PR
フリーページ
すっかりの春
暖かくて、窓を開けなくちゃいられない
最近読んだ本で、やっとわかった事
それは、新潟からの北朝鮮帰還事業
僕らの時代は、身近に朝鮮部落があった
友達もいたけど、両親は 「深く付き合うな」 と怒られた記憶
何が悪いのか、おいらには判らなかった
そして、戦後の北朝鮮帰還事業
終戦当時、日本にいた朝鮮人は 200 万人
でも、北朝鮮の人間はほとんどいなかった
なんと 97 %が、今の韓国人
そして、南系朝鮮人は終戦後に続々韓国へ帰ってる
残った朝鮮人は 60 万人
彼らは、帰るだけの金が無かった
そして、日本に残っても職がない
朝鮮人であることで虐げられ、就職先もなかった
肉体労働や廃品回収で糊口をつないでいた
そんな彼らは生きるすべを探していた
ここで、現代の目で見てはダメ
当時の南部は「大韓民国」に名前を変えてた
しかし、 大韓民国は独裁政権
一方、北朝鮮は国力が凄かった
なにせ、一時は半島を占拠する所まで行った
アメリカ軍が頑張らなかったら韓国は無かった
そして、 北朝鮮の背後にはソ連や中国の後ろ盾
しかも、彼らから救援物資を受けて韓国より豊かだった
南より北の方がずっと立派な国家
に見えたのだ
そこで彼らは新潟から北朝鮮を目指す
そこでは、家族の縁を切った家族、日本人妻も数多く
実は、この帰還には政治的な思惑もあった
日本の朝鮮人追放政策
それは、当時の朝鮮人は貧しいために生活保護の人が多かった
この財政負担が日本には重くのしかかる
敗戦後で国力もなかった
そこで、政府のみならず赤十字・在日組織も帰還に加担してた
こうして 北朝鮮に 93000 人 が行ってる
しかし現実は甘くない
北朝鮮に行っても職も食料もない
しかし、北朝鮮は言論統制をする
現実を手紙やはがきに書くのを禁止、検閲を始める
悲劇なのは日本に残った家族
彼らはパラダイスを信じた
「社会主義になって生まれ変わる、地上の楽園になる」
「肉は毎日一人 100g の配給もできる」
こんな美辞麗句
でも、そのパラダイスも長続きしない
何故なら、手紙やはがきには不平不満はなくとも別の面がある
それは 「食料を送れ」「金を送れ」 の大合唱
北朝鮮も、日本から金をむしろうと必死だった
彼らは北朝鮮の農村に送られ、飢え死に寸前
今度は北朝鮮は在日の家族に目を付けた
北朝鮮の家族を助けたかったら、金を送れ・食料を送れ
日本の情報を何でもいいから送る事
こうして陰湿な素人スパイが増える
朝鮮人は、
日本で嫌われ・同じ朝鮮人の北朝鮮に搾取される
こうした事実を、改めて知る事が出来た
まあ、ろくでもない本を読んでるでしょ^^
コメント新着