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大陸へ来てからもう4か月が過ぎようとしているのだ。ローカル耐性の強い我が輩でもさすがに中華も飽きてきて、時々日本から持ち込んだ食材を食べては、日本の味を思い出しているのである。 本日は有名料亭の「タケノコご飯の素」と「ちりめん山椒」を食べようとパッケージを見たら、なんと賞味期間がとっくに2か月も過ぎているではないか。慌ててほかの食材もチェックしたら殆どが期限切れまたは期限間近である。 まあ、「消費期限」とは違うので、数か月過ぎたところで害は無いので、気にせず頂くには変わりないのであるが、せっかく日本でたくさん買い込んで持ち込んだものの、これほど早く賞味期限切れが訪れるとは思っていなかったのである。 うむむ、しばらくは賞味期限との闘いなのである
2012年08月22日
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8月7日から8日未明にかけ、寧波の街に台風が直撃したのである。 60年に一度の大災害(台風の上陸は12年ぶり)となった、その台風は「海葵」(中国語でイソギンチャクと同義語でもある)と名づけられ、大型で極めて勢力の強い「海葵」は大いに猛威を揮ったのだ。 日本での生活で、ある程度台風慣れしている我が輩らにとっても今回の「海葵」は凄まじいものであった。街中のいたるところで看板などを破壊し、街路樹を次々となぎ倒し、そして激しい雨を降らせ各地で洪水を巻き起こしたのである。 我が輩は半分水に浸かりながらも半ズボンで出勤し、社員の安全を確認しつつ、停電した電力の復旧や情報収集に努めたのである。日本と違って台風情報の取得の仕方や警報の発令について勝手がわからず、戸惑うばかりであったのだ(夜中に赤色警報が発令されたのであるが、避難指示や出勤可否の判断が難しい)。 「海葵」はその後勢力をやや弱めてはいるが、安徽省へと抜けていき、引き続き各地を暴風域に巻き込んでいったのである。 あらためて自然災害の恐ろしさを実感した次第であった。 しかしなんでこんな目に遭わなあかんねん!
2012年08月08日
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こちらでは「大梁山ビール」「KKビール」など地元のメーカーのビールがメジャーなのであるが、やはり旨いのは青島ビールである。 日用品の買物で疲れた我が輩は、餃子店でビールを飲みながら餃子をつまむことにしたのだ。餃子一人前と青島ビールを注文し、とりあえず冷えたビールが出てきてホッとしていると(こちらでは常温のビールは珍しくなく、高級店でも通常「常温と冷えたのとどちらになさいますか?」と聞かれるのである)、なんとグラスの代わりに出てきたのがお茶碗である。 まさか?と思いお店の人に聞くと「グラスはないのでお茶碗で飲んでください」ということだそうだ。さすがに気の優しい我が輩もムッとして「そんなアホな話あるかい!」と中国語で文句言ったのであるが、お店の人はただ不思議そうに我が輩を見るだけである。 そう、周りを見渡すとなんと確かに皆茶碗でビールを飲んでいるでは有りませんか!うーむむ、なんか納得いかないのであるが「郷に入らば郷に従え」なのである。茶碗で飲むべしなのだ
2012年05月06日
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こちらへ来ると当然ほとんど毎日が中華料理である。ここ寧波の料理の味付けは基本塩味がベースで、北方や、また上海のような変な癖やくどい甘さがなく、日本人にとっては非常に親しみやすい味付けである。また、ここ寧波には港があり、海産物も豊富で海鮮料理も非常に美味しいのである。 連日の宴席で散々ご馳走を食しているわけであるが、週末など我が輩ひとりの時は、大体ローカルの簡単な中華で済ませることが多いのだ。本日は当地で人気の中華ファーストフード「華必和」さんを紹介しておこう。 この華必和は、市内の至る所で目にすることができるチェーン店である。いろいろなおかずを選んでサーブしてもらい、最後にレジで精算するというシステムなのだ。まあ日本でいう「ザ・めしや」の中国版と思っていただければ、ほぼ間違いないであろう。お店の中を見渡すと、周りには楽しそうに食事をしている家族連れの姿や、忙しそうに食事をしているサラリーマン風の人など様々である。 さて、我が輩は順序良く列に並び、蒸し鶏、マーボードーフ、黄ニラの炒め物、蒸し卵を手に取り、ビール大びんを注文したのである。これにご飯がついてレジで精算、なんと全部で30元(400円)である。ひとりの食事としてはかなり贅沢した内容であるが実に安いのだ。ものすごく得した気分である。 確かに一流料理店のような洗練された味わいを求めることはできないし(充分美味しいのだよ)、日本人である我が輩にとっては、やはり「餃子の王将」で天津飯(いみじくも400円也)を食べているほうが性に合っているのであるが、「郷に入らば郷に従え」である。中国の人が何を食べ何を感じているのかを知ることからこの旅は始まるのである
2012年05月05日
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さて、我が輩といえば読者の皆さんご承知の通り、趣味はバーベキューとワイン、そして自転車である。 日本を旅立つ前日に、愛媛県の今治から広島県の尾道までの「しまなみ海道」を自転車で渡り、瀬戸内海を縦断した我が輩は、まだお尻の痛みも冷めやらない中、大陸に降り立つやいなや早速自転車店に向かったのである。 向かった店はGIANTの正規代理店。そうGIANTといえば本社が台湾にある、世界最大の自転車メーカーである。伝説の創業者劉会長は今でも毎日40kmのサイクリングは欠かさず、中国大陸横断や先日のしまなみ海道でのプロモーションなど、話題に事欠かない大物人物である。GIANTのバイクは色気こそあまりないものの、装備とコストのパフォーマンスバランスはピカイチである。何を隠そう、我が輩がお給料をもらうようになり初めて買ったのがGIANTのマウンテンバイクであるのだ。 盗難の多い中国では、我が輩はどこへでも持って入れるオリタタミ自転車と心に決めていたのである。お店でオリタタミ自転車のコーナーで品定めをしていると、ひと際カッコイイ車台があるではないか。22インチでグリーンの美しいアルミフレームのフォルムに8段変速を装備。すっかり一目惚れした我が輩は、少々予算オーバーなるも、わざわざ家にお金を取りに帰ってこのバイクを購したのである。 これからジグザグに曲がりくねった道を走るであろう我が輩は、大陸での伴侶となったこの愛車と共にどこまでも駆け抜けていくことを決心したのであった
2012年05月02日
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ニーハオ! 好久不見(久しぶりという意味)である! さて、近頃は便利なフェイスブックにすっかりハマり、「感動の大阪マラソン編」以来、すっかりこのブログをサボってしまっていあのであるが、諸事情により、我が輩なんと今月から中国で生活をすることになったのだ。これを機に、「ぐるめパパの満腹日記~大陸紀行編」をスタートさせることにしたのである。 大陸に降り立った我が輩は、まずは買い出しに向かったのであるが、歩きすぎて途中小腹が空いたところ、道端のパイナップル売りのおじさんを発見!パイナップルは中国でも海南省など南のほうの特産であるが、近頃は流通が発達し、どこの町でも年中食べられるようになったのである。 外側をらせん状に綺麗にカットされた小ぶりのパイナップルの1/2サイズの串を選んだ我が輩は、代金2元(約27円)を支払い、道端で早速食させていただいたのである。 ひと口ガブリとかじると甘く芳香な果汁がジュワ~と広がり、我が輩の歩き疲れた体を癒してくれたのである。食べ終わった串は、現地流に行くとポイッと道に投げ捨てるのであるが、我が輩ちゃんとゴミ箱へ。カラダと地球にやさしい昼下がりであったのだ
2012年05月01日
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岸里を過ぎたあたりからは、まさに試練のはじまりである。この時点でおよそ30kmも走っているのだ。大阪から神戸まで行けてしまう距離ではないか! 住之江公園から南港通りに入り、既に歩いている人や脚が攣ってストレッチしている人など故障組が続出!。空模様も怪しくなってきたのだ。港湾地区は概ね倉庫街なので景色も殺伐として、まったくモチベーションが上がらない。我が輩もふくらはぎが何度か攣りそうになり脇道でストレッチ。ヒザもかなり痛い。もはやこれまでか。 しかしながら、我が輩「絶対完走」を誓ったこのレースで、ここでリタイヤするわけにはいかないのである。必死で頑張る我が輩の背中を押してくれたのは、やはり沿道の人々の温かい声援である。ランナーたちはこの時点では皆極限状態ゆえ応援する側も一生懸命励ましてくれるのだ。 「足が痛いのは気のせい」と書いたボードを持って応援してくれるおっちゃん(ありがたいメッセージやけど気のせいではないよ、ホンマに痛いの)や、また、自前で食べ物を配給してくれる優しい人たちが結構いて、ミカンを剥いて食べさせてくれた時などは我が輩とても感激したのである(どうせならミカンの白いスジも取ってほしかったのであるが)。 そして、いよいよあと5kmほどとなったところで南港大橋の長くて急な上り坂出現!「なんじゃコレは!?こんなんヒトが走るところちゃうちゃう!」と心の中で苦情を述べながらもラン継続。少し雨も降り出して来たのだ。急がねば! ゴールエリアの南港ではなんとジュニアたちが、地下鉄乗り放題チケットを駆使して先回りしてくれているではないか!愛する家族の声援を受け最後の力を振り絞ってラストスパート、そしてフィニッシュ。感動のゴールである。05:41と自慢にもならないタイムであるが、我が輩にとってはすばらしい人生の勲章である。フィニッシャーズメダルは我が輩の一生の宝となったのだ。 かくして、我が輩は多くの人々、そして家族の声援に支えられ、スローペースながらも終始殆ど立ち止まることもなく最後までフルマラソンを走り抜くことができたのである。感動のあまりその後の暴飲暴食で一気にリバウンドしたことは言うまでもあるまい。 と、いうわけで感動の「大阪マラソンの巻」はおしまいである。すっかりマラソンブログとなってしまったので「ぐるめパパの満腹日記」 は来年から「アスリートパパのマラソン日記」に変えようかしら。
2011年11月02日
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第一回大阪マラソンのコースは、大阪城からスタートし、千日前通り、御堂筋などを走り、大阪市役所、大阪ドーム、通天閣(見えへんかったけど)などを経て、南港のインテックスまでのコースとなっており、まさに大阪の名所をふんだんに取り入れた贅沢コースである。 我が輩は心地よい沿道の声援を受けながら軽快に大阪の街を疾走。特にメインストリートの御堂筋などは大勢の市民で埋め尽くされ、気分はプロのランナーなのだよ。 やがて走るにつれて沿道の雰囲気がだんだん変っていくのに気付いたのだ。そう、なんばを過ぎたあたりから明らかに客層がコテコテになってきているのだよ。ノリの良いおばはんらが皆ハイタッチを求めてくるのだ。これはおもろい! もう、そろそろええ加減脚もイタイのであるが、この雰囲気に背中を押され、疲れ知らずである。 花園のあたりでは規制された道路を「なんやコレは?わてこんなん聞いてへんぞ!」と自転車で強引に横断しようとして係員と揉めているコワモテのおっさんの姿。さすが大阪! さて、給食のご紹介をしておこう。今回の大会は給水所はもちろん、給食所がたくさんあり、その内容と言えば、定番のバナナ(脚の痙攣防止に効果あり)、飴(なんかネチャネチャしてイマイチだったのだ)のほか、三笠まんじゅう(所謂どら焼き)、いなりずし(我が輩到着時には売り切れ!)、漬物(喉渇くやんけ)、コロッケ(なんで揚げもんやねん!)など、大阪らしさも盛り込んだバラエティに富む内容。いやはや、ぐるめパパもお腹いっぱいになったのであった。 (つづく)
2011年11月01日
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さて、いよいよレース本番を迎えた朝、我が輩はいつもよりも早起きし、カーボローディングの仕上げ(まだするんかい!と突っ込みが入りそうであるが)として、大盛りのタマゴかけご飯を胃袋へかき込み、そしてマラソンランナーお決まりのバナナ(カリウムが豊富で足がつらないのだよ)を頬張りながらランニングウェアを装備。 勝負服は、new balance のカッコいいTシャツに自らマジックで願い事(「旨いものを腹一杯」とちゃうよ)を書き込み、ボトムスはワコールのCW-X(コレは優れモノのタイツで筋肉をバッチリサポート!)に迷彩柄のハーフパンツを重ね着して完成。そしてシューズはnew balance の間寛平アースマラソンモデル!。いやはや我ながら絵になるのだとカガミを見て惚れ惚れしながら、いざ、スタート地点である大阪城公園へ向かったのである。 会場で記念撮影などをして気分が盛り上がってきたところで、荷物をトラック(日通さんが引き受けてたのだ)へ預け、トイレに行こうとしたら、なんと、超!長蛇の列!のため、いた仕方なくガマン。「トイレもっと設置しとかんかい!」と心の中で叫びながら、スタートの列へ。 そして、いよいよスタートである。スタートはFM802の中島ヒロトさんの軽快なアナウンスの中、前方ブロックより順次スタート!我が輩は後ろの方のブロックで、ほぼ最後尾集団、27000番台からのスタート。うーむ、かなりのビハインドであるが、とにもかくにも我が輩は沿道の声援に見送られながら、初フルマラソンを軽快にスタートしたのである。 (つづく)
2011年10月30日
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ロング・タイム・ノー・シー! 読者の皆さんには、ぐるめパパは喰い過ぎて死んでしまったのではないか?? と心配していただいていたことであろう。 いやはや、最近はフェイスブックなる便利なものが登場し、流行りモノに弱い我が輩はすっかりこのフェイスブックにハマり、満腹ブログをサボっていたのだよ。申し訳ないのだ。 さて、我が輩の近況報告をいたそう。そう、なんと我が輩は記念すべき第一回大阪マラソンに出走することになったのである。そしていよいよ明日がレース本番! 抽選に見事当たった我が輩は、夏の暑い時期から頑張ってランニングに励んできたのだ。そして2ヶ月でなんと7kgの減量に成功したのである。 フルマラソン前にはいわゆる「カーボローディング」と言って、炭水化物を多量に摂取してパワータンクを作るのであるが、我が輩はレース前日にこの「カーボローディング」に臨み、朝食:タマゴかけご飯2杯、昼食:うどん3人前、夕食:スパゲティ3人前を平らげたらなんと体重が一日で4kg近くも増えてしまったのである。 2ヶ月の苦労があっという間に半分以上リバウンド! うーん、恐るべし「カーボローディング」…。
2011年10月29日
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3月11日、我々日本人にとって痛恨の一日として歴史に刻まれる日となってしまったのだ。未曾有の大災害が発生し、心痛むばかりである。この度の災害で不幸にして亡くなられた方々に謹んでお悔みを申し上げたい。そして今尚不便な生活を強いられている被災地の皆さんの一日も早い復旧をお祈りするのである。関西にいた我が輩でも仕事中にずいぶんなヨコ揺れを感じ、慌てたのは記憶に新しい。被災地の皆さんの恐怖は計り知れないことと察して余りあるのだ。原発問題など抱え、まだまだ災害の途上である。皆が一丸となって頑張るときである。頑張れ東北!立ち上がろうニッポン!!
2011年03月11日
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ドタバタであった合衆国での最終日、取引先との最後のディナーである。もちろんステーキなのだ。ええ加減飽きたとはいえ、ここまで連日ステーキを喰らうというのもアメリカならではの醍醐味であろう。 さて、案内された店は「サリバンズ ステーキハウス」という、地元でもとても人気のあるお店である。待っている間もジャズバンドの演奏を聴きながらお酒を飲めるバーが併設してあるのだ。こんな洒落たアメリカンなお店は日本にはUSJくらいしかないであろう。 雰囲気のいい席に案内された我が輩たちは、ハンサムで英語の流暢(と、いうか早すぎ)な店員のおススメメニューの説明を聞き(イマイチ理解できず)、リブロースステーキを注文。サイドメニューにはレタスのサラダと、大好物のオニオンフライをオーダーしたのだ。 ワインはもちろんカリフォルニアのジンファンデルである。 まず、予想はしていたが、肉がデカイのだ!300グラムはあるのではないか。若かりし頃の我が輩であれば涎が出るサイズであるが、正直ちょっとしんどいのだ。レタスのサラダも大型のレタスを4分の1に切りっぱなしにしてシーザーソースをかけただけという、何ともダイナミックなサラダである。 そして、待望のオニオンフライは、まるでコロラド州の象徴であるロッキーマウンテンを彷彿とさせるような、「オニオンマウンテン」ではないか!実に素晴らしい景観である。 かくして、我が輩はお腹一杯で苦しくても皆美味しく平らげ、合衆国最後の晩餐を楽しんだのである。SEE YOU AGAIN !!(コロラド編~完)
2010年10月01日
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3日目に少し時間が出来たので、街へ散策に出かけたのだ。 デンバーの繁華街は何と言っても16番街である。いろいろなお店やレストランが軒を連ねる、代表的なダウンタウンである。なかでもLOWER DOWNTOWN(LODOと呼ばれる)地区は、おしゃれなバーやジャズクラブなどが多く、夜になると星を見ながら本家のクアーズ(クアーズはデンバーのビールなのだ)を飲むこともできるのだ。雰囲気バツグンのダウンタウンである。しかし地元の友人に聞くと、かつては危なくてとても歩けなかったらしいのであるが、今はデンバーの顔ともいえる観光名所にもなったのである。 さて、土産物を買いに来た我が輩は、ワインショップへ大好物のカリフォルニアワインを見に行ったのであるが、何のことはない、こんなに円高でも日本と大して値段が変わらないのである。とくに尼崎のコストコあたりで買うとカリフォルニアワインはとても安いので、我が輩は、重たい目に遭うのがイヤで、ワインはあきらめたのである。輸出入を含めた世界の流通の発達をあらためて実感したのだ。 もうひとつ、どうしても欲しかったものがあるのだ。恐竜の化石である。コロラド州は恐竜の化石も多く発掘されており、郊外には「ダイナソーリッジ」という恐竜をテーマにした公園もあるのだ(遠くてレンタカーをしないといけないようなので今回は訪問を断念したのであるが)。 予想通り、街のお土産店でもなにやら化石らしきものがたくさん売られているので早速物色していたところ、全部つくりモノだったのでガッカリしたのだ。唯一アンモナイトだけは本物があったのでアンモナイトを2つばかり買って帰ったのである。もちろん英語を駆使して値切り倒し、最後はカレンダーまでオマケにつけさせたのだよ。 途中、レトロな雰囲気のあるバーで昼間っから地ビールも堪能し、かくして、最初はドキドキしていた我が輩もすっかりアメリカ人となったのである(つづく)。
2010年09月04日
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2日目は、スーパースターのアンディ・マクドナルドほか、大勢の人たちとボウリング&BBQ(我が輩宅のBBQにはだいぶ負けるけど)を楽しんだのだ。しかし、やはりこちらの食事はとにかく肉ばかりなのである。 アメリカに来てしみじみ実感したことがあるのだ。ぐるめパパを自称する大食漢で巨体の我が輩が、実は如何にスリムかということである。 ハッキリ言ってアメリカは太っている人ばかりである。あんなに肉やハンバーガーとコーラを毎日食していたら、ああもなるだろうと正直思う。太っている人に限ってダイエットコークなるものを飲んでいるのであるが、そんなものよりお茶をお飲みなさい!と我が輩は言いたいのだ(つづく)。
2010年09月03日
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デンバー空港は、変わった形をしていて、なにやら屋根がテントのような素材で山のような形に作ってあるのだ。そう、これはロッキーマウンテンを表現しているのだ。空港内シャトルのアナウンスもカウボーイ風で何だかディズニーランドみたいなノリである。ところで、この空港の屋根はなんと日本の太陽テントさんの施工であるそうだ。やはり日本企業は素晴らしいのだ。 さて、この粋なデンバー空港に降り立った我が輩は、早速イエローキャブに乗り込み市内へ。55ドル程だったのであるが60ドル出しても何故かお釣りをくれないなと思っていたら、お釣りはなんとチップになるのだそうだ。そう、ここはアメリカ。チップの国である。なんとも損した気分なのだよ。 コロラド州デンバーシティは、美しい山々に囲まれ、若さと活気に溢れる街である。湿度が低くカラっとしていて青空を仰ぎ見ることができる晴天の日が年間平均300日もあるのだ。1858年、壮麗なロッキー山脈の麓に誕生した金鉱掘りのキャンプを基盤にデンバーの街は形成され、海抜1609mと、ちょうど1マイルであることから“マイル・ハイ・シティ”とも呼ばれているのだ。金鉱が発見された当時、デンバーには一角千金を狙う山師、幌馬車隊、カウボーイが多く集まり、ゴールド・ラッシュに沸いたのである。当時のアメリカンドリームに思いを馳せようではないか。 デンバーの街に入った我が輩は、まるでユニバーサルスタジオのような街並みが本当にあるのだと興奮したのである。程なくホテルに到着し、ほぼ徹夜状態(なんせフライト合計15時間でしんどいのだよ!)の我が輩は、着いて早速ステーキレストランで打ち合わせをすることに。夜の10時から徹夜でステーキ喰いながらアメリカ人と英語で打ち合わせですよ!やられたのだ。完全にアウェイである。これはハードなのだよ! かくして、なんとか初日を乗り切った我が輩は、やっとふかふかのベッドに入り泥のように眠ったのであった。この時点では、まさかこの後も、毎日ステーキ攻めとは知る由もなかったのである(つづく)。
2010年09月02日
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もうずいぶん前のことになってしまうのであるが、7月の終わりにアメリカ合衆国はコロラド州デンバーへ行ってきたのである。お恥ずかしながらこの歳になって初めての渡米である。 なんせ我が輩は英語が出来ない(中国語はペラペラなのだが)ので、道中、我が輩はとてもドキドキだったのである。まず経由地のサンフランシスコの空港にでイミグレが混雑しており、トランジットに一時間しかなかった我が輩は、必死で走ったのであるが乗継便にあっさり乗り遅れてしまったのである!スーツケースだけ先に行っちゃったのだ。いきなりのハプニングで、出鼻をくじかれたのだ。 ユナイテッド航空の職員に、つたない英語で必死で事情を説明し、変更不可格安航空券にも関わらず、なんとか無料で次のデンバー行きの便に振り替えてくれたのである。このへんは意外とええ加減なのだ。 というわけで、一安心した我が輩はサンフランシスコ空港のカフェで朝から生ビールを注文。これがまたデカイのだ!さすがアメリカ! そしてほどなくして次の便に乗り込み、無事デンバー空港へ到着したのである(つづく)。
2010年09月01日
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アッサラーム!久しぶりのブログである。読者の皆さんは我が輩が既に死んでしまったと思っておられたことであろう。4月に大怪我をして死にかけたのは事実であるが、まだまだ元気である。もっと美味しい物を食べるまでは死ねないのである。 さて、先月バングラデシュのダッカへ行ってきたのである。バングラデシュというと「人口密度」「貧困」「洪水」などのイメージが大きいのだが、人々は皆真面目でフレンドリー。人も街も活力にみなぎっている。まさにこれからの国である。 とにかく我が輩は今回の旅で食べる物と、なによりも大好きなお酒が飲めない(イスラム社会ではお酒を飲めないのだ)ことをとても心配したのであるが、バングラデシュ在住の知人宅へお邪魔させていただき、なんと肉ジャガ、鯵の南蛮漬け、アサリの味噌汁など素晴らしい日本食の数々をご馳走になったのである。 そして数々のシングルモルトのコレクション(知人はわざわざ各国へ買い付けに行っているらしいのである!)をひととおり堪能し、ダッカにいるのかナンバにいるのかわからないような気分になったのである。 そんなこともあってか、過酷と思われた旅であるが、とても素晴らしい経験であった。なによりも人々の屈託のない笑顔を我が輩は忘れない。頑張れ!バングラデシュ!
2010年05月22日
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本日はバレンタインデーである。昨年5kmのマラソンに参加した我が輩はなんと!勢いで本日神戸で開催された「ユニセフカップ~バレンタインラブラン2010」のハーフマラソンの部にエントリーしていたのである。遅ればせながらそのご報告を申し上げるのだ。 さて、ハーフといえば21.0975kmで、まあ大阪から西宮くらいまで行けてしまうとてつもない距離である。ましてや体重90kgの巨漢でメタボの典型のような我が輩にとっては大きな試練であったのだ。 年が明けてさすがに危機感を感じた我が輩は近所を2~3回練習で走りこみ(5km程度であるが)を行い、いろいろな文献を読んでラクな走り方を研究したり、着圧タイツやテーピングなど、入念に準備を行ったのである。 当日はすべての種目を合わせるとおよそ1万人に上る大規模な大会となり、スタート地点であるポートアイランドの市民広場には大勢のランナーたちが集まったのである。ハーフの部はおよそ6000人であったと聞いているが男子ハーフの該当年齢クラスは2074名であったのだ。 いよいよスタートというときはとても緊張したのである。チアガールたちの派手な応援の後、我が輩たちは一斉にスタートをきったのだ。我が輩は大好きなチューブの曲を聴きながら作戦通り最初からスローペースで走り、ぐんぐん抜いていく人たちを気にせずにペースを守ったのである。しかし早々にトイレに立ち寄り用を足している間にほぼ最後尾となってしまったのだ。それでも我が輩は無理せず終始同じペース(8km/hペース)を貫いたのだ。 途中コブラがえりを起こしそうになったり、苦難の道のりであったが、結果、なんと我が輩見事に完走したのである!ゴールのゲートを通り抜けたときは苦しみからの解放と大きな達成感で涙が溢れ出たのだ。感激で知らんおっさんとハイタッチしたくらいである。これこそランナーの醍醐味なのだ。 かくして、終了後の打ち上げでポートピアホテルでたらふく食べた中華バイキングとビールが絶品であったのは言うまでもあるまい(走る前より体重増加!)。 と、いうわけで「ぐるめパパの満腹日記」ブログはこれから「ヘルシーパパのマラソン日記」に変更しようかしら。
2010年02月14日
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今、巷では大変なランニングブームである。公園や住宅街でもランニングやウオーキングをする人を本当によく見かけるようになったのだ。近年の健康ブームで各種スポーツを楽しむ人が増えている中、ランニングはシューズさえあれば誰でも始められるという手軽さと不景気での節約志向も相まって、この空前のブームが巻き起こったのであろうと考えられるのだ。 さて、我が輩はというとスポーツはもともと得意ではないうえに、スタミナが無く長距離走が昔から大嫌いで、マラソンや駅伝中継をテレビで見ても、このしんどそうに走っている人たちは一体何が面白いのかと不思議に思っていたタイプなのである。しかし、ここは流行りものに弱い我が輩のこと、ひと月ほど前から友人の勧めもあり思い切ってランニングにチャレンジしてみることにしたのである。そして目標を本日の「万博国際ふれあいマラソン」とし、5kmの部(距離がなんとも軟弱であるが)にエントリーした次第である。 カタチから入る我が輩は、まずはニューバランスショップで、見ているだけで楽しくなるような最新型のレインボー柄のド派手なシューズとジョギング対応のオムロンの高性能歩数計をゲットしたのだ。ギアを手に入れてすっかり満足した我が輩は練習もほどほどに(結局自宅近辺を1度走ったっきりなのだが)いざ本番へ。 会場の万博公園では秋晴れの空の下、多くの参加者で賑わい異様な盛り上がりを見せていたのだ。我が輩の5kmの部は参加者およそ600人ちょっとであろうか、さて、スタートのときは流石に我が輩も緊張したのであるが、一斉にスタートをきったランナーたちは結構なスピードでぐんぐん走っていくではないか。しかし我が輩は周りの人のペースに惑わされることなく、終始ゆっくり自分のペースで走り、結果立ち止まることも歩くこともなく、見事5kmを完走したのである(たいして自慢にならへんけど)。 かくして、大きな達成感を得た我が輩は、餃子の王将に行き生ビールで祝杯を挙げ、餃子を腹一杯いただいたのである(走る前より体重増加)。
2009年11月29日
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東京へ行って来たのだ。ライトアップされた東京タワーをこんなに間近で見るととても迫力があるのだ! 本日のお仕事はイマイチだったのだけれども、何だかとても得した気分になったのである。
2009年11月11日
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本日はなんと、Ch.Latourを飲ませてもらったのである。ヴィンテージは2002なのであるが、知人の先生がヴァンドプリムール(ワインの青田買い)でまとめて買いつけておられたのでリーズナブルであったそうだが、それでも今の市価数万円はするグラン・ヴァンである。 我が輩も何を隠そう、ソムリエの資格を目指して勉強していた頃もあった(地理が覚えられず落ちたけど…)ので、憧れの5大シャトーを飲めるときはやはり興奮するのだ(最近はすっかり「がぶ飲み」ワインしか飲んでないただの酔っぱらいオヤジやけど)。 さて、Latourの味はさすがにこなれていて、全くカドを感じさせない素晴らしいものであったのだ。溶けたタンニンが心地よく、余韻も長い。我が輩の趣味はワインと食事をマリアージュさせることであり、セオリー通り言うと高級な羊のローストなどが当てはまるのであろうが、このようなグランヴァンの場合あまり食事は必要無いのである。ワインの味と余韻をとことん楽しめばよいのだと思う。 かくして、本日は思いがけぬデラックスなワイン会と相成ったのでありました。我が輩だけいい思いしてごめんちゃい。
2009年11月07日
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日本でも近年ハロウィンを楽しむようになってきたのだ。テーマパークや商業施設の影響も大きかろうが、あのオレンジの装飾は何とも楽しい気分にさせてくれるのである。 我が輩も昨晩ハロウインパーティを開催したのである。ご近所の苦情にもめげず、料理持ち寄りで友人達を自宅へ招いたのである。しかも今年は仮装条件にしたものであるから、客人は皆思い思いのコスチュームで集まり、いささか怪しいコスプレ祭のようになってしまったのである。 ハロウィンパーティにふさわしい巨大なハンバーグ(どうやったらあんな巨大なハンバーグに火が通るのか不思議なくらいデカイ)や自家製のベイクドチーズケーキ(ネットリしていて我が輩好みなのだよ)などを持ってきていただき、とても美味しく食したのである。我が輩も負けじと巨大ラザーニア(超簡単なのだよ)を焼いて、お馴染みの包丁細工で作ったジャック・オー・ランタンを飾ったのである。 船場センタービルで格安で揃えたハロウィンの飾り物も大活躍したのだよ。 かくして、今年もムード満点、お腹も満腹のハロウィンパーティと相成ったのである。
2009年11月01日
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本日は美食倶楽部の仲間を集め「北海道味覚祭」を催したのである。「北海道味覚祭」のメニューはキタアカリのじゃがバターと久しぶりに注文した松尾ジンギスカン、それに鮭のちゃんちゃん焼きである。 松尾ジンギスカンはいつもの特上「チョッちゃんラム」である。松尾ジンギスカンさん本店は送料が高いので、北海道のお土産品のサイトから取り寄せてみたのだ。キタアカリは今回はなんと羽田空港の北海道お土産店で買ったのである。鮭はちゃんちゃん焼きにいい感じの塩をしていない生の半身が近所で手に入ったのだ。物流網やネット社会が発達し、日本がいかに狭くなったということか。こう見えても実は我が輩は北海道に行ったことなどまだ一度も無いのである。ああ、小樽の政寿司に一度行ってみたいのだ! さて、まずはじゃがバターであるが、ホックホクに蒸し上げたキタアカリに包丁で丁寧に切れ目を入れ、バターをこれでもかというくらいにドカッと入れるのがポイントである。最後に隠し味のショーユをちょびっと垂らすのもキモなのだよ。 おなじみのジンギスカンはたっぷりの野菜(玉ねぎ、ニラ、もやし、かぼちゃなど)を使い込んだ南部鉄器のジンギスカン鍋のふちの部分に敷き詰め、真ん中でお肉を焼くと、丁度お肉の肉汁がそのドーム型の鉄板の表面を伝ってツラツラと垂れてきて、野菜に染み込んでいくのである。すばらしい仕掛けなのだ。韓国のプルコギなども同じ原理なのだよ(ぐるめパパ豆知識より)。 ちゃんちゃん焼は前回鮭の皮がホットプレートにくっついてしまったので、今回は野菜を下に敷き、その上に鮭を乗せて蓋をして蒸し焼き状態にしたのである。程よく蒸されたところで、味噌・砂糖・酒・みりんなどを合わせ、すりおろしにんにくを加えた特製のたれをドゥワっとかけるとホットプレートの熱で味噌が焼けるとても香ばしい匂いがモワーンとしてきてよだれがピュルピュル出てくるのである。 いずれもビールの肴に最高で、いつも以上にグビグビっとやってしまったの我が輩たちは、すっかり満腹ほろ酔いになり、カラオケ(ジャパねっとの金曜日の折り込みチラシで買ってしまったやつ)へとなだれ込み、どんちゃん騒ぎの大盛り上がりにて、とうとう近所の怪人二十面相さんからから苦情が来てしまう始末であった。とほほ…。
2009年10月17日
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関西では元々「おでん」のことを「関東煮」と呼ぶのであるが、最近ではコンビニの影響などもありすっかり「おでん」という名称が定着したのである。 我が輩も以前はよく天五の立ち呑みのおでん屋台の「権兵衛」さんなどへよく通ったものであるが、実は家ではおでんは殆どやったことが無いのである。何故かというと、少年時代におふくろさんがおでんをやってくれるとそれから当分の間、毎日おでんになってしまうので、飽きるのだ(しかし飽きる気持ちと裏腹に2日目以降のおでんは一層出汁が染み込んで旨かったのもまた真実である)。 今回は大勢の仲間でのキャンプゆえ、思い切ってそのおでんづくりに挑戦したのである。インスタントのおでんの素を使うのは悔しいので、こだわりの研究を重ね、牛スジで出汁をとることにしたのである。ちまき(スネ)部分が比較的多くてよいダシが出そうな牛スジをコトコト煮ること一時間、丁寧にアクを取って透き通ったスープが出たところで秘伝のタレ(しょう油・みりん・酒・黒糖をブレンド)を加え、おでんダシの完成である。 さて、串に刺したスジ肉に大根やタケノコの先っちょ、練り物各種(竹輪、ゴボ天、平天など)と糸コン(最近は結んで売っているのだ、便利!)や餅巾着、タコ、に加え、シューマイなど思い思いのネタを投入し、まさにキャンプ場で屋台さながらのライブ感を再現したのである。写真がなくてごめんちゃい! しっかり大根に出汁の色が染み込むのを確認するうち、辺りはすっかり真っ暗になり、かなり遅い夜ゴハンになってしまったのであるが、この闇鍋のような状態でも腹ペコの仲間たちからおでんの注文がどんどん入り、溢れそうだったおでんダネは見る見るうちに無くなっていったのであった。 我が輩もすっかり満腹で寝袋へ入り、人間餅巾着のようになって眠ったのであった・・・。
2009年09月21日
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シルバーウイークを利用して、和歌山へキャンプにやってきたのである。世相を反映してかレジャーも節約志向の今、第3次アウトドアブームともいわれているのであるが、我が輩は実はもう15年もキャンプをしているベテランキャンパーなのだよ。 我が輩のキャンプのテーマはやはりなんと言っても食事である。毎回のキャンプで何を作り、食するかが最重要課題なのである。さあ今回も「くいだおれキャンプ」の始まりなのだ! 今回は仲間と相談の末、焼き鳥&おでんに決定したのである。焼き鳥担当の友人はもう今にも脱サラしそうな勢いの焼き鳥名人である。中央市場で仕入れた新鮮な鶏肉の各部位を上手に串に刺して仕込んできてくれたのである。プロ顔負けの仕込である。なかでもハツ(心臓)や皮、ナンコツなどが絶品であったのだ。とれとれ市場で買った魚介類も加え、とても豪華なBBQとなったのである。 前日2時間半ほどしか寝ていなかった我が輩は、すっかり満たされた胃袋で、寝袋に入り満天の星を眺めながら泥のように眠ったのであった。
2009年09月20日
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本日はあいにくの大雨である。朝のゴルフをキャンセル(ただの寝坊であるが…)した我が輩は、大人しく自宅でゆっくりサンマが届くのを待つことにしたのである。そう本日は恒例の「サンマ祭り」である。 今回は楽天市場で見つけた釧路の水産会社から大型のサンマを取り寄せたのだ。約束の時間にクロネコで届いたスチロールの箱をドキドキしながら開けると、オホーツク海のような氷水の中に我が輩のようにデップリと太ったサンマちゃんたちがどっさりとおるではないか!新鮮な証拠でくちばしは黄色く、そのボディはシャイニングシルバーとでも言うべきか、妖艶な輝きを発していたのだ! さて、今回も刺身、にぎり寿司、塩焼きのフルコースにて、美食倶楽部の仲間を集めて「サンマ祭り」を催したのである。サンマをおろすのはもうすっかり慣れたので、刺身包丁で綺麗に3枚におろし、皮を剥いで骨を取れば(これが一番難しい)刺身やお寿司用のさくが完成である。8尾ほどさくにし姿造りとお寿司にしたのである。お寿司は生サンマのものと、バーナーで炙る炙り寿司である。なかでも炙り寿司はとても好評であったのだ。 そしてフィニッシュはもちろん塩焼きである。大きいサンマを遠赤のロースターでチリチリと炙り、家中モクモクになりながらもその芳醇な香りにうっとりするのだ。大根おろしを添えていただいた贅沢なサンマは瞬く間にホネだけになったのである。 ワインは今回はシャブリを合わせたのだ。やはりサンマにはシャルドネが合うと思う(焼きサンマにはもっと新樽の香りのする安い新世界ワインでもよいと思う)。 シャブリを飲みながらサンマの骨をしゃぶり…なんちゃって。
2009年09月12日
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GWにアップして以来、放ったらかしにしていたゆえ、ぐるめパパは夏バテでもしているのかとご心配頂いたかと思うのであるが、実は自宅にカミナリが落ちてパソコンがダウンしてしまったのである。 いろいろ修理の末、やっとパソコンも使えるようになったのだ。しかも電気店のキャンペーンに乗せられて、オマケでマグカップなどをもらった我が輩はすっかり上機嫌になり、あれよあれよ言う間に光ファイバーまで導入してしまったのである。お得なのか損なのかだかよくわからないのである。 さて、これからは秋の味覚がたまらない季節である。復活!ぐるめパパ!応援ヨロシクなのだ。
2009年08月30日
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GW企画の最終日である。楽しかった白浜町へ別れを告げ、我が輩たちはいざ大阪へ向かったのである。途中、とれとれ市場に再度立ち寄り、空になったクーラーボックスに地物の魚や魚のアラ等、お土産を沢山買い込んだのだ。 ひどい渋滞にも遭わず、ほどなく自宅へ帰着した我が輩は、びしょ濡れのテントのメンテと今晩のBBQの用意を始めたのである。休む間もなしなのだ。おかげでテントは何とか乾かすことができ、防水スプレーをかけなおして、次の冒険の準備は万全である。 そして、GW最後の晩餐は、やはり海鮮BBQである。とれとれでゲットした魚クンたちを次々に炭火で炙り、美味しく頂いたのである。なかでもマグロのアラは絶品であったのだ。 スジがきついため、わずか200円ほどで売られているの超お買い得な食材である。軽く塩・コショーして炭火で炙ると絶品の「マグロのステーキ」となるのだ。我が輩たちはこの素晴らしいマグロを肴に南高梅の梅酒で乾杯したのである。 最高のGWであったのだ。明日から社会復帰できるであろうか…。
2009年05月06日
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キャンプ最終日の朝である、昨日の晩から降り始めた雨が朝になってもまだ降り続けているのだ。雨音で我が輩のいびきの音はかなり掻き消されたと思うのだが、このままではテントの撤収も出来ないのだ。ときおり雲の切れ目に覗く晴れ間に希望を託し、ゆっくりコーヒーを飲みながら待っていたのであるが、雨はいっこうに降り止まず、それどころか雨足は強まるばかりなのだ…。 あきらめた我が輩たちは仕方なく、大雨の中をずぶ濡れになりながら、びしょびしょのテントを畳む羽目になったのである。※友人から借りた「私をスキーに連れてって」風のポンチョを合羽代りに使わせてもらい、とても役に立ったのだ。 ようやく3つのテントの撤収が終わり、マスターに挨拶してキャンプ場をあとにした我が輩たちは、今晩は白浜温泉に宿を取っていたので、早速旅館の温泉に入り雨で冷えたカラダをイオウ泉で暖めたのだ。極楽の瞬間である。 風呂上りに缶ビールをキューっとやった我が輩は程なくして夕食会場へ。夕食はこれまた豪勢!海の幸や創作料理満載である。とても食べ切れない量のご馳走を結局綺麗に平らげ、我が輩たちはカラオケ大会へ繰り出したのである。旅もいよいよクライマックスとなり、我が輩は十八番のTUBEの「あー夏休み」で燃え尽きたのであった。
2009年05月05日
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キャンプ2日目を迎えたのだ、カヤックでの激流くだりを楽しんだ我が輩たちは、本日のメニューの海鮮BBQ&鯛めしに取り掛かったのである。 BBQは「とれとれ市場」で調達したサザエやホタテ、ハマグリ、エビなど豪勢な材料をふんだんに使った、炭火焼の味を楽しんだのである。また、サイドメニューで「鯛めし」を作ったのであるが、炭火で炙ったタイをご飯と一緒に炊き、タイから滲み出る出汁と炭火で炙った香ばしい香りの滲み込んだゴハンは本当に絶品であったのだ。あまりの人気にあっという間に売り切れたのである。 かくして、2日目の夜もお約束どおり食べすぎ・飲みすぎとなり、大いびきをかいてしまったのであった(そのうち隣のキャンパーから刺されるのではないかと思うのだ)。
2009年05月04日
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連休を利用して仲間たちと和歌山へキャンプへやって来たのである。¥1000高速の影響もあってか道路はいつもより大混雑しており、集合場所の白浜の「とれとれ市場」へは大阪から5時間近くもかかってしまったのだ。 本日のメニューは「ブイヤベース」とと決めていたので、市場ではガシラ、チヌ、オコゼなど旨い出汁の出る白身系の魚を中心に魚介類をゲットし(雑魚コーナーでサイズの小さいものを探すととても安いのだ)、いざキャンプ場へ。 久しぶりに会ったキャンプ場のマスターと挨拶し、早速設営開始(これがしんどいのであるが、レイアウトなど考えるのはとても楽しいのだ)。仲間の分も含めてテントを計3張り設営するのが結構大変だったのである。設営がひと通り終わると休む間もなく夕食の仕度開始なのだ。 「ブイヤベース」は南仏マルセイユ地方の地元料理で、とどのつまり「魚介のごった煮、漁師風」といったものである。調理はいたって簡単。鍋でニンニクや白ネギなどの香味野菜のみじん切りをオリーブオイルで炒め、トマトの缶詰・フュメドポワソン(魚のだし汁)・サフランを加え、好みの材料(魚・海老・貝や野菜類)を放り込むだけである。とても豪快かつ見栄えも豪華な料理なのだ。この料理にはワインはプロヴァンスのロゼを合わせるのが通例である。 かくして、思った通りの仕上がりとなったブイヤベースをアウトドアで仲間と囲み、とても豪華なディナーを楽しんだのである。この後、案の定飲みすぎて寝るとき大いびきをかいて近隣のキャンパーたちにご迷惑おかけしたのは言うまでもないのだ…。
2009年05月03日
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本日は近くの公園のGWイベントに行って来たのだ。お目当ては漫才師の「まえだまえだ」である。最近テレビやドラマ、CMなどにひっぱりだこのこの兄弟コンビはまだ小学5年生と3年生である。元気いっぱいの素朴な芸風が何とも愉快なのである。 さて、漫才を見終わって電車で移動し、自宅近所の業務スーパーに夜のおかずを買いに行ったら、なんと今さっきステージを終えたばかりの「まえだまえだ」兄弟がオカンと一緒に買い物をしているではないか!そう、「まえだまえだ」はご近所さんだったのである。 おっさんが子供に「握手してくれ」というのも恥ずかしいので、「さっきのステージおもろかったでえ!」「必殺仕事人みてるでえ!」と我が輩から声をかけると、「ありがとう~!!」と元気に返事してくれたのだ。 しかし、大スターもスーパーでみるとやはりただの小学生なのである…。
2009年04月29日
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本日は我が輩の古巣での最後のお勤めの日である。引継などの仕事を仕上げた我が輩は仲間たちと一緒に西本町にある韓国料理の「ヒャン」さんへ打ち上げに繰り出したのである。仲間との名残惜しい晩餐である。 ここのお昼のランチはとってもバリューで、「定番!スンドウブチゲ」は、なんと¥850(ご飯・キムチ付)である。そして味も素晴らしいのだ。 夜も韓国家庭料理を中心としたお総菜を取り揃えており(いわゆる焼肉は無い)、どれも美味しい。また、こちらはワインも充実しており、価格設定も良心的である。トウガラシを使った料理には白ならフレッシュでさわやかなタイプ(ヒリヒリしたお口を元に戻す)、赤なら濃厚なタイプが合うのであるが、まさにそういうセレクトで揃えてあるのが心にくい配慮を感じさせるのだ。 数々のお総菜と美味しいワインに舌鼓を打った我が輩は、仕上げにプデチゲ(部隊チゲ)をいただくことにしたのだ。一人前¥1500と価格設定も良心的である。もちろん最後にラーメンを入れるスタイルなのだ。コチュジャンで朱色に染まった鍋を囲みながら、職場の仲間たちと旧交を温めたのである。 かくして、お腹一杯・胸一杯になった我が輩は、アジュマシイッソヨ!と言ってお店を後にしたのであった。 来週からはいよいよ新しい職場なのだ。 ガンバルマン!
2009年04月10日
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すっかりブログの更新がなく、我が輩が死んでしまったのではないかと心配された読者の方も多いことであろう。この3ヶ月ほどの間ももちろんぐるめはやめていないので、またバックナンバーとして後日お届けしようではないか。 さて、実は我が輩はこの未曽有の金融不況の影響を受け、この春よりまたまた仕事が変わることになり、大忙しの日々を送っていたのだよ。 中国・香港・インドネシアなどアジアのお客様へいろいろ物を売って廻ったこの一年間、実にいろんなところでいろんなものを食べ歩いて来たのであるが、今度のお客様は再び日本である。そう、なんと言ってもやはり日本のメシは最高なのだ。そしてまた、BBQシーズンも到来なのだ。 復活!ぐるめパパ、乞うご期待!
2009年04月09日
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そうそう、洋風おせちに飾るニンジンの細工切りにチャレンジしたのである。 何も見ずにイメージで切ったものだから、ひとつ目は画数が足りないことに気付きボツ…。ふたつ目はご覧のとおり、バランスもよく綺麗に仕上がったのである。 素人仕事ではあるが、我ながら良く出来たものだと感心したのである。まさに自画自賛というやつなのだ。
2009年01月02日
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あけましておめでとう!なのだ(ものすごく過ぎてしまっているけど…)。 このお正月は暦のいたずらで休みがとても長かったので、思い切っておせちづくりにチャレンジしたのである。 日本に古来からあるおせちの風習は実に奥が深く、食材の一つ一つにその意味が込められ、一家の安定や発展・出世・子孫繁栄などを願うのである。無精な我が輩はあまり凝ったこともできないので、簡単な洋風おせちとしたのだ。 大みそかの日の朝からせっせと料理に興じ、こしらえたメニューは合鴨ロースのスモーク、和牛モモ肉のローストビーフ、鯛のグリル、地鶏のローストなど、豪華版の食材である。一部加工食品に頼らせていただいたが、重箱に盛り付け、見た目もまずまずの出来栄えとなったのである。 かくして、お正月から食べて飲んでの大宴会となったのである。さあ、今年も一年頑張るのだ。
2009年01月01日
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クリスマスイブの今夜はブロッコリーでツリーを作ってみたのである。初めてやってみたのであるが、それなりに雰囲気が出たのである。
2008年12月24日
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本日はイブイブで祭日である。例年通り自宅で身内だけのクリスマスパーティを開催することになったのであるが、なんと!今年も友人のミワコさんから、あの肉汁滴る絶品のローストビーフの塊が届いたではないか! 我が輩は逸る心を抑えながら慎重に包み紙を開き、中から現れたその妖艶な肉の塊に一礼、早速包丁を入れてみたのである。通常ではお目にかかることのない見事なサシの入り方にロゼ色の絶妙な焼き加減。まさにキングオブローストビーフである。 このような肉汁滴るローストビーフにはしっかりしたボディのワインももちろん良いが、肉の繊細な味を味わうため、また色でマリアージュする意味合いもあり、ロゼの泡を合わせてみた。クリスマスムードも満点である。 かくして、絶品のローストビーフは次々と我が輩のお口の中で溶ろけていったのである。メリーローストビーフ!
2008年12月23日
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さて、「ふく祭り」の内容はご覧のおしながきと写真のとおり、豪華絢爛・素晴らしい内容であるが、なかでもとにかく「ふぐ刺し」が絶品であったのだ。 殆んど養殖物しか食したことがない我が輩は、この関門海峡の海流で揉まれた天然のトラフグの身の甘さと弾力に感激したのである。 今回仲間の提案でコンパニオンちゃん(艶コンパニオンではないぞよ)を3人も雇っていたもんだから、おしゃべりは忙しいわ、ふぐは旨いわで大盛り上がりとなったのである。
2008年12月07日
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山口県の日本海側は長門市にある湯本温泉へやって来たのだ。我が輩の友人がここでホテルを経営しているので、仲間で集まってゴルフコンペ&ふく祭り宴会をしようということになったのである。 マメな我が輩はまたまた幹事をさせていただいたのであるが、当日はなんと大雪で元々取っていたゴルフ場がクローズ!ところが地元の仲間が機転を利かせてくれ、急遽別のゴルフ場を手配してくれたのである。実に素晴らしい手配力なのだ。 さて、無事にプレーは出来たものの、やはり大雪の中のプレーで、しかも夜の「ふく祭り」のことで頭の中は一杯なのだ。こんな状況下では良い成績を叩き出せるはずも無く、皆散々なスコアとなったのであるが、ダブルぺリアのいたずらで4位に入賞(といっても8人のコンペであるが…)した我が輩はフードプロセッサーを見事ゲット。万年ブービーを脱出し、気分もよく「ふく祭り」会場へと向かったのである。
2008年12月06日
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香港に戻って来たのだ。チムシャアツイのスターフェリー乗り場近くにある時計台塔についてご紹介しておこう。 この美しい時計台塔は、1916年に広州と九龍を結ぶ「広九鉄路」(現在のKCR)が完成して以来、九龍のシンボルとして香港の発展を見守って来たのだ。1978年に九龍駅がホンハムへ移転してからは、法定文化財に指定され、現在も当時の名残を映し出しているいるのである。 我が輩はこのノスタルジックな時計台に思いを馳せながら、香港の街をあとにしたのであった。
2008年11月20日
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広州といえば「飲茶(ヤムチャ)」である。広東人はとにかく飲茶が好きで朝からレストランに集まり、「点心(ディムサム)」をつまみながらお茶を飲み、ひたすらおしゃべりするのである。我が輩も「飲茶」は大好きであるが、我が輩の場合飲むのはビールであることが多いので「飲ビール」なのだ。 さて、広州で無地仲間と合流した我が輩は広州でとても有名な「広州飯店」さんで飲茶をしにいったのである。ビールを飲むにせよお茶は必ず頼まなければならないためプーアル茶をオーダーしたのだ。プーアル茶は日本でもブームになったことがあるが痩せる効果が期待される健康茶なのである。メタボの我が輩にも効果あるであろうか…。 昔は飲茶といえば大抵ワゴンで持って来て選ぶやり方であるが、最近では点心リストが注文カードになっていて、これに印をつけるやり方が主流である。ワゴンも実にムードがあったが、注文式のほうが冷めず、無駄のない合理的手法といえるだろう。 ここの点心はとても立派で、見た目も味も素晴らしいのだ。我が輩は「ハーカウ(エビギョーザ)」や「叉焼まん」などおなじみのアイテムをたらふくいただいたのである。 そして「マイタン(お勘定)」であるが、散々食べて飲んで2人で200元ほど(3000円弱)なのだからバリューである。香港ではこの倍はかかるから高くてとてもいけないのだよ。
2008年11月19日
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またまた香港へ降り立った我が輩は、ひとしきり用事を済ませ、深センから「和諧号」という、日本の新幹線のような列車に乗って広州へ向かったのである。 昔では考えられらない綺麗な社内環境とそのスピード(約250km/時)に驚いたのである。車内販売のオネエサマもさすがに綺麗どころを使っているのだ(何も買わなかったけど)。 かくして、夜遅くに広州東駅へ到着した我が輩は、昔に比べれば広州も治安が良くなっているようであるが、とりあえず全く土地勘もないため、タクシーに乗りホテルへと向かったのであった。
2008年11月18日
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ジャカルタ編でうっかりご紹介できなかった、絶品「ナシゴレン」をご紹介しよう。 我が輩はジャカルタ滞在中にゴルフ場へ連れていってもらったのであるが、何もゴルフをしに行ったのではなくて、お昼御飯を食べに行ったのである。スカルノ・ハッタ空港の傍にあるとても立派なそのゴルフ場は、クラブハウスもリゾートムード満点である。ウエイトレスのオネエさま達も何故か皆ミニスカートなのである。90%以上がイスラム教徒と言われるこの国において、信じられない光景なのだ。 ここはお昼御飯目当てのお客も多く、いかにも金持ちのインドネシア人のほか、日本人、韓国人も数多く見受けられるのだ。豪華なクラブハウスのレストランは外の貧しい生活とはまるで別世界である。このギャップが社会のひずみを生みだすのであろうなどと考えてしまうのだ。 さて、我が輩はインドネシアの代表料理でここの名物でもある、「ナシゴレン」(インドネシア風焼き飯)を賞味したのだ。インドネシア料理というのは正直言って大して美味しいものと思わないのであるが、ここの「ナシゴレン」は絶品であったのだ。スパイシー&オリエンタルな味付けが気に入った我が輩は一緒に頼んだ数十本の「サテ」(鶏肉の串焼き)と共に大盛りの「ナシゴレン」をペロリと平らげたのであった。
2008年11月09日
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前回のジャカルタ編では「中トロバナナ」を紹介させていただいたが、今回はマンゴーである。インドネシア名産のマンゴーは、日本でもメキシコ産などが出回っている皮がグリーンのタイプである。一見するとまだ早そうな感じにも見えるのだが、中は見事に完熟なのである。 我が輩は2つのマンゴーを大事に包んでお土産に持って帰ったのであるが(本来フルーツは検疫が必要なのであるが…)、自宅で綺麗に切れ目を入れたマンゴーを一口食してみてそのネットリとしたの舌触りと濃厚な果実味に感激したのである。 かくして、この素晴らしいマンゴーを「中トロバナナ」に続いて「大トロマンゴー」と命名させていただいたのだ。
2008年11月08日
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ジャカルタへ来て我が輩はあるモノに心を奪われたのである。そのモノとはご覧のとおりの青い鳥の置物である。見事なカービングによって形成されたホンモノ顔負けの美しいフォルムと、南国ならではの鮮やかな色使いに我が輩は夢中になってしまったのである。 さて、見れば見るほどどうしても欲しいのだ。アレを自宅で眺めながら飲むワインはさぞかし旨いであろうなあ、などとイメージまでしてしまうのである。お値段のほうであるが500,000ルピアということは日本円でせいぜい5000円なのだけれども、これからシンガポールを経由しての長旅に出る我が輩にはいささか嵩高いのである。かといってひと回り小さいタイプでは迫力不足なのだ。 かくして、迷いに迷った挙句、我が輩は断腸の思いで青い鳥君に別れを告げ、シンガポールへ旅立ったのであった。
2008年11月07日
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インドネシアのジャカルタへやって来たのである。ジャカルタは今は雨季であり、夕方になるとスコールが降るのである。しかし気候は相変わらず温暖で半袖シャツで充分なのだ。一年中温暖なせいか、インドネシアの人は全体的に皆のんびりした人が多いように思う。 さて、ジャカルタで名物といえばやはり韓国焼肉「ガヒョー」の丸腸である。脂ぎった丸腸を炭火で脂を落としながら焼いて食べるのであるが、これが絶品なのである。日本でもいわゆるテッチャンとして焼肉店で出されているが、食べ方も味も少し違うのだ。この丸腸が有名で、お店は韓国人や日本人、金持ちのインドネシア人でいつも溢れかえっているのだ。 かくして、インドネシアまで来て結局焼肉でお腹一杯になった我が輩は、我が輩達のテーブルで一生懸命焼いてくれていたジャワ人の女の子に心づけを渡し、「テリマカシ!」といってさわやかにお店を後にしたのである。
2008年11月06日
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カオルーンの先端にあるペニンシュラホテル(半島酒店)は1928年創業のとても歴史のあるホテルで、香港の激動の時代を見守ってきた、香港の象徴である。今でもその格式の高さはアジア一であり、最高級ホテルとして絶大な存在感を保っているのだ。 サービスも一流で、なんでも600人のお客に対し900人のスタッフが居るらしい。銀のスプーンやフォークを磨く専門の人なども居るらしいのだ。 死ぬまでに一度泊まってみたいものである(隣のYMCAは泊まったことあるけど…)。
2008年11月05日
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すっかりブログをアップする暇が無くなってしまったのだ。夏休みの宿題と同じで溜めるとしんどいのである。 さて、またまた香港にやってきた我が輩は、夜ひとりでブラブラしながら久しぶりに廟街のナイトマーケットに行ってみたのである。中国大陸も含めた世界中に不景気の嵐が吹き荒れているが、香港の夜の熱気は相変わらずである。 少しアジアの元気をもらったような気がしたのだ。
2008年11月04日
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南海電車なんば駅へやって来たのだ。ここは海外からのお客様をたくさんお迎えする、いわば関西の玄関口である。 今からラピート号に乗って空港へ向かう我が輩は、駅構内のスタンドでおソバを一杯啜っていくことにしたのである。 我が輩はしばらく使わぬ小銭がちょうど減るように380円の肉ソバを注文したのであるが、さあ食べようと思いきや、お箸立てのあまりの山盛り具合に爆笑してしまったのである。写真でご覧あれ、さすが大阪である。下品とかそういうレベルではないのだ。 かくして、おソバはお世辞にもあまり美味しいものではなかったが我が輩は何とも言えぬ充実感を持って空港へ旅立ったのであった。
2008年10月20日
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