全300件 (300件中 1-50件目)
先々月、婚礼布団(羽毛の掛け布団)の打ち直しをお願いした。先日、出来上がりましたとご連絡を頂いた。今日、布団屋さんに届けてもらえた。寒くなる前に届いて良かった。ざっくり30年前の婚礼布団。その頃の羽毛は、とっても上質らしい。30年ずっと使い続けて、羽毛がヘタった感じはほとんどなかった。数年前から、布団の布地が避けてきて、たまに中の羽毛が飛び出すようになった。一度は自分で繕った。すぐまた避けた。とうとう布団カバーを交換できなくなった。打ち直し依頼は、ネット注文のつもりだった。主人が、近隣の布団屋さんで、打ち直しを受ける所を見つけてくれた。それで連絡を取って、そちらに布団を持参した。大切に使い続けてきた布団だけに、Face to Faceで説明も受けれて、安心した。サイズは、ダブルからシングルに直してもらった。足し羽毛は使わないで済み、むしろ少し余ったそう。余った羽毛は、先方に引き取ってもらった。リサイクル羽毛として、ダウンジャケットなどに使われるそう。私の手元に残そうか迷ったけれど、そうやって使い続けてもらえる方が、きっと鳥も喜ぶ。購入当時、ある特別な思いがあり、紹介してもらった布団屋さんで婚礼布団を買い求める時に、迷わず最上級品にした。店員さんが「これは一生ものですよ。僕らも、このレベルの羽毛布団は使ったことがありません」と仰っていた。当時の羽毛が全体的に、今のよりも上質だと言われる。それだと、この布団の羽毛の質は、もう今では入手困難かもしれない。今回の打ち直しは正直、そこそこのお値段になった。これがお高いのか相場なのかお安いのかは分からない。あの時に最上級品を購入して、ずっと大事に使い続けてきて、これからも大事に使い続ける。一生もののお布団。その贅沢に見合ったお値段。あの時、思い切った投資をしてくれた若い時の私に、感謝。シングル変更したから、布団カバーを新調しなきゃ。早く使いたいな。今まで30年間大切に使ってきた物を、これからも使い続けられることが、こんなにも嬉しいことだなんて。
2024/10/10
コメント(0)
今日はとってもいい1日だった。高校の仲間と再会できた!(文章途中)
2024/07/08
コメント(0)
※ずっとわだかまっている不快な出来事を、やっと吐き出せただけの文章です。今はまだここまでしか書けませんが、そのうちきちんと書きたいので、できる所までこうして吐き出してみました。以前、お気持ち表明をされた。結果として、その彼のお気持ち通りにする(してあげる)ことはできなかった。そのお気持ちに賛同・共感できなかったためだろう。表明をされて、まず筋道立てて考えた。奴隷ではないから言いなりにはなれない。そして、ん、それはおかしくない?彼の言ってることと彼がやってることで筋が通ってなくない?と思った。彼の言い分は正直、昔PCサポートセンターで働いていた時に受けた悪質クレーマーと変わりがなかった。それで、彼に賛同も共感もできなかった。また、その彼のお気持ちに寄り添おうとすると、私が大切に作ったものを壊すこととなった。私にも気持ちがある。私の感情を殺してまで、彼のお気持ちに寄り添うことが、できるかできないか。私がそれをどのように大切にして作ってきたか。また、私と彼の関係性としてどうなのか、彼の言いなりになれるのか、なるべきなのか。そして、何度そういう表明を繰り返されたか、これで何度目か、この先も延々続くのか。それまで何度かの表明には従ったものの、その最後の表明で、彼のお気持ちに寄り添うことができなかった。そこで寄り添えなかったから、それが最後になった。抗うとか反発とかではない。ネガティヴな感情論での価値観を一方的に強要され、こちらにもネガティヴな感情が生じた。先方のネガティヴを通すか、こちらのネガティヴを通すかという時に、筋道の通っている方を立てたまでのこと。それがたまたま私の方だった。あまりに突然で、心の準備もなく、まともにこちらの言い分を伝えることもできず、ずるずるとなし崩しで、私の気持ちを踏みにじられることとなった。彼としても、ネガティヴなお気持ち表明をされたほどなので、ご自身こそが被害者だと思っておいでだろう。しかし、こちらも深く深く傷付いているという点で、被害者に他ならない。加害者ほど被害者面をする、という状況に、両者が陥っている。もしこれで話し合うことができたとしても、一層拗れるだけだ。筋の通った説明をされた上での「○○して下さい」なら、普通に従えた。余計な感情は足さない、伝えない。その方が話はスムーズに進む。下手に先方が感情を持ち出されたことで、こちらの感情が蠢いた。ネガティヴなお気持ちだったせいか、こちらもネガティヴになった。感情は感染する。お気持ち表明するなとは言わない。ただ、とことん効率が悪い。結局、彼の要望通りになっていない。そして、今回の私は反論・反撃をしておらず、炎上は避けたものの、私が本当に本当に苦しんだ。自分の気持ちを大切にして、自分が傷付かないよう振る舞おう。自分から積極的に攻撃をしかけることはこれからもないけれど、これからは徹底的に反撃していきたい。お気持ち表明された結果、こういう事態となった。もしかしたら、彼に悪気があったわけではなく、それこそ彼も、感情や大切にしているものを踏みにじられたと思われておいでかもしれない。もしそうであったとして、(なぜそんな受け止め方しかできないのだと腸が煮えくり返る自分の気持ちを脇に置いて、)彼のそのお気持ちそのものは否定しない。ただ、伝え方がすこぶる効率が悪い。それでご自身が加害者化した。それで私に限らずトラブル頻繁されている。あまりに突然なお気持ち表明だったので対応しきれなかったけれど、今のようなことを、そこですぐに、彼にお伝えできれば良かったのかもしれない。少なくとも今は、もうブロックされているのでお伝えできない。ブロックされる前であっても、そもそも私程度の間柄で、お伝えできても聞いてもらえたとは思えない。自分の機嫌は自分でとろう。これが基本。相手を動かすために言葉というツールを使う時は、シンプルにお願い・依頼すればいい。余計な感情は混ぜない。感情も言葉も、キレ味の鋭すぎる刃物のようなものだと改めて。今後一層気を付けたい。
2024/06/08
コメント(0)
今年もウグイスの鳴き声が響くようになった。早いもので、体調不良で寝たり起きたりしているうちに、世間は今週末からゴールデンウイーク。もうすっかり、晩春ではなく初夏の陽気。ここに引っ越して驚いたのが、ウグイスの谷渡り。山中でしか聞けないものだと思っていた。まさかこんな住宅地で、こんなに見事な谷渡りを聞けるとは。前に住んでいたアパートでは、ケキョケキョの部分は、ほとんど聞くことがなかった。そのアパートからここまで、車で10分もかからないのに、ここではケキョケキョケキョケキョがやたら長い。引っ越してきた年だけでなく、翌年以降も同様。ここは線路の踏切が近く、踏切の音も結構大きく響く。前のアパートでは全く聞こえなかった。ウグイスの鳴き声には、縄張り主張や、美声披露でのメス獲得、といった目的があるのだろうか。そして、踏切を他のオスに勘違いして、対抗して鳴いているのだろうか。昨年、そんな仮説を立てて、ウグイスの鳴き声を注意深く聞いてみた。そしたら、ウグイスが鳴き止むのは、踏切の音が鳴り止んで一呼吸置いたぐらいだった。見事な谷渡りの背景に、まさかの踏切効果?(笑)さて今年も、ウグイスの谷渡りを堪能させていただこう。
2024/04/25
コメント(0)
新型コロナ陽性報告が、リアルでも、X越しで付き合いの長いフォロワーさんからも相次いでいた。意外にどうしようもなく疲弊していた。そんなタイミングで、阪神の「アレ」がアレした!お嬢さんが少し前にコロナ陽性になって、やっと平熱が下がってきて一週間もしないうちに、今度はインフルエンザの陽性になっちゃって…。というフォロワーさんが兵庫出身で、一昨日も昨日も沈んでいたけど、今日はキラキラ喜び大爆発💣️💣️💥良かったー❣️❣️❣️あぁすんません、野球は興味なくて…💦
2023/09/14
コメント(0)
庭仕事に没頭していたら日が暮れ始めた。今日の夕焼けは、西から北まで空がピンクに広がり、とても素晴らしかった。夕焼けに見惚れながら、やっと作業に一区切り。ベランダに上がって洗濯物を取り込む頃には陰りつつあったけれど、それでも美しい。玄関リビング明日もいい日になりますように。
2022/06/16
コメント(0)
駐車場の照明灯に、蜂が巣を建設していた。調べると、どうもアシナガバチのよう。人への攻撃はめったにない大人しい性格で、肉食でイモムシも食べるので、庭や畑にとっては益虫。このままにしておこうかと思ったけれど、場所が良くない。手の届く高さなのも良くないし、夜間、電気を点けるたびに、蜂が驚いて興奮する。また、洗濯物に蜂が入り込んだことに気付かず取り込んで、刺されることもあるらしい。悩んだけれど、巣を撤去することにした。まだ巣が小さい。これなら薬剤を使わなくても、水で蜂を追い払えるのでは?庭の水やりホースだと、照明灯がショートしかねない。一点集中の高圧洗浄機なら?念のため、長袖長ズボンで、帽子を被った状態で、主人に作業してもらった。私は万一に備えて退避。うまく行ったそう。蜂はなかなか移動しなかったけれど、しつこく放水を続け、とうとう根負けさせて諦めさせた。去ったらすかさず巣を撤去。巣の中には、卵だけでなく、もう幼虫(ハチノコ)もいる。何日前から巣を作っていたのだろう。食べれば美味しいらしいけど、、、女王蜂たった一匹で、巣を建設して、更に産卵していたのだなあ。誰に教わるでもなく本能で。すごいなあ。女王様って、何にもやらずにふんぞり返ってるんだと思ってた。全然違うやん。ここまで頑張ってきたのに、駆除しちゃってごめんなさい。新天地でまた頑張って下さい。
2022/05/07
コメント(0)
甥っ子の子供が、明後日1歳の誕生日。 リクエストもらったしかけ絵本を送ったら、今日もう届いちゃった。 LINEが来た。お礼の言葉に併せて、眼のくるんとした子供が絵本に見入る写真が送られてきた。 とってもかわいい。 この先もずっと、誕生日に本を贈れたらいいな。2人目3人目が生まれれば、その子たちにも。 甥や姪に、誕生日プレゼントをわざわざ買って贈ったことは、そういえばなかった。 こういうことができるのは、今やっとそれだけの余裕が自分に生まれたのか、単に年を取ったのか。
2021/10/12
コメント(0)
今夏、第二次世界大戦から75年が経った。 私は、身近な誰かから戦争体験を聞いたことがない。小説やテレビや映画でしか戦争を知らない。 今、なぜ日本は戦争に突入したのか知らない。学校では近代史をやらなかった。 だから、どうすれば次の戦争を回避できるか分からない。 一時期「集団的自衛権に反対」な人たちがいた。 もしも他国に攻め込まれた時に、本人や身近な人が、どれだけひどい目に遭っても、惨殺されても、自衛せず反撃しなければ、確かに戦争は起きない。けれど、そんな世界は平和ではない。 戦争の武器をある程度持っていないと、敵国になめられて攻め込まれかねない。戦争をやって人を殺すためではなく、人を殺さないために戦争をしないために、ある程度の武器が必要。 一昔前は、家のカギを掛けないのが普通だった。カギを掛けている家は閉鎖的という扱いだった。 今、少なくとも私の住んでいる地域では、家のカギを掛けておくのが普通。 終戦から75年が経って、今、いくつかの国が核兵器を保持している。 広島も、長崎も、「核兵器のない社会」を望んでいる。 私は、原爆被害者のお話を直接伺ったことがないので、これから書くのは、机上の空論のような分かってないことかもしれない。 広島の原爆で殺されるのはイヤだけれど、沖縄の火炎放射器で殺されるのならいい、なんて人はいないと思う。 空襲で焼け死んだ人は、もしかしたら、原爆の放射能被害で苦しみながらも生き続けられる方が良かった、と言うかもしれない。 「核兵器のない世界」よりも「戦争を起こさない社会」を目指したい。 昨今「withコロナの社会」と言われる。 同じように、もう世界はとっくに「with核兵器の社会」。核兵器があることで、核兵器を使わない社会を維持し続けている。 ここで今更「核兵器のない社会」を掲げるのは、「各家庭で家のカギを掛けるのを止めましょう」と言ってるようなものでは。 新型コロナの影響もあるのか、最近きな臭いニュースが絶えない。中国の尖閣諸島へのおかしな活動や、香港での民主化運動の弾圧や、韓国の徴用工がらみでの日本企業への一方的な現金化要求や、慰安婦問題での各種いやがらせなど。 もしかしたら、日本が核兵器を持たないことでなめられているのでは。日本が核兵器を保持していれば、こういったトラブルを起こさせなかった、隣国と平和関係にあったかもしれない。それが表面的な平和に過ぎなくても。 いくら米国の核の傘に守られていると言っても、今の日本は、犯罪の多い地域に住んでいて家のカギを掛けない人のようなもの、かもしれない。 思考停止したまま「核兵器のない社会」を訴えてはいないか。 そんなものが実現するはずがない。 テレビ越しに広島・長崎の式典を見ていると、首長が「核兵器のない社会」を訴えるシーンでは、必ず、安倍総理に画面が切り替わる。 あれは「こんなにも悲惨な被爆地が訴えているのに、日本の総理が核兵器のない社会を実現しないなんて、安倍総理は間違っている」と視聴者に思わせる演出では。 日本のマスメディアは、与党をこき下ろすばかりでウンザリ。 平和な世界とは、どんな社会だろう。 例えば「平和な社会」に「言論の自由」「表現の自由」は付き物。けれど、その自由は無制限ではない。ヘイトスピーチなど他者を攻撃する自由は、他者の安全や安心や平和を脅かす。何でも言える権利を行使するためには、そのために必要な義務を果たすべき。 「非暴力こそ平和」でもない。私も妹たちも父からの虐待で殴られっ放しで、ある意味で私も妹たちも非暴力だったけれど、あの家は平和とは程遠いものだった。 例えば「互いを尊重できる社会」を目指すとして、そのために必要なのは何か。「相手の違いを許容できる社会」のために必要なのは何か。 そういった先に「平和な社会」があるのでは。 核兵器がなくても、それこそ戦国時代のような社会なら、平和とは言えない。 世界に核兵器が溢れていても、人に対して使われず、障碍者で働けない私が昼寝していても生きていける現代の日本を、平和でありがたいと思う。 平和というより、平穏かもしれない。 この日常に感謝しつつ、この平穏を守り続けたい。 東日本大震災があって、原発事故での放射能汚染を調べる中で、長崎にも足を運んだ。 長崎はとてもステキな所だった。ぜひまた訪れたい。 そう思いながら、長崎の友人に良くしてもらいながら、けれど「核兵器のない社会を目指さない」という私の考えは、大切に思う友人を不快にさせたり傷つけたりするものではないかという不安が、今の正直な気持ち。 これからも考え続けよう。それこそ10年考え続けて初めて分かることもあるかもしれない。 実は、その長崎の友人から、8月15日(終戦記念日)に長崎銘菓などがたくさん届いて、とっても幸せだった。
2020/08/26
コメント(0)
年末の買物を主人に頼んだ。 買い忘れのないよう、主人はメモを取っていた。 主人が出掛けた後、テーブル上にそのメモが忘れられていた。
2019/12/29
コメント(0)
平成は雨で送られ、令和は雨で始まった。 雨には、穢れを流す、天と地を結ぶなどの意味合いがあって、物事を始めるには縁起のいいものらしい。 天皇陛下は長年、水の研究をなさってこられた方だそう。令和が雨で始まるのは、陛下らしいのかもしれない。 世間は、昨日も今日も、祝賀ムード満載というか、いい意味でのお祭り騒ぎ。 そんな中で自分は、天皇が変わるのも時代が変わるのも関係なく、湿気でダウンして今日も寝込んでいた。 明日は晴れるといいな。畑に行けますように。 こないだから、庭のスナップえんどうの収穫が始まった。夕ごはんの支度の直前に20本収穫して、筋取りして軽く茹でて、主人と10本ずつ食べている。とにかく甘い。 さりげなく幸せ。
2019/05/01
コメント(0)
今日の24時で平成が終わる。 令和が始まる。 世の中は祝賀ムード。「平成最後の○○」という言葉も、各種セールも、賑やかに飛び交う。 この明るく楽しく希望に満ちた感覚は、大晦日よりも、盆と正月が一緒になったよりも、21世紀を迎えた時のよう。 「平成ありがとう!令和おめでとう!」 今上天皇が譲位のお気持ちを表明された時は、こんなお祝い事になるとは思わなかった。 改めて、ご英断だったと思う。 昭和天皇の崩御を思い出す。 亡くなるしばらく前から、連日、体温・血圧・脈拍数などだけでなく、輸血量と下血量も字幕で報道されていた。不確かながら1000ccを越える下血と輸血だったように記憶している。 キリスト教の文化圏では、クリスマスは家族と過ごすもの。日本のお正月のように。 今思えば、そのクリスマスやお正月の崩御を避けるべく、ただひたすら心臓の動いている状態を維持されていたのだろう。そんな事は思いもしないで、素朴にご快癒を祈っていた。 世の中は自粛ムードだった。 1/7に崩御され、翌1/8に平成になり、翌々日の1/9が二十歳の誕生日だった。1/8に成人式のスーツを高島屋に買いに行った。店員さんは皆、黒の喪章を付けていた。無難にチャコールグレーのスーツを買った。成人式に出たら、周囲は華やかな晴れ着姿で、浮いてしまったのを忘れられない。 話が逸れた。 天皇というお立場上、そういう亡くなり方もやむを得なかったのかもしれないけれど、今上天皇にはあまりにも悲痛なお父様の死だったことと、胸が痛む。 今上天皇・皇后両陛下がお亡くなりになることは正直考えたくもないけれど、いつかその日は訪れる。 ご本人にも、ご家族にも、私たち国民の心情や生活への影響を思っても、「生前譲位」をご英断だと受け止めていた。 実際にこの時が訪れてみれば、思いのほか明るく楽しい祝賀ムード。 こんなふうに元号が変わって、本当に良かった。 雲仙普賢岳の災害時に、今上天皇が被災者と同じように床に膝をつけてお話を聴かれる映像に、驚いた。今更だけれど天皇陛下は本当に人間なんだなあ、みたいに感じた。 その後もずっと国民の辛さ悲しみ苦しみに真っ直ぐ寄り添われるお姿に、今は逆に神様か仏様のように感じる。そのくせ、まるで自分が中高生ぐらいの子供のような感覚で、私たち日本人みんなのおじいちゃんのようにも感じる。 今上天皇・皇后両陛下は、共白髪で、いつも腕を組まれて、日本一ステキなご夫婦。 今まで本当にお疲れさまでした。ありがとうございます。 お二人で、ご家族で、1日でも長く平穏で幸せな日々をお過ごしになりますように。 さて、明日からの新時代「令和」に期待するのは、テクノロジーでの障害カバー。 例えば聴覚過敏について言えば、私は必要な音・不要な音の選別(フィルタリング)ができない。全ての音を拾ってしまう。飲食店やショッピングモールでは、ノイズに負けてダウンする。 それが最近、ノイズキャンセルイヤホンで楽になった。イヤホンが、周辺の音を相殺する音を出す。耳は疲れるけれど、脳の疲れは格段に楽になった。 令和になっても、私たち障害者への差別・偏見はまだまだなくならないだろうけれど、テクノロジー支援の充実を期待している。 最後に。 世の中は「10連休」だけれど、今この時も電気・ガス・水道・病院など、休まず私たちの生活を支え続けるインフラがある。それらに携わる全ての方々へ、ありがとうございます!!!
2019/04/30
コメント(0)
今日は、庭の花の写真を連投します(^^) まずは沈丁花。 うちの子は白花で葉は斑入り。 花が咲いている今は、通りに面した所に移した。香りを、通る人に於福分け。 続いてクリスマスローズ。 昨春、年配の女性から、半ば押し付けられるようにしてもらったもの。花はたくさん咲いていたものの、鉢の中は雑草だらけだし根詰まりしてるし、かなりひどい状態だった。 花が終わったら株分けしようと思っていたものの、6月頃から寝込み、全然やれなかった。やっと株分けできた時には、もうつぼみが膨らみ始めていた。悩んだものの、株分け決行。 ちゃんと咲いて良かった。もう1鉢も(撮ってないけど)同じようにちゃんと咲いている。 グリーンピース(野菜) 豆科の花はちょうちょに似てる。 畑で余った苗をプランターなどに植え付けたもの。 スノードロップ もともと畑で大量増殖していたもの。作物を植える邪魔だったので、主人に掘り起こしてもらった。当初すぐ処分するつもりだった。主人が捨て忘れるうちに1年半経ち、枯れるどころか、しっかり根が回っていた。そうなると捨てるのが忍びなくて、庭に植え付けた。 今日、一輪目が咲いた。 ボリジ 数年前に種をまいてから、こぼれ種で毎年庭のどこかで咲いている。 小さい葉や花はサラダなどで食べられるよう。また花を砂糖漬にするのもいいらしい。毎年そのうちやろうと思い、今年もまだ実現していない。 下向きに咲くので、普通に横から見るとこんなふう。 今日は野田市虐待死亡事件で亡くなった女の子の四十九日。 気持ちばかりでも花を手向けたかった。 こんなふうに写真を撮ってUPした所で、自己満足でしかないのだけれど、なんとなく、気持ちの区切りのようなものがついた。 亡くなった御霊が光さす方へ向かいますように。心からご冥福をお祈りします。
2019/03/14
コメント(0)
畑で、カモミールがこぼれ種で増えた。雑草のようにたくさん増えた。増えすぎた。 大好きなハーブなだけに、雑草のように抜くのはためらわれた。畑の端の通路沿いにたくさん移植した。それでもまだあるので、ポリポットにも移し替えた。その数ざっと30ポット。 家に持ち帰って、庭に10ポット植えた。それでも20ポットも残っている。植える場所がないまま3月になった。そろそろ花が咲く。 誰か、うちの横の通りすがりで、見ず知らずの人で、もらってくれる人はいるだろうか。 段ボール紙で看板を作り、通り沿いのフェンスに取り付けた。 目立つように「カモミール」はわざわざマスキングテープで書いた。 ちっとも目立ってなーいっ😓 ご近所さんに、変なことやってるなあなんて思われてないかな…。 夕方、思いがけず3ポット減っていた。どなたかお持ちになったよう。 あぁ、良かった!もらってくれる人がいた!! 夜になって、雨が降り出したことに気付かなかった。看板はダンボール製だし、そもそも目立ってないし。作り直そう💧 残るは17ポット。 2日目:終日雨☔️ 看板を作り直しながら、この雨でももらっていく人はいるだろうか。 3日目☀️ お昼過ぎ、苗は1つも減ってなかった。 作り直した看板を取り付け。前よりは見やすい。 夕方、4ポットもらわれていた。良かった☺️ この話を友達にしたら、彼女も欲しいとのこと。3ポット取り置き。 残るは10ポット。 4日目☀️(土曜日) お昼過ぎ、5ポット減っていた。残るは5ポット。 夕方、5ポット残ったままだった。残念。 5日目☀️→☔️(日曜日) 終日変動なし。残り5ポットのまま。 夕方から雨が降り出し、看板を一時撤去。 もう、もらってくれる人は、一通りもらってくれたのかな。 20ポットもあって、15ポットも里子に出せただけで十分かも。 6日目☀️ 今日も変動なし。 夕方、庭の片隅に残りを植え付けた。日陰でゴメンね。 もらわれていった子たちが、たくさん花を咲かせますように。
2019/03/06
コメント(0)
少し前に、植木鉢を黒と青で2鉢購入した。11号(直径約33cm)と大きなもので、届いてから、少しのっぺりしてるように感じた。アクリル絵具で、少しポイントを入れてみることにした。黒鉢には、ターナーのアヤナミブルーのパール(真ん中)。青鉢には、ダイソーの100円絵の具。この色を置いて、どんな仕上がりになるのか、全く想像できずに、やってみた。出来上がり。黒鉢は、高級な感じ。色は、この写真よりシルバーな感じ。青鉢は、思っていたよりキュート。意外に、やってみて良かった。ダイソーの絵具は、ターナーに比べるとノビが悪くてムラができた。そういうのが値段相応に違うんだなあ。アヤナミブルーは、少し残った絵具がもったいなくて、いつも使っているバインダーの表紙カバーにも塗ってみた。BeforeAfter写真うつりが悪い(汗)のは仕方ないとして、鳥の羽根で描いたような仕上がりに、自分でびっくり。鉢もバインダーも、絵心もなく、どんな出来栄えになるのか全く想像できなかった。思い切ってやってみて良かった。楽しんだし、出来栄えにも満足。
2019/02/23
コメント(0)
無印良品で買ったフレグランスキャンドルを灯してみた。香りは強すぎない。ほのかに心地良い。ゆらめく炎も、心を落ち着かせてくれる。先日、野田市で虐待死亡事故が起きた。当初はPTSDの回避が強く出て、この虐待に限らずニュース全般を一切見ないようにしていた。あることがきっかけで、今はこの事故を調べている。自分なりの言葉でまとめようと思っている。かなり辛い。自分自身のトラウマに否応なく向き合うことになり、完全にキャパシティを超えている。フラッシュバック・過覚醒はもちろんのこと、頭痛、首・肩こり、めまい、微熱、吐き気、だるさなど、ストレスが身体化して出ている。落ち込みやイライラも激しい。それだけに、だからこそ、何とか今の自分なりにまとめあげたい。今かなりムリをしている。視覚・聴覚・触覚・味覚・嗅覚の五感の中で、嗅覚だけは脳でダイレクトに刺激をキャッチするので、アロマテラピーはリラクゼーション効果が高い。と主治医に教わった。落ち込みやイライラでどうしようもない時は、意識的にハーブティやお香などを利用する。リラックスに努める。もちろん状況次第では頓服薬もためらわず使うけれど、香りで楽になれる方が楽でいい。今日は、頓服薬だけでは足りなかった。フレグランスキャンドルの香りと炎のゆらめきで落ち着けた。
2019/02/18
コメント(0)
アクリル絵具「AYANAMI BLUE」を先日購入。TURNERとEVANGELIONのコラボ商品。通院先の近くに画材専門店があり、在庫処分で安かった。この商品が発売されて、すぐ、このお店に見に行って、もうこのセット品が完売した後だった。単品で1色だけ購入した。その後で再入荷していたんだ。知らなかった。少し小さいのが、単品商品。ずっと、絵は描けないと思っていた。福島とご縁ができて、その福島グッズのぬりえがお店に大切に飾られているのを見て、描けなくても塗るのならできるかなと、仕舞い込んでいた色鉛筆を引っ張り出して、頂いたぬりえカードに色を塗った。難しかったけど、のめり込んで、楽しかった。福島グッズグループの皆さんとのご縁が切れて、そういえば色鉛筆もまた仕舞い込んだまま。あのドタバタトラブルから、もう5年。今後もお目にかかる機会はないだろうけど、今も折りに触れては思い出す。皆さんお元気でいらっしゃいますように。何か描けるつもりで買った訳でもないのだけれど、ひとまず、先日購入した11号の植木鉢がいまいちのっぺりなので、少し彩色してみたい。こういうのが手元にあることで、いつか、何か、描ける日があるかな。東日本大震災がなかったら、原発事故がなかったら、あの福島グッズとの出逢いがなかったら、私が絵具を手にするなんてなかったな。
2019/01/26
コメント(0)
この日に書きたいことがあるので、スペースキープ。
2019/01/14
コメント(0)
誕生日です。50歳になりました。Viva半世紀!これまでずっと、誕生日は辛い日でした(被虐待者にありがちな話)。今年は、目が覚めた時に、LINEやメールやDMで、たくさんお祝いメッセージが届いていて、その後Facebookにもお祝いメッセージが書き込まれていて、あの辛さを感じないで、嬉しい気持ちで過ごせてます。お祝いメッセージを寄せてくれた皆さん、ありがとうございます❣️とは言えぶっちゃけ、あと何年生きられるか分からんわw と、漠然と感じる今日この頃。ロウソクの炎が消えそうと言うより、ロウの残りがあんまりない感覚。別に、闇雲に1日でも長く、みたいなのはありません。もう十分苦しんできてるので、だからこそ、楽しいこと嬉しいこと笑顔でいられることを、何より大切にしたいです。死ぬ時に、辛いことはいろいろあったけどそれでも生きてて良かったありがとうね!と思えるように、日々を過ごしたいです。なるべくのんきに。Easy Going☘️
2019/01/09
コメント(0)
多肉植物の寄せ植えをした。これまで多肉植物には縁がなかった。これがデビュー作。多肉は、植え付けてから1週間ほど水やりを控えるそうな。そのため、まだいまいち収まりが悪い。たまたま障害関連の懸賞でAmazon商品券¥1000分が当選した。せっかくだから記念になるものを購入しようと、鉢を買った。「多肉の寄せ植え用」と書いてあったので、小さめなのは承知していたけど、ビオラを植えようと思っていた。しかし、届いてみたら思っていた以上に小さかった💦急遽、ホームセンターの多肉コーナーへ😅多肉って葉っぱがぷにぷにでカワイイ❤️今まで、ろくに見たことなくて知らなかった。多肉初体験で、まして寄せ植えはやったことがなく、とりあえずいろいろたくさん買い込んだ。普段から庭や畑で植物を育てているけれど、多肉はなんだか新世界に踏み込んだ感じ。新しい楽しみに遭遇した(o^^o)始めての多肉に緊張しながら、1度植え付けても入れ替えたりもしながら、2時間半ほどで完成。植え付け後の水やりは、1週間置いてからなんだそう。その後は、成長期は春秋で週に1回、夏冬は休眠期のため月に1回だそう。水のやりすぎは根腐れになる。また、陽当たり良く風通しの良い場所が好きらしい。たまに窓を開けて風に当てるといいらしい。多肉特有の世話するポイントが結構ある。居心地良く過ごしてもらえるよう、いろいろ調べて注意したい。さて、使わなかった株や、株分けした残りが、少しある。帰省している主人に寄せ植えの写真を送信したら、主人もやってみたい!とのことなので、このまま残しておこう。
2019/01/02
コメント(0)
年末から気管支炎になり、当初おせちは黒豆しか作れなかった。 秋口に、庭でサビた釘を見つけた。大喜びで保管しておいた。 遊びに来た友達には、 「こんなサビた釘、何に使うの?」 と真顔で聞かれた。 とうとう使う日が来た!今年の黒豆は真っ黒だぜ!!! ・・・と思っていたのだけれど、どうも釘はステンレスだったようで、今回もいまいち茶色い黒豆でがっくり。 それ以上に、咳が止まらずだるさが抜けず、黒豆しか作れなくてがっくりだった。 最初は喉の痛みだったので、喉スプレーを使った。すぐに喉の入口の痛みは取れた。 それでも喉元から締め付けられているような息苦しさがあり、咳も止まらず、どうも気管支炎のようだった。 主人には何度も「病院に行くか?」と聞かれた。 もう年末年始の休日診療になっていたので気が引けて、行く気になれなかった。 そしたら主人が今日、市販薬で気管支拡張成分の入っている風邪薬を、探して買ってきてくれた。 これが、すぐ、すごく効いた!!! そして昼過ぎ、主人は1人で岐阜に帰省。 私は、風邪薬でコトンと眠った。夜になって起きたら、だいぶ楽になっていた。 楽になるや否や、まずは柚子大根を作り、そして夕ごはんを手短に用意して食べて洗って片付けて、いかにんじんも作った。 おせちは、主婦が正月ぐらいは台所から解放されるためのものなのに。と内心苦笑しながらも、黒豆しか作れなくて無念だったので、やっと台所に立てて嬉しかった。 去年のお正月は、黒豆と柚子大根といかにんじんを神奈川で作り、帰省で岐阜に持って行った。 姑は痩せて入れ歯が合わなくなっていたのか、柚子大根は固くて食べにくいようだった。黒豆は普通に食べてもらえた。あと意外に、いかにんじんが口に合ったようで、すごく食べてもらえた。 いかにんじんは、福島の郷土料理で、岐阜の私達には馴染みがない。それだけに嬉しかった。 そして、来年の柚子大根は、拍子切りではなく銀杏切りにして、食べやすくしようと思ったのだった。 あと1日早く咳止めを飲めていれば、昨晩頑張って、柚子大根といかにんじんも作れたのに。今日の主人の帰省に間に合ったのに。 柚子大根は、紅三太(ミニ大根の品種で皮が赤い)で銀杏切りにした。おめでたい紅白になった。 お仏壇に、黒豆と一緒にお供えしてもらえたのに。 いや、それよりやっぱり、食べてもらいたかった。 体調不良で帰省できない年も多かった。まだお互い元気なうちから、こちらで少し作って帰省で持って行くのを、もっと早く思い付いてやれていれば・・・。 なんだかんだ今になって、バカバカしいほど後悔は尽きない。 私でさえこうだから、主人は一層だろう。 明日2日は、姑の月命日。 それがあって主人は、体調不良の私を1人残してでも、お正月に帰省した。 正直、私は1人でしのげるか不安な体調だったけど、薬が効いて良かった。 自分の父母が死んで、こんな辛さは微塵もなかった。 母が死んだ時は、年の順で母が先に死ぬなんて思ってなくて、あの凄まじい苦しみは永遠だと思っていて、それらからのいきなりの解放だった。 生き続けていれば、こんな日が訪れるのかと、大きな驚きだったし、深い安堵だった。 父が死んだ時は、ただただ無邪気に嬉しかった。冷静に考えて、幼児期に殺されていた方が、或いは物心ついて自殺していた方が、絶対に良かった。それだけの目に遭わされ続けた。 それが、最後に立っているのは私!!!!! 私は父に勝った!!!!! 喜びの大爆発だった!!!!! 今、お義父さんにも私のおせちを食べてもらいたかったとか、お義母さんには作り直した銀杏切りの柚子大根を持っていきたかったとか、いろいろなことが、もう永久に叶わない。 私に限った話として、そんな辛さや傷みが強ければ強いほど、辛さや傷みがあることがある意味で幸せだと思う。 一番辛いのは、離れて暮らすことで、思うようにあれもこれもやれなかった(上に、義妹になじられ続けた)主人だろう。 明日、主人がゆっくりしみじみと、お父さんやお母さんを偲べる日でありますように。
2019/01/01
コメント(0)
平成最後の大晦日。今年も1年、いろいろあった。冬、ピョンチャンオリンピックで連日盛り上がった。もう何年も前のよう。懐かしい。春から初夏にかけて、うちの野菜の販売イベントをやった。お買い求め下さったお客様に感謝。けれど、、、ご厚意でお誘い下さったお店のオーナーが、いきなり怒り出した。意味不明のまま、イベントは続けられなくなった。気に入って通っていたそのお店を、利用すらできなくなった。いろいろ残念だった。その僅か2回のイベントで、学んだこと得たものもあった。何にしても、やらないと分からない。災害の多い年だった。大阪の地震、そして故郷を含む広範囲での西日本豪雨災害、日本中の酷暑、そして北海道の地震と全域停電、また故郷を含む広範囲での二度の大きな台風。特に酷暑では、私の病状も悪化。そして姑が他界。姑のお通夜・告別式にも四十九日にも、甥っ子の結婚式にも足を運べなかった無念。百箇日でやっと行けて、「やっと来れたね、良かったね」と優しく温かく声をかけて下さった叔母さん方と、主人にも私にも敵意・悪意をむき出しにぶつけ声を荒げる義妹と。今もただ、義妹の支離滅裂なバッシングにひたすら耐え続ける主人に、姑が重なる。おそらくは、義妹は姑に言語虐待を続けていたのだろう。まさか、虐待が、こんなあまりに身近で再発するとは。。。私に出来ることは、少ししかなかった。けれど、できることは全てやった。当初は、義妹の負担を少しでも減らせるようにと、訪問介護などの公的支援が利用できることを主人に強く言った。それらの手続きは、主人自身が岐阜市役所まで行ってやってきてくれた。それは、虐待被害者から虐待加害者を少しでも離れさせ、虐待の起きている密室の中に第三者を入れることになった。主人は、姑の様子を見に岐阜に戻るたび、義妹に汚染されて、おかしくなっていた。そのたび、徹底して除染した。主人から聞く限り、言語虐待の常態化は疑いようがなかった。しかし、主人がまず、そんな凄惨な状況を否認した。義妹の元々の性格だと思いたいようだった。一方で、姑の希死念慮が強くなっていた。あの気丈な姑が「死にたい死にたい」と何度も主人にもこぼしていた。当初のSOSのうちに対処できていれば・・・。次第に、酸素チューブを自ら外すようになった。義妹も主人も、それを姑の自殺未遂と認めず姑の落ち度として、特に義妹は、そのたびに姑にガミガミ叱りつけていたそうだ。希死念慮への適切な対処は、最後まで皆無だった。。。相手を憎んでの虐待ではないのだ。適切なHow toが分からないことや、余裕のなさから、虐待は起きるのだ。そして共依存。「嫁だから間に入れる」というものではなく、むしろ嫁という他人だから入れない関係性。まざまざと痛感させられた。。。辛かった。。。・・・今夏、私自身も自死を何度となく考える毎日だった。今思えば、酷暑だけでなく、間近な虐待を目の当たりにしていたことでの増悪だったのか。ああ、今の今まで自覚できなかった。それだけ強く、間近な虐待への恐怖を抑圧していた。そのぐらい怖かった。直結する生きる死ぬへの恐怖。そして、猫に歯向かう窮鼠のような、恐怖ゆえの自衛のための凄まじい怒り。おそらくは、義妹も怖かったのだろう。日々弱っていく母親に接して、失う恐怖でいっぱいだったのだろう。母親にも兄である主人にも、怖くてすがりつきたかったのが、怒りに特化して転化された結果、姑への虐待になり、主人(など)への支離滅裂なバッシングなどになった、のかもしれない。密室での虐待。直面できず否認してしまった主人。義妹も主人も受け止めなかった姑のSOS。ただ、主人から話を聞く限り、訪問看護などの第三者の医療スタッフは、(もし虐待が起きていたとして)見逃さず適切に対応して下さっていた模様。第三者に入ってもらえていて良かった。辛い辛い辛い1年だった。やっと築きつつあった庭仕事や畑仕事で広がった楽しみを、完全に失った時期もあった。そんな時は、のんきで穏やかな主人との何気のない時間が支えになって、乗り越えてこられたと思う。いつも本当にありがとう>主人来年もまた、晴れる日も曇る日も雨の日もあるように、Good timesもBad timesも、代わる代わる訪れるだろう。辛い時は、素直に嘆き悲しもう。嬉しい時は、心の底から喜び楽しみ笑おう。ムリしない。ガマンしない。頑張りすぎない。流れに棹せず、生きられるだけ生きたい。
2018/12/31
コメント(0)
ベランダで、聞き慣れない鳴き声がしていた。インコだろうか。どこかのお宅から逃げ出してしまったのかな。飼い主さん、心配されているだろう。保護を試みたけれど、取り逃がした。元気に飛んでいった。青空に黄色が映えていた。
2018/12/27
コメント(0)
2018/12/22
コメント(0)
今日は舅の命日。主人は日頃からこまめに電話する人でもなく、姑はメールの使い方を覚えなかった。この日は毎年、朝、主人に、「今日はお母さんに電話しときゃあ」と声をかけていた。姑も今夏亡くなって、もうそれさえなくなった。全然大したことでもないのに、何気のない平々凡々とした当たり前というか、そんなのも日常だったんだろうか。そんなことができなくなって、ポカンと空いている穴は何ともデカい。
2018/12/05
コメント(0)
姑の百箇日。ようやっと帰省出来ました。主人の家に着いてすぐ、姑のお骨に手を合わせたら、思いもかけず号泣でした。法要の後も、なぜだか涙が止まらない私に、叔母さん達(姑の妹さん達)が「来れて良かったねえ」と温かくて、余計涙が止まりませんでした。なぜだか今も涙が止まりません。お通夜も告別式も四十九日も(甥っ子の結婚式も)出られなかった私にとっては、今日がお葬式のようなものでした。周囲の皆さんには3か月強の時間が流れていて、自分には流れてなかったようです。一般には四十九日で、お墓に納骨するか、お寺さんにお骨を預けるらしいのですが、うちは今日の百箇日で預けました。お寺さんに預ける前、頼んで、お骨を持たせてもらいました。何から何まで至らない嫁でしたが、お義母さん、ありがとうございます。ご挨拶できて良かったです。
2018/11/09
コメント(0)
長崎の友達の誕生日が7/13。今年も野菜を送ろう、と思っていた矢先の西日本豪雨災害。今は緊急支援物資が優先と、少し送るのを待っていた。先日、ほぼ半月遅れでようやく送った。中に手紙も同封した。このところの体調の悪さから、いつものようにword作成プリントアウトとはいかず、珍しく手書き。時間がなかったので下書きもせず、さらさらっと勢いに任せて綴りながら、野菜の品種の説明はさておくとして、もっと元気なことを書けんもんかと思った。もちろん書き直す時間もない。野菜送ったよメールで、ネガティブな手紙でゴメンね~と予め連絡しておいた。今日、お野菜届いたよメールをもらった。「手紙ネガティブじゃないよ。読んでたら泣いてた。返事はちゃんと手紙で書く」泣いてるとか、うわぁやべぇ何書いたっけ?思い出せず、しばらく悩んでいた(笑)次第に思い出せた(笑)ああ、ああいう内容を、そんなふうに深く受け止めてくれたんだ。ものすごく嬉しかった。ありがとう。
2018/08/02
コメント(0)
キミをスキなままでいたいから しばらくキミのことを忘れるよ いつか また会いたいと願っているのは きっとボクの方だけなんだろうね
2018/05/29
コメント(0)
今回のコミュニティ・デイは、レアポケモンのメリープ大量出現! ひつじ好きにはたまらない!!@(^ェ^)@ 今回のコミュニティ・デイも、ポケストップがたくさんあるビナウォークで過ごした。 普段はタマゴからの孵化でしか入手できないメリープが、うじゃうじゃいる!!! 捕まえても、少し移動すれば、すぐまた別のがわいてくるwww 色違いメリープげっと! 早速モココへ進化させた。 ↓普通のモココはこんな感じ。 ↓色違いモココはこんなふう。 そして、最終進化のデンリュウへ。 ↓普通のデンリュウ。 ↓色違いデンリュウ。 すっかり堪能した。 ↓ごく一部のメリープ。 くたびれた@(>ェ
2018/04/15
コメント(0)
訪問看護や居宅介護サービスを利用することで、看護士さんやヘルパーさん、精神保険福祉士さん、社協さん、市役所の担当者さんなど、うちにいろいろな人が出入りされた。 その都度、当たり前にお茶を出した。 いろいろな人がいた。 「美味しい」「いい香り」と飲まれる人もいた。 「本当は飲み食いしちゃいけないの。次から出さなくていいよ。私達には気を遣わないでね!」と仰った上で、飲まれて「ああ美味しい」と仰る人もいた。 こういう人は、きちんと全部飲み干される。 一方、「トイレが近くなるから」と全く手を付けない人も1人いた。 お茶の木は、昔は家の垣根との兼用だったらしい。 お茶をふるまうということは、その垣根の内側のうちの敷地に入っていいですよ、という意味合いだったらしい。 物理的に敷地内に入ることだけでなく、関係性・心理的にも内面に入ってきていいですよ、という意味合いだろう。 さてその後も、訪問看護や居宅介護サービスの利用を続けている。 行政サービスの利用とは言え、結局は、個人と個人のお付き合い。 虐待トラウマがあり、強い対人恐怖を抱える私にとっては、見ず知らずの人に散らかったままの家に入られることで、毎回強い緊張で臨むこととなった。 どこまで踏み込んでもらっていいんだろうか。 どこまで相手を信頼できるんだろうか。 どこまでなら大丈夫だろうか。 それを毎回少しずつ、広げて深めていった。 頭では、最初から大丈夫だと解っている。 けれど、心で納得して強い緊張をほどくのに、かなりの時間がかかった。 今、この人は信頼して大丈夫と感じられるようになった人は、最初に「美味しい」という言葉を添えてお茶を飲まれていた人だった。 「トイレ云々」は、悪い人ではないのだろうけど、信頼関係には程遠い。カチンと来ることを、来る度に毎回やらかしていく。根本的に、そういうお人柄なのだろう。 お茶と関係性が、がっつり重なるのを、面白いと思った。 今回たまたまかもしれないけれど、やっぱり、そもそも「お茶を出す」ということが、「お茶を出せば人間性を推し量れる」ということなのかもしれない。 トイレの人にはもう出さないw
2018/04/13
コメント(0)
去年の夏頃、畑の農具テントにアマガエルが住み着いていた。 しばらくして見かけなくなった。 その後、2つある貯水槽のうちの金魚が入っていない方で、オタマジャクシが大量発生。 ジョウロで水を汲むと、必ずオタマが入り込む。水を使えなくなった。 (金魚がいる方にも産卵されていて、その卵は金魚に食べられてしまったのかも?) オタマのエサをしらべたら、金魚のエサでいいようだった。金魚と同じようにオタマにもエサやりしていた。 大半が、冬に入る前にカエルになった。 オタマジャクシのまま貯水槽に残っていたものは、ある冬の日、一斉に死んでいた。 ものすごくショックで、がっくり落ち込んだ。 春になった。 すっかり貯水槽に藻が生えて、水が汚れてきた。洗って、きれいな水に入れ替えたい。そのために水を使い切りたいので、今は水位が下がっている。 そこに、まだオタマが生きていた。カエルになっていた。 水位が低いため、自力で貯水槽から出られなくなっていた。 今日も、そんなカエルを救出。 今年の厳しい冬を、良く生き残ったね。良く頑張ったね。 ばいばい、元気でね。 今年の夏も、アマガエルが住み着いて産卵するかな? 無農薬野菜が、もてはやされる風潮がある。 個人的には、適切に使用されている農薬について、食べる人への影響は全く気にしていない。それは、病気でずっと薬を利用しているからでもある。 けれど、オタマへエサやりしたり、キアゲハのいもむしを飼ったりしたことで、彼らを殺さないために、なるべく農薬を使わないようにしたいと考えている。 自然界で育っている野菜なのだから、虫がつく方が自然。 うちで食べる分については、多少の虫食いは気にしていない。 畑では、周りもほとんどが無農薬だったり、農薬を使うとしても家庭菜園用の弱いもの。 こういう環境だから、アマガエルなどが生きられるのかもしれない。 虫食い野菜は、傷みが早い。 スーパーの野菜は、収穫されてから消費者の手元に届くまで、移動などの振動もあるし、時間もかかる。 大量生産かつ少しでも傷みにくいようにと、予防的に農薬を使われるのだろう。 家庭菜園での無農薬は、少量生産で、移動の傷みもほとんどなく、更に当日や翌日に食べきる分ずつの収穫だからこそ、可能なのかもしれない。
2018/04/06
コメント(0)
今宵は、今月二度目の満月。ブルームーン。見ると幸せになれるそうな。 ビナウォークの、この風景が好き。 旅から戻った時に、この風景が「おかえり」と言ってくれる。 七重の塔と枝垂れ桜。 今春の桜は急ぎ足。
2018/03/31
コメント(0)
ずっとお礼を申し上げたかった方がいた。 3月11日に「ありがとうございます」と書ければ良かったけれど、いまいち書きそびれた。 今日、書けた。 「うれしいです!」 思いがけず、お返事を頂いた。 思いもかけない程、喜んで頂けたっぽい。 嬉しいですは、こちらこそ(^^)
2018/03/17
コメント(0)
寒の戻りで、今日の天気予報は雪。 水やりで庭に出たら、久々に息が白い。 そんな寒さの中、沈丁花が咲き始めていた。 鼻を近付ければ、ふわりと春が香る。 子供の頃から、沈丁花が好きだった。 玄関先に沈丁花があるお宅に、憧れていた。 実は、私のような貧乏人には手が届かない世界だと、最初から諦めていた。 春先に、どこからか漂う香りや、どこかのお宅の沈丁花を眺めるだけで、十分満足していた。 昨年1月。 横浜の園芸店のセールに行ったら、あの憧れの沈丁花の苗木もたくさん並んでいた。 驚いたことに、これが、全然手の届くお値段。 全く予定していなかっただけに、衝動買いのような勢いで、苗木と鉢を買った。 積年の憧れが、まさか3000円足らずで叶うとは(笑) あまり木を買ったことがないので、鉢選びは店員さんに相談した。 その時のご説明が、今も心に残っている。 「この子は、ちょっと気難しいというか、へそを曲げちゃうことがあるんですよ。植え替えは慎重にして下さい。呆気なく枯れることがあります。また、長く育てていても、突然枯れることがあります。大事にしてあげて下さい(^^)」 その店員さんが立ち去られてから、主人が驚いて一言。 「今の店員さん、沈丁花のことを『この子』って言ってたね(^^)」 沈丁花は、赤花にするか、白花にするか、ものすごく悩んだ。 悩み抜いて、白花を買った。 今でも、赤花が良かったかなと思ったりするので、きっと赤花を買っていれば白花が良かったかなと思っているだろう。 要は、どっちも好きなんだ。 だけど、うちの子は、もうなんだか特別。 昨年末から少しずつ、つぼみがふくふくと膨らんでいた。 増土や追肥をして、水やりの回数を増やして。 今日、咲き始め。 これからどんどん花開いていく。香っていく。 花が終わったら、また、お礼肥をしよう。 いつか庭のある家に住めたら、その玄関先に定植するつもりだから、へそ曲げないで根付いてね。 それまでは鉢でガマンしてね。 これからもずっと、春が来たのを教えてね。
2018/02/22
コメント(0)
初雪が降った。 通院日だったので、雪の中を外出。 家を出る時にはアラレに変わっていた。 通院先の相模大野に着いたら、アラレは雪に戻っていた。 空はどんより雲が低く垂れ込み、雪はだんだん激しくなっていた。 病院の待合室は、いつもなら患者が4~5人いるのに、今日は1人もいなかった。 診察が終わって外に出たら、うっすら積もり始めていた。まだお昼過ぎなのに。 買物を手早く済ませ、外に戻ったら、更に積もってきている。 お薬の調剤や昼食を済ませて、外に出たら、更に積もって、通行人が入れないようにされていた。 雪国めいてきた。 早々に電車に乗り込み、座間駅に戻ったら、駅前は一面真っ白。 タクシーは1台も止まっておらず、バスが来る時間まで待つより歩いた方が早いので、徒歩で帰ることに。 いつもの見慣れた風景が、次第にどんどん雪国に! 先日の帰省で買ったミニブーツが、早速役に立った。足のつま先が冷えて辛くなることもなく、靴底に溝もあって滑ることもなく、ずんずん歩いて帰ってこれた。 こんなに積もると、歩くたびに足音が片栗粉を踏んでいるよう。 軽くナチュラルハイになっていた。 帰宅して、まずは一休み。 それから、アパート駐車場の出入り口を1人で雪かき。 ここは、ゆるやかな登り坂。 4年前の大雪の時に、アパートの住人の車がこの坂を登れず立ち往生し、その後に帰宅した主人が巻き添えで入れない、という事があった。 暗くなる前に一通りやった。 一仕事して、甘酒でホッと一休み。 もう暗くなり、夕ごはんの支度に取り掛かろうとして、念のため少し外の様子を確認したら、アパートの隣の隣の人の車がスリップして立ち往生していた。 雪かきしておいた出入口は登れたものの、ご自分の駐車場に入ろうとバックした所で、後輪が空回りしていた。 雪かきスコップを持って救出作業! それが一通り済んで、出入口を見てみると、さっき雪かきしたとは思えない程また積もっていた。 改めて雪かき。もうすっかり暗くなっているのに、雪明かりで十分見える。 さっきスリップしてたおじさんも、スコップで雪かきされていた。 そしたら、また別の部屋の方が出て来た。そこのご主人もまだ帰宅されていない。 「雪かきの道具がないんです。貸してもらえますか?」 うちも、雪かきスコップは1本しかない。畑で使っているスコップは畑に置いてある。そう言ったら、 「それじゃ、その雪かきスコップ貸して下さい!代わります。少し休んで下さい(^^)」 いいお人や。 降りしきる雪の中で、あったかく感じた(^^) さっきより広い範囲を一通り雪かきして、やっと家に入り、夕ごはんの支度に取りかかった。 こういう災害時は、無意識に、いつもより多目に用意する。東日本大震災での物流ストップや計画停電の不安が、今も心に焼き付いている。 主人の職場は、こんな大雪でも定時に上がれなかった。 それでも普段よりはずっと早く19時ごろに上がった。 主人の帰宅時にも雪かきが必要だと、また雪に濡れるので、お風呂に入れずに帰宅を待っていた。 無事に帰宅し、先に夕ごはんを食べ、やっとお風呂に入ったら天国だった!! 主人が帰宅して、やっとテレビを点けて、神奈川県にも大雪警報が発令されていたのを知って驚いた。 だから誰も通院してなかったのか。 もし通院を取り止めていたら、雪国風景を歩いて見ることもなく、寒いからと室内にこもり、雪かきもしなかっただろう。 警報レベルの大雪を、ケガもなく無事に最大限に堪能できて良かった。
2018/01/22
コメント(0)
今年も、座間神社に初詣。おみくじは中吉。「思いもかけぬ煩い起こりて心痛するが」で始まっている。うーん、何か大きなトラブルに見舞われるのかもしれないな。心構えはしておこう。「何事も運に任せ思い煩うな」と締めくくられていた。ああ、そっか。辛い時は、つい何とかしようと、あれこれ頑張る。けれど、後から振り返ってみて、上手く乗り越えられた時もダメだった時も、頑張っても頑張らなくても一緒だったんじゃないのかな。今年は、肩の力を抜いて、頑張らないで、流れに身をゆだねるような生き方を心掛けてみたい。
2018/01/07
コメント(0)
さあーっと一雨。私には、雨音に銀色が視える。季節ごとに、わずかに他の色が混ざる。今夜の銀色は蒼色を携えていた。その蒼に、季節がそっと夏の終わりに移り行くのを感じた。共感覚。音に色を感じたり、人に色や温度や触感を感じたり、言葉ににおいを感じたり、他にもいろいろ。音で色を感じるのは、音という刺激(脳の聴覚野で処理)に、脳の視覚野も反応して処理しているから。f-MRIを撮ると、聴覚野も視覚野も反応していることが分かるらしい。そんなふうに、1種類の刺激で複数の感覚が反応することを「共感覚」という。割と最近まで「共感覚」という言葉を知らなかったので、自分が共感覚である自覚がなかった。自分のこの世界は、誰だって少し心を研ぎ澄ませれば感じられるものだとばかり思っていた。どうも、200人に1人とか2000人に1人ぐらいしか、いないらしい。そんなふうに、普通の人には聴覚野だけの刺激でも、私は聴覚野も視覚野も反応する。それらの反応が別々に存在するのではなく、複合的に組み合わされる。単音ではなく音楽のハーモニーのように、あるいは様々な色で構成される絵画のようになる。普通の人に比べると、刺激が増幅され、更に独特の世界になって感じているのかもしれない。共感覚の自然風景は、とても美しい。私だけでこの世界を経験しているなんて、思いもしなかった。とても素晴らしい世界だから、この体感はシェアできるといいのに。独り占めなんてもったいない。ただ、、、いいことばかりでもない。一番閉口するのが、胡散臭い人や嘘臭い言葉に遭遇した時に、凄まじい悪臭が立ち込めること。視覚・聴覚・触覚・味覚と異なり、嗅覚は脳にダイレクトに届く。そのため、胡散臭い・嘘臭いなどと感じた瞬間、肉や野菜の腐敗臭や歯磨きしていない口臭や強烈な腋臭などのような悪臭を、脳でダイレクトに感知してしまう。これは本当に辛く耐え難い。あとは、、、感覚を共有できない孤立感が淋しい。共感覚については、まだまだたくさん書きたいことがある。今日は手始めでこの辺で。
2017/08/14
コメント(0)
今日は相模原にお出かけ。
2017/07/23
コメント(0)
お昼頃、やっと起きれた。 夜間に初雪かも?とは、天気予報でやっていた。東京で11月に初雪が降るのは、54年ぶりだそうだ。全然生まれる前やわ。 そして今朝、まだ寝ていたけど、主人が「真っ白だよ!」と言ってたのは覚えている。 そして、起きたのは昼過ぎだったけど、うわー、まだ降っている。 主人も友達も、交通機関トラブルなく無事に出社できたろうか。帰りも大丈夫だろうか。 ふと、イルカさんの懐かしい名曲が頭をよぎった。 『初雪』 汽車を待つ君の横で ぼくはスマホを気にしてる 季節はずれの雪が降ってる 「神奈川で降る雪はこれが最初ね」と 嬉しそうに君はtweetする 初雪も降る時を知り ふざけすぎた収穫祭の後で 今 冬が来て 君は ばばあになった 去年よりずっと ばばあになった 話は変わって。 昨日の収穫祭で、頭を強打した。 暗くなって足元が見えづらい時に、鋤やホーを片付けようと棒を手に取ろうとして、足で金属部分をもろに踏みつけた。 そのまま棒が頭にぶち当たり、目の前が真っ暗になり、声も出せず、立っていられず、その場にうずくまった。 主人にも友達にも、何かが起きたことさえ分からなかったそうだ。 頭には、見事にたんこぶが出来ていた。吐き気もない。病院は行かなくても大丈夫そうだった。 メガネはぶっ飛んでいた。友達が暗い中で探して見つけてくれた。鼻柱もズキズキしていた。あとで鏡で見たら、鼻パッド部分が真っ赤に腫れていた。 メガネ屋さんに駆け付けて、再調整してもらった。フレームが歪みまくってたとかで、大変そうだった。 ドリフのコントやマンガでの古典ギャグ。 そんなのを地でやってしまった。 こんなにキツいもんだとは…(/_;) そんなこんなで、起きれたのは昼過ぎだった。 昨日の疲れもあり頭の強打もあり、今日はムリしない。 今も頭がズキズキ痛むので、名曲も迷曲になったのだろうし。
2016/11/24
コメント(2)
やっと雨が降った! このところ何日も、昼間は真夏日、夜は熱帯夜が続いていた。 そもそもの体力がないだけに、大げさではなく毎日熱中症。 今朝も、起きたら頭痛がひどく、動くとめまいもひどく、ふらふらだった。 昼過ぎ、あまりにもどんよりどかーっと暑くて、一雨欲しいと切実に思った。 16時頃、ぱらぱらっと雨音。 待望の雨。 やったーーー!!!( ゚∀゚)o彡゚ …うーん、激しすぎる。 雨音はバラバラ激しく、ごうごう唸り出して、滝にいるみたい。 大雨洪水警報が出ていた。 ここまで本気出さなくても…。 夜になって雨は止んだ。 熱を持っていた建物も地面も、ひんやり。 今夜はぐっすり眠れますように。熱中症も治りますように。
2016/08/10
コメント(0)
ずっと体調が悪いので、今夜は主人がカレーを作ってくれた。 肉を買いにスーパーに行って、少しして帰ってきて、 「財布を忘れた」 畑で収穫したズッキーニが8本もあったので、カレーに入れるように頼んだ。 カレー作り半ば、念のため聞いてみたら、案の定、入れ忘れていた。 「そろそろ出来上がって食べれるよー」と言ってから、突然「あーっ!!」と叫んで、「ごはん炊くの忘れとった」 カレーは、とっても美味しかった。 じゃがいもは、もらった男爵と、今日主人に収穫してもらったうちのじゃがいも(インカの目覚め)を混ぜて食べ比べ。 インカの目覚め、んまー!! インカの目覚めは、小粒品種。 6株しか育ててないとは言え、収穫量はたったこれだけ?とがっくり。思ってた半分よりも少ないぐらい。 それなのに、食べてみると、味が濃くてねっとり。 美味しくて収穫量が少ないことで、お値段がお高いのも頷ける。 あと、ズッキーニを塩もみして、レッドオニオンのスライスと一緒に、ツナで和えてもらった。 ズッキーニもレッドオニオンもミニトマトも、うちでの収穫。 カレーもズッキーニの和え物も、多目に作ってくれた。 明日も体調が悪くても大丈夫なように。 気を利かせてくれてありがとう。 抗うつ薬アモキサンを断薬して2週間。 離脱症状で下半身の筋肉が強張り、痛みがひどくて動けない状態。 家事などやれないし、畑作業も滞るし、特にこの1週間は寝たきり状態。やれないことでも、痛みの疲弊でも、やたら落ち込んだ…。 (という所に、某被災地がまた炎上して、昨晩のグチに…) 痛みはまだひどいけれど、昨日で峠を越えた感じ。 あとは元気になる一方だ!…と思いたい…。
2016/06/19
コメント(0)
アボカドは 出窓ですくすく外は 雨に喜ぶスイートピーいよいよ関東も梅雨入り雨の季節の到来
2016/06/05
コメント(0)
決戦は金曜日。スマホに、ボスからの電話着信。「渡したいブツがある。今すぐ来られないか?」即座に単独行動。向かう先は、竹藪でカモフラージュされているアジト。ボスは、鎌を手にしていた。「明日だと大きくなっちまう」そう言いながら鎌で差した先、地面から少し出ているそれが、今回の取引のヤバいブツ。スコップやシャベルで掘り上げるのか、鎌で切り出すのか。違った。ボスは、やおらブツを蹴倒した。一撃でブツは倒れた。そんなふうに、次々とブツを蹴倒し、どっさり3本も手渡された。…鎌は、何だったのだろう?味方をも欺く陽動?このアジトは、先ほどのブツから幾度となく襲撃されている。毎年、根深い抗争が繰り広げられている。襲撃 その1 今年も侵入者現る!その2 グリーンマルチ(の3枚目の写真)その3 密かなる侵入筍初めてアジト内に入った。このアジトは、ボスが建てたらしい。中には工具あり、囲炉裏あり。先日ここで、猪鍋と鹿肉での密談も執り行われている。男子が憧れそうな秘密基地。帰り際、ボスは、ブツが人目に付かないよう袋に入れてくれた。「どっかの竹藪から盗ってきたと思われちまうといけねえからな」どっか、、、この辺りに竹藪はここしかない。。。帰宅して速攻、ブツを密かに処理。ヤバい!ヤバ旨!!収穫したてで、あく抜きせず炊いてみたところ、風味が強く残り、しかもシャキシャキ。タマネギもズッキーニも、うちで収穫したもの。ズッキーニ、糠漬して焼いてみたら、思いのほか旨い♪春菊もボスからの頂戴もの。この日は竹輪と一緒にゴマ和え。それだけに留まらず。揚げ物ひさびさ。ヤバい!ヤバ旨ふたたび!!ブツとの抗争は、まだしばらくは続くそうな(*^^*)
2016/06/03
コメント(2)
急に暑くなったのが堪えているのか、私は今日も調子を崩し、横になっていた。 畑は、水がどんどん必要。 主人が、電動自転車に水を積めるだけ積んで、家と畑を5~6回往復して、畑の貯水槽(お隣さんから頂いた浴槽)を満タンにしてくれた。 ちょうど主人が帰った頃、やっと私も起きた。 お手洗いにいたら、裏の窓から女の子達の声が聞こえてきた。やりとりの相手は警察のよう。 裏のお宅で何かトラブルでもあったのか、変質者でも出たのか。 なんか裏に警察来とるよと、そっと主人に話した。 程なくして、主人は家を出て、裏に向かった?! 警察と主人のやりとりする声が聞こえてきた。 不審者が出たという通報があったものの、それは主人のことだった。警察を呼んだのは、裏のお宅ではなく、通り掛かりの女の子達だった。 このアパートには、外に水道の蛇口がない。 お風呂場からホースを引っ張って、庭に水やりしたり、畑に持っていく水タンクに水を入れたりしている。 そうやって、水をタンクに溜めては運ぶ様子を、ジロジロと見られているとは思っていたそうな(笑) 誤解が解けて主人が帰ってきて、少し置いて、ピンポーンと玄関のチャイム。 さっきの警察だろうと主人が出たら、かわいい女子中学生の3人組。 「さっきは、すみませんでした!!」 えらいなあ、ちゃんと謝りに来てくれた(^^) 「不審者かもしれない時に、自分達で対応せず警察に連絡するのは、正しい対応だからいいよ」 と主人も言った。 うちの辺りは大きなお店もあり、犯罪発生件数が多いらしい。 日頃からの十分な用心が大切。 笑い話で済んで良かった。 せっかくなので、しばらく主人を「不審者!」と呼ぼうヽ( ´ー`)ノ
2016/05/15
コメント(2)
13日は、4年前に他界した母の命日。 結局、妹たちに連絡を取ることもなく、1日は終わった。 午前中は庭活。 カロライナジャスミンとラムズイヤーの寄せ植え鉢で、ジャスミンのツルを整枝して、ラムズイヤーは下葉取り。そして追肥。 あと、きゅうりを誘引して土寄せ。 午後は畑活。 メインイベントは、マルチシート掛け。 スイートコーンと枝豆の混植畝に、マルチを掛けてなかった。 マルチには、雑草抑制や地温上昇や保湿効果がある。畑への水運搬で苦労しているので、保湿のため、今になって貼ることにした。 3回に分けての種まきで、もう2回分発芽しているのに…。 そこに、1人で掛けた。 手前が1回目種まき、奥は3回目種まき分(まだまいていない)。 まずは奥の端を固定。 くるくると、少しずつマルチを掛けて、穴を開けて、苗を出して、の繰り返し。 1人でやった割に、きれいに貼れたもんだ(^_^)v お向かいの方と、今日初めてお話した。 鳥の写真を撮るのがお好きで、75万円もするカメラを買ったそうな。それで北海道旅行を諦めたとか。奥さまには「写真より畑やれ!」と言われているそうな。 お隣さんには、昨日は春菊やカブをたんまり頂き、今日はブロッコリーをたんまり頂いた。 独特の不耕農法をなさっている。最初にお話を伺った時は、それで野菜が育つの?と思ったけれど、実際に目の前で育っていた。 いつも「適当だよ~」と仰っている。実際、適当でいい所は本当にとことん適当。一方で、抑えるべきツボを的確に抑えておいでで、更に独自のセンスや勘。 とても真似できるとは思えない。 ただただ面白い。 今、畑の周囲は父母ぐらいの年代の方々で、おしゃべりが楽しい。 父や母とも、こんなふうにしゃべれたら良かったな。そんな思い出があれば良かったな。 母はもう亡く、葬儀にも行かなかった。父にも、会うことも葬儀に行くこともないだろう。 子は親のかすがいなのに、私がちゃんとしていないから、父と母が上手くやれないのだと、父に殴る蹴るされた。 オレはこんなことをしたくないけど、おまえが大事だから、将来のことを思って殴る蹴るしてやっとるんやと、殴る蹴るされた。 母が殴る蹴るされても私が庇ってあげていないから、私が殴る蹴るされても誰にも庇ってもらえなくて仕方ないと思っていた。まだ幼稚園ぐらいの頃から。 自分を、伸びきったゴムひものようだと思っていた。 父も母も親ではなく、精子提供者や卵子・子宮提供者が法律上の保護者をやっているけれど、あんなのは親ではないと、だから頼れないんだと、見切りを付けたのは小学生の頃だった。 今、畑で、父母と同じ年代の人と楽しくおしゃべりできてる。 私が悪かった訳ではなかったんだ。 そんな、もう分かりきってるハズのことを、こんなふうにこれからも、何度も何度も、何度も何度も何度も、なぞっていくのだろう。 父や母や子どもがいて愛情でつながっていて、当たり前のことを当たり前と思えてることが、最高の幸せ。 …と書いてしまうと、まるで自分が不幸の塊のようだ。もちろん、そんなふうにはちっとも思ってない。 私は、普通に恵まれることには恵まれていないけれど、普通じゃない恵まれ方をしている。トータルでプラスマイナスゼロか、ひょっとしてプラスかもしれない。 今の当たり前が、全てひたすらにありがたい。
2016/05/14
コメント(2)
有朋自遠方来。不亦楽乎。(朋あり遠方より来る。また楽しからずや)15年ぶりに、石垣島に移住した友人に再会!!\(^o^)/おみやげもらった(^^)もともと主人の同僚で、私のバイト先のOBのような人で、今はなき海老名工場で働いていた。主人とは、1歳違いで誕生日が同じ。そんなご縁で、2人で石垣島に遊びに行ったりもした。ここ数年、ずっと私が体調を崩しているので、なかなか行けなかった。その間に友人は結婚し、お嬢さんに恵まれた。さて今日。主人が持病の通院のため、海老名駅に11時に待ち合わせ。友人は、その前に海老名駅近辺をうろうろして、あまりの大変貌に「すっかり浦島太郎」と言ってた。移住されたのは、ビナフロントやららぽーと海老名が出来る前なのはもちろん、ビナウォークさえも出来る前だもんなあ。小田急海老名駅からららぽーと海老名に行くと、動く歩道もあるし、とってもオサレ。ここが海老名なの?!と錯覚する。そこから少し西に離れて、河原口の交差点から246に向かう県道から、ららぽーと海老名を眺めると、オサレな建造物が田んぼや畑の中にポツンとあって、何とも言えない違和感で笑える。友人も爆笑していた。良かった(^^)お昼は、国分寺そばさん。2人は天ぷらそば、私は湯葉そば。すっかり2人で四方山話に夢中で、話に割り込んで「先にメニュー決めやあ」(^^;)その後、うちの方にも来てもらった。泉橋酒造さんを越えると、西に大山はじめ山々が連なり、周囲は一面田んぼ。「うん、海老名だ!!」と喜ばれていた。この見慣れた風景が私も好き。未来にまで大切に伝えていけるといいな。いろんな話をしたなあ。思い出すまま。○「沖縄の新聞2紙を読んでみよう」読み比べて、まるで切り取り方が違うそうだ。マスコミは60%ぐらいしか信じない、後はネットで自分で調べる。→私も、東日本大震災を機に、マスコミ情報は一意見に過ぎず参考に留めようと思うようになった、と話した。○先日の台風で大停電された時の話。普段から台風時には窓のサッシに目張りされることが多いのだけれど、あの時の台風は桁違い。サッシから雨が吹き込んで室内はベチャベチャになり、強風で床はガタガタになったそうな。停電から復旧して、冷蔵庫内はごめんなさいするしかなく、奥さまが「こんなに食べ物を捨てるのは初めて」と。○石垣市役所が石垣空港跡地に建設される話が出てるそうな。←今は建築関連のお仕事をなさっている。○ららぽーと海老名はいつオープンしたんですか?ではなく「いつ工事を着工したんですか?」と尋ねられて、着眼点が違うわ。○神奈川にいらした時から空手をやってらしたので、その伝手で移住されたと思っていたら、違っていた。あちらで、他にやることもないしと空手道場通いを再開されたんだそうだ。その空手仲間から奥さまを紹介されてご結婚されたお話は、その時にブログで読んでて、胸が熱くなった。○奥さまは和歌山県ご出身の方なので、おにぎりせんべい・しるこサンドなど関西・中部圏でのメジャーなお菓子を、お土産でお渡しした。友人はどちらのお菓子も知らないようだった。奥さまに喜んでもらえるといいな。あと、まだまだ、あの頃の会社のいろんな方の動向を聞いたりもしながら、時間が過ぎるのはあっという間だった。有朋自遠方来。不亦楽乎。ステキな時間を本当にありがとうございます!!
2016/04/02
コメント(0)
今日から、小田急線海老名駅にロマンスカーが停車するようになった。たまたま主人が以前に箱根日帰り温泉チケットを購入していて、使用期限が今月いっぱい。20年近く神奈川県民をやっているのに、箱根の温泉を利用したこともない。畑を始めた所での慰労も込めて、友人も誘い、箱根に行ってきた。家を出た頃は曇り空。電車が走るにつれて、車窓に青空が広がってきた。線路沿いに、たくさんの菜の花。元気になれる黄色。途中は小田原にだけ停まり、箱根湯本へ到着。ロマンスカーのスピード感で、旅行気分が増幅。まずはお昼ごはんに、はつ花さんに向かう。道すがら、鄙びた風情ある温泉街の雰囲気。激混みだったけれど、案内が小気味良く手際良く、思っていた程は待たずに入れた。貞女そば。旨っ!小粋にずずずっ。「箱根補完計画ARスタンプラリー(https://www.hakone.or.jp/eva/)」が再始動していたので、やってみた。▲箱根観光物産館▲えゔぁ屋 シンジVer.▲えゔぁ屋 カヲルVer.▲箱根湯本駅▲あじさい橋GPSと連動していて、風景や人物に合成されたイラストが写り込む。記念写真も可能。面白くて何枚もばしゃばしゃ撮った。そんなこんなでくたびれた。くたびれた時は甘いもの。まんじゅう屋の菜の花さんの2階の茶房で、梅はちみつジュースと桜まんじゅう。おまんじゅうに添えられた桜はホンモノ。さて、いよいよ当初の目的の日帰り温泉へ。天成園さん。桜が咲き始めている。裏手には玉簾の瀧。広い旅館に、いいお湯。女湯は6階。真っ先に露天風呂へ。初めにつかった湯船は、見下ろすと先ほどの瀧。次は、源泉掛け流し。あつくなって浅めにつかって、のぼせそうな身体を冷ます。最後、バブル風呂で背中をどこどこマッサージして、湯あたり手前で出て来た。髪と肌の手入れをしながら、お肌すべすべで気持ちいい(^^)その後は、無料休憩所で冷水を飲みながら、しばしまったり。夕ごはんは、画廊喫茶ユトリロさんで、こちらの特製カレー。スパイシーでおいしかった。箱根は、夜が早い。私達が夕ごはんを食べ終えて駅に向かう途中で、夕ごはん難民なグループを見掛けた。おみやげは、駅前の箱根の市で購入。そして帰路に着いた。帰りは各駅停車で小田原まで行き、急行に乗り換え。急行に乗り換えて、気付いたら3人ともコトンと心地良く眠りに落ちていた。ただいま海老名。充実した1日だった(^^)
2016/03/26
コメント(2)
近隣に厚木基地がある。 22時を過ぎても、飛行機の飛ぶ音が聞こえる。 米軍の飛行機か、自衛隊の飛行機か、音や形では分からない。 音が響くような低空飛行は、夜間はあまり行われない。 北朝鮮が衛星を打ち上げるとか、実態は弾道ミサイルだとか、巷はきな臭い。 シリア難民や、その原因を思うと、中東も欧米もきな臭い。 そんな今 この部屋に、電気がついてること 蛇口をひねれば、水も湯も出ること 夕ごはんを食べれたこと 明日の朝ごはんの心配もしなくていいこと 昨日の当たり前が、今日も当たり前のまま、明日につながること 当たり前のひとつひとつは、どこかの誰かに守ってもらっているものであること こんなふうに 当たり前を当たり前と思えていることが、何よりの幸せ こんな夜間に飛行機が飛ぶ音に、悪いことは起きませんようにと祈りながら、私たちが守られていることを感謝。
2016/02/03
コメント(0)
昔から、虫は怖い。 秋に入ってから、畑や庭で、零れ種から発芽したトマトやバジルを幾つも見かけた。 幾つかを鉢上げし、室内に置いていた。 寒さが厳しくなるにつれて、バジルは全滅し、トマトも次々と枯れた。 畑から持ってきたミニトマトで元気良く成長して最後まで残っているのが、最近、葉っぱが落ちたようになっていた。 この所の寒さで、これもそろそろダメかなと思っていた。 今日、葉っぱに隠れて、葉っぱより明るい緑色が見えた。 近づいたら、まさかのあおむし。 鉢上げ前に産卵されていたのだろう。 葉っぱは、枯れて落ちたのではなく、食べられた後だった。 相変わらず触るのに抵抗はあって、あおむし側もトマトから引き離されるのに抵抗した。 力を入れすぎて引き離したら、お腹とか足とかちぎれちゃうし。 なんとか引き離して、床にボテッと落ちて、拾い上げて、少しテーブルの上。 身動きしない。 つついたら動いた。良かった死んでない。 パン1.5斤が入る百均の透明ケースに移した。 お茶っぱ飲んだ後のを入れてみた。食べるかな? のけぞるように上半身をくねらせて、気に入らない様子。 りんごの皮と芯を天日干ししたものを入れてみた。食べるかな? 芯は少しかじったけど、その後やっぱり上半身をくねらせていた。 冷蔵庫の野菜室から、畑で収穫した餅菜を持ってきた。これなら食べるだろう。 うーん…。動きまわるばかりで、かじろうともしない。上半身をくねらせて、きっとトマトの葉っぱを探している。 あおむしがいなくなったミニトマトは、なんだかホッとして見える。 もうダメそうなら、あおむしのごはんにしちゃうけど、この分なら回復するかもしれない。 あおむし、諦めがついたら餅菜を食べるかな? ずっとトマトだけ食べて大きくなったから、他を食べるとか出来ないのかな? このまま成長してモンシロチョウになっても、外は2月の寒さで花も咲いてないし、どうしよう…。 夜になって、あおむしは動き回るようになった。 少し様子見しよう。
2016/02/01
コメント(0)
私が生まれた日は、夕方から雪が降り出したそうです。 そう母が話してくれたことを思い出して、1日が始まりました。 母からはネグレクトされていた、それは父からの凄まじいDVに加えて、母自身も統合失調症だったから、仕方なかったんだ。 そんなふうに、ずっと思ってました。 ずっと解離していた記憶。 予期せず突然に噴き出すフラッシュバック。 ずっと、なかったことにしてたのでしょう。 そうしなければ、自分は壊れていたのでしょう。 それが、やっと、とうとう、蘇るようになりました。 怯えながら 少しずつ 記憶に 恐怖に 向き合って 耐えながら 怖くて怖くてたまんない 整理し直して 片付け直して 母からの虐待はネグレクトに限らなかったと分かるようになりました。 そんなことがあって、今日「○○ちゃんの生まれた日には、雪が降っとったんやよ」を思い出すんですね。 この日に私を産んだ母はもう亡く、死んだのが幾つだったか良く分かりません。 父は存命ですが、今後も会うことはないでしょう。 Good Times & Bad Times. 苦しみも悲しみも辛さもやるせなさも尽きることなく、怒り悲しみ憤り、これからも私は人を傷付け、傷付けられるでしょう。 だから一層、喜びも楽しみも嬉しさも、ありきたりな日常の何気ないひとこまも、私には一際美しく輝いて感じられます。 その時にそのたびに、私は明るく笑っていますように。 qp qp qp qp qp qp qp いつも支えてくれて、一緒に笑ってくれてるみんなへ、ホントありがとう♡ qp qp qp qp qp qp qp
2016/01/09
コメント(1)
全300件 (300件中 1-50件目)