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「戦争は止めようと思えば止められるものだという意識 をもっと大切にする必要があります。 今は戦争を避けるより相手に打ち勝つ軍備を整えようという 議論が盛んですが、これは結局、戦争へ向かう発想だと 思います・・・・・・」(日経新聞 シニア記者がつくるこころのページ8月16日 戦争と子供より引用。また、ほか以下に一部引用させて いただいています。)普通に大人として、また一人の人間として発想すれば・・・そうですよね。天災と違って、戦争なんて止めようと思えば止めれますよね!それを止めないで、事を起こすのは100%大人です。当事者にとってはいろいろな理由があって、大きく言うとすれば、軍需産業を支える、っていうこともあるでしょうし、また多くの場合は、大義という名のもとで敵をつくって事を起こします。まぁ、戦争については(かなり重いテーマでもありますので)ここではこれくらいにしておきます。さて、冒頭のこころのページの記事でも言っているのですが、今日本の子供がおかしくなっている、というよりもむしろ、大人がおかしくなっているんですよね。企業利益を追求せんがためにここ数年来特に表面化している(賞味期限延長のような)不祥事。「あいさつもしない大人。 電車内では人をかきわけて蹴落とすように座る。」このような物差しをもった大人を見つつ育つ子供たちはいったい・・・!?目標を達成して、結果を出すことは確かに大切ですが、結果を出さんがために、手段は問わないなんてことは絶対に良いはずがありません。ありえません・・・(結果を出すために)手段を問わない延長上には、もう一昔前の感がある、耐震強度偽装事件のように表面化する企業不祥事、経済効率最優先から生まれた環境汚染、「子どもが子どもを殺す事件」、「幼児虐待」、「年間3万人を超える自殺」科学者の偽論文などなど数えだしたらキリがないほど、ですよね。ところで、自然の中には厳しい弱肉強食(これも人間寄りの傲慢な発想かも・・・)があると言われていますが、この弱肉強食も、別にライオンがウサギを全滅するまで喰い尽すわけではない、です。ウサギもいて、ライオンもいて、大きく見ると共存しているんですね。そして、別にライオンはウサギを言うとおりにしようというわけでもなく、自然の妙なるバランスの元での、あくまでも生存本能です。つまり、多様なものの共存の中に、普遍的な自然の本質があるように思うんです。こうして観ると、(軍事)競争して相手がつぶれるまで戦争する、あるいは、(たとえば)力づくで自国のエゴを押し付けるという発想そのものが、人間ってバランス悪いなぁ、って思わせちゃいますよね。それはさておき、今日のトピックのメインのキーワードである競争は、(日本では)やっぱり明治以降の西欧化の流れで盛んになってきたものと思います。元々は、仏教から神道まで様々な宗教を包み込み、世界的にも異例とも言える、寛容な精神を自然に培ってきた日本人です。いつもお話するように、別に昔に帰れ!ということでは決してありませんが、今一度日本人の原点や歴史ということに視点を移して、私たち一人一人が競争とは違ったパラダイムを早急に、かつじっくりと創造する必要あり、とインスパイア大澤は考えるわけです。そう、まだまだ形にはできていませんが、「カラダを整えて、良きカラダで行動する」プロセスは、競争とは全く異なるパラダイムに転換することができる可能性に満ち満ちています。なにしろ、カラダは一人一人全く異なりますので、競争するよりもその多様性を尊重する方が向いてるんですよね。ライオンもウサギも尊いんです。が、しかし、現代に生きる私たちは頭で考えて、自他を分離して、すぐに競争しちゃうんですけれどね。電車の席取り競争や、賞味期限を偽ってまでやっちゃう販売競争あるいは企業生き残り競争を、ネ・・・でもそろそろ違った次元の志向が必要になってきてますよね。どう見ても・・・このブログでは、そんな競争とは異なるパラダイムの一端を、私の実地研究の現在進行形を合わせて、少しずつ落書きしている次第なのです♪長くなりました。今日もここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。あなたとの濃い(かもしれない、笑)御縁に心より感謝します。
2007.08.21
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先日、8月2日、日経新聞の【文字こそ文化-言葉は精神の食べ物-】というコラムで、次のようなフレーズが眼に入りました。(※一部記事より引用させていただいています。)「文字を書くという行為はかつて、 身体感覚を伴う行為であった。 が、活字になった書物を読み、 ワープロをたたいて文字を書くようになって、 言葉は肉体を失い、浮遊しはじめた。」うーーん。この約十年ほど、私インスパイア大澤も言葉とカラダということをテーマに、様々な角度から独自の研究を続けているんです。そして、今言葉とカラダの相関性ということが、実地にビックリするような結果を伴って、分かってきた、次第なのですが・・・上記の短いフレーズにはビンビンと響いたんですね。そう、パソコンで文字を打つのも確かに身体行為は伴っているのですが、そこには失われているものがあるんですよね。そして、「放言、失言、虚言、誤字、誤読を 恥と思わなくなった -現在の問題は言葉の軽視にある。 言葉は精神の食べ物。 言葉は人を生かしもし殺しもします。 ところが人間の言葉はまだまだ未熟です。 国や宗教や言葉が違う程度で いがみ合い戦争を始めるレベル ・・・・・・」今現在の、国内の政治状況も、そうなのかもしれませんね。つまり、言葉が虚しく浮遊しちゃている・・・。言葉が肉体を失うとは、インスパイア流に解釈すれば、言葉がカラダ感覚を失い、行動に繋がらない、ということですね。携帯やパソコンのメールは大量にやりとりされていますが、そこには何かが欠けている。そして、スパムメールはこれもまた大量に浮遊している。うーん、いろいろ考えさせられますよね~。あ、そうそう、このコラムは残念ながらほとんどパソコンオンリーで書いていますが、私はたくさんのコラムを書くなかで、やっぱり手書き原稿ってやつもかなり活用しています。実際にペンで紙に原稿を書くと、パソコンで打ち込むのとは異なったカラダ感覚があるんですね。誤字脱字にも意識が行きますし、ネ。パソコンや携帯の場合、誤字脱字もご愛敬みたいに笑い飛ばすのとは、大違いです。今一度、この手書きとワープロ打ちの違いをじっくり感じてみるなんていうのをここではお勧めしておきましょう。とりわけ、筆ペンなんかで文字を書く場合なんかは、文字を形づくる、という意味だけでも、とてもじゃないがパソコンではできんな!なんて感じを持つかもしれませんよ。まぁ、いずれにしても今流れている流れとはちょっと違うことをしてみる、っていうことはとてもおすすめです♪また、たまには手書きのはがきを書いてみる、っていうのもいいかも、ですね。最後まで読んでいただき、ありがとうございます。毎日暑いですが、良きお盆休みを・・・そして、あなたの素敵なカラダ感覚が、お休みを充実させ、休み明けの大パワーアップにつながりますように・・・
2007.08.13
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健康とか、健康づくりというものは、それが目的ではなく、あくまでも良き人生、良き時間をおくるための、前提条件であり、手段ですよね!言い換えると、人生を全うするための一つの大切な手段が健康、とも言えるでしょう。だから、昨今の、星の数ほどもある、健康食品、健康グッズ、スポーツクラブを始めとした健康関連用品や健康関連サービスの利用についても、前提や手段を高めるためのものであることを忘れないようにしたいもの、ですね。そして、確実に言えることは、私たちは必ず死にます!ということは、より良く死ぬために、健康ということが大切になってくるとも言えます。なぜこんなことを書いているか、と言いますと、ともすれば、現代社会に溢れた情報に、私たちは振り回されすぎ、という傾向が強いからです。私たちの健康についての情報は他ならぬ私たちのカラダの中にあるのであって、外(周囲)からの様々な情報は、まずカラダの(中の)感受性を上げてからでないとなかなか上手には活用できない、というのが実態ではないか、と思うんですね。というのも、自分のカラダに全然合ってないのに、場合によってはカラダが明らかに嫌がっているのに、ある習慣を続けたり、間違った仕事の目標設定をしたり、合わないお付き合いを無理に続けたり・・・と、カラダの声を無視したことを、結果として続けちゃうんです。でも、カラダは分かっているんですね。自分に合わない目標も、合わない習慣も何もかも・・・あ、そうそう、私が意味しているカラダは、いわゆる身体とか体ではないんです。敢えて言うと、このブログでは心身、つまり心も一体化したカラダのことを【カラダ】と表現しています。このカラダの感受性を上げると、当然、身体の健康も、いわゆる気持ちや心持も合わせてカラダ全体の健康度を上げることができるわけですね。そして、カラダに合わないことは、自ら体感して、変化して行こう、変えていこうということになるわけです。もちろん、かく言う私も数十年の生活習慣の中、ホントに最近のことなんですよ。カラダの感受性ということを実感しながら生活し始めたのは・・・それ以前、赤ちゃんや子供の時以外はかなりたくさんの情報に翻弄され、結果としてはかなりカラダに合わないことをしてきた、と思います。その一つ一つは決して無駄で不要だった、というものでは必ずしもないですが、決して素直で自然な生き方と言えるものではありませんでした。またまた長くなりましたので端折ります。こうして、感受性の高いカラダは、オープンでエネルギッシュなカラダ、胸がぐいーーっと開いた息(呼吸)が通るカラダを作り、日常の仕事から、遊びまで全身全霊で楽しめるようになるんですね。私インスパイア大澤も、あくまで現在進行形の中の、その1プロセスを楽しんでいる次第です。このブログで御縁のあるあなたもあなたのカラダに合った素敵なプロセスをともに楽しめることをお祈りしつつ・・・♪ここまでお付き合いいただいたことに心より感謝いたします!
2007.08.02
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