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先週の木曜から自分の車が使えるようになって、大喜びの私です。車を買う、という、私たちにとっては何気ないことも、この国ではかなり厄介なことのひとつ。基本的に、車を持つ・使うのは、政府関係者、外交官待遇者、仕事に必要な人たちなどに特別に許可されるので、個人が「普通に」車を買うことは、認められていないのです。運転する身としては、交通量が少ないのでラクですが、現地の人たちの生活はかなり不便そう。彼らの交通手段は、バスか相乗りタクシー。私も使ってみましたが、バスは、混んでいると、ベビーカーを断られてしまったりするし、相乗りタクシーは、行きたいところへ行く車がなかなか見つからなかったり、何度も乗り換えなければならなかったりして、娘を連れて出かけるのには、ちょっと不便です。普通のタクシーもありますが、ほとんど東京並みの高さ。運良く、夫は外交官待遇で仕事しているので、私たちは車を買うことはできるのですが、車の流通もかなり限られているのが実情。同じ外交官待遇の誰かが国を去る時、車を売るという情報をすかさずキャッチして買うのが手っ取り早い方法です。私たちの場合、日本大使館に勤めていた方が転勤になるため、車を売るという情報が入ったので、夫と一緒に一度下見し、即決で購入を決めました。車を譲り受けたのが9月末。ところが、その後、登録やら、ナンバープレートの変更やら、事務所間(私たちの場合は、日本大使館と夫の事務所間)で車の授受をしたという警察への報告やらが、手間取ること、手間取ること。その間は、ナンバープレートがない状態なので、運転もお預け。そのまま一ヶ月が過ぎ、二ヶ月が過ぎ、娘を連れて出かけるのに不自由で、行動範囲が限られてしまう私は、だんだんイライラし始めました。夫の友人夫妻を家に招いた時、「僕たちのバイクを買った時も同じだったよ。業を煮やして、本物そっくりのニセのナンバープレートを作って、それをつけて街中走り回っていたけど、何も起こらなかったよ。」と言われて、同じようにしようかしら、と思ったほど。そんなこんなで、やっとナンバープレートが下りて、晴れて運転できるようになった時は、子どものようにはしゃいで、何も用事がないのに、娘をベビーシートに乗せてドライブしていました。好奇心旺盛で、家の中や近所の散歩だけでは退屈してしまう娘も、ご機嫌。夫も、運転してストレスを発散している妻を見て、ほっとしているようです(笑)。こんなに苦労して手に入れた車、この国では、限られた人たちにだけ許されるぜいたく品なんだ、という実感がわきますね。大事に運転していこうと思います。
2008.12.02
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昨日、娘は一歳の誕生日を迎えました。一年前、美しい満月の夜に陣痛が始まって、翌朝、彼女がこの世に出てきてから、まる一年になるのだと思うと、ひどく感慨深くて、一年前のことをあれこれ思い返していました。誕生祝いのパーティは、夫の仕事の都合等で、12月初めに予定していますが、昨日は内輪のちょっとしたお祝いをしました。私はケーキを焼いて、ちょっと豪華な離乳食を作りました。娘を我が子のようにかわいがってくれる子守のLさんとそのご主人、息子さん、お祖母さんまで、それぞれにプレゼントを用意してくれ、ケーキを買ってくれました。おやつの時間には、ケーキにろうそくを立てて、みんなで歌を歌いました。娘は、何だか特別な日であることは分かるようで、はしゃぎ気味。プレゼントしてもらったおもちゃで遊んだり、初めて食べるケーキが気に入ってもっと欲しがったり。みんなに代わる代わる抱っこされて、上機嫌でした。昨年、娘を出産した後、夫の実家に滞在していた時も、この国に移ってきてからも、娘は周りの誰からもいたく可愛がられて、すくすくと元気に育っていて、母親としては感謝の気持ちでいっぱいになります。大切な娘が、このまま、みんなに愛されて幸せに成長してくれることを祈った一日でした。
2008.11.27
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皆さん、こんにちは。先週の日曜日は私の誕生日でした。夫と、友人づきあいをしているLさんとそのご主人に素敵なお祝いをしてもらったので、ちょっとオノロケみたいになってしまって恥ずかしいのですが(笑)、その時のことを書いて見たいと思います。誕生日の夜、夫が用意してくれたのは、セレナータ。楽師たちがやってきて、ロマンチックな歌を色々歌ってくれるというものです。もともとは、恋する男性がお目当ての女性の部屋の窓の下で恋心を歌にして歌うものだったそうですが、「プロ」の楽師に頼むという形で、現代にまで引き継がれている慣わしです。夫はこれをサプライズとして用意してくれたので、出かけていた彼が帰ってきた時、何も知らずに出迎えに行った私は、楽師たちがずらりと並んで歌い始めたのにびっくり。ラテン男性にしてはかなりテレ屋の夫の、思いがけない(?)企画にもびっくり。実は、夫は、結婚式の前夜にもこれをプレゼントしてくれたのです。立ち会っていた義兄や両親は、日本とは大分違うロマンチックな慣わしにすっかり驚いたようで、「いやあ、カルチャーショックだなあ」としきりにくり返していたのを覚えています。さて、私の誕生日に歌ってくれた楽師たち。いかにもラテンアメリカ風の打ち解けた態度です。夫がみんなで飲もうと買い込んであったビールがテーブルの上に並べてあるのを見て、「これ、見るためのもの?それとも飲むため?」などと言いながらどんどん缶を開けて飲み始めたり。私の電子ピアノを見て、「これ、ちょっと弾いてみたいんだけど」と言って、弾きながらひとしきりセッションしたり。でも、歌と演奏の腕前はなかなかのもの。夫と私は、気に入って、娘の誕生祝いのパーティでも演奏をお願いすることにしました。演奏が終わった後は、楽師たちと、Lさんとそのご主人と、みんなでケーキを食べて、お決まりのお開き。とても心温まるひとときを過ごすことができました。
2008.11.20
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皆さん、こんにちは。ご無沙汰しています。例によってバタバタしていたこともありますが、しばらくインターネットの調子が悪く、アクセスできなかったのです。慣れれば、なくても意外と平気になるとはいえ、やはりインターネットが使えるのはいいものです。11月も半ばに入り、中南米の中では緯度が少し高いこの国では、8月・9月にくらべてめっきり涼しくなってきました。湿気のない日は、秋めいた日差しと、カラリとした空気がなかなか気持ちよく、娘を連れて散歩するのも快適です。その娘は、あと10日ほどで一歳の誕生日を迎えることになります。昨年、彼女を出産してからもう一年になるのだと思うと、しごく感慨深いものがあります。夫と私はその誕生パーティの準備を始めています。招待客のリストを作ったり、場所の下見に行ったり、プログラム(?)を考えたりするのはなかなか楽しいもの。手作りのバースデーケーキも作りたいので、その練習を兼ねて、ちょくちょくケーキも焼いています。そのケーキ作りを通じて、はあ、ここでは日本とは勝手が違うんだなあ、と感じたことについて、今日はちょっと書いてみますね。まず、日本では難なく手に入る薄力粉。こちらでは、あちこち探さないと見つからないのです。相次ぐハリケーンの到来後、野菜や果物が手に入りにくくなったことは前回の日記に書いたとおりですが、ここでは、その他のものも、突然市場から姿を消すことがあります。ある時はどこのスーパーに行ってもあるのに、ない時はどこにもない。しかも、いつ出てくるか、いつなくなるか、まったく分からない。そんな状態なので、買い物するのにも知恵(?)が必要です。ほしいものは、見つけたらすかさず買い、絶対に必要なものは、常に買いだめするのが基本なのです。さて、なかなか見つからなかった小麦粉をうちのお手伝いさんが見つけたというので、張り切って何袋も買い込みました。これで、しばらく安心してケーキ作りが楽しめる、とホクホクした気分でケーキを作ってみたら。何か、出来上がりがいつもと違うのです。フワッとした仕上がりにならず、固い感じ。何度か試してみても同じなので、どうも小麦粉に問題があるようです。私の推察では、薄力粉だと思って買ったものが、強力粉、又は両方を混ぜたものだったのではないかということ。お手伝いさんや、娘の世話を手伝ってくれるLさんに尋ねてみると、「こちらでは、パンを作るのも、ケーキを作るのも同じ小麦粉よ」という返事。がっかりして、買いだめした小麦粉のほとんどを他の人に売ってしまいました。娘の誕生日には、顧客のほとんどが外国人というスノッブなスーパーで、輸入ものの小麦粉(薄力粉)を探すことになりそうです。もうひとつ、驚いたのが、ケーキ作りにいそしんでいる私を見ていた、Lさんの息子さんの言葉。泡だて器で卵白を泡立てていた私を見て、「泡だて器があるとケーキ作りに便利だよね」と言うのです。不思議に思った私が、「泡だて器がなかったら、何で泡立てるの?」と聞くと、「フォークで泡立てるんだよ」という返事。ひええ、確かにそれは大変だろうなあ、とびっくりした私は、家に泡だて器が二つあるのを思い出して、ケーキ作りの好きなその息子さんにひとつあげることにしました。彼は、「わーい、これでケーキ作りがラクになる」と大喜び。いやはや、ここでケーキを作るのは、思ったよりも大変なことのようです。
2008.11.14
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皆さん、こんにちは。またまたご無沙汰しました。9月には、日本でも大雨で被害が相次いだようですが、こちらでも次々とハリケーンがやってきました。現地の人たちに聞いても、シーズンとはいえ、こんなに次々と大型のものがやってくるのは珍しいとのこと。我が家は、海に近いとはいえ、マンションの4階なので、水浸しになる可能性はまずなし。しかも、建物には停電時に自動的に発動する発電機が備え付けてあります。ハリケーンに停電はつきものですが、この建物では燃料を持たせるために一日数時間発電機を止めるくらいなので、あまりわずらわされなくて済みました。しかし、現地の人たちの普通の家では、何日も電気や水が止まってしまったり、水浸しになったりすることがしょっちゅうなのです。アフリカに住んでいた時、度重なる長い停電や断水に悩まされた私としては、さぞかし大変だろうと思うのですが、彼らは意外と慣れた様子で、「日中はろうそくなしでも過ごせるし、料理は2-3日分作ってあるから、何とかなるわよ」といった反応。たくましいなあ、と感心します。さて、相次いでやってきた一連のハリケーンが去ってすぐ、私は娘を連れて、数年前に住んでいた中米の国へ旅行しました。そして、帰国してから、ハリケーンたちがもたらした影響に気がつき始めました。農作物や家畜が大被害を受けたので、なにしろ、市場がひどく品薄の状態なのです。鶏たちが大量に死亡したとかで、卵が市場から姿を消しました。いわゆる闇市で、普段の倍の値段を払ってやっと手に入るのです。これまでは難なく手に入ったバナナや玉ねぎも、一生懸命探さないと手に入らない状態。我が家の眼の前には、木のスタンドで野菜や果物を売るミニ青空市のようなものがあって、ちょっと何かを買い足すのにとても便利だったのですが、ハリケーン以来、ずっと閉店のままです。そこで働いていたお兄さんとは顔なじみになって、ちょっと小銭が足りない時におまけしてもらったり、一番いい品物を選んでもらったり、何かとお世話になっていたので、彼のことも心配。商売上がったりで、どうやって暮らしているのかなあ、と気になります。街中のいたるところにあった、同じような小さな市場は、ほとんどみな同じように閉店しているとのことです。そして、手に入る品物はもちろんみな値上がりしています。初めは、夕飯が乏しくなってしまうなあとか、娘の離乳食のメニューがいつも同じになってしまうなあとか考えていた私ですが、お手伝いさんたちに頼んで何とか限られた野菜や果物、卵が手に入ることのありがたさを身にしみて感じ始めています。
2008.10.07
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今日は、我が家で起きた、ちょっと不思議な出来事の話をさせていただきますね。私たちは、インコを二羽飼っています。動物が好きな夫が、私と娘の到着前に衝動買いしたものです。互いの羽づくろいをし合ったり、くちばしでチュッチュッとキス(?)を交わしたり、えさを食べさせ合ったり、寄り添って昼寝したり。どこからどう見ても仲の良いつがいです。娘も、彼らの様子を見ていると飽きないようで、テラスで過ごす時間、このインコたちを眺めるのは楽しみのひとつでした。ところが、先日、かごの中にインコが一羽しかいないことに気がつきました。その日の朝、えさを足して水を取り替えた時、かごの扉をきちんと閉めなかったので、開いた隙間から一羽が逃げてしまったようです。残された一羽は、しきりに鳴きながら、逃げてしまった伴侶を呼び戻そうとしている様子。「一羽ぼっち」になってかごの中に捕われているインコを見ると、何だかかわいそうで、新しい「伴侶」を買ってあげなくちゃね、と夫と話していました。そして、2日後。娘の世話を手伝ってくれているLさんと一緒にテラスで娘をくつろがせていたところ、なんと、逃げたインコが戻ってきたではありませんか。初めは、似た色の野生のインコがやってきたのかな、とも思いましたが、かごの中のインコとくちばしをつつき合い始めたのを見て、明らかに逃げたインコだと分かりました。一度はかごの外に逃れたものの、伴侶が恋しくて戻ってくるなんて。そして、伴侶のいる場所をちゃんと覚えているなんて。とてもびっくりしました。かごの中の捕らわれの身であっても、一緒にいられるほうが幸せみたい。だったら、その手伝いをしてあげよう。Lさんと私とは、どうやったら戻ってきたインコをかごの中に戻せるか、画策を始めました。鳥を捕まえるための網でもあればよかったのですが、あいにく、我が家ではそんなものは備えていません。私は、ふと思いついて、娘のベッドにかけている小さな蚊帳を持ってきました。それを鳥かごにかけて、すそを少しだけ開け、中にえさをまいて、首尾よくインコが網の中に入ってくれるのを待ってみました。でも、インコは、周りをウロウロするだけで、網の中に入る気配はなし。ちょっと近づくと、警戒してすぐに逃げてしまいます。「二羽のためによかれと思って色々やっているんだって分かってくれたらねえ」とLさん。仕方ないので、「ダメモト」で、インコが近くに来た時、蚊帳をさっとかぶせてみました。きっと、飛んで逃げてしまうだろうと思っていたのに、上手に捕まえることができたのです。蚊帳の中でバタバタしているインコを、Lさんが素早く手でつかんで、かごの中に戻してくれました。再び一緒になったインコたちは、早速寄り添って愛撫を始めました。そのほほえましい姿を見て、Lさんも私も心が温まる思いでした。自由の身にしてあげられなくてごめんね。でも、また一緒になれてよかったね。ずっと一緒に、仲良く、楽しくね。心の中でそう語りかけながら、私たちはそのかわいらしい姿を眺めていました。
2008.09.03
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皆さん、こんにちは。先日の日記に書いたとおり、7月の末に、新しい国で家族そろって生活を始めました。今のところ、滑り出しはしごく順調。多少こぢんまりとはしているものの、海の見える広いテラス付きのマンションに住み、現地のお手伝いさんに家事や娘の世話を手伝ってもらうという贅沢な生活をしています。治安はかなり良いほうなので、娘を連れてふらりと散歩に出たり、近くで買い物をしたりできるのも嬉しいことです。まだ沢山の人たちと知り合ったわけでもなく、それほど出歩いているわけでもありませんが、今日までの暮らしの中で一番印象的なのは、現地の人たちの「助け合う」感覚です。例えば、娘の世話を手伝ってくれている女性と彼女のご主人。彼らは、夫とは数ヶ月前から知り合っているのですが、私と娘が到着する前は、ほとんど毎晩のように夫を家に招いて夕食をご馳走してくれていたそうです。決して裕福ではないけれど、きれいに整えられた家で、質素ながらとてもおいしい手料理をご馳走になるのは、とても心温まることだった、と夫は言います。家事を手伝ってくれている男性は、現地の市場で買い物もしてくれるのですが、私が渡したお金が少々足りなかったりすると、自分のポケットマネーを足してくれます。そして、後で私が足りなかった分を渡そうとしても、受け取らないのです。いわゆる「使用人」にあたる人たちがこんな形で助けてくれるのは、私にとっては本当に「有り難い」こと。こちらがお返しできることはあまりなく、お世話になりっぱなしなのですが、せめて、ちょっとした食べものや飲み物をおごったり、たまに食事をご馳走したりしています。「使用人」という感覚は私も好きではないので、助けてくれる友人・知人たち、という感覚で接することができるのは、とても嬉しく、気持ちが良いことです。娘の世話を手伝ってくれる女性とは、なぜか気が合って、色々な話もするようになりました。彼女の母親は、アメリカに渡り、そこで仕事して得た収入を仕送りしています。この国ではよくあることで、政府同士の「敵対関係」をよそに、アメリカに流出する人たちが後を絶たないのも皮肉な事実。しかし、アメリカの暮らしに憧れる彼女の言葉を聞くと、複雑な気持ちにさせられます。経済的に豊かで、この国のような規制を受けずに自由に物を買ったり国の外に出たりできるのは、もちろん素晴らしいこと。でも、一方で、周りの人たちが困っていても知らんぷりだったり、助け合いよりも競争が先に立ったりすることもあるのよ。人と人とのつながりが薄くなって、孤独に苦しんでいる人たちも沢山いる。そう伝えたら、彼女は少し考え込んで、言いました。そうね。この国では、いつも周りに誰か助けてくれる人がいて、お腹が空いて死ぬことはないものね。私自身、都会に生まれ育ち、周りの人たちのことに無関心になったり、知らない人を警戒したりする傾向もあります。この国に住んでいたら、そういう心の砦が少しずつ崩されて、できる形で自然に身の回りの人たちと助け合うようになれるかもしれないな。娘も、そういうところを学んでくれたらいいな。そんなふうに思っています。
2008.08.26
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いつも娘を連れて散歩に行く公園でよく顔を合わせる、ちょっと神秘的な雰囲気をまとった女性の方がいます。ペチャクチャとおしゃべりしながらウォーキングする「おばさま」たち、音楽を聴きながらジョギングする男性たち、子連れの母親たちが多い中で、何か読み物を片手に、ゆっくり、ゆっくり歩いている様子が印象的。よく顔を合わせるので、少しずつ言葉を交わすようになりました。と言っても、彼女が話しかけてくる内容は、いわゆる世間話や仕事の話ではないのです。数日前、彼女と会った時、娘の顔が中国の何とかという(名前が難しかったので覚えていないのですが)女神の像に似ていると言われました。そこから発展して、イエス・キリストが布教を始める前、世界各地へ旅し、当時の宗教家たちやスピリチュアルなリーダーたちと交流を持っていたことを示す軌跡を示したドキュメンタリーの話をしてくれました。そして、キリストの教えは、他の宗教と通じるものが多いのだということも。私が以前から感じていたことを、「やっぱりそうなんだ」と納得させてくれる内容で、とても興味深く聞きました。私は、どの宗教も、その教えの根本は同じだと思っています。宇宙に存在する「大いなるもの」が根っこにあって、それをどのような形で解釈し、伝えていくかが違っていただけのこと。いわば、同じ山の頂上を目指すのに、色々なルートがあるようなものだと思っています。だから、宗教の対立や、それが原因となった戦争ほど悲しくて滑稽なものはないと思います。しかし、そう言う自分も、宗教に関してはともかく、「こうあらねばならない」「これが正しい」と思うことが沢山あります。そして、それと違う行動を取る人たちを見ると腹が立ってしまうことがしばしば。よく考えれば、これも、「この宗教が正しい」と主張してケンカから戦争に発展するのと同じことなのですね。「違いを認め合い、尊重する」のって、会議や意見交換のレベルではできても、態度や生き方となると、意外と難しいものです。そのことを改めて認識させてくれるようなことが、娘を伴った場で起こったのには、何か意味があるのかしら。違う国に生まれ育った父親と母親を両親に持ち、世界の色々な国に住むであろうわが娘が、宗教や考え方の違いを大きな心で抱き止めて、調和をもたらすような存在になってくれたら嬉しいな。そのささやかな手助けができるように、私自身、広い心を持てるようになりたいな。そんなことを思いました。
2008.06.26
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皆さん、こんにちは。前回のブログを書いてから、本当に長い間ご無沙汰しました。実は、ここしばらく、軽症ながら、いわゆる「産後ウツ」と呼ばれるものを患っていました。ホルモンのバランスのくずれのなせる業ということですが、加えて、夫と離れて義理の家族と過ごす時間が長くなったのが、思いのほか、ストレスになっていたようです。神経が過敏になり、情緒が不安定で、妙にイライラしたり、小さなことが気に障ったり、落ち込んだり、泣きたくなったり、疲れて何もする気にならなかったり。そんな日が続いていました。娘の育児を楽しむよりも大変だと思ってしまう。そんな自分がやるせなくて、娘に申し訳なく感じました。そして、心から信頼して話せる人が身近にいないのを寂しく思っていました。今でも治療中ですが、大分よくなって、ブログも書く気になりました。この一ヶ月ほどの間、気がつくとイヤな気分になることを考えていました。自分の思いや感情をコントロールしようと思ってもできない苦しさ。そこから脱しつつある今、以前と同じことが起こっても、ごく自然に、違う感じ方ができたり、気持ちにゆとりを持って受け止められたりすることが増えてきています。あの時は暗闇を早く抜け出したい一心だったけれど、焦らなくても、時間が解決してくれたんだなあ、としみじみ感じます。苦しい時、自分の力でどうにかできることもあるけれど、機が熟してその状態が過ぎ去るのを、ただ待つのが必要なこともあるのですね。義理の家族と確執があった時は、いつも、つい「自分が正しい」と主張していました。が、みんな、結局は善意で行動していているんだ、そして、言い争いになった時でも、相手は(私と同じように)理解されないことに傷ついているんだ、という当たり前のことが、少しずつ、頭で理解できただけではなく、感じられるようになりました。この間に、夫の新しい赴任地も決まりました。最近、リーダーが交代した社会主義の国。といえばお分かりですね(笑)。候補だった赴任地の中では、条件も生活環境も一番いいところなので、決まった時は皆で大喜びしました。娘を連れて夫と合流し、念願の家族三人の生活を始められるのも、もう間もなくのことです。振り返って、上手に学べたとはとても思えないけれど、この場で学ぶことをそれなりに学び終えて、また次のステージに移る時期が来たんだな、と、感慨深く感じています。
2008.06.17
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娘が生まれて2ヶ月半が過ぎ、予防接種も済んだ頃から、ベビーカーに乗せて少しずつ外に出るようにし始めました。それまでは、娘は、たまに車に乗せて病院や義姉の家などに連れて行く以外は、ずっと家の中にいたので、新しい経験に大喜び。眼をきらきらさせ、好奇心いっぱいにあたりを見回す様子には、思わずこちらが微笑んでしまいます。どんどん成長して、同じ環境や遊びではすぐに退屈するようになってきた彼女を楽しませてあげるにはぴったりの方法なので、忙しくても、努めて毎日連れ出してあげるようにしています。親に似たのか(笑)、朝寝坊が大好きな娘は、早朝の授乳の後、かなり遅くまで寝るので、こちらはその間の時間を有効に使い、朝の運動や朝食などを済ませてひと仕事した後、昼少し前に、家の近くにある大きな公園に一緒に散歩に行きます。週末は家族連れでにぎわうこの公園も、平日のこの時間帯はほとんど人気がなく、二人きりのゆっくりとした時間が過ごせます。目に映るものや聞こえてくるものについて、思いつくままにいろいろなことを娘に話しながら、あるいは歌を歌いながら、ゆっくりとしたペースで歩きます。そうすると、これまでよりもずっと沢山のものに目が留まることに気がつきました。木々の間に見え隠れする、さまざまな色や形の鳥たち。見上げた木の枝にひっそりとなっている実たち。咲いている花たちが少しずつ開いたり、朽ちていったりする様子。同じ木々や花々でも、その日の天気や空気によって色が違い、からりとさわやかな匂いがしたり、しっとりと湿った土の匂いがしたりします。吹きぬける風とともに、木たちの葉がさわさわと音を立てていっせいにそよぎ、はらはらと葉が舞う様子に思わず見とれ、鳥たちを目で追ううちに、自分も娘と同じように、いや、もしかしたら彼女以上に、毎日の散歩を楽しんでいることに気がつきました。そして、自然に触れながら、頭を休めてぼうっと歩くことで、心身ともにいかにリフレッシュできるかということにも。日々の用事や仕事に追われて、ともすると、家の中を走り回ったり、パソコンに向かったりしているうちに一日が終わってしまいがちだったのが、娘のおかげで、思いがけず素敵な時間をプレゼントしてもらえたようです。
2008.03.10
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妊娠と夫の転職を機に、夫と一緒に住んだアフリカの国を去ってから、はや10ヶ月が経ちました。その間、自分の実家に5ヶ月、夫の実家に5ヶ月、「居候」をさせてもらいました。気がつけば、一年近く、自分の家でないところに住んだことになります。これは、10年以上の間、一人暮らしを満喫し、結婚してからも自分のペースで自分の好きなように暮らすことを大事にしていた私にとっては、かなり新しい経験です。今、お世話になっている夫の実家には、義母、義弟、義妹が同居している上に、別途居を構えている義姉や姪たちもほぼ毎日のように訪ねてくるので、みんなが集まると、ちょっとした人数になります。私がこれまで慣れ親しんだ核家族の環境とは、かなり違う雰囲気です。自分と娘だけの部屋をあてがってもらってはいますが、いわゆるプライバシーは、あってないようなもの。この家では、みな、自分の部屋の扉を開け放していて、誰もが勝手に出入りするからです。身の回りで起きたことも、みんなに話すのが当たり前という雰囲気。夫から電話があったときなど、みなに口々に「どうだった?何て言っていた?」と聞かれるし、夫からのメールに書いてあったこともある程度「報告」しないと、「なぜ教えてくれなかったの?」などと言われてしまいます。はじめの頃は、そんな環境に戸惑いと不快感をおぼえていました。一人でゆっくりしたいときや、仕事にいそしんでいるときに、他の人たちがドヤドヤと部屋に入ってきて、娘を囲んでにぎやかに話し始めたりすると、イライラしたり、ため息をつきたくなったり。夫の電話やメールの内容を、なぜいちいち「報告」しなくちゃならないのかしら、と不満に感じたり。でも、慣れるにつれて、「大家族」のありがたさも身にしみるようになってきました。私がちょっと眼を離している間に娘が泣き出したりすると、近くにいる誰かが自然に様子を見に行ってくれます。出産後、二ヶ月経って在宅の仕事を再開した後、気がつくと、義母や義妹が娘の相手をしてくれる時間が増えています。用事があって出かけたいときも、忙しい中、みなが予定をやりくりして、娘の面倒を見る時間を作ってくれます。私が、「みんな忙しくて大変そうだから、出かけるのを止めにするわ」などと言うと、「何を言っているの、大丈夫よ。何とかするから行ってらっしゃい」と、気持ちよく送り出してくれるのです。「あなたの都合なんだから、あなたが何とかするべき」「忙しいのに、こんなことまで背負い込まされて迷惑」といった言葉は一切聞きません。各自ができる範囲で助け合うという形が、ごく自然に、しかも気持ちよく行われているのです。ここでは、「私のもの」「あなたのもの」「私の責任」「あなたの責任」というよりも、「みんなのもの」「みんなの責任」という感覚なんだなあ、と、つくづく感じます。娘の面倒を見るのは、母親の私の責任(だけ)ではなくて、みんなで助け合うもの。そんなみんなのサポートにどんなに助けられたかしれません。気がつくと、私も、仕事が忙しくても、できる手助けをしたり、誰かが訪ねてきたときには相手をしたりするようになっていました。予定が狂って焦ることもありますが、その後、自分が思わぬサポートに助けられたり、仕事が思ったよりも早く済んだりして、結果的に帳尻が合うことが多いことにも気がつき始めました。自分の周りで起きていることや、夫との会話をみんなに話すことも、少々うっとうしくはありますが、慣れてしまえば、「みんなで分かち合えばもっと楽しい」に近い感覚になってきました。そして、最近、しみじみと考えるのです。自分のペースで生活することや、周りに干渉されないことや、プライバシーを守ることは、いつの頃からか、私にとってとても大事なものになってたけれど、果たして、何のためだったのだろう?と。もちろん、今でも、自分のペースで好きなように暮らすことの快適さは大好きです。今の環境でずっと暮らしたいか?と聞かれれば、「はい」と即答できないことも事実(笑)。でも、今まで、「これだけは絶対に守りたい」「これだけは絶対にイヤだ」と思っていたことが、フタを開けてみたら、思っていたのとはちょっと違った、と気がつくことができたのは、貴重な経験でした。そんな経験をプレゼントしてくれた娘、夫、そして夫の家族に感謝しています。
2008.02.18
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生まれて間もない頃、娘を見ていると、つくづく、「新しい世界にやってきたばかりなんだなあ」と感じたものでした。ちょっとしたことにも心もとなそうだったり、不安そうに泣き出したりするとき。抱いたり手を握ったりしてあげないと寝付けないとき。抱き上げると、落ちてしまうと感じるかのように手足をバタバタさせるとき。そんなとき、私の心臓の音が聞こえるように添い寝してあげたり、おくるみにしっかり包んで抱いてあげたりすると、娘は安心するようでした。寝ているとき、妊娠中によく聴いていた音楽を流してあげると、心なしか息づかいがやわらいで、かすかに微笑むように見えました。お腹の中にいた頃のことを思い出すと安心できたのでしょう。この世の中を見てみたくて、いろんな経験がしたくて外に出てきた娘。でも、いざ出てきてみると、勝手が分からないことばかりで、今まで知らなくて済んだストレスもあって、彼女なりに大変なんだろうな。そう思うと、それまでのように心地よいお腹の中で守ってあげられないことに、少し切ない気持ちになるのでした。それから二ヶ月以上経って、娘は新しい世の中にどんどん適応しています。生まれたばかりの頃のはかなげな雰囲気に代わって、元気いっぱいの「現実」そのものの雰囲気をかもし出しています。好奇心もいっぱいで、ベッドに寝かせておくと退屈してご機嫌ななめになることが多い。反対に、周りが見えるように抱いたりベビーカーに乗せたりして、家の中や庭のいろいろなものを見せてあげると、眼を大きく開いて、興味津々といった表情であたりを見回します。青い空や、暖かい日差しや、さわやかな風や、庭の植物や、義母が大事にしている家の中のものやらを、みんな楽しませてあげたいな……。そんな気持ちにさせられます。そんな娘の成長ぶりには眼を見張るものがありますが、それでも、いまだに「この世界」と「違う世界」のはざまを行き来しているように見えることがあって、驚かされます。何か私たちに見えないものを見ているかのように、ふいに声を出しながら楽しそうに微笑むとき。反対に、悪い夢でも見ているのか、何の前ぶれもなく、突然泣き出すとき。考えすぎかもしれませんが、何か、私たちが忘れてしまった大事なものと交流しているように感じられたりします。昔から、童話の世界では、子どもたちだけが見たり話したりできる者たちが登場しますが、ひょっとして、娘もそういう者たちの存在を感じているのかもしれません。娘がもう少し大きくなった時も、まだその「大事なもの」を覚えていてくれたら。そして、私にも思い出させてくれたら。そんな期待をしてしまう今日この頃です。
2008.02.13
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娘が生まれてからしばらくの間、気がつくと、夜中の授乳の合間が大切な息抜きの時間になっていました。夜中の3時や4時に起きて、授乳した後、すやすやと眠り始めた娘をそっと寝かせて、哺乳瓶を煮沸するために台所に下ります。そして、眠い目をこすりながらお湯が沸くのを待っている間、庭に出てみると、とても気持ちがいいことに気がついたのです。ひんやりした夜気と、みんなが寝静まっている時間のひっそりとした静寂が心地よく、晴れわたった空に星がきらきら輝いていたり、月が見えたりするのを見上げていると、何とはなしに気持ちまでゆったりと静かになっていくのでした。早朝の時間もそうでした。明るくなり始めた空に静かな月がかかっていて、鳥たちがさえずり始め、すがすがしい空気が流れていく。新しい一日の始まりならではのさわやかな時間。眠気に代わって、身体の細胞が少しずつ目覚めていくような、そんな感じです。みんなが寝ている間、自分だけがちょっと特別な時間を独り占めしているような気にさえなったものです。それまでは寝るのが大好きで、そんな時間に起きたことなどほとんどなかった私にとっては、新しい発見でした。娘の世話にてんてこまいで、バタバタとあわただしく過ぎていく一日の中で、わずかでも、ひとりきりで自然と触れ合うことのできる心静かな時間は、とても貴重なものでした。そんな時間を持てるのも、夜中に授乳する母親の特権かもしれない、と思ったりもしました。生まれて約二ヶ月経った今、娘は夜、かなりまとまった時間寝るようになり、夜中に哺乳瓶を煮沸することもめっきり少なくなりました。身体はとても楽になって助かっている一方で、あの特別な時間がちょっぴり恋しい気もする今日この頃です。いろいろなことが移り変わっていく中で、その時にしか味わったり楽しんだりできないものがある。当たり前のことですが、そう感じます。娘と接する時間にしても同じこと。どんどん成長して変わっていく彼女の様子に驚嘆の思いを感じつつ、今しかないこの時間をしっかりいつくしみたい、そう思います。
2008.02.03
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皆さん、こんにちは。またまたご無沙汰しました。1月の前半は何かとあわただしく、バタバタと過ぎてしまいました。そのハイライトが、一週間ほど前の両親の来訪でした。彼らが孫の顔を見るためにはるばる旅してくることを決めた時は、期待していなかっただけに、正直なところ、びっくりしました。両親と娘との対面では、父は少々戸惑っている様子。かわいい赤ちゃんだと思う一方で、その赤ちゃんが自分の娘のお腹から出てきて、子どもだと思っていた(笑)娘が母親になったことに、いまひとつピンと来ない思いを抱いているようでした。一方、母のほうは、こちらが驚くほど愛情豊かに娘に接していました。ホスピタリティあふれる夫の家族は大張り切りで、レンタカーを借りていろいろなところへ両親を連れて行ってくれたり、私が彼らと一緒に出かけている間、娘を預かってくれたりしました。夫や両親と一緒に出かけたり、外でゆっくり食事をしたりできたのは、私にとっても良い気晴らしでした。それだけに、両親と夫とがみな同時に発っていった日は、とても寂しい気分でした。今までの生活に急にぽっこりと穴があいたような、そんな気持ちでした。しかし、夫のいない生活に再び少しずつ慣れていくにつれて、静かで落ちついたこの暮らしも悪くない、そんなふうに思えるようになってきました。人間は本当に環境に順応する生き物ですね。そして、しみじみと思ったのです。夫が到着してからの約一ヶ月の間は「ハレ」の時間で、「宴」が終わった後、「ケ」の時間に戻ったようなものだと。「ハレ」の期間には、家族みんなでクリスマスやお正月を過ごしたり、喜んで娘の面倒を見てくれる義母に彼女を預けて、夫や彼の友人たちと一緒に外出したり、訪ねてきた両親と一緒に過ごしたり、めまぐるしくも楽しい日々を過ごしました。その後、再びゆったりとした生活のペースに戻ることで、娘と一緒の時間をじっくり楽しんだり、少し自分を見つめたりする機会を持つことができる。その両方があるからこそ、バランスが取れるような気がします。さらに、気がついてみたら、私は必要な時に必要なサポートをきちんと受けているなあ、とも思いました。思い返せば、妊娠中から、夫とずっと離れて暮らすという「代償」は払ったものの、自分と夫の実家に滞在して快適な生活を送ることができた。出産後の一番大変な時期に、夫は私と一緒にいて、あらゆる面でサポートしてくれた。普段、必ずしもストレートに愛情を表さない両親も、孫と娘に会うために、はるばる日本から訪ねて来てくれた。娘は周りのみんなの愛情をいっぱいに受けてすくすくと育っている。そう思うと、不思議な気がするとともに、感謝の気持ちでいっぱいになります。初めての経験ばかりで、いろいろと不安になったり、先のことが心配になったりすることもある日々ですが、ゆったりと流れに身を任せていれば、すべてうまくいくのかもしれない……改めてそんなふうにも感じるのです。
2008.01.24
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皆さん、こんにちは。前回のブログを書いてから、大分ご無沙汰しました。その間には、生まれたばかりの娘を交えて夫の家族とクリスマスとお正月を過ごし、みんなで料理を作って食べたり、プレゼントの交換をしたり、訪ねてきた隣人や友人たちとしばし雑談したりと、とても楽しく思い出に残る時間を過ごしました。でも、出産後の一ヶ月を振り返ってみると、大変だったという印象の方が強いのが正直なところです。少しでも休みたい一心の時、全然寝ついてくれない娘にイライラしてしまったり、夫の家族みんなが娘との時間を楽しんでいるのを傍目に、自分だけがそうできない気がして落ち込んだり。中でも持て余したのが、義母のことでした。私や夫の育児にいちいち首を突っ込んで、あれこれ批判したり、何かと理由をつけて自分がやろうとしたりするように見えて、とても気に障りました。新米の母親として自分なりに精一杯やっているのに、なぜもっと信頼するような態度を取ってくれないんだろう。そんなふうに思って、少々きつい口調で言い返してしまったこともありました。そして、その後、彼女が私を快く思っていないように感じられて、気に病んでしまったりしました。そのままではやっていけないように感じて、少し前、思い切って彼女に言いました。何か、私のやることで気に障ることがあるように感じるのだけれど、よければ教えてほしい、と。すると、彼女は答えました。そんなことないから大丈夫よ。ここのところ、夫の命日だったりして、少し落ち込み気味で、あまり話さなかったりしたけれど、気にしないでね。ありがとう、と。それを聞いて、何だか目からウロコが落ちたような気がしました。義母は寂しいんだ。寂しいから、孫や息子と接触したくて、あれこれ私たちに構いたくなるんだ。今までうるさく口出ししているとしか思えなかった義母が、まったく違う姿で私の目に映りました。そして、もしかして、私とはまったく関係のないことで起こっていることにまで、神経質に反応してしまっていたのかもしれない、と思いました。もちろん、義母は私に気を遣って当たり障りのない返答をしてくれたのかもしれません。でも、それはもう私とは関係のないこと。私は私でできることをしたんだし、これ以上気に病むのは止めよう。やっと、そう思うことができました。目からウロコが落ちてみると、自分が今までやってきたことも、違った目で見えるようになりました。何だかんだ言って、私は「母親の役目をきちんと果たしている」と自分で納得したくて、そして周りにもそう思ってほしくて、そのことに一生懸命だったのですね。もちろん、初めての育児が大変なのは確か。でも、周りや自分自身から「認めてもらうこと」にこだわるあまり、自分が本来持っているハッピーな気持ちや素直な愛情を忘れて、ふり回されてしまっていたのでした。そう気づくと、何だかこっけいな気さえしてきました。これからは、肩の力を抜いて、自分がハッピーな気持ちでいられることに焦点を当てていこう。初めての母親業なんだから、試行錯誤やハプニングはあって当たり前。それも笑い飛ばすくらいの気持ちで臨めたらいいな。そんなふうに思っています。
2008.01.07
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早いもので、娘が生まれてから丸二週間が経ちました。一番大変だった一週間目が過ぎると、授乳のコツや娘のペースが少しずつつかめるようになってきました。産後の検診でも問題がなかったので、それまで殆ど寝室で休んでいたのを、少しずつ普通の生活に戻すようにもしました。とはいえ、娘が寝ている間にそそくさと他の用事を片づけるのは相変わらず。食事をするのも、入浴も、パソコンに向かうのも、昼寝するのもその調子で、必要な時には義母に少しの間あやしてもらったりしつつ、何とかやっていました。その頃、やっと夫が到着。私たち夫婦にとって待望の再会だったし、彼にとっては待ちに待った娘との対面でした。私よりもずっと赤ちゃんや子どもの扱いを心得ている彼は、到着早々、慣れたふうに娘を抱いたりあやしたり、ちょっとした体操をさせたりしながら、相手を始めました。食事中に泣き出したりしても、膝に乗せてうまくあやしながら、「君は安心して食べていていいよ」と言ってくれるし、私が疲れて昼寝したい時も相手をしてくれます。実は、ここのところ、私は少々情緒不安定気味。俗に言うマタニティーブルーというやつでしょうか。神経が過敏になって、ちょっとしたことにも過剰に反応してしまったり、妙に落ち込んだり、イライラしたりしてしまうのです。そんな時にも、夫は(内心手を焼いているのかもしれませんが)、大らかに構えて安心させてくれます。改めて彼の存在のありがたさを感じました。夫の家族にずいぶん甘えていたつもりでも、一人で頑張ろうとして、気がつかないうちに気が張っていたのかもしれません。夫が一緒にいてくれることで、その緊張が少しずつほどけていくような心地よさです。これから、一緒に力を合わせて娘を育てていくのが楽しみになってきました。色々衝突もあるだろうけれど、互いの持っている違う良さを大事に、二人三脚で育児という大仕事に臨む。きっと、私たち夫婦にとってかけがえのない経験になるでしょうし、娘の成長をバランスの取れた形でサポートしてあげられることでしょう。その機会を与えられたことを心から嬉しく思います。
2007.12.11
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皆さん、こんにちは。このブログ、本当にご無沙汰してしまいました。夫や家族と一緒にいろいろと考えた末、夫の実家で出産することを決め、10月の初めに日本から移動しました。それから夫の実家にお世話になること、約2ヶ月。一週間前に出産しました。遠いアフリカで仕事をしている夫は、出産予定日を目安に、12月初めに到着することになっていました。夫が到着してから出産したかった私は、毎日のようにお腹の赤ちゃんに話しかけていました。早くこの世の中に出て来たいかもしれないけれど、良かったらお父さんが来るまで待ってあげてね。お父さん、あなたが生まれてくるのに立ち会うのをとても楽しみにしているから、と。だから、予定日より一週間以上早く陣痛が始まった時は、少し複雑な気持ちでした。ついに生まれるんだ、という喜びやドキドキした気持ちと、夫の到着が間に合わなかったことの残念さとが胸の中で交錯しました。とうとう、出てくることに決めたのね。そんなにまで、早くこの世の中を見てみたいのね……。定期的にやってくる陣痛で眠れなかったその夜、赤ちゃんに話しかけながらふと、廊下の天窓から光が差し込んでいるのに気がつきました。見上げると、満月がこうこうと光を放っていました。めったに見られないような、澄んだくもりのない月でした。気が高ぶっていたせいもあったのでしょうが、何か特別な神秘的な美しさを感じさせる夜でした。赤ちゃんがその夜を選んで生まれてくるのが、何となく分かるような気がしました。翌朝赴いた病院で無事に出産しました。初めて我が娘と対面し、感動と興奮であっという間に一日が過ぎました。とはいえ、その後の日々は、覚悟してはいても、やはり体力的に少々ハード。夫の家族の全面的なサポートがあっても、寝不足と疲労でぐったりすることもありました。この世に出てきたばかりの赤ちゃんは、やはりお腹の中の環境とのあまりの違いにとまどうのか、ひどく心細そうに泣いたり、少しのことで緊張してしまったりすることがあります。そんな姿を見ていると、上手に対応して安心させてあげたいと思いつつ、何をどうしていいのか分からない自分が情けなくなってしまったりもしました。こんな私でも、この先ずっとやっていけるのかな……。そんな弱気になることもありました。夜中、慣れない授乳に疲れて、ふと天窓を見上げると、ちょうど陣痛が始まったあの夜と同じように、月が見えるのでした。毎夜、少しずつ欠けていく月を、名残惜しいような、いとおしいような気持ちで眺めました。あの夜の特別に美しい満月をもう一度見たい思いに駆られながら。そうすると、なぜか不思議に心が癒され、眠れぬ長い夜を何とか乗り切ることができるのでした。娘には月にちなんだ名前をつけることにしました。心身ともにあの夜の満月のような美しさを持った子に育ってくれることを祈りつつ。彼女がこれから私たち夫婦にどんな喜びをもたらしてくれるか、そして私たち夫婦が彼女の人生にどのように役立てるか、楽しみです。
2007.12.04
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先日の日記で、ある講習会に出たときのことを少しお話ししました。詳しいことは省きますが、そこで学んだことのひとつが、「我を捨てること」「謙虚になること」でした。言い換えれば、「自分が何かをする」という気持ちを捨てて、「自分を超えた大きなもの」とつながり、その大きなもののエネルギーを生かすための「道具」に徹することです。講習会の後、少しずつそのことを意識してみるようにしてみていました。そんな今日、久しぶりにスタジオを借りてピアノを弾きに行きました。ピアノの前に座って、ふと思いついて、自分は「大きなもの」のエネルギーが音となり、メロディーとなって流れるための「道具」「回路」なんだ、と感じながら弾いてみることにしました。不思議なことに、そうしてみると、肩や手から余分な力が抜けて、今までよりも軽やかに弾けたような気がしたのです。もちろん、練習不足は歴然(笑)。ナマった指が突然動くようになるわけでも、弱い指で満足な音が出るわけでもありません。でも、何か違う感覚で弾けたのでした。上手く弾けないときも、焦ったり力んだりする代わりに、「道具」「回路」を意識し直すことで、ちょっとだけ上手くいくようになったりする。そうして、自分が何かとつながっているようなかすかな感覚を楽しみながら、自分だけのために大好きな音楽に身を委ねるのは、とても幸せな時間でした。昔の作曲家たちが、切なさや哀しみも含めて美しいものを表現したものを、自分の手で再び音にして流す。それは、昔から私にとって、祈りにも似た時間でした。そして、思えば、これまで私が心惹かれてきたものは、音楽であれ、料理であれ、絵画であれ、どこかそういった「謙虚さ」が感じられるものが多かったのでした。「どうだ、私が作ったこれはすごいだろう」という得意さが見え隠れするものではなく、「自分を超えた大きなもの」が作り出す美しさや尊さを引き出し、表現することに徹している人たちが作り出したものでした。その人たちがどんな感覚で素晴らしいものを作り出してきたのか、少しだけ垣間見られたような気がしました。
2007.09.03
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先日の日記に書いたように、「抵抗をやめてみること」「要らない気持ちを手放していくこと」が少しずつやってみるようにしてきたこの頃。そうすると、サビついていたアンテナの感度が少し良くなったような感じで、「面白そうかな……」と思えるものが出てきたりするようにもなってきました。そんな感じで、先日、ある講習会に参加した時のこと。講師の先生のお話がとても印象に残りました。もしかしたら、この話を聞くためにここに来たのかもしれない……とさえ思ったほど。その方は、現在関わっていることに行き着く前、まさに「お先真っ暗」の状態に陥ったそうです。パートナーが家を出てしまい、安定した仕事もない状態で買ったばかりのマンションのローンを抱えて、次に何をすればいいのか、皆目見当がつかない。そんな中で、直感だけを頼りに進んでいくうちに、少しずつ道が開けたり、出会いがあったり、周りのサポートがあったりして、今の形に行き着いた。そんなことを話して下さいました。そして、その中で、我を捨てて「謙虚になる」ことを否応なく学んだことも。本当の意味で自分の道を歩き始める人たちは、多かれ少なかれ、同じような暗中模索の経験をくぐり抜けているんだなあ。そんな風に感じました。今までの人生で、私は、あまり考えずにやりたいことをやってみたり、縁を大切にしたりした結果、とても充実した時間を過ごすことができました。だから、ずっと、「このまま進んでいけばいいんだ」と思っていました。やりたいと思うことから離れることが必要だったり、思うようにいかないことばかり続いたり、次に何をしていいのか分からなかったり、そんな中で、先も見えないのに手探りで進むようなことに直面するなんて、想像だにしませんでした。自分の人生なのに、その舵を自分で取ることができなくなるなんて……。そんな風に感じて、やるせなくて、怖くて、不安で仕方がありませんでした。でも、それこそが、本当の意味で「謙虚になること」なんだ。そこまでして初めて、自分を超えた大きなものとつながることができるんだ。それがやっと分かり始めた今日この頃。「それで大丈夫なんだよ」と安心させてくれるようなことがちゃんと起こっています。絶妙なタイミングで助けてくれる人が現れたり、友人が後押ししてくれることを言ってくれたり。そして、少しずつだけれど、先のことを思いわずらう代わりに今の時間を楽しめるようにもなってきました。残すところ、あと一ヶ月になった日本滞在。その後、沢山の人たちがサポートしてくれるこの環境を離れるのは、やっぱり寂しいし、不安でもあります。でも、その頃には、日本で学ぶことを終えて、次のステップに向けて旅立てるようになっているのかな……。そう思うと、その時がちょっと楽しみのような気もしています。
2007.08.28
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皆さん、こんにちは。前回のブログを書いてから、また大分ご無沙汰しました。自分の心を静かに保っていくことを願いつつ、色々な状況に次から次へとふり回されて、悩んだり落ち込んだりする日々が続いていました。ものごとの行方を自分でコントロールしようとすること。起こることや周りの人の言動に抵抗すること。将来のことについて不安を抱くこと。そんなことが自分の首を絞めているのは分かっていました。でも、止めよう、止めよう、とは思うのだけれど、なかなか思うようにいかない。疲れて、何とかならないかな……と思っていました。そんな時、ひょんなことで、以前お世話になったことのある方と再会しました。それがきっかけで、色々なことを「手放す」ための手法のようなものを学ぶ機会に恵まれました。(これも、何かの縁ですね。)「手放す」ということは、「ちょっとチカラを抜いてみる」ことなんだなあ、と実感しました。過去にあったことをもとに色々考えたり、起きていない未来のことをあれこれ心配したり。それらが、心の中のチカラを抜くことですうっと解き放たれていく。そして、結果的に、「今、この瞬間に焦点を当てる」ことができるようになる。もう要らないものを解き放ってみると、不思議なことに、今までどうどう巡りでまとまらなかった考えがすうっとまとまったり、思いつかなかったことを思いついたり、新しいことをやってみる気力がわいてきたりするのですね。いかに、今まで要らないことにエネルギーを使っていたかが分かります。そのあたりのことは、もう何となく分かってはいたのです。ただ、今までは、「そうは言っても、今この状態を抵抗せずに受け入れてしまったら、このままの状態がずっと続くだけじゃないか」という気持ちを捨てきれずにいたのでした。でも、「今がこういう状態であること」「この人が今こういう言動をしている(せざるを得ない状況にある)こと」を抵抗せずに受け止めることと、将来それがどうなるかとは、まったく別のことなんだ。それが、理屈でなく、感覚としてつかめたのが嬉しかったです。思えば、NGOで仕事していた頃から、うすぼんやりと感じていたことにも通じるものがありました。開発途上国の人たちの悲惨な(に見える)暮らしや、彼らが不当に扱われている(ように見える)状況を変えようとして活動していた私たち。それなりに成果もあったと思うし、現地の人たちに喜ばれもしました。ただ、その活動の拠って立つところが「闘う」姿勢になったり、過去や現在の状況へのフラストレーションから発したりしてしまうと、何か違う……と感じることがあったのでした。やはり、闘う姿勢は、対する相手からも闘うエネルギーを引き寄せてしまうことを、うすうす感じていたのでしょう。そして、「自分が正しい」という立場をとってしまうと、どちらが正しいかの戦いが始まって、今世界各地で起きているような哀しい事態を引き起こしてしまうのですね。抵抗したり、批判したり、自分を正当化したり、不安から身動きが取れなくなったり。これからの生活でも、そんなことはいくらでも起こるに違いありません。そんな時、チカラを抜くことを思い出せたら。さらに、この考えをもとに仕事をしていくことができたら。何かが変わるかもしれない……。そんな予感にちょっと胸をワクワクさせています。
2007.08.15
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先日の日記に書いたように、落ち込んだ気持ちで過ごしていた時。追い討ちをかけるように(?)、ちょっと凹むことがありました。私が日本に一時帰国した直後、夫は転職して新しい国で仕事を始めました。その国での生活環境が整うまでは、私は日本でゆっくりする、という計画。でも、実は、最終的に別の国に赴任する可能性が動いていて、私はそちらにかなり期待をかけていたのでした。しかし、待てど暮らせど、そちらの状況がはっきりしない。そのうち、夫の方が業を煮やして言い始めました。もう、あの話はなかったと思って今後の計画を立て始めた方がいいかもしれない、と。私にとっては、かなりショックでした。もちろん、まだはっきり決まったわけではないけれど……。でも、なぜか、夫がそう言ったことで、望みをかけていた可能性が薄らいでしまったような気がしたのでした。1年半住んだアフリカの国での暮らしは、とてもいい経験になりました。今まで眼にしたことがなかったようなことを眼にし、本当にいろいろなことを考え、悩み、試行錯誤した時間でした。でも、とても辛かったことも事実。暮らしにくい環境でのストレスに自分が弱いことを、つくづく思い知らされた時間でもありました。どんなにいい経験になったって、もう、あの環境には二度と戻りたくない!!その気持ちばかり募っていました。日本の快適な暮らしに慣れた後、しかも初めての子どもを抱えて、あの暮らしに戻ることを考えると、気が滅入りそうでした。でも、私が日本でのんびり出来るように、その環境の中で一人で頑張ってくれている夫を思うと、そんなことは言えない。ただでさえ心配性の両親にも、打ち明けられない。なるべくそのことは考えないように、明るくふるまいながら、でも、実は、この2~3ヶ月、私の中では、その恐れや不安がどんどんふくれ上がっていたのでしょう。先日、心を許せる人たちと会った時、その思いを吐き出してしまいました。話を聞いてもらって、自分でもびっくりするくらい泣いて、思い切って夫に気持ちを打ち明けよう……。そう決心した翌朝。なぜか、あれほどイヤでイヤで仕方なかった気持ちが、すうっとウソのように薄らいでしまったのです。なぜだか、自分でも分からない。一時的に気が楽になっただけかな?という気も、しないでもないのですが……。とりあえず、様子をみてみようかな。そんな風に思い始めていた今日。夫が、「ここでの暮らしにも、こんないいこともあるよ」というリストを送ってくれました。夕方出かけた散歩で寄った近所の神社には、七夕祭りの飾りつけがしてありました。たくさんつるされた短冊にこめられた、いろんな人たちの願い。そこに「神様への手紙」を書くコーナーを見つけ、今の自分の思いをしたためてみることにしました。出てきたのは、不思議と、「何処何処へ行けますように」「何々が叶いますように」といった願い事ではなく、自分の心を静かに保って天の計らいを信頼できるように、といったことでした。これからどうなるのか、どこへ行くことになるのか、分からないけれど……。なぜか、ジタバタする気持ちが少しずつ落ち着いてきている、今日この頃です。
2007.07.05
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実は、ここ2~3日、落ち込んだ気持ちで過ごしていました。温めていた大切な夢に向けてやってみたことが、上手くいかなかったことが分かったから。この夢を見始めてから、実現に向けていろいろやってみたのだけれど、どうもうまく形にならないことばかりでした。今度こそは……と思っても、結局ダメ。そんなことが度重なると、だんだん自信もなくなってきます。しょせん、私にはムリなのかな。そんな思いが頭をよぎります。次に何をやったらいいのか、もう思いつかない。いっそのこと、方向転換したほうがいいのかも……。そう思っても、別のことも思いつかない。広~い宇宙の真ん中で、一人ぽつんととり残されて、どこへ行けばいいのか分からなくて、途方にくれている。そんな気持ち。何もしなくたっていいんだよ。特に今は、生まれてくる子どものことを第一に考える時なんだから。気持ちをゆったりと持って、ゆっくりした時間を過ごすのが一番。周りのみんなは、そう言ってくれます。それは、そのとおり。お腹の赤ちゃんと対話しながらゆっくり過ごす時間は、何とも言えない幸せな気持ちにさせてくれます。でも、私は、それ「だけ」ではやっていけない。母親になるからといって、夢を忘れたりあきらめたりすることはできない。とても大事なこの夢に限って、どうしてちっとも近づいてきてくれないんだろう?悶々としていました。そんな昨日のこと。ピアノを弾きに行った、レンタルスタジオのある店で、あるピアニストの方が書いた本を眼に留めました。本に眼を通してみると、想像を絶する波乱に富んだ人生を歩んできた方であることが分かりました。ヨーロッパに留学して、人種差別をはじめ様々な障害を乗り越えて、やっと才能に眼をつけてくれる人たちが現れて、コンサートを開けることになった矢先のこと。風邪をこじらせ、なんと聴力を失ってしまったのです。コンサートはキャンセルせざるを得ず、千載一遇のチャンスをみすみす逃すことになってしまった彼女。あと一歩で夢が現実になるという時に、その夢が砂上の楼閣のようにあっという間に崩れ去ってしまった。その時、まだ年若かった彼女がどんな思いだったか、想像に余りあります。彼女はその後、生計を立てるために音楽教師としての仕事を細々と続けたそうです。小さな町に暮らし、ピアニストとして舞台に立つ機会にはまったく恵まれず、失意の日を送ること、なんと20年。しかし、身の回りの人たちを集めたホームコンサートや、アルバイト先の病院で弾いたピアノが喜ばれるようになります。そして、彼女は、聴衆を選んだり、形にこだわったりすることなく、自分のピアノを本当に喜んで聴いてくれる人たちのために、どんな形であっても弾き続けていこう、と思うようになっていくのです。そんな時、ふとしたことから彼女の生涯がテレビ放映されることになり、それがきっかけで注目が集まり始めます。そして、リスクを冒してCDを出すことを承諾した会社から発売された一枚目のCDは、何十万枚も売れたそうです。彼女が書いた言葉の中には、人生を天に委ねるといった意味のことがちりばめられていました。そして、どんな状況にあろうとも、好きなピアノをやめなくて良かった、とも。彼女の経験とは比較できなくとも、失意の中にあった私が、どんなに勇気づけられたか知れません。私も、気がつかないうちに、形や見返りにとらわれて、自分の夢の本質を見失いかけていたのかもしれない……そんな気がしました。初心に戻って、私のやることを少しでも喜んでくれる人たちを大切に、もう一度できることをやってみよう。そう思いました。この本に出会ったのも、偶然ではないに違いありません。そう思うと、素直に感謝の気持ちがわいてきます。
2007.06.29
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今日は、以前働いていた国際NGOの日本事務所主催のイベントに顔を出してきました。大勢の元同僚たちに再会し、おしゃべりも弾んで、大変楽しい時間を過ごしました。イベントは、写真展やパネルディスカッションを通して日本や世界の子どもたちのことを考えるものでした。世界中をまわっているフォトジャーナリストの方や、途上国と日本と両方で地域の子どもたちのための活動をされてきた方が、「目指すべきものは消費社会という形での『発展』ではないのではないか」とおっしゃっていたのが印象に残りました。私がかねがね、何となく考えていたことが、改めて浮き彫りにされた感がありました。日本では今、特に若い世代の自殺が増えていたり、奇妙な事件が後を絶たなかったりします。何か満たされない気持ちを抱えていたり、未来に希望を持てなかったりする人たちが多いことが見てとれます。実際、私も、彼らが感じている漠然とした虚ろさや閉塞感は分かる気がします。そして、今までの生き方や働き方を見直したり、自分の人生を改めて見つめてみたりする人たちが少しずつ増えているようです。一方、「発展途上国」と呼ばれる国へ行くと、日本は憧れの国なのです。技術が進んでいて、便利で、豊かで、平和な国。そこに暮らす人たちは、みな幸せなのだろうと信じている人たちが多いのです。特に、私が二ヶ月前まで住んだアフリカの国では、あまりに日本とかけ離れた状況にあったせいか、その印象が強かったように思います。そこで私は、現地の知り合いたちに、自分なりに伝えようとしてみたものです。日本は日本で、また違う問題を抱えているんだよ、「幸せ」と感じている人たちばかりではないんだよ、と。物質的に豊かになること「だけ」を目指していくと、行き着く先は、実は思い描いたものではないかもしれないよ……そんな思いをこめて。でも、彼らには、まったくと言っていいほど、私の言うことが分からないようでした。そこで、私は思ったものでした。物質的な豊かさを手に入れるために一生懸命な人たちには、その行き着く先がどんなものなのかを理解するのは、無理なのかもしれない。私たちだって、自分たちがそれを目指してきて、いざそこに「住んで」みたからこそ、やっと、何かが違うと分かってきたのだから。中には世俗を超越した方もいらっしゃるでしょうが(笑)、物質的な豊かさを手に入れたいのは、ふつうは誰でも同じですよね。それを「止めるべき」「違うものを目指すべき」というのは、しょせんムリな話だと思うのです。ただ、物質的な豊かさに加えて、精神的な豊かさも大切にして、心から幸せだと思えるように生きられるのが理想。私たちの次の世代が、願わくば「回り道」をせずに、その両方をバランスよく大切にしていけるように、何ができるだろうか……。そんなことを考え続けている今日この頃です。
2007.06.24
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昨日は、お台場まで足を伸ばして、Ashes and snowという展覧会を観て来ました。ご覧になった方も多いかと思いますが、人間と動物が自然の中で共に在る姿の写真や映像が、音楽や詩のような手紙の朗読と合わせて展示されたり流されたりしている、不思議な空間でした。砂漠の中で、目を閉じてチーター(豹かな?)とともにじっとたたずむ母と子。象とともに川の中に身体を横たえ、激しく降る雨に身を委ねる少年。空を舞う鷲とともに踊る女性。鯨とともに踊るように海の中を動きまわる男性。何ともいえない、瞑想的でもあり、幻想的でもある世界です。そして、これらの写真や映像はすべて、合成やグラフィックを使わないで撮影されたものだということです。この現代にも、こんなふうに動物たちと戯れ、自然に身を委ねる人たちが存在するんだ、ということに新鮮な驚きをおぼえます。そして、そういう人たちが、私たちの暮らしのせわしいペースとはまったく異なるリズムで、何をすることもなく、じっと目を閉じて静寂に身を任せたり、自然の中でまどろんだりするような時間を持つということにも。いったい、何を感じて何を聞いているんだろう……。つらつらと考えをめぐらせていたら、ふと、私も昔、自然に身を委ねる時間を持ったことを思い出しました。ずいぶん前のことですが、転職を機に思い切って長い休みを取って、南の島々に二週間ほど一人で旅をしたことがあります。毎日、何をするわけでもなく、浜辺で気の向くままに寝そべったり、散歩したり、波と戯れたり、本を読んだりして過ごしました。聞こえてくるのは、風と波の音、そして鳥の声だけ。そんな中で頭を空っぽにして、移りゆく海や陽射しの色を眺めて過ごしました。そして、旅が終わってみると、驚くほど心身ともに元気になっていたのでした。東京に戻ってから、街のネオンやスピーカーから流れてくる音がやたらとうるさく感じられたのを覚えています。また、自然と静寂の中に身を置く時間が欲しくなりました。
2007.06.12
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今日は、久しぶりに両親が少し長い時間出かけたので、一人の時間を楽しむことにして、かねてから興味のあったビデオを観てみました。(何を隠そう、最近、以前にも増して涙腺がゆるくなってしまって、人と一緒にビデオを観るのがちょっぴり恥ずかしいのです......)「シービスケット」とい競争馬の話です。以前、夫に原作の本を薦められて、初めは「馬の話なんて、面白いのかしら......」なんて感じで読み始めたのですが、すぐにすっかり魅せられてしまった私。映画も一度観てみたいと思っていたのでした。物語としての奥の深さや広がりは原作には叶わない一方で、話のハイライトの部分を上手に生かした映画でした。馬と人間の細やかな心のふれ合い。馬の気質をしっかり把握して可能性を見抜き、どんな時にもそれを信じて生かしていくことで、素晴らしい競走馬を育てあげる調教師と、それに応える誇り高い馬。「馬に乗る」という好きなことを、ただひたすら追求するジョッキー。そして、彼らが生き生きとひたむきに走る姿を見守ることで、過去の心の傷を少しずつ癒していく馬のオーナー。この話は実話なのですが、大恐慌の後、夢破れたり、苦しい暮らしを余儀なくされたりした人たちは、こぞってこの馬のレースに詰めかけ、当時の新聞に一番多く取り上げられたのは、政治家や実業家ではなく、なんとこの競走馬だったと、原作に書いてあります。この馬とジョッキーは、当時の人たちにとって、夢や可能性を再び信じさせてくれる存在だったに違いありません。私も、先のことや見返りなど何も考えず、ただひたすら「走りたいから走る」姿の美しさに改めて心を打たれました。そして、わが身をふり返って、気がつかないうちに、結果やら障害やらを考えすぎて、無心に行動することを忘れていたのかもしれない、とも思いました。
2007.06.09
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皆さん、こんにちは。大分ご無沙汰してしまいました。前回の日記に書いたように4月の末に日本に帰国してから、かなりのんびりした暮らしを送っていて、そのせいか、ブログのほうも先延ばしになってしまいました。でも、月が変わったこともあり、また書き始めようと、少々重い腰を上げたところです。今のところ、日本での暮らしはとにかく快適です。停電や断水の心配がないというだけで、私にとってはもう天国(笑)。気候もいいし、ゆっくりお風呂に入れるのも気持ちいいし、食べものは種類が多くておいしい。一人でふらりと出歩けるのも嬉しい。もちろん、実際ここで暮らすとなれば、生活費や住居、ラッシュなどをはじめ、アフリカで経験したのとはまた違うストレスがあることは重々承知ですが……。帰国してからというもの、家族や友人たちは、身重の私を気遣って、とにかく「甘やかして」くれます。電車の中で空いた席を素早く確保してくれたり、特に重くもない荷物まで持ってくれたり、疲れないかどうか気にしてくれたり。家では、家事の手伝いもさせてもらえません(笑)。加えて、ちょっとしたお祝いをいただいたり、食事をおごっていただいたりすることもあります。一方、夫は夫で、新しい赴任地で忙しく仕事をするかたわら、引越しの手配や家探しを一手に引き受けてくれています。そして、私が家族とゆっくりした快適な時間を過ごしていて、食欲も出てきたのをとても喜んでくれます。そんな中で、私はといえば、みんなの心遣いをとても嬉しくありがたく思う一方で、何とも言えず居心地が悪いような、落ちつかないような気持ちにもなったのです。この一ヶ月の間、もっぱら、無理をしたりストレスをためたりしないことを第一に考えて暮らしてきました。朝はゆっくり起きて、食後はしっかり休み、昼間は無理のないペースで友だちと会ったり興味のあるところへ出かけたり、予定のない日は家でのんびり音楽を聴いたり。帰国直前にいただいた在宅の仕事もやっていますが、あくまでマイペース。みんなの手を煩わせてばかりいて、自分は何もしないでこんなにふんぞり返っていていいのかなあ。世の中には、家事や仕事をしながら頑張っている妊婦さんだって沢山いるのに、何だか申し訳ないなあ。そんな思いが胸をよぎります。「今は、何もしないで、ひたすら甘やかしてもらう時なんだ」と自分に言い聞かせることができたのは、ひたすらお腹の赤ちゃんのことを考えたからでした。何もしなくとも、私がみんなの好意をしっかりありがたく受け取って、リラックスして元気でいる、そのことだけで、みんなは喜んでくれるんだ、ということを自分の中で消化できるようになるまで、少し時間がかかりました。私も意外と「受け取り下手」なのかもしれませんね。「人に何かしてあげられる存在でありたい」と、ずっとずっと思ってきた私。でも、何かしてあげられない状態であっても、何かを「してもらう」ことを素直に心から喜んで受け取れるようになること、そのこと自体が人に喜んでもらえることなんだ。そんな当たり前のことに気づいた一ヶ月でした。
2007.06.04
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最後に書いた日記から大分間が空いてしまいました。その間に色々なことがあり、明日、この国を去ることになりました。以前の日記に書いたように、夫の転職が決まっていて、あと一週間ほどで次の赴任地へ赴くことになっています。しかし、異動を目前にして、お腹に赤ちゃんがいることが分かりました。夫も私も、子どもは欲しかったので大喜び。でも、そうなると、今まで考えもしなかった変化が出るものですね。身体的にも精神的にも、以前よりもろくなってしまったようで、冴えない気分で過ごす日が続きました。そんな時に限って、ひどく暑い上に長い停電が相次いだりして、私はかなり参っていました。以前のように淡々と対応することなど、とてもできない状態。ストレスをためるとお腹の子に良くない、などと聞くと、ストレスがたまること自体がストレスになるという悪循環。でも、暑くて、すぐ疲れて、何もする気にならなくて、気分が冴えないことは変えようがない。悶々とする日が続きました。そんな中で、私は次の赴任地へ行く気を次第になくしていきました。停電や断水があることはこの街と変わらない(あるいはもっとひどい)と聞いていたからです。もうこんな生活を続けたくない。こういう時くらい、電気や水の心配なんかせずに、快適に暮らしたい。そればかり考えていました。それに、新しい赴任地での生活環境が整うまでは、私は自由に出歩くことも出来ず、ホテルにかんづめになってしまう。そのホテルだって、ちゃんと電気や水があるかどうか分からない。自分で食べたいものを料理するわけにもいかない。そう考えると、気が滅入るようでした。自分の弱さをこれでもかと見せつけられる思いでした。かつては、発展途上国で貧しい暮らしを送る人たちに何か貢献したくてNGOで働き、途上国で暮らし、同じ思いで仕事をする夫とともにこの国にやってきたのに。でも、自分がちょっぴり弱い立場に置かれると、そんなことはどうでも良くなって、この環境から逃れることばかり考えてしまう。でも、それが自分の「器」なら仕方ない、という気にもなりました。そして、今はとにかく、自分が心地よくいられるようにしよう、と。そこで、しばらく日本に帰ることにしました。ありがたいことに、夫は、引越しの手配や家探しは僕がやるからのんびりしておいで、と言ってくれます。本当は、私が手伝うことなのに。そんな思いがこみ上げるのを打ち消して、この際、甘えてしまおう、と自分に言い聞かせています(笑)。急に帰国を決めたこともあり、この国にはもう戻ってこないんだ、という実感がなかなかわきません。いろんなことを見せ、いろんなことを考えさせてくれたこの国での経験を、これから少しずつ反すうしてみようと思います。
2007.04.24
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一昨日、我が家でちょっとした撮影大会がありました。夫が勤めるNGOでは、若者たちのグループを作ってエイズに関連する色々なことについての教育を行っています。今回、その若者たちに出演してもらって、エイズにからめたストーリー仕立てのちょっとした連続テレビ番組を流す企画が上がりました。目指すところは、エイズに対する一般の人たちの知識を高め、偏見を減らすことです。そして、その番組のいくつかの場面を我が家で撮影することになったのです。プロの人たちが関わっているとはいえ、撮影のやり方は、私の眼から見ると、かなりアマチュア風でした。いわゆるハンディカメラと、小さなライトひとつだけを使った撮影。出演者たちも、着る服はひととおり持って来ているものの、他の小道具はその場その場で行き当たりばったりで用意するといった具合。立ち会っている夫の事務所の人たちも自由に意見をはさみ、セリフや演技の仕方を変えていく。でも、これがまた楽しいのですね。学生時代の文化祭を思い出すような雰囲気です。私も、我が家のランチョンマットや食器を持ってきて食事の場面のテーブルをセッティングしたり、タオルやバスローブなどのちょっとした小道具を貸したり、といった手伝いをしました。その他にも、「こんな感じのBGMが欲しいんだけど」とか、服にアイロンをかけたいとか、泣く場面のために目薬が必要だとか、色々なリクエストが入ります。(↓撮影の一場面です)そんな感じでとても楽しかったのですが、ひとつ、疑問に思ったことがありました。この国に住む平均的な人たちに見せる番組なのに、私たちの家で撮影していいの?ということです。夫と私が住む家は、この国のふつうの人たちから見れば、えらく贅沢なものだからです。そういう家の食堂やリビングで家族の食事の場面や会話を映したって、観る人たちにはウソっぽく見えるだけじゃないの?と、少し心配になったのです。夫にその心配を打ち明けると、彼はこう言いました。この国の人たちは、テレビではきれいな家や豊かな暮らしを観たがるんだ。そうでないと、視聴率は上がらないんだよ。ふだん、貧しさにどっぷり浸かって暮らしている人たちは、ささやかな娯楽として観るテレビでまで、貧しさを見せつけられたくないんだろう。眼からウロコが落ちるような気持ちでした。豊かな暮らしを眼にすることは、この国の人たちにとって、羨望の対象であるだけではなくて、夢や憧れを楽しむことも併せ持つものだったのですね。「憧れの暮らし」を垣間見たことが、撮影に参加した若者たちの心に素敵な印象を残すことがあったら嬉しいな、と思いました。いずれにせよ、この撮影は、出演する若者たちにとって、一生の思い出になるに違いありません。後になっても、「あの時、テレビに出たんだよ!」ってなつかしく思い出せるような。美しい思い出が心の中に積み重なっていくと、それだけで人生は豊かになります。この国の若者たちがそんな機会のひとつを持つのに立ち会えたことを、とても嬉しく思いました。
2007.04.06
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前の日記の続きです。ストレスを感じたとはいえ、銃撃戦を目の当たりにしないで済んだのと、男性三人に守られていたのとで、「怖い」と感じることはありませんでした。そして、何はともあれ夫と二人で無事にいられることと、外には出られなくても自分の家で過ごせることが本当にありがたく感じられました。夫のアシスタントの同僚はなかなかの料理上手で、夫が買ってきた冷凍のまるごとの鶏をさばいておいしい食事を作ってくれたりもしました。ジョンは、電話をかけまくって情報を集めたり、ちょこちょこと足りないものを近くの露店で買ってきてくれたり、ほとんど休まずに働いてくれました。もう一人の門番のドドも、交代せずにずっと詰めてくれ、疲れているはずなのに、イヤな顔ひとつせず、お手伝いさんが来られない間、テラスの掃除をしてくれたりしました。今は、とりあえず街はほぼふつうの状態に戻っています。でも、銃撃戦のとばっちりを受けた銀行や電話会社の建物は、窓ガラスが割れたまま生々しく残っています。国連軍の戦車も、いつもよりずっと沢山見かけます。(↓街の写真です) 撃ち合いの温床となった状況については、ここで詳しくは述べませんが、こういう事態を招いた政府に対する不満や批判は強くなっています。負けた大統領候補のほうは、国外へ脱出しました。(そこから、いったい何をするつもりやら?) ひとまず騒ぎは収まったものの、これからどうなるのか、「予断を許さない」というのが実感です。こういう状況では、自分たちの身を守ることと、平和を願うことくらいしか、出来ることはないんだな、とつくづく感じます。少し落ちついた後の日曜日の朝、夫と一緒にいつも行く教会へ足を運ぶと、ふだんの三倍はいるかと思われる信者たちで、大きな教会がほぼ満杯でした。祈りながら涙ぐんでいる人もいて、みんな、国の平和を祈りに来ているんだろうな、と思うと、ちょっとじ~んとしました。沢山の人たちの思いが通じて何かを動かすように、私も心から祈っていようと思います。
2007.04.02
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皆さん、こんにちは。少しご無沙汰してしまいました。日本ではほとんどニュースにならなかったようですが、3月下旬の数日間、私たちの住む国はかなりの政情不安に陥っていました。以前の日記に何度か書いたように、この国では昨年、何十年ぶりに初めての民主選挙が行われたばかり。「正式に」大統領が就任した後、敗れた候補者との間に「停戦協定」みたいなものが結ばれたのですが、いろいろあってうまくいかず、両者の間には、いつも緊張した関係が続いていました。そして、ついに、私たちが住む首都で、政府の軍隊と、その敗れた候補者の私兵たちとが撃ち合いを始めてしまいました。そのニュースが入ったとき、私はちょうど買い物に向かう途中でした。ある地点で、周りの車が次から次へと引き返しているのを見て、何かおかしいと思って誰かに聞いてみたところ、街の中心街で撃ち合いが始まったことが分かったのです。ほぼ同時に夫からも電話が入り、私たちはとにかく家へ引き返すことにしました。その後、撃ち合いはどんどん激しくなりました。一時は、敗れた候補者の私兵たちが優勢で、街の中心部や、川沿いの国境のあたりをすべて「占領」していたそうです。出先や事務所から出るに出られなくてかんづめになってしまったり、避難所のようなところで二晩ほど過ごさなければならなかったりした友人たちもいました。夫は、家の近くの小さなスーパーで缶詰や瓶詰めの食料を沢山買い込んで帰宅しました。万が一の時にすぐ車を駆って脱出できるように、夫のアシスタントの同僚と、門番兼運転手のジョンとが泊まりこんでくれました。私は、念のため、簡単な荷造りもしておきました。こうして、家に閉じこもっての四人の共同生活が始まりました。なぜか、こういう時に限って、何度も長~い停電が起きたりするのですね(笑)。また、運の悪いことに、我が家では、ちょうどその日からインターネットがダウン。朝から修理を頼んでいたのですが、こういう状況になってしまっては、とてもじゃないけれど修理に来ることは出来ません。「かんづめ生活」の間、インターネットが使えないまま過ごすことになりました。金曜の夜は「外出禁止令」などという、本でしか読んだことのなかったものが出て、念のために家の敷地の外灯をすべて消したりしました。正直言って、少しストレスも感じました。男性三人が居間に陣取って日がな一日テレビを観ていると、テレビがきらいな私は居場所がないような気がしてイライラしたりしました。それに、停電の中、限られた材料を使ってコンロひとつだけで四人分の食事を作ったり、皿洗いをしたり、家の中を片付けたり、という作業を一人でやるのは、お手伝いさんのいる暮らしに慣れてしまった私にはちょっとしんどかったのです(笑)。長くなるので、続きは次回の日記に書きますね。
2007.04.02
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先週の土曜日、夫の事務所が企画したあるイベントに同行しました。以前の日記にも何度か書きましたが、夫はあるNGOでエイズ対策のプロジェクトを統括しています。そして、3月8日が「女性の日」だったのにちなんで、エイズに感染している女性たちのための小さなイベントが企画されたというわけです。その日は、あいにく、朝からどしゃぶりの雨。そうなると、この街では交通機関がほとんど麻痺してしまいます。仕事を休む人や、遅刻する人も続出します。イベントは朝の10時ごろから始まる予定だったのに、昼の12時を過ぎても参加者が一人も集まらない始末。夫と私は、お腹も空いたし、いったん外に出て昼食をとることにしました。その間に、ようやくぽつぽつと参加者たちが登場し始め、2時ごろ、やっとイベントが始まりました。イベントの余興にとよんであった、この国の有名な歌手が歌い始めると、参加した女性たちはみな、大喜びで一緒になって踊り出しました。デジカメを持って行っていた私は、あちこちから「彼と一緒に写真撮って!」とせがまれて、カメラマンに早代わり(笑)。時間の都合で、その歌手が歌ったのはほんの20分ほどでしたが、みな、たっぷり楽しんでくれたようです。(↓こんな感じ)一方、交通事情が悪かったせいか、歌手が立ち去り、午後4時を回っても、昼食がいっこうに届きません。やきもきして係のスタッフをせかす夫をよそに、参加者の女性たちは会場に流れる音楽に合わせて楽しそうに踊り始めました。朝から家を出て、遠い道をはるばるやってきて、疲れてお腹も空いているはずなのに、そんな様子は微塵も見せず、陽気に歌いながら踊り続けます。やっと食事が届くと、誰からともなく、鼻歌交じりに準備を手伝い始めます。そんなみんなの様子に、私はひたすら感心していました。エイズに感染していて、貧しくて、ひどい環境に暮らしていて、ろくな食事も出来なくて、傍目にはいろんな「問題」が山積みのように見える彼女たち。でも、折に触れて笑い、歌い、踊って楽しむことが身についている。「どうせ同じ状況なら、楽しまなくちゃ損じゃない」と言われているような気になりました。もちろん、彼女たちだって、グチを言ったり泣いたりすることもあるに違いありません。でも、どんな環境でも楽しみを見つける大らかさを併せ持っているおかげで、そこにとどまらずに済んでいるような気がします。とても素敵なものを見せてもらった一日でした。
2007.03.21
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この国で暮らしていて、友だちによく聞かれることのひとつに、「いつも、どんなものを食べてるの?」というのがあります。そこで、今日は食べ物の話を書いてみようと思います。私が普段、自分で料理する時は、和風や中華風の料理、それにイタリア料理風、自己流のシチューなんかをよく作ります。値は張るけれどこちらのスーパーで手に入るしょう油やごま油、オリーブ油、それに日本に帰る時に買ってくる乾物や味噌を利用します。お世辞か本当かはさておき、夫や友人はみな、けっこう喜んで食べてくれているようです(笑)。ただ、私の作る料理は、ごく簡単なものばかり。栄養のバランスや味のバラエティは考えるけれど、手のかからないものをささっと作る、といった趣のものがほとんどです。さて、以前の日記に書いたように、お手伝いさんのズズと一緒に昼食を作るようになってから、彼女に教えてもらって、この国の料理も作ってみました。そして、いつも驚くのが、その手間のかかること。さつまいもの一種の葉っぱを使う料理では、一本一本、その茎の固い皮をはがす。キャッサバ(いもの一種)の葉は、まず、大きな摺り器のようなものですりつぶすようにします。我が家ではその摺り器がないので、ズズが親切に自分の家ですりつぶしたものを持ってきてくれました。そこへ、赤くトロッとした椰子の油、水、塩を加え、茄子やきゅうりなど他の野菜も入れて、一時間半ほど、鍋でグツグツ煮るのです。(↓調理前はこんな感じ) 出来上がった料理は、いかにもビタミンや鉄分がたっぷりありそうな感じ。やわらかく汁気のある仕上がりなので、ピリ辛いソースを混ぜてご飯にかけて食べると、なかなか美味です。しかし、悲しいかな、テンポの速い現代の暮らしに慣れた私は、作るのにニ時間はかかるこういう料理を毎食作ろう、という気には、なかなかならないのですね。それほど忙しいわけでもないくせに……。生活が苦しいズズたちは、いつもこういったものを食べているわけではありません。フフと呼ばれる、とうもろこしの粉や小麦粉を使った練り物やパンだけで食事を済ますことも、よくあるようです。ちゃんとした食事が出来ないのは、実はこの街の貧しい人たちの大きな問題なのです。それでも、こういう食べ物は、ファーストフードや、添加物が沢山入った加工食品よりは健康的な気がするのは、私だけではないようです。ある知り合いが言っていました。僕たちの食べるものは、つつましくても、まだまだ自然の素材を生かしたものが多い。その分、「先進国」の食事に比べて、身体にいいみたいだ、と。そしてまた、じっくりと時間をかけて作り上げる料理には、素材のうまみだけではなく、作る人の「気持ち」もこめられるのですね。大きな木のへらでゆっくり、ゆっくり、鍋の中味をかき回して料理するこの国の女性たちは、その作業を通して、食べる人への思いも混ぜ込んでいるような気がします。以前の日記に書いたように、もうすぐ、この国を去る予定ですが、その前に、是非、もう一度、キャッサバの葉を調理してみよう。それも、摺り器ですりつぶすところから、じっくり時間をかけてやってみたい。そう思っています。
2007.03.12
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皆さん、こんにちは。前回の日記には少々ヘビーなことを書いたので、今日は少し楽しい話題でいきたいと思います。2月中のことですが、夫と友人とともに、この国のある歌手のコンサートに行きました。音楽は、この国ではとても大切なものです。暮らしの中に根づいている、という感じでしょうか。夫の仕事の関係で同行したイベントでも音楽を交えた催しが入るし、何でもないのに、道端でラジオから流れる音楽に合わせて楽しそうに踊り始める人たちがいたりします。世界的に知れた歌手も何人かいて、その人たちがここ「地元」で開くコンサートに足を運ぶのは、娯楽の少ないこの国での暮らしの大きな楽しみのひとつです。ただし、時間どおりになんか始まらないのが、この国のコンサート。○○時に開始、と言われた時間の2時間後くらいに、一応演奏が始まります。でも、目玉の大物歌手が登場するのは、まだまだ後の話。いわゆる「ワンサ」みたいな人たちがそれこそわんさと出てきて、歌ったり踊ったりを延々とさらに2時間ほど続けるのです。そんなわけで、お目当ての歌手が登場するのは、真夜中を回った頃になります。私たちはいつも2時か3時には引き上げるのですが、その頃は、まさに宴たけなわという感じ。後ろ髪を引かれる気持ちで、でも眠気に勝てなくて(笑)、会場を後にします。さて、この国のいわゆるポップソングに当たるような歌には独特の節回しのようなものがあって、軽やかなリズム感がなかなか愉しいのですが、ずっと聴いていると、全部同じようなメロディーに聞こえてきてしまうのも確かです。名の知れた歌手たちが、新しいCDを出したと言っては同じような曲を歌っているのには、少々物足りない思いでもいたのでした。今回コンサートを開いた歌手は、比較的若手のせいもあるのでしょうか。西アフリカのリズムやら、ラップ風のリズムやらも摂り入れていて、大分バラエティに富んだプログラムが楽しめました。しかも、2~3曲歌うと、後は「ワンサ」に任せてすぐに引っ込んでしまう「大物ベテラン歌手」たちとは違って、ほぼ歌いっぱなし。こういうエネルギッシュな若手が新しい血を入れていくとしたら、この国の音楽も先が楽しみだな、と思いました。そして、先祖や伝統から引き継いだものに手を加えて、あるいは独自の色を加えて、今の時代によりふさわしい形で発信していくのは、歌手に限らず、私たちひとりひとりの役割でもあるのですね。
2007.03.07
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皆さん、こんにちは。一ヶ月もご無沙汰してしまいました。2月に入ってから、フランス語のレッスンを再開したり、ちょっとした翻訳ボランティアの仕事をやったりと、けっこう忙しくしていました。実は、自分の小さなプロジェクトも進行中。このことについては、また日を改めてお話しできると思います。この間に、悲しいこともひとつありました。このブログにも何度か登場してもらった、我が家の門番のジョンのお母様が亡くなられたのです。折しも、お母様が逝去された時、私はジョンの運転する車に乗って、ある用事を片付けに行っているところでした。「昨日から母の具合が悪くて、入院しているんだ」とぽつりと言うジョン。イヤな気はしたのですが、どれくらい悪いのか聞くのも気がひけて、そのまま目的地へ向かいました。用事を済ませた直後、ジョンの奥さんから電話。お母様が亡くなられたことを伝えてきたのでした。私たちはそのまま病院に直行しました。家族みんなが集まっていて、ジョンが着くなり、みんなで抱き合っておいおい泣き始めました。こちらの人たちは、誰かが亡くなったときの悲しみを、大げさにと言っていいほど激しく表現するのです。そうすることで、亡くなった方を大切に思っていたことを表わすのだそうです。私はといえば、ジョンにお母様の入院のことを告げられたとき、すぐに病院へ向かう決断をしなかったことが悔やまれてなりませんでした。そうすれば、せめて死に目には間に合ったかもしれないのに……。夫も、同じ後悔を抱えていました。前日、お母様が入院されたことをジョンが伝えた時、休暇をとって一緒にいるように言えば良かった、と。しかし、悔やんでも後の祭りです。せめてものつぐない、というわけでもないのですが、それから埋葬までの数日間、夫は毎晩ジョンの家へ通って、できる手助けをし、埋葬にも同行しました。しかし、夫から聞いた埋葬の時の様子は、正直言ってショックでした。まず、出棺の時、ジョンのいわゆる「ご近所の人たち」がいわば道を阻んで、道を開けるためにお金を要求してきたそうです。また、墓地では、もう「満杯」なため、新しく亡くなった方を埋葬するために、以前埋葬された人の墓を掘り起こすことがよくあるのだそうです。ちょっときれいな棺を盗むために墓をあさる人たちも後を絶たないとか。そして、それを防ぐために埋葬後の墓にコンクリートをかぶせるのに、墓堀りの人たちは既に支払ってある金額のほかに法外なお金を請求してきたそうです。肉親の死を悲しんでいる人たちを前にそういったやりとりが繰り広げられるのは聞くに耐えなかった。君は来なくて良かったよ、と夫は言っていました。みんなが貧しいのも、暮らしが苦しいのも、政府が機能していなくてあてにできないのも、知っている。生きていくためには手段を選ばないようになるのも、好きにはなれないけれど、分かる気はする。でも、その中でも「聖域」はあるように思うのです。そして、葬式はその最たる例ではないかと。実に気さくで親切で信心深い顔を持つこの街の人たち。その一方で、平然と上記のようなことが行われていて、それが「よくないけれど起こってしまうこと」ではなく、当たり前のようにまかり通っている。愛する人たちの死を悼むために大声で泣く慣わしを持っていながら、埋葬の機会を利用して遺族にたかる人たち。こんなにも相反するものが、どうやってこの人たちの中に共存できて、どうして何のきしみも引き起こさないでいられるのか、私には分からない。違う国のことを安易に良い・悪いで判断して書くことは極力避けている私ですが、あまりにひどいことは、はっきりひどいと言おう。今日は、そんな気持ちで書いてみました。
2007.03.05
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自分にも、身の回りの人たちにも、変化が起きていると感じていた今日この頃。さらに、大きな変化がやってきました。夫の転職が決まったのです。採用が決まったのは、(色々問題もあるようではあるものの)夫がかねてから行きたいと思っていた団体です。当の夫は大喜び。採用の連絡をもらった日は、遠足に行く前の子どものように、興奮して寝られなかったそうです(笑)。私のほうはというと、ちょっぴり複雑な気持ちです。以前の日記に書いたように、今年に入ってから、暮らしにくいこの国での生活も、以前より穏やかな気持ちで受け止められるようになっていました。そんな中で、あたりまえの毎日が妙に幸せに感じられたり、新しい友達ができたりし始めていたところでの、この変化。あんなに逃げ出したいと思っていたこの国の暮らしなのに、いざ離れるとなると、不思議なもので、ちょっぴり名残惜しくなったりもするのですね(笑)。しかも、次に赴任する国も、決して暮らしやすくはないことが分かっているので、怖い気持ちもあるのです。ひとつだけ、強く感じているのは、夫にとっても、私にとっても、この変化は意味のある転機なんだ、ということ。私たちがこの国でするべきこと、学ぶべきことが終わったからこそ、ここを離れることになったのでしょう。次に来るものも、わけがあってやって来るに違いありません。今年の初めに決めたように、流れに身を任せて、やって来るものを受け止めてみよう。そう思いつつ、ドキドキ、ワクワクしているところです。
2007.02.04
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ふと思いついて、大分前に書いた日記を久しぶりに読み返してみたら、「身も心も軽やかで、守りに入らず潔い、そんな女性になりたい」というようなことが書いてありました。人生には、予期せぬことが風のように舞い込んでくることがままあることや、それに身を任せてみることの面白さに気づき始めた頃のことです。その頃仲良くしていた、やはり「守りに入らない」生き方をしていた男性が、こんなことを言ったことがあります。女房は、僕の型破りなところに惹かれて一緒になってくれたんだけど、結婚して家庭を持つと、女性って変わるんだろうね。安定を求めるようになって、時々、合わないと感じることがあるんだよ……。その時、私はひそかに心に誓ったものでした。自分は、結婚して家庭を持っても、そういうふうにはなりたくない。夢ややりたいことを追い続け、夫となる人の夢もサポートして、二人で軽やかに生きていくんだ、と。しかし、結婚してわずか一年で、その気持ちを遠くに追いやりつつあった自分に気がついて、ちょっとショックでした。結婚を機に退職した私は、就職して以来初めて、自分の収入がないという状態に直面しました。毎月、あたりまえのように入ってきていた収入が突然とだえると、それだけで何となく不安になるものです。住み始めた国は、それなりの食材を買おうと思うと、東京以上の物価高。しかも、自家用発電機用を回すためのガソリンやら、始終壊れる家の中のものの修理代やら、ごくふつうに快適な暮らしを送るために、意外な出費もかさみます。夫の収入の大半は、二人で決めた別の目的にまわしています。私にも在宅の仕事が入ったりしましたが、それでも、初めて就職した時よりも、一人暮らしを始めた時よりも窮屈な状態。そんな中で、私の思考は、徹底して「守りに入って」いったようです。こんなふうにキリキリすることなく、ごくふつうの快適な暮らしを送りたいなあ。その思いが頭の中を占めていました。気がつくと、夫に対しても、「安定を求める妻」になっていました。○○国にこんな面白い仕事があるらしいんだけど、と言われれば、○○国には行きたくない、せめて、電気と水の心配のないところにしてほしい、と否定したり。貧しい知り合いの赤ちゃんが病気になったので、お金を送ってあげた、と言われて、そんなお金があったら家計にも少しまわしてほしい、とひそかに思ってしまったり。(イヤな奴ですね......)少年のように好奇心の赴くままに行動したり、あとさき構わずに困っている人たちを助けたりする夫が大好きだったはずなのに。しかし、不思議なことに、昨年は、期待していたよりも多くの仕事が入って、生活費にも日本への旅行代にも困ることなく、ちゃんと帳尻が合ったのでした。そして、白紙で迎えた今年も、大きな仕事が入りそうな様子。心配してもしなくても、なるようになるのかもしれない。そう信じて、もう一度、「守りに入らない」生き方を思い出そう。かつて夢見たように、夫婦でやりたいことをやりながら、軽やかに生きてみよう。そう思っているところです。
2007.01.30
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昨日の日記に、私の中で何かが変わってきているらしいと書きましたが、私の周りでも、ちょっとした変化が起きているようです。まずは、夫。彼は今までの上司とはソリが合わずに、苦労していました。また、よくモメている同僚もいて、昨年はその二人との人間関係にけっこう悩まされていました。そこへ、今年初めの組織変更で上司が変わり、新しい上司は仕事がしやすいと喜んでいました。さらに、ウマの合わなかった同僚も、2月に転勤になることが決まったそうです。「一番苦労した二人が相次いで異動になるなんて、不思議だ。」と言う夫を見て、彼の中でも何かが変わったんだろうなあ、と思います。仕事がしにくい中で、考えて、苦労して、何かを乗り越えたから、きっと二人と離れることになったのだろう、と。もう一人、変化が起きているのは、「我が家の便利屋さん」のジョン。我が家の門番をしてくれている彼は、以前の日記に書いたように、頭が切れて、いろんなことをよく知っていて、誠実な人柄です。門番にしておくのはもったいないくらいだなあ、と、私もかねがね思っていました。そこへ、夫の運転手兼アシスタントが別の仕事を受け持つことになり、彼の今までの仕事を引き継ぐのに、夫はジョンに白羽の矢を立てました。今は「訓練期間」なので、日替わりで門番をして、翌朝、(本来なら家に帰って休むところを)引き続き運転手としての仕事をこなし、翌日再び門番を務める、というハードスケジュールをこなしています。でも、当のジョンはやる気満々。張り切っているのが、はた目にも明らかです。(もちろん、門番より運転手兼アシスタントのほうが、ランクも給料も上ですから……)例えば、私を買い物に連れて行ってくれた時。いつも、私が買い物から帰って来ると、買ったものをキッチンに運んでくれるので、何を買っているか把握しているのでしょう。「奥様は○○がお好きなようですが、買い足さなくてもいいのですか?」「△△は大丈夫ですか?」などとアドバイス(?)してくれたりしました。欲しいものが見つからなかったら、「別の××スーパーへ行ってみましょう。」と言って連れていってくれたり。日本人の感覚だと、少々やり過ぎだと感じられなくもないのですが(笑)、好意で一生懸命やってくれているのが分かるので、ありがたくアドバイスを受けることにしています。身の回りの人たちが次の段階へ進む時期が来ている。そんな感じがして、私まで嬉しく感じています。
2007.01.26
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皆さん、こんにちは。大分ご無沙汰しました。ここのところ、自分の心の持ちようが以前と少し違ってきたように感じています。それをじっくり観察してみたくて、ブログのほうも少しお休みしていたというわけです。2週間ほど前に帰国してから、以前と同じような暮らしが続いていました。特にしなくてはならない仕事があるわけでもない、ぽっかりと空いた時間。度重なる長い停電や水の問題。家の中のものが壊れて修理を頼まなければならないのも、相変わらず。でも、なぜか、以前ほどイライラしたりイヤになったりしないで、そんな中に淡々と身を置いている自分がいるのです。例えば、朝の6時から夜の10時まで、丸一日停電があった日。自家用発電機はあまり長時間回せないのと、ガソリン代節約もあって、朝の10時ごろから夕方の6時半ごろまで、ずっと発電機を止めて、電気なしで過ごしていました。現代の生活に慣れてしまうと、電気なしでできることって、本当に少ないのですね。その日は一日、本を読んだり、テラスでくつろいだりして過ごしました。もちろん、好ましい状況ではないし、「ああ幸せ!」と言えるわけはない(笑)。ただ、ごく自然にその状況を受け止めて、その中でできることを普通にやっていました。さしあたって「やるべきこと」がないことにも、以前のように焦燥感を感じない。のんびり何もしない一日を過ごしたり、新しい料理やお菓子作りに挑戦したり、けっこう楽しくやっていました。初めは、たまたま鷹揚な気持ちになっている時期なんだろう、と思いました。クリスマスから新年にかけて夫の実家で楽しい休暇を過ごして、バッテリー充電したからかもしれない、と。でも、どうもそれだけではないようです。何が変わったのか、どうして変わったのか、自分ではよく分かりません。強いて言えば、クリスマス前に夫の実家へ旅した時の一連のハプニングにすっかり疲れてしまって、自分がどうあがこうと、どうにもならないことが沢山あるのが身に染みて、もう、なるようになれ!というような気になったのが、きっかけだったかもしれません(笑)。気がついてみると、夫とケンカすることも少し減っているようです。以前だったら口論になっていたようなことを話しても、なぜかケンカにならずに済む。不思議な感覚です。さらに、上記の超長時間の停電以来、頻繁に起こる停電も、あまり私たちを困らせないような形でやって来るように思えます。ごく短時間で電気が戻ったり、外食する予定のある日に起きて、帰宅したら電気が戻っていたり。自分の中で何かが変わると、それが外の世界に投影される。以前の日記にそう書いたことがあります。もしかして、それが自分にも起こりつつあるのかもしれない……そう思うと、ちょっぴり今後が楽しみです。
2007.01.25
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皆さん、こんにちは。お久しぶりです。これまでの日記に書いたように、クリスマスと年末年始の休暇を夫の実家で過ごした後、無事帰国しました。長旅で多少疲れたものの、週末をのんびりと過ごしたので、夫も私も元気です。今日は、この滞在の間に気がついたことのひとつについて書いてみたいと思います。誰にでもあることかと思いますが、夫と結婚してから、小さなことで腹が立つことがいくつかありました。モノを出したり使ったりした後、出しっぱなしでしまわないとか、平気で人と約束している時間に遅れたり待たせたりするとか、私から見たら申し訳ないと思うような(そして、自分でできるのに、と思うような)ことまで当然のように人に頼むとか。夫がそういうことをするたびに、周りの人への配慮が足りないように見えて、私はイライラしたり、ヒヤヒヤしたりしていました。実家でも、夫は自分の家族に対して同じようなことをします。でも、彼らはそれをとりたてて不愉快に思うこともなく、ごく普通に受け止めているようなのです。彼らは、私が「彼ったら、あんなことして」とボヤいたりすると、別にたいしたことじゃないのに、とでも言いたげな様子で、多少困ったような笑みを浮かべます。私があたりまえだと思っていたこと、非常識だと思っていたことが、ここでは必ずしも、そうではないんだ。そう思い知らされました。「忙しそうにしている人にものを頼むのは申し訳ない」「自分のことはなるべく自分でやるもの」「家の雑用は家族みんなが手伝うもの」といった私の「常識」がくつがえされていき、「できる人、気がついた人がやる」「できるときは互いに惜しみなく助け合う」にとって代わっていきました。気がつかないうちに、助け合ったり、大切な人たちと気持ちのいい時間を過ごしたりすることよりも、自分を守ることが大事になっていたんだなあ、と思いました。そして、もちろん、出来ないときは出来ないと言うけれど、いちいち、「なぜ、こんなことを私に頼むの?」「こんなことくらい、自分でやってよ」などと言わずに、頼まれたこと、できることを一人一人がおおらかにやって、ものごとが回っているのは、案外気持ちいいものなんだなあ、とも。これからは、夫の実家の「常識」を我が家にも取り入れて、夫婦で気持ちよく助け合うことを大事にするよう、意識していこう。そう思いました
2007.01.15
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明けましておめでとうございます。夫の実家でクリスマスと新年を迎え、家族みなで楽しく過ごしています。前回の日記に書いたように、ここへたどり着くまではハプニング続きでしたが、着いてからは、すっかりリラックスモード。夫の家族は面倒見のいい人たちがそろっているので、「こんなものを手に入れたいんだけど」とか、歯医者に行きたいとか、相談すれば何かと力になってくれます。それに、入れ替わり立ち代り、義姉や義弟が姪を連れて来たりするので、なかなかにぎやかです。義理の家族っていうのも、いいものだなあ、とつくづく感じます。夫と私は、いずれ、この街で暮らしたいと思っているので、少しずつ、その時の様子が思い描けるようになっているような、そんな感じです。そうこうしているうちに、今住んでいる国での暮らしが、だんだんと遠く感じられるようになってきました。あと8日ほどで帰国する予定ですが、何だか実感がわきません。今年の計画がほとんど決まっていないのも、その一因かもしれません。年の瀬が迫るにつれ、私は、新年の計画とか、少なくとも「こういう年にしよう」という方向性みたいなものは持っておいたほうがいいように思い始めました。でも、一人でゆっくりと自分と向き合う時間が取れないまま、新年を迎えました。そして、今思うのは、あえて白紙の状態で新しい年を始めてみるのもいいかもしれない、ということです。今年は夫と私にとって流動的な年になりそうなことだし、何年かのちにどんな人生を送りたいか、そのイメージは頭の中にとどめながら、流れに身を任せて、やってくるものを受け止めてみる。そんなふうにこの年を過ごしてみようかと思っています。
2007.01.02
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皆さん、こんにちは。今、夫の国へ向かう途中、ベルギーのブリュッセルからこのブログを書いています。本当は月曜日の夜に旅立つはずだったのですが……。またまた、思わぬハプニングが起きてしまいました。なんと、乗るはずだった便がキャンセルになってしまったのです。その便は、翌日(昨夜)飛ぶことになりましたが、問題は、その後の乗り継ぎ便。一日遅れたせいで、どの便も満席なのです。昨夜は、初めの経由地のブリュッセル以降はキャンセル待ちの状態で、とりあえず出発しました。今朝、ブリュッセルに着いて、もしかして、キャンセルが出ているかも……と淡い期待を持っていたのですが、残念ながらそうは問屋が卸しません。ブリュッセルに一泊し、明日の便で夫の国へ向かうことになりました。今日は私たちの初めての結婚記念日。残念ながら、離れて過ごすことになってしまいました。正直言って、すごく、すごく落ち込みました。初めに予約していた航空券が旅行会社のミスでキャンセルされてしまってから、何とか代わりの便を確保しようと、先週はずっと走り回っていました。やっとのことで夫も私も無事に旅立てることになって、ほっとしたところで、こんなふうに突き落とすなんて、神様もいじわる……。しかし、ふと、こうも思いました。結婚記念日の計画がダメになってしまったのは、本当に残念だけど、遅れても夫と合流できるわけだし、冷静に考えたら、そんなに大したことじゃないのかもしれない。でも、アタマではそう思えても、気持ちのほうはどうにもならないのです。きっと、「楽しみにする」ことが、いつの間にか、「執着」に変わってしまったのですね。何度も自分に問いかけました。執着しないで楽しみにするって、どんな感覚なんだろう?人生の舵を上手にあやつっている人たちは、何かを楽しみにする、ということを、どうとらえているんだろう?その楽しみがなくなってしまった時、どんなふうに対応するんだろう?そんな中で、周りの人たちから沢山励ましの言葉をもらいました。「結婚記念日は遅れてもちゃんと祝えるんだよ」と言ってくれた姉。「人生は長いんだし、休暇を楽しむ機会はこれからいつでもあるよ。どうにもならないことで、みじめな気持ちになるのはやめようよ」と言ってくれた夫。その他にも、励ましのメールを送ってくれた友人たち。みんなのおかげで、やっと、何とか気持ちを取り直すことができたようです。ひとつひとつの出来事に振り回されるのではなく、ものごとを大きく捉えて、ゆったり構えていられるようになりたい。そう思いました。明日、夫と再会したら、感謝の気持ちをこめて、一日遅れの結婚記念日を祝おうと思います。
2006.12.20
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前回の日記に書いたように、クリスマス休暇のための航空券の手配のトラブルがやっと解決した土曜日の夜、夫と私は、夫の仕事の関係の方の結婚式によばれていました。しかも、ただの(?)招待客ではなく、花婿・花嫁の介添え人として。仲の良い友人ではなく、仕事で「お世話になっている」(と先方が思っている)外国人と、(花嫁には会ったこともない)その妻を介添え人に選ぶのというのも、ちょっと不思議な感覚だなあ、と思わないでもありませんでしたが(笑)、本人の希望なので、謹んでお受けすることにしました。自分たちが結婚してちょうど丸一年を迎えようというタイミングでこういう役目を果たすのは、なかなか感慨深いものでした。私たちの結婚式の時に神父さんがおっしゃったこと、結婚に先立って洗礼を受ける前の講習で学んだこと、友人たちや家族が色々な面で骨身を惜しまずに力になってくれたことなどを思い出しました。結婚したカップルは決して裕福な人たちではなかったので、教会で執り行われた式も、その後のパーティも、かなりつつましいものでした。全部「手作り」なので、パーティで飲み物や食べ物が出てくるのにもすごく時間がかかったり、手順が悪かったり。でも、沢山の家族や友人が集まって、料理の持ち寄りを始め、いろんな形で手伝い、陽気に歌ったり踊ったりして祝うのを見ると、とても心温まる気がしました。(こちらの人たちが、ほとんど奇声に聞こえる声を上げて「おめでとう」という気持ちを表現するのには、圧倒されます……)豪華で気取った型どおりの式より、ずっとステキ。そして、ここに集まった沢山の人たちは、これからもいろんな形でこの夫婦をサポートしていくんだろうな、と思いました。実は、新郎はエイズを患っていて、自らの経験をもとに、エイズにかかっている人たちのための小さなNGOを運営している方です。もちろん、子どもは望めません。でも、それを承知で一緒になり、助け合って新しい家庭を作っていこうという二人を見て、ちょっぴり反省させられました。結婚してからも、私は、気がつかないうちに、自分が一番いい思いをすることばかり考えていたかもしれないな、と。これからは、二人がいい思いをすることを意識したいものです。結婚の原点を思い出させてくれた経験に感謝しつつ、私たちの結婚記念日を祝い、初心を忘れずに私たち夫婦の絆を深めていきたいと思います。
2006.12.18
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皆さん、こんにちは。少しご無沙汰してしまいました。以前の日記に書いたように、夫の国でクリスマス休暇を過ごすための準備はすべて順調、と思えたのですが、その直後に、思わぬ「伏兵」が現れてしまい、その対応に追われてバタバタした一週間だったのです。なんと、旅行会社のミスで、予約していた航空券が勝手にキャンセルされてしまっていたことが分かりました。(知人たちの話によると、この国ではそう珍しいミスではないようです……。)12月はハイシーズンで、改めて予約を取ろうにも、どの便もいっぱいで、なかなか思うようにはいきません。何とか取れた別のルートは、ヨーロッパを経由することになり、運悪く、夫のヨーロッパのビザが切れていて、新たに取る時間はない、という状態。初めは、まあ、キャンセルが出るだろうと気楽に構えていた私たちも、出発の日が迫るにつれて、さすがに焦り始めました。何とか、夫の分のチケットが確保できたのは、何と昨日の午後。私は、ヨーロッパに入るのにビザが要らないのを幸い、別ルートで旅して、夫とは現地で集合することにしました。夫は今朝、無事に旅立っていきました。私は明日の夜の便で出発です。休暇前の仕事に追われながら、最後の最後まで母国へ帰れるかどうか分からなかった夫にも、毎日のように旅行会社やら大使館やらを訪問したり、知り合いに電話をかけたりして対応に追われた私にも、かなりストレスがたまった一週間でした。それだけに、何とか結婚記念日に間に合うように旅できることになって、ありがたさもひとしお。やはり、目に見えない何かが応援してくれたのかもしれません。今回はさすがに、「なるようになるさ」とは、なかなか思えず、「私たちのミスじゃないんだから、こんな形で割りを食うなんて、とんでもない!」という思いが先に立って、「流れに身を任せる」ことができきれなかったのも事実ですが……。私の好きな言葉のひとつ、「人事を尽くして天命を待つ」について改めて考えさせられました。自分にとって大事なことほど、思うようにいかないと、何とかしたくなるのが人情ですが、そこでちょっと距離を置いて違う見方ができるようになるのが、上手に流れに乗るコツなのかもしれません。
2006.12.17
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少し前の日記に書いたように、ヨーロッパに三週間滞在した後、先週の木曜日に帰国してから、この国での暮らしが改めてしんどく感じられて、私は「逃げ出したいモード」に陥っていました。外国にいる親友の一人にそのことを話したら、彼は心配して、親切にも国際電話をくれました。そして、外国で暮らした自分の経験や、私と同じような悩みを抱えていたほかの人たちのエピソードをもとに、いろいろと相談に乗ってくれました。その友人が言ったことの中でとても印象に残ったのが、次のようなことでした。彼が昔住んでいた国では、当時、外国人があまりに珍しく、一歩外に出ると、地元の人たちがわ~っと寄ってきたて、文字どおりとり囲まれたそうです。そして、その「群集」は、面と向かって彼をしげしげと見つめながら、どこへ行くにも延々とついてまわったそうです。しかも、街の騒音がハンパじゃなくて、外にいる間じゅう、まるでボリュームを上げたスピーカーを耳元につきつけられているようだったとのこと。そんな環境の中で、不愉快な思いをしないように、家と職場を往復するだけの暮らしを送るようになる人たちも多かった、と彼は言います。でも、自分はそうなりたくなかった。だから、イヤな思いをするのを承知で、毎日、あえて外に出かけることを自分に課したそうです。それを続けるうちに、いつしか、何かが変わり始めたそうなのです。まず、外を歩いていても、以前のように地元に人たちに取り囲まれることがなくなったそうです。さらに、ある日突然、あれほどうるさかった騒音が「聞こえなくなった」そうなのです。突然、まるでスイッチをオフにしたかのように。本当に不思議だったけれど、自分の中で何かが変わって、それが外の世界に投影されたんだろうね、と彼は言っていました。この話を聞いて、深く考えさせられました。イヤだと思うことや、望みどおりにならないことが多いと感じるこの国での暮らしも、私の中にある何かの投影なんだろうか、と。そして、その「何か」が変わることで、私に見える世界が変わることもあり得るのかもしれない、と。答えが出るまでにはしばらく時間がかかりそうですが、逃げ出そうとしないで、しんどくても、とにかくここでの暮らしを続けてみることで、何かが見えてくるかもしれない。そんなふうに思っています。
2006.12.13
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夫の国へ旅するためのビザの手配に東奔西走(?)したことを昨日の日記に書きました。その直後に分かったのは……なんと、経由する国のひとつは、日本人は入国ビザが必要なかったのです!というわけで、ビザを取るのに時間切れで旅行できない、という事態は避けられそうです。これも、昨日の日記に書いたように、何かの助けかもしれない……。ホッと胸をなでおろしたものの、かなりマヌケな結果(笑)。ビザが要ることをちゃんと確かめたはずだったのに、どこかで早とちりしちゃったんだな……。確認が足りなかったな……。夫の運転手に要らぬ時間を使わせて、夫にも余計な心配かけちゃったな……。「私がこんなミスをするなんて」と、恥ずかしくなりました。しかし、思い返してみると、つい数週間前も、似たようなことがあったのです。以前の日記に何度か書いたように、私は11月の末に、滞在していたオランダからイギリスへ出張することになりました。出発の日の朝、見送りに来てくれた夫と一緒に、列車が出るはずの駅に着くと、案内所のお姉さんは、なんと、こう言うではありませんか。「あら、その列車が出るのは、この駅じゃなくて、○○駅ですよ。」私は一瞬、頭の中が真っ白になりました。○○駅って?この街に駅が二つあるなんて、考えもしなかった……。夫と私はタクシーを拾って○○駅に駆けつけました。幸い、時間に余裕を見ていたせいで、列車には乗り遅れずに済みました。そして、夫は、「しょうがないなあ」と苦笑しながらも、文句ひとつ言わず、私の重い荷物を持って駅の中を駆けずり回ってくれたのでした。今まで、私は、色々なことの手配や準備は、ぬかりなく行うほうでした。きっちり段取りを組んで、念には念を入れた確認をおこたらず、時間には余裕を見て、スムーズにものごとが運ぶよう、気を配ってきました。特に仕事では、それがありがたがられることも多く、「ポカをしない」のは、自分の長所のひとつだと思っていました。一方、夫は、そのあたりは私と正反対のタイプ。何度確認しても日にちを間違えたり、ギリギリまで何も手配しないので手遅れになったり、時間に遅れたり。彼がもうちょっと注意してくれれば、こんなことにならなかったのに……。と、そのたびに私はイライラしてしまうのでした。でも、自分が同じようなドジを踏んでみて、やっと気がつきました。自分なりにせいいっぱい気をつけたつもりでも、何かが抜けてしまうことはある。だって、人間だから。そんな時、ドジを踏んだ相手を責めても、仕方がない。わざとやったわけじゃないのだから。それより、助け合って、どう収拾するかを考えるほうが、ずっと建設的だ、と。さらに、こうも思うのです。今まで、「ミスがないようにしなくちゃ」って気張ってきたのは、ミスすることで「ダメな人」「あてにならない人」というレッテルを貼られるのが怖かったからかもしれない、と。でも、ミスをし続けながらも、ちゃんと人生やっている夫と一緒になって、もしかして、少し肩の力が抜けてきたのかもしれません。今までしなかったようなミスを、私自身がするようになったのは、その小さな変化のせいなのかもしれません(笑)。
2006.12.12
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先日の日記に少し書いたように、夫と私は間もなく、クリスマスを夫の家族と一緒に過ごすために、夫の国へ旅することにしています。しかし、航空券の予約をしたのが少し遅かったせいか、希望の便が取れず、入国するのにビザが必要な国を二つ経由するルートを通ることになりました。先週の金曜日、長い旅行から帰ってきた後、すぐにビザ取得の準備を始めました。ビザが必要なのは夫も同じ。彼は今、隣国へ出張中で、たまたまその国にいる友人がビザの手配を手伝ってくれることになったそうです。そこで、滞在を延ばし、必要なビザを取ってから我が家に戻ってくることになりました。今朝、ビザの申請を済ませた夫から電話がありました。航空券とホテルの予約証明が必要なので送ってほしいとのこと。5分で済みそうな用事なのに、この国ではそう簡単にはいかないのです(笑)。まず、夫の事務所にはファックスがありません。以前にも書いたように、この国では、普通の電話回線がほとんど機能していないからです。それに、運の悪いことに、手持ちの航空券の予約表は、字が薄くて、何度コピーしても真っ白にしか写らない……。夫の運転手と私は、再度旅行会社に赴いて予約表をプリントしてもらうことにしました。外はあいにくの大雨。そのせいで、旅行会社に着いたのはいいものの、「雨のせいでインターネットがつながらないので、予約表にアクセスできない」との返事。仕方ないので、まずホテルの予約をプリントアウトするために夫の事務所に戻りました。その後、再び旅行会社に行くと、やっと予約表の新しいコピーをもらうことができました。それから、国際ファックスが打てるところを探したのですが、これが意外とない! やっと全てが終わった時には、実に4時間近くが経っていました。しかし、おかげで、夫は無事にビザを手に入れて、明日帰国するそうです。一方、私のビザのほうも、時間が迫っているので、知り合いに頼んで特別の手配をしてもらっています。ここは、不便なことが沢山ある一方で、コネがモノを言う社会。地元の数少ない知り合いのありがたさを実感するのは、こういう時です。本当に、「持つべきものは友」です。バタバタはしたものの、出発までにビザが取れ、「終わりよければ全てよし」になることを祈っています。心配な気持ちがないわけではありませんが、今の私の気持ちはけっこう楽観的です。ここのところ、いろんな「偶然」に助けられていると感じているので、今度のことも、天がうまく計らってくれるように思えるからかもしれません。昨年の私たちの結婚の準備の時も、「もう絶対間に合わない!どうしよう……」ということが起こるたびに、どこからか助けがやってきて、すべてうまく行ったことを思い出します。何かが応援してくれているとしか思えない、不思議な現象。だから、結婚式を挙げた街で初の結婚記念日を祝い、夫の家族とクリスマスを祝うための休暇がちゃんと実現するように、再び何かが応援してくれるんじゃないかな、と、ちょっぴり虫のいい期待を持っているのです(笑)。
2006.12.11
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昨夜、無事に帰国しました。三週間の長い旅の後、我が家に着いてほっと一息。とはいうものの、現実に戻った、というのが正直な実感です。思うように水やお湯が出なかったり、さっそく停電があったり、電気系統が故障したり。もうすぐ、クリスマス休暇で夫の実家へ旅することになっているので、今朝は経由する国の入国ビザを手配しに大使館をふたつ訪問しました。すると、開館時間中のはずなのに担当者がいなかったり、中に入れてもらえず、炎天下で延々と待たされたりして、情報をもらうだけで何時間もかかってしまいました。ものごとがそれなりにスムーズに運んで、電気や水の心配のない暮らしを束の間楽しんだ後、こういう状況に戻るのはしんどく感じます。旅の疲れが取れて少し時間が経てば、ここでの暮らしのペースを取り戻して、ちょっとしたトラブルや心地よくない状況にも、今までのように淡々と対応できるようになるのかもしれませんが……。この国に住み始めて、はや一年近くが経ちました。何かわけがあって、何かを学ぶために、ここに住むというめぐりあわせになったのだろうと、その「何か」を求め続けた一年だったような気もします。それがチラリと見えたように感じて、また見えなくなって、のくり返し。その度に、私の気持ちも、ここでの暮らしも悪くないように感じたり、逃げ出したくなったりのくり返しです。今は、残念ながら、どちらかというと「逃げ出したい」モード。この国での暮らしがしんどいことも、違う環境で暮らしたいと思うことも、否定しようとは思いません。でも、その中で自分が心地よいと思えるためにできることを、またひとつずつやっていこうと思います。今日は、これからお茶を入れて、お気に入りの音楽をかけて、のんびり夕暮れを楽しみ、おいしい夕食を用意しましょう。
2006.12.08
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以前からお伝えしているように、以前勤めていたNGOから短期の仕事をいただき、10日間ほどそのNGOの本部に出張していました。ある文書を書き直す作業だったのですが、やり始めてみると、けっこう大変でした。何度も書き直したくなったり、疑問がわいてきたり、レイアウトを整えたりするような機械的な作業に意外に時間をとられたり。仕上げなければならない日が近づいてくる中、久しぶりに時間との戦いというプレッシャーを感じました。時間切れで、本当はもう少しじっくり書き上げたかったのに、それができなかったのは残念。最高の仕事をしたいと思いつつも、制約があって少しは妥協せざるを得ないこともあるのが現実ですが……。とはいえ、締め切りの今日、マニュアルを書き上げて、CDに焼いて、仕事を依頼してくれた同僚にメモを書いて、という一連の作業を終えると、さすがに達成感と解放感たっぷり。ちょっとしたことでも、何かを成し遂げるのは気持ちのいいものです。仕事を頼んでくれた元同僚のみならず、沢山の人たちがいろいろな面で力になってくれました。みんなに助けられて気持ちよく仕事ができたことに感謝しつつ、明日は元気に帰国しようと思います。
2006.12.05
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皆さん、こんにちは。お久しぶりです。先日の日記に書いたように、以前勤めていたNGOから仕事を頼まれて、イギリスに出張することになりました。11月末に帰国する予定だったのですが、滞在を一週間ほど延ばすことになって、イギリスからこのブログを書いています。私たちが住む国では、選挙の結果発表の後、ありがたいことに、かなり平穏な日々が続いているようです。とはいえ、帰国してすぐ、夫が現場出張に出なければならないことになって、一週間一人でいるのは気が進まないなあ、と思っていたところでした。そこへ、仕事を頼んでくれた元同僚が、「もっと長くいられるんだったら、その方が助かるよ。」と言ってくれて、タイミング良く、出張の形で滞在を延ばせることになりました。忙しい仕事の合間にも、元同僚たちは何度も食事に誘ってくれ、いろいろと積もる話もしました。彼らの言うことを聞くにつけ、退職してからたった一年の間に、組織がめまぐるしく変わっていることをひしひしと感じました。そして、その多くが、好ましいとは思えない変化なのが残念です。私が働いていた時、このNGOは風通しの良い組織でした。比較的自由にモノを言うことができて、何かを決める時、現場のスタッフの声が吸い上げられていました。課題は沢山あったけれど、皆で話し合って良いものを作っていこうとする姿勢が、私はとても好きでした。それが、トップの人たちが入れ替わってからというもの、急速に変わっていっているようです。つくづく感じたのは、上に立つ一握りの人が変われば、組織も変わるんだな、ということ。何千人もいるスタッフの知識と経験に支えられて成り立っている組織のはずなのに、意外ともろいのかもしれない……。たった一年の間に、愛着があった団体がどんどん違う団体になっていっているようで、虚しいような、寂しいような気持ちになりました。そして、苦楽をともにしながら一緒に仕事してきた元同僚たちが、そんな変化にとまどったり、今後の身の振り方を考えたり、はたまた振り回されて自分を見失ったりしているのを見ると、悲しくもなります。そんなふうに思うこと自体、私がこの組織から離れる時期が来ているサインなのでしょうね。もはや、スタッフではなく、コンサルタントという、一歩も二歩も距離を置いた立場でこの組織に関わっているのは、とてもラッキーなことだと思います。このNGOで働いた12年の間、どんなに沢山のことを学び、沢山の素晴らしい経験をしたかしれない。だから、ささやかな恩返しのつもりで、その経験を生かして貢献できる間は、貢献していきたい。でも、時計の針を戻そうとはしたくない。愛着を持って働いた組織が、どんなふうに姿を変えていくのか、見守りつつ、そこで学んだことを違う形で生かしていく時期が来たんだな。それを実感した一週間でした。
2006.12.03
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皆さん、こんにちは。以前の日記にちょっと書いたように、前に働いていたNGOから仕事の依頼が入り、ヨーロッパまで来ているのを利用して、そのNGOの本部があるイギリスまで出張することになりました。明日から数日、行ってきます。その後は、夫と合流して帰国予定です。よって、このブログは約一週間、お休みすることになると思います。帰国後、またお会いしましょう。
2006.11.24
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