仙台・宮城・東北を考える おだずまジャーナル

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2024.11.26
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カテゴリ: 東北


畿内の王権は各地の有力豪族を国造に任命して地方を統治していた(国造制)が、大化の改新(645年)で成立した孝徳朝は、これを解体して評(コホリ)を設置し、その後、評を束ねる国を置いた。古墳時代以来の有力豪族による間接統治から、中央集権的な地方統治に転換を図ったのである。

陸奥国が初めて史料に登場するのは、『日本書紀』斉明5年(659)3月条「 道奥 与越国司」である。『倭名類聚抄』(10世紀)で後の 陸奥 を「三知乃於久」と訓じているため、 道奥 陸奥 は同義とみなされている。

また、『常陸国風土記』では、我姫(あづま)国であった関東から東北(東国)を8か国に分けたとある。このうち1つが道奥国とされ、評の設置が進んだ653-654年(白雉4-5)頃には、国が成立していたと考えられる。676年(天武5)には「陸奥」と記されており、この頃までに表記が、道奥から陸奥になった。

当初の陸奥国の領域は、福島県から、太平洋岸は宮城県大崎地方まで、日本海側は山形県内陸部だった。これらは都からの連絡路(東山道の前身)の最も奥に位置したことから、「道奥」「陸奥」の国名は王権支配の辺遠を表現したものと考えられている。

■関口重樹編『日本史の中の宮城県』山川出版社、2024年


■関連する過去の記事
陸奥はなぜ「むつ」と読むのか (2017年8月14日)
「むつ」の語源 (2007年8月27日)





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最終更新日  2024.11.27 08:09:24
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