品を作るのに腕は鍛えられても下半身は全く鍛えられていない。さて・・・・・・
2005.01.25
今まで「フラクタルの森で考える」というテーマでいろんな意見を書いてきましたけれど、その意味するところが分かりにくいと思うので、両目で見るというテーマに変えてみます。「フラクタルの森で考える」ということは、言い換えると「両目で見る」ということになります。フラクタルという言葉は、元々、相似形という意味ですが、その数学的な所の説明は専門の数学者に任すとしても、これは宇宙を解明する数学での一つの入り口だろうと思ったのです。単純な方程式で造山活動や波の動く様など複雑でリアルな絵が描けるし、写真などでも少ない情報からその中にある法則性をわりだして不足している情報を埋めることでより正確な画像を表示したり出来るそうですが、何処にもそのように法則性というものが有るようです。コンピューターグラフィック世界でのことですが、実際にもこの宇宙を貫いている一本の法則があるように思っていました。「真理」「宇宙方程式」が有ると思っていたのです。そのことを、今、見つけることが出来たと思っています。いろんな宗教的な学びや、友人との霊的体験などを通じて目に見えない世界が歴然としてある事を知りました。その学びや、体験に対して、何故?なぜ?と問いかけていく過程で出来上がってきたのが「フラクタルの森」です。「両目で見る」というテーマでいろんな事を切っていくと深く物事を考えていなかったり、自己中で物事を考えている現実を知らされます。理想的な結果を求めるのであるならば、この両目で見るということ、ひいては、別の言い方をすれば、自己と他者と全体(仏神)の視点の3点測量をしなければなりません。自分の目と他人の目の両目で見ると言うことは、とりもなおさず神々の視点で見るように努力していることにもなります。次第に運が良くならないわけはありません。
2005.01.24
北朝鮮のコメントが出ているようだが、開き直っていますね。「フラクタルの森で考える」の中で繰り返し言っていますが、「悟性・O」の空間に入るもの、見方の違いがこれほどまでのギャップを産むのです。■金総書記も北朝鮮国民も悪人ではない私は北朝鮮の人たちも、金総書記も悪辣な人たちとは見ていません。しかし、歴史の見方、歴史認識の違いが悪辣非道な「拉致事件」と戦時中の「強制連行」を同列に見てしまう現状は愚かとしか言いようがありません。その原因は、繰り返し言っていますが、目に見える部分ばかり見て目に見えにくい部分を見ていないから。片目だけで見ているからです。国家レベルでうつ病になっているようなものです。この片目で見ている人たちは、北朝鮮の人たちばかりではありません。中国、韓国の人も、そして日本の知識人と言われるような人たちの中にもいます。では、その片目で見ている内容とはどんなのでしょうか?2002年9月の新聞記事から拉致被害者の事に関して、北朝鮮軍人の言葉「日本は、拉致問題の数人の事を言っているようだけれど、日本統治時代の六〇〇万人の強制連行の事を棚上げにしているじゃないか」田英夫、元参議院議員の発言・・・金総書記は交渉可能な相手か?という記者の質問に対して「間違いなく金総書記は変わってくる。日本人にとって一番大事な事は過去の植民地支配で日本は何をしたかという歴史の真実を認識することだ。みんな反省しなければならない。過去に朝鮮半島の人が何人、日本に連れてこられたか。拉致どころの騒ぎではない。その罪をきちんとして北朝鮮にも罪を解決してもらえるよう、ガラス張りの交渉をすべきだ」辻元清美元議員の発言内容も紹介しておきます。「日本は、かって朝鮮半島を植民地にして言葉まで奪った事に対して、北朝鮮には補償を何もしていない。そのような事とセットにせずに『9人、10人返せ!』ばかり言ってもフェアじゃない」日本人で片目でしか見ていない人たちは、基本的には優しい気持ち同情する気持ちで言っているのでしょうけれど、片目でしか見ていない。愚かとしか言いようがない。■「強制連行」と「徴兵・徴用」朝鮮半島の人々も当時は日本人だったのです。(もちろん、日韓併合に関しては、当地の人たちだけでなく、本土内にも賛否両論あったが)基本的には、赤紙で強制連行されたのです。要するに「徴兵」されたのです。拒否することは出来なかったようです。日本本土の人たちと同じように、兵隊にとられていったのです。学生なども「徴用」として学徒動員されました。日本人も強制連行されたように朝鮮半島の人たちも引っ張り出されたのです。負け戦ですから、当然の如く過酷な事態が起こります。考えてみれば拉致問題といっしょに扱うような問題とは違うのですが、被害妄想的な見方をすればこのように片目だけの見方しかできません。■「従軍慰安婦」と「赤線、公娼制度(商売)」従軍慰安婦問題でも強制連行され軍隊によって性的奴隷として扱われたように思われているようですが、これも同じ事です。これについても、日本国内でもそのような見方をする人たちがいますが、よく考えていない事が分かります。案外頭のよい人ほど考える事を止めているようです。気の毒だ、かわいそうだという感情だけで結論を出していますが、これも、フラクタルの森でいつもこだわっている「陰と陽」の両目で見ていない。これも結果主義なのです。そのような見方しか出来ていないのです。自分が最初に思ったその内容のまま凝り固まっている。なぜ?どうして?と問いかけていないのです。目に見えにくい部分まで踏み込んで見ていない。深く考えない方が、結論を導き出しやすいという反面が有り、力強い側面が有ります。ついこの間までは、公娼制度がありそれを生業とする人たちもいました。日本本土でも、貧しい農村部では借金のかたに女衒(ゼゲン)に売られていったような人たちも多くいたようです。借金を返すために働かされていました。当然の如く、朝鮮半島は貧しく、政情も不安定で日本に併合されなければやっていけないような状態だった訳ですから、厳しい状態にあったのでしょう。多くの若い女性達が、彼女たちの意志に反してお金で売られこき使われていただろう事は想像できます。沖縄の米軍基地でも兵士の性犯罪に頭を悩ましている現実も有りますが、軍隊の抱える課題に、略奪と強姦の問題があります。武器を持ち、腕力を持ち、心の不安感情を持っているためにどうしてもつきまとう課題です。このような軍隊にとって慰安所を営んでくれる娼館や女衒達の協力はありがたい事だったはずです。駐屯地でのトラブルを減らすことが出来ます。女性達の気持ちは別にしてもお金で割り切って解決が付いていたわけですから。元憲兵隊だった叔父から聞いた事が有りましたが、彼女たちは相当の高給取りだったそうです。もちろん、多くの人が、親の借金を返すためなどで、女衒達に絞りとられていたでしょうけれど。そのように、朝鮮半島の人たちは過酷な環境に置かれていた事には同情しますが、しかし、未だそのことにこだわり続け被害者意識のままに生きているという事は、問題があります。もっと問題なのは、日本人でそれに油を注ぐ人たちです。自己の優しさ、優秀さ、正当さを示したいのかもしれませんが、彼女たちに同情し荷担することで彼女たちの被害者意識を増幅させています。そして、朝鮮や中国の共産党の正当性の後押しもしています。北朝鮮や中国から戦争中の事を繰り返し引き合いに出され、外交カードとして使われています。最初に蓮池さんたち5人が返されたときに田英夫、元参議院議員の発言にも有りますが「過去に朝鮮半島の人が何人、日本に連れてこられたか。拉致どころの騒ぎではない。」という認識にあるように、日本人の拉致はあたかも正当なことのように認識しているのです。自分たちは、そんなに悪辣なことをしたのではないと思っています。私の感覚では、あの当時、よく白状して5人を返してきたな!と思いました。その意味するところからすれば、闇から闇に葬り去るしか方法がないだろうと思っていましたから。理解に苦しみましたが、拉致と強制連行を一緒くたに考えていたのです。なるほどと思いました。片目だけで見た内容をすべてだと思いこんでしまうのでしょう。日本人の議員さんにもいるし、当然朝日新聞の社内にも多いのでしょう。これは、正しき心の探究をしなければ両目で見にくいでしょう。田原総一郎さんという人がいて、私は好きですが、あの方も片目だけで見る傾向が有るようです。本人も言っていましたけれど、日米安保条約について反省されていました。「安保の事をよく知らないで反対闘争をしていた」とおっしゃっていました。しかし、あるTV討論番組で、ある女性議員が先の戦争には「自衛、防衛」の意味もあったという発言に対して、相当ののしりの言葉を出されたそうです。このことについても反省していただかなければならないのですが・・・・・是非、両目で見ていただきたい。戦争にはもちろん比重の違いは有るけれど、両面有る。結果としては「覇権争い」ですが、その中身は、「侵略」と「防衛」でしょう。そのケンカの出だしは、「ワガママ」と「おくびょう」です。蛇行すると戦争に突入です。積極性と慎重さ、両方大事だけれど、片目になり中道を踏み外し蛇行するといろんなトラブルに見舞われるのではないでしょうか?。うつ病もそう病も関連が有ります。人生を生きる以上右に左に揺れますが、蛇行しないように両目で見て両足で歩いていきましょう。
2005.01.20
先ほど、TVのニュースを見ていて思ったことだが、この二つの事件に共通するものが感じられた。それは、どういう事かというと「両目で見ていない」「片目だけで見ている」腹立たしさを通り過ぎて情けなかった。うちの家内には番組を見て感じたままに言葉を出してうまく説明できたと思ったけれど、ここで冷静になってみなさんに分かるように説明が出来るかどうか・・・・・・「フラクタルの森」では、陰と陽両目で見る、という事を提唱しています。この二つの事件には「自分の考え、自分の思いしかない」ということが共通することです。言い換えると「自己中心主義」と言っても良いでしょう。自分の中の正しさだけを前面に押し出しています。言い換えると心の中の空間の狭さが見えます。「両目で見ていない」「他者の視点が無い」「客観性が無い」「仏神の視点が無い」有るのは自分自身の正当性のみです。「正しき心の探究をしていない」 その自己の正当性が、本当に正しいもの、真理に近いのであれば何ら問題も無いのですが・・・・・・・その自分自身の正しさが、本当に正しかったのかどうかは時間の経過と共に明らかになってきます。あつかましく押しの強い人間であれば、しばらくは煙に巻く事も出来ますが、永遠の時間の中では隠し通せることは出来ません。陰と陽、目に見える現象世界を離れ、目に見えない心の世界に入ったならば、その心と、その心が見ていた自分にとって正しいと思った判断、その世界はそのまま当人にとって現実となります。それが間違いであったとすれば後悔しても遅いのです。一神教のように自分の正当性のみで判断し行動すれば、力強くて結果は出しやすいでしょうけれど、因果関係において間違っていた場合の責任はいったいどうするのでしょうか?キリストも言っています。蒔いた種が毒麦ならば蒔いた人が刈り取らなければならないのです。仏陀も言っています。「種が蒔かれて水をやり果実が実り報い有り」「天網恢々疎にして漏らさず」というように算数の計算のように途中で間違えると間違えた答えが当然の如く出ます。その評価は当然出てくるのです。私の文章を読まれて朝日新聞のNHKへの政治介入事件報道のことと奈良の少女誘拐殺人事件と同じように扱うのはどうかという意見も有るでしょう。しかし、底辺に流れている「何時何処で誰が何を、何故、どのようにして、どうなったか」を4分割してその中に入っている内容をよく見てみると一緒です。------------------------------------------------------------いつどこでだれが何を なぜ どのようにして どうなった 悟性O 感性B 知性A 理性AB 狭い世界観 自己中心 自己の正当化 他を傷つける ------------------------------------------------------------奈良の事件より朝日新聞の方が罪は重いでしょう。それは何故かというと、朝日新聞を読んでおられる方はご自分の心の中をのぞいてみれば分かっていただけるのではないかと思います。奈良の事件は明らかに犯罪行為だということはみなさん分かっていて当然の如く不快感を抱いておられるでしょう。しかし、朝日新聞は良識の府として、また、より知性的な新聞としての信用が有ります。当然、社長も記者の人たちも、日本一の知識人だという自負をもたれているようだし、それを読まれている方たちも同じように、日本で一番進歩的知識を読んでいるような気分が有ると思います。そのような新聞社が、自分の思いこみだけでねつ造記事を出すとは、しかも、後日出された釈明記事も自己の正当化に終始している。朝日新聞よりのコメントをされる方の言葉を聞いていると、このように書いている私ですら政治介入があったように聞こえてしまいます。政治家はけしからん!NHKもけしからん!そして朝日は国民の権利を守ってくれる素晴らしい新聞社だ!と瞬間ではあるけれどそのような思いがよぎります。しかし、もう一つの目で見たときにその思いは崩れさります。そのように大きな影響力が有る。その影響が、本当に国民のためになることなら良いいのですが、有能な政治家を葬り去り、従軍慰安婦問題でも間違った片目だけで見た見解を正当なものとして国民に暗示をかけ、日本の歴史を汚辱にみちたものとして、あたかも国家レベルでうつ病に落とし込むような働きをしているとすれば、その蒔いた種が毒麦であったとすれば、その責任はいったいどうするのでしょうか?朝日新聞の記事が書かれた通りにうまく機能して得するのはいったい誰なのでしょうか?日本という国家は、うつ病にならなければならないほど汚辱に満ち自信の持てない国なのでしょうか。それほど汚らわしいことをしてきた国なのでしょうか。そして、朝日新聞だけが良識が有り知性あふれる正しき新聞社なのでしょうか?確かに歴史上、結果としても、その行為にしても、その動機にしても、その宗教観においても反省しなければならない点はあるけれど、諸外国のそれと比べてみて過去の先人たちは良くやってきたのではないのか。個人が自虐的な見方をしてうつ病になるのはかってですが、国民に暗い世界観、暗い歴史観を押しつける作業はやめていただきたい。目に見えない背景や、目に見えにくい原因を見ていただきたい。両目で見ていただきたい。そして「悟性O」の空間を今一度見直していただきたい。奈良の事件も、他の犯罪もそうですが、ほとんどの場合、その原因を探していくと究極はここに至ります。「悟性O」の空間に入っているものが影響しています。「人を正しく見ているのか?」「世界を正しく見ているのか?」「歴史を正しく見ているのか?」「正しい人生観を持っているのか?」「正しい宗教観を持っているのか?」自説の正しさを前面に出される場合、その根拠たるご自身の人生観宇宙観を示す必要が有ります。ここが違うと、どんなに思いが素晴らしくてもどんなに行為が素晴らしくても出てくる結果は、大きく蛇行したものになってしまいます。是非、正しき心の探究をしていただきたい。■玄明の世界観このように書いた以上、私、玄明の人生観、世界観、宗教観を出しておきます。「悟性O」の空間・・・・・何時 何処で 誰が 何を 時間 空間 主体 客体 時間 ・・・永遠の時間を生き空間 ・・・いろんな国に生まれ変わり修行をし主体(人間)・・向上を目指し、お役に立ちたいと思っている存在客体(他人)・・自他は別個にあらず一体、共に仏子の兄弟 同苦同悲の心があるのはそのためであり 過去の偉人、特に宗教家たちが自分の命も省みず 他のために働いたのはそのためだと考える。客体(テーマ)・・人生は一冊の問題集毎日、問題用紙が目の前に提示されている。見て、思い、行動し、結果が出て、またそれを見て、判断し行動している。その成果はその原因と結果の流れと共にハードディスク(アカシックレコード)の中に積み上げられている。その「思い」と「行い」によって間違ったデーターをインプットした場合、消去しなければならない。この現象世界にいるときに反省できなければ、あの世に帰ってからの消去作業が待っている。ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーみなさんもご自分の悟性の空間を埋めてみてください。ここが空っぽだったり間違ったもので埋められていると大変ですよ。政治家なんかも、資産公開なんてどうでもいいことです。人の財布の中をのぞいても仕方がありません。それよりも、ここの内容がその仕事に大きく影響しますので、資産公開なんかやめてご自身の人生観、宗教観を公表していただきたい。少年犯罪なんかも年齢的なことで罪を問えないのであるならば、その子の育った環境、親の人生観、宗教観を公表していただきたい。そうすればどんな因果関係の元にどのような結果がもたらされてくるか次第に明らかになってくる。そうすることによってより真理へと近づき、より正しい世界観の元により正しい道徳教育がなされ、よりよい学問、文化が開けて、より良い社会が実現できるのではないでしょうか。ユートピア社会を地球レベルで実現するためには、この部分の作業をつめていかなければならないと思います。
2005.01.19
昨日、神戸に行った展示会の最終日偶然だが震災の日もう10年もたつとは震災がおきて3日目ぐらいに4トン車で神戸に入った簡易トイレなどをいっぱい積み込んで高速道路を走った山陽道は通行止めになっていたが救援物資を運んでいるということで通してもらったそれでも明石の手前でおりざるを得なかったように思う神戸に近づくにつれて次第に信じられない光景が目の前に広がり始める道に迷い長田区の火災現場に迷い込む道は渋滞し、救急車や消防車のサイレンの音がずっと響き続ける挫掘し傾いた阪神高速の下を進むときの気持ちは何とも表現しようがなかった後日もう一度、救援物資を積んで神戸に入ったあまり印象が強烈すぎたのか、そのワンシーンワンシーンが鮮明に記憶に残っているが時間の前後関係が飛んでしまっているベルゲンさんとのご縁が出来、また、ギャラリー コロットさんともご縁が出来たおかげで頻繁に神戸に来るようになった復興した神戸を見ていると震災の記憶も遠い昔の記憶のように感じて忘れていたが、その日に神戸に来るタイミングになるとは・・・・ベルゲンさんの向かいにあるカソリック教会も昨年ようやく再建され、先日、初めて教会を見学させていただいたときに震災当時の写真が飾ってあったインド洋の地震や新潟県の地震、いろんな予言もあるが、正確に言い当てられるものでもないしかし、今一度地震の意味を考えなければならない時かもしれない。どのような事にも、本当は偶然という事は無い。もちろん、震災で亡くなるより交通事故などで亡くなる確率の方が高いのだから、ことさらに地震をおそれることはないだろうが、地球にも理念が有り、意識が有って存在している。母なる大地として、私たちを太陽の恩恵と共に育み育ててくれている。しかし、おそらく父なる側面も有るだろう。厳しく鍛えてくれている面も有ると思う。しかってくれている面も有るのだろう。
2005.01.18
■両目で見る「政治家とマスコミ」で書いた事は、どのような報道番組だったのかよく知らないで書いたのですが、その問題にされた番組の内容を知って、以前から書かなければならないとおもっていた事を書いてみます。それは、この「フラクタルの森」でのメインテーマの「両目で見る」ということ。また、別の言い方をするならば、「3点測量」で物事を見るということにもなります。ある教職員の方との話の時「歴史認識」の事で私がいくら説明しても片目でしか見ておられない現実に驚かされた事が有ります。「日韓併合」を彼は「侵略」とだけしか見ていないのです。私は、もちろん「侵略」と見ている部分も有りますがもう一つの目でも見ています。それは、「併合」という見方、その二つの目で見るようにしています。これも日本サイドの見方と親日派の人たちの見方とに分かれるでしょう。歴史の専門家でないので詳しい所に入り込むのは避けますが事実として理解しているのは、当時の朝鮮半島の状況が一つの国として成り立つ状況下になかったという事。中国も似たような状況下でソ連の南下の脅威にさらされていた事。朝鮮半島の内部には親ソ派のグループもいたでしょうし、親日派のグループもいたでしょう。当然一つの独立国として国を成り立たせたいとするグループもあったでしょう。国を一つにまとめることが出来ないのであるならば、隣国の強国の力を借りて国をまとめ、それぞれの権益を守ろうとした争いがあったはずです。それぞれのグループがそれぞれの利害や考え方の元にベストの方法を探っていたのだと思います。そして、結果として日本に組み込まれることになりました。これと同じ構造は、終戦後の日本国内でも有りました。親ソ派の人たちや親米派の人たちがいました。さすがに敗戦後だけに独立国としてアイデンティティーを主張するような人たちはいなかったでしょうが、それぞれの考え方とその利害関係において東西冷戦の最前線におかれました。もちろん、朝鮮半島は敗戦の時には日本の国土でしたからもう一度「日韓併合」の前の状況におかれてしまったわけです。中国、朝鮮半島北部はソ連が流れ込んで来ましたから親ソ派の人たちが支配することになりました。日本はアメリカが占領したので親米派の人たちが実権を持つようになりました。ソ連は管理がきつく反対派の人たちの力は共産党一党独裁のもとにすべて押さえつけられましたが、アメリカは自由の国、民主主義の国を標榜するだけに反対派の人たちの言動をおさえきるような状況にはなりませんでした。共産党や、社会党の存在を許し親ソ派の人たちの活動を許してきました。そのように、何処の国でも同じでしょうが、常に二つの大きな力が働いてきます。「反体制派と体制派」、「親ソ派と親日派」そして「親ソ派と親米派」陰と陽の要素が有ります。当然、それぞれのグループの立場の違いで、その歴史的な事実のとらえ方も違ってきます。このように立場の違いによって侵略と×をつける人もいれば、併合というように○をつけていた人々もいることを忘れてはいけません。そのような事実を見ずにあくまでも日韓併合は侵略以外の何ものでもないと見るということは、論理の帰結としてその人の立っている場所が特定できます。表面的に見えやすい部分だけで見ると「侵略」と見えますから仕方がないのでしょうが、おそらく深く考えていないのでしょう。このように説明をしても、自分の視点のみでしか見れないのは、あるカルト宗教の信者になっている状態といっしょではないのか。東西冷戦も一時は世界を2分し、どちらの判断がより正しかったのかという事はすぐには分かりませんでしたが、それも時間の経過と共に次第に明らかになってきているのではないでしょうか。■政治介入問題放送番組への政治介入云々の「従軍慰安婦」の問題でも一緒です。以前にも書きましたが、もう一つの見方が有ります。「赤線、公娼制度」が有ったのです。貧しい農家の娘たちが借金のかたに女衒たちの管理の元に体を売っていたのです。日本人も朝鮮人もいましたけれど、朝鮮半島は国家として立ちゆかなくなっていたので貧しさは日本の比では無かったでしょう。軍隊が強制的に性的奴隷として引っ張り回したのでなくて、女衒たちが商売として、また、借金の返済のために働いていたのでしょう。昔からそのような場所ではいろんな悲劇が有ったということは想像ができます。そのように歴史認識でもそうですが、目に見えやすい部分だけを見て分かったような気になってほしくないものです。目に見えにくい部分を同時に見る努力をしなければ、どれほど愚かな見方をしているか分かりません。そのような片目だけでしか見ないような愚かな番組をNHKで流していたなんて、それこそ信じがたい。それこそ、当然の如く政治介入すべきです。
2005.01.16
道路公団と郵政事業の民営化が議論されています。いろんな意見が飛び交っていますけれど「フラクタル(相似形)の森」で考えるとどうなるでしょうか。■人体に置き換えて考える日本列島を一人の人間にたとえてみるとそれぞれはどのような役割をしてくれているのでしょうか?高速道路は明らかに「大動脈」でしょうね。郵便局はなんでしょうか?よく分からないので今一度「郵便局」を翻訳し直してみます。窓口サービス、郵便、郵便貯金、簡易保険の4つに分けられるようです。ということは「宅配業」でもあるでしょう。「銀行」「保険会社」でも有ります。これらが今でも国営でなければならない理由は何処にあるのか。銀行や保険会社は、今でも全国津々浦々民間であってもうまく機能しています。宅配業は民間が牽引力となってものすごく便利になりました。大きな荷物の場合国鉄が中心の頃から比べると雲泥の差です。これにはもちろん高速をはじめ道路網の整備も一役買っています。郵便(宅配業)の場合も含めもちろん支店窓口の多さゆえに郵便局の場合はサービスが行き届いているでしょう。しかし、これは当然の如く多くのコストの上に成り立っています。私には現在ではどうして国営でやらなければならないのか理由が見つかりません。財政投融資などの問題は素人でよく分かりませんが、郵便局は今では国全体の足を引っ張っているようにも思います。少なくともプラスを産み出すことの足を引っ張っていると思う。国家で総力を挙げてやらなければならない仕事とは思えない。確かに郵便局が作られた時代には、そうだったでしょうが、現代では民間でも出来る仕事になっています。問題として、多くの人が気にしているのは、サービスが地域によって差別されてはいけないということでしょう。特に郵便(宅配業)は過疎の地域だからといって国鉄改革の路線の切り捨てのような事をしてはいけないとする意見だと思います。その郵便事業は人体の中でたとえるとするならば、血管やリンパ管の中を流れるいろんな物質だったり、情報だったりします。または、神経細胞の中を流れる情報だったりします。高速道路は、別の見方をすれば口から続く食道、胃、腸から肛門に至る「管」かもしれません。大動脈という血管でもあります。郵便物はそこを流れる食べ物、栄養分でしょう。高速道路と郵便局、結局は「管」とそれらの中を「流れるもの」というような認識に置き換えることが出来ます。要するに高速道路は日本列島を人体にたとえて考えるならば、日本列島にとって重要な血管や食道などのメインとなる社会基盤であります。鉄道が物流の中心だった頃と違って、今は、自動車が中心になっています。これは、空の交通が自動車に取って代わる時代まで続きます。現在は、道路が血管や食道などのように重要な器官です。郵便物はそれらの中を流れる流動物です。この二つを一緒くたにして論じている人もいましたけれどそれは間違いでしょう。また、同列に民営化すればいいものと考えるのも間違いだと思います。先に述べたようにサービスの均一化が出来るかどうかを心配している人たちは、国鉄の民営化によって赤字路線が廃止され過疎地の人たちの足が奪われた事とおなじように見ているのでしょう。それであっても今では、いろんな工夫をされて解消されているのではないでしょうか。■過疎地の郵便事業の工夫本当は、もっと頭を柔らかくしていろんな規制や法律、常識を横断させて工夫をすれば、マイナス要素とされていた部分をプラスに転換出来るのではないでしょうか。過疎地で郵便物の配達の採算がとれないのなら、地域を巡回するような業種に一緒兼ねてもらうとい手もあります。地方自治体の職員の仕事にプラスしてもいいです。どうせ地域を巡回するのなら、一緒に出来る仕事をまとめてやってもらうのです。営利事業も一緒にやって自治体の財政にプラスさせればいい。警察官の仕事の一部、建設省の道路管理の一部、コンビニの配達業務(食材など)探せば色々有るでしょう。どうせなら、ワンボックスカーに住民サービスのための端末を乗せて二人組くらいで役場の出先機関としてもいいでしょう。本庁に待ちかまえて住民サービスするのではなくて出ていくのです。バスやタクシー、スクールバスの業務も兼務してとことん住民サービスに努力するのです。創意工夫を求めるのならやはり民間の方がいいかもしれません。民間に役場の業務を委託したり警察業務を請け負ってもらうという手もあります。その方が面白いアイデアが出てくるでしょう。かりにそのような事が出来なかったとしても心配することはありません。郵便事業を民間が自由に出来るようになれば、その競争の中で、利益の上がる都市部だけしか営業しないで採算のとれない地域を無視すれば、その企業は顧客から相手にされなくなります。郵便事業に参入して勝ち組に入ろうと思えば、必然的に過疎地対策をクリアーしなければならないことぐらい商売をしている人なら分かるはずです。これは、クロネコヤマトの小倉昌男さんもおっしゃっていたけれど、宅急便の成功の過程がまさにそのような感じでした。昔は、宅急便など採算がとれなくて出来るはずがないと言っていた人たちがいたそうですから。(知識人と言われるような人の中に)■高速道路の無料化が一番日本を活気づける郵便事業に比べ高速道路は、大きな問題を含んでいます。人体にたとえても、重要な器官です。しかもその上を走る自動車は、いま、世界の経済の中でまだまだ大きな地位を占めています。経済の牽引車でも有ります。不景気な時ほど財政出動し政府がカネを使わなければならないと言う学者もいますが、今、国のメインとなっている産業がより成熟するためのインフラづくりのために国家が資金を投入し刺激することが、下手な減税などより大きな景気刺激策ではないでしょうか。もちろんもっと高速道路網を広げよと言っているわけではありません。渋滞の激しい都市部周辺はさらに必要なことですが、それよりも今ある高速道路をもっと利用できるようにすべきです。狭い日本の国土を有効に活用出来るようにするためにどうしても必要な措置です。そのためには無料化しかありません。明治維新の頃、全国に郵便局を整備する必要があったように、いま、高速道路の無料化や、情報網の整備によって全体的にカンフル剤をうつ必要が有ると思います。土地収用法かなんか知りませんが、土地の買収が出来なくて大切な幹線道路の建設が出来ないなんてタバコの吸いすぎで動脈を詰まらせているようなものです。成田空港も一部住民の反対で十分な活用が出来ないなんて、まるでガン細胞が阻止しているような感じです。料金所も箱根の山の関所じゃないけれど、わざわざお金をかけて関所を作り、高い通行料をとりせっかく作ったインフラの活用にわざとブレーキをかけけさせている。いま、日本列島という人間を元気づけ、世界のお役に立てるような存在にしていくためには、血液の流れが滞っていてはいけません。食道にも直腸にもポリープが有っては健康な生活は送れません。高速道路が無料化され、さらに便利になれば、都市部で土地の買収に大きな負担がかかるような地域は次第にすたれてその土地の価格は下がっていくかもしれません。地方の自治体も地域の活性化のためのいろんな手が打てるでしょう。郊外の高速道路のそばに大規模なショッピングモールなり魅力的な空間を作ることで対策が打てます。環境が良くても、高速道路があっても料金がネックとなって気楽に遠出が出来なかったのが出来るようになるからです。工業用地などでも一緒で、それらを中心に新たな町を形成することで税収をあげていくことも出来るでしょう。サービスエリアをすべて「道の駅」として、その地域の顔としてそこからその地域に人を流していく働きをさせなければならない。せっかくの地域に開かれた扉を閉鎖して囲い込んでしまっています。そのようにいろんな所にインターチェンジが増えていけば、かりに事故などで通行止めになったとしても大きな渋滞となることを避けれるはずです。さらに、現状は途中下車をすると高速料金が高くなります。それはどんなことになるかと言えば、高速道路がその地域を通ることによって、今まで下を走っていてくれた通りすがりの人たちを引きはがしてしまうことになります。遷都問題も有りますが、強引に都市機能を移そうとしなくても道路網さえ利便性を考え整備し、無料化すれば自然に硬直化した都市部から産業の中心が離れ次第に解決することかもしれません。高速道路の無料化ではおそらく相当大きな経済波及効果が有るのではないでしょうか。■国営でやる意味国家がやるべき仕事とは何か?民間で集めることの出来る人・物・金・情報ではやり遂げにくい仕事で、しかも将来の見通しにおいてとても重要と思われるような仕事をやるべきです。すぐにリターンがないけれどとても大切と思われる仕事は国家レベルでより多くの要素、力を集めて達成していくべきです。時間と空間を越えて大きな影響を与えるような仕事は総力戦で行わなければなりません。すぐにリターンが有るような仕事の場合は民間でやれます。国防問題、教育問題など国家の背骨をなしていく部分とか、将来重要な産業に成長していく可能性が有るけれど、現時点では民間の研究開発部門では負担の大きな問題を一緒になってクリアしていく必要が有ります。宇宙開発などは、何年後か分かりませんが大きな産業の柱になっていくことが考えられます。それらのことと比べて、果たして郵政事業が今まで通り国家に保護されて運営していかなければならない仕事でしょうか。既得権益にしがみつき甘やかされた状態で仕事をしていくだけではないのか?考えてみれば分かることです。
2005.01.15
NHKの番組制作に関わる政治家の介入の問題がニュースに出ている。いろんな番組で取り上げていたが、民放各社のコメントを聞いていて非常に問題に感じた。阿部さんや、中川さんの弁明を聞いていても心穏やかではなかった。マスコミ権力と政治権力の対立。今や第一権力者の地位は確かにマスコミに奪われている。問題にされている番組がどのようなものだったか詳しいことは知らないけれど、そして、その経緯がどのようなものであったかその経緯も真相は分からないけれど、テレビやラジオから流れてくるコメントは、どうも政治家たちの旗色が悪い。「フラクタルの森」で見ると政治家はどちらかというと、「悟性 O」の要素が強く、基本的には一番世の中のために働きたいと思っている人たちである。もちろんそれがそのまま素直に出ている人とゆがんで出ている人と有ることは仕方がないのだけれど、それにしても、だらしない。客観的に見ると、政治家は一番国家の行く末に対して責任のある立場に立っている。多くの国民の将来の幸福に対して責任のある立場である。そして、そのことを国民から負託され頼られているにもかかわらず、本当に情けない。マスコミは、その使命は何処にあるのかというと、真実の報道だろう。客観的に事実を報道することだろう。その中で第一権力者に対して、その権力が暴走しそうなときに勇気を持って言論の力でブレーキをかけていくことが使命であろうと思うけれど、今、マスコミが第一権力者となっているような状況の中で、いったい誰が、マスコミに対してブレーキをかけることが出来るのか?政治家の力は、それほど弱い物だったのだろうか。問題にされた番組がどのような物だったのか知らないけれど、国益や多くの国民にとって不利益になると判断されるような内容ならば政治介入することも必要なのではないのか。マスコミには、その構造上天下国家、国民、万民のために奉仕しなければならないという使命感に乏しい面が有るのではないのか。もちろん社会のためにお役に立ちたいと思って一生懸命番組づくりをしている人たちもいるだろうけれど、どうしても、視聴率に操られてしまうことも宿命としてある。視聴者を甘やかす傾向を持つことになる。視聴者、国民の理解しやすい形で短絡的な判断と言動が中心となる。どうしても目先の事で動く傾向をもつのは仕方のないことだと思う。長期的な視点よりも短期的な視点の方が受け入れられやすく、どうしても短絡的刹那的なコメントが多くなってしまうだろう。政治家も選挙などでそのような国民の視線の中で当落の線上を綱渡りしていて、本当に気の毒だと思うけれど、実際に政界に出て本当に「聖なる志」を持っている人であるならば、本音と建て前を上手に使いこなし国家や地方自治体の行くべき先を舵取り出来るはずだ。言論の自由、報道の自由とか言われているが、不幸になる自由も有るとしか言いようがない。もちろん、すべて自己責任の原則が有るが、今、まさにマスコミ権力が第一権力として警察権力も政治権力も牛耳っている現状は、ゆゆしき問題が有る。警察権力も政治権力も、また教育権力も司法権力もマスコミの暗示の元にある。まさに、催眠術にかかっている状態ではないだろうか。マスコミに従事している人たちでさえ、自分たちの発信している情報の暗示にかかっている。表面的にだけ考えるのでなく思考停止することなく考えていただきたい。「政治介入」がすべて悪いことなのか?国際状況を見れば、確かにロシアなどゆゆしき状況に立ち至っている国家もあるようだけれど、日本の場合はどうであるのか?杓子定規にしか考えられないとすれば・・・・・・・・・・・・政治家諸君に期待したい。「理想に向けた志」のもとに第一権力者の地位を回復していただきたい。情報統制も必要な面も有る。報道番組と言いつつ犯罪をあおっているようなものもある。自殺や不倫や詐欺やいろんな事をニュースで流しながらあおっている面も有る。マッチポンプという言葉も有るが、自分で火をつけては自分で消して、自分の必要性を世間に知らしめているような所もある。ネットの世界は、今や色情地獄の入り口のツールになっている。夜の巷の客引きがネットを通じて家庭や職場まで入り込んでいる。報道の自由、表現の自由ということでマスコミ等に押し込まれいろんな規制に取り組めないとは恥ずかしい限りである。諸外国にそのような現状を指摘され、そのような状況を本当に恥ずかしいと思う。堕落していく自由を国民に許すという事は政治家の仕事としては怠慢ではなかろうか。
2005.01.14
■何故?命は尊いのですか?少年犯罪など何か悲惨な事件が起きるたびに「命の大切さ」を訴える言葉がマスコミや教育関係者、いろんなコメンテーターから出てくる。そのような言葉を聞くたびに思うのだが、その言葉を発している人自体「何故命が大切なのか?」知ってしゃべっているのだろうか?もし知らないとしたらどうやって教えるのだろうか?非常に無責任ではないかと思ってしまうことがある。「何故、命が大切なのか?」この質問に対して出てくる答えはどんなものがあるだろう。命が大切なことは当たり前の事じゃないかといった言葉が返ってきそうだが、しかし、現代では簡単に自殺する人がおり、簡単に他人を傷つける人がいる。何故命が大切なのかマスメディアを通じてはっきりと耳にしたこともない。本当の意味で命の大切さが分かっていないような気がする。命とは尊いもの、言い換えれば価値あるもの、値打ちのあるもの、貴重なものである。私が関わっている備前焼も価格も高いし貴重なものであるかもしれない。しかし、その値打ち感は人によって様々です。見る人によっても違うし、その作品によっても違いがある。備前焼を好きな人もいれば、それほど好きでもなくどうでもいい人もいる。その作品の値打ち、その評価においても様々。そのことと同じように命の大切さも人によって様々な見方があるのでしょう。対象とする命によって大切さの度合い、値打ち感に違いがあるのかもしれません。自分や身近な人の命は大切だと思い、赤の他人の命はそれほどにも思っていない人が多いのかもしれません。おそらくそれに似た値打ち感でしかないのかもしれない。備前焼などであればその程度の価値観でも良いでしょう。備前焼がなくても伊賀焼もあれば、丹波焼、信楽焼など色々それに代わるものもあっていくらでも代用は可能です。それが無くてはならない程のかけがえのないものではないでしょう。ではどうして人の命が価値あるものなのでしょう。確かに歴史を見ると人の命の値打ちが軽く扱われてきた過去があります。近代でも第二次世界大戦での死者にしろ、その後の思想戦(共産主義、社会主義思想対反革命思想)の中で行われた粛清など膨大な人の命をないがしろにしてきました。戦争での死者はいつの時代でもつきものでしたが、近代の特徴は、理想を掲げたはずのマルクス、レーニンの思想の跡を次いだ者たちが行った粛清という殺人です。その粛正での死者の方が大戦での死者の数を上回っているとする説もあるほどです。その思想が一時は、世界を二分する勢力になっていました。日本でも「マルクスを学ばない者は知識人じゃない」というような言葉まで出ていたように日本での最高学府では直接間接的にその暗示にかかっていました。そして教育界に蔓延し、そのウイルスは各地で働いています。大手の新聞社、マスコミを通じてさらに蔓延しています。その結果が「命の大切さ」を教えなければならない事態に追い込んでいるのではないのか。結論は、唯物論と唯心論、どちらを採るかに突き当たるのですが、ここでは別の角度から「命の大切さ」を証明してみます。■命の大切さの教育は、感性(B)の空間さて、私自身に「命の大切さ」の理由を聞かれたらどう答えるだろう。出てきた答えは「仏性を持っている素晴らしい存在だから」当然その次なる質問は、その「仏性とは何か?」ということになる。答えは「仏、神と同じような性質を持っているから」さらに質問が生まれる。その「仏神の性質とは何か?」さらに、この問いに対して答えたとしてもそのことを信じるか信じないかの問題になってしまいますので、ここで角度を変えて説明します。哲学的、論理的に説明し証明するために、この問題をフラクタルの森に入れてみます。いつどこでだれがなにを なぜ どのようにして どうしたい → 悟性O → 感性B → 知性A → 理性AB → 思想教育 道徳教育 └── 心の教育 ──┘└── 頭の教育 ──┘「命の大切さを教える」ということは「感性 B」ですることです。心の教育の中の道徳教育の部分。うがった言い方をすると、ある意味暗示にかけることでもある。偉人伝や各種文学、芸術、感性を育み、美を感じる心を養う必要があります。理屈はどうであれ、人の命の価値が素晴らしいものだということを教え込まなければなりません。ここでの暗示教育が間違っていると、ちょっとしたことで命をおろそかにする現実が待っている。いやなことがあったり行き詰まったりすると、すぐに自分の命を奪ったり他人の命を奪ったりする。しかし、この感性の教育の部分だけでは難しい面も有ります。その理由は「どうして命が大切なのか?」本当には理解していないからでもある。その求めるべき理由は「悟性 O」の空間の中にある。人間とは何か?命とは何か?私たちが生きている時間と空間その真実、真理を知る必要が有る。ここが空白だから蛇行してしまうのだろう。命が大切だという当たり前のことが当たり前でなくなる。試しにみなさんに質問ですが、「あなたの悟性の空間に入っている内容を教えてください」と問われて、さて、はっきりと整理して答えることが出来るでしょうか。「あなたの思想は何ですか?」「人生観は?」「宗教は?」なんですかと問われて明確に答えることが出来るでしょうか。このところが命の大切さを説明する根拠の部分ですから、ここが空白だと子供などに教えることが出来ません。もちろん自分自身を説得することも不可能。命が大切なことは分かっていても、状況によれば自分の命か他人の命をないがしろにする場合も出てきます。■命はお役に立ちたいと思っている簡潔に命が大切な理由を述べるとするならば次のようになります。「人は、本来、お役に立ちたいという思いで生きている存在だから尊い。現実がそうなっていなくても、その心の奥にはその思いが有る。より崇高なことのために命を捧げたい気持ちが有る。だからその尊い命を無駄にしてはいけない」このことの証明は難しいかもしれないけれど、フラクタルの森の中にいろんな事柄を入れて各空間を埋めてみてください。そのような理念が法則として含まれているとしか言いようがない部分がある。有るから有るのであって、有るものを無いとは言えない。人だけではありません、動物も植物も細菌も鉱物も何もかもの中に組み込まれている法則であり、元々持っている理念、動機であります。フラクタルの森の中にいろんなテーマを入れて逆にたどってください。算数の検算のごとく逆の流れで見るわけです。悟性O 理性AB 知性A 感性B労働とは 報酬を求め いろんな職場で働く ?人生とは 幸福を求め いろんな人生修行を重ねる ?植物・花は 花咲き実を結ぶため 営み、競争が有る ? 「感性B」をあえて?マークとしましたが、ここに何が入れば求めている幸福や報酬、果実を実らすことが出来るでしょうか。理想とする結果を手に入れることが出来るでしょうか。もしここが空白だとしたら、ここが分からなかったとすれば、労働の本質も知らず、人生の意味も知らず、植物も動物の本質を知らないことになる。「悟性O」の空間には形だけの空っぽな言葉だけが存在することになる。■感性Bの空間に入るべきものは種、DNA、設計図感性Bの空間に入るべきものは、「種」です。結果を産み出す遺伝子を含む必要が有る。報酬を産み出すためには何らかのものを与えなければなりません。幸福を産み出すためには幸福の材料を集め調理しなければなりません花を咲かせるためには、その花を咲かせるための設計図DNAが必要です。何を与え、何をどのように調理し、どのような設計図を書けばいいのでしょうか。論理的に考えれば考えるほど、その成果を産み出すためにその設計図にどのようなことが書かれていなければなければならないのかが分かるはず。感性Bの空間の中には、その結果を産み出し育む設計図が組み込まれているのです。その設計図が無ければその求めているものは出来上がってこない。その設計図に、その中にどのようなことが書き込まれているのか?その具体的なことはみなさん自身で見つけてください。ご自身の心の中をのぞき込めば見えているはずです。 私も変なところで変な自慢話をして自己嫌悪に陥ることがよくある。見方を変えれば、これも、その設計図に書き込まれたものが変質して出てきているだけで、ほんとうは、自分はお役に立てる存在だということを主張したがっているのです。自己の存在意義を証明したがっているのが、恥ずかしくも結果主義になり奪う形になって聞いていてイヤな自慢話になるのです。そのように見ると後で落ち込むことも少なくなりました。可愛いもんです。結果を出せるに至ってないだけですからこれからコツコツと努力すればいいんだと言い聞かせています。善人の中にも悪人の中にも等しくこの設計図が有ります。その設計図を正確に読んでいる人と読めていない人がいるだけ。設計図が有ると言うことは、元々その設計図を書いた存在がいるはず。仏神の存在、サムシンググレートという言葉もありますが第一原因者が存在するはずです。ただ、もう一つ考えておかなければならないのは、その基本となる設計図の上に上書きすることが私たちに許されているという事。私たちの思いと行いが、その基本設計図の上に何層にも積み重なっています。新たな設計図をその上に書き足すことが出来る。個人の中でも、その地域社会、国家の中でもその設計図の束は積み重なっています。地球レベルでもそうでしょう。個人でも全体でもそうですが、基本設計図から大ききかけ離れてしまうと支障が起こります。求めている成果が期待できないばかりでなく、その存在自体の中にガン細胞が出来るようになります。そして崩壊。個人に起こる不幸も、人類全体に起こる不幸、天変地異などもこの基本設計図から大きくかけ離れた設計図を書く人たちが増えすぎたためなのでしょう。奈良の少女殺人にしてもそうですが、インド洋沖の津波なども根っこの所では無関係ではないと思います。「命の大切さ」の本質が分かることこそ、いろんなところで起きている不幸を押しとどめる働きをするのではないでしょうか。
2005.01.09
私の「フラクタルの森」が開かない。メールも読めない!!いったいどうしたのだろう。・・・・・・サーバーのシステム障害が原因だそうだ回復を待つしかない
2005.01.08
場所 ギャラリー コロット 神戸市中央区山本通2-13-10 北野ハンター坂上ル 異人館通り手前 電話 078-242-8021 時間 1月5日(水)~17日(月) 1時~5時(10/11日は休み) 最終日には玄明もおります昨日は、朝早くから展示会の準備のために神戸に行きそして一日ギャラリーにつめていた。このギャラリーは、うちの作品も使っていただいているリストランテ ベルゲンのすぐ近くに有る。 http://www02.so-net.ne.jp/~tdcshin/その真ん前がカソリック教会。少し早く着いたのでその教会をたずねてみた。震災で崩れたあと再建されてとても素敵な建物になっていた。私はイエス・キリストに対して不思議な感覚があった。いろんなシーンでイエス様の事を思い続けると心の中にもう一人の自分がいて涙するのだ。きっぱりと言うが、私はクリスチャンではない。教会の説法を聞いたことも有るが私の聖書の理解と牧師さんの理解とは大きな違いがあった。その時心の中のもう一人の自分が大きく叫んでいた。「違う!キリストを冒とくしないでくれ」しかし賛美歌を歌うと涙が吹き出してくる。私はおかしいのだろうかと思っていた。友人とのチャネリングである霊人から言われたが、どうも、2000年前のイスラエルにも過去生があったようだ。チャネリングによるとその当時も焼き物師をしていたということだけれど、その感覚は無い。しかも、私の器をイエス様に使っていただいて喜んでいただいたことが有るそうだ。しかし、初めて焼き物の粘土にふれたときの感覚はとても不思議だった。確かに心の中に起きることを考えると自分でもその当時生きていたのではないかと思える。潜在意識下にその記憶が有る感じがする。聖書の山上の垂訓の部分など読むと、光の感覚と共に涙しか出てこなかった。聞いたことが有る!知っている!という感覚が強くした。繰り返しいうけれどイエスキリストも偉大な救世主だと理解しているが、私はクリスチャンではない。
2005.01.06
昨日面白い記事を見つけて勇気づけられた。天外伺朗(本名:土井利忠)さんが「運命の法則」という本を出版されて、竹村健一さんと対談の中でフラクタルの森と同じ事を発言されていた。「目に見える物質的な宇宙の秩序の背後に、もう一つ目に見えない秩序が存在する」と認識されていることを語られている。そして、私の切り口に無かったことだが面白いことを言われているのでフラクタルの森と関連づけながら紹介する。「人間の満足度というものは4つぐらいに分けることが出来る。・・・体の満足・頭の満足・心の満足・魂の満足・・・いまは、ほとんどの方が体の満足と頭の満足だけで回っているような部分が有ります。けれど、心の満足、魂の満足という所に少し意識を持っていくと逆に運も非常に良くなっていくでしょう。」体の満足・・・理性AB(結果)どうなった頭の満足・・・知性A (行為)どのようにして心の満足・・・感性B (思い)なぜ魂の満足・・・悟性O (見る)いつ、どこで、誰が、何をこじつけのように思われる方もいるかもしれませんがそれぞれの空間を充実させることと深く関連します。そしてもう一つ、「不運」ということのとらえ方「不運には二つしかない・・・・宇宙の流れから外れた事をしていることを知らせてくれる不運と、本当はものすごい幸運なのだけれども、それが不運のふりをしてやってくる不運」これは、陰と陽両目で見ることでもあります。ジョージワシントン大学 客員研究員の 中野 有 氏にも私のコラムを時々読んでメールをいただく事があるが、竹村健一さんがらみで、いろいろと興味深いことに行き当たる。「運命の法則」幸運の女神とつきあうための15章(飛鳥新車)という本を取り寄せて読んでみようと思う。「フラクタルの森」を世界中に作りたいという夢が少し前に進むかもしれない。
2005.01.05
今日は葬式だった葬式とは何か?二つの面が有ると思った亡くなった人の立場・・・・陰残された者の立場・・・・陽その陰陽共にまた二つの見方が有るだろうしかしここではあえて一方だけで見る亡くなった人の立場(陰)・・卒業式、旅立ち、入学式、進級式残された者の立場(陽)・・・寂しさ、悲しみ、つらさ遺族の立場になり、生前の故人の思い出を心の中によみがえらせると悲しみがわいてくる。同じ組内として大したお手伝いも出来ないのに最後にお酒をいただきごちそうにもなった。そのご馳走を家に持って帰り子供たちと故人の事を話しながら故人の卒業式、旅立ちを祝ってあげながら夕食をいただいた。心安らかに旅立たれんことを祈る。
2005.01.04
1円オークションをやってますこれから時々開催しますのでよろしく
2005.01.02
昨日は久しぶりの大雪約25cmくらい積もった色々忙しかったけれど子供たちがカマクラを作っていたのでつい引き込まれて大きなカマクラをいっしょに完成させた。ここに引っ越してきて6年がたつがこれだけ積もったのは初めてだ。午後、同じ組内の人が亡くなったので寄り合いが有った。半年前にご主人が亡くなり、今、その奥方も亡くなった。11年間脳梗塞で倒れたご主人の看病をされていたのだがそのご主人を送ったと思ったら今度は、後を追うようにその方も脳梗塞で倒れ、あっという間に逝ってしまわれた。ご夫婦で片割れが亡くなると、まるで後を追うかのように1年以内にもう一方も亡くなるケースが多い。まるで一緒に人生修行をすることを約束しその修行が終わると同時に共に帰天されているようにも思える。無事その修行を及第点で卒業できたかどうか、つつがなくこの世の修行を終え、あの世での生活に入っていただけるよう祈念する。このご主人とは備前焼を学び始めた頃、先生に連れて行ってもらったスナックで偶然出会ったことがある。その時不思議な感覚があったのだが、ここに引っ越して近所つきあいを始めるようになったときには驚いた。ご主人の葬式の時には、橋本龍太郎前首相夫婦も来られていた。賀陽運輸という会社の社長で相当元気の良かった人のようだ。葬式は4日におこなわれるが、昨年友人を若くして送ったことが思い出される。
2005.01.01
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