アキレス腱を切って入院いている知人を見舞おうと出掛けてみるも、肝心の病院がどこなのか分からない。
当りを付けて行ってみた病院には該当する人が見当たらず、都合4軒回ったがとうとう見つからなかった。
ネットで調べて場所を確認し、そこが間違いないと確信して行ったにも拘らず空振りとなり、予備で回った病院もペケだった。
仕方がないので一度戻り、改めて調べ直して出掛けた末のこの結果だ。
それで、この事は残念なはずなのにそんなに落胆しているという気分でもない。
何だかそういう探索するような楽しい事柄を求めている自分がいて、面白がってやっている様なところがある。
絶対に居場所を突き止めてやるぞと意気込んで、知らない場所の病院を訪ね回る。その行為そのものが非日常的で、探偵ごっこをしているようでちょっと楽しいのだ。
そんな事をしていてつくづく感じた事がある。
どうも”色んな勘が非常に鈍っている”という事。そっちの方がよっぽど面白くない。直観と判断力、観察力と注意力など悲しいほどに落ちていると思い知った一日だ。
歳のせいなどにはしたくない。
毎日の生活にスリルと緊張がなく、脳細胞の一部が眠ったままの状態が続いている事に原因があるのだ。
フランスの「スパイダーマン」アラン・ロベール
高層ビルの壁を登るので有名
スリルを味わった後の得も言われぬ快感は、脳細胞が一気に活性化した証しだ。
そんな体験をここ何年もしていないし、味わってもいない。
若いころは、山の細道を猛スピ-ドで車を走らせたり、高いところに登ったり、揺れる吊り橋を歩くとか、無賃乗車したりとか、いろいろスリルを味わう様な事が割と身近にあった。
しかし、今ではさすがにそんな事はしないし、極度に緊張したりすることもあまりない。
このスリルと緊張が無い生活というのは平和で安定している証しなのに、それがない生活は動物として生きるべく人間を堕落させるというジレンマ。
開高健なんか、身体を張ってベトナム戦争の最前線で取材したりしていたわけで、自分からそういう中へ身を投じることの意味がよく分かる。
”男がこの世で熱中できるものは二つしかない。すなわち、『 遊びと危険 』である。” というニーチェの言葉の通り、まさしくそれを地で行った彼の生きざまには、男の本質がそのまま現れている気がする。
2006年5月8日よりスタートした「日歌」が千首を超えたのを機に、「游歌」とタイトルを変えて、2009年2月中旬より再スタートしました。
★ 「ジグソーパズル」 自作短歌百選(2006年5月~2009年2月)
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