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米俵をイメージしたお皿これは初期の頃から時々造っているあきらかにインスピレーションによって造った作品でした確か、大黒天像を造っていた頃だったと思うが日本神道系の神様達に祈りながら造っていた
2009.01.12
経済の問題でも、歴史認識の問題でも、政策の問題、地域の活性化の問題でも、何もかも、もちろん個人の問題でも一緒で、自分で自分の首を絞めるような時の状況は、どうも、いっしょのようだ.。キーワードは、「考える」ということ。考え違いを起こすこと。考えるのは、どこで考えるのか?唯物論の脳科学者は、頭(脳みそ)で考えると言うだろうが、もう一つ、心で考えるという意見も有る。脳みそはコンピューターの部分だろうし心は、ソフトの部分だろう。そのソフトを造ったインプッターの所もあるだろう。正直、私も分からない。しかし、これも陰と陽の関係だろう。どちらにせよ、はっきりしたところは分からないが、象徴的に見ると右脳的な部分と左脳的な部分とが乖離(かいり)し、勝手に作動しているときに起きる現象のような気がする。右脳(左目)と左脳(右目)、情と理、この十字架が、接点を持ちながら考えられるときに何とかなるが離ればなれで考えると、両極端に暴走する。諸行無常(時間論)・・・・左脳(右目)的要素・・・・知性、理性・・・・プラスかマイナスか・・・・頭(スキル)・・・理諸法無我(空間論)・・・・右脳(左目)的要素・・・・悟性、感性・・・・好きか嫌いか ・・・・心(マインド)・・・情その接点である、涅槃寂静の境地でものごとは考える必要が有る。この縦軸と横軸、その大きさがその人の器の大きさを決める。器が大きくても、接点無くバラバラだと、めちゃくちゃなことが起こり始める。現代社会では、左脳的な所ばかり発達している人が多いようだ。頭はいいがバラバラに考えていていると言っても良い。バラバラだとどうしても左よりに見る傾向が有る。情に流されるのだ。歴史認識でも、何でもそうだが、情に流され。結局の所、時間の経過の中で、非常に無責任な判断をすることになる。情のみで考え(左目)、それ故に、右目で見るところで暴走する。結果主義に陥りがちになる。目先の理(利)に振り回されることになる。何事もしっかり両目で見つめていきたいものである。
2009.01.10
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