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忘れたいけど、忘れちゃいけないことなので、ここに記す。
3月11日(金)14時46分。
その時、宮城県庁13階にいた。
いつもと変わらず仕事をしていると不意の地震警報。
過去にも何回か大きな地震は経験している。
最初の揺れは、お、結構大きいなぐらいの感覚だった。
揺れが最初は緩やかに大きなものだったのが、
次第に激しい揺れに変わっていく。
下から突き上げられるように激しくなっていき、
書類が床に散乱する。
普段は大人2人でやっと持ち上がる机が
床を滑るように左右に動く。
それに必死にしがみつき、窓の外を見ると、
向かい側に建っているJAビルが激しく身震いしていた。
建ってられないほどの激しい揺れ。
ミキサーに放り込まれた野菜のように激しく揺さぶられている感覚。
まだ終わらないのか、早く終わってほしい。
もう揺れは止まってほしい。
もしかしてこの建物もダメかもしれない。
死ぬかもとも一瞬考えた。
およそ2分ほどの揺れ。やっとおさまった。
なんとか、生きてる。
ほっとすると同時に地震の恐怖から手が震えだした。
これほどの地震はもう二度と経験したくない。
時間がたつにつれ、
続々と入ってくる報道を聞くにつけ、
本当にそう思った。
宮城県内、仙台でもあちらこちらで火災が発生。
県庁13階東側の窓からは、
時折、オレンジ色の炎が舞う仙台港コンビナートの火災が見える。
遠いところで起こっている絵空事ならよかったのに。
地震の被害もさることながら、
津波の被害は甚大だ。
もはや、沿岸部の町は立ち直れないのではないだろうかと思うほど。
ちょうど一年ほど前も津波が仙台港にきたが、
その時は1メートルちょっと。
今回のは、比較にもならない。
建物の1階が完全に水没する津波。
津波の被害が甚大すぎる。
沿岸の街がまるまる飲み込まれて、
みんな持っていったのだ。
死者は何千人となった。
気仙沼にいる大学時代の友人とはいまだに連絡がとれない。
しかも自衛隊ヘリによる気仙沼市の映像は、
一面火の海。気仙沼市街地の1/3が炎に包まれていた。
もはや、どうしていいかわからない自分がいた。
絶望に打ちひしがれながら、職場で一夜を明かし、
交代要員に災害状況の引き継ぎ、自宅の確認。
自宅の散々たる状況。
顔を合わせるや泣き崩れる妻。
ここまで酷い地震は本当に未曾有のことだ。
今後、やっていけるのだろうか。
いや、生きていただけ良かった。
助かっただけ良かった。
復興はこれからだけど、上を向いて進まねば。
そう思った。
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