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さて、受講するのを決めたはよいのだが、何処に連絡するのか? ネットは本当に便利ですね。 もの凄い数の情報が、ずらりずらりズラ~リ~~ 私の住んでいる所は、大変辺鄙な場所で、会場が見当たらない。 ネットの書き込みを見る限り、受講の予約電話が繋がらないとか 私のように会場が近くに無いとかetc.~ 更にですね、試験会場すら、全国何処でも可能ではないらしく、 大都市と言うか、主要都市? しか会場になってないようで、 近くに無い人は、まず行ける範囲で探さなくてはいけない??? うぬぬぬぬぬ・・・・・、前途多難か? 更に、更に、受講の会社によって、まあ、良い所もあれば 悪い所もあるようで、一概に分からない。 しかし、選択肢が無いのだから、悩むも何も、 一つの所に電話をしてみた。 ・・・・あっさり繋がる 少々拍子抜けな私。 定員が決まっており( グループを組むから ) 先着順である。 簡単に説明を聞き、残り枠2名!! 締切日時まで、1日しか無かった。 即答すればよいものを、少々考え込んでしまった。 なぜなら、決まりごとがあり、 いかなる理由でも 遅刻・早退出来ない いかなる理由でも 休めない 要は、振り替えが一切ないらしい。 ・・・いかなる理由、体調不良とか、電車が事故で~ とかも含まれる。 電話口で、うーーーーん、と悩みつつも、 4日間くらい何とかなる と、申し込んだ。 期日が迫っていたからか、むちゃんこ早く申込用紙と振込用紙が届いた。 大慌てで郵便局に走り、( 速達の書留だ ) 手続きを済ませたのだ。 持参する物は~ 名札を縫い付けたエプロンに、 音の出ないズボンに音の出ない上着。 音の鳴らない上履き。 そして筆記用具とテキスト。 そして講習会場には、絶対遅刻をしてはいけないから 大変早く家を出ないといけない。 近くではないから、交通費もかかる。 しかししかし、講習は4日間なのだ。 なんとか何とかなんとしても、無事に4日間過ぎますように!!
2011年09月16日
数年前から、 ヘルパーの資格そのものが、効力を持たなくなる そんな話を耳にしていた。 もっと厳しくしなくてはいけないだったか、何だったか~ 私が聞いた理由は忘れてしまったが、更に介護福祉士そのものも 資格取得が難しくなると聞いた。 それから暫くすると、介護職離れが加速しているから、 介護福祉士でなくてはダメ なんてことになったら、 更に更に介護職離れは止まらなくなり、仕事が回らなくなる だから、そんな事には事実上ならないだろう とも、耳にした。 うーーーーーーーーーーーーんーーーーーーーーーー 今まで、あまり興味を持たなかった介護福祉士 そろそろ挑戦してみようかな!? こんな感じで、ネットで調べ始めた。 自己流で黙々としてきた身体介護、はたして正しいのか? 毎日毎日一人でやっているわけで、逆に、他の人のも見ていない。 うーーーーん、自信が無いなあ・・・・・・・・・・・ 合格率は、年々上がっては来ているようだが、 受講すれば取得できたヘルパー資格とは違い (国家資格なので、厳しいのは当たり前ですね) 実技と筆記がある。 第一次試験(筆記試験)、第二次試験(実技試験)からなる。 筆記試験に合格しないと、次の実技試験は受けれない。 そして、実技の試験は 5分 5分のみで課題を熟さないといけない。 全部終了しなくても、即失格では無いようだが~ マイナス方式で計算していくようで、詳しく知りませんが、 例えば○○××が出来てなかったら、マイナス○点とかかな? 私のように、黙々と一人で仕事しないといけない訪問介護は 特に落ちているらしい。 癖と言うのは、知らず知らず出てしまうし~、 まあ、私には~ マイナス要素 てんこ盛り だな と思い、介護技術講習を受けに行くことに決めた。 介護技術講習は、受講を終了した人は、実技試験が3年間免除になる。 当然だが、受講料は必要だ。 しかし、この介護技術講習も、受けれる人と受けれない人がいる。 受講料を払えば、誰でも受けれるわけではない。 実務経験日数が必要だ。 何でも、実務日数を数え間違えた人がいたらしく、 その年度の筆記試験を受験できる資格がなく、 1年棒に振ったらしい。 受講料も安くはないので、先輩に聞いたり ビデオなどで勉強したり、独学でも不可能ではない。 私が迷わず受講を決めたのは、 独学で受かる自信は ゼロ に近かったから。 それから、一回で合格しないだろう自信もあったので、 マゴマゴしていて、受験資格が更に厳しいのになったら 今までの経験が無駄になるような気もしたからである。 そしてそして、3回も実技免除 これは大きい!! 筆記試験だけに、準備時間を使えるから。 ずっこいと言えば、ずっこいかも・・・・。 (何で ずっこい か、続きを読んで行ってもらえば)
2011年09月11日
少し前の話ですが・・・・ ヘルパー2級を取得する時は、経験を積んで どんどんどんどんどんどん~ ステップアップしよう なんて考えていたものだが、実際介護の仕事してみたら ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 私はずっとずっと ぺーぺー のままで いっか と、気持ちはダウンしていた。 どうしてだか、思い返してみると ただ単に 責任を取らないといけない 立場になりたくない から。だったような気がする。 経験の無い介護の世界に飛び込んだものの 気が小さい私は、すっかり逃げ腰になっていたのだろう。 訪問介護は、自分一人で訪問するから (会社によっては時給折半で2人でも可とかありました) 責任は自分にあるわけで、当たり前っちゃあ、当たり前ですが 始めた頃の私には、そんな社会人としての常識は吹っ飛び、 いかに早く訪問先を 立ち去るか!! なんて事を、頭の中でグルグルさせていたんだろう。 ・・・・・・・・・・・・・何て奴だ・・・・・・・・・・。 書いていて、自分でビックリだったりする。 その当時の訪問先の人に申し訳なかったりするが、 実際現実、私はいつもそんな気持ちで一杯だったような。 そして月日は流れ~ なぜだか、急に 上 を考え出した。 あれほど周りに言われても動じず、いつまでもそのままでいたのだが 何故か、突然、ヘルパー2級以上 が頭によぎり~ そして、さっさと行動に移したりした。
2011年08月30日
もの凄く久しぶりの楽天さんです。 なんだか、すっかり変わったような感じて、戸惑ってます。 更新を止めて、もう数年経過しているのでしょうか。 数年前から、訪問介護の仕事から離れ、病院勤務してます。 数か月前から自分の書いたものを読み返し、 ああ、色々な事があったんだな~ と、不思議な懐かしい感情に浸っていました。 そして、やはり訪問介護に戻りたい気持ちになっています。 なぜか、日記に書いてしまった出来事を、すっかり忘れています。 続きが書いて無くて、途切れてしまっている体験話もありました。 はっきり覚えていないので、続きは書けないのではないだろうか。 時々話に出てきた父も、体調を悪くし、去年には余命を宣告され。 目まぐるしい数年間でありました。 更新しよう更新しよう・・・・・・・・ と思いつつも、やはり気持ちはでなく。 ブログ名は ヘルパー奮闘日誌 となっていますが、 更新する内容は、関係ないものばかりになるかもしれません。 特に変えることもなく、ポツポツ と 楽天さんに出勤してみようと思います。
2011年05月27日
ヘルパーの資格は、村の駅の近くにある、とあるビルの中に入っていた、とある会社の教室で取得した。 取得した後、その教室の関連企業に登録し、お仕事をいただいた。 半年くらいだったか、そこで1からスタートした。 ヘルパーの資格を取得した時の裏話などは、以前に書いてあるので、すっ飛ばして・・・ ぶっちゃけ、本当に基本的な事を、頭に叩き込んだだけの、実戦も何も無い状態。 本当に、現場で1からスタートだったのである。 半年過ぎたくらいには、色んな事が見えてきて、小さい子供が居る人には、ちと・・・ この仕事、難しくないかい? と、思うようになってきた。 どんな職種であっても、どんな仕事であっても、周りにバリバリ協力してくれる助っ人さんが居なければ 本当に自分1人で子供を育てながら、家事をしながら仕事をするのは、限界があると思う。 私は勝手に勘違いをしていた。 「小さいお子さんが居ても大丈夫」 「貴方の空いている時間に少し」 「週2~3日、1時間から可」 なんて求人広告を目にしたり、就業案内でも言われた。 そして、張り切って資格を取得したりしたのである。 ( そんな勘違いしてたの、私だけかしら・・・・ ) 最初は、ゆっくりスタートだったが、慣れてくると、1人で何処にでも行って、どんな人でもとりあえず引き受け~ 受け持ちがどんどん増え~。 そして自分が身動きできなくなったりする。 で、一旦そこの会社の登録を外してもらい、融通の利く会社を探し、見事にご縁が。 そうなると、今度は物足りなくなってきた。 そういう融通の利く会社の、融通の利く相手となると、やはり、家事的な援助ばかり。 何か、違うんだよな~、このままじゃあ、身体的な介助、忘れちゃうなあ・・・・ そして、あの、例の、あの、あそこへ、入社したわけだ。 それはそれは厳しく、それはそれはやりがいのあるお仕事ばかりで、それはそれは馬車馬のように働かされました。 んで、ちょいとばかし前、なにやら郵便局のお兄ちゃんが、配達記録だったか、何だか 本人の受け取りの印鑑が無ければ、渡せないような種類の物を持ってきた。 はて? 今更、お宅様が、何の要件で??? びりびりびり~ 出てきたのは、勤務していた時の証明書みたいな物でした。 ヘルパーとして勤務日数が何日ないと、次のステップアップのための受験資格がもらえないんです。 ケアマネさんだったり、介護福祉士だったり。 あれは、ペーパーテストさえ合格すればいいものではなく、ちゃんと稼働日数も必要なんです。 その証明に使える種類でした。 ( 確か・・・・ ) で、私はかなり長い年月、長い時間勤務しているので、どちらも受験資格はあります。 でも、全くその気が無いので、そのままヘルパー2級。 介護福祉士になれば、時間給・お給料、やっぱ多くもらえます。 ケアマネさんなんかになれば、それなりのお給料です。 ペーペーの平が良い私は、何度言われても、無視してます。 かなり話が逸れてしまいました。 で、その○ムス○さんからの勤務実態表を見ると・・・・ うわあ・・・・・・ 休みないじゃん!! すんごく働いていたようです。 労働基準法なんて、あってないような。 24時間勤務していたわけではありませんが、働き蜂だったようです。 こういう紙を、きちんとくれたのは、このコム○○さんのみです。 他の大手の1社、くれてません。最初に仕事教えてもらった所ですね。 勤務中は、散々苦しめられ、蜂であり馬にされていた私でありましたが、得るものは沢山ありました。 そしてそして、退職した後も、色んな噂があったり、新聞やテレビで報道されていたり。 しかししかし、最後にちゃんと、あたりまえの、こういった証明を郵送してくれた ( ただの郵便では無く配送料金のかかる ) この会社様に、まあ、終わりよければ全て良し? でしたかね。 それを、痛感してました。 そして、あの、バリバリの、あの上司、貴方様は、今・・・・何処でどうしているのでしょうか。 ああ、あの時の賞与・・・・・・返してください。 自分の懐に入れたと言う、あの話は、事実だったのでしょうか? あの上司さま、会社があの人を変えてしまったような気がします。 このお話は、また後日。 久しぶりにお仕事の話でした。
2008年07月30日
思いつき・勘違い・・・ 多々あったりします。 最近、 ほえ!? と知った言葉。 兎に角 わたくしは・・・・・ 上記の言葉を ずーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーっと 「何て読むのかしら?」 と、思いつつも・・・・・・・・・・・・・・・・・ 特に人に訊く事もせず、辞書で調べる事も無く、そのまま 「?」 にしていた。 で、この 「兎に角」 を、よくブログ上で使っている方がいらした。 で、読めないので、意味が時々分からなくなっていた。 で、そう思う時に、パソコンの無料辞書で調べればいいものを、これまた そのまま 数年が経ち・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 私の気に入っている本旅する野人の諸国珍遊記 これを最近読み返していた。 やっぱ、この言葉出てくるんです。 「うーーーーーーーーーーーーーーーん・・・・・・・・・・・・・」 そして、やっとやっと、最初に 「?」 と思い始めてから数年経過後、調べてみました。 ああ、なんだあ、そう読むのかぁ~、へえええぇぇぇぇーーーーーーー ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ちなみに、今、書いている、これ を試しに平仮名で入力してみると・・・・・・・・・・・ ちゃんと変換された。
2008年07月29日
以前書いたお友達の話ですが・・・・。 私との会話で、私が何か話すと全てと言って良いほど 否定 で返してくる彼女の事です。 数年間疎遠になっていました。 半年くらい前に連絡を取り合うように。 最初はメール。 私はあまりパソコンのメールを開かないので、日付を見て驚いて返信し、今に至るわけですが。 あまりにも返信が来ないと、彼女は心配して電話をしてきてくれる。 何かあったのではないか? と。 私は彼女の事を、ぼろくそ に書いてしまった事に ( 確か書いたよな・・・ ) とても反省した。 私が困った時に、何をおいても助けに駆けつけてくれたのは、誰でもない彼女だった。 自分の子供2人を残して、駆けつけてくれた。 彼女は誰に対してもそうで、見知らぬ路地裏に倒れている人を見ても、手を差し伸べる人だ。 例えば、私が子供を連れて家を飛び出したとしよう。 彼女はそれが何時であろうと、自分がどんな状況であろうと、私達親子を受け入れてくれる人。 最初に数年ぶりに会話した電話でも・・・・ 彼女は相変わらず全てを 否定 してきた。 最初は ムカムカ してしまった。 反論してみても、その反論を更に 否定 され、もう嫌になった。 暫く黙っていた。 彼女は私の気持ちなど気づかず、 「今度会おうよ~、久しぶりだしさ。いつならいい?」 あああああ、彼女はこういう人だったなあ・・・・。 そして付き合いは続いている。 連絡を取り合わなくなっていた間・・・・ 彼女は離婚していた。 子供2人を引き取り、ばりばりと働いている。 そして驚いた事に・・・・ 中古戸建てを購入していた。 これには本当に感心してしまった。 結婚して10年くらいだったのかな? その間に着々と貯蓄をし、離婚した時にその貯蓄分で家を買ったのだ。 全財産だ。不足分は両親に借りたらしい。 そして今から教育費をガンガン貯めていくらしい。 そして旦那さんだった人は・・・・ 彼女が着々と貯蓄をしていた期間、彼は着々と借金を増やしていた。 一千万近かったらしい。 それも、彼女が知らない間に、勝手に保証人にしていた物もあった。 これは、彼女はそのローン会社に乗り込み、無事保証人から外してもらったようだ。 数百万だったらしく、調べておいてよかったね・・・と思う。 彼女は借金が大嫌い。ローンも嫌い。 さっさと離婚を決めた。 彼女から言ったのではなく、彼の方から言ってきたらしい。 彼から直接聞いた話は無いので、全て彼女からの一方的な話になる。 なので、彼の真意は分からない。 彼は離婚して、生活費から借金返済に回したかったのではなかろうか。 黙って借金している男性って、家族さえ居なければ、全部自分で給料使えると想像し、借金返済に回そうと企み、離婚しようとする。 離婚したところで、養育費なんて数万、それか逃げちゃえばいいや~、そんな考えなんでしょうかね。 私は消費者金融とかに借金する人の事、駄目なんです。受け入れられない。 どんな事情があろうと、家族に黙って借金を重ねる。 家族を大事にしている人なら、そんなこと、勝手にしないと思う。 偏見かもしれないけど。 ( これはゾが考えていたことなので、何となくそう思ってしまった ) 知り合いの方で、母子家庭で生活費が足りなく、仕方なくそういうところで借りていた人いました。 きちんと返済するので、しばらくすると消費者金融から電話があり 「こんにちは~。 今回のお電話はー、貴方様の融資額が増額しましたので~ その連絡なんですね~。いかがですかーーー? 良いお話でしょう?」 とか言うらしい。 そして彼女は借りてしまう。 本当に切羽詰った人もいるので、勝手な事を言って、気を悪くしてしまったら、すみません。 でも、ああいうところに借りられて、地獄を見てきたので、止めようよ!! と真剣に思ってます。 ゾは整理しているので、その話を訊きたかったらしく、しばらく相談に乗っていた時期があった。 私 「破産宣告するなり、整理するなり、何かの手を打ってみてはどう?」 彼女 「これから離婚しようとしている相手に、何でそんな救いの手を差し伸べる必要があるの?」 と、言い切った。 ・・・確かにそうだよな。 奥さんの知らない間に、借金。そりゃ怒れるって。またその逆もあるだろうけど。 私 「どうやって10年でそんなに貯めれるの?」 彼女 「一年に最低百万貯めようとしてごらん。 あとは、財布に千円でも残っていたら、そのまますぐに入金してみてよ。 10年経つと、結構な金額になるから。 あとは夢を持つ事よ。段々現実に近づいていくと、ますます頑張る気になるからさ」 う・・・・・・ん、今から10年目を目指すとするか。 他の人も言っていたが 「百万貯まるまでは、本当に大変。 でもね、不思議とその後は、貯まっていくのよね。 騙されたと思って、まずは百万貯蓄目標から始めてみてよ~」 ああ、みなさま、百万くらいあるっしょ? と思われるかもしれませんが、我が家にはありません。 知っている方は、知っている通り、我が家はいろーーーーんな事があったので、無いんです。
2008年07月22日
一概には言えない事かもしれないですが。。。。。 禁煙、「この一箱で最後にしよう」 「あと、一本だけ」 「来月から」 そのような理由では、禁煙は成功しないとか。 箱の中に残っていようと、それをゴミ箱に投げ捨てて 「よし、今から禁煙だ!」 それくらいの気持ちで無いと、成功しないそうです。 理由をつけて禁煙しようとしている人は、失敗するか、長続きしないそうです。 ( 次の~~で止めよう、今は~~だから。とか。 ) ああ、私のダイエットと一緒だ・・・と思いました。 そしてそして、飲み会何ぞで、ついつい勧められ・・・・ これも、断固として拒否する。 「まあ、一本くらい・・・」 と吸ってしまうと、もう、それまでの我慢・努力は、 ぱぁ~ になってしまう可能性が大きいらしい。 って、私が勝手に言っちゃあ、いけませんが。
2008年07月21日
緊急入院となってしまった父。 本当にやばかったらしく、点滴に酸素に抗生剤に、看護師さんが部屋をバタバタしていく。 翌日、やっとこさ呼吸器科の医師に会えました。 専門の先生のお話でも、やはり容態は悪いらしく、最悪の場合もあり得る。 その場合、この病院では治療が無理なので、もっとでっかい大学病院へ行ってもらう。 と言うではありませんか!!! 変な意味で病院慣れしている私は、「ふむふむ」 と冷静に訊いている。 何もかもが初めての父は、何と言うのか~ 変。 話が通じない会話なのだ。 呼吸器科の医師も、意識がちゃんとしている以上、患者本人に話を聞きたい。 そして、今回のこのような症状は、いつからで、どのような状態なのか。 この本人、父はと言うと・・・ 「ええ~、私は、まず、タバコを○歳から吸ってまして~ ええ~、私は、△△医院で診てもらってまして、その時に、この病気が~」 何年も前の話からする。 しかし、この△△医院も、全然違う名前。 それ、どこじゃ? △△医院と言ったのは、今居る現在の病院の名前と、その前の医院の名前をミックスさせた、摩訶不思議な名前になっていたのだ。 このミックスさせてしまった名前が、妙に笑えて仕方なかった。 ( 忘れてしまったが ) またまた、この医師も困ってしまったようだ。 「えーー、私は、○歳の時に、怪我で入院した事がありまして~」 と、これまた昔の話。 その時のお偉いさんに気に入られ、病室を抜け出し、延々と碁を打っていた話まで始めた。 ちらっと看護師さんが私の顔を見た。 そこからは、また、私が数日前からの体調の変化を、ざっと説明した。 父は、私の話を 「うんうん」 と相槌を打って訊いていた。 緊張していたのだろう。 医師が去った後、父は、また訳の分からない話を、延々と話し始める。 呼吸が苦しい人が、会話するなんて、とんでもないことなのに、何度制しても、いつまでもしゃべり続ける。 本当に しゃべるのが好き なんだろう。 そして、今さっき説明してくれた話を、何も覚えていないようで、あれだけ頷いて 「分かりました」 「はい、はい、分かりました」 と、きちんと答えていたのに、なーーーーんにも、訊いていなかったようで。 まあまあ、これも、緊張していたからでしょう。 危ないと言われ続けた父。 点滴が効いたようで、あれよあれよ・・・と元気になった。 そして、3日も経つと・・・・ 父 「帰りたいなあ、帰りたい」 気持ちは分かる。暇だしな。 父 「あのな、あの、向かいの部屋のおばあさん、一晩中叫んでいるんだよ」 「それでな、あの、あっちの部屋のおじいさん、薬が飲めないのか、なんとか、かんとか」 うんうん、そうだよな、病室って、一種の共同生活みたいなもんだよね。 しかし、そのような理由は、ほんのちょっとだったらしく、大半の理由は 「パソコン、繋げたらあかんか?」 パソコン禁断症状が出ていたらしい。 医師としては、まだ歩行のリハビリもしていないし、酸素が外せないし、自宅酸素が無いなら、まだ無理だろう、と。 まだ、病室から出ないで、と言われているのに、勝手に廊下に出て、ふらふら~と売店まで散歩。 そして、自信をつけたのか、あっちへふらふら、こっちへふらふら~、 そして、10日あまりで、退院しました。 それも翌日の夕方迎えに行く、と約束していたと言うのに ( 支払いとかあるじゃないですか、父の自宅の掃除とか。シーツの交換とか ) 面会を終え、自宅に運転中に、どうやら自宅に電話をしたようで ( 私と別れてすぐにって事ですね ) ゾンビが取った。 ゾ 「お父さんから電話があったぞ、朝一で帰りたいから、タクシー呼ぶって。来なくて良いって」 へ? えーーー、無茶苦茶な! なら、今、引き取ってきたのにーーーー!!! そして、翌日朝一で迎えに行きました。 やっぱ、退院の時、1人って、寂しいじゃないですか。 休日だったので、がら~ん としてました。 ナースステーションに寄ると、看護師さんの驚いた事。 看護師さん 「え? 今から? えーー、朝食の料金いただく事になっちゃいますよ?」 別の看護師さん 「○○さん、夕方でいいんですよ、そんな、こんな早くから・・・・」 何か、私は、恥ずかしくなっちゃいました。 何にも書類準備ができていなかったようで、暫く待っていました。 会計は後日、と言う事で、早々に自宅に送り届けました。 2日くらいは、ずっと眠り続けていたようです。 そして、自宅で眠れる有難さに感謝していたよう。 「嬉しい、嬉しい、何でもない事が、当たり前の事が、こんなに嬉しいなんてなーーー」 そして、一週間は、外出禁止なのに、3日目には暇だから、ふらふら~とスーパーに行ってしまったらしい。 あああああ、恐ろしい人だ。 肺が弱っている人は、ほんのちょっとした風邪でも命取りになります。 肺炎になって、そのまま・・・・って事も。 この病気で一番怖いのは、眠っている時に、酸素が行き渡らず、そのまま・・・・って事だそうです。 はたまた、低酸素状態になって、植物人間になってしまう事もあり得ると。 自宅酸素を勧められました。 せめて、眠っている時だけでも。そうすれば、朝を迎える事が無い、と言う恐怖も少なくなります。 ただ、高いです。高額です。月々のレンタルになります。 数万円します。 父は拒否し、酸素を吸ってません。 ただ気をつければ、防げる事、あります。 ちょっと体調が悪いな~、あれ? 風邪かな? その、ほんのちょっとした事でも、すぐに掛かり付けの医師に診てもらう。 大事になる前に、軽く済めば、今までどおり、生活は出来ます。 父は、あんなに苦しい目に合ったくせに、その時は 「今度からは、すぐに行くぞ」 と誓うくせに、元気になると 「馬鹿者。そんな少々の事、気力で治さんでどうする」 と、怒り出す。 ああああああああああ、やっかいだ。 タバコ、美味しいのかな? 一服、気持ち良いのかな? ほどほど、ほどほど なら、大丈夫なのかな? よく分かりません。 この病気の原因は、長期間の大量の喫煙だそうです。 後日談 退院した後、父がゾに話した事 「いや~、今回は本当に辛かった。もう、ごめんだ。 ゾンビ君、君もタバコ大好きだろ? 止めといた方が良いぞーーーー、辛いからな」 そんな事、言わんでよろし! まあ、止めるわけ、ないでしょうね。 そしてタバコが千円?になるとか言う話。 父は 「おうおう、千円だろうが、一万円だろうが、どんどん上げていけ。 俺には関係ないからな 」 「だいたい、国がいかん! けしからん。 あんな、健康に害のある物を売り続けておくとは!」 「ふざけとる!」 ふざけているらしいです。
2008年07月20日
ある日、いつものように父親の家に。 父はパソコンが大好き。一日中パソコンの電源は入っている。 料理の検索をしたり、ニュースを読んだり。 ネットゲームに夢中になったりと、本当にパソコンがお友達だ。 あまりにもパソコンにへばり付いているので、呆れていた。 こちらが話しかけても、画面をずっと見ていて、適当に相槌を打っているのが分かる。 どんなに重要な話をしても、「ああ、うん、ああ・・・」 と、訊いているのか訊いていないのか。 まあ、訊いていないんでしょうね。 後から必ず 「俺は聞いてないぞ?」 「そんな事、言ったか?」 と、びっくりした顔をしてるから。 そんな事が丸2日続いた。 本当に嫌になってしまい、会話もせず、家事だけして帰ろうとした時、ふと、振り返った。 どうも、父の様子が変だ。 いつもなら、私がさっさと帰ろうとすると、さすがに反省するところがあるのか、それとも寂しいのか、玄関で靴を履いていても、何か話しかけてくる。 それなのに、その日は、全く身動きしないのだ。 私 「父よ、どうかしたの?」 父 「・・・・・」 無言 私 「どっか苦しいの?」 父 「・・・・」 無言 私 「もしもーーーし」 父 「・・・熱が高い」 高い・・・・・このように言い切る時は、憶測で物を言っているのだ。 「熱が高い」 と言うのは、決して熱を計ったわけではない。 私 「体温計は?」 父 「ない」 私 「じゃあ、どうして熱があるのが分かるの?」 父 「あるんだ。俺があると言えばある」 私 「風邪?」 父 「ああ。」 私 「病院行こうか」 父 「いや、寝ていれば治る」 ここで、一騒動あったのだが、父は頑固者だ。 一度 「嫌だ」 と言ったら、どんな事を言っても無駄だ。 私 「じゃあ、今日一日様子を見て、良くならなかったら、明日連れて行くからね」 父 「嫌だ。俺は医者を信用していない」 こんな会話を何度続けた事だろうか。 ただ単に、病院が怖いだけらしいです。 そして翌日、自分の家の用事を済まし、急いで父の所へ。 相変わらずパソコンの前に座っている。 そして、行かない と言い張る。 1時間ほど、言い合いを続けた。 父はトイレに立ち上がった。そして戻ってきたのだが・・・・・ 椅子に座ろうとしない。 私 「? どうしたの、座れば? 」 父 「ぜえぜえ・・・・・、ばか、言うな、、、、すわれ・・・・ないんだ」 もう、息が出来ていない???? これは、やばいのでは? たかが2歩、トイレから往復4歩、もう、息が上がっているのだ。 そこからまた30分近く説得する。 玄関を出て、車に乗り込むまでに10分以上かかる。 車に乗ったら、もう観念したのか・・・・・ 「俺は、もう駄目なのかもなあ、これはな、タバコのせいで、肺が~」 と、延々としゃべり続ける。 ただ、一気にはしゃべれないので、上記のような事を、途切れ途切れに、ゆっくり話し続けているのだ。 貴方の症状・原因は、よーーーく分かっております。 なので、一から説明してくれなくてもいいんですがねーーー。 静かに座っててくれたまへ。 かかり付けの医院に行く。 すぐに私が呼ばれた。 「うちでは無理。総合病院に行って」 紹介状を書いてもらい、一番近い総合病院に行く。 もう、父は、移動中の車中、びくびくしっぱなしである。 総合病院、ここは、娘ともども、何度もお世話になっているので、私の気持ちとしては楽だった。 父は初めてなので、もう、心ここにあらず、と言った感じであった。 しかし、総合病院は駐車場から受付までが遠い。 もう、父は歩けなくなっていた。 車イスを借り、紹介状を見せると、早い早い。 あっという間に内科まで移動できた。 看護師さん 「お熱はありますか?」 父 「・・・えっと、40度」 私 「ええーー!? 」 計っていないのだ。勝手に言っているのだ。 最初の医院では、熱も計らず、父の表情を見て、すぐさま、大きい病院に行け、と勧められたから。 看護師さん 「えっと、じゃあ、計ってもらいましょうかね」 38度。 父は自分の平熱を知らない。 父 「おお、おれは、38度、も、あるのか」 ・・・・さっき40度って言ったよね? それは、どっからの数字で? そして、看護師さんに、今の状態を訊かれるのだが・・・・ 父 「実は、これは、タバコが原因で・・・・」 と、何年も前の説明から始めようとする。 看護師さんは、私のほうをチラッと見た。 私 「父、苦しいでしょう、私が説明するから・・・」 と、看護師さんと共に、奥の部屋に行った。 1時間近く待ったのだが、呼吸器科の先生が、何でかしらんが、帰ってしまった。 んで、急遽、違う医師が診てくれた。 医師 「えーーーーー・・・・・・・・・入院してもらおうかな」 入院になりました。 ああああ・・・・・・さっさと帰らなくて良かった。 言い合いしてでも、病院に連れてきて良かった・・・・・。 と、心底思っていた私である。 酸素が身体にいっていない状態で、危なかったからしい。
2008年07月07日
即日禁煙した父は、とっても太った。太ったら太ったで、今度は動けなくなる。 動かないと筋力も無くなる。悪循環である。 それでも、禁煙しないよりは、肥満の方が身体には何倍も良いらしい。 って事は、書いたような気がするので、飛ばし・・・・・ 必死にダイエットをし、( ウォーキングと間食を減らす ) 体が軽くなった。 そうなると、その体形を維持しようと、ウォーキングを日課にした。 毎日1~2時間、ゆっくりゆっくり歩くのだ。 もう肺の機能が半分くらい ( だったかな? ) になっているので、早くと言うか、普通の人の速度では歩けない。 父が悔しがったのは、信号が変わりそうになっても、足早に歩く事が出来ない。 ちょっと前までは、ひょいひょいと小走りが出来たのに、もう、それが出来ないのだ。 「ああ・・・、今なら分かるんだ。 あの、おばあちゃん・おじいちゃん、ちょっと速く歩けば渡れるのに わざわざ次の信号待つんだなあ~。 まだ青なのに、青になった直ぐに歩き出さないと間に合わないのか」 信号をわざと一回待つ年配の方、見かけませんか? 祖母もよく口にしていましたが、青の途中で歩き出すと、絶対に間に合わないそうです。 青に変わったと同時に歩き出さないと、パカパカ となり、そして、さっさと赤になってしまう。 まさか、自分がそうなるとは。まだまだ先だと思っていたのに、急にそうなった。 それが、本当にショックだったようです。 階段なんて、もう死に物狂いらしい。 降りるのは、まだ良いみたい。昇りは、本当に え、死んじゃう? と、こっちが怖くなるくらい。 ぜえ、はあ、ぜえぜえ・・ ゆっくりゆっくり上る・・・それでも、すんごい声? 息遣い? が、後ろから聞えてくるのだ。 お風呂も死に物狂い。 一つ一つの行動が、一気には出来ない。 普通に服を脱いで、籠に入れ、お風呂場に行き、体を最初に流し、そして次に~ 順序は皆さんそれぞれだと思うので。 その流れが、一気に出来ないというから驚きだ。 私達が無意識にしている呼吸。 普通に息を吸って、吐く。 この 「吸う」 が出来ないと、いや、吸ってはいるのだろうが、酸素が入ってこない? と言う表現かな。 過去に医療ミスで肺に血が溜まった事がある。 突然動けなくなった。その原因が分からず、放置された。 その間にも、少しずつ血は溜まっていたのであろう。 数分後には、呼吸が苦しくなっていった。 その訴えも、信じてもらえず ( 医療ミスしたと気づいていないから ) 酸素が吸えなくなった。 もの凄く苦しく、涙が自然にこぼれてくるが、声が出せない。 鼻から酸素が吸えないなら、口から酸素を取り入れればいいんか?とか思い、口をぱか~と開けるんだけど、酸素が吸えないから、自然に 「ぜえぜえ」 になってしまう。 父の場合は 「肺が苦しい」 状態だが、その時の私は医療ミスの痛みの方が強かったので、肺に血が溜まっているとは分からなかった。 その痛みが無くて、酸素が吸えない状態が苦しいのは、何となく記憶に残っていて、とっても苦しかった。 そして、沢山酸素を取り入れようと必死になるので、速い息になるんですね。 それでも酸素は入ってこないので、唇は乾き、手足は冷たくなり、思考回路が停止に近い状態。 父は、ずっとあんな感じなのかと思うと、自業自得とは言え、何とかしてやらねば!と思うようになった。 そして寒い季節、今までに無い父の苦しい生活が。 全く余談ですが ( 以前書いたような )・・・・・その後ぱきらはどうなったのかって言うと・・・大量出血の場合は、肺に穴を開けて、溜まった血を吸い出すそうです。 私の場合は、止血処置を取る事が出来たので、それ以上、溜まらなかったんです。ゆっくりと自然吸収されるから大丈夫とのこと。 もし、ずーーーっと放置されていたら、その後どうなっていたんでしょうね。 と言っても、普通に呼吸が出来るようになるまで、丸二日間酸素をつけ、「ぜえぜえ」してました。 ちっとも気づいてくれなかった医療ミスに、何で気づいてくれたのか。 トイレが我慢できなかったから、ナースコールを鳴らし続けた。 本当だったら 「尿瓶をよこせーーーー!」 と叫びたいんだけど、声が出ないから 「し、し、し・・・しび・・・・ん、、、、、く・・・・れ」 そこでドクターが やっと オカシイと気づいてくれた。
2008年06月29日
みなさま、タバコ吸いますか? 私は一度も吸った事が無く、興味も無い為、もしかしたら愛煙家の方にとっては、失礼な事を書くかもしれません。 許してくださいませ。 利用者さんの数人の方が、タイトルの COPD(慢性閉塞性肺疾患)が原因で永遠のお別れになっている。 過去日記にも書いているので、同じ内容の箇所もあるかもしれませんが、そこは、まあ、まあ、ね。 私の父親は、もの凄く沢山吸っていた。 三箱は確実にいっていた。 定年退職すると、ずっと家にいるわけで、その頃にはもう離婚していたので、独居だった。 子供を連れて遊びに行くと、とにかく臭かった。 こちらが何度 「子供の前では止めて」 と言っても、ききやしない。 10分くらいで、外に出るのだが、それでも髪の毛や衣類には、タバコの臭いが染み付いていた。 吸わない私には、もの凄く気になった。 普段吸っている戸籍上の旦那は、全く気にならないらしい。 男性の独居・・・換気をするわけでもないし、カーテンも中途半端、換気扇なんて回した事無いんだろう。 家中がヤニ。 壁紙の色は、何とも言いがたい、くすんだ色。 引越しを数回しているのだが、そのたびに 「壁紙を全て替えないといけない」 と言われ、敷金などは戻ってこなかった。 その都度、父は怒った。 「そんなはずは無い!! 壁紙の汚れという物はだなあ・・・」 と、ぶつぶつぶつぶつと説教し始めるのだが、相手も一歩も引かない。 「ぱきらのお父様、短期間しかお住まいになっていないのに、 ここまで壁紙が汚れるのは、あり得ないんですよ。 確かに言われるように、日常的に汚れる事は想定してありますよ。 しかし、この壁紙、見てくださいよ。トイレの中まで変色しているんですよ」 それでも食らいつく父。 私は不動産業者さんの言っている事が、とおっても理解できた。 何一つ、「? それ違うだろ?」 と言うような事は、口にしていない。 父は、もの凄く負けず嫌い。 1時間以上ごねた。 弁護士を呼ぶとか、何だか、とんでもない事まで言い出す。 それでも相手は譲らない。 当たり前だと思った。それくらい酷かったから。 エアコンを外した後の壁の色。これが本当にくっきり。 それを見ても、父は納得しなかった。 何故頑なに拒否をし続けたかと言うと、その時には既に禁煙していたから。 「ここ数ヶ月は吸っていない!」 いやいや・・・父よ、ここ数ヶ月の前は、めっちゃ吸ってたじゃあありませんか。 そして、あまりにも面倒になってきたので、口を出した。 「父よ、もういいじゃない。ここの大家さんは、快く入居させてくれたんだし。 本当に壁、汚いと思うよ。次に私が入居するとしたら、こんな壁の部屋は借りたくない」 それでも、ぶつぶつ言い続けたが、最後は諦めたようだ。 不動産屋さんは、私と話したほうがスムーズに事が進むと思ったのか、それ以降は父を無視し、私と手続きを取った。 父はふてくされて、何処かにいってしまった。 そして新居に移った。 壁は真っ白。 その真っ白な壁に・・・・エアコンが・・・・・。 エアコンはきっちゃない色に染まっている。 真っ白な壁に、きっちゃないエアコン。 父はそれを見る度に 「俺が今まで住んでいた部屋の壁は、みんなあんな色だったんだな・・・・」 と、今更ながら呟いている。 テレビもリモコンもパソコンも、全てヤ二がついているって感じ? 衣装ケースなんかも、拭くと、タオルがばっちくなる。 そんな全ての色が変わってしまうくらいなんだから、吸っている本人の肺がどうなっているか、想像できますか? 以前もテレビ番組で芸能人の肺のレントゲンを撮ったら、穴が開いていて、すぐに禁煙してくださいとか、そんなのやっていた。 やっかいなのが、すぐに症状が出ないことだ。 何年も、何十年も、大量のタバコをプカプカ吸っていた結果、ある日突然やってくる。 だから、気がついた時には、もう手遅れだったりする。 肺の機能というのは、一度駄目になったら戻らない。 手段としては、速攻に禁煙する。 それで良くなるのではなく、それ以上肺の機能を壊さない・進行させない手段なのだ。 そのテレビ番組に出ていた医師は ( 多分医師だったと思う ) 「禁煙すればすぐに治ります」 だったか 「少しずつ機能は戻ります」 と言っていたような気がするが、父の主治医は、「治らない」と、はっきりと言い切った。 治らないと言うのも変だが、破壊された肺の機能は、治療薬などで戻るものではない、と言う風に言った方が正しいかな。 アルコールの大好きな女性が、膵臓の機能が破壊されてしまい、元に戻らないと宣告されたと言っていた。 それでもアルコールを止める事が出来ないらしく、飲んでいる。 その話を訊いた時、「まっさかあ」 と思っていた。 彼女は何度も 「まじだって、本当にもう治らないんだって。でも、止めれないんだよねーーー」 と言う。 膵臓の発作みたいなのは、本当に苦しいらしく、七転八倒している。 私は医者ではありませんし、看護師でもないし、勉強したことすらないので、そのCOPDの話が間違っているかもしれません。 そこは突っ込まず、さらっと読んで下さい。 で、話は戻るのですが、父はヘビースモーカーだから、肺の機能が壊れてしまったのでしょう。 一日に数本しか吸わなければ大丈夫なのか? と訊かれたら、分かりません。 もの凄く大量に吸っていても、何とも無い人もいるみたいです。 あとは、喫煙していた年数みたいです。 よく 「喫煙一日の本数は?」 「何歳から喫煙してますか?」 と言う質問項目ありますよね。 あれって、何でそんな事訊くのかな~と不思議に思っていたのですが、タバコは害があるからなんでしょうね。 今更、当たり前の事なんでしょうが、「たかがタバコじゃん?」と、タバコの恐ろしさを知らない私がいたわけです。 医者から 「死ぬよ、生きたければ止めなさい」 と言われ、即日禁煙した父。 その後どうなったかというと・・・・・ 長くなっちゃったので、一旦ここで。
2008年06月25日
「眠れないのよ・・・・」 と、おばあちゃまは新たな悩みが。 眠れないらしい。 私 「どんな感じなんですか?」 おばあちゃま 「9時くらいに布団の中に入るの。眠れなくて眠れなくて。」 私 「それは辛いですよね」 おばあちゃま 「それでね、3時くらいには目が覚めちゃうの」 私 ・・・・ん? おばあちゃま 「それでね、真っ暗な部屋の中、仕方ないから布団の中にいるの」 私 ・・・・・・??? おばあちゃま 「6時くらいに目が覚めて、仕方なく布団から出るの」 私 「あの~、それは眠れているのではないでしょうか」 おばあちゃま 「布団の中にはいるのよ。でも、熟睡できないの」 私 「うーーーーん・・・・、それはお医者様に相談されました?」 していなかったようで、次の受診時に相談したようだ。 おばあちゃま 「これにね、睡眠した時間を記入するようにって」 一枚の紙を差し出した。 単純に何時に寝て、何時に起きたかをグラフに記入する用紙だった。 おばあちゃま 「もうね、これを書かないといけないんだと思うと、気になって気になって眠れないのよ!」 私 ・・・・・そうか・・・・そうか。 数日分書いてあるグラフを見てみた。 確かに9時から深夜3時まで塗りつぶしてあった。 こんな言い方をしてはいけないのだが、言ってしまうと、全てをヘルパーに託し、本人は何もせず、日中ゴロゴロしている。 そのゴロゴロは昼寝も入る。 夜5時間近く眠っているのだったら、特に心配しなくてもよいのではないだろうか。 ( しかし、その昼寝に関しては、本人は 「寝ていない! 横になっていただけだ」と否定している。でも、鼾を掻いているのだから、寝ているのではないかな。 ) そしてそのグラフ記入から一ヶ月経ち、おばあちゃまはいそいそと病院へ。 ドクター 「あ~、心配ないですね。ちゃんと寝てますね」 と、あっさりと返されてしまったらしい。 何故だろう、何故お年よりは 「眠れない!」 と言い張るのだろうか??? 何故、自分を病気にしたがるのだろうか?? 何故、薬を処方されないと不満なのだろうか。納得できないのだろうか?? 健康だと太鼓判押されているのに、何が不服なのだろうか?? 私の勉強不足なんだろう。 そのうち、私にも分かる時がくるのだろうか・・・・・。 う~ん・・・・・・
2007年06月03日
私が訪問の時は、そんなに揚げ物のリクエストは無かった。 もう一人のヘルパーには、毎回購入してもらっていたようだ。 私というヘルパーに慣れてきたからなのか、「コロッケ」 「から揚げ」 「トンカツ」と口にするようになってきたのだ。 たまには食べたくなるんだろうな~、と思い、美味しそうな野菜コロッケを探すのだが、野菜なんかではなく、もっと、どっしりと、肉たっぷりコロッケ?がご所望のよう。 おばあちゃまは、あれよあれよあれよあれよあれよ・・・・ と、お太りになっていった。 半年も経つと、あっという間に10キロ近く体重が増加していたらしい。 独りで家事をこなしていた時は、それなりに動いていたのだろう。 スーパーまでだって、歩けば結構な運動量になる。 坂道だらけだし。 洗濯に掃除に、全てを独りでやっていたのが、急に何もしなくなったのだ。 上げ膳据え膳の毎日が続き、動かない ( 何と言っても、本人が自分自身は身体が弱い人間だと思いこんで動かないのだ ) 楽しみといったら、食べる事くらいしか無くなってしまったのだろう。 そしてヘルパーが調理のため台所に居る間に、ちょこちょこと菓子類をつまみ、テレビを見ながらゴロゴロと寝っころがっている。 ( 調理の味付けとかで確認しようと覗きに行くと、口が動いているか、横になっていたから ) それだけ体重が増えれば、医師も驚く。 私はしょっちゅう顔を合わせていたから、「あれあれ、ちょっと太ったかな?」 だったのだが、一ヶ月に一度しか顔を合わさない医師にしたら、そりゃびっくりしたであろう。 診察の度に顔が大きくなり、お腹周りが大きくなっているのだから。 ↑ とっても失礼な書き方なんだけど、本当にそんな感じだったんです。 そして、そうなってくると、今度は医師が日常生活と食生活について尋ねてくる。 んでもって、私達のせいにされてしまうのだ。 以前にもどこかで書いたと思うが、利用者さんが「これが食べたい!」と言えば、それを買う、または調理するしかない。 おばあちゃまは、医師にかなりきつく言われたようだ。 「あと10キロ痩せなさいって。38キロだと思っていたんだけどね~」 ・・・・・・え? 今、いったい、何キロなんだろうか・・・・? 50キロ越していたらしい。私は小柄だが、その私よりも、もっともっと小柄なおばあちゃま。 ウエストのホックが届かなくなり、パンツのゴムを引っ掛けて止めていた。 全ての服が着れなくなっていた。 医師の注意もあってからか、揚げ物は週に一回。おかずの量も減らす事になった。 ある程度の年齢になると、体重を減らすのは大変だと思う。 なかなか脂肪は取れてくれない。 健康なのに動かない。 動けば少しは違うのになあ・・・・・。 そして散歩をプランに加える事になった。 30分程、町内をぐるぐる歩く。坂道だらけなので、これはきつい。 散歩しながら話をすればいいのだから、おばあちゃまは最初は張り切っていたのだが、だんだん嫌になってきたのだろう。 「今日はふらつくから」 「今日は朝から頭が痛いから」 「天気が怪しいから」 色んな理由をつけては、ついには玄関から出る事をしなくなった。 相変わらずゴロゴロとしている。 不思議だったのは・・・・・・買い物リストに菓子類が入っていた事は一度も無かった。 他のヘルパーさんも、買ったことは無いと言っていた。 それなのに、いつもいつも、どこかしらから菓子類を引っ張り出し、口にしていたのだ。 ゴミを見ても食べている事は分かった。 娘さんがたまに買ってくる事はあると思うのだが、そんなに頻繁に来ない。 一月に一度くらいだ。 はたして、その菓子は・・・・誰が買って来ていたのだろうか?? おばあちゃまのような気がしないでもない。 そして、今度はまた、何だか違う事を口にするようになった。
2007年06月02日
手を抜く・・・・・・ つもりだったけど、抜くにも限度があるので、割り切る。 やろうとするから、いけないんだ。 出来ないと、出来ないから、やれないんだと、そう突っぱねるしかない。 おばあちゃまの冷蔵庫の中は、あらゆる食材がぎっしり入っているのだ。 冷凍庫には、冷凍食品がぎっしり。 野菜室には野菜がぎっしり。冷蔵室には~~と言うように、とにかく何かしら入っている。 おまけに、娘さんに 「食材費がかかりすぎ。 冷蔵庫の食品を使うなど、工夫してください」 なんて言われちゃったし。 うんうん、私もそう思うよ。 一回の買い物に、数千円使っていれば、そりゃ、結構な額になるよな~。 1人暮らしのほうが、食費はかかるかもしれないが、それにしても、毎回毎回数千円使っていれば、冷蔵庫も満杯状態になる。 おばあちゃまの生活費などは、娘さんが管理していたので、ヘルパーが入るようになってから、異様に出費が多くなり驚いたようだ。 娘さんは山のように冷凍食品を買い込み、それを冷凍庫にぎゅうぎゅう詰めていく。 野菜類も、てんこ盛り購入し、台所にどどーーーーん 、と置いていく。 しつこいようですが、それなのに、それなのに、おばあちゃまは買い物を要求する。 三食分を調理したら、もういい時間だ。 「あの~、すみませんが、買い物に行くと、掃除が出来ないです。 あとですね、買い物に行くと、○曜日の○○ゴミ出しの準備が出来ないんです。 なので~・・・・・・おばあちゃま、やってもらえませんか?」 考えに考えた結果、「本人にやってもらおう!」 と。 おばあちゃまは元気なんですもの。どこも何とも無いんですもの。 「んじゃ、何でヘルパーが入ってるの?」 この質問の答え、私が応えちゃあ、問題になりそうなので、伏せておきます。 しかし・・・・・・・・・・・・・・・・・・ おばあちゃまは、やりたくない。 小さい声で読んでね・・・・・ 人間、一度楽をしてしまうと、それに慣れてしまい、自分ではやらなくなる おばあちゃま 「え・・・・、あら、そう、でも~~、私には無理だから・・・・」 私 んなわけないだろう・・・と思いながらも 「無理ですか・・・、困りましたね~、じゃあ、洗濯物だけでも取り込んでもらえますか?」 おばあちゃま 「え・・・、あの、今日はふらつくのよ・・・・」 私 「そうですか~、では、買い物無しでもいいです? 冷蔵庫に材料ありますので」 おばあちゃま 「え・・・、・・・・・、・・・・、仕方ないねえ・・・」 ずうぇったい、明日のヘルパーに文句言うだろうなあ~、と思いつつも、買い物はやめる。 こんな感じで、毎回切り抜けてきていたのだが、何故そんなに買い物に拘るのか、段々わかってきたのだ。 野菜でも冷凍食品でもなく、とにかくとにかくとにかくとにかーーーーーく、この方は 揚げ物が大好き♪ 毎回毎回コロッケ・から揚げ・カツを、食したいようだ。 いちいち揚げていたら、それこそ時間が無いので、毎回買い物に行くたび、出来合いを購入していたらしい。 ゴミ出しの前日に、ゴミをチェックして、玄関まで移動させていたので、中身は何となく分かっていた。 時間短縮の為に、そういうのをメインにしていたのかな~と漠然に思っていたのだが、どうもそうではないらしい。 おばあちゃまの要望らしい。 しかししかし、80近い方が、家から一歩も出ない方が、家の中も殆ど動かない方が、毎日毎日そういった物を食べていたらどうなるか・・・・・・・
2007年06月01日
「ヘルパーが買い物に行ってくれない」 とか、言われちゃった・・・・。 会社の人には現状を説明した。 とてもじゃないが、時間が足りない。 何かを省いてくれない限り無理。毎回毎回どれだけ どたばたどたばた して動いているか。 話し合った結果、掃除は入浴があった時以外は風呂は無し。 トイレも本人がやる。 居室掃除に関しては、時間が空いた日だけ。 ( そんな日、ありませんがね。 ) ほっ・・・ 買い物リストも、ヘルパー訪問前には作成してもらう事に。 ・・・・んが、メモの確認をするので、結局は同じ事なのですが。 私 「え~、今日は・・・・・卵とお肉と野菜と~~ですね」 ← メモを見ながら確認 彼女 「うーーーん、どうしようかしら・・・・・・」 長~い 沈黙 ・・・・・・・・・・ 私 「あの~?」 彼女 「やっぱり、あれとこれと、あ、でも、やっぱり、それと、あーでもない、こーでもない」 てな感じで、やっぱり長引く。 決まると、( 無理やり決める ) もの凄いスピードで飛び出し もの凄い勢いで買い物籠に突っ込み、のんびりレジを苛々待ち ( レジ打ちの人ごめんなさい ) 指の湿り気が無い為に、なかなか開いてくれないビニール袋に苛々苛々しながら、ぎゅうぎゅうにスーパーの袋に詰め込み ダッシュで帰る。 帰ったら帰ったで、すんごい勢いで調理する。 一通り済んで帰る前には、確認印をもらうのだが、これがなかなかもらえない。 色々話しかけてくるので、すんなり確認印をもらえないのだ。 適当に話を切り上げ、印鑑をもらうころには、時間はオーバーしている。 オーバー分は 無給 だ。 いいんですけどね、無給でも、別に、構わないんですけどね・・・・・・。 掃除を無くしてもオーバーする。 これは、どうしたもんか。 私の訪問曜日の時間を、もう少し増やしてもらおうか・・・・。 でも、そうなると、彼女は点数ぎりぎり使用しているので、無理だろう。 となると・・・・ 考えた末に出た結論 あんまり大きな声では言えませんが 手を抜く っきゃ無い。 私って、ぐうたら人間だったし~
2007年04月29日
搬送先の緊急病院で、一通りの検査をする為に、数日間入院する事になった。 結果は・・・少々貧血気味ではあるものの、特に異常は見当たらず。 自宅に帰ってもよろしい となると、嬉しい物ではなかろうか。いやいや、寂しがり屋の彼女は、帰りたくなかったのかどうなのか。 独居のままでは不安が大きかったよう。 早速介護保険の認定を受け、ヘルパーを頼める事になり、娘さんたちは一安心。 ヘルパーが毎日、それこそ365日訪問するよう組む。 その大半を私が受け持つ事になったのだが・・・・・・ 当初は私以外の方がまとめて訪問していたのだが、どうも負担が大きいという事で話が回ってきた。 当初に訪問していた方を桜さんとする ( 何の意味も無い名前です ) 私が最初に訪問するときは、この桜さんから色々教えてもらった。 戸建てに住んでいらしたが、二階は誰も使用していないので、掃除などは一切なし。 あくまでも一階の掃除・調理に買出しに洗濯、後はお風呂の見守り。 桜さんは一回数時間の訪問だったが、私は都合がつかなくて、桜さんよりも少ない時間での訪問だった。 なので、必然的に同じ仕事をこなすには、桜さんよりも猛スピードでしていかなければ、とてもではないが終らなかった。 この方のお宅には、毎日ヘルパーが入っているから、そんなにやる事はないだろう・・・と思われていた。 小さい子供がいるわけでもないし、ペットを飼っているわけでもない。 動き回るわけでもないから、毎日毎日掃除をするほどでもないし。 毎日掃除をしている方はいるかもしれないが、わざわざヘルパーに来てもらってするまでもない、と言う意味です。 介護認定を受ける前にも、何度も体調が思わしくない事を口走っていたようだが、特に何も異常はないままで、日常生活は独りで送れていた。 それが今回の救急車搬送から何故か急に、突然、彼女は 「何も出来ない」 人になっている。 桜さんとは、接触する機会があまりなかったので、直接おばあちゃまについて話し合ったことが無かった。 連絡ノートのようなもので、細かい連絡をとったりしたくらい。 挨拶から入り、身体の状態を確認したり、連絡事項の確認、天気の話から世間話、そんな感じで、緊張を解きほぐしていく。 それからまず昼食のための買い物の内容を確認する。 確認するんだけど、確認・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ が、ものすっごーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーく 時間がかかるのだ。 買い物確認に、長いときは30分近くかかった。 これで訪問時間の三分の一は取っている。 私の内心は、「いらいらいらいらいらいらいらいら~」 しっぱなしだったりする。 勿論表情には出さないように、ニコニコニコニコ~♪ と笑顔だが、それがそのうち引きつってきたりする。 90分未満の間に、一日分の買出しに、一日分の調理に、洗濯に、浴槽の準備~入浴見守り~浴室の掃除、洗濯干しに乾いている分の取り込みからたたみ、一階部分の掃除に、ゴミの分別からゴミ出しの準備だ。 おまけにおばあちゃまが食べ終わった朝食・昼食の後片付けまである。 これを、これを、上記の事を、全て90分未満でやらないといけないのである。 おまけにおまけにおまけに、ここは田舎だ。村だ。 買出しのスーパーなんて、徒歩では無理。 車を出さないと行けない。 更に更に更におまけがあり、おばあちゃまは 話が長い これは・・・・プランを変えない限り、無理。 桜さんの場合、私よりも1時間長い訪問であるからして、かろうじて出来ているとか。 私がドタドタ慌ててやっている事を察してくれたのか、買い物に行かなくても良いように、余分に買出ししてくれるようになった。 これはもの凄く助かった。 しかし・・・・・これがまたうまく行かなかった。 おばあちゃまは、ケアマネに苦情を言ったようだ。 「あのヘルパーね、買い物に行ってくれないのよ」 「え・・・・・」←私の声
2007年03月27日
管理画面が変わっている・・・・。 見づらい・・・・。慣れるまでの辛抱かしら。 とっても久しぶりの楽天さんです。 むちゃんこ仕事していたのと、ちょっくら手術なんかしてました。 そんなこんなで、パソコンから遠ざかっていたので、更新出来ませんでした。 忘れないでいてくださった方々、ありがとうございます。 またお付き合いいただけると嬉しいです。
2007年03月20日
今年は更新を頑張るつもりでいましたが・・・・ 体調を崩していました。 訪問もしていないし、レスも遅くて、すみません。 少しずつ訪問させていただきたいと思います。 のんびり更新でいきます・・・・・ 以前訪問していたお宅ですが・・・・ 80歳近いおばあちゃまが、独りで暮らしていました。 自立していて、これと言って病気も無い。 元気と言えば、元気。 娘さんが2人いらしたが、次女は車で半日以上かかる地域に住んでいるので、何かあってもすぐに駆けつける事は難しい。 長女は、比較的近いところに住んでいた。 車でなら1時間くらいではなかろうか。 ご主人は20年以上も前に、亡くなられたようだ。 それ以来、ずっと独りで暮らしている。 同居の話も、全く出ていない。 そのおばあちゃま、独りで頑張っていたのだが・・・・・ どうも精神的なものからなのか、よく倒れるようになった。 この、倒れる と言うのが、どうも、演技のよう。 演技と言い放ってしまうのも、失礼かもしれないのだが、とにかく、どこも何とも無いのだ。 倒れると言うのも、自分の足で外に出て、隣近所に助けを求めるのだ。 「たすけて・・・・」 ご近所の人は驚いて救急車を呼ぶ。 1人暮らしの女性が具合が悪いとなると、救急車もとりあえず運ぶ。 血圧も安定しているし、意識もはっきりしている。 救急隊員も 「?」 と思いながらも、村近辺で一番でっかい病院に、搬送していったらしい。
2007年01月30日
今では当たり前のように一家にある 車 70代~の方達は、この車が怖いと言う。 殆どが免許など無い方の話なのだが・・・・ 歩行者用の信号が青でも、右左折の車が強引に走ってくるとか、鳴らされたりとか、 「はよう、いかんかい!」 と言われているような感じで、にじりにじり寄って来るとか。 そうなると、外を歩くのが苦痛になる。 そして外出しなくなる。 家で過ごす事が多くなる。 行動範囲が狭くなる。 足腰が弱ってくる。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 確かにそうかも。 赤信号で横断しているのではない。 青信号だから横断しているのに、車は 「おらおらおら~」 と突き進んでくる。 車の運転は、足一本 ( 私はオートマ限定なんで、足一本運転しか知らない ) で済む。 ちょっくら歩行者が横断するの、何で待ってあげられないんだろうか? 雨の日も、風の強い日も、暑い日も、寒い日も。 車の中にいる人は歩行者に比べれば、かな~り居心地よいんでは? 自分がいくら急いでいても、そりゃあ、やっちゃ、いかんだろう。 ・・・・・・・・・・・・と、私は思う。 ましてやお年寄り。若い人のように、さっさかさっさかとは歩けない。 誰しも年を取っていく。 自分がそうされたら、嫌な気分にならないかな・・・。 強引に走り去ったとしても、次くらいの信号でつかまらないかな? 心のゆとり、優しさを持って運転してほしいと思う。 でないと、寝たきりのお年寄りが、どんどこ増えていくような気がする。
2007年01月14日
食べる事が大好きで、ぱくぱくと食べれていたのに、少しずつだが、好みが変わってきたし、量も減ってきたように思う。 食べたいと思うのに、満腹で入らない。 数年前にはぺろりと入っていた量が入らない。 だからと言って、痩せていくと言う嬉しい現象は無い。 逆に太って言っているような気もする・・・・。 最近自分の父親を観察していて思うのだが・・・・・ 絶対に食べれっこ無いって! と言う量の買い物をしたり、喫茶店で注文してしまう。 何故あんなに買い込み、あんなに注文するのだろうか? 「食べれると思うから」 「食べたいから」 だとは思うのだが、それを何度も繰返すってのは、いかがなもんか。 何度制しても、購入し、注文している。 そして 「もったいないから」 「食べ物を残してはいけないと育ってきているから」 と、全て平らげようと頑張るし、冷蔵庫には期限切れの物が山のようにある。 期限が少々きれたくらいで処分するなんて、とんでもない、と思っているから、いつまでも残っている。 それを私がこっそり捨てても、気づいてはいないが。 利用者さんのお宅でもよくあるのだが、「誰が食べるんだろう?」 と言うような買出しメニューを渡される。 「もったいない」 と、いつまでも冷蔵庫に入っていたりするが、それを食材として調理した事は無かったりする。 この謎も、結局は何を購入し、何が残っているのか、本人自身今ひとつ分かっていない・覚えていないだけだったりする。 以前、一年前に期限が切れていた食材を処分した事があった。 処分するときはご本人の了解済みだったはずが、私が帰宅した直後に 「ヘルパーが勝手に処分していった」 と、処分した覚えの無い食材 ( 冷蔵庫の物全てとか言っていたらしい ) までもが加わったクレームの電話を村役場にし、会社にまで連絡が来た事があったのだ。 村役場の言い分としては 「利用者さんはヘルパーが怖くて、断りきれなかったと言っている。 威圧感を与えてはいけない。冷蔵庫の中の食材は利用者さんの物である。」 んなもん、分かっとるわい! ←冷蔵庫の中の物~ってところですね んじゃ、その腐った ( 明らかに腐っているのが分かった物。納豆 ) 物を食べてしまって、利用者さんに何かあっても、私のせいにしないでちょうだいよーーーーー!! 会社からお咎めが来たわけではないが、何とも言えない気分になったのを覚えている。 んで、腐った物があったりした場合・・・・ 少しなら、臨機応変に。 大量にありそうなら・・・・ 独居の人なら親族に連絡をしてもらうなり、その先は会社に任せてしまう。 同居しているのなら、大抵連絡ノートが置いてあるので、それに書いておく。 証拠みたいな物を残しておくわけです。 「腐った物があるのに、ヘルパーは教えてあげなかった」 とか んな事言われちゃあ、たまりませんからね。 ご本人が了解して 「捨てて」 と言われたら、処分はしますが、必ず会社に提出する書類に一筆書いておく。 「期限切れの食材は、本人了解済みの上、処分しました」 みたいな感じです。 一度でもクレームが入った利用者さんに対しては、担当のヘルパー全てに何があったのか説明し、以後気をつけるようにと、カルテのような物に注意書きが添えられるようになる。 期限切れの物を食べたからと言って、具合が悪くなったと言う利用者さんの情報は、今のところ無い。 ・・・・・・・・・・・・・・・父曰く、 「戦後生き抜いてきた俺たちは、何食っても平気なんだ。」 だそうです。
2007年01月10日
前から気になっていた事があった。 それは 父の下着。 半年くらい前から、何となく、なんとなーーーーーく、口に出してはいけないと思いつつも、気になっていた。 そして、つい先日、口に出して聞いてしまった。 「・・・・・うん○、拭ききれてないの?」 父は数日間同じ下着を着続けている。 何度注意しても、父は穿き続けるのだ。 毎日入浴するのに、何故か下着とか衣類とかを、毎日交換しないのだ。 「毎日同じのを着ているから、汚れも取れなくなるんだよ」 と注意していたのだが、汚れているも何も、そんな生易しい状態ではない! 本当に ばっちい のだ。 父は下着類を私に触られるのが嫌な様。 だから、あまり触れない様にしていた。 しかし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ あまりの ばっちさ に見てみぬフリは限界だった。 自分の父親が、ばっちい 下着をつけているのも嫌だった。 すると・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 父が発言した。 その言葉・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 「違うんだよ~」 はて? 何が違うんでしょうか? 「拭きたくても 手が届かないんだよ」 何ですと? 手が届かない? ??? 「お相撲さんの気持ちがよく分かる」 とも。 父は禁煙に成功しているのだが、かなり太った。 腹回りは100近い。 これには本人が一番ショックを受けていた。 後姿を見ても、父とは気づかなかったくらいだ。 それくらい体形が変わってしまった。 腹の肉が邪魔で、お尻に手が届かないそうだ。 うん○をしても、手が届かないので、うまく拭ききれない。 中途半端なところで止めてしまうので ( 止めざるを得ない ) どうしても拭ききれない分が・・・・。 ってな事らしい。 ああ・・・・・ どうしたらよいのだろう・・・・・・・・・。
2007年01月10日
先月・・・3件? 3回? 3日? しか、更新してないですね!! これは・・・酷い~。 夏ごろから、どんどんどんどん少なくなり、ついには3件とは! そのうち、月に1回とかになりそうな減り方ではないか? 今年こそ、真面目に週の半分は更新しようかと心に決めている。( 今のところ・・・・ ) 振り返ってみると、私生活はズタボロでしたが、仕事の方は順調でした。 私生活がズタボロだった為、仕事でもへまをやるのではないかと、びくびくびくびくびくびくしていた。 去年最期の訪問先で・・・・ 「今日で仕事納め! むふふふふ♪ 何事もなく終われそうだわね♪」 なんて・・・・胸を躍らせておりました。 去年は当たり年でした。( 悪い意味で ) 最後の最後に当てってしまったのは・・・・・ 最後の最後の訪問先での出来事。 台所の掃除を終え、印鑑を頂く為にうろうろしていた。 べちょん ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ん? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・はて? 何やら足元が、正確に言うと足の裏が・・・・嫌~な感触。 んでもって、足が動かない???? そお~っと、視線を下に向けると・・・・・ ネズミ捕りに 引っかかってました ぎょえぇぇ~! 焦りました、焦りましたね! 必死になって、足を引っ張るのですが、あの粘着の強さと言ったら想像以上。 バランスを崩して、もう片方の足もくっつけてしまったら、たまらない! 必死になって、地団駄踏んだのですが、どうにもこうにも取れない・・・・・・。 無茶苦茶寒い、陽の当たらない場所だと言うのに、私は汗だくになっていた。 もがいてもがいて、半泣きになっていたと思う。 「やばい、やばいよ! ○○さんが来る前に、何とか靴下を外さないと!」 私の気持ちは、今まで捉えられてしまったネズミさんと、同じ気持ちだったかもしれない。 もがけばもがくほど、くっついていない部分までくっついてしまうのだ。 あああ・・・・・ネズミさん・・・・可哀想に・・・・・。 あああ・・・・・ゴキブリさんも、こんな気持ちだったのかな? いやいや、ゴキブリさんは足がもげても、脱出してしまうし、あまり引っかからないらしいから、ゴキブリさんは、この際除外させてもらおう。 ネズミさん、ネズミさん、ネズミさん・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 ・・・・・・・・・・・・・・もし、もし、これがゴキブリホイホイだったら? 私は・・・・・ゴキブリちゃんの死骸、いや、もしかしたらまだ生きている輩もいるかもしれん。 その子達を踏んづけていた事になるわけ? ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ それは・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ ショックで気を失っていたかもしれない。 ネズミちゃんでよかったと思おう。 靴下を脱いで引っ張ってみたのだが、どうも上手く行かなかった。 仕方なくもう一度履き直し、寒さからなのか、半泣きだからなのか、鼻水を垂らしながら・・・・ 引っ張ってみた。 取れました。 取れたーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー! 嬉や、嬉し♪ ここで、このまま足を床につけてはいけない。 今度は足が床にくっついてしまう。 急いで靴下を脱ぎ、裏返しにして、ポケットに隠した。 素足での床歩きは、むちゃんこ辛かった。 おばあちゃまには知られず、おばあちゃま宅を後にする事が出来た。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ どっと疲れた年末でした。 今年こそ、何事も無く平穏に暮らせますように・・・・・。
2007年01月02日
ついに見ちゃいました~♪ 夢中になってしまいましたね~~~。 やっぱ・・・・・年末・年始まで楽しみにとっておけばよかったーーーーー! と思っちゃいました。 最初っから 「えっ!?」 と度肝を抜かれ、抜かれると同時にショックを受け・・・。 「まさかまさか」 の始まりから 「まあ、そうだろうなあ」 と言うジャックの復活。 んでもって 「怪しいな~」 の人がどんでん返しで良い人とか。 お決まりのパターンになりつつあるのに、全く飽きない。 飽きないどころか、後半にかけてどんどんどんどんどんどん夢中になってしまう。 凄いな~。 んでんで、「え! まさか、あなたが」 ここまで出番が続いていた貴方が?? と言う終り方とかしてたし。 ああ、このシリーズ、続いているのでしょうが、あの方はもう出てこないんだ・・・と思うと、無性に哀しくなったりする。 あんまり笑えない ( 大爆笑なんてあり得ない ) このドラマですが、ところどころ、ある女性の台詞で 「ぷっ♪」 とか、きちゃったりする。 それもワン・シーズンに1回くらいだったりするけど。 ・・・・・それにしても、彼はいつも必ず彼女が・・・・出来るのねぇ~。 わたくし・・・・・今回、ついに、恐ろしい事に気づいたりしました。 ジャックの顔をアップで見るたび・・・ 「?」 と思っていた。 何か引っかかるんだけど、それが何か分からない。 いやいや、分かっていたんだけど、それに気づくのが恐ろしくて、声に出すのが、文字に現すのが恐ろしくて。 彼って、誰かに似てる。 いや、誰かが彼に似ている。 誰って? あいつだよ・・・・。 鼻から下がそっくり。 口元がそっくり。 顎の形も似てる・・・・・。 ああああああああああああああああああああああ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 前に使った画像だけど・・・・ さようなら、ジャックさん。 ( ジャックは主人公の名前であって、役者さんの名前ではありません ) はっきりと認識した今回、彼をアップで見るのが辛くなった。
2006年12月25日
訪問介護の仕事をしていて、利用者は男性よりも女性の方が圧倒的に多い。 ( 地域によって違いはあるかと思いますが、私の経験で、と言う事でさらっと ) 利用者さんの年齢もまちまちだが、話が盛り上がるのが、何故か80代のおばあちゃま方。 つい先日も・・・・・ その方とお話をした少し前の休日に、自分の父親にとんでもなく振り回され激怒した事があった。 その時の話をした。 それを面白そうに聞いていたおばあちゃま・・・ おばあちゃま 「歳を取ると、人間は意地っ張りになるからね~。特に男性なんてねえ」 私 「意地っ張り、そうですよね! 本当に意地っ張りと言う台詞、ぴったしです」 おばあちゃま 「うんうん」 ← 大きく頷いている 私 「私もさらっと聞き流しているんですけど、そのうちしつこくなってきて・・・」 おばあちゃま 「そうなんだよね、話を聞いてもらえると嬉しくてね。」 私 「どうしたらいいのか分からない時もあるんです」 おばあちゃま 「間違いを認めるとかしないでしょう?」 私 「! そうなんです! 」 おばあちゃま 「分かっていてもねえ、つい意地を張っちゃうんだよ」 私 「分かっているんですか?」 おばあちゃま 「そうさそうさ。分かっているよ。それを自分の子供には認めたくないのさ」 私 「私の娘には、孫ですよね、孫には素直に認めるんですよ~」 おばあちゃま 「あははははは~♪ 私も娘や嫁に言われると嫌になるけど、孫に言われたら素直になれるさ」 私 「う・・・・・、そうなんですか」 おばあちゃま 「ますます自分の子に嫌われるのに、構って欲しくてね。もう後に引けないさ」 私 「・・・・うーん・・・・」 おばあちゃま 「見捨てられるのも寂しいし、年寄りは我が儘なんだよ」 私 「はう・・・」 おばあちゃま 「気難しいんだろう?」 私 「そういう時もあります」 おばあちゃま 「一番うまく行くのは、年寄りが若い者の言う事を、全て黙って聞いている事なんだろうね・・」 私 「・・・・・うううーーーーーーむ・・・・」 ← 返答に困っていた おばあちゃま 「今は黙って『はいはい』と答えるようにしているのさ。それで娘達と上手くいくなら、それでいいさ」 それはそれでちょっと哀しいような気もするのだが・・・・・。 おばあちゃまの娘さんは週一回顔を出し、通院の付き添いをしている。 ヘルパーが入る前は、週二回掃除に来ていたそうだ。 利用者さんは自分の子供の事や嫁の事を、愚痴愚痴~と話すことが多いのだが、私は最近、自分の父親の愚痴を話しているような気がする。 「これじゃあ、いかん!」 と思うのだが、利用者さんは私の疑問等に的確に答えてくれる。 大変助かったりしている。 感謝感謝です。 そして父の所に顔を出しては 「今日ね、こんな事を言われたけど~、年配者ってそうなの?」 なんて聞くと、ずばりだったりする。
2006年12月17日
前回に書いた賞味期限切れの油は・・・・5年ほど切れていたかと記憶してます。 あとですね、腐ったイチゴ。これは丁重にお断りしました。 変色していて、自分の車の中に持ち込むのが嫌だったから。 「こんな高価な物もらえませんわ」 と にっこり笑顔・残念ですわ表情 で、無理やり突っ返しました。 腐ったミカンも同じように断りました。 年末近くなったりとか、年始とかだと、わんさか 「持ってってくれよ」 攻撃にあうわけですが・・・・・ お歳暮だろうから大丈夫だろう! と受け取り、家に帰ってびっくりした事も多々ある。 何年も前のお歳暮商品だったりお中元商品だったりとか。 利用者さんが自分で片付けたりなんかして 「いつのか分からんけど、捨てるのはもったいないから、ヘルパーに押し付けちゃえい!」 ってな感じです。 某デパートのカレーをもらった事がある。 きっと自分では生涯口にする事はなかろう・・・と思える代物で、うはうは♪と帰った。 ・・・・・底の期限を見てがっくりした。 一昨年の商品だった。 一昨年くらいで缶に入っていれば大丈夫かもしれないのだが、私は一度レトルトカレーで、とんでもない苦しい思いをした事があるので、レトルトカレーだけは気をつけている。 ( 数年前にレトルトカレーをスーパーで買って、大満足で食した夜・・・・何か知らんが何かの菌が胃腸に入り込んだらしく、数日間高熱と激痛と呼吸困難に襲われた事がある。 カレーは関係ないかもしれないが、カレー以外思い当たらなかったから ) クッキーやらお煎餅やら、滅多に食べれない高級チョコとか頂いちゃうと、素直に嬉しい。 一応は断る。断るけど・・・・カバンの中に入れてます。 毎回という事ではない。だからもらっちゃう。 中には毎回何かを渡さなくては! と準備してしまう利用者さんがいる。 そういう方には、はっきりと断ります。受け取りません。 「何か買っておかなくては!」 と気を使わせてしまう事になるからです。 最初は必死に 「受け取って」 とやってきますが、そのうち分かって下さるようで、準備しなくなります。 切らした事が無いのが・・・・・ 海苔。 海苔をお歳暮にもらっても、独居のお年よりは使い切れないんでしょうなあ・・・・。 毎年夏と冬にわんさかと頂いてしまい、配っても余ってしまうくらいだった。 高級お茶漬けとか蟹・鮭の缶詰とか、それくらいになってくると、さすがにまずいかな・・・と思うので・・・ 一旦受け取ったフリをして・・・・ 玄関に置き逃げしてきます。 これに気づく利用者さんは、そんなにいない。 案外気づかないものらしく、後に気づいても、何故下駄箱の上に缶詰やらお茶漬けが置いてあるのか、不思議に思いながらも食卓まで戻しているらしい。 利用者さん 「ぱきらちゃん、あんた、この前お茶漬け忘れて行ったわよ~」 とか言われたら 私 「ありゃりゃ・・・・すみません。靴履く時に一旦置いて、それで忘れちゃったのかしら」 なんて、すっとぼけて終わりです。 その忘れていった物が、再び渡された事は今のところない。 台所に戻した時点で、ご自分で食されているようだ。
2006年12月11日
賞味期限切れの物で、一番 困っちゃったなあ・・・・と言うのは あ・ぶ・ら でした。 それも詰め合わせで。 なんとなーーーーく・・・・どろ~ん と、しているようにも見えた。 おまけに缶だったような記憶がある。 ・・・これ、どうやって処分すれば? あまりの本数に、真剣に頭を抱えた。 んで、とりあえずは、てんぷら鍋にトポトポトポ~と流し込み・・・・・ じゅわ と・・・揚げてみました。 食べてみました。 食べれました。 なので、普通に食卓に並べました。 誰もお腹を壊しませんでした。 来る日も来る日も揚げ物を続け 全て使い切りました。
2006年11月22日
利用者さん宅で、カバンの中に物を無理やり詰められた事、多々有り。 その中で一番多かった物は・・・・・ 賞味期限切れの 食品類 だったりする。 私が思うに・・・・・分かってて入れている人半分。 そんな箇所まで見ていない人、残り半分の半分。 賞味期限があるとも思ってない方、残り半分の半分。 のような気がする。 分かってて入れている人は・・・・・・ 処分するのが面倒だから 分別の仕方が分からないから ・・・と、にらんでいる。
2006年11月21日
昨日、ちょっと暴露話を書いてしまいましたが、もう少し書いてしまうと・・・・・・・・ みなさま、結構大きめのカバンを持参していると思います。 この中に何が入っているかと言いますと 記録簿のような紙。 筆記具。 紙を挟むバインダーかファイル。 タオル・使い捨て手袋。 必需品は上記くらいですが・・・・ 女性ですと、そのほかにも色々。 化粧品一式から飲み物・食べ物・お財布にポーチに携帯電話に~ パンパカパンに膨らんでしまうわけですが・・・・ これにいちゃもんをつけてきた利用者さんがいました。 何であんなにデカイ鞄で来るの? 気になるそうです。 非常に気になるそうです もっと気になる人は、被害妄想がついてきます。 何か盗んで行くつもりなのかも いやいや、何も盗んで行くつもり、ありませんがな。 私は自分の車で移動するので、嵩張る物は車中に置き去りにしているので、パンパカパンにはなっていない。 そうなると、「あんたは小さいのに、あの人のはでか過ぎる」 と、始まってしまう。 「はあ?」 と思われるかもしれないが、本当に実際聞かれるのだ。 「何が入ってるのか見せて」 と言われた事、数回。 べろーーーーーん・・・と中を見せました。 何も入っていないのだが、でかい鞄を持ち歩いているのは、他にも理由がある。 内緒なのだが・・・・ 利用者さん宅で、無理やり押し付けられる物品を隠すため。 自分の車に戻る間に、ご近所の誰が見ているか分からない。 あらぬ噂を立てられては嫌なので、菓子類を押し付けられても入る程度のデカ鞄にしております。 大抵は賞味期限が過ぎているので、そのまま処分させていただきますが、中には きゃっ♪ と思える素敵な物もあるわけで。 そうなると私は・・・・・ 会社の方に分ける事はせず、自分の懐に。 うふ♪ ( もの凄い高価な物と言う意味ではないです )
2006年11月20日
パソコンを置く場所が無く・・・・ 地べたに置いているので、とおっても入力しづらい。 今までは娘の勉強机を勝手に陣取っていたけど、さすがにそろそろやばいかな、と。 ( 高学年だしね ) んで移動させたのはいいんだけど~ 机が無い。 とりあえず床の上に置いたのはいいんだけど・・・・・・・・そのまま。 リビングに置くとさ、見られちゃう可能性あるし。 配線の関係上、娘の部屋の他は設置できない。 お仕事の話ですが・・・・・ 何を書こうかな。 う~ん・・・・・・ この季節になりますと、風邪やらインフルエンザやら、体調管理には喧しく ( やかましく ) 言われる。 で、数社で雇用されていた経験があるわけですが、どこの会社でも共通して 訪問先に伺ったら手洗い実行 意味としましては・・・・・ 訪問先に伺ったら、まず洗面所を借り、持参した石鹸で手を洗う事 外からばい菌を持ち込んではいけない。 勿論帰りも同じように手を洗わさせてもらってから失礼する。 そのお宅での菌を撒き散らさないため 持参ってのは、会社から支給される小さなポンプ式の液体石鹸ですね。 ・・・・・実行した事は、一度も無い。 現実ってこんなもんでしょう。 実際に洗面所借りて出来たとしましょう。 手とか手首とかは何とかなるが、衣服類についているかもしれない。 ・・・・・・スプレーを全身に撒き散らします。 中身はなんだっけな? アルカリ? 忘れました。 ( 持ち歩いていない事バレバレですね! ) 実行してたのは研修期間中だけ。 後はやってない。 常に車内に転がったままです。 鳩の糞を取る時に、ティッシュに濡らして軽く拭き拭きする時に役立ってます。 感染するような病にかかっている方のお宅へ訪問したときは、それはそれは念入りにさせていただきます。 それはご本人に分からないようにですが、大抵はそのお宅の身内の方が準備してくれていたりするので、それをお借りしたりします。 ( 使い捨て手袋とか、ハンドタオルとか、めっちゃきつい消毒薬とか ) そういえば・・・・・五年位前に感染力の強い、とある病にかかっている利用者さんがいた。 そこの担当になった人は 「子供にうつると困るから、担当から外してくれ」 と訴えていた。 何の病だったかは覚えていないけど、その後、誰が担当になったのかは不明。 私も一度血液とか唾液とか、そういうのから感染してしまう利用者さんの担当になったことがあった。 その方の最後まで訪問していたのだが、今のところ感染していないように思う。 「えーーーー、嫌だなあーーーーー」 とは、思わなかったのだが、担当にしても良いかどうか話しがあった時は、正直に言えば悩んだ。 悩んだんだけど、そのまま引き受けた。 かれこれ6年仕事していて、感染したとか、風邪の菌を家に持ち込んでしまったとか、一度も無い。 逆に私自身の風邪菌を、利用者さんに撒き散らした事が何度もある・・・・・・・・・。 ↑ これさ・・・・・もし利用者さんとか身内の方が読んでいたら・・・・・ すんごい怒れるでしょうねえ・・・・・。 でも・・・・・これが本当の話なんですの。 じゃあ、私はどこから風邪菌をもらってきているかって言うと・・・・・自分の子供です。 自分の子供は、学校からではなかろうか? ヘルパーの数が今多いのか少ないのか詳しく知りませんが、交替できるヘルパーを常備確保できないんだから、人手不足なのは確かなのかも。 あ! でも、今はそんな無茶していないので、ここ数年間は体調不良の時は休んでます。 健康な方に代わってもらっていますので、過去の話と思って安心してくださいませ。( 誰に対して? ) 「将来不安でヘルパーを頼めない!」 と不安に思うのなら・・・・・ 担当のヘルパーを1人に限定しない事です。 中にはお気に入りの人限定にする利用者さん、少なくないんです。 「人が変わると緊張するとか、気疲れするから困る」 と拒否する利用者さん。 気持ちは分かります。 分かりますが、担当の方が体調崩しても、無理して訪問する事になる。 それでも担当を替えられたくなければ、曜日変更に応じたり、キャンセルにするとか、いくらでも方法はあります。 寝たきりの方とか、訪問曜日の多い方は複数のヘルパーが担当になると思うので、その中でローテーション組めると思います。 数週間前だっけかな、ニュースになっていた金銭盗んで行くヘルパー。 私は一度もキャッシュカードとか、印鑑・通帳見たことも、触った事も無い。 逆に遺族から「おじいちゃん、通帳どこに隠していたか知らない?」と聞かれたくらいだ。 ヘルパーは通帳・印鑑・キャッシュカードなど、絶対に預かっちゃあいけません。 ハンコ、訪問時に必ず必要だけど、( 訪問した証拠に、印鑑もらわないといけないから ) これも本人が押印する原則になってるけど・・・・・ ヘルパーが一言断って押すのが殆どです。 独居の寝たきりに近い人とか、どうするのかって言うと・・・・・ どうするんだろう? ケアマネさんに相談して、そのあとは知らないです。 一緒に郵便局・銀行についていくのは良いです。 操作の仕方も説明しますが、暗証番号・金額を入力する時は、少し離れて後ろ向いてます。 カメラに映っちゃってても大丈夫の様にです。 それか行員の方にお願いして、私自身はうんとこさ離れたソファーにふんぞり返ってます。 画面も触らないので、指紋も残らないですね。 ずうぇったいに預かっちゃあいけませんよ! 何かあった時に、自分が疑われますよーーーーーー!! そして利用者さん、担当のヘルパーさんを心の底から信じていたとしても、ずうぇったーーーーーいに お願いしちゃあ、いけませんよーーーーーー! 逆にですね、あっさりと引き受けたヘルパーさんだったら・・・・ 危ないですね。 即刻担当を替えてもらいましょう。 まれに・・・・その事を知らないヘルパーさんもいます。 研修で習ってても忘れてたり、いい加減な研修で教えてもらえて無かったりとか。 過去にそういう方がいらして、えらい騒ぎになった事がありました。 その教室は、大変いい加減な研修をする事で有名な所でしたので、上司も妙に納得してましたが。 暴露話はお終い
2006年11月19日
お酒を飲み続けていたご主人。 医師に止めるよう言われても、それでも飲み続けていた。 ある時風邪をこじらせ、肺炎になってしまった。 即刻入院になった。 本当に体調が悪かったからでしょうが、飲酒は・・・・ピタっと止まっていた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・でも・・・・・・・・・・・・・・・ 体調が戻り、半ば強制的に退院してきたら・・・・・・・・・・・・ やっぱ飲んでました。 ただ、前ほどのピッチは無く、本数も減ってしまった。 この時は娘さんたちも顔を出し、「飲むな、飲むな」 と言い続けたようだ。 すっかり足腰が弱くなってしまったご主人は、もうふらふらだった。 ただでさえ動かなかった人なので、更に更に筋肉がなくなってしまったようで、歩幅も幼児より狭い。 杖無しでは無理。 それでも・・・・・ 酒は欲しい。 でも、誰も買って来てくれない。 だから自分で行く。 凄いですね! 酒の力と言うのは! 自力歩行が出来るまでに復活し、今日も元気に酒を買いに出かけていました。 ・・・・・寝たきりになっていても、おかしくない体だったと言うのに、すたすたと歩いています。 この方にとっては酒が飲みたい執念で回復したようなもので ・・・・それって良かったんだか悪かったんだか疑問ですが、愛する酒のためなら外出する、ってのは、悪い事ではないようにも思うし、複雑な気持ちで見送っております。 ただ・・・・ここに訪問していつも思っていたこと 私に限らず、あらゆるヘルパー・ケアマネ・役所に文句ばかり言って、女王様を通り越し魔女のような振る舞いだった奥様。 ( どう違うんだってのは分からないけど ) ヘルパー泣かせの利用者さんですが、この方はご主人には頭が上がらないのか何なのか。 決して逆らわない。 ご主人がぼろくそに文句を言ってきても、この方は従っていた。 私が印象に残っているのは、ご主人が奥様に 「金をよこせーーーー」 と怒鳴っていたときです。 こういう時って、私はとっても気まずかったりする。 ご主人も私がいるから金を無心しているんだと思う。 誰かがいれば、すぐにくれるだろう、と言う気持ちですね。 ドクターストップがかかってからというもの、奥様は飲酒を止めさせようと必死だった。 誰もいない時は、しつこく怒鳴ったりはしないそうだ。 でも、ヘルパーが来る曜日・来る時間には 「待ってました」 とばかりに掌を広げ、低い声で 「おい、よこせ」 と言い出す。 奥様はそういう姿を私に見られるのが何よりも嫌だったと思う。 とてもプライドの高い方だったから。 奥様と打ち解けてからは、ご主人が強請りだしてからはベランダに出たり、散歩したり・・・・と、その場を離れるようにしていた。 時には奥様は涙を流していたりした。 「もう・・・・いい加減にしてよ・・・・・」 「本当に死んじゃうよ・・・・」 声を絞り出すように呟いていた。 いつも 「あの人に早くお迎えがこないかねーーー」 と言っている。 でも、いつまでも一緒に生活していきたいのかもしれない。 夫婦って不思議ですね・・・・・。
2006年11月17日
酒飲み父ちゃんの話が途切れたままでした。 外に出ない人でしたが、奥さんが発病してしまい、大好きなお酒を買って来てくれなくなってしまった。 ヘルパーをすぐに依頼したが、購入できるのは奥さんの必需品のみ。 当然、ご主人のお酒は買って来れない。 中には買ってきてしまうヘルパーさん、いるかもしれませんが、基本的に駄目です。 たまに娘さんたちが遊びに来て、ついでに買ってきてくれたりはしたようですが、それもご主人の体調を考え、止めてしまったようです。 奥さんは通院をしていたので、ご主人が日中1人になっている時もある。 そうすると、酒がないと困る。 ご主人は家の中を引っ掻き回し、酒を探すのだが・・・無い物は無い。 どれだけ探しても無い。 普段はテレビの前で寝っ転がっているのに、酒を探すときの彼は、とっても機敏らしい。( 奥さん談 ) 買い置きは無い。 買い置きをすると、ご主人は全て飲んでしまうから。一日に何本でも。 お酒がないと分かると、今度はお金を探す。 ( なんと・・・・ご主人は自分で買いに行くように。飲まないといられないのでしょう。) 奥さんは枕の下とか、本の間とかに、少しばかりのお札を隠していたらしい。 ご主人は綺麗に使い切ってしまう。 奥さんは暫く気づかない。 気づかないけど・・・・・・ 「あれ? 父ちゃん、今日は酒酒言わないな・・・」 もしや! と気づくらしい。 万札持っていったら、万札分綺麗に飲んできてしまうらしい。 家の中にお札を隠すのを止めた。 すると・・・・・ 奥さんがトイレに入っている時とか、ヘルパーと一緒に洗濯物を干している間とかに・・・ 財布を見つけては、そこから数枚抜き取っているらしい。 奥さんは今度は財布を隠すようになる。 すると・・・・ 困った事に、奥さんは財布を何処に隠したのか忘れてしまうのだ。 毎回いろんな所に隠してしまうらしく、それが必要なときに綺麗に忘れてしまうらしい。 そんな隠し、見つけられ、場所を変え・・・・を数年続け、ご主人が倒れてしまった。 ドクター・ストップがかかった。 「お酒、止めないと命無いですよ」 はっきりと言われたのだが、それでもご主人はお酒を止めない。 「あれは酒じゃない、俺にとっては水だ」 と豪語している。
2006年11月06日
視力 私は非常に目が悪い。顔も悪いが、目はもっともっと悪い。 近眼と言うのは、遺伝も関係しているそうだが、その子が産まれてきたら、もう既に視力と言うのは決まっているらしい。 ( って、ドクターが言うのよね~・・・・・ ) 親がどんなに気をつけていようと ( ゲームをさせないとか、本を長時間読ませないとか、暗い所では過ごさせないようにしても ) 近眼の要素があって産まれてきた子は、どうしたって近眼になるそうだ。 親・本人が気をつけていれば、ある程度のところで、近視の進み具合をストップさせる事は可能らしい。 娘にはゲームもさせず、常に明るい場所で過ごすよう心がけ、あらゆる努力をして、しつこいくらい注意してきた。 私はもの凄く嫌な思いをしましたからねーーーー! 黒板の字は見えないし、牛乳瓶の蓋のように分厚いメガネをかけるはめになり、好きな人の前では顔を伏せてましたからね! 分厚いメガネは、目がちっこくなっちゃうんですよね。 メガネって、近眼が進むたびに、1.5くらい見えるまでに度を進めちゃあ、いけませんぜ! どんどん視力落ちますからね! ある程度見える範囲で作り直しを止めておかないと、どんどんどんどん、どんどこどんどこ、近眼は進んで行きます。 本当に嫌でした。 高校生になったら、バイトしてコンタクト購入しましたが。 そのコンタクトだって、今のように酸素を一杯通して瞳に良い♪とかではなく、目が痛くて仕方が無かった。 目が悪いと世界が暗いんです! ( 近眼の人には分かってもらえるかな? ) 娘はずっと視力が良かったので 「うふふ♪ 努力の甲斐があったわね~♪♪」 なんて嬉しくなったもんです。 んで、ゲーム解禁にした。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ それから一年後、学校から視力のお手紙をもらって驚きました! 慌てて眼科に連れて行き、上記のような話を聞いたわけです。 「今からゲーム禁止にすれば、元に戻せますか!?」 医師 「う~ん、無理ですね」 がっくし・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 娘と友達を眼科に連れて行ったときの話。 私 「ねえねえ、○○ちゃん、視力検査を次から次へと指差ししていたけど、あれ、適当なの?」 友達 「うん。」 私 「ひょっとしてさ、検査のお姉さんが下に進めていったら 『ラッキー~♪ 当たったんだなあ』とか思ってる?」 友達 「すごい、○○ちゃんまま、何で分かるの?」 ←○○には娘の名前が入ります 私 「んふふふ♪ おばちゃんも子供の頃同じ事したからだよーーーん」 友達 「へえ~」 私 「んでさ、お姉さんが上とか横に持っていくと、あ、違ったんだ! って、また適当に言わない?」 友達 「うんうん、そうなのーーーーー!」 なんて話で盛り上がってしまいました。 近眼の人にとっては、視力検査は結構いい加減で適当だったりします。
2006年11月01日
二ヶ月くらい前に、我が父は、ついについに医者に身体を診てもらい、禁煙生活が始まっていて、何とずっと続いている。 そして、一ヶ月ごとに受診しているのだが、先日は禁煙生活二ヶ月目の受診。 先生は、禁煙生活を続ける事が出来ないと思っていたようで、父が禁煙生活を続けている事を話すと、それはそれは驚いていた。 そして、父は・・・ かなり太った 特に腹回り。 「スイカでも入ってますか?」 ってなくらい、パンパカパンだ。 禁煙できているのは良いが、他の病気の発病の引き金になってやしないか? と、気になっていたので、今回は私も診察室に入り、一緒に聞くことにした。 先生は 「まあ、当然です。良いんですよ。 そんな事よりも禁煙生活の方が、得るものは大きいですから」 と、おっしゃるではないか。 ほうほう・・・。そうなんかい。 そう言われるなら、まあ、スイカ腹でもいっか。 そして、こう言われた。 先生 「では、あと1ヶ月後、禁煙が続いていたら来てください。その時に再検査をしましょう。 そして数値が正常値でなければ、癌細胞が何処かにあるかと思われるので、それを更に詳しく検査しまょう。」 ふむふむ・・・・。 先生 「私はね、三ヶ月の猶予を与えたんですよ。 それでも正常値にならなければ、タバコが原因ではない事が分かります。 そうなれば、お父さん、検査は嫌だと言ってられなくなりますよね?」 なるほど・・・・。 すると・・・・・・ 数ヶ月前、あんなに駄々を捏ねていた父は・・・・ 父 「はい、分かりました」 おおおおぉぉ~ びっくりしましたね。 そしてそして、あろうことか・・・・ 先生 「それとね、お父さん、貴方は今肺機能が大変落ちている。 今風邪なんて引いたりしたら、まあ、ね、どうなるか想像つきますよね。」 ( 今の父の状態は、正常の人の半分の機能しか働いていない ) はいはい。 先生 「どうでしょうか、インフルエンザの予防接種、受けておきませんか?」 うーーん、どう答えるんだろう? 「嫌だ嫌だ!」 か? すると・・・・・ 父 「ああ、はい、受けます」 ええええぇぇ~ きっと大人になってからは初めてなのか、一旦部屋を出ると 「嫌だなあ、怖いなあ・・・」 と、大変小さな声で呟いていました。 以前の父だったら、絶対に注射なんて打たなかったでしょう。 変われば変わるもんですね~。 そして、帰りの車の中の父。 ぶつぶつぶつぶつ、、、、、、と、何やら言ってました。 「俺はな~、病気というのは運命だと思っているんだ。 だから治療しようと注射うとうと、運命から逃れる事は出来ないはずなんだ」 はい? 「親父は9×歳まで生きていたが、85歳まで喫煙してたぞ。 それでも長生きしたんだからなあ、関係ないと思うんだなあ」 は? 「親父がなあ、85歳の時俺に言ったんだよ。『タバコは止めろよな~』 だから俺も85歳になったら止めるつもりだったんだよなあ~」 ( 上記の言葉は、医師の前でも話してました。医師は不思議そうな顔をして、父を見返していました。) 「それになあ、うちは癌の家系じゃないからなあ、絶対癌じゃないと思うんだよな~」 ・・・・・・・。 「あの先生の勘違いじゃないかなあ? 何を調べるって?」 私 「○○~で、××で~、△だって血液検査の結果出た時、説明してくれたじゃん」 父 「そっか? そんな事言ってたか?」 覚えてないんかい! 「ふう~ん、そんなの調べたってなあ、ぶつぶつぶつぶつ・・・・」 ・・・・・・・。 ( もう黙り続けた私 ) 「それになあ~、俺は検査なんて信じてないし、数字を信用していないんだ。」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 「あんなのなあ、数字で身体の中の事が分かってたまるか」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 「ぶつぶつぶつぶつぶつぶつ」 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・。 私は父と会話をすると・・・・・、いや、会話じゃなくて父の独り言ですね。 父の独り言を聞いていると、とっても・・・・・くたびれてしまう。 父は大変頭脳明晰である。 何を聞いても、的確な答えをくれる。 しかし・・・・・ 学校のテストなんかではパーフェクトであろうが、何と言うのか、ちょっと変わっている方である。 子供の頃一緒に生活していなかったから、そう思うのかもしれないが、とにかく変わっていると思う。 父よ、少しでいいから、黙っていて欲しい・・・・。
2006年10月31日
ぷっちょ・・・・ 可愛らしい、なんともユニークなお名前の貴方。 初めて口にした時の、あの何とも言えない歯応えに、美味しさ。 ついつい、手が伸び、一つ、一つ、そしてまた一つ。 つい先日、娘が観光バスで遠くにお出かけ。 おやつを持参しても良い事になっていたので、ぷっちょちゃんを購入。 ( おやつは全て私が勝手に購入していた ) 朝晩はすっかり肌寒くなってしまった。 一枚上着を持たせていた。 ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 翌日 1日外で遊んでいて、ばばちくなっているであろう、その上着も当然洗濯する。 その時に着て行ったのは、ポッケのないズボン。 ・・・・・・何も確認せず、ポイポイと洗濯機の中に。 その日は何も気づかず、洗濯物は箪笥の中にしまわれていった。 更に翌日。 ・・・ん? おかしいなあ~? 何だか洗濯機の中がベタベタする・・・。( ドラム式なので、ぐるんぐるんと回してみる ) なにやら白い物が、あちこちにへばり付いている。 そう言えば・・・・洗濯ネットに、白い変なものが沢山ついてたよな・・・・ 娘の上着のポケットに、ぷっちょちゃんがいたようで、見事に一緒にぐるんぐるん洗濯。 それはそれは不気味な、気持ち悪い、恐ろしい物になっておりました。
2006年10月30日
すべての事に関して、奥さんが動いていた家の中なのだが、その奥さんが動けなくなってしまった。 奥さんの病気は、年々症状が悪化してしまう病気。 特定疾患にもなっている原因不明の病名なので、奥さんの精神的な苦しみは計り知れなかったであろう。 支えになってくれるような旦那さんではなく、「病気? それが何だ?」 みたいな感じだ。 書き方が悪いかもしれないが、旦那さんは決して悪い人ではない。 奥さんの体調が悪くて家事が出来なかったからと言って、旦那さんが変わりに家事をこなす事をしない、と言う意味だ。 病気の理解が全く無いのも確か。 奥さんの元々の性格も災いしていた。 奥さんは何でも自分でやらないと気がすまない。 ヘルパーが入っていても、洗濯物の干し方一つにも細かくチェックが入り、自分の思う様に干せていなければやり直してしまう。 高熱で動きたくても動けない時は別なのだが、それ以外は 「辛いわ・・・」 と言いながらも、動いてしまう。家事をいつも通りにこなしてしまう。 旦那さんの目の前で、いつものように動いていれば、旦那さんも大して気にもしない。 奥さんも動いていなければ、自分の身体がいずれ動かなくなってしまうという、そういう恐怖もあったようだ。 動けるうちに・・・・と、外出も以前と同じようにしているし、旅行にも行く。 奥さんは旦那さんに病気の事に関して説明しない。 奥さん曰く 「どうせ、わかりっこないわよ」 とか言う。 旦那さんは字が読めない人らしい。 ( 本当かどうか知らないけど、読めないし書けない人らしい ) 病院から診断書をもらってきてあったしても、見もしないし、手にも取らない。 病院にも一度も同行した事が無い。 まず奥さんのほうが頼まないらしい。 理由としては 「あんな酒飲み父ちゃん、一緒に行ったって、何の役にも立たないでしょう」 ・・・・・確かに。 父ちゃんは、一日中テレビの前でゴロゴロしている。 そして、その傍らには必ず酒がある。 飲んではテレビを見、テレビを見ては飲んで~。 外出をしない。 退職してからと言うもの、家から一歩も出ないのである。
2006年10月29日
驚きです。 あの父が・・・・ みの ○○たさん に、はまっているもよう! 「大っ嫌いだ!」 と、いつもいつも言っていたのに。 彼が司会の、あの、あのあのあのあの、あの昼間の番組を見ていたらしい。 まるで、彼の信者になったかのように、彼が紹介した ( ? ) 商品に関しては、速攻で実践している。 玉ねぎジュース? なんですかね、それ? ※そのうちフリーページに移動させちゃうと思います。
2006年10月28日
お久しぶりでございます。またもや、更新ストップしてしまいました。 何をしてたかって言うと・・・・・オークションとかフリマとか、今まで踏み込んだ事の無い世界に入り浸っておりました。 「で、何か買ったの?」 それがね、・・・・・・ポチッと押せばいいのは分かっているんだけど、押せなかったの! どうも躊躇してしまって、駄目でした。 欲しいものが山のように出てきてしまって こ、こ、これは! 素晴らしい! 一度買ったら 止め処と無く買い物しまくりそう な、自分が想像できたからです。 んで、止めました。 あとはですね、娘にパソコン占領しまくられているです。 娘が入浴中とか、本当にわずかの時間しか奪い返せず、もの凄い勢いで管理画面でチェックとかしているんだけど、あっという間に奪い返されてしまう。 最近の娘は、寝る時間も遅くなってしまい、私と変わらないくらい。 下手すると、私のほうが先に眠ってしまったりとか。 なかなか皆様の所にお邪魔できず、本当にすみません。 読み逃げもしてるし、ログインしていないまま、うろちょろしていたりとか。 許してくださいませ。 更新記事も、変なところで突然終っていたりしたら 「あらあら~、 子供に奪われちゃったのね~」 と思ってくださいませ。 え~・・・・私はかなり以前、どなたかにバトンを頂いていたような気がするんですね。 すみません・・・・。それがどなたかだったのか、はたして内容は何だったのか、綺麗に忘れております。 「それ、私よ!」 と怒りながら読んでいる方、怒ってください。教えてくださいませ。 ではでは、久しぶりにヘルパー日誌の方を。 今回は お酒大好きお父さん の話です。 持病のある奥さんの家事援助で入っていたのですが、その奥さんの旦那さんが、「お酒命」の方でした。 奥さんは、本当に本当に本とーーーーーーーーーーーーーーーうに、困らせてくれました。 神経磨り減るくらい、発狂しそうなくらい、勘弁してくれよ! ってなくらい。 奥さんに関しては、別の機会に書く事にします。 奥さん書き出したら、旦那さんの出番がなくなってしまうので。 旦那さんは、大変小柄な細い方でした。 お子さんは結婚して独立していたので、ご夫婦だけの暮らしでした。 お互い定年退職しており、1日家で過ごしている。 奥さんは子育てをしながらも、正社員でばりばり働いていたようで、かなりの貯蓄があったもよう。 お子さん達にも、かなりの援助が出来ていたと言う。 旦那さんはお酒命だけど、真面目に定年まで働いていたようで、浮気も借金も暴力も無し。 ただ、酒癖が悪かったので、子供達は近寄らなかったらしい。 育児・家事などは、全て奥さん任せで、旦那さんはテレビを見てゴロゴロ~。 奥さんのほうも、それに関して何も文句は無かったようで、それなりに夫婦生活上手く行っていたようです。 旦那さん・奥さんが退職して、お互いが家に居るようになってから、奥さんが発病。 そうなると、今までのような生活は出来なくなるわけで、旦那さんに少しは動いてもらわないといけないのですが・・・・・・。 続く
2006年10月27日
彼は彼女の入院の手続きを進めた。 準備が整い、彼女の実家に話をしに行く。 彼の話を聞き、彼女は戸惑ったらしい。 彼 「やり直したい。でも今の君のままでは、とても親子三人の生活は無理だ。 入院して、きちんと治療をしてほしいんだ。僕は待っているから。 半年間治療に専念して欲しい。半年後迎えに行く。○○病院に一緒に行こう」 彼女も彼との離婚を考えていなかったので、彼の話を受け入れた。 やり直せるものなら、もう一度家族3人で暮らしてみたい。 入院期間中の事は全く知らない。入院していた事すら知らなかったので。 半年経ち・・・・・・ 彼は約束どおり、彼女を迎えに行くのだが、彼女のご両親からストップが掛かった。 彼女のご両親の意見としては 「今すぐ生活を始めたところで、娘は結局は家事が出来ないのではないだろうか? 入院する前の実家での生活、入院中の病院での生活。 その後でいきなり主婦・母親としての役割を果たせるとは到底思えない」 彼も、「確かにそうかもしれない・・・」 ここまで待ったんだから、焦る事もないか かえって、以前より酷くなってしまう可能性も考えられるし・・・・ と、またもや彼女との別居生活は続く事になった。 彼女が実家に戻ったからと言っても、結局何も変わらないのだ。 母親が全て家事を済ませてしまうので、彼女がやる事は何も無いのだ。 相変わらず昼過ぎまで寝て、深夜に寝る。 昼・夜逆転生活が続く。 そうなると、やはり身体は重たく感じるそうだ。 寝てるのか起きているのか・一日がだらだらと過ぎ・何もすることが無いし、何も出来ない。 そんな状態の時に、私は彼女と再会している。 私は彼女の症状も病気に関しても、詳しく知らない。 昼・夜逆転生活を、元に戻す事から始めればいいのではないか? そう単純に思って、口にしてしまった。 彼女は黙って聞いた後 「そうなのよね、でもね、無理なのよ」 私 「どうして?」 彼女 「早く寝ようとしても、眠れないの。そうすると発作が起きそうになって・・・」 私 「昼間体を動かしたらどう?」 彼女 「でも、発作が起きたら・・・と思うと、じっとしてるのが一番かと」 私 「体のリズムが逆転してしまうと、元に戻す当日が一番しんどいかもしれないけど それをしない限り、いつまで経っても逆転のままになるのかと思うけど、どうなのかな?」 彼女 「夜、眠れないのよ」 私 「うーーーーん、じゃあ、早く起きてみては?」 彼女 「薬で眠っているのよ」 私 「・・・・・・」 彼女の不安を聞くだけのほうが、今の彼女にはいいのかもしれない。 彼女の不安と言うのは、結局の所 「彼に抱きしめて欲しいの」 だった。 私はどうしても子供の事が気になった。 乳飲み子の時期は、子育ての中でも特に大変な時期だったように思う。 その一番大変な時期を、結果的にはあちらのご両親と育っている。 彼女は 「子供」 の事をあまり口にしない。 「子供」 より 「旦那さん」 なのだ。 子供が嫌いと言うわけでもなさそう。 「子供と暮らしたい」 より 「彼と暮らしたい」 の気持ちの方が強いように感じた。 彼女 「私、ぱきらさんの事をずっと羨ましく思っているのよ~」 私 「え? なんで?」 彼女 「だって、可愛い女の子がいて、仕事もばりばりしていて、凄く幸せそうに見えるもの」 私は誰にも話さなかった奴の話をした。 ( ブログ上では事実を書いているが、どれだけ親しい友達にも一切話していない 友達を信頼していないからとかでは無く、私にとっては口に出すのが辛い事だらけだから ) 結婚当初から今まで、そして今現在、どんな状態で、どんな生活を送っているのか、全て話した。 人間、どんな状態でも、這い上がろうと思えば這い上がれる 子供を守りたい、子供のためにも、自分のためにも、自分で切り抜けようと思えば、暮らして行けれる そんな締めくくり方をした。 とってもくっさい台詞、「幸せは自分で掴もうよ」 とか、言った様な気がする。 彼女にしてみたら、私の生活は驚きのようだった。 目がまん丸になっていた。 話し終えた後、暫く黙っていた彼女は顔を上げ 「話を聞けてよかった」 と言ってくれた。 帰り際・・・・ 彼女が、ふと口にした。 「私・・・・連絡をしなかったのは、ぱきらさんからも無視されたらどうしようって 一斉に無視した友達達のように、皆私から離れていくように思えて、不安だったの」 私 「メールが途絶えちゃったから、嫌われたと思ってたのよ」 彼女 「違うの。怖くて連絡が出来なかったの。 私の話を最後まで聞いてくれて、本当に嬉しいの」 私 「それは・・・・本当の友達では無かったんだよ。」 彼女 「そうかもしれない。年賀状すら来なくなってしまったの。」 私 「それだけの関係だったと思って、割り切るしかないかもしれないね。」 彼女 「そうよね。早くわかって良かったのかも知れない。 ぱきらさん、また、私と会ってくれる? やっぱり、私は怖いかしら?」 私 「怖い? どうして? ○○さんとは楽しく時間過ごせたし、沢山話せたよ 逆に私のほうが心配。私の結婚生活を全て話してしまったから、そっちの方が怖くない?」 彼女 「ううん。いつも明るいぱきらさんが、本当は違うんだってことで考えさせられた」 私 「誰でも他の人は自分より良く見えるもんよ。 私から見たら○○さんの方が、お金の苦労も無くて借金してこない旦那さんで羨ましく思える」 彼女の家を出て、私が車を停めている場所まで ( スーパーの駐車場です。うふ。駄目だよね ) 「送って行くわ」 駐車場までは私と一緒だが、私と別れた後は彼女は1人で道を戻らないといけない。 1人で外を歩くのは、数ヶ月ぶりだと言う。 もの凄く不安に感じてしまった。 彼女 「大丈夫、なんだか今日は気分が良いのよ~。」 車に乗り込んだ後も、私は気になって気になって仕方が無かった。 何度も何度もミラーで確認してしまった。 彼女はいつまでも手を振ってくれていた。 それからかなり月日が経つが・・・・・・ メール交換をしている。彼女は元気のようだ。 でも、まだ別居生活は続いているらしい。 子供に会わせてもらえる日数は、ぐんと増えたとか。 離婚話は当然のように出ていたそうです。( 特にあちらのお母さんから ) 彼は 「彼女を見捨てるわけにはいかない」 と、母親に離婚の意思がない事を、きっぱりと言ったそうだ。 結婚生活よりも長くなってしまっている別居生活。 彼女が一日も早く家族で暮らせますように・・・
2006年10月13日
完全別居となり、新居は誰も住まなくなった。 彼は子供と一緒に、彼の実家で過ごす。 彼女は自分の実家にて生活をする事に。 彼の生活は知らないので、彼女の生活のみ。 彼女は昼近くまで眠ったまま。 お昼に目覚め、そのまま誰も居ないリビングで過ごす。 ご両親は共働きのため、昼間は誰も居なかったそうです。 母親が準備していってくれた昼食を食べ、食器はそのまま。 夕方まで、ただただ ぼーーーーーーーっとしているだけ。 夜が来て、両親が帰宅。 母親が作ってくれた食事を食べ、その後深夜過ぎまで ぼーーーーーーっとしている。 そんな毎日の繰り返しだった。 処方されていた薬を飲み続けていた。 両親は、腑抜け状態になってしまった娘に、何も言わず、そっとしていてくれたようだ。 数ヶ月が過ぎ、彼女も落ち着いてきた。 薬の方も、少しずつ減っていき、彼女は このままでは駄目だわ! 台所に立とうとする。 すると、母親は止める。 母 「○○ちゃん、何しているの! 貴方はゆっくり休んでいなさい」 包丁を取り上げられた。 後片付けもさせてもらえず、彼女はまたしても ぼーーーーーっと過ごすのみ。 そんなある日、彼女は何を思ったのか、突然ご主人の会社に行く。 携帯に連絡する。 彼女 「あ、私です。今、会社の近くまで来ているんです」 彼 「はっ?」 彼女 「逢って欲しいの・・・・」 彼 「ちょっと待ってくれよ、俺、今仕事中だぞ?」 彼女 「分かっています。でも、どうしても今貴方に逢わないと・・・」 彼 「・・・・悪いけど、今は帰ってくれよ、頼むよ!」 彼女 「だって、だって、私は○△×□~~~」 彼には彼女が何を言っているのか理解できなかったらしい。 彼女は何度も○△×□~を繰返す。 ←実際には自転車を手放したいと言う相談だったらしい 彼は上司に適当な嘘を言い、早退させてもらう。 彼女を彼女の実家まで送り届ける。 ( 彼女のこの時の行動が、彼にとってはもの凄く恐怖に感じたと、後に聞いた。) 別居してからも、彼は定期的に家族3人の時間を作ってくれていた。 まず彼女を迎えに行き、そのまま3人でドライブに行き、大型ショッピングセンターで買い物をしたり、食事をしたり・・・・。 別居前からとは、想像もつかないような時間の過ごし方だ。 ショッピングセンターのエレベーターに乗った時・・・・ 彼女はまたしても 「ねえ、今、ぎゅ~ってして」 とお願いしたそうだ。 エレベーターには、彼女達親子以外乗っていなかった。 彼は、またもや、びっくり仰天 彼 「エレベーターの中だぞ!」 彼女 「分かってる。でも抱きしめて欲しいの」 彼 「・・・・・」 彼は何も言わず、軽く抱きしめてくれたそうだ。 彼女 「もっと、ぎゅ~って」 彼 「もう勘弁してくれよ」 その後は、何となく雰囲気が悪くなり・・・・・、彼女はまたもや不安に駆られる。 彼なりに、必死に変わっていってはいたらしいのだが、彼女はそれ以上を要求していたらしい。 彼は、またもや負担に感じ始めてしまった。 彼は悩みに悩んだ末、ある一つの決断をした。 彼女を入院させるという事を決める。 更新が止まったままで、ごめんなさい。 コメントもありがとうございます。レス遅れっぱなしですが、本当に嬉しく思ってます。 あまり詳しく書けないのですが、身体を痛めていたので、なかなかパソコンに向かう気分になれませんでした。 そのうち、詳しく暴露してみたいと思います。 元気は元気ですよ~♪
2006年10月11日
呼吸困難で苦しそうにしている彼女。 彼は ちらっ と見て、そのまま家を出てしまった。 びっくりしたのは遊びに来ていたご近所の方。 慌てて病院まで連れて行ってくれたそうです。 多分その時鬱病と診断されたのではないだろうか。 彼女に友達がいなかったわけではない。 ・・・・・が、彼女に決定的なダメージを与えてしまった友達がいた。 彼女には同じ月齢を子供に持った母親数人と、頻繁に会っていたのだが・・・・ 皆で楽しく集まっていた中、彼女は気分が悪くなってしまった。 彼女 「気分が悪くて・・・」 友達 「車で送っていってあげるよ! 大丈夫?」 最初は皆心配して、あれこれ声をかけてくれていたのだが・・・・ そこで彼女は発作を起こしてしまった。( 私は彼女の発作がどういうものか知りません ) ついさっきまで心配してくれていたはずの友達は、急に態度を豹変させた。 友達一同 「悪いけど車には乗らないで欲しい。旦那さん呼んだら?」 「ごめん、もう私達に連絡してこないでね」 もの凄い勢いで去っていってしまったそうだ。 彼女は発作を起こしながらも、みんなの冷たい視線、冷たい言葉を目の当たりにした。 それからは怖くて誰にも会えなくなってしまった。 彼女は今まで以上に家事に手がつかなくなっていく。 彼はもう耐えられなくなっていった。 家事どころか、子供が泣いていても 「私を見て欲しい」 「抱きしめて欲しい」 と言うばかりで、子供を抱き上げる事も無い。 彼は彼女の両親とも相談する。 鬱病と診断されている事から、暫く別居してみては? で、話し合いがついた。 彼女のご両親は、まだ勤めている。 子供については、時間的にも余裕のある義母さんが引き取る事になる。 彼はそのまま実家に戻る。 彼女は暫く新居で暮らすのだが・・・・・ 自分の事もままならない状態で、見かねた実母が実家に呼び寄せる。 完全別居が始まる。( 夫婦間での別居 )
2006年09月29日
生活についての話し合いに、義母さんが加わる事になってしまった。 義母さんは仕事をしながら子育てをし、1人で家事をこなしてきた。 義父さんは亭主関白で、一切何もしなかった。 義母さんにとっては、それが当たり前で、不満にも思わなかった。 当然義父さんも、それが当たり前と思っているので、自分の息子が 「あいつ、家の事何も出来ないんだよ」 と話したところで 「息子よ、お前が助けてやるべきではないか?」 なんて事は思いもしない。 彼が言うには、義母さんは本当に完璧の人のようで、義父さんは家では全く動かず。 全て義母さんが家事をするのだが、大袈裟に言えばチリ一つ落ちていなかったとか。 帰宅すれば食事・風呂が出来ており、洗濯物も箪笥に片付けてあり、着替えも準備されていた。 何か朝に頼みごとをしておけば、きちんと出来ていた。 彼にしてみたら、彼が物心ついた頃から、いやいや、産まれてからずっとそんな感じの家庭で育っているのだから、それが主婦であり、当たり前だと思うのだろう。 だから彼女が 出来ていない 手伝って欲しい とお願いしてきても、彼にはそれが不思議でたまらない。 何で出来ないのかなあ? と内心思っていたのが、そのうちため息が出始め、母親に相談するようになったのだろう。 義母さん 「○○さん、子供は私が預かるから、貴方は家事をしてくれればいいのよ」 彼女 「はあ・・・・ありがたいんですけど、私は彼と2人で・・・」 彼 「会社に行ってるから、それは無理なんだよ」 義母さん 「そうですよ。だから家の事は貴方の仕事でしょう? それが出来ないようだから、私が手伝うと言っているのよ」 彼女 「でも、ここは彼と私の家です」 彼 「帰って来ても何もしてないじゃないか」 彼女 「・・・・・・」 義母さん 「ねえ、私が預かっている間、貴方は家事を終らせれないの?」 こんな感じで話が繰返されるのだが、彼女は段々気分が悪くなって行った。 彼女 「すみません、ちょっと具合が悪いので・・・」 義母さん 「あら、そう? じゃあ、今日はこの子預かってあげるから、ゆっくり休んだら?」 そう言って、子供と彼は義母さんと一緒に彼の実家に行ってしまった。 彼女は 違うのに、違うのに。私は彼に一緒にいてもらいたいのに・・・・ そう心の中で思うのだが、口には出せず、1人家の中に取り残されてしまった。 そんな状態の時に、私は彼女と一度会っていた。 幸せな新婚生活を送っていると思っていたので、そこまで色々複雑になっていることは知らなかった。 その時の彼女の相談事は、「彼が手伝ってくれない」 くらいだったのだ。 そこで、私は 「彼が分かってくれるまで話し合いをしたら?」 と言うような返答をしたと思う。 そして私が帰ったあと、彼女は彼に何度も 「手伝って欲しい」 「貴方と私でやっていきたい」 と話をした。 彼女が何度も何度も懇願したからか・・・・・彼が変わってきた。 彼は洗濯物を干したり、食器を片付けたり、少しずつ動いてくれるようになった。 何もしなかった、ため息しかつかなかった彼が、そこまでするのは進歩ではないだろうか。 彼女はそれでもまだ止まらなかった。 彼女の心の隙間を埋めることは出来なかったようで、彼女はなおも彼に懇願する。 「もっと私を見てほしい」 ある休日、子供がずっと泣いていた。 彼女は抱き上げる事もしなかった。 彼は 「おい、泣いているぞ、お乳じゃないのか?」 彼は彼女に声をかけるのだが、彼女は子供には目もくれない。 彼女 「お願い、ぎゅ~って抱いて欲しいの」 彼 「はあ? お前、子供が目の前で泣いているのに、何言ってるんだ?」 彼女 「少しでいいの。少しでいいから、お願い」 彼 「子供泣いてるのが分からないのか?」 彼女 「ぎゅ~ってしてくれるだけでいいの」 彼は彼女の背中に手をまわし、軽く数回ポンポンと叩いたあと、部屋を出て行ってしまったらしい。 子供は泣き喚いたままだ。 彼女は、その場で泣き崩れてしまった。 そして彼女は彼に 「私を見てほしい」 と言い続けるのだが、彼は彼で どうしたらいいのか分からない と、逃げるようになってしまった。 そんな日が続いたある休日、ご近所の方が子供を見に遊びに来た。 彼は友達が来たなら・・・と、席を外そうとした。 それに気づいた彼女は 「また、まただわ、また彼は何処かに行ってしまう・・・」 そう思うと、急に息が出来なくなってしまったらしく、呼吸困難の状態に。
2006年09月28日
最初は手伝いに来てくれる義母さんに、感謝していた彼女ではあったが、少しずつ気持ちが変わっていく。 自分達の新居に、義母さんがいつも手伝いに来ると言うのも、おかしいと思い始めたらしい。 彼に相談し、今度は義母さんは 「子供を預かっているから、その間に家事をしてしまいなさい」 と言ってきた。 朝から夕方まで義母さんが面倒を看てくれ、彼女は1人新居の家事に追われるのだが・・・ それでも彼の言うように完璧には出来なかった。 彼が帰って来ても、相変わらずシンクの中も洗濯機の中も、ぎゅうぎゅうと入ったまま。 彼は洗濯機の前で、深いため息をつく。 彼女はそのため息を聞くたびに、ストレスが溜まっていく。 新居は広めの3LDK。 マンションなので、戸建ての感覚とはまた違ってくる。 私が遊びに行った時は、とても綺麗に片付けてあった。 確かに物が多いなあ・・・とは思ったが、それは全て彼の物だった。 子供が居ると言っても、その時はまだ乳飲み子。 部屋を散らかす年齢でも無い。 彼は外食や店屋物を嫌った。 きちんと家で食事が作られていないと、いけない。 それが出来ない彼女に、またため息をつく。 彼女は彼女なりに頑張るのだが、どうしても気持ちがすれ違い・・・・ ある日、彼女は彼に言われる。 「お袋に料理を習ってくれないか」 彼女はそれだけは拒否したそうだ。 「私は結婚する前に、花嫁修業をしてから、とお願いしたはず。 その話をまともに聞いてくれなかったのは貴方。 私の料理が満足いかなくても、それは私だけの責任ではないはず」 彼女はかなり抵抗したのだが、彼は 「駄目なんだ、君の料理では・・・・」 と、彼も譲らない。 私もかなり料理が下手だ。下手を通り越して、大嫌いだったりする。 結婚してから、奴によく義母さんの料理と比べられた。 食事というのは、疲れて帰ってきた大黒柱にとって、楽しみの一つなんだろうな。 彼女の料理がどこまで美味しくて、どこまで「?」と思えるのか、食べた事がないので分からない。 彼女は材料が良くないのではないか? と考え、無農薬とか、何とかしらんの高級材料とか取り寄せて、あれこれ調理を頑張る。 そうなると、今度は 「宅配の材料はやめてくれ」 と文句を言われる。 私 「ねえ、買い物に行きがてら、気分転換とかしなかったの?」 彼女 「・・・・時間が無くて、買い物も満足に出来なかったの」 私 「・・・・・どうして時間が無かったの?」 彼女 「掃除に時間がかかって・・・・」 彼女が言うには、朝からずっと掃除をして、その合間に子供にお乳を与え、オムツを変え・・・ 子供の容態が悪い時は、病院に連れて行って・・・・ そうなると、夜になってしまうらしい。 洗濯も中途半端。朝の食器もそのまま・・・らしい。 彼女自身のお昼とか、どうしていたのだろうか? その状態だったから、彼は自分の母親に彼女の事を頼んだらしい。 彼は彼なりに考え、彼女をサポートしようとしていたのは分かっていた。 分かっていたが、それがどうも自分の考えと違っていて、それがお互いストレスになっていった と、言う。 彼は 「お袋はいつも完璧だった。だからお前にだってできるはず。 出来ないなら教えてもらえばいいんだ。どうしてそれが嫌なんだ?」 彼と何度話し合いしても、平行線のまま。 そしてついには義母さんも話の中に入ってくる事になる。
2006年09月27日
何もかも主導権を義母さんに握られていたようで、彼女の意思を尊重すると言う事が、無いに等しかったようだ。 彼女は箱入り娘というわけではなかったようなのだが、どうも、料理・掃除・洗濯など、所謂 ( いわゆる ) 家事全般が全く出来なかった。 大学卒業後、すぐに就職。 帰りが遅かったようで、全て母親がしていたらしい。 していた・・・と言うのも可笑しな表現かもしれないが、彼女は一度も包丁を握った事がないらしい。 ( 家庭科の授業の調理実習とか、そういうのは別として ) 洗濯機を回した事もなければ、本当に何もした事がなかったらしい。 しなくても、母親が全て終らせてくれていたのだろう。 就職し、彼と出合って結婚を決意するのだが、家事が何一つ出来ないのでは困る。 花嫁修業をさせてから、嫁がせよう・・・と考えていた矢先に・・・ 彼女は妊娠してしまう。 そうなると、慌てたのは彼のご両親。 目立たないうちに、さっさと結婚式を挙げなくては! と、彼女側の 「花嫁修業をさせてからにしてほしい」 と言う意見は、全く無視された。 あれよあれよ・・・と言う間に入籍・挙式・・・・・・。 その間にも悪阻があり、台所に立つこともままならなかったようで。 ( 玉葱のむき方も知らないまま、結婚した友達がいたので、彼女の話自体さほど驚かなかった。) 新居に移り住み、結婚生活が始まるのだが・・・・・ その時は、まだお腹に赤ちゃんが居たので、何とか生活は出来ていた。 困ってしまったのは、子供が誕生してからだ。 家事全般に自信が無いのに、乳飲み子が居る生活。 洗濯物は溢れ、流しのシンクに食器は溢れ・・・・ 掃除も完全には出来ない状態。 彼女の荷物というのは、殆ど無かったようだ。 リビングなどに置かれたものは、9割以上彼の物。 それでも彼は自分で片付けはしない。 それは奥さんの仕事だと思っているから。 彼は棚の上を指先でなぞり・・・・埃チェックをするらしい。 そして 「きちんと掃除していないぞ」 と言う様だ。 決して怒って言うわけではない。掃除してあって当然なのに、何故していないのかな?と不思議に思うとか。 彼女は慌てて掃除をするのだが、とても毎日そこまで出来ない。 そこで義母さんの登場となるわけだ。 義母さんは毎日毎日夫婦の家にやってきては、家事を完璧にしていってくれる。 これも、決して嫌味っぽくは無いそうだ。 「貴方はゆっくり休んでいて。私が家事するからね」 と、声をかけたあとは、てきぱき~と片付けていく。 間が空いてしまって、何をどこまで書いたのか、??。 話の辻褄が合わないぞ? と思う箇所が出てきても、許してくださいませ。 眠たいのでここまで。また後日お会いしましょう~。
2006年09月22日
10日後に検査の結果を聞きに行く。 医師 「はい、これ血液検査の結果の一覧ですね。差し上げます。」 んがあああぁぁ、ぼろぼろじゃあーーーん。 医師 「コレステロールは高いし、中性脂肪は高いし、血圧も高いし、あれもこれも、どうとかこうとか」 「でね、やっぱりこれだけの検査では、詳しく分からないんですよ」 私 「・・・と言いますと?」 医師 「怪しいところは沢山あります。でも、それはご本人が自分で知りたいと思わない限りはね」 私 「父、どうするの?」 父 「いや~、まあ、いいわあ」 私 「はあ?」 医師 「ただも今はっきり言えることは、どこかに悪い箇所がありますが それが身体のどこの臓器か分からない」 「それを知る為に、あらゆる検査が必要です。 しかし体力的にも無理でしょう。まだまだお若いが、検査をする体力がない」 私 「はあ・・・」 医師 「お父さんは、今、肺の活動が半分しかありません。 こんな状態でゴルフなんて、自殺行為ですね。そのうち呼吸困難で動けなくなります」 私 「はあ」 医師 「私はね、はっきり言いますが、治す気持ちの無い患者さんを診るつもりはありません」 私 「は?」 医師 「本人が治す気持ちが無いのに、私や家族が一生懸命になっても意味が無い」 そりゃ、ごもっとも 以下、ドクターの話 私も昔は、いろんな方の治療に専念してきた。 無理やり入院検査なんてしましたよ。 でもね、意味が無いんですよ。みなさん、入院中は大人しくて、きちんと守ってくれるんです。 例えばアルコール中毒の人。病院では飲めませんのでね。 きちんと守るし、健康になって退院していくんですよ。でも・・・ 数ヵ月後には、また家族の人に引きずられて来るんです。 もうね、がっくりしちゃうんですよね。 それとタバコ大好きな人。 病院では自宅に居た時のように吸えませんので、入院治療すれば良くなります。 これも一緒です。 退院したら元に戻ってます。 勿論全員がそうとは言いませんが、ほとんどの方がそうだったんです。 それを今まで長い間見てきて、私は考え方を変えたんです。 本当に自分の身体を治したい人、健康に戻りたい人、そういう本人の気持ちが見えない人にはお断りしてます。 他の病院に、いつでも変わっていただいて結構です、と言ってます。 お父さん、食事はどうしているのかな? あなたが作ってるの? それにしては、塩分が・・・ あ、コンビニ大好き? 饅頭にスナック菓子? ふう~ん・・・ ああ、いいです。止めさせなくても。 娘さんに隠れて食べるようになりますよ。 そんなにね、何でもかんでも強制してはいけません。 本人の好きなようにさせなさい。 それで持病が悪化してしまって、お迎えが来てしまっても、本望でしょう。 食事制限? ああ、それもしなくていいです。 本人が自覚して、自分でかえようとしない限り、無理ですわ。 子供じゃないんでね、大人ですよ。何が自分の体に良くて、何がよくないか、分かっているはずです。 ただ、私がお父さんに聞きたいことは一つ。 タバコ止めれますか? 一ヶ月待ちます。 一ヶ月後にまた来てください。 その時に再検査しましょう。 条件は禁煙です。禁煙が出来ていないのなら、来なくても結構ですよ。 検査の結果は変わらないか、悪くなっているに違いありませんから。 薬? まあ、いらないでしょう。 私 「ええーーー、でも・・・」 医師 「では血圧を下げる薬と痰止めのシールを出しましょう」 それ以外は、どうも出すつもりがなさそう。 んで、自宅に帰る途中の車中・・・・ 父 「けしからんなあ、なんだ、あの医師は! やる気なしだな」 と、ぶつぶつ文句言っていた。 でも、私は医師の言っている事に間違いは無いと思った。 あくまでも私が思ったのであって、他の人がどう思うのかは知らない。 確かにそうだよなあ。強制したところで、本人が本当に理解していないと、どうしようもないじゃん。 父の体調不良の一番の原因はタバコです。 勿論他にもあるでしょうが、検査をしないので分からない。 それにやる気のない医師が、二時間も説明してくれるか? 他の患者さん、沢山待たせているのに。 んで、肝心の父ですが・・・ 即日 禁煙実行 してました。 ・・・・・びっくり・・・・です。 一ヶ月近く経った今も、喫煙した形跡なし。 父の家も父自身も、全く臭いません。 ・・・・太りました。 呼吸が苦しくて動けないから、余計そうなのかもしれませんが・・・・でぶっちょになりました。 しかしですね、信じられないくらい身体が軽くなった、と喜んでいます。 本人、嬉しくて仕方がないよう。 再検査は来週ですが、さあ、どうなっているのでしょうか? 苛々する事も沢山ありますが、それでもやはり父親。 いつまでも健康で長生きしてほしいものです。 書き忘れ・・・ 医師があれこれ強制してはいけない、と言った理由は、何もかも禁止すると、鬱病になってしまうからだそうです。
2006年09月21日
無理やり連れて行った医院で、ドクターに言われた事ですが・・・ 「いや~、お父さん病院嫌いでしょう」 んだんだ!! 医師 「話を聞いたところね、全く健康診断なんて受けてないようだしね」 そうなのよーーーー! 医師 「これほど具合が悪ければ、そうなる前に自分で診てもらおうとするでしょう」 そうよねえぇぇぇぇーーーーー! 医師 「まあ今日は、娘さん、あなたが無理やり連れてきたんでしょう?」 その通りでございます! 私は内心ドキドキしていた。 何でかって言うと 「どうしてもっと早く連れて来ないの!」 とか、怒鳴られたら嫌だなあ~・・・と思っていたから。 「自分の親でしょう? え? あんたヘルパーしてるの? それなのにホッタラカシにしてたの?」 ・・・・・・・・・・・・・・こう言われるんでは、無かろうか・・・・・・・・・・・ と、びくついていたのである。 私が一番言われたくない台詞だ。 しかし、このドクターは、その逆で 「貴方の気持ちは、よ~く分かりますよ」 なーーーんて、言ってくれるのである。 以下、ドクター 人間二通りあって、具合が悪くなると、気になるからとりあえず診てもらおう。 具合が悪いけど、怖いし、大した事無いだろうから、まあ、いっかあ~、と行かない。 その後者が貴方のお父さんでしょう。 貴方はきっと再三、お父さんに 「病院に行こう」 と言っていたでしょう。 それをお父さんは頑なに拒んでいた。 そして、本当にどうしようもなくなったから、引きずられながらも、何とか私の所まで来た。 後者の場合、大抵は家族の人が引きずって連れてくる。 本当に自分の身体を大切にしない人達です。 しかし、本人も自分の体調がおかしいのは分かっている。 分かっているから引きずられながらも、渋々来るわけです。 中にはそれでも拒否する人がいますが、そうなると、もう意識不明とか昏睡状態ですね。 ( 私の心の中 ほほほほほほほおおおぉぉぉぉ~、なるほど! ) そして後者の人は独りで来ない。必ず付き添いの人が一緒だ。 ( 私の心の中 ほほほほほほほほほほほほほほほおおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ~! ) 私が娘さんを診察室に居れたのは、お父さんに「検査をしてみたらどうか?」と言ったところ「また今度にします」 と答えたからですよ。 今すぐにでも血液検査やレントゲンは出来る、と言ったのですが、拒否されたんですよ。 今度しても、今日しても、結果はさほど変わらないと思うんですけどね。 私 「えーーー、もう、やっちゃって下さい!」 医師 「私もそう思うのですが、これはご本人の身体の事なのでねえ」 私 「う・・・・・」 医師 「本人が調べてくれ、と言うのなら、色々検査したいんですよ。 ほら、見てください、お父さんの唇、チアノーゼ起こしているんですよ」 ん? ああ、そういえば色が悪いなあ・・・・ 医師 「それにね、ほら、これ・・・」 指の先にクリップのような物をはめて、指先まで酸素が届いているかどうか、調べる機械ですね。 本人は痛くも痒くもないし、あっという間に数値がでるので、別に検査も何も、しゃべってるうちに出来る代物である。 その数値がよくないのである。 医師 「これは、すなわち心臓か肺か、まあ、よくないでしょうねえ」 自称「心臓病」だもんなあ。 目の前にその数字をたたきつけられても、未だに認めないとは。 自称「心臓病」と言い張るのに、「健康だ」と言い張るのも、また矛盾している父である。 医師 「今、お父さんの病名が何か、と言う事は、はっきり答えられないですね。 いろいろ検査をしてみないと、診断がつかないので、レントゲンと血液検査、痰、尿を取りたい」 父 「いや~、先生は時間がかかるって言ったから 娘を待たせては悪いから、今度独りで来るつもりで・・」 私 「私なら何時間でも待つから、とにかく、今日検査できる項目は、してもらいなよ!」 父 「いや、だから、明日にでも独りでくるから」 ずうぇったい、逃げるな! 医師 「娘さんも、待っていると言ってくれているんだから、もう、今からすればいいんでは?」 父 「いや、明日か、あさってか、また来週にでも・・・・」 かああぁぁぁぁーーーーー ↑ 私の怒りでございます 私 「酸素が必要になるよ!」 呼吸が出来なくなると、酸素を携帯しないと生活できなくなる。 父はそれだけは嫌だと言っていた。 私は仕事柄、色んな年配者を見てきたが、酸素チューブをつけて生活していた人は、最後は苦しみぬいて亡くなっていった。 人間、呼吸がうまくできなくなると、むっちゃんこ苦しい。 私自身、一度肺に血が溜まってしまい、呼吸が出来なくなった時があった。 あれは、ものすごく苦しい。 息がしたくても、出来ないのだ。 「ぜえ、はあ、ぜえ、はあ・・・」 吸っても吸っても、苦しくて苦しくて、肩が激しく上下される。 たった数日の出来事だったのだが、二度とごめんだ。 それを残りの人生、全てそんな感じになったら・・・治るんなら治せよ、原因をつきとめろよーーー! ですね。 医師 「娘さんの言われるとおり、このままだと、酸素が~」 と言って、何やら図に書いて説明し始めた。 専門家に言われると、さすがに説得力があったのか、父は渋々検査をすることに。 そして数時間後、再度診察室に。 医師 「えーーー、レントゲンの結果はですね、今すぐ命に関わる影とかはないですがあ・・・」 「えーーー、ここ、ここね、怪しいですね。それからこっちは、あっちは」 と、色々結果を教えていただく。 医師 「血液検査などは、10日くらい後に分かるので、治す気があるのなら来てください」 そして、10日後・・・・
2006年09月21日
こんにちは・こんばんは・おはようございます。 またもや、すっかりご無沙汰してしまって・・・。 コメントありがとうございます。お便りもありがとうございます。 レスも、返信も滞ったままになってますが、少しずつお返事させていただきます。 いつもだらしなくて、ごめんなさい。 いったい、最近どうしたんだい? ってなくらい、だらしない私ですが、まあ、一応理由はありまして・・・。 困ったチャンの我が父であります。 あの、「痰吐き」・「ゴミ屋敷?」 の、あの、父でございます。 父はまだ70歳にもならない、60歳代というのに、自称 「心臓病」 であるからして この夏はたいそう苦しかったようで、25メートルも歩けなくなってました。 自称 「心臓病」 ではあるが、検診で引っかかった事もなく、( 本人曰く55歳までしか受けてない ) 私としては、ただの なまくら病 かと思ってました。 しかししかししかししかし・・・・ いつまで経っても部屋の掃除・洗濯・風呂のお湯変えをしないので、さすがの私も見て見ぬフリは出来ず。 ここで誰かが助けてしまうから、本人自身がやらなくなる。 そう思って、今まで心を鬼にして、知らん顔していたのだが・・・・・ どうも、ただのなまくら病ではないようで、本当に、ほんとーーーーーーに しんどいような。 それも、猛暑が終りかけた頃に 「おいおい、大丈夫か?」 と、ゴルフ仲間が心配したくらいであったそうな。 「あんた、娘のくせに、知らん顔かい?」 うんにゃ。 わたしゃあ、言い続けてました。 一度診てもらないよーーー 毎日、朝から晩まで、言い続けました。 しかししかししかし、しかーーーしですね、 大の大人をですね、病院に連れて行くなんて、それも、無理やりとは、まず無理! 本人が 「嫌だ、行かないぞ」 と言えば、それを引きずっていくほどの力は無い。 本人が寝たきりならまだしも、動けるのですから、抵抗されれば無理。 毎日毎日、言い合いですね。 「行くよ」 「嫌だ、行かん!」 何故行かないかって? 怖いから それ以外の理由は無い。 ただ、ただ怖いだけ。 娘の一言 「ママ、おじいちゃん、危ないよ。だって私にもついて来れないんだもん」 娘と2人でコンビニに行った後の台詞です。 何でも 「ぜえぜえ、はあはあ・・・」 と、不気味な息遣いをしながら、ついて来れないそうな。 コンビニも、歩いて一分の所。 それすら、歩けないのですから、こりゃあ、ただ事じゃあ、ありませんな。 そして、インターネットで父の症状を検索し、近所のクリニック・病院を調べに調べ・・・ 大至急、連れて行きましょう! なーんて結果が出てしまった。 こりゃ、のんびり口喧嘩している暇はありませんね!!! 半分泣きそうになっている父を、脅し、諭し、ああでもない、こうでもないと言い続け、車に乗せることに成功。 ここまで出来れば、もうあとはこっちのもの。 ( ? ) さてさて、受付で綺麗なお姉さんと何やら会話。 ( 父は自分で 「健康だ」 と言い張るので、自分で受付くらいしろ! と、私はさっさとソファに座った ) 受付 「今日はどうされました?」 父 「えーーー、あーーーーー、えっとですねーーーーー」 受付 「はい?」 説明できず。 受付のお姉さんが、一枚の用紙を差し出す。 受付 「これに一通り書いてください」 問診のような形でした。 酒・タバコはどうとか、ここ最近病気になったことあるか?とか、そんな感じ。 父は、大嘘を書こうとしていたので、そこは私がチェックし、書き直し。 しばらくすると、呼ばれたのだが・・・なんと、私まで呼ばれてしまった。 そこには、ヒゲ先生が。 私が父とどういう関係かを確認した後、ぶわああああああぁぁぁぁぁぁぁぁ~ と、何やら話し始めた。 その先生の話を聞いて、私は おおーー、 なんと、なんと、なんと なんと素晴らしい先生なんだ! と、大変感動をしたのだが、肝心の父は・・・ けしからん! 患者を馬鹿にしている! ・・・と、大変不愉快になったようで。 ( お互い、その場では口に出してないです ) さてさて、そのドクターの言葉ですが・・・・
2006年09月19日
大事な子供を義母さんが育てている?? もの凄く驚いたものの・・・それに関して、深く理由を聞いてよいものか・・・・。 しばし沈黙・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ 彼女の方が先に口を開いた。 彼女 「夜泣きもあるし、昼間もまとめて寝てくれない子だったの」 「すぐに熱を出すし、母乳も戻しちゃうし・・・・」 「洗濯物も、すぐにたまってしまって・・・・」 ・・・・・・どの母親も通る道と言っても、過言ではないような気もする。 どうも、それだけが原因ではないような??? 彼女 「彼はね、何にもしてくれないのよ・・・・・」 「彼はね、義母さんに相談していたみたいなのよ」 私 「は?」 彼女 「あいつ ( 彼女の事 ) 夜もあまり寝てないみたいなんだ。助けてやってくれないか、って」 うんうんうんうん??? 彼女曰く、彼は自分の母親に 「奥さんが育児で大変みたいだから、昼間助けてやってくれないか」 と、頼んだらしいのだ。 確かに昼間は彼は仕事だ。助けてあげる事は無理だろう。 よくよく話を聞いていくと、彼は深夜に帰宅すると、彼女達を起こしてはいけないと思い、そのまま離れた居室に直行していたらしい。 彼女としては、それが不満だったようなのだが、彼は彼なりに考えて、母子の寝室には入らなかったようだ。 まあああああぁぁぁ 彼の考えも聞いていくと、 そんなに嫌な人でもないような 気がするわねーーーーー そしてそして、更に更に、その帰宅の遅い彼は、自分の夕食をどうしていたかと言うと・・・・ ( 母子の寝室は、リビング・ダイニングの横にある和室。食事をしようとすると、どうしても音が出てしまう ) 母子を起こしてはいけないし、深夜に自分の食事だけを温め直させるのもよくないと思い ( 根っからの亭主関白なので、自分で温め直す事はしないらしい ) ・・・・・・・・・・・・・・・彼は 実家で夕食を食べてから、母子の居る家に帰宅していたらしい。 ・・・・・と、彼女は信じていたようなのだが、事実は違ったらしい。 !? あれ・・・? ・・・・温め直す事も自分でしない彼は、当然盛り付けなんぞ ( ご飯を茶碗に盛るとか ) 自分ではしないのであって・・・・・ 出来立てのホヤホヤを、テーブルの上に置いてもらい、当然箸とかも食卓にあるわけで、彼は座って待っているだけしか、しないのであって・・・・・ 義母様は、当然の如く、出来立てを食卓机の上にセットし、坊ちゃまが食べ終わるまで、目の前で待っているのである。 そして、坊ちゃまの食事が終れば、食器を下げ、坊ちゃまを玄関までお見送りするのである。 彼は、満腹・満足で、母子のいるお家に帰って行っていたのである。 驚く無かれ、全て彼の独断の行動かと思いきや・・・・ 全て義母さんの考えだった 何がって? 寝室を別にしろとか、夕食は実家で食べるようにとか。 何でかって? お子さんが (孫) 夜泣きなんぞしてしまったら、自分の大事な大事な息子が、夜、眠れないじゃあないですか。 睡眠不足になって、息子が仕事に集中できないわ! あのお嫁さんが、(彼女の事) 夜中に起きて、大事な大事な息子の食事を、作るはずないわ! 温かい物を食べないと、力が出ないわ! ・・・・・・・・・・・とか、そんなような理由で、義母さんは息子に命令したのであった。 寝室を別々にするように 夕食は実家で摂るように。 そして、坊ちゃまは、それをきちんと守っているのである。
2006年09月07日
皆様、いかがお過ごしでいらっしゃいますか? 長い間、さぼってしまいまして、遊びに来て下さっていた方々、本当に本当にすみません。 「何かあったんかい?」 ええ、ええ、えええ、ええええーーーーーえええええ。 色んな事がありました。 ぶちまけて みたいですが、それは、もちっと、先になるかと。 ゾンビ? 全然、全く、これっぽっちも、関係ないです。 しばらく、皆様の所に遊びに行けないかもしれないです。 もしくは 読み逃げ専門になってしまう可能性大ですが、どうかどうか、お許しくださいませ。 とりあえずは、自分の日記を更新していきたいと思います。
2006年09月05日
ありゃりゃ、サボりにサボってますね・・・・・。 遊びに来てくれていた方、すみません。こんなにサボってしまって。 話が前後してしまいますが、彼女が出産後、一度だけ遊びに行った時ですが 乳児期だったし、初めての育児で疲れているのかな~? くらいにしか思わなかったのだが、少し男 ( 彼女のご主人 ) の愚痴が出た。 その愚痴は、どこの夫婦にでもあるようなものだった。 「育児を手伝ってくれない」 「平日は働いていて疲れているからって、休日はゴロゴロしている」 とか。 私の戸籍上の旦那も、ずっとそんな感じだから、彼女のご主人が特別おかしいとも思わなかった。 自分の気持ちをご主人に話して、少しでも分かってもらえるようにしてはどうか? みたいな事を話したと思う。 話をしていても、会話がかみ合わなかったり、返事が無かったりした時があった。 動作が 「?」 と思えたり。 「寝不足で・・・」 と言っていた。 その日、帰宅後に 「お邪魔しました」 メールを送信すると、返信は来ていた。 でも、その後、ぴたっと無くなったのだ。 てっきり嫌われてしまったと思った。 そんな経緯があったのだが、彼女からのメール連絡で、再会したわけなのだが・・・ ふっくらしていた彼女。 私の行動が 「せっかち」 と表現するなら、彼女の行動は 「のんびり」 だろう。 それが、更に更に更に・・・・・・のんびりになっていた。 彼女からのメールで 「うつ病になったの」 と知ったが、その うつ病 が、どういったものなのか、調べていかなかった。 彼女とは最初視線が合わなかった。 宙を舞っていると言うか・・・・、話をしても、視線が合うことが無い。 会話は繋がっていたので、そのまま話を続けた。 最初はありきたりの話だったのだが・・・・・ 私の方から切り出した。 「ねえ、どうしたの? うつ病・・・って」 彼女 「驚かしちゃった? ごめんね・・・・」 私 「ううん、いいんだけど、どうしたのかなあって。 あ、話したくないなら、聞かないから・・・・・・・・」 彼女 「以前、遊びに来てくれたでしょう? あの時も、もうおかしかったのよ」 私 「え? そうなの?」 話を聞いていくと・・・・ とにかく彼女は寂しかった。 ご主人に構ってもらいたかった。でも、彼は相変わらず変わらなかった。 平日は仕事で朝から晩まで不在。休日は疲れたと言って、ゴロゴロしている。 どこにも連れて行ってくれない。 彼女自身のストレスが、どんどんどんどんどん・・・溜まっていってしまった。 何度も彼に自分の気持ちを話すのだが、彼は聞いているのか聞いていないのか、今ひとつ分からない。 何も変わってくれない彼に対して、彼女はどんどん孤独感を増して行った。 と言うのだ。 彼女のご両親は近所だし、彼女は自分の車も持っていた。 外出できないわけではないのだ。 ただ1人では、子供を連れて、外出する事をしなかっだたけのよう。 彼の仕事は伏せるが、確かに朝早く、帰りは深夜近い時もある。 金銭面ではゆとりがあるようで、何の心配もないらしい。 彼女が働きに行かなくても、十分食べて行けれるし、家のローンも払って、更に貯蓄も出来る。 乳飲み子を預けてまでも、働かなくても大丈夫なのだ。 何で外出しようとしなかったんだろう・・・・? 私 「あの・・・・、外に出かけたりとか、しなかったの?」 彼女 「う・・・ん、時間が無くて・・・」 私 「??」 ?? と思いながらも、ふと辺りを見渡し、子供が居ない事に気がついた。 私 「ねえ、○○ちゃんは?」 彼女 「あああ・・・・・今はいないの」 私 「え?」 彼女 「今はね、義母が育てているの」 私 「えーーーーー!?」 彼女 「私じゃ無理だって」 取り上げられちゃったの?
2006年08月13日
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