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KAJI畑の野菜も晩生ながら夏野菜の収穫です。フルーツトマトや茄子、きゅうり、枝豆や餐場さんのもろこしなどささやかながらの豊作です。昨日はKAJI Houseでのクリスタルボウルキャラバン、いつもの方や初めての方々でにぎわいました。楽しいひと時をみなで過ごすことが出来ました。奥の間の床、ベイマツの無垢材をと思っていたら地元の製材所で地元のヒノキ材を提供していただきました。奥の間 畳を上げたところ(床板は腐っていませんでした)到着したヒノキ(いい香りです)ヒノキの香りはいいものですね。この香りの成分:フィトンチッドは血圧上昇抑制や癒し効果のほか防ダニ効果抜群である。全般に怒りを和らげる・緊張をほぐす・疲れが取れる・抑うつ・活気の効果・血圧の安定などさまざまな癒し効果があります。このヒノキの床の下には納屋にあった麻の袋を敷き、竹炭を敷いて効果を倍増させようと考えています。この奥の間は特別セッションの場所になるでしょう。
2012.08.28
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前回のお話の続きですがデンバーで友達のバンドZEUTと再会した後、デンバー空港から10人乗りの双発機に乗りサンタフェへ向かった。サンタフェ空港はしなの鉄道の御代田駅ほどの大きさ。タラップを降りてターミナルに向かうとニューメキシコ州の太陽のエンブレムの付いた鉄製の門扉を「ギギーッ」とあけて建屋に入る。多分10歩も歩けば向こう側の外に出れる。空港で車を借りた。そこのカウンターにあったブローシャ「萬波温泉」にびっくり。滞在中に絶対行ってみようと思った。サンタフェはアメリカの古い都で、ラテンとイオンディオの町だ。安いモーテルにチェックインし、早朝、町で一番でっかいホテル(確かMriott)に立ち寄りそこのラウンジで朝からビールを飲む。India pale Aleという日本で言うところの地ビール(micro brewery)。そのころのラベルはバッファローの頭蓋骨だった。1日の予定をビールを飲みながら考え、いざ出発。行き先は北へ50キロ離れたTaos Puebloの町だ。そこはネイティブアメリカンの太鼓の部族(タオス・プエブロ族)が住む。3日間に渡りそこを訪れ、もって行った日本の〆太鼓を軒先で演奏した。インディアンドラムの作り手とも会うことが出来、彼の工房を訪問した。素敵なハンドドラムがKAJIの手に渡りました。そこでであった日本人カップル。なんと彼らは新婚旅行でレンタカーを借りてそこへきていた。若い彼は、ネイティブインディアン博士のようでなんでもネイティブのことは知っていた。特にカチナについては本当に博士のようでした。KAJIの知りたかったタオスのいろいろも彼が教えてくれた。意気投合して、例の「萬波温泉」Ten southand wavesに行ってみることにした。針葉樹林帯の茂る山道を上っていくと、そこにあったのは、信州のひなびた温泉の建物。オーナーはアメリカ人らしいが日本の信州に住んでいたことがあって、中のつくりは日本そのもの。そもそもこのタオスプエブロ族に会いに行ったきっかけは牧野持侑さん。成田空港から出発する前夜に世田谷の彼の自宅を訪れた。そのころ彼はインディアンフルートを巧みに演奏し、ナチュラル・ホールフードに詳しい、不思議な方でした(今でも不思議ですが)。「和太鼓をしているなら是非!」ということでタオスプエブロ族の酋長の息子「ベニート・コンチャ」にあいに行くことになった。タオス・プエブロの山は信州の山々を連想させるとても懐かしい感触に襲われた。思わず、車を止めまるで浅間山のような彼らのふるさとの山を眺め、篠笛を吹いたKAJIがそこにいました。涙があふれました。このときにメッセージがKAJIに降りました。「この人たちと日本の人は遠い昔に分かれた兄弟ですよ」と。翌年の夏、KAJIは、所属する和太鼓の会「鼓響」のメンバー15人と群馬交響楽団の和太鼓作曲家「友石」先生を引きつれ、カナダモントリオールの郊外都市「La Chine」で開催される「世界民族芸能祭」に日本代表として参加することになる。次回へ続く・・***KAJI Houseの一番奥の部屋には電気が来ていません。前のご主人の寝室だったようです。北側には雨戸だけの縁側があります。畳が古く、一部朽ち果てています。なので、自力で無垢板の床張りにしようかと思います。25日のヒーリングライブでは奥の部屋が荷物などで雑然としているところをお見せするかもしれません。ご容赦のほど・・諸の夕焼け先日幸子さんの自然農畑を訪問しました。素敵な菜園です。ご自慢のスネークズッキーニ(幸せを呼ぶズッキーニ)をいただきました。
2012.08.21
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大和魂というよりもアスカ魂麻のふんどしKAJI House 麻のふんどしです。生成りの麻です。やわらかい生地ですが重ね布にしたので丈夫です。紐は柄物、ひとつは兎、もうひとつは雷神です。男女兼用です。冒頭に記した飛鳥魂とは、・・・「アスカ文明は、ムー、アトランティス、レムリアなど超古代文明伝説の原型であった。」これが日本の6500年前のそのまた前の超古代の物語だそうだ。 超古代、ヴェルム氷期に海水面は、はるか後退していて、今より陸地が広かった。そこには、原アスカ文明という超古代文明が花開いていた。アスカ文明は、ムー、アトランティス、レムリアなど超古代文明伝説の原型であった。... あるとき天変地異(ポールシフト?)によって、平野部に栄えた文明は南極の氷が急激に溶け出して起こった大洪水で滅んだ。生き残った人たちは、ばらばらになって世界各地に移り住んだ。記憶にある文明の地をしのんで、安息の地をアスカと名づけた。飛鳥、アスコ(スペイン・バスク地方)、アスコタン(チリ)、ナスカ(アスカの否定形、不毛の地の意味、ペルー)、アスキャ(アイスランド)など。現人類は、失われたアスカの民と、原住民たちの子孫である。各地の古代文明の伝承にある、海から来て文明を授けたオアンネス(シュメール文明)、西の海からやってきた飛ぶ鳥の姿をした神トウト(エジプト文明)、海から来て大国主と協力して国づくりをした知恵ある神、少彦名(日本)などはアスカ人を示している。日本の飛鳥地方は、どうやら少彦名が名づけた。続きを読む
2012.08.07
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一昨日は素敵な満月の夜でしたね。2階のベランダで月光浴をタンとしましたよ。そしたら、現れましたUFO!、月の方角から西の空へ、素敵な点滅信号とともに飛んでいきました。モモも屋根の上で月を眺めていました。シルエットがなかなかいい。 昨日から瀬戸の町から陶芸家の卵の若いグループがKAJIハウスに訪れています。陶芸家の家系に生まれ育った生粋の陶芸家のジュニアもいらして、なかなか面白いお話が出来ました。おじさん陶芸家も知らないアイデアもいっぱいあります。諸マネー(一様陶磁器?)を見せたら感心していました。小諸在住の庭師Mr.W氏、陶芸家のMr.I氏を交え、炭火で焼き鳥を焼きながらの楽しい夕食会もしました。韓流からニコラ・テスラのフリーエネルギーまで、楽しい呑みでした。セルフビルトで家まで立てるクリエイティブな人は一味違います。 KAJI畑は麦の収穫が終わり、なんとなく清々しています。傍らでは夏野菜のズッキやきゅうりが元気に育っています。麦の畝の間に大豆を蒔いたので、麦の収穫後はあっという間に大豆畑です。(あっという間ではないのですがね・・)自然農・・・気が付けばそこかしこで皆さんやっています。すばらしいと思います。10年前の状況とは違いますね。とにかく若い人がやり始めている。トーってもいいことだと感じています。 KAJI Houseでは新物のしょうがを使って、自家製ジンジャーエールを作っています。作り方は簡単、しょうがをスライスして、同等の砂糖と倍のお水で15分ほど煮ます。(コツは水をあまり多くしないこと)ころあいを見てレモンを1~2個絞って冷まします。あとは、炭酸を用意してグラスに氷を入れて割って呑みます。カナダドライ・ジンジャーエールをしのぐほどのピリッと辛いジンジャーエールの出来上がりです。しょうがは体の芯を温めるので健康にもよさそうです。簡単なので皆さんもやってみてください。 少し昔のKAJIの旅行記からデンバーの話を少しします。その昔オレゴンからクリスという女性が英語の先生で御代田にやってきた。彼女は歌声がとても素敵でした。ギターがうまくないので教えてくださいとKAJIのところへきた。で、2年後アメリカに帰ることになった。私は、「帰ったら絶対音楽をやるといい。」と話し若かりしころのKAJIの東京での音楽活動のいろいろを彼女に話した。そして彼女はアメリカに帰った。1年して彼女はKAJIの言ったとおりデンバーでバンドZuetを組み、バンドバトルで優勝し、コロラドレコードからローカルデビューした。責任を感じ陣中見舞いの名目でデンバーに2年連続も行くことになった。Martin.D-35を抱え、デンバーでレコーディングに立ち会ったり、ライブステージに参加したり、とても楽しい音楽演奏の旅をした。ライブハウスは旅行中、4―5箇所は回ったと思う。一番はHarman's Hideawayというところ。その夜は延400人近く客が入った。僕はステージに上がり、シカゴブルースをスライドギターで演奏した。KAJIコールが沸いたときには感無量でした。その話をしたら、誰も信じてくれないので2度目はカメラマンを同行して再度デンバーへ行く始末でした。実はデンバーは経由地でその後サンタフェへ向かい、ネイティブの太鼓の部族に行ったのですが、その話はまた次回します。
2012.08.03
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