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☆ 歌う習慣, お持ちですか? ぼくは、毎日、何曲か歌を歌います。 ちゃんと気合入れて、歌います。 1人暮らしなので、聴く人はいません。 今までに、ぼくの歌を聞いた人は、みんな「下手だ」といいます。 ぼくも、そう思います。 でも、ぼくは、毎日早朝(夜明け前ですが)、歌を歌います。 動機は、 それまでの気分を紛らせたくて歌うときや、 「自分を楽器にする試み」で歌うときや、いろいろです。 狙いを、声というより音 ~自分のコントロールによって、からだが発する響き ~ 一本に絞って、歌うと、 ぼくは「鞴(ふいご)」という名の空気ポンプ楽器になります。 やってて、オモシロいです。 でも、すぐ、アキマス。 だれか(嫌がらずに)聴いてくれる人に、ぼくの歌を歌を捧げたいと思います。 「退屈しのぎか?」といわれれば、まあそーですけど 実際の現場では、ちゃんとちゃんと歌を捧げます。 リクエストの曲、ないかしら? ( ずーずーしかった? ) ~ ☆ ~
2009年09月29日
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☆ 歌う習慣, お持ちですか? ぼくは、毎日、何曲か歌を歌います。 ちゃんと気合入れて、歌います。 1人暮らしなので、聴く人はいません。 今までに、ぼくの歌を聞いた人は、みんな「下手だ」といいます。 ぼくも、そう思います。 でも、ぼくは、毎日早朝(夜明け前ですが)、歌を歌います。 動機は、 それまでの気分を紛らせたくて歌うときや、 「自分を楽器にする試み」で歌うときや、いろいろです。 狙いを、声というより音 ~自分のコントロールによって、からだが発する響き ~ 一本に絞って、歌うと、 ぼくは「鞴(ふいご)」という名の空気ポンプ楽器になります。 やってて、オモシロいです。 でも、すぐ、アキマス。 だれか(嫌がらずに)聴いてくれる人に、ぼくの歌を歌を捧げたいと思います。 「退屈しのぎか?」といわれれば、まあそーですけど 実際の現場では、ちゃんとちゃんと歌を捧げます。 リクエストの曲、ないかしら? ( ずーずーしかった? ) ~ ☆ ~ ----- Original Message ----- From: > To: ??????@cy.tnc.ne.jp> Sent: Tuesday, September 29, 2009 10:22 AM Subject: 29日の日記
2009年09月29日
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「生きる姿勢」と色即是空漠然と どんな気分で 自分は “この世と渡り合っている”か?人はみな 自分で選んだ姿勢で この世に臨んでいます。 ☆ ・総体に、前向きで、肯定的な人 (とき)・総体に、警戒おこた(おこた?)りなく、各種安全保障の種を蒔きながらの人 (とき)・慎重着実。いつも最初の目的を忘れず「達成」を重ねていく人 (とき)などなど、各人各様自分流です。自分の【生きる姿勢】、あなたは、気に入ってますか?もし、ノーならあなたは、なにを守りたくて、なにを得たいのでしょうね? ☆ 「この世なんて、そもそも【自分の解釈で自己流に描いているバーチャル・ワールド】 なんだから、深刻になっちゃダメよ」と言ったのは、お釈迦様でしたっけ? ☆ 【生きる姿勢】:慨して言えば( エニアグラム)気合で生きる 8平穏第一 9正しく律して 1人付き合い主体 2地位をきわめよ 3わたしはわたし。わたしの勝手。 4知性に恋して 5安定あんてい、日々安定 6面白くってナンボ 7
2009年09月29日
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10・2用 【のーがき】 おたずねします。 あなたは、ごくふつーに ・生きてるってイ~もんだなあ ・“自分”ってやつ、なんとなくイ~イなあ と、思っていらっしゃいますか? 農業をはじめた1万年前から、ぼくたちは、こうした「なんでもない普通のフィーリング」から遠ざかり始めたようです。 農業以前に生きていた人たちは ( そんなの あったり前 )って感じで、上記のような気分で一生を過ごしていたようです。 ぼくは、長いあいだ、そんなスコヤカなフィーリングとは無縁に生きていました。 もっとウカナイ気分で、えんえんと生きた挙句、ある日 ( これじゃ ソンだな )と思い、 それから、自分の基本の気分を切り替えた ~た、とゆー、よく居るあの~ クチです。 もし今、切り替え以前のぼくのよーな方がいらしたら、 ぼくの採った方法をお知らせしますので お気が向かれた折にでも、参考にしてください。 【はるの方法】 まず、瞑想呼吸から:メモ NO/1 瞑想 1・眼をつむる → 呼吸を楽に →アタマを休め → 自分が溶けていく・・溶けていく・・ 2・時空を たたよう わたし だれでもない わたし なんでもない わたし ただ ここに いま 存在しているだけの わたし 時空を ただよう わたし (解説) “自分”というものから 離れる。 “自分”というものの人間性から 離れる。 すなわち “自分”をつくっている 自分の人間性・個人性・個性・特色・ 好き嫌い・他人(ひと)は、どう思うか? 気にかける配慮・今後の予定/ などなどの いっさいから 離れる。 ただのイキモノ になる。 ただ 時空をただようもの になる。 “じぶん”の気分(フィーリング)を味わう どんな気分だろ? NO2/ 呼吸 1・小さく息を吸う・・・ → 大きく息を吐く・・・吐いて すこし そのまま・・・ →ゆっくり 息を吸う くまなく宇宙から 澄み切った大気が 入っていくる あまりに澄んでいて 透明で 見えない大気が からだの隅々に浸透していく 息を吸う・・・ 吐いて すこし そのまま・・・ゆっくり 息を吸う・・・ → くまなく宇宙から 澄み切った大気が・・・(気持ち良くつづけられるあいだ つづけ・・・) やがて 呼吸を忘れ 2・からだを感じる 流入した宇宙の“大気(プラーナ)”が 輪郭(りんかく)ボヤケの からだの中で “真新しいエナジー”に変わる からだ中の隅々から ピュアな潤(うるお)いが満ちて来る 息をするたびに ゆるゆる ゆったり 宇宙の“大気(プラーナ)が かだらに ひろがり からだ中の細胞が 見えないプラーナを自分のエナジーに変え からだ中の細胞が 潤いうるおい 真新しい力を湧き立たせる 命全体の力(エナジー)が しずしずと 満々と 満ちてくる からだ を 感じ・・・からだ を 感じ・・・ こころ を 感じ・・・こころ を 感じ・・・ こころの“おもい” を 感じてみる ~ 以下 ワークショップで口述 ~ ☆ “なんでもない普通のフィーリング” だれでも 自分の“ なんでもない普通のフィーリング“を取り戻すと、 自分の中に隠れていた“ひとりでも力(純粋無垢なエナジー)”が蘇ってきます。 すると、 気分(フィーリング)的に元気になりますので 元気な(積極的で、前向きで、明るく、活動的な)発想が生まれて来ます。 それを実行すると、 今までと違う、自分にとって“新鮮な現実”が展開し始めます。 それは、新しい経験となり、新しい失敗と新しい気づきを、自分に得させてくれます。 そして、その分だけ“豊かな自分”に変容します。 「さなぎ」が、じょじょに「飛ぶもの」に変容していくような感じです。 この作業を ~面白いので~ くり返してやっていると、 いつの間にか、新しい知識や能力が付いてきて いわゆる「自己啓発・潜在能力の開発」と謳われているよーな人生の流れに、 ひとりでに、なっていきます。 すると だれでも “ まさしく 自分は自分を生きている“という実感をリアルに感じ、 ごく普通に“自分に対する誇り”を抱くようになります。 なにが出来るからとか、なにに優れているとかゆーのでは、ゼンゼンなく ただ“生きてるんだから”という理由で、自分を尊び、かけがえないものとして、 好きになって行きます。みんな、そーです。 そのとき ぼくたちは “自分を開花させた”というのではないでしょうか? よろしかたら、お試しください。 ( 了 ) ----- Original Message ----- From: > To: ??????@cy.tnc.ne.jp> Sent: Sunday, September 27, 2009 10:24 AM Subject: 27日の日記
2009年09月27日
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~ ☆ ~ ぼく および ぼくの同類 ぼく および ぼくの同類の者たちは、 だれか1人の人間とでも、「関わり」を持ってしまうと たちまち、自分という存在が、 「みんなの中にいる自分・社会の中の一員である自分」になり、 ときどきなら、いいけど、 いつも「みんなの中にいる自分・社会の中の一員である自分」でいるなんてイヤだ! て気分になります。 これ とてもシンドイのです。 人間ぶってるだけで、一苦労、二苦労、三苦労、四苦八苦・・・お釈迦さまの言う通り ・・・ああ、もーダメ。人間降りたい!ってなって、 母に知られたらシンパイされちゃいます。 それは、困ります。 でも、自分としては、 もっと、・・・なんてゆーか、人間だか 蝶々だか 翳(かす)む雲だか さまようボーフラだか なにがなんだかただの命(ミナモト)なんだか 結局ワケワカラン存在 で入る方が、ダンゼン好きなわけです。 だもんで 1人の人間として ~ みんなの中にいるもの・社会の中の一員であるもの ~ として われながら、不良品だと自認しています。 でも、変わる気はさらさら御座いません。 だもんで、 毎度、毎度、“ ソコントコ どうぞ よろしく ”としか、 自分としては言いようがないわけです。 それでは みなさま そこんとこ・・どーぞ(繰り返し) はる拝
2009年09月25日
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=== 先日の講座に参加したKさんから ======Kです。先日は、カウンセリング講習会ありがとうございました。とてもとても、楽しかったです。はるさんに、感想文を提出したいと思っていましたが、右脳人間の私には文才が無く、 ただ、ただつらつらと書いてしまうと、しばらくパソコンの前に座り・・・瞑想・・・妄想・・・私は、泣き虫で怖がりで、自己嫌悪に陥りながらも、一人でもくもくと復活し・・・学習しない・・・を繰り返しています。先日、小学校の同窓会が30年ぶりにありました。そのときに、一番仲のよかった友人が、「あんた、変わってないよ、そのいいかげんな所・・・」「え~~?私ってそんなにいいかげんだったぁ?」「うん、人の話は聞いてないし、言いっぱなしだし、なんでも適当だし。」初めて知りました、自分のいいかげんさに・・・自分はしっかりしているつもりだったんですが、まったくそんなことは無かったようです。今回のカウンセリング講座でも、はるさんのメールにも、私の解釈ですが、やっぱり、「自分らしく」なんでしょうか。ん~、まだまだ、ココロもカラダも成長し続けないと・・・トラウマを解決する方法はわかったんですが、実行できるかどうか・・・それから・・・話そびれていたんですが。2人のボディーワークの時に、それぞれの色を感じたんです。Mさんは、オレンジ色から黄色の太陽の色のような。しずくのように、あふれてました。Rさんは、濃紺の中に白いぽーっとしたものがついては消えしていたのですが、そのうち、白い線で波打つように、最後には、流れ星のようになりました。色が教えてくれるメッセージってあるんでしょうか?なんだか、気になり出したら、聞きたくて。ヒプノの時、みなさん、雲の中が気持ちよかったっと言っていましたが。私は、苦しくて、窒息しそうで、もがいたんです・・・なんでだろぅ・・・世界征服なんて考えたから、バチが当たったんでしょうか?(笑)長々すみませんでした。最後まで、読んでいただき、ありがとうございました。続 カウンセリング講座・・・期待します。 K ======== 返信 ==============素敵なメール、ありがとう。 とても素敵な文章だと、思います。(ワシ、文章にかけちゃシロート眼ではないけんね。プロのお墨付きだぜ。)←勝手に威張るはる。 それは、さておき☆ 私は、泣き虫で怖がりで、自己嫌悪に陥りながらも、一人でもくもくと復活し・・・ 学習しない・・・を繰り返しています。→ 「学習しない」と分かっているところが、素晴らしい! ☆ 昔の親友に言われました。 「あなたって人は、人の話は聞いてないし、言いっぱなしだし、なんでも適当だし・・・。」 初めて知りました、自分のいいかげんさを。 自分はしっかりしているつもりだったんですが、まったくそんなことは無かったようです。 → 「他人(ひと)の話は聞かず、言いっぱなしで、なんでも適当」になってしまうくらい ナニカに一生懸命だったのかしら? 今も。☆ まだまだ、ココロもカラダも成長し続けないと・・・トラウマを解決する方法はわかったんですが、実行できるかどうか・・・ → だれであれ、人というのは、「どーにもこーにも成長しないと、どーしよーもない。もー今のままじゃダメ!」的な苦境に立たされないと、「本当の成長」なんかしないものです。そもそも、そーなるまで、成長なんかしなくていいんです。 だから、いつだって安心して、今の自分の味方になりましょう。 → (わたしは、まだまだ未熟だ(てんでダメだ、自信ないし・・・とゆーよーなあれこれの否定すべき面が、わたしにはある)から、もっと努力しよう、なんて思わないことです。人の命(ミナモト)も人のからだも、そーゆー陰気で窮屈なのはキライです。でも、あなたや大昔のぼくみいたな(さぼるくせに、気持ちだけは)ミョーに真面目っての多いのよ、この北寄り農耕民族には。そこで無事更生したはるジーが「陽気に、楽しく、ポジテイブに成長していく方法の伝授 」講座とゆーのをそのうち、たぶん、もしかしたら、風の吹き回しで、、、、やるかも知れないから、ソントキは、いらっしゃいな。(ご案内さしあげます。そんときは。)☆ 2人のボディーワークの時に、それぞれの色を感じたんです。(略)色が教えてくれるメッセージってあるんでしょうか? なんだか、気になり出したら、聞きたくて。→色も形も、その変化も、すべてが「その人自体を現わしている」でしょうね。それは、むろん「あなたが捉えたその人」ですが、それは、あなたの「深い意識」が捉えたもので、「限りなく真実に近いその人像」に違いありません。今回、あなたはヒプノ初体験をして、「色・カタチ・その動き」で相手を映像受信する才能(タレント)があることを発見したわけです。ですから、あなたが自分がキャッチした映像を正しく解釈し、「その人の本質(の1つの側面)を的確に理解する」ことに興味を持てば、とても愉快で、痛快な「あなた独自のセッション」が展開していくことになるでしょう。それには、あなたが、『さまざまな人の色を自分の「深い意識」で見て、見たものを直感で理解する』経験をする必要があります。☆ 「聞きたくて」なんて言ったって、ぼくみたいな無才(ノン タレ)能(ント)ジジイに聞いたってダメよ。聞くなら、もっと人を選びなさいな。もし、はるジーを使うなら、せいぜい、あいつのヒプノスキルのサポートで、「あなた自身が、あなた自身の直感で、無条件に信じられる“受像した色の理解”を得る」ことでしょうね。お気が向いたら・・・Do-zo。☆ ヒプノの時、雲の中が私は、苦しくて、窒息しそうで、もがいた。 なんでだろぅ・・・ 世界征服なんて考えたから、バチが当たったんでしょうか?(笑) → バチじゃあないだろーね。あなたは、お母さんと仲良~い?あなたは、他人(ひと)に優しくケアされると、“ どーしていいか分からなくなっちゃってコマル “ってこと、なーい?これは、たぶん、あなたの人間との関係の仕方、社会全体との関わり方 ~その、好きなのと、好かんのと ~を現わしているのでしょう。もし、う~~~んと知りたかったら、(貯金でもするか、どっかからカッパラッテてきて)ヒプノを受けるこったね。ワシ、商売の宣伝する気は毛頭ないの。そんなに勤勉じゃないからさ。ただ、ワシの知っている色んな精神探求技法の中では、ヒプノが一番効率が良いの。それだけのこと。よしなに、Do-zo。でもね、べつに何にもしなくたって、今のままあなたは、十分じゅうぶん素敵なんだからね。そこんとこ、よろしく(お伝えください。) あ~あ 年寄りの話は、長いなあ~。ども。 はる ~ ☆ ~ あなたは まさにあなた自身を生きていますか?先日、あるアメリカ人に「主体性とゆーのは、ナンですか?」と問われた。主体性というのは( わたしは、まさにわたしを生きている )という実感のこと。それは、命(ミナモト)とひとつになった時、はじめて生じる実感で、命(ミナモト)とひとつになった時の『ごく当たりまえ』の感覚です、と、答えておきました。Are you OK? ~ ☆ ~命(ミナモト)と結びつくハナから蛇足:・成果を追うのはやめましょう。 展開する現況とともにありましょう。・未来(成果)のために現在(からだ・いのち・まごころ)を蔑(ないがし)ろにするのはやめましょう。 そのやり方では、 いつまでたっても幸福を実感できませんから。 ~以下 割愛 ~
2009年09月18日
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~ ☆ 古い日記 ~ ☆ ~
2009年09月17日
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~ ☆ ~ ~ ☆ ~
2009年09月17日
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09 9 17 日記 18日
2009年09月17日
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18日 ‘Kさんが、「CHさんは、『For yorの人 』」だ、と言う。 聞いて、ぼくは( そーかなー?)と不信だった。 そもそも人間に『For yorの気持ち』は、有るのだろうか? (『For yor行動 』をしたい!)という情熱は、人間に有るのだろうか? ぼくは「無い」と思う。 (※例外は、子を生んだ母親が、幼少期のわが子に対して保有する気持ちであろうが 男のぼくとしては、 ( あれは、『For yor』では無く『未分化(一体)のFou me 』ではなかろうか?) と疑っている。 しかし ともあれ ~ まるで瞑想をするように ~ 『For yorの心理状態 に入る』ことは出来る。いつでも できる。 というのが、 ぼくの「愛他精神」に関する「思い」ですが、 あなたのご見解は? ~ ☆ ~ ----- Original Message ----- From: > To: ??????@cy.tnc.ne.jp> Sent: Thursday, September 17, 2009 10:24 AM Subject: 17日の日記
2009年09月17日
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~ ☆ ~ 。 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@cy.tnc.ne.jp> Sent: Wednesday, September 16, 2009 10:21 AM Subject: 16日の日記
2009年09月16日
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~ ☆ ~ . ----- Original Message ----- From: > To: ??????@cy.tnc.ne.jp> Sent: Wednesday, September 16, 2009 10:21 AM Subject: 16日の日記
2009年09月16日
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☆ 正気と狂気の中庸 正気というのは、他人(ひと)とまじって生きられるモードです。 狂気はモードに入ったら、他人(ひと)とまじって生きるわけには参りません。 それは、ぼくの良心?か なんか が許しません。 そこで、ぼくは「他人(ひと)とまじって生きる機会と時間量」を極力減らし、 たいていの時間、狂気モードで生きています。 それでも(自分で好まないのに)、正気モードに舞い戻ることが、まま、あります。 生来、小心な貧乏性なのです。 そんなぼくの正気モードが面白いわけありません。 実にツマラーンじじーです。 正気モードというのは、誰の場合も、 ~ 自家製の恐怖を基盤にしていますから~ 「なんの面白味もなく、エゴイステイックで、魅力のな~いシロモノ」ですが、 ぼくのはトリワケ貧弱卑劣です。 ですから、いきおいぼくは、「狂気の自分」が好きになります。 あしからず。 ----- Original Message ----- From: > To: ??????@cy.tnc.ne.jp> Sent: Wednesday, September 16, 2009 10:21 AM Subject: 16日の日記
2009年09月16日
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☆ タイプ9 タイプ9に生まれついた者たちが、どうしてもなび(なび9)いてしまう【固有の誘惑】は、 「怠惰でありたい」というものです。 これは、タイプ9である彼彼女らの ( わたしは弱いもの )という幼い自意識から発しています。 タイプ9は、人間的な感覚が聡いので まだ非常に幼いうちに、( 自分は一個の人間である。)と自覚します。 つまり、肉体の生育速度よりもウンと早く 「人間としての目覚め」るのです。自意識オマセですね。 そんなタイプ9は、自分を幼い者と自覚してこの世のすべての事象に 出会い、目撃し、体験を重ねますが、実際のところ、 ( 見てるだけにしたい )と思います。 正しく客観的な判断です。 なにせ彼らは、生来聡いので、 「はた迷惑にならないよう」幼い内から気を配れるのです。 この「はた迷惑にならないよう」というのが、タイプ9の生涯を通じても人生哲学です。 じつにケナゲな人たちです。 でもしかし、 タイプ9も、ふつーの人間です。 よって、( 見てるだけにしたい。)という自分の根源的な欲求を ( さぼっていたい。『手抜き』モードで生きて行きたい。)という具合に 自分流に卑下して、解釈し、 自分を『なまけもの』と規定します。 自分の観念が自分を創っていきますから だんだん、そーゆー人間に成っていきます。 すると当然、 他人(ひと)も世間も、 タイプのもの達を 「どーも根は、『なまけもの』みたいだなあ?」という不信任の眼で見ます。 観念(イデア)の悪しき連鎖循環です。 しかし そもそもタイプの ( この世の事象のすべては、見てるだけにしたい )という自己解釈は ( この世に埋没したくない。) (この世に執着するエゴを育てたくない) (もっと 透明で 澄み切った 清らかな自分でいたい!) というタイプ9のスピリットの決意(意図)なのです。 人間なんかに堕するものか! これが、タイプ9の原初の決意(こんじょう)です。 わたし、タイプ9です。 すみからすみまで 皆々様 ずいーーっと ど~ぞ よろしくお願いいたします。
2009年09月16日
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☆ 「前向き」でいることにくたび(くたび?)れました も~ つかれちゃったな。も~ いいな。ぜんぶ おわったな。 もう あたまに なんにも うかんでこない しな。 ただ ここに いるだけ ただ いるだけ いるだけ いるだけ いつまで・・? うつろぼんやり “ みんな 通り過ぎていくもの達なんだなあ ”と おもいます。 地球にも 太陽にも寿命があると 教わりました。 宇宙そのものも いずれ どーかなっちゃうそーです。 ずーと ずーと いつづける 在りつづける ものは なんにも無いそうです。 でも いま みんなで ここに共生しています しています しています 息しながら・・・ せめて ひそやかに ここに 溶け込もう ♪ 溶け込み とろけ込み 0にまじり 0に帰り すこし やすまう
2009年09月15日
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☆ 質問させてくださいQ1.女は 自分のエゴが好き男は 自分のエゴが嫌いですか?☆ 自問自答:「トシをとる」Q・「トシをとる」とは、どーゆーことか?A・「もう、ここに、いなくてもイー人になっていく」ことです。人としての、輪郭がにじみ、影が薄くなり、だれにも(人間的に)注目されなくなり、いてもいなくてもドーでもいい人になっていく,ことです。トシをとっていくと体力が微少化してきます。ピクルスのガラス瓶が空けられなかったり、します。もー生活的雑務を自分でしなくてもイーのです。ご隠居さんは、御役御免。そばめサン、どーぞこちらへ。からだの性能・能力が低下します。走る・跳ぶ・俊敏に、というよーなことが不可能になります。箸を持つのも重いので、食べるのも、短時間に少量です。むろん、もー狩にも戦争にも出なくてイーのです。「終わった人」であり「再オミソの人」です。そばめさんを孕ませることも無い・・かも知れません。「しない自由」もあり「したければする」自由もあるのがロージンです。( ただし、他人(ひと)にイヤがられない範囲でね)トシをとると、気力が微少化してきます。万事なんでも ちょっとウマク行かなくなると、すぐさまアキラメます。とてもすがすがしい気分です。トシをとると、すべからく平和主義になるので、(いまだにヤバンな)人類同族としては失格者になります。左様なら。----- Original Message ----- From: >To: ??????@cy.tnc.ne.jp>Sent: Tuesday, September 15, 2009 10:21 AMSubject: 15日の日記
2009年09月15日
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☆ 人生の回想人にはそれぞれ、その人なりに「生まれ持った気質」というのがあると思います。で、ぼくのそれは、“ とても温和穏健、大人しくスナオ従順 ”といったところだと思います。ぼくを、よく知る人はモンク無しに同意してくれると思います。(こんな風に、いささか自慢とも取れることもシャーシャーと書いてしまうのは ぼくは単なる「自分というサンプルの紹介人ですから・・・。) で、 生来“ とても温和穏健、大人しくスナオ従順 ”な ぼくなのに どーみても、そーとーヤブレカブレの破天荒人生を進んできたなあ・・・と おもいます。自分では、ですが。 いったなぜ、こーなったのでしょ~?part 1思春期、異性が気になり始めたころ、このころからぼくの(もと妻にいわせると)「不良性」が芽生えてきました。つまりは、異性に対して“ どんな自分としてアピールするか?” なのですね。成人後の性格(パーソナリテイ・人となり)というのは。 ぼくは、高校生のころから、ちょっと気取ってカミュ・実存哲学・アウトサイダー・時代の先駆け・野にあるもの系をやっている内に、商業的に「ニューエイジ分野の人」に入るようになり結局、 出家(出社会)・孤独孤立って感じの人生航路になってしまいました。 part 2以下:出会った女性。友人。本。行った国。世相。哲学。ヒーローなどの章。 ~ ☆ ~ 単独表現者は心優しい毎週土曜日のTV番組「カンブリア宮殿」を楽しみにしています。毎週のように見ていると、司会の作家村上龍さんは、おおかたのTVタレントと違い「温かな人」なのだ、と判ってきます。作家の中で村上龍さんは、格別温かな人ではない、と思います。それでも、多くの芸術家のように自分単独で表現する者というのは、~やはり、人間の普遍的苦しみを知っているので~ 温かなココロになるのだと思います。「暖かな人」というのは、「こころの近くにいてくれる人」ですね。そーでないといけないはずの葬儀のときのお坊さん、お医者さん、はたまた弁護士、政治家、最近はお店の売り子さんに至るまで、まったく暖かく無いですね。 TVに出て来る人で、いささかでも温かみを感じるのは小池栄子 上路祐輔 キタロー ぎりぎり上沼美恵子氏らあたりです。ぼくのバアイ。あなたは?☆ 人類共有の意図ここに 生まれてきて ぼくたち生物は、“ ここに 居つづけたい ”という意図を共同で担(にな)う。そして ぼくたちニンゲンは“ 生き続けたい ”と人間的感情・思考・観念総動員で願う。ニンゲン松本東洋が 生まれて最初に持った意図は“ おっぱい のみたい ”だった。ぼくは 生きつづけたかったのだ。人並み、生物なみに。食べて、生きることこそ第一命題。10代のころ ぼくが打ちのめされた奥州民謡がある。♪ 食いてえ 食いてえ 言わねえから 生かしてけろ ♪たくさんの人が言う。( おいしいものイッパイ食べると シアワセになる )と。 誕生以来700万年、餓えの恐怖からひとまず解放されて100年、今やぼくたちは 慢性飽食の習慣を身に付け、ダイエットに勤(いそ)しみ遺伝子を操作しクローンを造り 死を遠ざけ不老不死に向かって邁進している。ぼくたちは 生き続け、なにをしたのだろう? ぼくたち人類の共同意図は? ☆ ぼくのバアイの妄想と意図自分が“ ひとり ”じゃないつもりに なっていたり自分が“ いつまでも生きる ”気になっていたり する時があります。素面(しらふ)で妄想ジョータイなわけです。こーゆーことをしていたのでは“人を生きている”と言えない と思います。われながら。。。世界は、自分のために在るノデハナイ世界は、自分を在らしめ、かつ、自分が、世界を在らしめるのを待っている。つねに “ 素面で正気を保て! ”☆
2009年09月12日
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~ ☆ 引きつづき 寝たまま 両手をパッとひらく 両手を思い切りひらく。 親指と小指を最大限まで引き離す。 親指を反らさず、水平扇型に。 ゆっくり吸った息を とめて 自分のからだを点検する。 首筋でコッテイルところは無いか? 顎のリンパはOKか? くび喉に詰まりは無いか? 肩甲骨をゆらす・・揺らす・・揺らし・・飛立つ! 足の指もひらく 両手を思い切りひらく。 ゆっくり吸った息を とめて 自分のからだを点検する。 顎の下リンパはOKか? 寝ながら、骨盤を自由に、すき放題に回転させる、渦をまく。 エネルギーを自己発電する。 からだを暖める。 、
2009年09月12日
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☆ 他人(ひと)が、自分を見せてくれる エニアグラム・タイプ3のNさんは、まあまあ温情家の民宿のオヤジである。 たいていの日、昼まっから安楽座椅子に寝そべって、テレビ映画を見たり、 そのままウトウト眠りこけたりしているふつーの男、だが、 ひとたび 【自分の利害が絡むモンダイ】になると、その人間性は豹変する。 瞬時にしたたかな打算が働き、自分がソンには決して決してならないぬよー、 自分のトクは絶対手放さぬよー 最良の方策をまたたくまに編み出し、即実行する。 いやはや大したものである。あっぱれ舌を巻く。 の、だが、 そーゆー面を出して生きている結果、 Nさんはコマゴマアレコレのものを手に入れ、代償に失ったものも多い、と思われる。 いままでの人生でコマゴマ手に入れたものの総計で、 Nさんは中流の中くらいの生活をしている。大したことない。 つつましいものだ。 で、彼は『人間に対する温かみのある信頼感』など、たくさんの『うれしいもの・美しいもの・感動的なもの』を自ら失って行っただろう。 かくし今56才。タイプ3おのこNさん、こころ寂しい臆病オヤジになっている。 まことに、他人(ひと)が、自分の一面を見せてくれる ,
2009年09月12日
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☆ 死のシュミレーション 昨夜、自分が死んでいく夢(みたいなの)をみました。 夜もふけたころ、寝床でもの想いながらタバコを吸っていましたら、 突如なんの前触れもなくぷっつり脳の血管が切れたみたいでした。 急にヘニャへニャっとからだから力が抜け、 手に持っていた火の付いたタバコが、畳に転がりました。 ( 火事にしてはイケナイ!)と思う、ものの、 なにかを『思う』だけで、破けた脳の血管からますますどくどく血があふれ出し、 たちまち死んでしまう、よ~な気がします。 不安になりました。 あのひとの名を呼びました。 (※亡母ではありませんでした。Muron。) ますます不安はつのってきました。不安に呑み込まれそうです。 こわさの余り、『今しばらくの生』を願いました。 そして、( こんなふうに自分勝手な望みを願うからには、なにかイーコトするって約束しなくっちゃ釣り合いが取れないな。)という殊勝な気持ちになりました。 このへんが「いい家のボンボン」なのでしょうね。自分ながらスナオだと思います。 そして、こころのなかで ( ちゃーんと ぜんぶ 自分をあらわします )とアフォー(アフォーん)メイション(メイション))しました。 それから、たくさん酸素を吸い込んで、胸に広げました。 そのまましばらーく(死なないで)時がたったよーで、 気づいたら、 朝、夜明けのカラスが鳴いていました。 ~ ☆ ~ ある日あるとき もーれつに悲しくなって 淋しくもなって だれかに なにかに 架空のなにかしらに 甘える気分にひたってみました。 ウソと判っていても すこーし 気分がほぐれ すこーし うっとりしてきます こころに さまざまな想いが浮かんできます。 さまざまな願いが現われてきます。 それらは よーするに( ぼくを愛して!)とゆーサケビです。 そのサケビを わざと いく度も心の中で叫び続けてみたら 66才のぼくのこころのすぐ内側は ( おっぱい のみたーい )とサケンデいるのでした。 ( おかあさーん おっぱい のみたーい おかあさーん ) ああ、これがマザー・コンプレックスの源泉か、と納得いきまた。 たったこんなこと解るのに、66年もかかりました。ぼくのバアイ。
2009年09月11日
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☆ 歩く ・足裏の内側かかと から着地。 親指で 蹴る。 ・ヨワイ66歳 歩いていてモモが上がりません。 上げた位置が、情けないほど低い。 大腿四頭筋の膝内側部分がヤワになっている。 積年の不摂生の溜まって、老化の一途を辿っています。 ケシカラン奴です。 でも、だからといって、 ( これからは、健康を願って{ モモを高く上げて歩こう!}などと決意してはダメ。 それは、からだへの暴力。からだへの抑圧。 諸悪の根源。 ただ ひたすら 股関節さんに“ どうぞ円滑に回転してください ”と、お願いすること かならず回転してくれるので、お礼に酸素をたっぷり差し上げます。 ・『歩く』というのは、足を交互に前に出して前進する運動ではありません。 股関節の付け根をリズミカルに回転させる運動です。 股関節を動かすエネルギーは、丹田があやつって(司って)います。 ・こうして歩いていると、からだ的必然で “ 首の内側をスッと素通しにしたい ”欲求が湧いてきます。 それに従い、首すじをやや前に倒し、両肩を開きます。 そして、 吸う息と共に、目(まな)尻と眉が上方に引っ張り上げられる、 とイメージします。 さらに、頭髪を鷲?みに掴まれ、グイグイ天の上方へ引っ張り上げられる、 とイメージします。 すると、 2本の脚は、ますますテンポ良く前進して行きます。 ・上り道では、首すじの前傾角度が深くなります。 ついでなので、綿密な路面観察と動体視力の鍛錬にでも打ち込みます。 ・上体が前傾するにつれ、丹田が下腹に降りてくるようです。 まだ数回しか試していませんので、しっかり確認したら、またご報告します。 あなたもさま、お気が向かれたら、 歩きながら意識を丹田に向けてみてください。 肝心なのは、あくまで“生きものとしての自分が歩いている“という想いを 持続させることです。
2009年09月11日
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☆ からだ 【 ボデイワーク 】 からだを 感じてみる すっ裸で 感じてみる 寒かったら 乾布マサツ。 目を瞑って からだを 感じて 自分を“ ただの ありきたりの生きもの ”として 感じる part 1 目を瞑って からだを 感じて 自分を“ ただの ありきたりの生きもの ”として 感じながら 伸ばしたいところを 伸ばす たわめたいところを 撓(たわ)める そうした動きに調度合う息をする 休みも入れて “ ただの ありきたりの生きもの ”の自分のしたいように する あきたら やめる ,
2009年09月09日
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素の自分 素の自分は、明るいのが好き 素の自分は、かるいのが好き 素の自分は、清いのが好き 素の自分は、おだやかなのが好き 素の自分は、愉快が好き 素の自分は、優美が好き 素の自分は、繊細が好き 素の自分は、いたわり(合い)が好き 素の自分は、天地晴朗が好き 。
2009年09月09日
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補足: 『歩く』というのは、 足を交互に前に出して前進する運動ではなく 股関節をリズミカルに回転させる運動です。 股関節を動かすエネルギーは、丹田から流れ下りて来ています。 , ----- Original Message ----- From: > To: ??????@cy.tnc.ne.jp> Sent: Tuesday, September 08, 2009 10:31 AM Subject: 8日の日記
2009年09月08日
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未知のYOUへ 1943年生まれのぼく から YOUに 贈らせください ~ ☆ ~ ☆ 人は群れて生きるもの ぼくは、いつも個別感と有限感を感じています。 なので、存在自体として、とてもせつないし、とてもこころ細いです。 なので、『なかま』を求めます。 生まれたときから、身近にある『家族』は、目に入りません。 生家の家族家庭で自足してしまったら、『自分のつながり』というか 『自分のネットワーク』というか「自分のご縁の輪(自分のコミュニテイー(コミュニテイーい))」が広がりません。 この宇宙は、なんでも「広がっていく」原理ですから、 ぼくたちも当然、生家の家族家庭は(しばらく)無視して、 『自分のつながり・自分のなかま』を求めます。 これは、みんな同じでしょ? みんな、恋人が欲しくなるでしょ? そして、あいぼー → 家族 → 一族 → 同族(国家) → 同類(人類) と共に生きて行こうとしてるじゃない。 そして、たいがいの人はなにかしらの特定集団(企業や団体)に属して生きていってるじゃない。 みんな群れて生きてます。 ☆ 個別感と有限感 ところで、( これまた みんな同じでしょうが )、 ぼくの感じている「存在の個別感・有限感」は、ぼく固有の感覚であって この世界に「個別や有限が厳然と在る」わけではありません。 でも、ぼくは 「人間ならではの個別感・有限感に閉じ込められている」ような気がしていて、 とても不満ですし、とても悲しいし、怖いし、キツイです。 ☆ 20世紀 人が、そんな『個別感・有限感=孤独』を強く感じるようになったのは 近代(産業革命)からのようです。 ――――― 近代の絵画を数点挿入 ―――――――――――――――― (ムンク・叫び。) こんな気分になって。 (ゴッホ・晩年の糸杉。) 狂っちゃったり (ゴーギャン。) 自然回帰したり (クリムト・母と赤ちゃん。) 胎内回帰を望んだり (シャガール。) 夢の世界に逃げ込んだり (チャップリン・モダンタイムス。) 大いに抗議したり いろいろ姦(かしま)しく、各人各様に忙しいことになりました。 “ Who am I? わたしは、何者?” が、みんなの課題になりました。 なので、猫も杓子も『アイデンテイテイー』なるものが、まるで必要なような気分に させられています。
2009年09月08日
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☆ 進化をうながす意地悪 ぼくが、初めて歩いたときのこと。 ( → 詳細割愛。要点は「ぼくが、母の愛情と期待に応えたい、落胆させたくない、という動機で決意し、行動した」点。) 以来付いてしまった癖は、 (いつも、お腹(特に横隔膜)に力を込めてガンバろう!)である。 きっと、そのせいで 胃潰瘍になったのだ。 人生全般が、鬱傾向なのも、これが原因かも。 ぼくもまた、(前の章は省略)あのひとと同じく「こーしたくてこーしている」のではない。 好きで、いつもいつも慢性的に “お腹(特に横隔膜)に力を込めてガンバっている”のではない。 幼児のころ以来、そーなってしまっている。 これは、きっと 「ぼくたちボンクラ者でも、“『自分』というのは『改良の練習をするための材料』”なのだ、と気づかせるためなのでしょう。 わしら、痛~い目に遭わないと、な~んも変えようとしませんからね。 ちなみに、ぼくは本能系人間です。 ☆ 情けなし (自覚メモ) 生まれてきて1年8ヶ月ほどたつと、 ぼくらには“ 自分は自分だ ”という意識が確然とそなわってくるそうだ。 そしてそれから、 ぼくらは、各人各様“ ここで生き抜いていく作戦 ”を立てていく。 ぼくの場合は、どーやら、 “ 愛想良くやっていく “で、こここの世で、順調に ~平穏無事に ~生き延びていこう、という基本方針を固めたらしい。 ぼくという者には、そーゆーところが随所随所・諸事万端・年がら年中見られる。 ケッコ― なさけない。 ぼくは、タイプ9です。 ~ ☆ ~ そして、ぼくは 『ぼくに“ 愛想良くやっていこう “と思わせるような愚劣なこの世 (人間の集団で創っている世界)に対して義憤を覚えている。 ここが、ぼくのタイプ1的なところ。 だからいっそ、タイプ3のように、 この世に対して “ 愛想良~くやり “、うんとここさお金モ~ケでもして、好きなよ~に 生きていけばいいさじゃん ♪ というのが スーフィー・エニアグラムの親切な教えなのだろう。 ☆ あなたは、タイプなに、ですか?
2009年09月07日
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怖いから 守る? 守るから 怖い? 「そーゆーこと 興味ないっす」はる平 , ----- Original Message ----- From: > To: ??????@cy.tnc.ne.jp> Sent: Monday, September 07, 2009 10:28 AM Subject: 7日の日記
2009年09月07日
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松本はるの 自己実現 序説 あなたの、そして、ぼくの 自我(エゴ)が、なにを望もうと、それは さておき あなたの、そして、ぼくの 自己(セルフ)は、自分が快適 comfort であることしが望んでいない。 それがナチュラル。 それが純粋。清明。 そこは ほのぼの 明るいところ。ほんのり日の照るところ。 ~ ☆ ~ ぼくは《 自己中心 》で生きるひとしか信頼しません。 自分をすこしでもさげすんだり、卑下したり、粗雑に扱う人もダンゼン信頼しません。 そーゆーひとたちは、『まやかしの自分』を『自分自己』と錯覚しているのでしょう。 快適comfort主義は、 自愛主義であり、他愛主義であり、平和主義であり、共生主義であり、 万物宇宙に感謝を奉げる人たちのものです。 ~ ☆ ~ Comfort :原義「強きもの」。おそらく、これは言葉が音声だけだった時代に 意味していた内容です。 言葉が文字で書かれるようになってからは ~ 農業が起こり、王様国家ができるようになってから ~ Comfort :砦・要塞・軍隊駐屯所という意味に変わりました。 「快適さは武力で守るもの」という思想になったわけです。 そして、アメリカでは、 侵略白人がネイテイブ・ピープルと物々交換するの交易所の意味でも使われました。 ヤクザな白人連中が、現地の人たちを散々騙していたのでしょう。 人は、悪いことをするときはコワガリになります。 コワガリになっているから、「自分を守るcomfort=砦」を欲しがったのでしょう。 人類は、「国」というものを造って以来、平和幸福に生きられなくなっています。 そーユーモードで生きるのってそろそろ、「変わりどき」しょ?
2009年09月07日
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空空漠漠の記ぼくは からっぽ 空空漠漠だれか 支えて! ・・・ダメなのね。んじゃ、ナニかで自分を支えよう。【サンプル】・「自己拡張欲望」で、自分を支えることにした者たちは あたりの者を配下に収めるボスになっていく。・「他人(ひと)と関わりたい欲求」で、自分を支えることにした者たちは 人間集合体をつくっていく。 (※民族・国家・社会・企業・団体・家庭・恋人など。)・「考え」で、自分を支えることにした者たちは 主義・思想・宗教なんやかや、なにかとカシマシイ。・「仕事やお金」で、自分を支えることにした者たちは いつもセワシナイ。 ぼく からっぽ 空空漠漠。
2009年09月07日
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☆ これって 男性原理? ぼくには「はんぶんの夢」があります。 それは、自分が 対象や相手の無いままに 近くに来るいっさいを 愛でいっぱいにするハート になることです。 「はんぶんの夢」です。 本気になったらウソになる志です。 やっぱり、ぼく(タイプ9)は ↓ですか? あるいは はんぶんであれ 夢とか志とかってゆー言い出すのって、男性性ですか? 女性の方って、こんなこと思わないのですか? 教えてください。どうぞ よろしく。 ☆ ぼくの夢デザイン 自分の中で “ 誰かれなく、近くに来るいっさいを愛でいっぱいにするハート”に行き着くまで 進もう!というふうに思っていると、元気づくからイーんです。 こんな便利な方法、めったに無いし、これ、ただ「思うだけ」だから無料だしさ。 でも、逆に言うと、 こーゆー上位観念が無いと、自分という者が成り立たない感じなんだ。 格言に、ゆーでしょ? 男は、なにか(だれか)のためなら、死に物狂いにもなれる。 男は、“ 命(あるいは見栄)の賭け処 ”を持たないと、まるで腰抜けになる。 だもんで ぼくは夢みます ~ ☆ ~ あなたを見て あなたと ひとつに あなたの中に入り あなたに呑まれ SI-FU-KU! あなたに、 ぼくの{想い}のすべてを 捧げる あなたのシアワセを見ることが ぼくのシアワセ そのとき ぼくは 自分をほどき 自分を0にし ようやく ようやく なつかしい“自分の無い自分“に帰り着きます ありがとう あなた あなたのこころが、 永劫に晴れていますように こころから \(^o^)/ (注:「夢見る経験」解析 現れたイデア: 幻想・同化・歓喜・自己放下・奉仕・ 自己存在の正当化・贖罪・愛他・ 自己解放・無私・望郷・帰着・ 感謝・祈り・ 余韻・幸福感・幻想・自覚・孤独・出合い・同調・分かち合い。 幸福な共生。スピリット・ルネサンス。 ~ ☆ ~ と、上記のよーにコラム化にまでしないと、 “自分が生きてる気”がしないのです。 これって、男性性ゆえ? どうぞ よろしくお願いいたします。 。
2009年09月05日
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~ ☆ ~ あなたの胸に “ 海 “を想い浮かべてください。 そして いま あなたの胸中にあるものを 教えてください。 ~ 海から思いつくイメージは、その人の「愛の傾向」を現しているのだそーです。 例:かつてのぼくは、 “ 夏の陽光 キラキラ キラ(キララ)めく 海面の波柱“を思い浮かべていました。 それはやはり、こころの奥にある「ビキニ姿のお嬢さん」 の暗喩だったのでしょう。 いまの ぼくは “ 海辺から つかず離れずの青天を 自由に舞い飛ぶカモメ ”を想います。 これはやはり、 “ 愛する人に ぼくからつかず離れずのところを 優雅に 自由に 軽やかに お気楽に 舞い飛ぶぶように 生きていて欲しい“ という思いの暗喩だと思われます。 という次第で A:ぼくは視覚タイプです。 自分の愛の情景(対象の『見た目』も含めて)にこだわ(こだわの)る。 B:聴覚タイプ 相手の内面性に拘る。 C:触覚 “ そばにいて安心 か どうか? ”に拘る。 D:嗅覚 セクシーさに拘る。 E:たとえば「ブランドもの / 人』 → 地位・名誉・世間体の良さなどに拘る。 あなたは?
2009年09月05日
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愛 むかし付き合っていた ある女性(精神分析医)が 「 愛なんて言葉 無ければいいのに」と、しばしば言っていた。 いわく、 ( 愛なんて呼ぶに足る“美しくもあたたかな心情 ”なんか、人間には無い。 あると思うのは幻想である。 なのに、「愛」なる言葉が 堂々世間をまかり通っているから ソレを無闇に欲しがる人や 、 “ 自分は冷たい人間だ ”と自己を卑下し、恥じ、責め、 挙句、つまらない人になったり、するのよ!) ~ ☆ ~ でもさ、Ayuさん、 あなたが、こんなことを口とんがらせて言うのは 「みんなへの愛」なんじゃな~い? .
2009年09月04日
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☆ ダンス わたし 空っぽ わたし 素通し わたしを さざ波 透きとおり ゆるゆる通りすぎ・・通りすぎ・・ わたし イキする ☆ すると からだの細胞たち 酸素吸って 水素飲んで 元気げんき すると 無形無名のエネルギー “ わたしの全体 ”から立ち昇る “ わたし ”という現象 外部環境のさまざまな事象から、わたしの五感は刺激を受ける。 わたしの五感(をつかさどっている本能意識)が 受容(歓迎)する刺激もあるし 拒否(嫌悪・恐怖)する刺激もある すべての事象刺激は、わたしの五感からわたしの脳に、信号伝達され わたしが自分流に解釈し わたしはナニカシラの感情を内部に創り出す。 また、 この時の特定の感情に見合った思考が、脳を駆けめぐる。 ( 考える。画策する。 関連する過去の事象を思い出したり、なにか思いついたり、 それが怖くなったり、恥ずかしくなったり、いろいろした末 ) なにかしら理解する(した気になる)。そして、 決意する。 意志が生まれる。 行動する。 ( ときにトンダ目に遭う ) というのが この松本東洋ジーという者の(あらかたの)現象です。 猫のソラ君と、ほぼ同じ。 part 2 わたしはもう随分長く、上記の現象活動を続けている。 その「エネルギーの持続力」に感心してしまう。われながら。 エネルギーちゃん ♪ わたしの中のミトコンドリアという所で、わたしのエネルギーはつくられている。 ミトコンドリアにいらっしゃる酵素さんたちが大活躍してくれているお陰らしい。 とりあえず 感謝したい。 ども。 (ミトコン ↓ ) ( 酵素 ↓) 核酸塩基代謝に関与するプリンヌクレオシドフォスフォリラーゼの構造(リボン図) 研究者は酵素構造を抽象化したリボン図を基質特異性を考察するときにしばしば利用する。 基質に結合する酵素。クリックで拡大・説明 基質に結合することで誘導適合する酵素。クリックで拡大・説明 ☆ ぼくは、日に数回 ( 酵素さん たくさんイキしますから いっぱい酸素吸ってください。) ( 酵素さん たくさん食べましたから いっぱい水素飲んでください。) と祝詞を捧げています。 これが、わたしのケンコーの秘訣。 ☆ いたずらに ケンコーだけが取り柄のじいちゃんになりました。 ずっとずっと、赤ん坊のころから、外部から刺激を受け、自分なりに反応し ~ 感情やら思考やら、毎度ゴタゴタ引き起こしつつ ~ なにか行い、生きること、 にアキました。 わたし 空っぽ わたし 素通し 透きとおる さざ波ゆるゆる 通りすぎ・・通りすぎ・・ わたし イキする OWARIさんが やってくるまで .
2009年09月04日
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☆ だ~れの言葉か? 国の偉大さや道徳的な発展ぶりというものは、 その国における「動物の扱い方」で判るのもんじゃ。 "The greatness of a nation and its moral progress can be judged by the way its animals are treated." * 目的を見つけろ。大義は後からついて来る。 "Find purpose, the means will follow." * 明日死ぬかのように生きろ。永遠に生きるかのように学べ。 "Live as if you were to die tomorrow. Learn as if you were to live forever." * 弱きものは赦すことができん。「許し」とは強きものの性質なのだ。 "The weak can never forgive. Forgiveness is the attribute of the strong."
2009年09月03日
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☆ 「からだ」は最初の他人 ぼくたちは、なによりもまず「意識」を持っています。 意識があるから、「自分は自分」と思うわけです。 ここから、いっさいが始まっていますでしょ? ~ この「意識」なるものは、「自分は自分」と思っているだけなので ~ ほかにはなんにも無いので ~ 何か「自分でないもの」が無いと、自分に気づけないのです。 神さまといっしょ。 で、ぼくらは首尾よく、 お母さんのお腹の中で、「からだ」というもの~ のちに「からだ」と呼ぶもの と教えられた「手ごたえある、自分じゃなもの」~を発見しました。 かくして、ぼくらの「意識」は自立したわけです。 次に、意識が発見したのは「お母さん」です。 人として生まれて、いろいろストレスを経験し、ある日ある時、お母さんのことを (あっ! これ 自分じゃないんだ!)と気づいたあの歴史的不幸の瞬間、 ぼくらの意識は「お母さんという第二の他」を発見したわけです。 こーして、2つの「他」を発見することによって、 意識は「自を含めた三位一体である自己」を確立させました。 大したものです。あっぱれお見事 \(^o^)/ PACHI PACHI PACHI! といっても、まだ、 この「自己」ちゃんは、“ 自他の区別バクゼ~ン ”状態です。 人類は、成長がノロいんですね。 親に手を掛けさせるよーに設計されている類です。仕方ありません。 ぼくら自身で決めたわけでもなさそーですし・・・。 でも、女児は、 少したって ~ さっさと愛なんか知っちゃって~ 「お母さん」のことを(こいつ、ライバル!)と、その社会性能力を正しく使って 判断するのですが、 男児っちゅーやつらは、“ 自他の区別バクゼ~ン。ほとんどお母さん=ぼく”状態が、 ずっと死ぬまでは続きます。 よって、男はみんなマザコン(マザーに意識が集中しているわよ!) と言われても、これまた、仕方ないっしょ。 ね、たもちゃん。← ぼくの養子さん。 さて、 からだ ぼくらの進化は、からだにとって「イヤなことだらけ。不満いっぱい」です。 からだは、2本足で立ってたくなんか、ない。 2本足で立ってるんなら、腰(骨盤)は立てておきたいけど、 ずっとそーしてると、疲れちゃう。 だから、腰(骨盤)をグンニャリ脱力させたくなる。でも、そーすると 圧迫される胃腸やら血管やら神経組織やらが嫌がる。 いつでも、どこでも、遠慮なく嫌る。困る。 ぼくらのからだは、こうした自己内部の葛藤とともに生きているんです。 さらにまた、からだは手のひらに石だの棒だの持っていたくないのに、 ~ ちょっとの間ならいいけど、すぐ飽きるから・・・ ~ さっさと捨てたい。 手は、いつも自由でなくっちゃ。 でも、昨今は ~ ここんとこ12000年くらい ~ そーはいかない「生きる方法」に なってしまいました。 では、お満月の夜に ♪ 踊って、歌って、憂さ晴らしましょ ☆! しかし、これでは済まなかった。 近代以降、ぼくらは、時間通りに眼を覚ます。時間通りにメシを食う。 時間通りに働き始め、時間通りに終わらせる、 なんて曲芸を自分(からだ)に強いるよーになりました。 嗚呼、何たる暴力。なんたる圧制。もーみんな半病人状態。 こんな調子で生きていて、「体」に 走る、跳ぶ、 手先が器用、 身体がしなやか、持久力、リズム感、 健康管理など、 物理的人体に関わる力を発揮しろとゆーはムリ。 はじめッから、ちゃんと正しく学習しましょう、 とゆーのが学習学の要諦でありましょう。たぶん。 で、それには、どーするか? ( いずれ ) ~ ☆ ~ からだとは、仲良くなりましょう。 対等」は当然として、ちゃんと「尊び」ましょう。 そーすれば、からだは(驚くべき素直さで)、ぼくらの「感・知」を スコヤカに、かつ鋭敏にしてくれます。 そーして、はじめて 「徳:I love me. I love ONE. I love you.」のこころが現れてきます。 ☆ まず、 ここ1万2000年ほどの「反自分本来意識への隷属」をやめて からだを尊び、「感じるこころ」で未知を探求し、 貯えた「知識:智恵」から覚醒・超越へ至りましょう。 それだけが、人類を救済する道です。たぶん。
2009年09月03日
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☆ 人類史ダイジェスト 今の世界状況は、民族の棲み分けから始ったよーですね ざっと700万年前、アフリカに生まれた「ぼくたちの過去たち」の中から 20~180人(とても非確定なのですが、いずれせよそれくらいの過去)が 遠くに生きたい熱病に罹って、出て行きました。 それから200万年たった今、ざっと68億の「ぼくたちの現在」が世界の各地で、各種の民族になって生きています。 「生めよ、増やせよ、地に満ちよ」の指令は、十分に果たしました。(もーずいぶん前に。) 元祖アフリカ人は、古代からさほど変わらぬ暮らしを続けていますが、 出て行った人たちは、なにかと進取の気象に富んでいて、各地でさまざまな文明文化を 興しました。 アラブ:古代エジプトとの接触で、濃密にして美術的妖術的な文明文化を創り出しました。 ところが、西洋民族がキリスト教を狂信して以来、西洋世界の略奪行為との戦いに明け暮れています。 戦闘能力に格段に劣るので(向いていないので)、もーヤブレカブレ、かっての 日本特攻隊を真似た自爆テロをやっています。 インド:ヨーロッパ系アラビアン(アーリアン)として独自の高度文化を編み出しました。 近代のイギリス侵略を追い出して半世紀も過ぎ、 西洋民族が不器用にも作り出したIT文化に乗じて、そろりそろりと王座獲得に動き始めたところです。 西洋(辺境ロシアまで):古代ギリシャ文明からして、他民族の奴隷を土台に成り立たっていて、ローマ帝国時代も古代エジプトとの領土争奪戦、内部権力闘争戦に明け暮れ、いまも構造的不変。 そのため、武器兵器(おまけの医術)に特化した文明を築き、20世紀初頭以来、本格的に全世界を制覇つつあります。 アジア ・中国:古代に世界一を達成したので、その後はのろのろ、ケッコウ愚鈍。 いまも、取柄は「人が安く働く」とこだけ、になっています。 ・日本:海を隔てた中国・朝鮮に、「日い(い本)ずる国」と自称したりして、 古代からずっと「チビのくせに気が強い」。 そのまま現在は、西洋世界の一員に成れた気で、物質文明文化に埋没して います。 ・朝鮮:北部はいまも中世(意識)。南部の現在は日本と似たり寄ったりの事情です。 オーストラリア / 環太平洋諸島 / 北極圏&高地: 観光に適している順に、徐々に西洋文明に侵され始めています。 北極圏は、温暖化により石油が掘りやすくなったので、 いま急速に、西洋式物質文明&拝金主義に走り出しています。 南北アメリカ: 古代から愉快で、素晴らしい人間文化を楽しんでいたのですが 15世紀のスペイン・ポルトガル大航海時代から西洋文明に侵され始め、 先住文化は絶滅。残存民族も観光的な凋落の一途を辿っています。 ♪ 世界は 日の出を待っている ♪
2009年09月03日
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すべては、感じることから始まる。 あるいは 「感じる方」で人は決まる。 1・つねに「からだの内側」に意識を向けていること。 とは言っても、実際は、 「ひんぱんにからだに意識をむける」よう心がけながら、生活するってことです。 歩いているときなんか、理想的ですね。 まあ、やって見てくださいな。いい気分だし、本来の自分らしさが蘇ってきます。 それから、たとえば 2・音楽を脳天から流し込み、骨髄で聴くなんて手もあります。 ケッコウ震えます。 ほかにも、いろいろあるでしょう。 ご自分でご自分の「快楽的方法」を創り出してください。 で、【はるの感じるところ】レポート 人の、「原初の感じる心」には、(大切にしたい)というフィーリングがある。 丁寧に言うと、なにかしら感動的なものに出会うと,人には(尊びたい)という フィーリングが湧いてくる。 このフィーリングが思考とつながって、(仰ぎ見たい)というMチックな気持ちに変わる。 ここですでに、「思考の生み出す上下意識】が働いている。 こーなると、後はあっさり「人間的な太陽信仰や救世主願望」に結び付くだろう。 また、こーした人間的M性が人間的S性を生み出して、 なにかしら感動的なものに出会うと,それを(伝えたい)という思考を創り出し 人間的な「甘えのプロポーズ」になったり、はたまた(伝授したい)という教育的欲求になったりする。 そっち(思考がらみ)の方向には行かないで、 なおも「感じる」こと優先にしておくと、(大切にしたい・尊びたい)というフィーリングは 1. おだやかさを大切にしたい・尊びたい 2. 美しさを大切にしたい・尊びたい 3・清らかさを大切にしたい・尊びたい と3種類あるよーに思える。 1・「おだやかさを大切にしたい」は人間の原初本能から生まれるもの。 (なんのシンパイもなく、安心して生きていたい!)という生存意識。 2・「美しさを大切にしたい」は人間の原初感覚から生まれるもの。 「あこがれの存在」に自分がなりたい、という上昇意識。 3・「清らかさを大切にしたい」は人間の原初思考から生まれるもの 「崇高な存在に近づきたい!」という変容意識。 デハ、ナカローカ?(スーフィーとつなげてみました。) What do you think of this? ~ ☆ ~
2009年09月02日
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( 前略 ) 0章 わたしの こころは いつも カラカラ ひあがり ひびわれ くずれ かけている だから どうか あなたに せめて このつたない書きもの絵巻を 贈らせてください どうぞ よろしく ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー ※ぼくのPCのメモリーカードに、たくさんありますので そのうちゆっくり送らせて頂きます。 どうぞ よろしくお願いいたします。願いいたします。 ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー 0章の2 ぼくの望み ぼくが他人に分かちたいのは 『目覚める』ことです。 おそらくぼくは、そのことに仕えてれば(自分を使っていれば)、 自分自身が『目覚め』つづけていられるのでしょう。 それは、ぼくの幸福です。 ( For me ) ぼくは、 人間というものは、目覚めてはじめて“ ひと ”になる、 と思っています。 人間とは、人と人の間にいるもの。 ひとというのは、日戸・火戸・霊戸。 昔のひとは自由に書き分けていますが、いずれにせよ “ ひと ”とは、日のと(とは)どまるもの であり 火のと(とる)どまるもの であり 霊のと(とる)どまる( 止まる)もの です。 あなたは ぼくは 日の戸どまる( 止まる)ものとして 火の戸どまる( 止まる)ものとして 霊の戸どまる( 止まる)ものとして 生きている? ~ ☆ ~
2009年09月01日
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☆ 人は、顔よ。 特に眼よ。 眼の玉評論家 きしryoco( 談 ) では、ま、こころみに、はるの連想を・・・お暇なおりに . .
2009年09月01日
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☆ 眼のヒールイメージング ~ 眼を癒す瞑想 ~ ・かるく眼を瞑る ・眼球全体でゆったり呼吸する。 眼球全体がゆったり「ふくらみ、ちぢみ」をくり返す。(のを感知する) ・眼球のたがっている呼吸をさぐる。 見つけたら、その呼吸に「自分の呼吸」を合わせる。 ・すべての細胞に、呼気とともに酸素を届ける。 ・眼球全体の細胞に「いつも、どうもありがとう。」という。 ・吸気とともに、眼球全体の細胞に溜まっていた「つかれ」を放出発散する。 全方向に飛び散る噴水のように。 ・・・ 気が向くあいだ つづける・・・ ・眼の状態の変化を感じてみる。 なんら変化を感じなくとも、 (これからも、どうぞ よろしくお願いいたします。)と伝える。 ・まだ、あきていなければ、 「最も美しいとおもう瞳」をイメージして、その瞳になる。 「最も好ましいおもう視力」をイメージして、その視力になる。 ☆ ・・・いつもの自分に戻る。
2009年08月31日
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☆ 眼のヒールイメージング ~ 眼を癒す瞑想 ~ ・かるく眼を瞑る ・眼球全体でゆったり呼吸する。 眼球全体がゆったり「ふくらみ、ちぢみ」をくり返す。(のを感知する) ・眼球全体の細胞に「いつも、どうもありがとう。」という。 すべての細胞に、呼気とともに酸素を届ける。 吸気とともに、眼球全体の細胞に溜まっていた「つかれ」を放出発散する。 全方向に飛び散る噴水のように。 ・・・ 気が向くあいだ つづける・・・ ・眼の状態の変化を感じてみる。 なんら変化を感じなくとも、 (これからも、どうぞ よろしくお願いいたします。)と伝え、 いつもの自分に戻る。
2009年08月31日
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~ ☆ ~ あなたの葛藤 “ 自分 ”なるものを しょ~じきに 掛け値無いところで 観察してみて 自分は「自分の【怒りストレス】と格闘して生きている」と分かりました。 でも、これは きっと ぼくが 本能系の者だからで 思考系の人や感情系の人は ぼくとは また異なる【葛藤の人生】を送っているに違いない。 思考系・感情系の当事者に聞いてみたいのだが まあ エンリョしておいて・・・ 夜明けまえひとりで想像すると・・・ 思考系の6姫(くら)さんは 「自分のなかに絶えず浮かんでくるアシキ想像(=おそれ)と格闘しつつ人生を過ごしている」ようにみえます。 また 感情系の4姫(ゆーり)さんは 「自分のなかに ひょいひょい脈絡無く浮かんでくるフィーリングに揺れなびきつつ ケナゲに、同時に一本気に、生きている」よ~にみえるけど・・・ じっさいは ど~なのだろ~? ----- Original Message ----- From: > To: ??????@cy.tnc.ne.jp> Sent: Monday, August 31, 2009 11:18 AM Subject: 31日の日記
2009年08月31日
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================================= エニアグラムの伝える 各人格の自己実現 タイプ9は、自分の、その時時のフィーリングに嵌(は)まってしまう。 この弱点は治らないので、いっそ自分のフィーリング中枢を開放すると・・・ タイプ3は、あれこれ頭が回りすぎ “ 自分はいったい、なにがしたいのか? どーなりたいのか?“を忘れてしまい勝ち。 この弱点は治らないので、いっそ自分の頭の回転に自分をつぎ込む、と・・・ とうとう『本物の人物』になる、と、伝えられているけど・・・ ~ 途中 ☆ 省略 ~ タイプ1は、自分のエネルギーを思考にばかり使ってしまう。 それでは本来の生命力が減衰するので いっそ思考を遊びの場(ステージ)で行う遊び心(=思考の究極)にまで 進んでしまうのが、よろしく候・・・で? どーなりました? タイプ2は、“ 愛されるパラダイス(パラダイス=) ”の夢を追う癖は治らないので (たとえ傍若無人であっても)自分が“ 愛するパラダイス(パラダイス=) ”の夢を追うようになると・・・ マザーテレサになる、と、ゆーけど・・・ タイプ4は、自分のイメージに自分を合わせよーとする癖は治らないから フィーリングのイメージではなく【生き物の自分の描くイメージ】に合わせると・・・ ~ ☆ ~
2009年08月31日
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☆ 馴れない幸福より 馴れている不幸 を選んでいる人が、この国には多いですね。 もっと%の多い国、あります? わたしたち 被害者意識でいるのが好きなのですね 心のどこかで( わたし カワイそう )と思っていたいのですね そーすることで、 人生の責任を取らずに済ませたいのですね ( わたしのせじゃない ) 子どものまんまで居続けたいのですね。 だれかの支配下にいたいのですね 自分を【重苦しく窮屈】な状態に押し込めることで、ここから離れないようにしているのですね。ここが好きなのですね。 みなさんは、ここの生粋の住人。 どうぞ よろしく おはげみください。 ♪ 馴~れない幸福より~\(^o^)/ (??????@) 馴れている不幸~ ♪ 、
2009年08月31日
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学習学 (がくしゅうがく)学習者の視点から、学習活動や教育活動などを捉える学問。 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』概要学習学は、「人生(経験)から学び、人間として成長する」というモデルを基調としている。学習を「外部環境を認識し、環境に自分を適合させ、人間が本来有している可能性を自己実現させる一連の営み」と定義し、人間の学習能力を活かして、自ら成長していくように側面から支援していくという発想に基づいている。教育と学習「教育」と「学習」は、方向性が全く逆のものである。教育は「外から内への働きかけ」であるのに対して、学習は「内から外への働きかけ」であるといえる。徳・知・体・感 人の成長の4要素(学習の4要素)として、「徳・知・体・感」があげられる。「徳」…コミュニケーション能力を高めることで、自己理解と他者理解を深め、協力関係を気付いていく力を指す。特定の価値観を押し付けることなく、自ら気付いていくもの。 「知」…言語、論理、計算、記憶など、知識や技術を指す。 「体」…走る、跳ぶ、手先が器用、身体がしなやか、持久力、リズム感、健康管理など、物理的人体に関わる力を指す。 「感」…外部環境からの刺激を、直接、五感で感じて受け取る力を指す。 研究者 佐伯胖 青山学院大学社会情報学博士前期課程ヒューマン・イノベーションコースで「学習学原論」を担当。ワシントン大学 Ph.D.。 本間正人 NPO学習学協会代表理事。帝塚山学院大学客員教授。ミネソタ大学 Ph.D.。 ====== はるのコメント ======徳・知・体・感 人の成長の4要素(学習の4要素)として、「徳・知・体・感」があげられる。徳…コミュニケーション能力を高めることで、自己理解と他者理解を深め、 協力関係を気付いていく力を指す。特定の価値観を押し付けることなく、自ら気付いていくもの。 ・知…言語、論理、計算、記憶など、知識や技術を指す。 体…走る、跳ぶ、手先が器用、身体がしなやか、持久力、リズム感、健康管理など、物理的人体に関わる力を指す。 ・感…外部環境からの刺激を、直接、五感で感じて受け取る力を指す。 ぼくの語彙では、「徳」は「慈:いつくしみ」ですね。でも、正人さんには「徳」の字が似合うな。 「知」は、ぼくの愛した言葉でした。30才を過ぎに、ソクラテスが「わたしには『哲学への愛』がある」と言っていたと知り、ウレシクなったことがあります。「愛」というと、もっぱら「他人(ひと)への愛」に意識が行ってしまい、そーなるとぼくのバアイ、自分の誠意っちゅーもんについて自省するヒツヨーがりそうなので・・長年(思春期以降ずっと)メゲてました。 でも、哲学というか、「自分のアタマで考えて、原理を知ること」なら、こんなぼくでも「愛している」と言えるので安心したわけです。 われも人並み (^-^) 3番目の「体」については、自分のからだが十分弱ってから、つまり60才を数年越えてから気持ちを向けるようになりました。それくらいで十分ですね。若いうちから「体」に熱心なヤローなんて、(数億人に1人くらいの例外を除いて)ロクなもんじゃありませんし。。 ちゃんと正しい時期が来てから、そーしたぼくの場合、なにしろもー、全身が弱化劣化していますから、どこもかしこもヤワ。冷たい水を飲んでも、ちょいと階段を上っても、おーいにイ二コタエます。うっかり仕事なんかすると死にそーになります。ここで、(ああ、わしも、もうトシだ。この先長くない。トホホ・・)となるか(ならば、ひとつカラダさんを大切にしよう!)と発心するか、が、人生の分れ目ですね。 心中深くにでも、(わたし、可哀そう。わたしを見て。わたしに同情して。わたしを愛して)といコンタンのある人は前者の道を、そーでない人は後者の人生を歩みます。ぼくは、「そーでない組」なので、近年になってから、からだを尊び、慈しみ、からだに対して(じゅうぶんに意識を遣ることで)たくさん学習しました。これもみんな老いたお蔭です。そして体へ徳を積むことを知ったからです。MEDE-TAIことです。 そして「感」。感・・・外部環境からの刺激を、直接、五感で感じて受け取る力を指す、とあります。つまり、その力を発揮することでしょう。ここのところ、実はクセモノ! あっさり書いているけど、これ、実行すると、あっさり人間失格になります。外部環境からの刺激を、直接、五感で感じて受け取った時点では、ぼくらはみんな動物と同じですから、弱肉強食、優勝劣敗、思い立ったら即 ( 写真 ) 人なんか一皮向けば ↑ こんなん。とても社会に置いておけません。でも、外部環境からの刺激を、直接、五感で感じて受け取ることが「自分は自分を生きていてる」という実感を生み出します。このポイントをハズてして、生きる喜びはなく、「マトモな人間」たりえません。(※だから、今までの多くの男性優位・頭脳優先の思想・哲学・芸術・政治が、ぼくらの自己実現を圧迫し続けてきたわけです。) 人は、意識ある生きものです。だから「自分は自分を生きていてる」という実感が無けば、徐々に蝕(むしば)まれていきます。繰り返しますが、外部環境からの刺激を、直接、五感で感じて受け取り、「自分は自分を生きていてる」感うこそが「幸福の原点」である、とぼくは信じています。 そこで、「外部環境を認識し、環境に自分を適合させ」ることについて、っあんち成人してから学習しなきゃならんわけだ~な。☆学習すると、どーなるの?→人間が本来有している可能性を自己実現させる、ってわけ。 鍵は、「外部環境に自分を適合させる」際の「自分」なるものを、どのレヴェルで認識するかですね? ボカあ~、そーおもうな~ 。 ところで※ 学習学って、やっぱ学問の名として魅力がとぼしいですね。ぼくなら やっぱ人間成長学 ~自己実現理論~あたりで行くなあ。 どーも、読んでくれて ありがとございました。 はる 。
2009年08月30日
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はるのブレスワーク:A ・自分の軸を決める。以下参考: 【この呼吸でウオーキング】 ・丹田から、歩く。 ・ドライブする骨盤に合わせて、歩く。 ・足裏の着地点に注意する。 ・地球のシン(芯)を踏みしめて、歩く。 ・自分の軸で行動し、生きていく。 ・
2009年08月29日
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『良いセラピストの選び方』 1・はるの前説 2・はるによるインタビュー: 候補者 「推薦に足るセラピストさんをご存知でしたら 教えてください。どうぞ よろしく。 →Ya5さん。 はるの知合いの候補者: ボデイ・セラピー H野X顕・Xs美・小X泰子 マインド・セラピー X田ゆり※・アビ(鈴木00) ~ ☆ はるの前説 『良いセラピスト』を見極める4つのポイント 1・“ しっかりとした瞳 ”のひと。 2・わたしに、また、わたしと行うセッション空間に、 相応の“ こころ配り “が感じられるひと。 3・苦労をのり超えたヒト(→ 現在の人間観・人生観。) 4・Don”t trust under40. 0・What do you think of this? 。
2009年08月29日
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☆ 内観 内観、“自分に戻る”こと。 同義:素に戻る。正気に戻る。“われ”に返る。(※われ→輪霊) 【内観の方法】 ・息を沈める。(息→意気) ・“想い“を沈める。 それでも湧いてきたら、抵抗しない。戦わない。受け入れる。 愚劣な“想い“群を浮かべ続ける愚かな自分を許す。 アタマに支配されている未熟な自分を許す。 ・丹田(第2チャクラ)に意識を派遣する。※派遣→派(部分)をや(や))る。 ( 呼吸法口述 ) ・脳を開放する。 ・・・・・ 音楽 ・・・・ ゆだねる (→ゆだねるヒプノガイド) ・・・・・ 音楽 ・・・・ ただよう 意識がただよう いにしえに戻る 原初の自分に戻る (→もどるヒプノガイド) ・・・・・ 音楽 ・・・・ “ ありのままの自分 ”にかえる。(→ヒプノガイド) ・現在時点にグランデイングしている自分に戻る。 ・・・・・ 音楽 ・・・・(完) ~ ☆ ~
2009年08月27日
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☆ 自分の中に“カミ”は ある 人は、自分中の“カミ” を、 自分の中にある“光(あかるさ)”として見る人 自分の中にある“安堵( relief )”として見い出す人 自分の中にある“ぬくもり”として感じる人 に分かれる。(のでは、ないか?) カミ(形に表現して以来:神)を “光(あかるさ)”として見るのは感覚系の人。 “安堵( relief )”として見い出すのは思考系の人 “ぬくもり”として感じるのは本能系の人 各系は3パターンに分かれ、それぞれの課題を担っている。(→図)
2009年08月27日
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☆ 自己観照自己観照=自分の“ありのまま”を見ることこれを試みると、自然、自分の心に浮かび、ひろがり、うすれ、消えていく【想い・考え・感情】を見ることになります=自己観想。そーゆーことをすると、どーなるの?I”t your businessっしょ。たいがい【ヤミツキ】になるけど。。 ☆ Part1 瞑想 はるの瞑想は、自分を内観し、観照し、観想し、自分を正しく見性することです。※ 自己内観自己観照 自己観想 自己見性・・については、いずれ。 【参考メモ】内観見本 ↓慈悲の視線で自分を観る。そーしないではいられぬほど、「自分というのは醜く、愚か」と見極め、諦め、ゆるすこころ。すなわち、自分の中の【第3の眼 ~見えない眼~】で自分を観る===これが、はるの自己観想と自己見性の方法です。
2009年08月26日
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