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負のエネルギー全開で行こう。この田舎町では移動手段といえば自家用車である。だけど僕には車がない。しかし有難い事に実家の車を借りて走る。車を走らせていると交通法規または常識が変わったのかと思うような状況に遭遇する。だけどおそらく一般人には些細なことなのだろう。まず気になるのは曲がる直前になってあるいはハンドルを切りながらようやくウィンカーを出すというのが当たり前のようになっていること。ひどいのになるとウィンカーを出さないやつもふつーに存在する。車線変更だってそうだ。追い越していった車が突然ウィンカーもださずに目の前に入り込んでくる。極めつけは昨日のことだ。上記のごとく僕の運転する車を追い越して十分な車間距離も取らずに目の前に割り込んできたウンコ。もうどう表現していいのか分らない。“ヤツ”とか“バカ”とかいうのは生ぬるい。“くそガキ”というのも実際に相手がガキだったかわからない。“チンピラ”というのもどうだろう。要するに人間ではないということだ。相手にブレーキをかけさせるような運転をするんじゃない。その人間ではないものが運転している車の後ろに僕はつけることになったわけだが前方の信号が赤になった。人間ではないものの車が止まってその後ろの僕の車も止まった。「こいつも含めて数知れぬアホどもが車を運転している。事故が起こってあたりまえだ」ついでに「オートマなんて車じゃない。おかげで誰でも乗れるようにしてしまったからなおさらマナーもクソもなくなってしまうんじゃ」などとイライラしながら前の車の後ろにピッタリと止まってやった。次の瞬間僕はぶち切れた。なんと前に止まっている車のおそらくカーナビと思われるものにはテレビが映っているではないか。「あー,こういう連中を一匹ずつ殺していけたら気持ちいいだろうな。いや,事故って死ね。こちらの手を汚す価値もないはずなのだ。そう,勝手に死んでくれればいいのに」なぜ僕は交通法規・マナーを守れないやつにイライラするのか?答えは明快である。とばっちりが大嫌いだからである。事故るなら勝手に事故ってくれ。そのかわりひとりで死ね。信号が青に変わった。僕は自分のペースで走り始めた。社会のとばっちりを受けないように。
2007.02.08
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何も書けないのは何も考えなくなったせいでもある。考えることに飽きたともいえる。すでに考え尽くした感がある。でも考え尽くしたなんていったら笑われてしまうだろう。もうとにかく疲れた。うむ疲れたという表現がもっともよく当てはまる。“生活する”苦労と“生きる”苦労の二重苦である。普通の人(というのも乱暴な言い方だが)にとって“生活する”ことと“生きる”ことはほぼ重なっていると考えていい。しかし“生活する”ことと“生きる”ことがばらばらに同時進行している人間も存在する。生活に苦しむ自分と生きることに苦しむ自分。単純計算で普通の人の2倍は精神的に疲労する。普通の人みたいに生活していく中での悩みや苦労だけならどんなに楽だろう。いや生活上の悩み・苦しみだってたいへんなのだ。それに加えて自分の存在の確認であるとかに悩み苦しむのは本当にたいへんだ。ただ疲労するというのではなくて疲れ果てるという感じ。疲弊というのだろうか。この疲弊した感じが全然払拭されずにもう本当に疲れきってしまい無気力・無関心・無感動・etc・・・さまざまな「無」に包まれてゆく。何も楽しくない何もおもしろくない何もおいしくない何も・・・終いには希望なんてものはなくなる。疲れきってしまうと二度と立ち上がれないものなのだろうか?わけのわからない文章。ブログを更新したかっただけ。
2007.02.07
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