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2012年05月12日
せっかく書いた今日の日記が消えてしまって、もうヘタッてしまいました。今日のメモがわりにスライドショーで見て下さい。
2007年11月22日
昨日の続きであります。実は、ある用事を済ませ、次の約束までに時間があるので、京大裏の吉田山山頂にあるカフェ「茂庵」に行ってきました。白川筋から吉田山に登る予定が、しばらくぶりのバスを乗り間違え、京大正門前の東一条で下車。15分あまりの登山で、たどり着いテみれば、汗ばむ陽気。30分ほど涼風を受け、待ってからお茶をいただくことが出来ました。京都御所や、糺の森、西山辺りまで下界の景色を見ながら、静かな時間を過ごせます。下山は銀閣寺交差点辺りに降り、今出川通りを西側を向いて散策。(吉田山、銀閣寺周辺は、コリアの友人P君が奥様に出会った記念の地でもあります。)銀閣寺周辺から京大までの間は、カフェ、ブティック、アジアンレストランなど、覗いてみたくなるお店が続きます。その後、バスで河原町二条へ。高瀬川につながれる「一の舟入」を過ぎて、幕末に因んだ名所をいくつか立ち寄ってきました。最後にたどり着いたのが「酢屋」さん。またも龍馬ネタですが、伏見の寺田屋は近所だったので娘とよく出かけ、柱に刻まれた刀傷を眺めながらよく時間を過ごしたものです。6,7年前、寺田屋が人手に渡り、納税問題で差し押さえられたという悲しい話を耳にしました。今はどうなっているのでしょう。10年ほど前、三条大橋の西詰めに「近江屋」という旅館がありました。ただし、これは幕末に存在したものではなくて、いつの間にやらその地には「さんじょスタバ」の灯が鴨川を照らしております。フラッと路地を歩けば、幾度も戦火にまみれた京の都には、どこを訪ねても、歴史に刻まれた時間に出会います。写真はこちら
2007年11月16日
♪♪~なにをくよくよ川端柳 水の流れを見て暮らす~♪端唄の歌詞である。私めが、どうしてこんな端唄を知っていたのか、ちょっと我ながら不思議であります。簡単でなじみやすいメロディのせいか、何かの宴席でよく聞いたか、昔、先斗町でウロウロ過ごした頃に耳になじんだのか。♪♪~今日をはじめと乗出す船は 稽古はじめの いろは丸~♪♪♪~船を沈めたその償いに 金を取らずに国を取る~♪1曲目はわりとよく知られている曲のようです。時は幕末、京都伏見の寺田屋で、島津久光の指示によって薩摩藩が内ゲバ(死語かな)事件を惹き起こした。曲はその犠牲者にたむけたもの。2曲目は、日本で初めての株式会社「亀山車中」海援隊いろは丸のテーマソング。3曲目は、そのいろは丸が紀州藩船に沈没せられ、賠償金を払わぬ紀州への恨み節。3曲ともに、作詞作曲は、なんと坂本龍馬。彼の兄は音曲に親しみ、姉の乙女さんからは剣術、馬術、は言うに及ばず、三味線、一弦琴、謡曲、琵琶唄まで習っている。酒の席で即興作詞作曲した龍馬の唄は、京都祇園や長崎丸山の茶屋街で定着し、一般に市井にまで流行し、今日まで伝承されている。ついでに酒席でのお国柄のへき(癖)をうまく表現したものがあります。「土人、酒を好む」(土佐人のことである)「一に土州、二に薩摩」というのもある。「長は詩吟、薩は妓、土は議論」(妓は、おんなの意。因みにスケベー伊藤博文は長州産で薩摩にあらず。)「長はキツネ、薩はタヌキ、土はイヌ」などという俗評もある。酒席はいとわぬが下戸の私には、未知ではあるが面白い話に聞こえる。今日は龍馬の命日。所要の合間に、京都のアチコチを訪ね歩き、たどり着いた酢屋さんの入り口には、高知県知事の献花がありました。そして、今日は、あの人の誕生日でもある(独語)
2007年11月15日
昨日、源氏物語で英国皇太子のたとえ話を書いて、揶揄するような口調になってしまったかなぁなんて、ちょっと反省していたら、ロンドン東部ストラットフォード地区のバス車庫で12日正午(日本時間同日午後9時)ごろ、爆発音とともに火災が発生、巨大な煙が立ち上ったというニュースが流れてきた。詳細報告が届いてないようだけど、テロでなければいいのになぁ。お~い、ミーコ、無事でいるかい~。
2007年11月12日
京都で、ちょっと野暮用を済ませて、宇治に行ってきました。京阪沿線の観光は残念ながら宇治・伏見・東福寺・祇園・出町あたりと、大阪京橋から上ってくると、京都に入ってからしか見るべきところがない。で、中書島で「おけいはん」を宇治線に乗り換えて十数分で、終着駅に着けば、そこは「源氏物語」ゆかりの地、お茶でも有名な宇治であります。写真は宇治駅コンコースに向う出口周辺。駅デザインは関西では有名な若林氏。南海電車の「ラピート」をデザインした方ですね。(どういうわけか、あのラピートを見ると、いつも鉄人28号を思い出す。)デザインは安藤氏の矩形に対して、若林氏はアールの使い方が特徴的なのかな。駅を出ると、少し流れの速い宇治川が観光客を迎えてくれます。橋を渡ると、いつの間にできたのか、紫式部の像がありました。源氏物語は、飛ばし読み、斜め読みでろくに、真剣に読んだことがない。谷崎さんも、晶子さんも、円地さんも現代訳があるけれど、ちゃんとした教養なくしては、とても読めたものではない。イギリスでは、ウエイレイさんやサイデンステッカーさんの翻訳で、よく読まれているらしいが(別に詳しい統計があるわけではないが、近頃、わび・さびに対する理解も東欧人のほうが深い興味と理解を示しているらしく)、もともと源氏物語は帝の息子の女遊びの物語だけど、日本の皇太子に浮いたうわさはないが、イギリスの皇太子は、そういうところはまるで光源氏のようで、英国人にはわかり易いのではという笑えない話もあります。まぁ、しかし遠い昔の十二単に代表されるファッションの話、乗り物の話、から始まって、暦の話、習慣の話、蔵人って?地下って?東宮って?とくれば、もう外国語を学ぶように一から学ばないと読みきれません。近頃、橋本治さんの「桃尻語訳 枕草子」というのを読みました。紫式部さんのライバル清少納言さんの書いたものですが、この橋本さんの逐語訳が、めちゃくちゃ愉快でわかりやすい。「春はあけぼのよ~」という、アレですが、原文を左において橋本枕草子を並べてみれば、その面白さは倍化するし、受験生の古典理解に大いに役立つことうけおいです。源氏の「もののあはれ」と、枕草子の「いとをかし」。この際、死ぬまでに読めるかなと、逃げ回っていた二つの物語を、ボチボチ読んでみるのもいいかもしれない。さて、もう少し先に足を伸ばして、日本人なら、子供だって知らぬものはないという有名な寺院に寄って参りました。宇治の平等院。何、聞いたことあるなぁなんて、見たこともありますよ。十円玉を取り出して見てください。紫式部の書く物語を、書いた尻から取り上げて、世界中で読まれている物語の、第一番目の読者であった藤原道長さんの息子、頼道さんが作った阿弥陀如来を中心にした極楽ワールドを納めた宇治平等院であります(と、なぜか橋本調になってしまう)コレも記憶になかったけれど、今日、行って見ると新しく「鳳翔館」というミュージアムも出来ておりました。CGを駆使した絢爛豪華な平安ワールドを楽しむことが出来ます。次回、ご来院の節には、時間をかけてゆっくり回られることをお勧めします。あいにく、曇り空で紅葉には未だ少し早い宇治でしたが、宇治橋の上から日の落ちるのを眺めた後、逆戻りして三条あたりに戻りました。木屋町通りから西に入って「酢屋」さんの前を通りかかって、ハタと思い出しました。そうだ、今月15日は33回目の誕生日に短い生涯を終えた龍馬の命日。近くに、自藩の土佐屋敷があるにもかかわらず、脱藩者の竜馬は土佐屋敷に足を踏み入れることはなかった。彼には酢屋で過ごす方が、くつろげたのかもしれない。短い時間でしたが、久しぶりに京都に舞い戻ってきました。次回は、早朝の渡月橋にでも行ってみるかな。
2007年11月09日
ご無沙汰です。昨日も少し動くと汗ばむ陽気でしたね。秋深く、もののあはれが身にしみて・・・という風情はこの秋には縁遠く、不満はない日常をすごしてはいるものの、なにやら苦手なはずの、木の葉が、カサりと音立てて舞う姿にむしろあこがれる。今月も友人たちが多くたずねてきてくれました。昨日は競輪マンさん、海底人さんと共に過ごした会社の同僚、池○君がきれいな奥様と可愛い娘さんを伴いやってきてくれました。車に貼られた「Snow Peak」が示すようにこの家族のエンジョイスタイルは、関西のみにこだわらず、遠方にも足を伸ばすアウトドアライフがお気に入りだとか。あぁ、いいなぁ。しばらく緑に囲まれた自然にふれてないなぁ。最近、奥田英朗さんの「サウス・バウンド」を読みました。元過激派運動家で、今も体制にとらわれず自由に振舞う父が惹き起こす騒動で、沖縄西表島に居を移すことになった家族の物語。主題とはズレるが明るい太陽の下、東京からやってきた家族を迎え入れる、沖縄の島民の鷹揚、島の歴史、気候を読んでいると、ついこの夏まですごした緑多い、海や温泉、自然に囲まれた但馬生活で、遣り残してきたことの多さを思わずにいられない。ん~ん、みんな元気で過ごしてるかなぁ。競輪マンさん、温泉行きましょうかぁ、海底人さん、カメラの手入れしておきますわ(笑)池○君、また会いましょう。Nature calls me.
2007年10月29日
朝、娘から電話でノリックの訃報を伝えてきた。ジュニアのブログにも彼のニュースが・・・信じられない。公道で事故なんて・・・96年、世界の強豪を退けて、ウイニングランを終えたノリックはパドックに戻ったとき、喜びを抑えきれずに雄叫びをあげ、涙を流しながらインタビューに答えた。今でも思い出す。天才の早逝が悔やまれる。
2007年10月08日
マジェスティを放出したジュニアが、カスタムしたCubに乗ってやってきた。ベトナム製品のシート、ブレーキペタル、リアステップ、エアクリーナー。どういうわけかエアクリはベトナム製なのに、「ヨシムラ」ステップは台湾POSH製、チャンバーはヨシムラタイプ2、リアサス、茨木三木サイクルオリジナル。テールRは南海部品オリジナル。サブフレーム、クリッピングポイント社。エンジン、スピード社SPD100。キャブ、PC20 ハンターカブ純正。ヘッドライト、イージーライダース社 ホンダスティード用 ベーツ。メータ、デイトナ社 ミニミニメータ。ミラー、ナポレオン社・・・・etcまだまだ、書いていたらきりがない。カスタムもここまで来ると、鏡に1時間向かっていた人のように原型が見えなくなる。それはこんなの。ここまでサワルと変なヤツやけど・・・俺にくれー。で、ヤツとは一昨日、フラッと大阪城の周りをうろついて、丸ビルでスタバって来たのでした。二人でよく遊ぶよ、ほんま。(大阪城)をクリックすると音楽つきアルバムが出ます。勤務中はOFFにしてや)
2007年10月06日
最近、暇を見つけて、2,3冊読みました。山田詠美編「せつない話」編者の山田詠美さんが「せつない」と言う語は定義しづらい、英語で「せつない」に当たる語は見当たらないといっている。なるほど、翻訳ソフトによれば、せつない→ I’m sad としか表現してくれない。sad だけでないし、painfulでもない。あいまいで、放っておけないこだわりの感情が含まれているのかもしれない。そういう話が編まれている。中でも「晴美さん」だった瀬戸内寂聴さんの「けものの匂い」は家族を捨て、激情に翻弄されながら、転がるにまかせて生きる女性の話で、若き日の寂聴さんの私小説かなと思わせる語りがすごい。田辺聖子さんの「恋の棺」も、最近は「かもかのおっちゃん」を数冊読んだ後なので「おせいさん」ものにはない深い味がある。丸谷才一さんの「贈り物」は戦後の混乱期に、東北の一寒村で兵隊が恋をする話。一方通行の情熱、男の愚かさがつらい。森繁久彌「森繁自伝」自伝の白眉は福沢諭吉の「福翁自伝」だと聞いて、昔読んだことがあるが、そのときの状態がどうだったのか、印象がうすく、うまく思い出せない。今回は森繁さん。前半は満州時代の戦時中から終戦に向かう時代の話。これは行を追うごとに、鼻の奥が酸っぱくなる。戦時生活を書いたものは山田風太郎の「戦中派不戦日記」などが当時をよく描いていたが、文筆が本業でない森繁さんの筆力には圧倒される。今は訪れることの出来ない「満州」の山河と異国で、けなげに生き抜こうとする人たちの姿は、現代を生きる私にも学ぶものは多い。確か国から、なんだかで表彰されたけど、この人の著作には、何か大きな賞が与えられたのかどうか、文化功労者の筆はさすがに読み応えがありました。香山リカ「リカちゃんのサイコのお部屋」がらりと変わって、香山リカさん。出掛けに家の鍵を掛けたかな。最近、朝が起きられないけどどうしたのかな。あの人の私への視線はただ事じゃない、そのうちに何か間違いを起こしそうでこわい。なんて、最近の私は、ちょっと変やんかというのはよくある話。傾向と対策を求めているのではなくても、なぁるほどなんて思い当たることが、再発見できます。ときどき、短い空き時間に、リカちゃんはよく読んでます(笑)
2007年09月29日
吉行さんの本に「街角の煙草屋までの旅」というのがありますが、近頃、私めは、しばらく表に出てなくて、それこそ「街角のコンビニまでの旅」のような状態が続いています。で、気分転換のために、夕べ、「なるかわ園地」に出かけてまいりました。場所は大阪と奈良の境、生駒山上。京都からジュニア、奈良から娘と待ち合わせ合流し、夜の山道にくりだしてきました。3人でここに来たのは、久しぶりで前回は2輪を3台連ねて、急な坂道と暗がりの中を大騒ぎしながら登ったものです。あいにく、前回ほどには空気は澄んでなくて、満天の空とは言いがたかったのですがに目を凝らせば、淡路島の岩屋も見えるし、通天閣らしき灯も浮かんでおりました。チカチカと明滅する光の群れを、アレは高槻あたり、コチラは東大阪あたりではないかと、カメラを抱えて2時間あまり楽しんできました。久しぶりの山歩きで、くたびれて家路に着きましたが、帰ってみれば、また3人で行きたいなぁと、楽しかった時間に感謝しております。土塀の切れたあたりを左に折れて、暗闇の細道を登って行きます。思ったよりもキレイに撮れました。全景と言うより、半景かな。実際はこんなのでズームをかけるとピンボケですが、ミナミの象徴、通天閣です。
2007年09月20日
今日は、マイミクで「元将軍」(そのころ、私めは一兵卒)の海底人さんが写真撮影に来てくださったのだ(と、なぜか、いつも海底人さんの口ぶりになる)ほほ~な、思わず感心してしまう手作りの、撮影便利グッズを持ち込んで、いくつか写真を撮っていただきました。始めにコンセプトありき、次にメニューありきのはずが、急こしらえで店を開いたので、今後、どんどん進化、あるいは深化するはずでありますが、メニューの貧しさに比較して、今回撮影していただいた、すばらしい写真の一部を紹介しましょう。但し、撮影データをいただいて、無理に出力しているので、仕上がりはここにあるものより、数段きれいに出来上がる事をお断りしておきます。どうでしょう、花かつおが、ひらひらと立っております。マクロ撮影は超お得意の海底人さんらしい、せまりかたですな。「A・YUKO」さんのレシピで特別に焼いていただいた、ケーキやクッキーたちの写真です。光の乱反射をおさえた画像が商品を際立たせてくれます^^これはまた、スミノ○さんか、どっかの洋酒メーカーが買いに来そうな1ショット。そうです、夜は即席でBARに転じるのですなぁ。まぁ、場違いなこの取り合わせにちょっと変やないの、このお店って感じていただいたお客様限定で、憩いの時間を提供したいのです。残念ながら、海底人さん自作の撮影グッズは、一部しか写っていませんが、こんな雰囲気で撮影が始まりましたのじゃ。ということで、今日は海底人さん、どうもありがとうございました。うまくデジタル処理していただいて、更に美味しく楽しめるお店にしたいと思います。
2007年09月08日
いやぁ、しかし話しには聞いていたけど、大阪人っていうのは、たこ焼き好きですなぁ。ちょっと小腹がすいたら、たこ焼き、倶楽部の練習帰りにたこ焼き、寝る前にたこ焼き。まぁ、工事を手作りで進めてきたため、いつ開店できるかわからず、開店告知もしなかったので、そんなに多くのお客さんが来て、てんてこ舞いではないのですが、え、また、たこ焼き食べてくれるんかいなという感じのリピーターが実に多い。もっと驚いたのは、こちらは下戸な上に、無知だったのだが、たこ焼きに合う飲み物はビールだそうですね。そういわれれば、お好み焼き食べながらビールって話はよく見聞きする。粉モンに対する偏愛、溺愛、執着は東の人たちにはわからないだろうけど、ビールサーバーを搬入した途端、「ビールあるんか、ほな、たこ焼きもう1人前」と、追加の声。そういえば、開店ヘルプに来てくれたカヲリ嬢が、この話に突然立ち上がって、「そうですよね、ビールには粉モンやねぇ」といってたような・・・地元大阪になれるために、工事期間中は、短パン、Tシャツに首にはタオルを引っ掛けて、チャリンコで、「こんにちわぁ」と誰彼なしに声を掛けて、近所を走り回っていたものの、私めは、知らんうちに、大阪のおっちゃんになろうとしてるんかなぁ。
2007年09月03日
兵庫から引っ越してきて、今日初めて休みが取れた。思い立ってから決断まで1週間。決断は早かったものの、物件に合った計画修正に手間取り、めまぐるしく動き回り、ようやく開店しましたが、あっという間に、今年の夏は終わりに近づいてしまいました。「日はいま二人が降りてきた台地の裏に沈んで、遠くに見える荘内藩下屋敷の高い木立にまだ陽射しのきらめきが残っているのが見えるものの、旅籠町の界隈ははやくも青白く宵闇のいろを帯びはじめていた。」「斜めに傾いた日は、むろん又八郎にも射しかけて、又八郎は道わきの家の影に入ったり、そこを出て日に照らされたりして歩いていく。日の光は半月前のはげしさを失って、物の影が濃かった。風景は、まだ繁茂する緑に覆われているが、そのどこかに季節の変わり目がおとずれている気配が否めなかった」藤沢周平「用心棒日月抄」4巻「凶刃」から私には昔から、時間がなくなるほどに、ストレスを矯めないために、例え30分でも読書をする癖がある。外出する暇も無い、TVも無い、友人に会いに行くこともできない2ヶ月間だったが、読書時間だけは小刻みに取ってきた。なかでも藤沢さんの「用心棒日月抄」は、毎晩、ページを閉じて眠らなければならないのが惜しいくらいに楽しめた。今朝は珍しく雷がとどろいて、強い雨が地面にたたきつけられて、昨日までの熱波はどこへやら。なにやら涼しい風が吹くと、藤沢さんの表す日の移ろいと、時の流れの表現の豊かさが美しい。
2007年08月30日
何だか、ちっともゆとりが無くて、自分の時間を見失っておりまする。マイミクさんや、楽天のお友達のブログにも目を通せないまま、今夜もくたばります。うまく写真を取れなかったのですが、店内の写真を入れておきます。ロゴにもポイントを合わせてみて下さい。では、おやすみなさい・・zzzz
2007年08月27日
ようやく、(よう焼く?)スタート準備が出来ました。めちゃくちゃな素材(物件)をどう活かすかで、散々、周囲に迷惑とご苦労を掛けながら、やっとスタート地点に立つことが出来ました。ジジイの最後のお遊びにしては、ちょい、度が過ぎた感も無くはないが、まぁ、これから頑張ることで報いたいと思います。何の話かというと、たこ焼きと、カフェのコラボを始めることにしたのです。店内は、捨てるに忍びなかった文庫本たちを並べていますので、まぁ、文庫本カフェのように使っていただいてもいいなぁと思っています。(但し、偏った選書には不満もあるかもしれないけれど)場所柄、立ち寄りにくいエリアですが、思い出したらお立ち寄りください。繁忙にかまけて、いただいたコメントに即答も出来なかった方にお詫びいたします。訳もわからず、HPらしきものを作ってみましたが、5年前に考えていた店名はドメインを他の方が取得済みでした。次回更新までに考慮したいと思います。http://www.takoyaki-cafe.com/
2007年08月23日
ようやく、容が整いつつある。無償の協力者たち、が支えてくれて、ここまで来れた。大した目標ではないけど、周りの暖かい援助がうれしい。もう少しだ。
2007年08月11日
炎天下、但馬も暑くて大変だろうなぁ。近頃は、こんなことをやってます。こんなことも、後、10日間くらいかな。
2007年08月09日
暑さのセイか、忙しさのセイか、先日のコメントのお返事を読み返してみれば、あれッ、ちょっと混乱気味?失礼しましたMさん、Iさん。先日行ってきた店のお話。入店して、30秒ほど、案内を待つ。あら、お客さんだわって感じの、ぼんやり女性店員にテーブルに案内されました。テーブルの上にはお茶ポット。よく見ると、泥跳ねを受けた足元のように汚れが浮いて見える。裏返して見れば、長い間漂白したことの無い注ぎ口は茶渋で濃い汚れ。それでも、壁には「比内鶏」をアピールする広告物が見える。その前に店を清潔にしろ!応対は「あ~した」。これは、「ありがとうございました」の短縮形?お店は大阪府愚策の最高作品ビル、エーティー○ー(と、ようやく怒りがわいてきた)空きテナントばかり目立つ超高層ビル。ひどい営業内容でお客が減ったのか、お客が少ないから社員がダレるのか。店子の管理の出来ぬのは、空きビルを埋めたいからか。同行のKenzさんが言いました。「廃るには、それなりの原因がある」まさにそのとおり。立ち上がらずに食事を済ませた自分が不思議でした。な~んも考えてないなぁ。ビルからの景色は、きれいな眺め。
2007年08月08日
昨夜は、淀川の花火に出かけました。生憎出かけた河岸は風下。流れてくる煙のせいで、半円の明かりしか見えない。で、仕方なく大阪駅前の丸ビルまで、タワレコ、スタバ詣でをしてきました。久しぶりの阪神ビル。ご無沙汰しましたと一礼して、その後は、友人と待ち合わせ、夜のUSJへ。ゲートの周辺には、眠らぬ若者がアチコチで開門まで、夏の夜を楽しむ姿が見られます。しばし、周辺を散歩しながら、安治川の川面に揺れる灯を楽しんできました。まぁ、帰ってきて、さっそく不良してます。大阪の夜どうもこのアルバムの使い方はよくわからない。
2007年08月05日
ご無沙汰しております。実は先月28日に寝屋川市に移動しました。ジュニアの運転で、4時間の初タンデム。後ろのシートに跨るというのは不思議なものです。DTに乗っていたころの癖がよみがえったのか、いつの間にかシートをホールディングしていて、股間がこるし、体はコーナーでジュニアと同じように倒しているものの頭の中では、シフトのアップダウンを繰り返し、フットはブレーキングの動きを示してる。まぁ、気がついたら擬似ライディングの自分の姿に苦笑してしまいました。久しぶりに風と遊びました。ありがとうジュニア。新居に到着して、何よりもうれしかったのは、あぁ、今日から遠い道のりを帰る必要がなくなったなぁ。ここで寝ることができるんや・・でした。夜明けて、布団の周りに広がった荷物の整理、夏物、冬物、生活用品、趣味のものを更に振り分けて整理はするものの、カテゴリーに入らぬ小物の多いこと。はぁ、一つ一つに、まつわる思い出と邂逅を振り返りつつ、茫然としながら通常生活を取り戻すために戦っていました。落ち着く暇もなく、友人、知人、家族の協力を得ながら次のプランに入っています。これについては、いつか報告することにします。ネットの移転を失敗して、今日はネットカフェからの更新です。さぁ、帰って次の準備にかからなくては。
2007年08月04日
久しぶりに、梅雨空の雲間から青い空が見えました。引越しの手伝いに来た娘と一緒に、但馬を離れる前に、ぜひ一度登りたかった蘇武岳に、車で登ってみることにしました。軽い気持ちで登りだしたはいいが、ちゃんと調べぬままに登山道を走り出すと、ちょっと荒れた林道コースに前日の雨。乾ききってない地面には、杉の葉が落ちていて、若干タイヤを滑らしながらの登り道。崖側助手席の娘の表情には「父さん、引き返そうよ」の声も読めないわけではない。もうすぐ頂上かと思われる地点あたりで、斜面の傾斜が強くなり、ハンドルを取られタイヤが滑って動かない。2度ほどリトライしたが、隣の娘の表情に警告を読んで、降りて足回りを点検しました。赤土の表面が緩んでいるのを確認し、「命がけ登山やね」の娘の声と、借り物の車でこれ以上の無謀は、できないと断念しました。めちゃくちゃな親父です。ふもとの景色は見えないけれど、高い木々に囲まれて、木漏れ日のトンネルの中を、楽しみながら帰ってきました。帰ってみると、日高町の夏祭り。この町に来たのは、3年前のちょうど同じ時期でした。アチコチに出かけて、いろんな方にお会いできたり、緩やかに流れる時間と自然に触れて、心を和ませていただきました。ありがとう、兵庫県。最後の登山は無謀に過ぎて、地元冒険家植村直己さんの警告も聞こえたのかもしれない。ちょっと残念な気もするけれど、ありがとうございました。日高町夏祭りby daimajin814動画は近所から見えた夏祭りの花火。(大きな音にご注意)
2007年07月23日
え~、今朝の但馬、日高町あたり、山々の尾根に湯煙のように霧が立ち上っておりました。ほこりを落とした木々の緑も映え、嫌な季節ではあるけれど、こういうなんでもない景色が、近頃はうれしい。さて、昨日は、そういう景色とは縁の遠い街中に行ってきました。これで6週連続出かけたことになる。結構、頑張るねと、自賛しておこう。往復で、1日の3分の1を費やす遠い道のりを走っておりますと、車中の音楽の選択が大事なポイントになる。近頃はCDも買い足してないので、そろそろ気分の変わったものをと、○×君に次に会うまでと、CDブックごと、借りて帰途に着きました。入っていたCDは以下のとおり。The Allman Brothers/ The Fillmore Concert Vol.1Crazy Ken Band/ メリメリ I wanna marry marry youC&C music factory/ Gonna make you sweat平井 堅/ 瞳をとじてThe Bubble gum brothers/ YAPPA J.BBob Marley/ Lively up yourselfBeyonce/ dangerously in loveRun D.M.C/ Back from hellなどなど、その他多数。面白いものですねぇ。?なのも、エッなのも、ふ~んなのも、うんうんもあって、人の持ち物って楽しい。かばんの中身を覗いたような気分ですな。いやいや、そう言わずに、次もまた貸してくださいな。私見としては、Run D.M.Cが一番のお気に入りでした。で、彼が「おもろいもんあるよ~」と指差した自販機にはこんなのが・・・因みに、但馬には鞄の缶詰自販機なんて変なのがあります。但馬での生活も、今月いっぱいになりました。アチコチでのイベントをチェック中です。
2007年07月02日
ご無沙汰しました。長い間、更新できませんでしたが、8月より大阪府に移動することに決めました。豊岡に来て、3度目の夏を迎えようとしていますが、こちらでの任務も、ようやく落ち着き、他の人に譲ることが出来るようになりましたので、そろそろ自分の歩み方を固めようと思っています。これから、どうするのかは、今は伏せておいて、追って書き記すことにします。不思議なものです。こう決めると、周りの景色まで違って見えてきますねぇ。6月に入ってから毎週、京都や大阪に足を運びましたが、帰途、豊岡が近づくにつれ、緑に囲まれ、河を見ると心が和んでくる。夜、近くの谷川に足を運び、蛍の乱舞を眺めていると、なんとなく離れがたくなります。せめて残りの1ヶ月間は、カメラを持って近くの風景を納め、スケッチ代わりにしようと思います。コチラでは連日、熱帯夜が続いています。冷房に当たりすぎてお風邪などひかれないよう、お過ごしください。裏の田んぼ風景。日高町隆国寺
2007年06月27日
毎日、あわただしい。只でさえ忙しいのに、私めが、また新しいことにチャレンジを始めたので尚更です。で、それは無理な条件が多く、障害だらけの事柄であるのに、屈しないでアクセク解決の道を模索しております。サディスティックな性格かしら。さすがに、立ちはだかる障害に真剣に向かい過ぎ、フリーズしそうなので、ちょっと休憩のつもりで1枚、落書きしてみました。モデルの写真は、いつもの竹野海岸。前夜、雨降りでも風が強いわけでもなかったのに、この日は珍しく高波の荒れ模様でした。海岸を散歩してると、女性が一人、浜辺に腰を下ろして長い時間、波を見つめています。波は、寄せては返し、飛沫を飛ばし、同じ模様を描くことはないのかなぁ。「あの数式のすきな博士」が計算しても、同じ波の寄せ方は、きっと無いのでしょう。飽きることの無い運動を見つめて、私めもしばし過ごしてきました。「お~い、誰かベンチ持ってきて~」と、これは一部の人にだけわかる閉め方かな。あ、それで思い出した。ランカウイ島に「ホテル ザ・ダタイ」というのがあります。フロントはジャングルの丘の上に独立した建物としてあって、部屋は1戸建てのコテージで、ジャングルの中で、木陰や、小川のそばに点在しています。丘を降りてきて、ビーチで佇んでいると、どこからかウエイターが、ベッドを抱えて姿を見せてくれ、氷とお水をサービスしてくれるのです。もちろん、有料のメニューも持参してくれます。ずいぶん前から直行便も出ているようなので、アジアの海を訪ねるときにはプランするのも面白いですよ。
2007年05月30日
兵庫県宍粟市まで、仕事で行って来ました。出掛けに重くたれていた雲は、播但道を南下するに従って、雲間から太陽が覗き、次第に空が明るくなります。いつも、但馬から抜け出すと、空は高く、青く感じる。青空が見えるごとに、私めが決まって、いいねぇ、きれいやねぇと声を掛けるため、同乗の但馬びとに、けげんな目つきで見つめられてしまいます。ちゃんとした撮影技術も無いくせに、カメラを持つようになってから、色が判別しにくい私にも、この季節の青葉に差す太陽の光は、美しさを倍加してくれるような気がします。但馬地方では、あちこちで田植えが始まっています。画家の奥津国道さんが、「私が目をつけたのは、四月の下旬ごろの風景である。田植えを前に水を入れた水田に、周囲の並木が水面に移っている眺めがなんとも風情があるのだ。遠景に望む山並み、新緑、田植えを待つ水田、そこに映る並木・・・(後略)」と、スケッチ旅行に出かける車窓から、流れる風景の美しさを書いています。絵は描きたいけど、彩色は私の色彩感覚と識別能力では適いません。その点カメラは便利です。でも、うまく撮る、きれいに撮る工夫や努力もしないくせに、気に入った風景に出会うときに限り、つい、カメラを忘れてきたことを悔やんでばかりいます。写真は、田植え前に水を張った田んぼの風景です。奥津先生が、車窓から覚えた感激もこんな風ではなかったかなと思いながら、この日もカメラを忘れ、悔やんでいたのでした。携帯写真をアップしておきます。
2007年05月20日
友人、競輪マンさんが遊びにやってきました。彼は何度もコチラに来ているので、今回は温泉三昧。初日は出石、乙女の湯、2日目は但東、シルク温泉、3日目関宮、万灯の湯。写真は乙女の湯の入り口にある「めだか公園」の看板(あの人に知らせなくては^^)で、それぞれに、湯質、湯量、効能など特色はありますが、やっぱり二人ともお気に入りはシルク温泉。湯に入ると、ぬるぬると肌を這うように湯が流れます。湯上りの肌は赤子のような肌触りになります。二人とも、肌ハンサム?になれたかな。さて、彼の滞在中に、今回は神鍋山の噴火口跡に登ってきました。頂上の噴火口から眺めは絶景ですが、360度でカメラに納まりません。ハングライダー、スキーなどのスポーツを楽しむことが出来ます。また、一つチャレンジしたいものが増えました。定番は「床瀬そば」さん。但馬では、出石蕎麦が有名ですが、コチラは神鍋山からダウンヒル、崖を這うようなブラインドコーナーを駆け抜けてたどり着きます。広い床板と、大黒柱、囲炉裏席を設けた田舎作りの雰囲気で供される蕎麦に、競輪マンサンも舌鼓を打ち満足げ。喜んでいただけて何よりでした。また、いらしてください、お疲れ様でした。
2007年05月16日
今日は看護の日だそうです。朝、公立日高病院に行くと、いつも笑顔のいい、私めのお気に入りの看護師さんに声をかけられました。お、今日はいいことがありそうなんて、親父面してると、「体脂肪率チェックしませんか」と、イベント?の勧誘。で、久しぶりにチェックしていただきました。結果は18.4%ということで、コレは標準値のようです。日頃の魚肉・菜食中心の食事がそろそろ、効力を発揮してくれているようです。近年は、成人病も低年齢化してきてますし、満員電車の中や、あなたの周りは、大半が糖尿病予備軍らしいですよ。日頃から健康管理に気をつけたいものです。もう一つ、今日から「春の交通安全運動」今年は運転で”痛い目”にあいました。日頃、仕事が詰まっているので、つい安全走行から逸脱した状況になりがちです。キモに命じなければと、車中汗を流しながら出かけます。写真は2.3日前に撮った走行記録。前回走行距離「88,888キロ」から、今回まで「123.456キロ」走行まで、休日などを考慮して1日あたり走行距離を算出してみると、何と167キロメートル。ふ~ん、タクシードライバー並みです。あんぜんうんてん、あんぜんうんてん。
2007年05月11日
今日は2つ目の日記です。全国的に真夏日のようですね。こちら兵庫県豊岡は、昨日より7度ほど高い31.4度と7月中旬並み。Tシャツ1枚で過ごしましたが、黒のシャツには汗で塩が浮いてしまいました。いまからコレでは、もう脱ぐものがない^^こちらは、そろそろ農繁期。水を張った田んぼに青空や、向こうの山々の緑が写っています。稲穂が伸びて風にそよぐのもいいけれど、田植え直後のお髭のような稲の時期も絵になるかなぁ。そろそろ準備はいいでしょうか、海底人さん。ふふ。ちょっとビデオが途中で切れてしまったけど、今日は風も強くて、山々の緑が風にそよぐ姿が少し撮れてます。表でコーヒーを飲み、山が動くのを眺めながらちょっと休憩。鳥や、虫の声が聞こえる、ウチの事務所裏です。
2007年05月08日
きょうはたのしいはなまつり~♪♪何だか商店街で同じ歌ばかり、リフレーンしてるなぁ、って思ったら、園児たちのパレードがやってきました。こんなの忘れてましたねぇ。ついでに昔の歌で、達郎の「パレードがゆくよ~」なんてのも思い出しました。いつごろの歌だったかなぁ。
2007年05月08日
京都で、ン十年ぶり、卒業してから一度も会えなかった友人に再会しました。こわくて正しくブランク期間が書けない^^;その日会ったメンバーは私めと、京都市役所の西側で、Café Angelinaを営むO氏、そして、卒業後始めて会うロンドン在のM嬢。M嬢が、京都に所用があっての一時帰国ということで、旧友達を集めたかったのですが、彼女の交友関係の、その後を詳しく知らないので、3人きりの同窓会になりました。M嬢とは、気が遠くなるくらいのブランク期間にもかかわらず、会ってみれば、あの頃のままの彼女が、そこにいてくれました。違和感があるとすれば、関西弁ではなく東の言葉(笑)なんだか、その言葉遣いだけが距離があって、同窓生だからって、いまさら口説かないでねって感じ(爆)。まぁ、それはないのですが、再会のきっかけはといえば、オンラインで消息を得たので、いつまでたってもPC初心者の私めも、この時ばかりはうれしかった。で、突然ですが、顔出しです。15歳のdaimajin814。どうです、紅顔の美少年でしょ。ちょっと自慢げですが、本当は恥ずかしくて削除しようかどうしようかと・・・・。セピアをかけて見ました。まぁ、これは昔の姿で歳を経た現在は、とてもこのままではない。とほほ、です。ピンホールカラーに、三つボタン、ストレートパンツの裾はダブルの折り返しに、とんがった靴、極めつけは、このヘアースタイルにこのポーズ、なんとも、はぁ~、初めてのスーツ姿です。ところが、M嬢の抱いていた私めの、その頃のイメージはこんなのでした。え~、ほんまかいなぁ。ルパンのごえもんですな。同窓生みんな集めて、一体、私めはどんな少年だったのか聞いてみたい^^彼女は私めのことを、怖い人だったという。机の下に剣を隠し持っていて、何だかサッと出して構えそうだったと。危険な人というイメージだったのかな。う~んよくわからん。実は、写真の表情には表れていないが、田舎少年が始めての都会、京都の高校に出て行って、私めは劣等感の塊で、明朗を装ってはいたが、孤独な寡黙の人だったのだ。長じて、不良親父になるとは自分で予測もつかなかったけれど。で、楽しいひと時の帰り際、M嬢にFairtrade UKのアールグレイと鯖のスモークフィレをいただいてしまいました。これは先にやられてしまったなぁ。実は大型連休中の京都の街中で、彼女へのお土産を探しに出かけたが、あまりの混雑振りに、あぁ、もう俺の京都じゃなくなったと、嘆きながら戻ってきたばかりだったのだ。まぁ、遠くに離れているけれど、もう一度くらいは会えるかもしれない。京都駅でも別れる際に、照れくさくてハグが出来なかったけど、いつの間にかあのころの、いつも気後れのするハニカミ少年に戻っているのでした。本当は彼女のことを、少し書きたかったけれど、彼女のマイミクさんが、こちらにも来られるかもしれないので今回はよしましょう。あぁ、でもうれしかったなぁ。うん、今度は会いに行こう。向こうの漱石記念館に行ってみよう。ありがとうM、O君。また、会おうなぁ。
2007年05月07日
寺島しのぶさんの挙式ニュースで、久しぶりに富司純子さんを見た。昔、台詞も少なく抑えた表情ばかりで、大根だけど、すごい人気者と言われた健さんと、富司純子さんのヤクザ映画ポスターが、先輩の下宿の壁に貼られていた。娘さんのしのぶさんは、あまり良く知らなくて、思いつくのは「赤目四十八滝心中未遂」くらいか。映画は未だ見てないが、小説は最近読んだ。大学出で、会社員くずれで、愚図で、「突ッ転ばし」の世捨て人が、東京から西に流れて阪神尼崎のあるアパートに住み着く。ブリキの雨樋のさび付いたような町の片隅の1室。「枯蘆の茫茫と打ち続く様、物凄じく、寒き川はぬめぬめと黒く光りて流る」と、ノートに書き残すほどの男である。教養も生きる知恵もなかったわけではないが、男は、一日中、流れ着いた吹き溜まりの町の1室で、黙々と鶏を捌くだけの職を得る。そんな限られた世界に出入りする者は、この町に似て、それぞれ怪しい人生と背景を抱えている。時代は昭和50年ごろ、戦後長い間、街娼をしていた焼き鳥屋の女主人、鶏の臓物を毎日、持ってくる運び人、他人の住まいを、たらいまわしにされて生きる少年、刺青の彫師とゾクッとするほどの美人の情人。ある日、彫師の目を盗んで、情人が男に相談を持ちかける。「兄の借金の肩代わりに身を売られる」という。男は、哀しい情人の身の上に突き動かされ、情死行を受け入れる。下手なネタバレ文章だけど、作品の興をそぐことはないと思います。作者の車谷長吉は「現代文学のなかで死滅しつつある私小説の、最後の書き手といわれる。確信犯的に“時代遅れ”の形式に執着する(解説 川本三郎)」とある。特異な表現や、抑えた情念の展開に、売れっ子作家や、ベストセラー作品では味わえないものを感じ取ることが出来ます。
2007年05月04日
借金3に増えて、ハマは首位。
2007年05月03日
どうもご無沙汰しました。そろそろ、年季明けというのか、ほとぼりも冷めたようですので(^^)、楽天に戻ってまいりました。相変わらず、年甲斐も無く、親父の「アレもしたい コレもしたい」と、欲望と煩悩の記録をボチボチと記していきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。(あちらの日記で、お世話になった方もよろしくお願いします)先日のこと。「最近は1年経つのが早いねぇ」と私。「何でか知ってるかぁ」とジュニアが続ける。「人生をコップ1杯の水として、例えるとね。例えば5歳の子供なら5分の1が1年やねん、50歳なら50分の1が1年や、1年分の容量は当然5歳のほうが多い、年寄れば容量は少なくなる、つまり1年が早く過ぎるんや」と。「そんなこと教えられんでもわかっとる」とは言わない。な~るほど、これからはジュニアが親父に教える時代に入るのかな。ふふ。「人間五十年、下天のうちをくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか」(信長公記 織田信長)GWの真ん中。皆様にはいかがお過ごしでございましょうか。相変わらず、世間が休みのときは働いているという生き方から、抜け出せなくて(まぁ、その気も無いのですが)、日曜日以外は盆正月にかかわらず、動き続けております。さて、ロンドン在の友人が、連休の最後の日曜日に、来日するとの連絡をくれました。彼女は同級生。卒業してから人生の大半が過ぎましたが、社会に出てから初めての再会で、年月が何を語らせるのか。楽しみにしています。
2007年05月02日
文藝春秋なる雑誌があります。菊池寛が自分の言いたいことを伝えるために創刊したといわれておりまする。菊池寛といえば、2,3年前昼メロで「真珠夫人」という、ドロドロした愛憎劇をやっておりましたが彼の作品で、私めが、他に思い浮かぶのは「藤十郎の恋」くらいです。後に、芥川賞作品を掲載しだして、ちっぽけなごほうびしかいただけなかった芥川・直木賞がメジャーになって行きます。最近は手に取ることがなくなったのですが、昔は折りたたみの目次の次に「巻頭随筆」と言うのがありました。どういう人選なのか、各界の文章の達人ばかりが、「ほう!」と唸らせる好随筆が載せられていました。で、この文藝春秋が増刊号で出した「オール読み物」と言う雑誌がありますが、これが評判を呼んで月刊誌として一人歩きをします。今は亡き池波正太郎さんや「武士の一分」の藤沢周平さんもここから出世しています。ココからは、何かの記事で読んだうろ覚えですが、池田吉之助編集長のときに、「オール読み物」にもう一味加えるために企画したのが「さいごのページで」と言う短い随筆を巻末に加えると言うもの。著名な作家に競わせて最後のページを飾るこの企画は、「雑誌を後ろからめくらせる」と言うことで評判になり、週刊朝日だったと思いますが、「山藤章二さんのブラックアングル」も同じような評価を得ます。(朝日が先かオールが先か、この辺はジジイの記憶はあいまいですが)まぁ、「巻頭」も「おしまい」も私めには宝物で、読書に倦んだときに、読んでしまうという奇妙な清涼剤です。実は「おしまいのページで」と言うタイトルを、今日の日記にいただいたのは、「アレ、コレ」を、しばらくお休みをいただこうと言うお知らせなのです。開設して563日、日記の記入率は48%、あまり熱心には続けられなかったのですが、少し事情がありまして、今日で「おしまいのページ」になります。ご訪問いただいた方、コメントをいただいた方々、お叱りや、助言をいただいた方や、遠くから貴重な“お宝”を送ってくださった方、どなたも親切にしていただきました。機会があれば、また一方的に訪問させていただくやも知れません。本当に有難うございました。
2007年02月03日
先日、アップした写真はdaimajinさんでしょうか、というお問い合わせが何件かありまして、お答えいたします。実は今回、上海にご招待いただいた友人Pさんです。不肖、不良中年のもう一つのブログに紹介しておきましたが、今回の上海訪問は、彼が開業するビジネスに対する、アドバイスを私めが仰せつかりまして、このブログにも登場いただいている競輪マンさんからも資料を頂き、駆け参じました。まぁ、仕事の話はさておいて、コーリアンの彼と、中国人の奥様と愛娘Rちゃんのお家で5日間の間、快適に我が家のように過ごさせていただきました。なかでも、Rちゃん(9歳)との会話は、日本語は通じませんので、仕方なく「ハルユー・ドゥ」から始まったのでした。日本にはない、楽器のような破裂音や擦過音は、私めよりも数段きれいに発音する彼女に、ついていくのがやっとでした。トリリンガルのPさん、バイリンガルの奥様、おうちの中は日本語、英語、韓国語、上海語、混乱せずに良くすごせたものです。Rちゃんへのお土産は「電気猫(ドラえもん)」とその他もろもろ。包み紙を丁寧に畳みなおしていたところを見ると喜んでいただけたようです。で、そのRちゃんから無理やりいただいてきたものはコレ。魂が文字に入ってないからイヤダ!と言ってましたが、一文字ずつジックリ見れば、うん、なかなか味がある。会話も筆も彼女には敵いませんでした。
2007年02月02日
旅行記は、ちょいとおいて。西日本各地は、雪が降ってますねぇ。こちらの様子は、こんなの。毎日、何だか忙しい・・・とりあえず。
2007年02月02日
空港でピックアップしてくれたのは、Pさん。彼の車で蘇州に向かいますが、上海は一部が開放されて、中心部を離れるとで田園風景が広がり、粗末なつくりの(失礼)家屋が傾いたりして並んでいるのかと思えば大違い。正確な距離はわからないが、バイパスを90分ほど走る間、マンション群や、ビルが断続的に続く。蘇州も大阪で言えば、新大阪から吹田市内くらいのイメージで建造物が立ち並んでいました。さて、コチラで、日本企業の菊○の総経理(社長)を務めるLさんに会いました。P氏とは韓国で会ってから1年ぶり、L氏とは日本で会ってから2年ぶりの再会です。中国には、数えると10人以上、いや、20人くらいは友人、知人がいる。12,3年ほど前、私めがフードビジネスにかかわっていた頃、彼らは日本の大学に学びに来て、当初、外国人留学生を受け入れてくれる職場が少ない中、「来るもの拒まず」の私のもとに集まってくれたのです。狭くて汚い下宿やアパートで学び暮らした彼らは、帰国して、それぞれ要職に就き、10年を経た今、自分で買ったマンション、いや日本で言えば億ションかな、私めの住居より、はるかに豪華な住まいからイタリアンスーツを着込んで出勤するのです。蘇州の夜は、わずか5ブロックくらいの街角に日本人駐在者が良く訪れる、数千件の店が立ち並びます。コチラではLさんに日本料理をご馳走になりました。教育の行き届いた、あるいはかなり顔馴染みのLさんのせいなのか、親しげなおもてなしと、おいしいお料理をいただいてきました。Lさん、ごちそうさまでした。久しぶりの再会、楽しい時間を有難う。
2007年02月01日
上海から帰ってみれば、一部の方々から同じ質問を受けます。「靴下まで洗ってくれるらしいねぇ」「空港で別れるとき、涙を流してくれるってホンマ?」ふふふ、そういうエキセントリックな世界は、上海でなくてもあると思うのですが、それって、向こうから、日本人男性旅行者を見るイメージと同じですよ。初体験をさせられるのかなぁと、私めも畏れ、若干のざわめきを覚えないでもなかったのですが、今回は固くお断りしました。残念^^;今日から、思い出しながら書いてみましょう。空港に降り立つ直前、かなりの低空で飛行していますが、地上の景色は見えません。特に山のない上海は地上の起伏もなく、平面ですから、かなり低くなって、ようやく空港周辺が姿を現しました。黄砂とほこりが地上を覆っているのです。10キロくらい先の景色は、黄色い幕に覆われ、思わずバッグの中からマスクを取り出してしまいました。通関はこれまで経験したなかで、気が遠くなるくらい長くかかりました。到着機が増えるごとに、私の後ろの行列は少しずつ伸びていきます。かなり事務的な対応であるにもかかわらず、まぁ、これは大変な状況です。^^ここで感じた対応の緩慢さは、滞在していた間に、何度も経験することになるのですが・・・ようやく、通関を済ませ、到着を待つ人たちが、ロープの外にパレードを待つように並んでいますが、みなさん日本人をお迎えなのでしょう。「○○先生」と言う札を目につくように持っています。これは「○○様」の意味ですが、まぁ、初めての日本人には、ちょっと面映い感覚です。さて、待ち合わせた友人が見当たらないので、私めは、荷物を持ちながらうろうろしております。雑踏の中、すれ違う人々の中に、笑顔で話しながら歩いている人はまったくありません。(たまたま、そうだったのか)私めは、目立たぬよう、かなり控えめの色合いの服装にもかかわらず、なにやらすれ違う人がにらんでいる風にも見えます。幾人かが、無表情で近づいてきました。「テクシー?」そうだったのか。安心するやら気が抜けるやらで、インドネシアでしつこくキノコの幻覚剤を売りにきた青年たちを思い出しました。違うグループが、何度も入れ替わりやってきます。30分ほど徘徊して^^ようやく友人を見つけ、蘇州のもう一人の友人に会いに向います。 つづく。アルバム は、こちら。
2007年01月31日
無事帰り着きました。今日は少々疲れましたのでとりあえず、下手な動画ですが・・・・・おやすみなさい。黄浦江by daimajin814ここは、黄浦江の両岸にビルが立ち並び、ライトアップが素敵なところです。動画の中からは、韓国語が聞こえますが、外国人観光客も、地元のカップルたちもたくさん訪れるところです。上海旧中心地by daimajin814上海では、”おのぼりさん”がたくさん訪ねるエリアですねぇ。広い遊歩道を挟んで、3キロくらい世界のショップが立ち並んでいます。コチラは旧正月暦なので、新年を迎えるノボリが出ています。
2007年01月30日
ふ~む、昨日書いた日記は削除されていたし、今日は写真をアップする事が出来ません。まぁ、詳細は後日に追いかけ日記を書くとして、まぁ、有る用件でこちらに来たものの、日本人が必ず訪れるところ、2箇所に行ってきました。月落鳥啼霜満天江楓漁火對愁眠・・・・・そうです、詩人の張継さんで有名な寒山寺。残念ながら、写真はアップできません。田園風景と渓谷に囲まれた風光明媚なといいたいところですが、想像とは、まったくかけ離れ蘇州市の中にありました。日本人の姿はなく中国各地から集まってきたのか、中国語と、お隣の韓国語の飛び交うお寺でありました^^今日の夜、出かけたのは(あ、写真が突然アップできそうになりました)ココです。はいはい、ようやく写真をアップする事が出来ました。写真は黄浦江(ファンプジャン)の波間に浮かぶ素敵な夜景です。う~ん、詳しくはまた、明日です。おやすみなさい。
2007年01月28日
夜明けて、表通りに出れば出勤前の2輪がどんどん通り過ぎていく。とてもエンジン音の低い2輪ばかりだと思ったら、電動自転車が此方のほうでは重宝がられて使われているようでした。勿論ヘルメットをつけていない人は多いのでした。自動車は上海市から、蘇州市までの150キロの走行しましたが、立体交差の整備された広い道路が縦横無尽に走っていて、ヨーロッパ車や、日本の高級車が溢れています。ふ~む、予め情報は入れておいたものの想像以上の現実を突きつけられてしまうのだ。写真は東風(トンプー)ホンダCIVIC。高速道路をバックナンバーをつけていない車が走行していても驚いてはいけない、新車は3ヶ月間過ぎるまでにナンバーを買うのだ。ふ~む。報告したい事はヤマほどあるが、こちらのネット事情は多くを語らせてくれない。明日、次行ってみよう。
2007年01月27日
上海にたどり着きました。さすが、上海のイミグレーションは時間が掛かる。約1時間の入国手続を済ませて空港の外に出たとたん。コリアンのチャイニーズマフィアに拉致されてしまいました。大魔神、大ピンチです。続報は安全確認をしてから・・・・・
2007年01月26日
しばらく出かけます。あることを調べに・・・。出かけ先には、日本語環境のネットはつながっていると思いますが、詳細を報告すると、この日記がログイン解析され、削除される可能性もあるやもしれません。監禁逮捕、即刻判決、処刑ということが無いよう祈っていてください。へへへへ、うそです。ということは、たぶんありません。しかし、「レッドコーナー」は怖い。ではでは。
2007年01月24日
昨日、海底人さんと、餘部鉄橋に行って来ましたのじゃ。(なぜか、海底人さん口調になりますな。)但馬はさぞかし、寒かろうと、海底人さんは、インナー、防寒帽、厚手袋で雪景色の但馬を期待しておいででしたが、すみません、今年の但馬は、ご期待に添えず、肩すかしでした。写真では、師匠の海底人さんには敵わないので、動画をアップします。アップしてみたら、かなり粒子が荒れましたが、雰囲気だけでもお楽しみください。餘部鉄橋by daimajin814後でもう1本アップしてみましょう。では、後ほど。では、もう1本。 こちらはローカル線発車の様子をご覧下さい。鎧駅はっしゃ~。by daimajin814友情出演がお二人ほどありましたが、編集カットさせていただきました。帰り道は日本海沿岸を選びました。写真は白砂の続く佐津海岸と、波に浸食され亀の甲羅のようになった岩たち。
2007年01月22日
お願いがあります。貴方のいま聴きたい音楽はなんでしょう。ミュージシャン名と聴きたい曲のタイトルを教えてください。オールジャンルOKです。差し支えなければ、「~な気分なので」を付け加えてください。実は、Napsterの1ウイークトライアルをしているのです。自分の聴きたい曲を流して聴いてみたものの、アレ、他に聴きたい曲あったのになぁとか、タイトル名を思い出して聴きなおしてみたけど、こんな気分でないなぁとか、他の人はどんな音楽聴いてるんだろうなぁとか思うわけです。残り2日間になってしまったのですが・・・でも、良くわからないけど、これって聞き流しは定額だけど、ダウンロードすれば課金されるんでしょうねぇ。
2007年01月19日
私めのブログは、「アレもしたい、コレもしたい」などと、駄々っ子のようなタイトルですが、こういう想いは、小さな願い事であったり、いかがわしい欲望であったり、とてつもない大きな夢であったりします。マズローは、そういう欲求を5段階に分けて、人が何事かを成すのに、この欲求を段階的に満たし、自己実現、自分の可能性の追求をするという心理を整理して学説を唱えています。まぁ、こういう大層なことは、日頃から考えているわけではないのです。タイトルだって、東海林さだおさんの「アレも食いたい、コレも食いたい」から、パクっただけですから。^^でも、さて自分は何をしたいのだろうを掘り下げていくと、自分は何ものになりたいのだろうに辿り着きます。この年になって、成りたい自分を見つけていないことにハタと気がつくわけですねぇ。いやはや、まったく。先日のこと、こちらでお知り合いになった「ばぐら2」さんが、向井万紀男さんの本をお勧めでしたので、(向井さんに恋をしてしまったわなどと・・・)本屋で思い出し探してみました。色々探してみたのですが、目当ての本は見つからなく、向井万紀男さんと奥様の共訳本を見つけてきました。奥様の(アノ向井千秋さん)まえがきと、ご主人万紀男さんのあとがきだけで、中身は翻訳された他人の書いたものですが、お二人が共訳したくなったわけや、いかにすばらしい本かを述べておられます。あぁ、こういう素敵な本を勧めてくださる方なんだ。こういう本の素晴らしさがわかる方なら、他の本もぜひ手に取りたいなぁと思ってしまいました。同時に「ばぐら2」さんのお勧め上手にも感謝したい。本のタイトルは「4001の願い」。短文で小さな願いから、大きな夢までいろんな方の寄せ書きが記されています。その中で自分が既に果たした「願い」をチェックしていく工夫もされています。さて、人はいろんな夢を抱いて、それを支えにして生きているんだなぁと感じながら、自分探しもしてみることにしましょう。楽しい1冊です。追記大事なことを書き忘れ、前後してしまいましたが、今日は「1.17」。6434人の御魂にお祈りをささげ、こうして希望と夢を持って生きていることに感謝します。
2007年01月17日
山崎豊子原作の「華麗なる一族」が始まった。久しぶりに連続ドラマの1回目から見る。原作を越えるドラマになるかどうか。親子の葛藤と、金融社会のドラマ。ここ10年の、日本の金融再編は予測をはるかに超えて、元の銀行名は思い出せないほどに業界地図は塗り替えられた。この国の金融政策は国民の預貯金金利を「ゼロ」に抑え、舵取りは投資疑惑に満ちた人物が日銀総裁に座り、倒産寸前だった銀行に、税金を投入した結果、空前の利益を生んだ。これって税金で、生き返ったんですよね。借りた金は国民に返還してませんよね。どういう神経の持ち主が運営してるんでしょうか。今日の、日銀支店長会議は、「息の長い成長続く」と景気見通しのの判断を変えていない。今になって、大手銀行は「儲けすぎ批判」を避け、借りた金を国民に思い出させまいと、手数料値下げに踏み切る。いつもこうして、小手先の逃げにだまさますねぇ。生活って、日銀が言うほど楽になってないんですが。まぁ、ドラマを見て、発作的に、こういう発想に発展するのは私めの悪い癖ですが・・・
2007年01月14日
去年の年末から抱えていた、あるタスクを昨日、ようやく終えました。詳細は述べられませんが、1年の企業活動や奉仕作業がこのタスクの成否で報われもし、水疱に帰することもあります。そんなこんなで、ピリピリしていたタスクフォースも、無事、問題なく成し終え、笑顔で解散となりました。ホッとしたのも束の間、今日、もう一つ、ある問題解決のため姫路に向いました。有料道路を使わずに3桁国道をひた走り、ナビを見ると「データが読めません」と出ている。DVDを抜き差しし、鏡面を磨いてもデータが読み込めない。ひょっとして、悪い報せか。ここから先の地図も出がけに見てきたMapfanの記憶をたどるしかない。少々緊張しながら辿り着き、神妙に対処してみると、最小限に問題解決が出来ました。ふ~、読んでくださる方には何の話やら、さっぱりわからないだろうと思いますが、難問2題が無事解決したと思ってください。なんだか今年はまじめに取り組めば、いい結果が出そうな予感を覚えました。時間を少し取って、姫路城の見える辺りで、青い空を仰いで帰ってきました。有難うございました。
2007年01月13日
う~ん、別ウインドウでブラウザ一杯に画像を広げて、雪片まで見えないかなぁ。どなたか、わかりやすく教えてください。楽天ではちょっと難しいような・・・写真は3葉とも、われ等が事務所の裏山です。(こんなところで頑張ってますよー、って田舎ものやねぇ。)
2007年01月09日
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