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(自我)意識を抑え、無意識レベルの良きものを引き出すためにはどうすればいいのか?(私が意味する)この場合の意識とは敢えて善悪で言うと悪者なんです。ついつい調子に乗ったり、自分の都合の良いようにだけとらえがちな部分を意味しています。(これが本当は都合が悪かったりするのですが…)例えば、何か目標としていたようなことが出来ると飛び上がって喜び、逆に出来ないと、大きく落ち込む。このようなことは日常茶飯事だと思うのですが、意識はこの一喜一憂に輪をかけているように最近特に感じているんです。(そして 例えばスポーツの試合でうまく実力が発揮できない などのように、どうも成果にも大きく響いている。)それはつまり、ちょっと出来ただけで喜び過ぎ、ちょっと出来ないだけで落胆し過ぎという方向に…。もちろん、この喜んだり落胆したりというのは善悪ではないのです。が、より大きな成果なり、目標なりを達成するためには、カラダが本来的に持っているらしい無意識の力・感覚を活用しない手はない!というのが最近の私自身の実践研究で痛感している部分です。で、この無意識の力は、何かが出来る場合には、その心地よさをより深く味わわせてくれて、何かができない場合にもそれは違うよ!という感覚をこれまた味わわせてくれるんです。で、こうしたらどうかな!という方向をまた新たに作っていくということもできます。この(無意識の)力は、自分と同等のカラダ感覚をもった第三者が客観的に力を貸してくれているというようなものであります。そう、第三者的なので、この(無意識の)プロセスはかなり淡々とした感じで、意識のように舞い上がったり、落ち込んだりというかなり浮ついた感じはなく、どっしりと地に足が着いたというように表現できるような感覚なんですね。で、そうするとこの無意識レベルの良き、淡々として流れに乗れる感覚を常日頃、日常の中で必要な時に引き出せるようにするにはどうすればいいのか。という疑問が出てくるわけなんですが…さて何が必要なのか…ということついて、(眼に見えない領域のため、底は極めて深いものの…)最近少しだけわかってきたことがあるんです。それは何か、といいますと、インプットの質が大切だということ。どうも無意識の領域というのは、本質的なレベルを大量に含んでいるように思えるんです。泥沼からすくった水でいうとすればその上澄みに相当する部分という感じが…(誤解を恐れずに言うとすれば)なので、私たちがそこにアクセスして日常に活かしていくためには、その上澄みに近い性質のものをたくさん入れていって、あふれさせる、あるいは共鳴させる必要があるように感じている次第です。これがインプットの質を上げる、ということの一例です。そして、インプットする具体的中身の一例ですが、【心地の良い感覚】例えば、カラダにしみ渡るような風、高原で味わうような清涼な香り、雄大で広い光景、動きとともに変化し、活き活きとする視野、草や木、川の匂い、そしてそこから生まれる音などなどなど…。これは実は私が今、家の近所のある土手で行っているウォーキングで得ているカラダ感覚!に過ぎないのですが、上記のような心地よい感覚が足の裏の体反射とともに(ウォーキングで)得られて、日常動作・感覚はもとより、速読なんかにも物凄く大きな変化を与えているんです。意識的に得ようとしてもなかなか得られなかった変化を……。通常、意識的な事は並列動作ができないが、無意識レベルになると並列操作可能といわれますが、上記のような五感に基づいたカラダ感覚はまさに並列処理が可能なので、カラダの深い部分が動く(共鳴する)のでしょうか。理由は定かではありませんが、ある種のかなり大きな変化が得られるのは、どうやら確実のようです。昨今、心理学や脳科学などにおいて無意識と意識について理論的にはいろいろ出てきているようではあります。これはこれでとても先々楽しみなのですが、私の場合は、自分のカラダプラスαで実地に研究していった結果が無意識レベルへのインプットの質を上げる(変える)とどうも無意識レベルの深いレベルが活性化して、思いもよらなかったような成果が生まれてくる!ということなんですね。あ、っと、今日のも極めて感覚的でわかりにくいですね。ごめんなさいね。多分に私に今起こっていことを言語化しているという要素が大なので、ホント分かりにくいと思います。(やっぱり言語化しておかないと、 後々お役立ちに使えないので…)まぁ、いずれにしても古来、私たちは自然と共存して、また自然に畏敬の念を持ちながら生活をしてきました。その伝統の中には、現代人がまだまだ気づいていない叡智とも言える智慧の数々が眠っているのかも知れないということも言えるのかも知れません!これすなわち、インプットの質を変え、無意識の力を引き出すためには、この自然の叡智を見直していくことがとても有効かもしれないということになりますね。今日もややこしいお話に(笑)ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。あなたが自然から頂ける素敵なカラダ感覚を日常にオンして、古来の智慧をたくさん享受できることをイメージしつつ…♪
2008.06.27
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世の中は、いろいろなメソッド、手法と呼ばれるものに満ち溢れていますよね!とりわけ、昨今では心理学とか、認知科学、脳科学などなどを土台としたより良くコミュニケーションするためのメソッドなんかが多く見られるように思います。私たちは、より良く生きるため、あるいは、今と違った生き方を得るため、などなどを目指して、そのようなメソッドの類を勉強したりします。まぁ、最近では珍しくもなんともないこと、ですね。で、そのメソッドを勉強して、習熟するとそのメソッドがいうような凄い効果なり、能力が付くかというと、まぁ、これもなかなかそうはいかないことははい、私もたくさん経験済みです(笑)。もちろん、目的に応じてそれなりにうまくいって身に付くものがないわけではないですが、多くのメソッドは、本当にそんなにすごい効果があるの?って当初期待した何分の一しか結果が得られない感じがする、という経験を多くの人にさせてくれますよね(笑)。なぜこのようなギャップが起こるのか?あなたはどう思います?1.メソッドそのものに力がないのか…2.自分の取り組み方に問題があるのか・・・?単純に大きく分けるとこの2点が考えられます。1.の可能性は意外と高いのかもしれません。というのも、主として頭で考えられた理論が、周りの人々との関係性の中では知に偏りすぎて私たちの身に付いていかない、ということがあると思うんです。一言で言ってしまえば、「理屈っぽ過ぎ」ってやつですね。もちろん、世の中には本当に優れた、本質に向かうメソッドもたくさんあるとは思うのですが…、現実問題としては、それを扱う人間、あるいは人間関係という場の中でうまく消化しきれないというのが実態のようです。そこで2です。問題は自分にあるのではないか?そのメソッドを扱えない原因の一つは自分ではないか!っていうことです。最近私自身が感じ、痛感しているのはこの観点なのです。ところで、話は一見、少し飛びますが、人間の情報処理能力に目を向けてみましょう!私たちは目、鼻、耳や皮膚などの感覚器官から得る情報量は毎秒1100万ビット。その情報を意識が処理できる量は毎秒わずかに40ビットという実験結果があるんです。参考文献はコチラです。↓ ↓ ↓ユーザーイリュージョンこれはつまり、五感を中心とした感覚器官が捉えているだろう情報は、意識できる情報量のおよそ27万5000倍もある!というお話になるんですよね。とてつもなく大きな情報処理力の差が、私たちの感覚と意識の間にある、というわけなんですね。さて、私たちは通常、何かを意識してその後行動に移る、と普通は考えます。ところが、意に反して、【脳は行動を実行し始めてから0.5秒後に その行動の意図を意識する】このような実験検証結果があるんです。ということは、例えば、指を曲げるような動作をする際、指が先に動き出して、意識はその一瞬後つまりゼロコンマ5秒後に、その動かした指の意図を知る、ということになります。にも関わらず、意識は自ら身体に行動するように指示した!という錯覚・誤解をしている、というお話なんですね。これは、例えば、ブーンとうなりを上げて急に近くに来た蜂を避ける時、なんていうのをイメージするとわかりやすいかもしれません。(自らの)意識は、ここにこのままの姿勢でいたら危険!と、カラダを動かした、と思っていますが、実は、カラダはそういう意識する以前に、蜂の気配や羽音などなどの感覚情報をもとに勝手に動いて、その一瞬あとに、【あ、カラダが蜂を避けたんだ!】っていう端的な事実だけに気づくはず、なんです。ところが、意識のほうはその後、この距離・角度では避けがたかったから、こういう距離をとりながら、約○メートル避けたんだ!とばかりに、いろいろ勝手に解釈したり、判断したがります。あ、これはちょっとわかりにくいかな・・・!?では、野球のバッティングではどうだ・・・?ピッチャーが投げてきたボールに対して、カラダは視覚をベースとした感覚器官を最大限に駆使して、バットを振りますよね。そしてその0.5秒後に意識は、【あ、空振りだ!】【振り遅れた】【バットの角度が悪かった…!】なんて判断を勝手に下すんですね。が、が、が、・・・実はこの意識できる情報量は感覚情報のわずか27万5千分の1ですから、空振りは事実だとしても、この【バットの角度云々…】なんて意識している部分はまったくの見当違いの可能性が大あり、っていうことにもなるんです。なにしろ、情報処理できる量が(意識は)極端に小さいわけですから・・・。つまり、五感を中心とした感覚器官が捉えている情報を、できうる限り素直に受け取って行動すれば非常に精度の高い行動になるのに、ワンテンポ遅れて起こる情報処理能力の低い意識というものの介在によって、ねつ造された、あるいは見当違いの判断を下される可能性高し、ということになりますよね。それで話は戻りますが、そう、先人が考え出した素晴らしいメソッドや手法を私たちがうまく扱えない、あるいは扱いきれない原因の一つはこの意識のねつ造によるものが多いのでは、ってインスパイア大澤は思うわけなんです。逆に言うとすれば、感覚器官が捉えた情報をできうる限りそのまま受け取り、それをもとに行動できれば、先人が残した素晴らしい遺産をより受け取りやすくなるメソッドや手法そのものに本当に力があれば、たくさん受け取れる可能性が大いに上がるのでは、と思うのです。反対に情報処理能力の低い頭で捏造した意識では、受け取れるものも受け取れない。今、私はあまり意識しては書いていないつもりなのですが(笑)それはさておき、【頭で意識的に考えるよりも、体感を大切にしていきたい】、という私自身の思いや実際の行動は、どうやら上記のようなことからきている様なんですね。あーっと…、とても長くなってしまいました。意識は自分の都合の良いように、あるいは自分の意識できる小さな範疇で考えますので、もっともっと(情報処理量が圧倒的に多い)体感・カラダ感覚を大切にしていけば、先人の残した遺産をたくさん受け取れるのでは…!?なんていうお話をしてみました。私たちがたくさんの遺産を受け取り、次の世代へも繋いでいけることを心より祈りつつ…♪
2008.05.16
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世の中で定説となっていることも実は(私たちが)定説と思っているだけで、現代の時代背景の中でのみ定説であることがとても多いですよね。ここでは具体的にあげません(あり過ぎるので)が、本当に山ほどあります。で、実は仮説を定説と思いこんでいるに過ぎないことが結構多いんです。だから、そんなの常識じゃん!っていうことも、ん? 本当にそれって常識?と、再確認というか、一から考え直す発想は常に大切だとインスパイア大澤は思うわけなんです。例えば、現在もまだまだ自己啓発ブームは、手を変え、品を変えて続いていますよね!【自分を変え、人生を変えるべし】【今のままではダメ!変わらないと・・・】なんていうようなスローガンのもとに・・・。多くの人は、自分を変えるべし!に特に疑問を持つこともなく、自己啓発プログラムを受講します。(はい、私もたくさん受講しました。笑)さて、ところで、自己啓発プログラムの延長線上にあると思われる潜在能力開発とか速読などのいわゆる脳機能の能力開発は果たして脳(頭)を鍛えればいいのか?あるいは何か特別なメソッドやツールがあって、そのメソッドやツールさえあれば万能なのか・・・?っていうことなんですね。脳を鍛えるんだから、そりゃ脳を鍛え開発しなきゃ!っていうことで、例えば計算したりとか、物を覚える訓練をしたり・・・等々積極的に頭を使って鍛える!あるいは、何何式のメソッド・ツールを使って、演習を繰り返し、やはり右脳に働きかけてトレーニングする!とか・・・また、もう少し発想を変えて、リラックスのための深呼吸とか、アルファー波、シーター波を発生させてなどなどっていうのがまぁ、普通で、現代の定説にあたるのでしょう。でまた、きっと一定レベルの効果もあるのだと思います。が、が、が・・・しかし、私が最近実体験している範疇では、生物の進化プロセスも鑑みながら、今まで使ってこなかった【カラダの構造上、このように使うべし】と読み取れる本来のカラダの使い方(これ仮説ですね)を掘り起こしていくと、劇的に速読能力がついたり、微細なカラダ感覚が出てきたりとか、聴覚がビックリするほど変化したり・・・・・・と、その入口は頭を鍛えるというよりも人間のカラダを見つめ、その本来設計されたであろう(これも仮説ですね!)カラダの使い方を掘り起こすとビックリするほどの深い体験をする方が実際にたくさんおられるわけなんです。(頭もカラダの一部なんで、 決して眼の敵というわけでもないのですが、 部分的分析志向ではなく、 (カラダ)全体統合志向 とも言うべき意味合いを指します。)つまり、カラダの使い方を変えて、全体統合的カラダ感覚に着目していくと多くの人が眠っていた潜在能力をググーーッと呼び起こし、(表面的なものではない)本質的な変化を実体験していくのかも知れない!別にメソッドやツールを使用したり、脳のトレーニングをしたり・・・などなどしなくとも・・・というのが昨今の私を取り巻いている状況というわけなんです。そう、これもあくまでも仮説の世界であることは逃れ得ません。でも、別に仮説でいいんです。(実際世の中はよくよく観ると、仮説だらけですから・・・)現代社会は科学的という名のもとに、確実なものを求めて、失敗しないでやろう!という風潮がちょっと強過ぎだと思うんですね。確実なものなんていうのはそうそうなく、世の中のすべての存在は変化のプロセスにあるにも関わらず・・・。少し前にもお話したように、人間のカラダの外観も中も、一時として同じ状態はないです。昨日の私と今日の私では物質的に見ればかなり違うはずですし、ましてや一年前の私と今の私ではまさに別人です。(笑)そして当然、自然を中心とした外界も一日たりと変わらない日はありませんよね。つまり、とりわけ変化を追い求めなくとも、私たちは常に変化の真っただ中にいるんですね。そんな常なる変化を受け入れ、流れを感じ、ある時はふわっと、またある時はグッと方向転換しながら、流れに乗っかっていく。決して世の中の常識(定説)と呼ばれるもの・事に捉われ過ぎることなく、自らの力、そして師と呼べる人・あるいは良き書物・良き仲間等々とも繋がりながら・・・。こんなことが大切なのではないかとインスパイア大澤は最近感じています。そしてその変化のプロセスをまた次世代に丸ごとつないで行けばいい!たとえどんな小さな変化のプロセスでも・・・イヤー、すみません。ちょっと(いやかなり)分かりにくい内容になったかもしれませんが、大切な観点に触れてみました。あくまでも体感・カラダ感覚を大切にしている結果のお話だということを予めご承知おきくだされば幸いです。ということで今日もここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。私たちが変化のプロセスを存分に楽しみ、充実した、プロセスのバトンタッチをまた楽しめることを心よりお祈りしつつ・・・♪
2008.04.21
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私たちのカラダが持っている自然の力って本当にすごいなぁーーっっていうのが最近の偽らざる実感です。カラダがもともと持っているポテンシャルは私たちが想像する以上にとてつもなく大きく、カラダの奥深い自然にアクセスして常日頃からその深い自然領域を磨き上げると、カラダは信じられないほど深く柔らかく、心地よい変化(あー、言語化ができない!苦笑)を誰でも(個々の感性の幅に沿って)経験していくようです。そして、その信じられないカラダから生れ出る行動は・・・その力は・・・!?まぁ、これは私インスパイア大澤の外観を含めた雰囲気の変化を観るのが早いのですが・・・(でもベースは変わらないのでアレなんですが・・・笑)それはさておき、私自身がカラダ磨きのプロセスとして行っているのは、現在、少し前に書いた歩行を丁寧に行うだけです。(ただし、 いわゆる一般にイメージするウォーキングとは全く異なります。)もちろん、そのプロセスの中には、それ以前から取り組んでいた氣のライン等々のカラダ内部(深部)への投げ込みがしっかり根付いているのですが、この歩行は、丁寧に行えば行うほど反対に、これまでいかにええかげんな(良い加減ではない!)歩き方をしていたのかがよくわかるんですね。我ながら・・・それは例えば、生物が進化のプロセスで得てきたであろうはずの捻じる動きが抜け落ちたというか、かなり小さくなっていたり、(骨盤を)締めるべきところがこれまた弱かったり・・・・・・と、まぁおそらく、逆に、歩むということを本来与えられた深い自然法則にそって文字通り出来ている人はほとんど皆無ではないか、と昨今の私自身の実習プロセスで感じている次第です。そういえば、武術なんかでも歩法を何十年と修業していくのにはやっぱり訳があるんですね。(武術の)歩法も含めて、歩行には人間の、自然の本質的な何かが隠されていたとしても不思議ではないのかもしれません・・・。と・・・前置きが長くなりました。そう、速読ですよね(笑)!さて、ズバリ言っちゃうとすれば上記のように歩行を深めていくと、歩けば歩くほどにカラダが本来の自然な力を掘り出して、カラダが整い、快適になります。同様にどうやらカラダの自然に深くアクセスしながら速読訓練をすると、やはり本を読めば読むほどに眼が楽になり、カラダが整っちゃうんです。もう付いていけない、ですよね(笑)。ここまで来ると・・・(はい、自分でも信じられない部分が多々あるのですよ。)しかしどうやら私インスパイア大澤も既にその入口に立っており、今最低でも一日5冊(再読、多読含めて平均1冊10分程度)は読みますが、眼は以前のようには疲れないんです。それどころか、本を読めば読むほど眼は快適にさえなっちゃいます。以前よりも明らかに大量に文字を読んでいるのに・・・です。(というか意味を認識しているのに・・・と言った方が 正確かな・・・!?)で、当然PCの文字も早くたくさん読めちゃいますので、PCの作業における処理時間も半減しちゃっているんです。数年前に何十万か出して速読の勉強をした時には出来ているつもりになって(笑)いましたが、イヤ、今から考えると明らかにできていませんでした。どこが一番できていなかったかと言いますと、カラダの(眼の)使い方だったんです。左脳(言語脳)とつながりの深い右眼が利き目だったため、大きくロスをし、(普通に読むには良いのですが・・・)しかも広い視界を持つ左眼、凝視するのに適した右眼という(一般的には常識とされていませんが・・・)眼の役割分担の中で右眼で凝視する方に偏り、眼を疲れさせていた、というのが実態だったようです。細かくいうと他にもいろいろ観点があるのですが、ここでは端折っています。ともかくこうしてカラダの(眼の)使い方を変えるだけで速読のスピードや理解力が飛躍的に高くなり、おまけに精彩度アップなど、色彩感覚にも良き影響を及ぼし、(感覚的なものなのでやはり言語化は難しい、ですが・・・)文字をたくさん読んで本来なら疲れるはずがむしろカラダが整って、心地よさを伴いながら日常が過ごせる!ということに御注目いただければ、と思います。いずれにしましてもカラダにはまだまだ使いきれていない深く潜在している能力が隠されており、その深い部分にアクセスしてアクセス領域を増やして行けば、その潜在した能力は表に出していけるようなのです。そしてその力を活用してちょっとでも世の中のお役立ちにつなげることが出来れば、というのが今私の願いでもあります。ともあれ、人間、そして自然の力って本当に凄い、と思います。今日もここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。あなたのカラダの深自然が引き出され、素敵な力が生れ出てくることを心よりお祈りしつつ・・・
2008.03.28
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カラダは刻一刻と変化していますよね!例えば、さっきまで自分(の一部)だったはずの排泄物(ちょっとお下劣かもしれませんが大切なお話なので・・・笑)が、外に出てしまうとちょっと嫌われ者となります。それで外に出た途端に、まるで自分とは皆目関係ないような関係に(ちょっとややこしい?笑)なってしまいます、ネ!また、カラダの中に眼を移すと、数百種類100兆個もの腸内細菌だとか、その他様々な微生物が私たちが直接自覚することなく住んでいます。そして、カラダの中でもそうした微生物が内臓諸器官と色々な関係を持ちつつ、カラダ全体としてバランスを維持しながら、日々変化しています。そのほか、皮膚も骨も髪の毛も・・・・・・刻々と変化をしていきます。こう考えると、人間っていうのは、あ、まぁ動物も自然も植物も鉱物も、時の経過の中で、全く同じ状態ということはまずあり得ない、ですよね!自然、四季の移り変わりと同様に、私たちのカラダは常に変化をしているわけです。とすれば、現在の私っていうのは、ある意味過去の生物・人間とは違った生物になっている。こんなことも言えちゃいます。ならば、(以前にも書きましたが、ここ、カラダが良き変化を持つためにはとても大切なのです。)過去の自分というものにことさらこだわったり、過去の失敗を現在に持ち越したりするのは馬鹿らしい話、ということも言えます。一刻一刻、一瞬一瞬に変化している私たちであるならば、その生物としてのカラダの変化を味わいながら、今の一瞬一瞬を一所懸命生きるのが理に適っていますよね!なーーんて、インスパイア大澤はやっぱり思っちゃうんです。ところで、先ほどの微生物とか排泄物のお話ではないですが、言うまでもなく、私たちって一人で生きているようで、実は(家族とか身近な人たちを除いても)様々な人・生物・物との関係性の中で生きています。そのことをよくよく考えると、「あなたと私」っていう境界線を引いて、あなたが間違っていて私は正しい、なーーんて私たちはついつい思っちゃいますが、それも浅はかな場合が極めて多いのでは、って思うんですよね。まぁ、現実にはそうも言ってられない場合も多い、とは思いますが(笑)、実際には、現代社会において、【あなたと私】という分離思考が社会を住みにくくしている部分が多々あり、だと、多くの思慮深い人々はすでに感じ始めておられるのではないでしょうか。世界に眼を移すと、未だに途切れず起こっている各地の紛争。こういった紛争も、やっぱり【あなたと私】を分けていることが関係していますよね。少なくとも・・・話変わって、今世間を騒がしている冷凍ギョウザ問題。まぁ、真相は不明ながら、関与した何者かはやはり【あなたと私】つまり、私には(薬剤は)×だけどあなたのことは知らない!みたいなことがあるのでは、と勝手に推察します。そして、昨今では御近所付き合いも一昔前とは違います。そう、隣近所の助け合いとか気遣いなんていうことも希薄になり、面倒になり、ここでも【あなたと私】は別だから、めんどくさいやり取りは止めてお互いに干渉しないでおきましょうね!というのが普通、ですよね。しかーーし、そろそろ私たちも気付くだけでなくて、行動を変えるべき時かもしれません。共存共栄を維持して、より良い調和に導いてくれているカラダ様を見習って、ネ♪今日もここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。あなたの生活が周りの多くの人たちとの共感に満ち満ちて、さらに充実した日々を楽しめるようお祈りしつつ・・・♪
2008.03.14
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普段、私たちは特に歩くことを意識せずに行います。まず左足を出して、次に右足を、また左足、カラダを捻じって・・・・・・なんていうことを一つ一つじっと考えながら歩いている人はまずおられませんよね!(笑)現実にはまぁそうだと思うんですが、それでも敢えてここで、歩行の自然な流れに注意深くアクセスしてみると、歩行のプロセスの中には、人間の基本的なカラダの使い方のエッセンスというかパターンが全部入っているんです。(普通ほとんど意識することはない、ことですが・・・・・・)まず左骨盤を締めて、右足を前に出す、すーっと上に伸びる、左足をふわーっと斜め前に移動、そして右腰を捻じって・・・・・・という風に。つまりよくよく観ていくと、歩行の中には、締める(開く)、前に出る(後ろに退く)、上に伸びる(下に降りる)、(ななめ)横移動、捻じる(後ろ歩行を入れるとカッコ内のように逆の動作も入ります。 まぁ、後向きに歩くことは普段ほとんどしないですよね・・・笑)っていう人間として極めて基本的な動作、カラダ使いのパターンがしっかり入っているんですね。だからこそ、そういう基本的なエッセンスが詰まった歩行~ウォーキングなどと呼ばれて幅広い年齢層に親しまれたりもしていますが~は、きっちりと丁寧に行えば、カラダは自然の流れに乗っかるように整っていくはず、なんです。はずと言ったのは、私インスパイア大澤が常々(自分に言い聞かせように、笑)お話しているように【丁寧に行えば・・・】というのが大切なポイントになるんですよね。そう、雑な歩行では、カラダは自然でスムーズな流れをうまく作れないんですね。(でも残念ながら巷で流行っているウォーキングのやり方は その大半が厳しいですね。)例えば、骨盤を締めるところで締めないで歩くと、前に出る推進力は小さくなります。また、捻じるべきところでねじらないと、骨盤を締める力が出てきません。つまり、丁寧な一つ一つの動作は、役割分担しており、流れているんですね。一つ一つが強く自己主張するかのように独立したものではなくて・・・・・・。お互いが生かしあう関係性の中で、協力し合っているとでも言いましょうか。また、詳細は端折りますが、カラダの左右には役割分担があって、主として左側は左右・開閉の動き、右側は前後上下の動きをベースにしていて、そのようなカラダの左右の役割を踏まえながら、歩行のプロセスは流れています。したがって、歩行の一つ一つの動きをあらためて丁寧にひも解き、少し意識しなおすことで、歩行のプロセスはより高度なものとなり、その精度が著しく上がる可能性があるんです。そうすると、下手に筋力トレーニングやストレッチングなどでカラダに大きな負荷をかけるよりも、より自然の流れに沿ったしなやかなカラダづくりに繋がる。そうです、特別に運動をしなくとも、普段の歩行(日常の移動など)だけでも適度な運動量と質によって、しなやかで快適なカラダが出来上がる!と。とまぁ、例によって文章にしてしまうと、またまた体感が表現できないで、ホント分かりズラくて申し訳ないです(苦笑)。とにもかくにも、歩行は、日常生活のパフォーマンスを大きく変えてしまう可能性を秘めている、ということに一つ注目していただければ、と思うわけなのです。あ、そうそう、上記に少しだけ触れましたが、前進だけではなく、後退、つまり後ろ歩行にも、どうやらカラダのプロセスを整え、パフォーマンスを変え得る、何かエッセンスのようなものが詰まっているようです。この後ろ歩行に関しては、私インスパイア大澤今いろいろ実験・実習中なわけなんですが・・・・・・。ともあれ、時には日常の歩行というものに着目してみてください!(特別にウォーキングなどと構える必要もありましぇーん。)そこには、人類が(原初的な生物から)5億年かけて進化してきた何かエッセンス、本質的なものが隠されている、やもしれませんから・・・(イヤイヤ、隠されているんですヨ。笑)今日もここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。あなたが日常の歩行の精度アップにより、驚くほど軽快さを増し、行動力が倍増して毎日を楽しめることを心より願いつつ・・・・・・。
2008.03.01
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様々な個性がある中で、その個々のカラダの素質に沿ってカラダを整えていくと本当に心地よくなってきます。それは何とも言葉では表現できない心地よさ、なんですね。パソコンに向かって仕事していても、車とかお風呂の掃除(笑)をしていても食事をしていても、電車に乗っていても、街を歩いていても本を読んでいても・・・・・・・・・・・・・もうホント、何をしていても(カラダが)気持ち良く、軽快なわけです。がしかし、(いつもお伝えしていることですが・・・)心地よさとか気持ちよさっていうのは、客観的指標では表わせませんので(このブログを読んでくださる)あなたにその感覚・体感を直接お伝えできないのがとても残念・・・。で、その心地よさですが、いわゆる筋力トレーニングをやって鍛えた時のカラダの軽さとは全く異なります。何を隠そう、私インスパイア大澤、実はかなり体育会系のキャラですので、上記のような幸せな体感を得る以前は、ジョギング・腹筋・背筋・ウェイトトレーニング、そしてスクワットなどなど大好き人間でした。あの継続的に鍛え続けた後の軽快感・爽快感、そして充実感があったものですから・・・このように、筋力トレーニングは確かにある程度継続していくと極めていい感じなのですが、例えば仕事が忙しくってしばらく継続できなくなったりすると、たちまち、「プシューッ」って、風船を針でつついたように、筋肉がしぼんでしまったような体感、そう、カラダが重く感じたり、だるい感じになったりするんですよね。(こういう体験って結構たくさんの方がお持ちでは・・・?)まぁ、私自身、そういう(筋力トレーニングによる)アップダウンを繰り返したり、あるいは、極限までカラダを鍛え上げておられる、一流と言われる著名スポーツ選手たちの意外と不健康なカラダ、または悲しい死などを実際に眼に耳にして、私自身は筋力トレーニング、西洋流に筋肉を鍛え上げるという発想は、見切らざるを得なくなった次第なのです。じゃあどうする?その流れは、今から2年半ほど前に御縁をいただいたヨガの師匠のもとではじまりました。筋肉に着目するのでなくて、骨格をベースにしてカラダ全体が繋がる方向性を実習したんです。その結果、日々心地よくアクティブになり、今なお進化し続けるカラダ感覚を得るに至りました。(ホントにこの間言語化できないほどカラダが変わったんですよ。)そのプロセスで分かったのは、とりわけ日常生活を軽快に過ごすには、鍛え上げた筋肉は不要で、むしろ過剰装備になり、かえって非合理的なのかも、と感じるようになったんですね。部分的な筋肉を鍛えても、なかなか全身がうまく協力できるようにはならない、ですしネ!そう、カラダは強くなった筋肉に頼っていきますから・・・そういう意味でも、バランスよく筋肉を鍛えるのってかなり難しいのでは・・・というのが実感です。だから、そんな筋力や筋肉の過剰装備をするよりも、先回も少し触れた、カラダが整う方向の力(氣)をイメージするというシンプルでいつでもできる方法によって、冒頭の、今まで得たことがない心地よい体感を得た、というわけです。これはジムへ行ったり、特にトレーニングウェアに着替えたりしなくとも、日常生活の中に無理なく取り入れることができます。例えば、仕事の合間、通勤や通学の際、歩きながら、お風呂で脚湯しながら、電車の中で座って、もしくは吊革を持ち、立ったまま、・・・・・・と。こうして日常生活の中で、カラダの力(氣)の流れを(本来あるべき方向に)変え、整えることは、パッとお金を出してその場で得られない感覚でもあるんです。そうですね。インスパイア大澤はお金ももちろん大好きですが(笑)、お金を出してもその場では得られないものもある!っていうことをこのコラムではちょっと言いたかったんですね(笑)。お金と豊かさっていうテーマは今の時代非常によく出てきますが、カラダと豊かさっていうのも実に相関関係が深く、特にこれからの時代、とても大切な観点なのではないか、と思っているんです。自らのカラダが整うっていうことは、一番身近な自然(から与えられた)環境が整うっていうことですよね。つまり、地球温暖化が今非常に問題になっていますが、自らのカラダがより整った状態であるからこそ、人との関係性、地球環境、大地との関係性をより優しく、より丁寧に・・・などなどと思考し、自然と然るべき行動が取れる!って思いません?自らのカラダが喜ぶことをやり、家族のカラダが喜ぶことをやり、身近な人たちのカラダが喜ぶことをやり、そして地球も喜んでくれることをやれば!っていうのがインスパイア大澤の主張です。あ、最後に余談になりますが、カラダが整う方向を模索していくと、右脳領域もより活性化していきます。そして私も今驚いているんですが、速読が難なくできたり、読書したり文字をたくさん見ても眼が疲れなかったり、(実は、本を読めば読むほど眼が楽になるんです。 信じられます?笑)と意外な良き副作用があったり、とホントこちらも楽しいんですね。この速読については今いろいろ実験・実習中ですのでまたそのうちにもうちょっとお話出来れば!、なんて考えています。カラダの使い方から入ると、たぶん今速読が出来辛い人もかなりうまく行くかもしれませんね。あー、今日は長くなって失礼しました。まぁほとんど私の覚書程度のものですが、要は、豊かさにも(ちょっと古いですが、今はどうされているんでしょう?)ホリエモン的なものもあれば、カラダから入るというようなまた違った観点もあり、豊かさを限定する必要は全然ないですよね!そしてまず自らのカラダを整え、豊かにし、カラダの幸福感が増して行けば、また新たな豊かさの可能性が広がるかもしれませんでー!(笑)っていうお話でした。今日もここまでお読みいただき感謝いたします。あなたが今より素敵なカラダから得る豊かさにより、毎日がより楽しくより充実した、心地よい流れとなりますよう心よりお祈りしつつ・・・♪
2008.02.10
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今、私インスパイア大澤はカラダについて様々な実習を行い、カラダってスゴイなーっていう、まさに実感・実体験を坦々と重ねています。いつもお話しちゃうんですが、巷では、脳トレとか脳を鍛える云々、ということが大流行していますよね!確かに、脳の働きはまだまだ未開拓な領域が多いようなので、興味深いテーマではあります。が、が・・・忘れちゃいけないのが、とりわけ現代人が疎かにしがちなカラダ様。(本を読めば分かりますが、 この辺、かの脳科学者、茂木健一郎氏も カラダの重要性をたくさん指摘されている という事実はあるんですよ。)まぁ、先回、丁寧にカラダを使うと・・・・・・というテーマで書きましたが、実はより正確に言うとすれば、カラダ以前があるんです。カラダがベースであることには違いはないとしても、、そのカラダ以前のものをあるべき方向に整えると、カラダには「もの凄い」としかいいようのない力、生氣ともいうべきものが生み出されてくるんですよ。(言語化もかなり難し、なのです。)(このすごい力は本来私たちがたくさん持っているのに、 現代の便利すぎる生活で少し弱くなった だけなのかもしれませんが・・・)で、そのすごい力とは、氣と呼ばれているものです。氣というと、なにやら怪しげな感じに思う人も多いでしょうか?でも、私の意味する氣は、摩訶不思議なものではなく、簡単に(ちょっと大雑把に)いうと、やる気とか気分、気持ち、気の張りとかいう氣と同種のものです。また、文豪幸田露伴氏が氣について努力論のなかで詳細に書かれていたような、張る氣、散る氣、凝る氣・・・もやはり同じものですね。眼に直接は見えませんが、かといって否定できるものでもないです。で、いくらカラダがベースだと言っても、カラダの行動・動きの大元には、この氣の働きがあり、今日はアレをやろう!とかどうも気が乗らないな!なんていうのも様々な氣の働きの一つ、です。この氣の働きがあってこそ、カラダはその機能を全うできる!と言い切っても、【そんなはずはない!】とおっしゃる方はそんなにおられませんよね?(多少はおられるかもしれませんが・・・笑)それで、この氣を丁寧に整えていくと、カラダは自然にあるべき方向に動き、必要な行動をとってくれる、というわけですね。あ、長くなるので今日はこれくらいにして・・・まぁ、脳トレでは簡単な文章や計算でトレーニングをやるんですよね?対して、(私の)カラダ探究では、別に走るわけでもなく、ジムへ行って器具を使ってトレーニングするわけではありません。また、腹筋や腕立て伏せ、スクワット、はたまたストレッチングもやらないんです。実際にやるのは、カラダの骨格構造に沿って、氣が整う方向にラインを描いたり、ボディラインイメージを描くだけ、なんです。そして、やはり丁寧に氣を整えていくと、カラダは本来の柔軟性を回復したり、必要な時にはしっかり力がみなぎって集中できたり・・・・・・と、元々のカラダが持つ機能をフル活用できるというのを私は今たぶんその入り口部分(と思われるもの、日々進化するため先がわかりません!)として体感・実体験させていただいている次第です。最後にちょっと余談を・・・先日の大阪国際女子マラソンのトラックの女王の映像は勉強になりましたね。最後はそれこそ氣力(無意識レベル含む)だけで走っておられましたが、カラダはやっぱり賢かった。ゴール前でもゴロゴロ転ばせて、カラダの致命的なダメージに繋がらないよう、まるで(疲労蓄積の)回復処置をしていたかのように・・・♪(特別なダメージを負っておられないことを お祈りしますね・・・)あれは大脳で考えてできる動きじゃない、でしょ?カラダの発する声ってホント無視できないです。ハイ・・・ということで、今日もここまで読んでいただき、ありがとうございます。あなたの氣がより良く整い、生氣漲る素敵な一日となりますよう心よりお祈りしつつ・・・♪
2008.01.31
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先日、毎日新聞の特集記事【私流健康食生活】に興味深い記事が掲載されていました。(2008年1月9日(水)毎日新聞の記事を参考・一部引用させて いただいています。)それは、今舞台でも活躍されている芸妓さんの食生活について書かれたものでした。短い記事だったのですが、それでも私インスパイア大澤も大きく共感・同調できることが凝縮されていたのでここでご紹介しておきます、ネ。この芸妓さんの子供のころには、お母さんが朝ご飯のお味噌汁のために、朝からかつお節を削っていた、のだそうです。学校に行く前にあったかいご飯と、だしからしっかり取ったお味噌汁。こんな丁寧な朝食を毎日食べて登校されていた、のだそうです。で、現在、今主流の化学調味料やインスタントのだしはカラダが受け付けず、この芸妓さんは、今も乾物屋さんでかつお節を買って自分でだしをとって調理をなさっているようです。一昔前だったら、ごく普通のことだったのかもしれませんが、今のバタバタした時代には、ちょっとすごいなぁ、っていうお話、ということになるでしょうか?それはさておき、こんな(丁寧に作り丁寧に食する)お話を拝聴すると、これは何も食生活に限ったお話ではないなぁ、っていうのを感じるんです。そう、これって、日常生活や仕事も含めて、生活全般に応用ができるんですよね。つまり普段の歩く、何か作業する、パソコンに向かう、キーボードを打つ、食事をとる、掃除をする、打ち合わせをする、休憩をとる、・・・・・・生活の一つ一つに対してより丁寧な動作をするっていうことにも繋がる、と思うんです。ましてやこの芸妓さんのように、子供のころにこんな丁寧な食事で育てられた人は、そういう考え方、習慣がまさに身に付く可能性がとても高いですね。実際に彼女は次のように言っておられます。【食事は元気の源】であり、【丁寧に食べると、カラダに栄養が染み込んでいく】ような感じが、化学調味料やインスタントを使った場合と比べると、大きい。(↑インスパイア大澤若干言葉補足)さらに自らのおけいこについても、【丁寧におけいこすればカラダに染み付いて離れませんけど、 いいかげんにしたらすぐに忘れてしまう】って。【食べ物もおけいこも一緒で、丁寧にせなあかんな】と、結ばれています。いやー、本当にそのとおりだと思いません?、食事を丁寧にし、丁寧に食べる食べ物を大切にし、感謝の気持ちで丁寧に食べるっていう小さいころからの習慣の積み重ねが、何事に対しても【丁寧にせなあかん】(関西弁わかりますよね。笑)っていうことにつながっているわけですよね。非常にシンプルなお話、なのですが、おそらく、何かと忙しい、忙しいと忙しさにかまける私たちが、今一度見直さないといけない観点だと痛感している次第です。そして私が先日お話したところのカラダのOSの大きな変化というのは、この丁寧に動作する、っていうことが非常に大きな要素を占めます。雑な動作から、美しく自然な所作は当然生まれるはずがないのですね。あ、そう考えると、昨今の社会を騒がせている様々な事件や矛盾は、この丁寧さの不足・忘却ということも言ってよいのでは、と感じますね。長くなるので今日はこの辺りで失礼します。あなたが丁寧な日常により、素敵で美しい幸せを得ることを心よりお祈りしつつ♪ありがとうございます!
2008.01.18
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昨年の新年と(私にとって)全く状況が違うことがあります。それは、私インスパイア大澤のカラダにおけるOS(オペレーションシステム)が全く変わってしまった、ということ。例えて言うとすれば、そうですねー、ウィンドウズ95からXPやビスタ辺りまで大跳躍したような感じでしょうか。ウィンドウズ95は御存じのように非常にパフォーマンスが低かったので、言わば、それほど大きな変化をしちゃったということなんです。が、この変化は主として、というよりも、ほぼ全面的に【体感(カラダ感覚)】によるものであり、極めて主観的、感覚的な部分なので、言語化・数値化は極めて難しい、ですよね。でも、ここでちょっとだけ具体例を挙げると、日常生活の中で、凝ろうにも(体感的に)肩が無くなって肩なんか凝れない(笑)とか、このブログでもよくお話するように、坂道が坂道でなく感じる、とかパソコンと向き合ったときに、疲れにくい、最適な首の角度の取り方とか、目的地に着くまで歩いているうちに、カラダが数段軽くなる方法やら、・・・・・・等々さまざまな素敵な感覚をベースにしたものがあるわけですが・・・その素敵で幸せな、何とも言えないカラダ感覚を(ひょっとしたら誰でも赤ちゃんのころには持っていたかも知れない) 人に言葉で論理分析的、あるいは科学的という言葉でうまく説明できないのは、まぁとても残念なことです。(ただし、あまりに摩訶不思議ないわゆるスピリチュアルなもの とも異なり、あくまでも眼に見えるカラダをベース としているので、変化がそれなりに分かりやすい、 ということも言えるのです。)ただ、そうは言っても、ある意味、一方的、自己満足的な、このカラダの感覚を共有したい!多くの仲間たちと・・・(直接的な友人だけではなくって、ネ)っていうのは確かにあるんですよね。なぜなら、このカラダの得も言えぬ感覚、体感は、とても【幸せな感覚】が強いから、なのであります。もちろん、昨今多発している、無益なというか、残忍な殺人、世の中を騒がせ連発する不祥事、うつ病、世の中の不安の裏返しのようなカラダの慢性的な疲れ、・・・・・・などなどなどとは全く無縁で素敵な感覚、質を持っているからです。そこで、私の2008年は、このカラダの得も言えぬ【カラダ感覚】を共有化し、活動する年とする所存です。きっかけはオンラインでも、主としてオフラインの活動をベースとしながら・・・ネ。御縁があるあなたと共に・・・と・・・、漠然としてよくおわかりいただけない内容で(笑)、あくまでも本人の決意&覚書的要素が強いのですが、一応遅ればせながら、新年のご挨拶代りとさせていただきます♪今日もここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。この新年よりあなたがとても素敵な、今までにないカラダ感覚を得て、さらに充実した日々をおくることができるよう、心よりお祈りしつつ・・・
2008.01.10
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カラダのことを深く追求して行けばいくほど、昨今の至極便利な生活の問題点が浮き彫りになってきます。とりわけ、現代社会はビジュアルが強い!見た目最重視っていう感じもありますよね。ビジュアルに少し音声が加わった感じの日常が私たちの生活の大半になっているのではないでしょうか。ということは、私たちは、極論すると、テレビ映像の中に生きている、そんなことも言えるかもしれません。映像の中で生活しているとすると、そこでは、例えば他人との距離感は、眼で見ないとわかりませんよね。もちろん、他人の存在確認も・・・で逆に、この他人の存在を敢えて眼で見ない、眼で確認しない、つまり、意識的に無視すれば、意図的に眼に入らないようにすれば、電車の中で化粧しようが、パーマ当てようが(先日びっくりしました。笑)、まぁ、違和感はないのでしょう。なぜなら、主力で機能しているのが、ビジュアル、そう、五感の内の視覚ですから・・・音、聴覚はiPodで音楽に占領されることが多いとなると、他の嗅覚、触覚などなどはほとんど停止状態で、視覚も無視すれば、そりゃー何でもあり(笑)です。そう言えば、街中で時々人とぶつかっても振り向くこともなく歩き続ける人を見かけることがありますが、映像の中を生き、嗅覚や触覚がほとんど機能しない状態では、これも当然なのかもしれません。で、昨今では、どうやら、味覚も停止しているのか???という事件が老舗のお菓子やさんや食品業界でも起こっています。味や風味が勝負の食品業界で、その味・風味を損なうことを平気でするのは、やっぱり味覚の麻痺現象の一つと言ってよいでしょう。なーーんて、観ていくと、結構現代社会の問題点が浮き上がってくるでしょ?で、それに幸運にも気付いた私たちは、逆をやればいいんですよ。道を歩くときには、嗅覚や触覚も総動員して歩きます。すると、仮に人が多い雑踏でも他の人の動きが観えたり、予測が効いたりして、スムーズに歩けたりするんです。また、これはあまり知られていないかもしれませんが、嗅覚を利用して柔軟動作(首を曲げたり・・・)をすると、普通に曲げるよりも柔らかくなったりするんですよ。知ってました?また、触覚に関しては、単に触るという領域を超えて、感覚を上げていくと、歩く際にカラダのいろいろな部分を感じて歩くのと、単に歩くのとで、ビックリするほどの違いが生まれてくるんです。そして、五感をはじめとしたいろいろな感覚を総動員して例えば歩くと、ビジュアル、視覚メインで歩くときと比べて、他人との距離感とか関係性、また環境との関係性が活き活きとしたりします。まぁ、この辺りは言葉だけでは伝えきれませんが、実際にやるとかなり再現性が高いことです。ということで、今日のトピックは、【映像の中を抜け出て、周りとの関係性を変えよう!】っていうことでお伝えしてみました。最近多発している変な事件の一つの大きな原因に、【無機質な映像の中にコモって生活している私たち】っていう部分を感じて今日は表現してみた次第です。私たちのカラダにはもっとたくさんの感覚、力があるのに、最近慌ただしい生活の中では忙しいことを理由に無視されがちなカラダ感覚をもっともっと使って行けば!っていう提案でもあります。さらに言い換えると、私たちの内側にはたくさんの力があるのに、外側の主に視覚情報に翻弄された結果として、見た目さえそれなりに良ければ、見た目さえ何とか誤魔化せれば、というような風潮もここら辺で軌道修正が必要ですし、ネ♪今日もここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。あなたの五感を中心とした感覚がバランス良く研ぎ澄まされて、より素敵な幸せ感覚が増幅することを心よりお祈りしつつ・・・♪
2007.11.16
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当たり前の話ではありますが、カラダの部分部分の協力関係というのは、癒着して一緒に動く、あるいは動いてしまう、ということでは断じてありません。例えば、腕は腕として、肩は肩として、それぞれ独立して動くようでないと、協力関係は成り立たないんですね。もう少しわかりやすくお話するとすれば、まぁ、肩甲骨が張り付いていたりして、カラダの動きや本来の機能が限定されると、肩を回して!なんて言われても、腕も肩も一緒くたに動いてしまいますよね。本人は一所懸命、肩を回しているつもりでも、実際は腕がちょこっと動いているだけ、なんてことも・・・あります。これは協力関係ではなくて、筋等が癒着してカラダの基本的な動き、すなわち、腕を回す、首を回す、横、前後にひねる、腰を回す、腰を折る・・・・・・など諸々の動きが制限されちゃっているだけです。これは協力というよりも、つぶし合いに匹敵します。このことは、会社等の組織で考えても分かりやすいですね。それぞれの社員が自主独立の精神で活動できる場合は、各々の役割分担の中で、組織の目標に向かって協力関係が作れます。が、社員がお互いに依存しあって、もっと悪く言えば責任を押し付けあって自主独立の精神が弱ければ、組織が目標に向かう力、エネルギーは低くならざるを得ない、というのは当然ですよね?カラダもまさに同じで、カラダの部分部分の協力関係が大切と言えども、例えば、肩が上がらないとか、首が回らない、とかいうような動きの制限、癒着部分があると、その癒着部分が足を引っ張り合うので、協力体制は非常に弱くなってしまう協力しようにもできない、共通の目標達成もおぼつかない、わけですね。至極当たり前のお話なんですが、どうでしょうか?意外と昨今の健康ブームでも言及されていないと思いません?カラダの部分部分の自主独立的な動きを良くするなんて(笑)・・・・・・。肩凝りに効くストレッチ、とか肩凝りに良い栄養素、なんていうのはよくありますけれど・・・それはさておき、最近私が実話としてお話している、カラダの部分部分の協力関係を良くすると、驚くほどカラダが変わり、ビックリするほどのカラダ感覚の変化を経験するっていうのは、カラダの部分部分が自立して、自由に動けるようになっていることが前提なのです。協力関係というと、なんとなくカラダの部分部分が一緒に動けば良いはず!、なんて私自身以前は考えていましたので、一応ここではっきりしておきますね。本来動くはずのところが癒着していたり、結果として機能制限していると、協力関係は成り立ち難い、っていうことを・・・あ、それと、誤解しやすいので申し添えますと、カラダが柔軟であればすべて良し、というわけではありません。はい、私インスパイア大澤もカラダの使い方のまずさで、硬くしてしまった部分もあるんです。それでもカラダの部分部分の連動性、協力体制の中で、私よりもずーーっとカラダの柔軟性が高い人よりも、軽快な動きができちゃったりするんですよ。そう、カラダの単純な可動域の問題ではなくて、部分部分がカラダの全体バランスの中で、一定レベル(人それぞれレベルの中身は違うと思います)自立して動けるかどうか、の方が大切なんです。つまり、カラダの中で硬い所があっても、各々のカラダの中で自立した動きが一定取れれば、良いということですね。もちろん、可動域は広いに越したことはないですが・・・以上、今日は少し原則的なお話をしてみました。で、一番言いたかったことは、カラダの中で少々硬い部分があっても、大丈夫な場合もありますよ!っていうことです。まぁ、少々ではあるかもしれないですけれどね・・・・・・(笑)あ、繰り返しになりますが、逆に柔らかければ良い、っていうことでもないです。(イメージとして)ゴムが伸び切ったような柔らかさは、カラダの連動性や協力体制がうまく行かない場合が多いようです。あーー、結構難しいですね(苦笑)。なので、今日はこの辺にしておきます。今日もここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。あなたのカラダの部分部分が見事に自主独立の仕事をして、軽快な日々が過ごせるよう、心よりお祈りしつつ・・・♪
2007.10.15
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カラダの感覚を磨き、カラダの連動性を上げていくと、日々、日常の立ち居振る舞いが見事に変わるんですよ!例えば、風呂そうじ(笑)。浴槽とカラダの関係性が、拭く場所によって柔らかくしなやかに変わり、まるで踊るかのように軽やかに、でもしっかりとそうじができちゃうんです。食事のテーブルなんかの軽い拭き掃除も同じです。テーブルと拭く手の関係性が心地よく、テーブルの感触を気持ちよく味わいながら、またまた踊るように掃除できちゃいます。少し細かく言うとすれば、腕を動かしているんだけれど、実は同時に肩甲骨や肋骨、骨盤などなどまで連動して、全身が協力し合っている、っていうわけです。協力し合って動くので、カラダが軽く、鼻歌交じりで動けるのですね。また例えば、本の立ち読みでも同じです。(笑)まぁじっーーと立って本読むって結構疲れちゃうんですよね。普通に(足の)筋肉をベースにカラダを支えようとすると・・・ところが、股関節で地面を捉えて、柔らかく上半身に繋げていくと、長く立ちっぱなしでもぜんぜん疲れないんですよ♪これも全身の協力体制あってのものですね。なんか、本屋さんには申し訳ないですが、ふわふわカラダが揺らぎ、リラックスしながら、結構な長時間本が読めちゃうって、想像できます?(※でもそういう本屋さんでは 本は結構買ってますので。念のため・・・笑)うーーん。でもやっぱり(体感を)文字で表現すると、もうひとつわかりにくくて、かなり変な感じですよね(笑)。まぁ、逆に、カラダをバラバラに使うと、例えば腕なら腕だけで掃除をすると、その腕が腕だけで頑張らないといけないので、結構疲れちゃう、っていうのは、なんとなく分かります?でも、以前の私も、多くの人たちも、たぶんかなりの人が、このバラバラでカラダを運用しているんですね。あ、パソコン作業も同じですよ。パソコンは通常座って打ちますよね。その座り方が問題です。力みのない、全身が協力できる座り方ならばOKです。が、どこかにアンバランスがあって、例えば肩に不要な力がかかっている、とか、首が縮こまってあごが上がっているとか・・・のように、全身の協力体制が悪いと、肩や首に疲れが出て当然なんですよね。だから、私たちは常日頃から、全身が協力しやすいカラダを志向すると、燃費が良く、疲れにくくて、今を全身全霊で過ごせるといったキーワードを満たす条件が良くなるんです。ヨガの時だけ、ウォーキングするとき、ビリーズ・ブート・キャンプに入隊するときだけ(笑)ではなくて、普段の歩行から、座る、立つ、パソコンをたたく、掃除する、食事をつくる・・・・・・日常のすべての時間について、全身の協力体制を意識すると、というか、もうほとんど無意識にカラダの協力体制ができると、本当に快適で心地よい時間が過ごせるのですね。私インスパイア大澤は、結果として今そういう全身協力体制を志向し、徹底的に実践強化している!っていうことが言えるかもしれません。あ、そうそう、前回のコラムで触れた、局所を伸ばすストレッチングは、そういう意味では、全身の協力体制が邪魔されちゃうので、お勧めできない、っていう話なんですね。いずれにしても、本当に体感を言葉にするのは極めて難しい、ですが、インスパイア大澤は、今、ヨガや整体をベースに、全身の協力体制を徹底的に追及して実際に体感したものだけをお話している!っていうことになります。そして、階段とか、坂道がスイスイ歩けたり、日常の動作が以前と比較にならないくらい軽快になったり・・・その延長上で、仕事の集中力が飛躍的にアップしたり・・・・・・というビックリ体験を続けている、というのが実態ですね。かといって、特別な筋力トレーニングなどは一切やっていません。筋力トレーニングも、全身の協力体制・連動性という観点からは極めて難しい、っていうこともあるから、なのですが・・・ともあれ、やっぱり私の志向しているものは、現時点では少数派に属するとは思います。なぜなら、難しくないんだけれど体感が絡むから、ビリーズ・ブート・キャンプみたいに、DVD見ながら出来るものでもないですから、ネ・・・でもまぁそんなことはどうでもいいのですが、ともかく、面白いというか、ホントに不思議で素敵な体験ができちゃうんです。とても有難いことに、ネ♪このブログで(文字を使って)なかなか表現しきれないのが残念ですけれど・・・。で、実はこの素敵な体験は・・・おっとここはまだ書けません。あまりにも・・・なので(笑)でもまたそのうちに書ける日が来ることを願いつつ・・・ともあれ、今日はこれくらいにしておきます。今日もここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。あなたのカラダの協力体制が一挙に上がって、びっくりするようなカラダの軽快さを体験できることをお祈りしつつ・・・♪
2007.10.02
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ストレッチとかストレッチングと呼ばれている、今やかなり身近になっている、筋肉を伸ばす手法、柔軟体操がありますよね。私が中学生高校生の頃は、~もう30年前の話ですが~勢いをつけて、イチニッサンとやっていました。例えばアキレス腱を伸ばす時、今のようにじっと静止して、じんわり伸ばすのではなくて、イチニッサンとリズムを付けて・・・でも、今は動かないでゆっくり伸ばすのが主流の体操です。まぁ言うまでもないかと思いますが・・・さて、この筋を伸ばす、カラダを柔軟にするというストレッチですが、先日ある実験をしたところ、びっくりする結果が出ました。というのも、今主流の静止してじーーっくり伸ばすストレッチングでは、トータルのカラダのバランスというか、カラダの部分部分の協力関係を崩してしまう、という結果になってしまったのです。ポピュラーな肩を伸ばすストレッチ、そう、あの肘を引っ張るようにやるアレですね。それと先ほどのアキレス腱を伸ばすストレッチ、これもジョギングなんかする人は、結構やることがあるヤツですよね。いずれも、私たちの実験では、歩きがおかしくなったり、カラダが歪んだりして、本当に驚いた次第です。まぁ、このコラムは主として私の覚書として書いているのと、書き出すと長くなりすぎるので、詳細は書かないのですが、ともかく、局部をビローンと伸ばすストレッチは、かえって、スポーツや日常の動作のパフォーマンスを落とす可能性が高し、というのが、まぁ一つの結論です。(※あくまでも私どもの観点にたったものであることをご理解ください。)あ、そうそう、私インスパイア大澤もあまり詳細には調べてなくて恐縮ですが、最近では、ストレッチ(のようなカラダの伸ばし方)は良くない、という説も結構あるようですね。ちなみに静止して伸ばすストレッチよりは、勢いやリズムを付けてやる(昔ながらの)カラダ伸ばしの方が、バランスの崩れは少なかった、ということはご報告しておきます。いずれにしても、やっぱり、今主流になっていることが昔のものより優れている、ということは必ずしもない、という視点は大切だと、づくづく感じます。ともあれ、カラダを柔軟にしたり、しなやかにするためには、局部を伸ばしたり、部分部分を意識するのではなくて、カラダ全体を意識しながら、結果として部分が緩むというやり方、発想が大切だ、ということをここで申し添えておきますね。ちょっと結論めいたことを中心にお話して分かりにくかったかもしれません。もう少し噛み砕いたものも、できれば追々書いていきたいと思いますので、良かったらお付き合いくださ~い!今日もここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。あなたがよりしなやかな心身を手に入れて、素敵な毎日を過ごされることをお祈りしつつ・・・♪
2007.09.16
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今書いていたかなり長いコラムが、手が滑ってぶっ飛んでしまいましたので、短く簡潔にまとめ直しました(笑)。【筋力トレーニングはいじめだ!】これ、私インスパイア大澤の、ヨガ&整体の師匠が良く言われるフレーズなんです。そう、歯をくいしばって筋肉を鍛えて、ある筋は切れるまで頑張り、さらに追い込むように(筋肉を)苛め抜いた結果、筋はだんだん太くなり、たくましく、力強くなる。っていうのが筋力トレーニングにおけるまぁ、一つのプロセスですよね。そして筋肉がムキムキになって、うまくいけば、カラダが軽くなってカラダ全体の動きも軽快になる。こんな感じです。が、が、が、多くの場合は、例えば腕の筋肉を鍛えると、腕力に頼るようになり、脚力を鍛えると、脚力に頼る、という形で、鍛えた箇所が、自己主張するんですね。で、トータルなカラダの繋がりは、その自己主張のせいで、むしろバランスが悪くなったり、悪い場合は怪我につながったりしちゃうこともあります。(スポーツ選手はこのパターンが多いかも・・・)これは、鍛えて抜きんでた筋力が、カラダの部分部分の協力関係を乱す(場合多し)、というかなりよくあるパターンだと思います。そうそう、ビリーズなんとか(笑)っていうのも(部分部分の)協力関係を保つのはなかなか難しいかと(笑)・・・それはさておき、一方で私が現在探究し、学んでいるのは、筋力トレーニングではなくして、骨の連動性・関係性に注目し、その連動性・関係性を良くする、ということなんです。この骨の連動性・関係性に注目し、追いかけていくと、本当に面白いですし、ビックリする結果に出会うわけです。以前に書いた坂道が普通の道のようにスイスイ歩ける、なんてのも実はその一つです。また、最近では、頭使いすぎの私たちが凝り・こわばり・閊えをしばしば作って肩や首を凝らしているというパターンが多いですよね。慢性化して、果ては血液循環に影響し、脳梗塞や心筋梗塞などなどにまで行かれる方も多いでしょう。こういうカラダを使わなさ過ぎの、頭使いすぎ社会の弊害も、実は骨に注目し、その骨との関係性を探って、カラダを整える方向に持っていくと、ビックリするような軽快さが得られることも私最近多数経験中で現在進行中なんです。しつこい肩や首の凝りなんていうのもセルフコンディショニングのレベルでも相当のところまでいっちゃいます。今の世の中の大勢は、カラダを鍛えるというと、多くの場合筋力トレーニングになり、ビリーズ・ブート・キャンプをやったりするのでしょうが、好きな人やそれでカラダが軽快になり、日常の生活が楽になり目標がクリアするならば、それはそれで良いとしても、(筋力トレーニングは)どうも違うぞ!なんて感じる方は、ぜひぜひ骨の連動性や関係性を研究・勉強してみてください。カラダをいじめる筋力トレーニングとは、まったく違った次元の経験をすることができると思いますし、事実私インスパイア大澤自身が現在進行形で実体験中です。まぁ、要は、今世の中で大勢になっていること以外にも、良きこと、素敵なことは他にもたくさんあり得る、ということですね。むしろ、そんな少数派の芽吹きの中に、次の世の中の大勢が隠れている、なんてことがあるのでしょう。いずれにしても、鍛えて自らの目標設定をクリアしたり、日常生活を高いレベルで軽快にし、充実した毎日を過ごすには、やっぱりカラダという切り口の中で、骨の連動性を高めていくということは本当におすすめです。とは言うものの、骨の連動性とか関係性と一言で言っても、ピンとくる方はなかなかおられないかもしれません。このコラムでも詳細は書ききれてないですが、(でもボチボチは書いていきますよ!)有難いことに、今の時代情報はたくさんあるわけです。それだけ行動するための素材もたくさんある!ということも言えますよね。そういう情報が満ち満ちた時代の良き点は利用しない手はないですね♪ということで、今日もここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。あなたが新しい切り口に注目され、全く新しい次元の日々につなげることができることを心よりお祈りしつつ・・・♪
2007.09.02
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「戦争は止めようと思えば止められるものだという意識 をもっと大切にする必要があります。 今は戦争を避けるより相手に打ち勝つ軍備を整えようという 議論が盛んですが、これは結局、戦争へ向かう発想だと 思います・・・・・・」(日経新聞 シニア記者がつくるこころのページ8月16日 戦争と子供より引用。また、ほか以下に一部引用させて いただいています。)普通に大人として、また一人の人間として発想すれば・・・そうですよね。天災と違って、戦争なんて止めようと思えば止めれますよね!それを止めないで、事を起こすのは100%大人です。当事者にとってはいろいろな理由があって、大きく言うとすれば、軍需産業を支える、っていうこともあるでしょうし、また多くの場合は、大義という名のもとで敵をつくって事を起こします。まぁ、戦争については(かなり重いテーマでもありますので)ここではこれくらいにしておきます。さて、冒頭のこころのページの記事でも言っているのですが、今日本の子供がおかしくなっている、というよりもむしろ、大人がおかしくなっているんですよね。企業利益を追求せんがためにここ数年来特に表面化している(賞味期限延長のような)不祥事。「あいさつもしない大人。 電車内では人をかきわけて蹴落とすように座る。」このような物差しをもった大人を見つつ育つ子供たちはいったい・・・!?目標を達成して、結果を出すことは確かに大切ですが、結果を出さんがために、手段は問わないなんてことは絶対に良いはずがありません。ありえません・・・(結果を出すために)手段を問わない延長上には、もう一昔前の感がある、耐震強度偽装事件のように表面化する企業不祥事、経済効率最優先から生まれた環境汚染、「子どもが子どもを殺す事件」、「幼児虐待」、「年間3万人を超える自殺」科学者の偽論文などなど数えだしたらキリがないほど、ですよね。ところで、自然の中には厳しい弱肉強食(これも人間寄りの傲慢な発想かも・・・)があると言われていますが、この弱肉強食も、別にライオンがウサギを全滅するまで喰い尽すわけではない、です。ウサギもいて、ライオンもいて、大きく見ると共存しているんですね。そして、別にライオンはウサギを言うとおりにしようというわけでもなく、自然の妙なるバランスの元での、あくまでも生存本能です。つまり、多様なものの共存の中に、普遍的な自然の本質があるように思うんです。こうして観ると、(軍事)競争して相手がつぶれるまで戦争する、あるいは、(たとえば)力づくで自国のエゴを押し付けるという発想そのものが、人間ってバランス悪いなぁ、って思わせちゃいますよね。それはさておき、今日のトピックのメインのキーワードである競争は、(日本では)やっぱり明治以降の西欧化の流れで盛んになってきたものと思います。元々は、仏教から神道まで様々な宗教を包み込み、世界的にも異例とも言える、寛容な精神を自然に培ってきた日本人です。いつもお話するように、別に昔に帰れ!ということでは決してありませんが、今一度日本人の原点や歴史ということに視点を移して、私たち一人一人が競争とは違ったパラダイムを早急に、かつじっくりと創造する必要あり、とインスパイア大澤は考えるわけです。そう、まだまだ形にはできていませんが、「カラダを整えて、良きカラダで行動する」プロセスは、競争とは全く異なるパラダイムに転換することができる可能性に満ち満ちています。なにしろ、カラダは一人一人全く異なりますので、競争するよりもその多様性を尊重する方が向いてるんですよね。ライオンもウサギも尊いんです。が、しかし、現代に生きる私たちは頭で考えて、自他を分離して、すぐに競争しちゃうんですけれどね。電車の席取り競争や、賞味期限を偽ってまでやっちゃう販売競争あるいは企業生き残り競争を、ネ・・・でもそろそろ違った次元の志向が必要になってきてますよね。どう見ても・・・このブログでは、そんな競争とは異なるパラダイムの一端を、私の実地研究の現在進行形を合わせて、少しずつ落書きしている次第なのです♪長くなりました。今日もここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。あなたとの濃い(かもしれない、笑)御縁に心より感謝します。
2007.08.21
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先日、8月2日、日経新聞の【文字こそ文化-言葉は精神の食べ物-】というコラムで、次のようなフレーズが眼に入りました。(※一部記事より引用させていただいています。)「文字を書くという行為はかつて、 身体感覚を伴う行為であった。 が、活字になった書物を読み、 ワープロをたたいて文字を書くようになって、 言葉は肉体を失い、浮遊しはじめた。」うーーん。この約十年ほど、私インスパイア大澤も言葉とカラダということをテーマに、様々な角度から独自の研究を続けているんです。そして、今言葉とカラダの相関性ということが、実地にビックリするような結果を伴って、分かってきた、次第なのですが・・・上記の短いフレーズにはビンビンと響いたんですね。そう、パソコンで文字を打つのも確かに身体行為は伴っているのですが、そこには失われているものがあるんですよね。そして、「放言、失言、虚言、誤字、誤読を 恥と思わなくなった -現在の問題は言葉の軽視にある。 言葉は精神の食べ物。 言葉は人を生かしもし殺しもします。 ところが人間の言葉はまだまだ未熟です。 国や宗教や言葉が違う程度で いがみ合い戦争を始めるレベル ・・・・・・」今現在の、国内の政治状況も、そうなのかもしれませんね。つまり、言葉が虚しく浮遊しちゃている・・・。言葉が肉体を失うとは、インスパイア流に解釈すれば、言葉がカラダ感覚を失い、行動に繋がらない、ということですね。携帯やパソコンのメールは大量にやりとりされていますが、そこには何かが欠けている。そして、スパムメールはこれもまた大量に浮遊している。うーん、いろいろ考えさせられますよね~。あ、そうそう、このコラムは残念ながらほとんどパソコンオンリーで書いていますが、私はたくさんのコラムを書くなかで、やっぱり手書き原稿ってやつもかなり活用しています。実際にペンで紙に原稿を書くと、パソコンで打ち込むのとは異なったカラダ感覚があるんですね。誤字脱字にも意識が行きますし、ネ。パソコンや携帯の場合、誤字脱字もご愛敬みたいに笑い飛ばすのとは、大違いです。今一度、この手書きとワープロ打ちの違いをじっくり感じてみるなんていうのをここではお勧めしておきましょう。とりわけ、筆ペンなんかで文字を書く場合なんかは、文字を形づくる、という意味だけでも、とてもじゃないがパソコンではできんな!なんて感じを持つかもしれませんよ。まぁ、いずれにしても今流れている流れとはちょっと違うことをしてみる、っていうことはとてもおすすめです♪また、たまには手書きのはがきを書いてみる、っていうのもいいかも、ですね。最後まで読んでいただき、ありがとうございます。毎日暑いですが、良きお盆休みを・・・そして、あなたの素敵なカラダ感覚が、お休みを充実させ、休み明けの大パワーアップにつながりますように・・・
2007.08.13
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健康とか、健康づくりというものは、それが目的ではなく、あくまでも良き人生、良き時間をおくるための、前提条件であり、手段ですよね!言い換えると、人生を全うするための一つの大切な手段が健康、とも言えるでしょう。だから、昨今の、星の数ほどもある、健康食品、健康グッズ、スポーツクラブを始めとした健康関連用品や健康関連サービスの利用についても、前提や手段を高めるためのものであることを忘れないようにしたいもの、ですね。そして、確実に言えることは、私たちは必ず死にます!ということは、より良く死ぬために、健康ということが大切になってくるとも言えます。なぜこんなことを書いているか、と言いますと、ともすれば、現代社会に溢れた情報に、私たちは振り回されすぎ、という傾向が強いからです。私たちの健康についての情報は他ならぬ私たちのカラダの中にあるのであって、外(周囲)からの様々な情報は、まずカラダの(中の)感受性を上げてからでないとなかなか上手には活用できない、というのが実態ではないか、と思うんですね。というのも、自分のカラダに全然合ってないのに、場合によってはカラダが明らかに嫌がっているのに、ある習慣を続けたり、間違った仕事の目標設定をしたり、合わないお付き合いを無理に続けたり・・・と、カラダの声を無視したことを、結果として続けちゃうんです。でも、カラダは分かっているんですね。自分に合わない目標も、合わない習慣も何もかも・・・あ、そうそう、私が意味しているカラダは、いわゆる身体とか体ではないんです。敢えて言うと、このブログでは心身、つまり心も一体化したカラダのことを【カラダ】と表現しています。このカラダの感受性を上げると、当然、身体の健康も、いわゆる気持ちや心持も合わせてカラダ全体の健康度を上げることができるわけですね。そして、カラダに合わないことは、自ら体感して、変化して行こう、変えていこうということになるわけです。もちろん、かく言う私も数十年の生活習慣の中、ホントに最近のことなんですよ。カラダの感受性ということを実感しながら生活し始めたのは・・・それ以前、赤ちゃんや子供の時以外はかなりたくさんの情報に翻弄され、結果としてはかなりカラダに合わないことをしてきた、と思います。その一つ一つは決して無駄で不要だった、というものでは必ずしもないですが、決して素直で自然な生き方と言えるものではありませんでした。またまた長くなりましたので端折ります。こうして、感受性の高いカラダは、オープンでエネルギッシュなカラダ、胸がぐいーーっと開いた息(呼吸)が通るカラダを作り、日常の仕事から、遊びまで全身全霊で楽しめるようになるんですね。私インスパイア大澤も、あくまで現在進行形の中の、その1プロセスを楽しんでいる次第です。このブログで御縁のあるあなたもあなたのカラダに合った素敵なプロセスをともに楽しめることをお祈りしつつ・・・♪ここまでお付き合いいただいたことに心より感謝いたします!
2007.08.02
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姿勢を正して!っていう場合、普通は背筋をピンと伸ばして、まぁ、いわゆる『気をつけ』の格好をしますよね。実はこの『気をつけ』がクセもん、なんです。というのも、構えて『気をつけ』なんてやる教育が子供のころからあった名残で、逆に姿勢を正すときって、力みが入っちゃうんですよね。多くの場合に・・・普段から姿勢のいい人まで、なんか特別に力んじゃったり・・・とか。ホント笑いごとでは済まない変なお話なんです。なんでこんなこと言っているか、っていいますと・・・現代人のカラダって、おそらく相当無駄な力みが出ちゃっているのでは、と推定されるからです。こういうカラダ感覚の統計って、現時点ではまずないですので、あくまでも推定に過ぎないですが、街を歩く人を観察しても、かなり力入っているんですよね。あ、もちろん、本来あるべき(理にかなった)理想的なフォームで立ち居振る舞いしている人なんて現在ではほとんどいない、と思うんですが・・・ところで、その理想的なフォームってどんな感じなのか?正しい姿勢、生きていく上でカラダがより良い機能を果たす良い姿勢とはどんなものなのか?どうでしょうね?まぁ、インスパイア大澤が現時点で体感していることをお伝えするとすれば、◆肩の力は自然に抜けて、なで肩になっている◆首はしかるべき角度で、首より下と一体化している (あごは上がらず、首は思ったよりも前上方向という 感じ。)◆カラダ全体の動きは、主に腰でやわらかく制御◆脚は短くとも(笑)長い感じ つまり、骨盤から下が動くので長く感じる◆自然に呼吸が全身に通るイヤー、本当に体感・カラダ感覚は言語化が難しい。まぁ、ざっと挙げるとこんな感じでしょうか。カラダ感覚という意味ではまだまだあるのですが、今日はこれくらいにしておきます。このうち一番大切なのは、最後の呼吸が通る、っていう部分です。姿勢がいくらキレイに見えたり、キレイな姿勢を無理やり作っても、呼吸が自然に通らない、通りづらい姿勢は、言うまでもなくそれは正しい姿勢とは言えませんよね。そして当然ですが、呼吸が通るカラダは力みが抜けています。長くなるので少し端折りますが、カラダって私たちが考えている以上に賢いので、気をつけ、って姿勢を敢えて正さなくとも、呼吸が通るようになっているんですよ。つまり、仮に理にかなっていない悪い姿勢でも、呼吸はそれなりには通る。(ようにカラダは自然に工夫しちゃうんです。)で、逆にがんばって姿勢を正すと、呼吸が通りにくくなる、なんてことも起こります。だからと言って、あるべき理想的な姿勢をする必要がない、というお話ではありません。カラダは一応、非常手段として、姿勢が悪くとも、人間にとってこれがないと数分と持たない、呼吸については最優先で出来る範囲の調整をかけてくれている、ということです。あくまで出来る範囲です。そしてこの逆に、カラダがあるべき理想的なフォームに近付いて、カラダが力づくで調整をかけなくとも、自然に呼吸が通るようになってくると、びっくりするほど、日常の生活がアクティブで充実したものになるんです。本当になんとも言葉では表現できない素敵な感覚です。この【非常手段】と【自然に】の違いはめちゃめちゃ大きいです。このあたりが今私が体感している部分なんですね。(でも言語表現はホントに難しい。)そして、出来得ることならば、この自然に呼吸が通り、満ちる感覚をあなたと共有して、よりステージアップした人生を共有できるきっかけにしていただければ、とこの独り言、コラムを書いている次第です。あなたの呼吸があなたのカラダ全体に優しく満ちて、素敵な日々を充実して送れるよう、心よりお祈りしつつ、今日もここまでお付き合いいただき、ありがとうございます♪
2007.07.23
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カラダって流れているんですよね!常に変化の流れの中にあります。皮膚も28日周期で新生していると言われていますし、爪や毛髪はもとより、内臓や骨や歯ですらも、分子レベルでは絶え間ない分解と合成が繰り返されているんです。つまり、カラダのありとあらゆる部位が何日、あるいは何か月かすれば、まるまる新しいものと入れ替わっているわけですね。ということは、これは私だ!と確信しているカラダも、何か月あるいは何年かすると、以前のカラダとは全く別物、ということになります。この新しい別物のカラダは、物質的には以前の私とはぜんぜん異なるわけですよね!にも関わらず、私は私に固執して、過去の失敗や未来への不安に後悔したり、おびえたりしているんですね。私だと思っているカラダはドンドン細胞レベルで新生され、生まれ変わっている、というのに・・・そして、このカラダの(分解と新しい合成の)流れは、有難いことに半ば自動的にやってくれているんです。ここにも今を全身全霊で活動する意義がやっぱりありますよね。そう思いません?カラダが物質レベルでドンドン新生し、鮮度アップを半ば自動的にしてくれているならば、私たちがやることは、その流れの一瞬一瞬を有意義に、有効に活用することなんだと、インスパイア大澤は思うんです。仮に、以前の流れの自分がうまくいってない自分だとしても、今の自分のカラダは少なくとも新生しているんだから、過去の流れに捉われる必要もないですし、未来のまだみえぬ流れに不安を感じるのは、今がもったいない・・・ですよね!そして、これはまたそのうちに時期が来たら書きたいと思いますが、今目標設定している内容について、カラダが整うか、嫌がるか、なんてことをチェックすると、今をより有意義に過ごすことができちゃったりします。それはさておき、私たちが意識しないでも、鮮度アップしてくれているカラダに感謝しつつ、今を一所懸命活動する生まれ変わるカラダで日々時々生まれ変わりましょう!ということを、私自身肝に銘じたいと感じている次第です。あ、今日のコラムはわりと最近に本屋さんで山積みされている下記からインスピレーションをいただきました。あなたも興味あったら読んでみてくださいね。↓ ↓ ↓今日もここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。あなたの素晴らしいカラダの流れ、そして素敵な今を心よりお祈りしています♪
2007.07.15
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あまり興味がないので深くは知らないのですが、1日50分の軍隊式トレーニング、ビリーズ・ブート・キャンプ流行っているようですね!↓ ↓ ↓私インスパイア大澤も少しは調べたり、実際にDVD買ってトレーニングをやっている人から少しお話を聞いたりしてみました。まぁ、アレ(笑)ですよね。筋肉モリモリ系です。どちらかと言うと、無酸素系に近いハードトレーニングかな、と・・・。私はやらないのでどちらでも良いのですが、(身内や親しい人にはお勧めできません。)逆にあのトレーニングをずっと継続して出来る人は、別にダイエットなんて必要なさそうです。あれだけカラダを動かしゃそりゃ痩せますよ。でも、一年後、イヤイヤ半年後を見ていてください。多分、一過性のブームに過ぎないでしょう。だってあくまでも、昔からある、話題先行型、米国直輸入のハードトレーニング系なんですもん。(笑)これだけモノや情報が溢れても、日本人って(いや、このDVDは日本人だけではないですよね!)雰囲気に弱し!(笑)ですね~。イヤ、ごめんなさい。このトレーニング楽しくやっている人は、このコラム読まないでくださいね。というのも、私も若かりし頃、10代~30代前後には小柄ながら筋肉モリモリ系だったんです。ハードトレーニング好きで、鍛えて汗をかく感覚がとても心地よかったんですね。そして継続するとカラダは軽くなる。でも胸がピクピク動くくらいの分厚い筋肉をつけても、日常生活には生かせないどころか、かえって邪魔になったり、疲れやすかったりすることの方が多いことが分かってきたんです。また、よくよく注目していると、筋肉モリモリ系の人で、歳とっても健康的な人って私が見る範囲では皆無だったんですね。(もちろんゼロではないと思いますよ。)野球選手、プロレスラー、陸上選手・・・・・・と見渡しても割と若くして血管詰まらせたり、糖尿病になったり、ケガに悩まされたり・・・ということが多いわけなんです。あれだけ鋼のように鍛え上げた立派なカラダで何で何度も大きな怪我したり、酷い病気に見舞われたりするんだろう?うーん、単なる偶然か?とも思ったのですが、私インスパイア大澤自身がカラダのことを実地研究するうちにいわゆる明治時代から欧米から入ってきたところのトレーニング、つまり、そうですね、それこそ軍隊式の【気をつけ、休め!】式の集団で同じようにやるタイプの体育は、どうやら、日常のカラダ使いを快適に、楽にするものとは必ずしも言えない、ということがわかってきたんです。(もちろん、頭だけではなくカラダをベースで、ネ)今、思い出したようにこのブログで綴っているコラムは、そういう流れを意識し、どうやればもっと快適で充実した日常が過ごせるのか、を意識して書いている次第です。とは言うものの、バンバン売れているところの、ビリーズ・ブート・キャンプのようなマスの流れとは正反対の路線にはなりますが・・・。私のコラムを定期的に訪れ、時折裏(笑)メッセージをいただいたりするのですが、そんな方はどうも私のように筋肉モリモリ系には違和感を持っておられるとか、今の時代、何か漠然とした違和感を感じるが、その正体がどうもわからん、とかいう方が、多いようですね。あ、そうそう、私が自身の覚書用にこのブログを使い、(続けて読んでいただいている方には)出来れば漠然とした違和感のようなものを溶かすヒントにしていただければ、と思って書いている内容は、私が今現在進行形で掴んでいっているもののホンのまだ数パーセント位にしか過ぎない、んですよ。なかなか言語表現が難しくて・・・ということで、今日はあまりまとまりませんが、流行とかマスの流れだけには飽き足りない、あなたが何かの素敵なヒントをつかまれることを心よりお祈りしつつ・・・♪ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。
2007.07.05
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時間って明らかに伸び縮みしますよね!そう、実際の物理時間と、心理的に感じる心理時間の差の話です。一番簡単な例では、面白くない仕事をしている時、なんかが分かりやすいかな?面白くない、ちょっと退屈な仕事をしている時には、時間がなかなか経たないですよね。時計や時間の経過ばっかり気になって・・・このとき、実際の物理時間が30分でも、心理的にはもう50分や1時間くらい経っているように長く感じるんですよね!逆に楽しいことは、言うまでもなくあっという間です。どうしてそのように(実際の物理時間よりも)長く感じたり、短く感じたりするのか?これはね、どこに集中するか、によるんです。つまり、退屈な時には、時間の経過に集中しているんですね。そうすると、その集中した時間の経過、そうですね、物理時間が長く感じる。逆に楽しいことに集中すると、楽しいことは長く、充実したものになり、相対的に物理時間が短く感じる。こういうことです。今を生きる!未来でもなく、過去でもなく、今を精一杯過ごしましょう!っていうことが、いわゆる自己啓発系の書籍には書かれていますが、これは、上記の時間の伸び縮みで考えると至極当たり前の話ということになります。今を一所懸命集中して過ごせば、時間は(実際の物理時間よりも)長く、充実したものになり得るわけですよね。今、過去の失敗を後悔しても、未来の不安を先取りしても、そういう不安や失敗に集中すると・・・・・・ですよね。時間はいくらあっても足らなくなる、というわけです。ここに今を精いっぱい生き切ることの素晴らしさがあるんですね。あ、ところで、時間の伸び縮みについては、少し前にこういう興味深い本↓ ↓ ↓が出ていました。この本には、子供の時の方が時間がゆっくり流れていたようだけどなぜ?ということが書かれてあります。ここでは、子供はカラダの新陳代謝が(大人よりも)盛んなので、心理的な時計が速くなる。それで実際の物理時間が5分でも心理的には3分と感じ、時間の流れが遅く感じられる。逆に大人は、カラダの代謝が子供より格段に落ちるので、心理的な時計は相対的に遅くなる。したがって、大人が心理的に3分と感じた、実際の物理時間は、2分となり、時間が早く流れているように感じる。こう説明されていました。面白い切り口ですよね。実は、私インスパイア大澤がシツコクお話している、カラダを磨いていく効果はこんなところ(カラダの代謝力アップ→集中力アップ)にもあるんですよ。それはさておき、これも先記と同様、集中力の差でも説明できそうですよね。長くなるので端折りますが、子供は(大人と比べて)同じ出来事に対しても好奇心旺盛に集中し、熱中する。集中している事柄は長く充実しますので、実際の物理時間よりも心理時間が長く、充実する、わけですよね。今という時間に全力投球して、好奇心旺盛に集中する平等に与えられている今、という時間をともに大切にしてまいりましょう!今日もここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。あなたの素敵な今を心よりお祈りします♪
2007.06.28
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少し前に、カラダを丁寧に扱うとは・・・?というコラムを書きました。要は、カラダと事・物、あるいはカラダと(他の人の)カラダとの関係性が良くなると、日常・人生が素敵に変わるよ~、って話なんですね。そんなトピックを書いて数日後、偶然とても美味しいケーキを食べる機会があったんです。そのケーキ屋さんのパティシエさんによると、お菓子を作るときには、料理人としての感覚が大事で、決してレシピ通りにつくれば良い、というものではないのだそうです。『この果物少し酸味が強いから、砂糖は心持多めに・・・』とか、『このリンゴは少し甘いから砂糖は少なめにしよう!』などなど、レシピよりも感覚が大切だと言われています。そうですよね。ケーキに使われる、栗とか果物でも産地や時期の違いで、味は微妙に、あるいはかなり違ってくるでしょう。素材の味に合わせて、砂糖やフレーバーを変えるのは当然ですよね。考えてみたら・・・そのケーキ屋さんで食べたケーキがあまりに美味だったので、ついついお店の人に聞いたり、ちょっと調べたりしたわけなんですが、私が言うところの、カラダを丁寧に扱うっていうのは、まさにコレなんです。もちろん、そのケーキ屋さんだけでなく、多くのケーキ屋さんもいろいろ努力をされていると思いますが、あの味、モンブランは栗の美味しい時期だけ(しか扱わない)、などなどのこだわりから生まれる美味は、本当に感動ものだったんですよ。そして、(時に、笑)そんな美味しいケーキを食べて、素敵な笑顔をもたらすケーキ屋さんはそりゃ、商売繁盛の善循環が起こりますよね。あ、そうそう、(ついでに)そのケーキ屋さんのパティシエいわく、『お箸の持ち方がしっかりしている人はいい仕事ができる』というお話を言われていますが、これは著名な武術家もおっしゃられていますよね。最近ますます増えていると言われる、子供の偏食は『箸の持ち方がおかしい』せいだ!ってね。つまり、きっちりとお箸を持てない子供が増えているんですね。で、逆にお箸を日本の伝統に伝わっている形で正確に持てば、消化器官の働きが良くなって、消化吸収も効率が上がるだろう、と言われています。そう、ですよね。これもお箸と内臓の関係性が、箸を正確に持つことにより、より良くなり、その結果として、消化吸収もよくなって、偏食や過食、間食などが減ってくる、ということだと、インスパイア大澤は解釈しています。こうしてみると、ケーキ屋さんにせよ、武術家にせよ、やっぱり一流と呼ばれる方ほど、事物との関係性において、丁寧なカラダ使いをされているのがよくわかります。他にもたくさん事例はあると思います。あなたの身近な例で考えてみて、感じてみて、私たちの日常のカラダの使い方を、出来る限り丁寧に、そしてその丁寧なカラダ使いを継続できれば、きっと毎日の楽しさ倍増、ですよね。ということで、今日もここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。あなたのカラダ使いがより丁寧になり、素敵な毎日をより楽しめるよう、心よりお祈りします♪
2007.06.20
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坂道の怪のトピックではないですが、最近の、インスパイア大澤のカラダ変化は、本当にビックリするほどなんです。まぁ、逆に言うと、これまで随分酷使というより、間違った、理に適っていないカラダの使い方をしてきたがために、随分42年間わざわざしんどいことしてきたんだなぁ、というのはありますね。(笑)つまり、カラダの使い方を変えるだけでパソコン上の文字では表現出来難いほどの大きな違いがあるということなんですネ。(一般的には信じがたいレベルなので、敢えてこの位にしておきます。笑)それはさておき、昨今の時事問題を観ていると、自殺やうつ病、凶悪犯罪・人殺しの日常化、大企業の拝金志向(そう、あの○ムスンも不○家もみーんなコレですよね)・・・・・・こういう風に書いているだけで、楽しくない内容ですよね。そして、政府は自殺率20%以上削減なんていう訳のわからない目標数値を出しているのを見ると、それこそ、「はぁーーーっ?????」なんて思っちゃいます。大人がおかしくなると、当然子供も・・・うん、これは仕方がありません。(では済まない話ですよね!未来の日本を背負う子ども達ですから・・・)さて、こんな時代、御時勢にやるべき大切なことの一つ。それはやっぱりカラダを整えること。肩が凝って、イヤイヤ、場合によっては凝ってるの通り越して、ガイガチに固まってる人もおられますよね。首も腕も腰も、いつの間にか、思うように動かせなくなり、可動域が狭まり、何か全身が重く、眼は疲れ目で、呼吸するのもしんどく、仕事帰りは這って帰るように帰宅。なんて日常が毎日続けば、そりゃおかしくもなるでしょう。昨今はいろいろな自己啓発系の勉強会があってそれも目標をもってやるならばいいのですが、むしろ今は、脳よりもカラダを鍛えるべき、時ではないか!ということを痛感しているインスパイア大澤です。疲れきって、(息がつまり)肩で息をしているようなカラダから生まれてくるものと、軽快で、スキップしているような、カラダが自然にリズミカルに動き出すような、そんなカラダから生まれてくるもの、ではぜーーんぜん違うだろうことは想像に難くないですよね。あまり難しい勉強をしたり、大脳新皮質を鍛えるのを少しお休みしても、原始脳である、脳幹や大脳辺縁系や人間の骨格ベースの脊髄系を鍛えた方が今は世の中の役に立つんじゃないか、って思いません?自殺が多いのならば、生存に関連する原始脳や動物脳を鍛えた方がむしろ理に適ってますよね。あ、鍛えるといっても、残念ながら明治以降にせっせと取り入れた、西欧スポーツ型だけでは厳しいかな、というのがインスパイア大澤の私見です。と言うのも、日本にはずーーっと伝わってきた伝統文化があり、畳や正座をベースとした生活から生まれたカラダ文化がまだまだ残っています。せっかく2000年も続いてきた伝統的な文化でもありますし、また、日本人のカラダにはとても合った生活様式を今一度見直してみる時期に来ているように、インスパイア大澤は感じるのです。そう、私自身のカラダの激変の一要因には、生活の中に正座を取り入れていることがあるんですね。実際に・・・カラダを整えるにはカラダ一つでできるんです。人間の原点であるカラダに今一度戻ってみる、そしてカラダを整えて、整ったカラダでより素敵な人生を・・・という一つの切り口をここでは提案しておきますね。ということで、ここまで読んでいただき、ありがとうございます。あなたのカラダがあなたのリズムで素敵に動き出すことを心よりお祈りします♪
2007.06.12
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「最近、坂道がまるで平坦な道とおんなじなんですよ!」おもむろにこう言ったのは、私インスパイア大澤の、ここ2年来のヨガの師匠。それは、昨年の大みそかの日、今から半年ほど前のことですよね!そして、今なんと、その冗談のような(笑)、坂道の怪(?)を経験しているのが他ならぬ私自身、なのです。まぁ、半年前の師匠の言葉を、「??? はぁーーーっ?」と聞き流して、そのことを最近まで忘れていた次第です。坂道を、平坦な道と同じようにスイスイと歩く、水すましのように歩ける、なんてそりゃー誰も信じられるはずがないですよね。当然のことです。でもこれ本当なんですよ。下半身と上半身と頭、もっと言えば、骨盤と背骨、肋骨、肩甲骨、頚椎あたりの連動性が良くなると、どうやら、この嘘みたいな現実が(たぶん)誰にでも起こるようです。逆に言うとすれば、現代の大勢である、筋肉を鍛える、つまり、部分部分の筋肉を鍛える筋力トレーニングの発想では、このような坂道の怪現象は起きにくいものと思われます。なぜなら、部分を鍛えても必ずしも全体にはならず、全体の統合感覚は得られにくいからですね。(もちろん、全身の統合感覚を意識して訓練できれば、それはそれで 素晴らしいことだと思うのですが・・・、なかなかどうして・・・)ところで、以前私インスパイア大澤は、毎朝軽いジョギングをしていたことがありました。(以前このブログでも確か書いたことがありましたが・・・)継続していくと、自己満足もでき(笑)、筋肉も締まり、カラダは軽くなりますよね。言うまでもなく、これは筋力です。でも、この(筋力トレーニングによる)筋力は、走るのを(トレーニングを)止めると、いとも簡単に衰えて、元に戻っちゃうんですね。で、私も今はこの筋力トレーニングと呼ぶべきものはやっておりません。では何をやっているのか?それは・・・1日数回各10分程度行う軽いヨガとボディーのイメージングのみ、なんです。つまり、跳んだり走ったりは一切なし、ということですね。要するに実質的には、この半年間、まぁ1日平均30分程度で坂道の怪現象にたどり着き、どうやらカラダの統合レベルが上がってきているようなんです。(まだまだ現在変化進行中ですが・・・)それはさておき、私が今書き留めている内容っていうのは、多分多数派ではなく、極々少数の人の感性にピッと引っかかるものじゃないか!って最近感じるんです。(と言いましても、本当は本人の覚書の色が濃い わけなんですが・・・笑)だって、世の中の大勢は、なんだかんだ言ってもカラダを鍛えると言えば、ストレッチから始まって、ジムへ行ったり、走ったり、ウォーキングしたりとやっぱり負荷をかけることが中心になりますもんね。もちろん、それらも正しいカラダの統合感覚でやればそれなりの効果も期待できるのですが、多くの場合、無理な姿勢や余分な力みが統合感覚を邪魔しちゃうようです。おまけに残念ながら、かえって怪我を助長したり、というのが関の山です。(プロでも、スポーツ選手に注目していると、とても多いように感じますよね。)ともあれ、事カラダに関しては、多数派よりも少数派の感性を志向した方が、ひょっとしたら良いかもしれません、ヨ(笑)。足し算よりも引き算発想でね・・・長くなりましたので、今日はこれくらいで失礼します。あなたの素敵なカラダの統合感覚がよみがえることを心より願いつつ・・・ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます♪
2007.06.08
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正直な話、カラダを丁寧に扱う、とかカラダを大切に扱うなんて言われても「???・・・・・・?」っていうのが現実だと思います。そうですよね?(笑)逆に、「そんなに荒っぽい(カラダの)扱いはしてませんよ!」っていう方もいらっしゃるのではないでしょうか。イヤ、イヤ・・・それでも、私たちの多くは、と言いますか、(私を含めた)ほとんどの人は、多くの場合カラダをあまり、あるいは、全く丁寧には扱っていませんと、ここでは言いきっておきます。さて、私インスパイア大澤が意味する、「カラダを丁寧に扱う」ということをもう少し具体的に言ってみますね。例えば、ボールペンを持って、紙に何かを書く、という場合。私たちは、忙しいからって、ついつい乱雑に文字を並べがち、だったりしますよね。(正にかつての、というよりつい最近までの私です。はい。笑)でも、もしこれが書道家とか、ペン習字の先生だとしたら、どうでしょうか?自然と自分のカラダに合った角度でペンや筆を持ち、紙の感触を確かめたり、味わったりしながら、丁寧に書いていくのではないでしょうか。また、たとえば、お料理をする時、トントントン・・・と野菜を切って、フライパンに投げ込みなーんて感じがごくごく普通ですよね。でもおそらく料理のプロは、包丁を入れるときに素材の感じを確かめたり、感じたりして、野菜や肉や魚との関係を無意識に感じながら、素材素材に一番合ったタイミングや形で調理をされるのではないか、と私は思うのです。(このトマトは熟しているから、火は弱めで等々)つまり、カラダを丁寧に扱うとは、カラダと道具(物)との関係性をも丁寧に大切にする、というわけですね。これは、例えば、パソコンで文字を打ち込む時も、実は全く同様です。もちろん、物だけではなくて、人との関係性でもどうやら同じように言えると、インスパイア大澤は感じています。そして、このように丁寧な扱いを事・物・人にすると、当然のことながら、カラダと事・物、あるいはカラダと(他の人の)カラダとの関係性が良くなり、その結果得られる文字や文章、お料理やコンテンツ、さらには人間関係までもがより良くなりそうだ、というのは想像に難くありませんよね!こうなると、カラダを丁寧に扱う、ということは、単にカラダだけのお話にとどまらず、日常生活全般、人間関係全体にまで話というか、その影響力が広がる、というわけです。あ、ちなみに、パソコンとの関係が良くなると、パソコンを使って長時間キーボードを打っても、カラダの疲れは最小限に出来ますよ!だって、パソコンと(私)との関係性が良くなるんですもんネ!これって、実際、結構凄いこと、だと思いません?長くなりましたので、今日のトピックはこれくらいで失礼します。ここまでお付き合いいただき、ありがとうございました。あなたのカラダと、事物・人との関係性がより良くなり、より素敵な力が生まれることを心よりお祈りします♪
2007.06.02
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肩が凝るには、肩が凝るようになる姿勢があります。腰が痛くなるには、腰が痛くなる姿勢があります。至極当たり前のことですが、この自分の姿勢に対する意識が上がる、つまり、自分のカラダの姿勢のことを、事細かに体感できると、まぁ、肩コリなんかはたまにあったとしても、酷くなったり、慢性化することはあり得ないですね。チョコチョコッとカラダを動かせば、肩コリなんてすぐに消えてしまいます。現代社会では、デスクワークが主体になり、交通網が発達、便利な家電製品の恩恵を受けて、カラダを動かす機会が年々減っています。そんなことは誰でも分かっている事実です。が、その事実認識に対して、私たちはなぜか、あまり意識して対応していないようにインスパイア大澤は感じます。さて、先日07年5月17日付の毎日新聞に【過労自殺 最悪66人】という記事が出ていました。なんでも、長時間労働、仕事のストレスなど過労が原因で、自殺(未遂を含め)をした人で、06年度に労災認定を受けた人が、前年度比57.1%も急増し、過去最多になったとの事実を、厚生労働省がまとめたものでした。厚生労働省の推定では、『ノルマ達成など過大な仕事を求められる厳しい労働環境が、 長時間労働につながっている』としています。同時にうつ病なども、急増してるようですね。うつ病などは、心理的な側面も非常に強い、と思いますが、私が言うところのカラダというとらえ方では、カラダ=心身、つまり、心と身は一体になっている、と観ているんです。欧米流の分析思考でいくと、うつ病などは、精神疾患ということで、主として心理的な側面に注意が払われますよね。心理学的な側面、といってもいいかもしれません。ここには、身の要素がかなり抜け落ちているんです。まぁ、このあたりを言い出すと話がややこしくなりますので、これくらいにしておきますね。いずれにしても、カラダは心身が一体となったもので、通常は心と身を分ける意味はあまりない、というのがインスパイア大澤の私見です。ともあれ、(敢えて書くとすれば)うつなど、精神的、心理的に落ち込む際には、ボディ(身)の方も落ち込んだ姿勢になっているわけで、その落ち込んだ姿勢にアプローチするのも、上記のような過労自殺の数字を好転するのに大いに有効だろう、と感じます。ところで、うつ病でなくともカラダの調子が良くない時には、私たちは億劫になったりしますよね?そう、歩くのも、歯を磨いたり、駅の階段を昇るのも、仕事でお客様に笑顔を向けたりすることでさえ・・・つっけんどんにお客様に対応したりして、気まずい雰囲気になっちゃったり、とか・・・イヤー、他ならぬインスパイア大澤も経験大あり(笑)です。で、でもそんなときにこそ大切にしたいのが・・・カラダを大切に扱うことゆっくりで良いので、丁寧にカラダと向き合うのが良いです。実は、以前のコラムでお話した、【カラダの輪郭を感じる】というのは、言い換えると、【カラダを丁寧に大切に扱う】ということでもあるのです。このカラダを大切に扱うという習慣は、私たちが忙しい現代社会に忘れがちなカラダの感覚や姿勢を、見事なまでに思い出させてくれます。まぁ、逆に言うと、それだけカラダがぞんざいに扱われている!、ということなんですけれどね。だから、過重労働でつぶれされちゃったり、(話を戻して)肩を慢性的に凝らしちゃったり、するんです。(はい、私もすべて過去に経験済です。)今一度、少しペースダウンしてもいいから、日常のいろいろなことを丁寧にやってみる、カラダを丁寧に扱う、ということをお勧めしておきます。きっと、素敵な発見があると思いますよ!あ、最後にカラダをぞんざいに扱う習慣は、下手をすると、昨今の信じられない青少年犯罪とも密接に繋がっているのでは、とインスパイア大澤は感じています。自分のカラダを丁寧に扱う人が、身内(この文字に注目!)や他人のカラダをぞんざいに、ましてや、殺しちゃうなんて絶対に出来ないですよ!今日は思わず長くなってしましいました。あなたの肩コリがさわやかにほぐれ、素敵な今を楽しめるよう、心よりお祈りします♪
2007.05.24
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カラダの使い方がより良いものに変わると、カラダに負担を生み出すようなストレスは小さくなりますよね!これは誰しも想像できることと思います。で、それからどうなるのか?どうなると思います・・・?まぁ、普通は、ゆったりとした心地良さが増して、リラックス感が云々、なんて考えるのではないでしょうか。ストレスが減るんだから、緊張感が抜けて、カラダが緩んで・・・ゆったりして、って考えるのは当然ですよね!が、が、今私が体感しているカラダの心地良さ、リラックス感は、そういうゆったりした感じとは、完全にとは言わないのですが、かなり違うんです。どう違うのか・・・それは、ズバリ、キーワードを探すとすれば、信じられないほどアクティブな充実感とでもいう感じなんですね。つまり、これまで1つのことしかできなかったのが、同じ時間で3つくらいできるようなアクティブな感じこんな風に言えるのです。敢えて、例えて言ってみれば、あの赤ちゃんのような感じとも・・・。動くときはひっきりなしに動き、休む時、眠るときは、ぐっーーーーすり泥のように・・・みたいな・・・短時間の睡眠でも、ハードワークでも、極めてアクティブなんですね。一般的な癒し、とか、リラクセーションと呼ばれるものとはかなり雰囲気やイメージが違う、と言えるかもしれませんね。要するに、カラダの使い方を、カラダの理に適ったより良いものに変えると、カラダをリラックスさせたり、休めたりする時間がより小さくて済む、わけですよね。カラダの閊え(つかえ)が小さくなり、腕を回せばブンブン回り、腰は、フラフープを回すようにグルグル大きく動き、脚や肩は骨盤と連動して動くので、歩いても疲れない、果ては、座って仕事をしていてもカラダの統一感覚があり、疲れにくい、となると、そりゃ、カラダは本来、やるべき日常の目標にしっかり集中でき、時間密度を深くすることができる、という極めて有難いコンディションになるわけです。本当にリラックスができた素敵なカラダとは・・・実はゆったりのんびりしたカラダではなくって、アクティブに活躍できるカラダ(心身)なんですね。まぁ、今日のトピックは実体験していないと、極めてわかりにくいお話かと思います。(そういう意味では私インスパイア大澤の独り言 ですよね。はいっ、すみません。)でも、カラダ探究の延長にはこんな素敵なプロセスもあることをご紹介しておきますね。(人間のカラダって、本当はもっともっと凄いのでは・・・ 最近脳の研究ばかりがクローズアップしていますが、 カラダだってね・・・!^^)もちろん、私も今そのプロセスの現在進行形に過ぎない、わけですから、御縁があれば、なんらかの形でご一緒できればいいですね。ということで、今日もここまで読んでいただいてありがとうございます。あなたのアクティブな今を心より応援しています♪
2007.05.19
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私たちが常日頃から、カラダにもっともっと意識を向けて、カラダが本来あるべき方向へ進み始めると、何が起こるのか?ちょっと意味が分かりにくいですよね!?ではまず逆から考えてみましょう。つまり、例えてみるならば、ずーーーっと、一日中パソコンに向かいっぱなしで、首が硬くなろうが、腰に痛みが出ようが、肩が凝ろうが、背中がズキズキしようが・・・・・・・我慢して、ひたすら作業をする。そして、カラダが悲鳴を上げているのに、カラダの方に意識を向けずに、結果として、知らんぷりをする!こんな感じでしょうか。まぁ、人によって、そのパターンは様々ですので、一様には言えないのですが、人それぞれ、(結果として)カラダを無視するいろいろなプロセスがあるわけなんですね。すると、カラダは仕方なく、その無視されたものを奥へ奥へと隠していく。それが蓄積していくと、頭痛、神経痛、四十肩、五十肩、血管障害・・・などに発展していくことも当然あります。これがカラダの本来あるべき方向の逆、です。一方で、カラダに意識を向けて、カラダの声を聴きながら、仕事を含めた日常生活をおくると何がどう変わるのか?まぁ、この変化については少し前に既に書いているんです。その中でも、とても大きな変化は、カラダがとてもオープンになるそう、つまり、胸が開くっていうことです。これ、実はむちゃむちゃ大きな変化なんですよ。胸が開くと、呼吸は当然楽にできるようになりますよね。すると・・・人との距離感、間合いが非常に楽になるんです。今までよりきっと人とのお付き合いが楽に、楽しくなります。これ、本当に劇的ですよ。気分がうつになると、この全く逆の、胸が閉じた状態になり、カラダはクローズドになりやすい、ですよね。カラダに意識を向けるとは、気持ちとか、心理的な部分からではなく、カラダ(の構造的な部分)から元氣状態を生み出す、助けにもなる可能性が大、なのです。で、カラダに意識を向ける方法にはどんなものがあるのか?うーーん。これはできると実に簡単(笑)なのですが、言語化はかなり難しいんです。でも敢えて言うとすれば、カラダの輪郭を感じる習慣をつけるっていうことなんです。それは、実際に自分のカラダに触れたり、人に触ってもらったりするわけですね。もちろん、その際に触れる力、方向性などいろいろテクニックはあるのですが、カラダの感覚が鈍くなった私たち現代人は、ただただ、触れて輪郭を感じる、というだけでも変化する場合が多いんですよ。それだけ、まぁ、カラダの感覚が麻痺して、自らのカラダの輪郭もわからなくなっている人が大半だ、ということです。もっともっと、簡単に言ってしまうとすれば、赤ちゃんに触れるお母さん役を自分でやったり、パートナーにやってもらったり、っていうことですね。強くマッサージするのではなく、軽く撫でたり、触れる、というのがポイントになります。ともあれ、要するに、現代社会に生きる私たちは、ある意味頭の使い過ぎ、カラダの使わなさ過ぎで、カラダの意識が希薄になっている、っていうことなんです。だから、よくイメージトレーニングで、例えば、カラダがお餅のようになっているのをイメージして!なんて言われても、カラダの意識が低いのに、カラダのイメージングなんてできるはずがないんですね。そもそもね・・・ということで、この内容を見ただけですぐに理解して、カラダの輪郭を感じるということがすぐさまできる方はそうそうおられないとは思います。が、ともかく、カラダの輪郭を感じるということがとても大切そうだ!そして、輪郭を感じることができるカラダ感覚を持つと、とてもオープンなカラダになり、人とのお付き合い、距離感がとても心地よくなる、すると、毎日の生活は・・・♪なーんてことを頭の、イヤイヤ、カラダの片隅にでも置いておいていただければ幸いです。長くなりすぎました。そして、今日の内容は少し難しかったかもしれません。私自身が現在も進行中の実体験をまとめている、という意味合いが強いですので、ご容赦くださいね。何しろ、かなり強烈な実体験が今も進行中なもので・・・少しずつ少しずつ、いろいろな角度からご理解いただけ、少しは日常生活に生かしてもらえるように努力していきますね。ということで、今日もここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。あなたのカラダがオープンになり、まさにオープンハートな素敵な毎日が過ごせるよう、心よりお祈りします♪
2007.05.10
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現在社会の、カラダをあまりというか、ほとんどカラダを動かさなくとも毎日が過ごせるこの御時勢。数百メートル離れたスーパーへ買い物に行くのも車。郵便局や銀行へ行くのも当然・・・その大義名分は、時間を買う!ということ、ですよね!だって、時間は有効に使わなくちゃ!なんですね~。が、しかし、有効に使えば使うほど、時間が足りない、どうしてだ???パソコンや携帯電話っていう便利なものができて、手紙を書かなくとも、電話ボックスを探さなくとも、今(相手の)手がふさがっていても伝言を可能にする便利な機器たち。(敢えてコミュニケーションとは言わないでおきますね!)スイッチ一つで、お風呂は沸き、部屋の温度は心地よく保たれ、ご飯は炊ける。コンビニに行けば、食べ物に事欠くことはない。・・・・・・と、本当にひと昔前、ほんの数十年前と比べても夢のような時代、といってもいいですね。と、ところが・・・みんな忙しい。なんかみんな急いでいる。あまりゆったりした感じ、ってないと思いません?そんな中でいつの間にか意識が弱くなるのが、他ならぬ、自分のカラダだったりするんですよね。カラダの意識が弱くなるとは、もう少しわかりやすく言うとすれば、例えば、一所懸命パソコン(のキーボード)を打って、何時間もお仕事をしている時、なんていうのがわかりやすいですね。そんなとき、私たちはカラダを動かして仕事をしている時よりも、肩とか腰、首のことをあまり意識してない場合が多いのです。(意識してないことも普段はあまり意識してない(笑)と 思いますが・・・)時には、息をすることも忘れていたり・・・・・・なんてことも。実は、カラダ感覚が落ちて、疲れているのもわからないくらい麻痺したりするのは、こんなところにも原因があるんですね。そして大人のみならず、最近では、テレビゲームなんかで夢中で遊ぶあまり、同様に子供のカラダ感覚もかなり落ちているのでは・・・と推定したりします。(もちろん、数字では測れませんが・・・)長くなるので、この位にしておきます。こうして、毎日の生活の中で、カラダにあまり意識を向けない習慣が積み重なり、意識不明に陥った、私たちのカラダは・・・日に日にカラダの奥へ奥へと、不調や歪みを隠さざるを得なくなってきます。だって、私たちが意識しないわけですから、カラダはやむなく自分で処理しないといけなくなるのですね。(当面、ごまかさないと仕方がないですよね。)では、もう黙ってカラダにひずみや疲れを溜めざるを得ないのか、というと・・・これを防ぎ、カラダを軽快に、奥に不調を溜めないようにする簡単な方法が、実はあるんです。その方法とは・・・あ、長くなるので、また後日触れますね。今日もここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。あなたの今が素敵な今になりますように・・・♪
2007.05.03
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2年ほど前に、確か、すごい会議という本が出版されて以来、すごい○○○という本が目立つようになりました。で、今日は私の独り言、メモレベルではありますが、すごいカラダ。私、インスパイア大澤は独学、独自研究でカラダと言葉の研究をここ約10年ほど続けているんです。そのプロセスでは、特に特定の師につくことはしていなかったのですが、2年ほど前に、ヨガ歴30年の尊敬できる師との出会いがあり、その師にはそれ以降継続してヨガの延長線上にあるものを学んでいます。その流れは、今大きな変化のプロセスにあります。その師御自身が大きなバージョンアップ、ステージアップの時期に当られたようなのです。とても有難いことにその恩恵に浴しているのが今の私です。さて、しっかりしたハードウェアつまり、カラダを練っていくと、中のソフトウェア、この場合敢えて表現するとすれば、氣の流れはよりスムーズに、より通りやすくなります。そうすると、何が起こるか?そう、ハードウェアにソフトウェアがうまくインストールされるというわけですね。すると・・・それはつまり・・・ヨガ歴30年の師が感じているカラダ感覚を私インスパイア大澤も一定レベルまでは感じれるようになる、ということなんです。で、この感覚がまたとてつもなくすごい。言葉に表現するとベタで、つまらない(笑)ですが、カラダはオープンになり、筋肉はプニュプニュで赤ちゃんのような弾力、軽快で疲れ知らず、氣がおなかにドシッと入って、当然今を全力投球できる、そんな夢のようなカラダが体感できるんです。信じられます?(笑)今、私のインスパイアな活動の源泉はコレなんです。私自身はスピリチュアルと呼ばれる精神世界系のお話はあまり好きではないのですが、まぁ上記は一見ソレに近く感じられるかもしれませんね。(実際はかなりプロセスが異なります。)ともあれ、健全なカラダに健全な精神が宿るとは良く言ったもので、しっかりしたカラダを練っていけば、日常活動が、まぁとても充実するインスパイアな活動ベースができるのは、本当のお話です。とりわけ、昨今起こっている残忍な事件を起こすようなカラダやストレスに耐えきれない心はきれいに払拭しできるのでは・・・と思います。すごいカラダはこれからの時代にとても大切なテーマになってくるのでは、と考えている次第です。とても楽しみ、ですね♪と、今日は結構大きなお話になりました。ここまでお読みいただき、ありがとうございます。あなたの今がとても充実したものとなるよう、心よりお祈りします♪
2007.04.27
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私インスパイア大澤は、この楽天ブログを始めるころ、つまり数年前の話ですが、『引き算』ということを主要テーマに持っていました。そのころは主に健康法という範疇で、カラダに良くない、食品添加物や電磁波・・・逆にカラダに良いといわれる健康食品でさえも、取り過ぎや、過剰な期待はカラダに害をもたらす場合がありますよ!という、今から考えればまぁ極々常識的なことをお話しておったのです。当時としてはまだまだあまり知られていないテーマとして・・・が、今は例えばこんな本も出ていますから、状況は一見すると大きく変わり、今ではそれなりに常識に沿ったテーマとも言えるようにはなりました。↓また、最近の論調では、健康食品やサプリメントをはじめとした健康情報に対する過剰な期待が、あのあ○ある事件の影響もあり、少しダウン基調になっているのは、むしろ怪我の功名と言ってもよいのではないでしょうか。このように時代が一見変わっていく中で、今私はやはり引き算というテーマがまだまだ大切なことを最近特に痛感している次第です。これを書き出すと長くなりますので、少しだけ触れますと、例えば、■情報■無駄な力■パソコンに向かう時間■車の運転■食事量■頭(脳みそ)の使いすぎ■固定観念(先入観)・・・・・・などなど、引き算すれば劇的あるいは根本的な変化が得られるものがたくさんあります。また個別には追々触れていきたいのですが、ひとつだけお話するとすれば■無駄な力について・・・というのも、日常の生活習慣の中で私たちってかなり必要のない力を使っているんです。とりわけ昨今ではパソコン仕事で、不自然な姿勢を長時間続けることにより、肩や腰などの柔軟性、弾力を失って、硬直化して、自らパワーダウンしてしまっています。これは多くの人が、無駄な力を使って、カラダの使い方を間違っているから、起こっているものと思います。本来、もっと自由に動く、動かせる肩や腰、首などなどが硬直化するということは、日常の行動力までが制限されることにも繋がり得る、というのは当り前のお話ですよね。逆にこの無駄な力や硬直化が引き算できるとどうでしょうか?そう、それこそ旺盛なる力が自然と湧き上がり、行動力の源泉が今より活性化するのは、これも当然です。ということで、今の時代、本当にたくさんの情報やものが溢れかえっていますが、それをせっせと取り入れるだけでなく、引き算という発想を持つのは取り入れる、つまり足し算だけの発想よりもより根本的な効果を狙い得る、という視点をもつのも良いのではないでしょうか。(※足し算を否定しているわけではありません。念のため・・・)私の今後の活動の原点はどうやら、この引き算というテーマがやはり大きいようです。もっとも、以前の健康という切り口はあくまで一面ということで、インスパイアな生き方という、もっと本質的な範疇まで範囲は広がりますが・・・ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。あなたとのひと時の御縁に心より感謝いたします。
2007.04.16
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カラダの使い方が現代は頭脳中心型になっていますよね。そう、つまり、何か事を起こすときなんかでも、それって、『どういう意味があるの?』 『それをやればどんなメリットがあるの・・・?』 『何のためにそれをやるわけ?』 『なんで金にもならない日記やコラムなんて書くの?(笑)』まず頭で考えてから行動する。これが今の時代の主流ですね。(最近の小・中学生もすぐに『なんのために?』と聞くそうですよね。そう、意味のないことを彼らはやらない、わけです。)これも、目的や志をもって進めればいい面もあるでしょう。計画的に物事を進めることが悪いはずはないです。でも、今は悪い面がたくさんでてきています。頭は結構要らないこと(関西ではいらんこと)を考えちゃうんです。たとえば、不○家、別に不○家だけに限った話ではない最近の企業のマスコミネタ。あれは、頭が姑息に考えた結果の行動だと思いません?『言わなければわからんよ!』『ちょっとくらい大丈夫!』『目標予算を達成するためには、これくらいは普通、普通!』ってな感じでしょうか。が、しかし、社内基準なり、賞味期限を過ぎた材料を、だれも好き好んで使うとは思われません。とりわけ、それを実際にやる作業員の方はおそらくイヤだったか、感情を麻痺させたり、無視したりして無理やりされたのではないか、と勝手に推定します。ともあれ、カラダは本来正直なんです。私も最近また書きたくなったから、この場で書いているわけで、この場合、頭で考えては書いていないのです。そう、カラダが欲しているんですね。全く同じように見える行動でも、このように頭中心で考えて考えて行うものと、半ば、もろに本能の延長戦上でカラダごと行うものこれは流れとしてはかなり異なるもの、となり得るのではないか、と最近痛感しています。実は、今日のコラムでは、全然今書いたのとは異なる内容を想定していたのですが、まずはこのような切り口でいっときます。流れとしては、カラダを感じて行動すると、トンデモナイ結果が生まれてくる、というものをもっと書くはずだったのですが、また後日改めますね。以上、ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。あなたの今が素敵なものとなりますよう、心よりお祈りいたします♪
2007.04.13
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最近わかってきたことの一つに、部分+部分=全体に必ずしもならない、ということがあります。たとえば、スポーツのパフォーマンスをより良くするために上半身の筋肉を鍛えるなんていうのがわかりやすいですね。鍛えると、確かに腕の力はパワーアップして、カラダが軽くなったように感じたりするが、カラダ全体がうまく連動して、今までよりも動きが良くなるかというと必ずしもそうはならない。イヤ、むしろ鍛えなかった脚とのアンバランスが出たりして、どうもギクシャクして、挙句の果てにケガなんかしてしまう。おもに明治時代以降に輸入された西洋型の分析思考は、この部分(の力)強化=全体(の力)アップに繋がる、という発想で最近までずっと進んできました。企業の合併・吸収なども同様の発想ですよね!各部分を鍛えれば鍛えるほど、全体がパワーアップする!これが未だ現代主流の発想であることは間違いありませんよね。良くも悪くも・・・ところで今、一流のスポーツ選手もよく怪我に泣かされていますね。彼らは非常に高いレベルでこのジレンマに悩んでおられるのではないか、と私は感じています。スポーツトレーナーに欧米の方が多いこととも関係しているかと思います(あくまでも私見です)が、相撲や野球などの一流選手でも本当にケガが多く見られます。さてでは、部分発想ではない発想はどこにあるのでしょうか?それは・・・動物の進化の過程を深く観察するとヒントが見えてくるんです。(ここは少し難しいのでこの項では端折ります。)そして、今のスポーツの世界の主流である筋肉トレーニングではなく、骨を中心にカラダを見ていくと、やはりヒントが見えてきます。昔から日本では骨(コツ)という言葉があり、このコツをつかむと、スポーツでも料理でもぐっと腕が上がる、ということがありますよね。どうやら、カラダを今よりもより良く使って、より素敵な人生を楽しむためには、この骨の連動に注目していくのが効果的です。そして、この骨の連動をベースに日常の生活の仕方を変えていくと人間不思議なもので、行動力とか結果もいろいろな場面で変わっていくのです。文字通り体得ですね!まぁこんなことをこの間、といいますか、日記をお休みしていた間に実体験・実地研究を重ね、今も変化の過程にあるインスパイア大澤でした。日記の更新も本当に久しぶりになりましたので、あらためてお伝えしておきますと、この日記はあくまでもプレイベートな範疇を中心に、『自らの現時点の認識を記し、(できれば)ご訪問の方も気づきを得られ、ともに人生をより良く生きるヒントとなり得るようなもの』であれば、と勝手に考えています。ともあれ、本日、ここまでお付き合いいただいたことに心より感謝しつつ、あなたの素敵な今をおいのりします♪
2007.04.09
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このところ、かなりアクティブなステージが続いています。そのため、この日記に向かう時間もほとんど取れてない状況です。でも、今やっと時間が取れました。久しぶりに少しエネルギーを注ぎたいと思います。さて、この月初めは、ご縁をいただいた同年代の友人の死に直面した。なんともやり切れない想いに浸っていた矢先、その同じ日に、また別に身内の死まで重なった。この世は錯覚で成り立っている、とある有名な学者が言っているのを聞いたことがある。昨日までこの世に存在したはずの人が、ある時、この世から消えてしまうというのは、まさにこの世が錯覚で成り立っているから、とも言えるかもしれない。ある時、突然この世に生まれて、ある時、急に消えていなくなる。眼の前に(確かに存在しているはずの)本箱やデスクも100年後にはおそらくどこにも存在しない。考えてみれば、本当に私たちの人生って短いものですよね。少し抹香くさくなるのかもしれないが、仏教用語の、色即是空、空即是色っていうのは、(独断と偏見で)直訳すると、あると想っていたものがなく、実体がないはずのものが今存在している、となる。要は、物質とは絶え間ない変化の中に漂っている存在なんですね。だから、本来は私もあなたもあるひとつの偉大なエネルギーが一時形を変えただけの存在なのかもしれない。まぁ、そう考えると、世間でよくよくいうところの、例えば、あいつはこうすべきだ!とか、こいつは気に食わん(笑)とか言うようなことは、あまり意味がないことかもしれません。身近な人の死に直面してインスパイア大澤は、こんな哲学的な、少しスピリチュアルで宗教的な考えを一人思い巡らしていました。でも、たまには、忙しく、恐ろしくテンポの速い現代社会の中で、こんな思索をすることも、大切なのではないかな!今という大切な瞬間をめいっぱい生き切るためにも・・・ネそんな氣がする今日この頃です!今日もここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。あなたとの素敵なご縁に心より感謝します♪
2006.07.17
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どうやら同じらしい。カラダも・・・あっ、いきなりでは分かりませんね。(笑)すみません。人間の脳みそは、実は未だ数パーセントしか活用されていない、っていうことが今言われていますよね!これとおんなじことなんです。 どうやら人間のカラダも極々一部のいわゆる(武術やスポーツの世界で)達人と呼ばれる人以外は、自分のカラダをやはり数パーセントしか活用していないに違いない、そういう説が身体研究家の間でもしばしば話題になっています。もっとも、脳の研究も分からないことだらけであるのと同じで、カラダのこともまだまだ分からないことだらけです。あくまでも、身体研究家は、自らのカラダをベースに数々の実験検証を行い、まだまだ(カラダを)使い切ってないな!と感じているにすぎないのですが・・・他ならぬインスパイア大澤も、やはり自らのカラダをベースに数年前から本格的に研究をスタートしました。そして、うーーん。現代科学文明は、どうやらカラダというとても大切な自然そのものを、活用しきっていないな!勿体無い!!!このままでは・・・という感じを強く抱いている次第です。今、まさに脳のトレーニングや速読などが一つのブームになっていますよね!この延長には、脳や神経も含めたカラダ感覚を磨く、という流れがもうそこまで来ているように思います。現代の科学文明がちょっと置き忘れたものを再び想い出し、新たなる文明・文化を創り出すために・・・今日もここまで読んでいただいてありがとうございます!久々の更新になりましたが、あなたのますますのハッピーをお祈りしています♪
2006.06.13
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最近、年甲斐もなく(笑)、とある武術をはじめました。もちろん、武術の動きから、日常に活かせるカラダの使い方を学ぶためです。まぁ、これははじめたところなので、これからまた色々ネタは出来てくるかと思います。(詳細なお話は、最近立ち上げたメルマガに譲りますが・・・)それはさておいて、それ以前から、注目していた、いわゆる【(武術の)達人】と言われる人のカラダの使い方について少しだけお話を・・・。私がいつも感じる達人の特徴って、自分が思ったとおり、イメージしたとおりにカラダが動かせる、っていうこと、なんです。一見、当たり前の話ですよね!?で、でも、凡人は、これができない、んですよ。ははは!私も含めて・・・。達人が、【同じようにやってみて!】というわけですが、これがなかなか。(笑)ちゃんと同じようにやっているつもりが、実際は、まったく違う動きになっていたりするんですね。悲しいほどに・・・これで、ハタと気づいたんです。そう、イメージしたとおりにカラダが動かせるって、つまり、行動レベルの精度も上がるってことなんですよね。カラダの使い方をより良く磨いで行くと、頭良くなる(可能性がある)、ってお話です。いわゆる、知識は持っていないけれど、いい大学を出たわけではないけれど、頭がいい人、つまり、地頭がいい人って、きっとカラダとイメージ(頭)がカッチリ合致している人なんです。確かに、頭の回転の速い人で、カラダがテキパキしてない人ってあまり想像できないなぁ・・・さて、現代社会では、とりわけ、パソコンのバーチャルな世界で、メールしたり、Webサイトを覗いたり、若い人はゲームをしたり・・・といろいろですよね。でも、そこでは、やっぱりカラダ感覚が弱いんですね。まぁ、弱いならばそこを補強すればいいってことです。ところで、インスパイア大澤は以前、20年ほど前には、とある武道をやっていました。ちょうど大学のころの話です。で、黒帯なんてものももらっています。が、それは、今振り返ると、いわゆる競技にあたるものでした。それは、主としてパワーとスピードを競うものでした。今の歳になると、さすがに20代と比べて、筋力やスタミナは落ちています。そして、これかからまだまだ落ちるでしょう。残念ながら・・・なので、今からまた、上記武道はちょっとNGだな!って思っていたのです。一生続け甲斐のある武術って何かないかな!って思っていた矢先に、ご縁をいただいたのが、今はじめた武術というわけですね。これは、歳をとっても、そのレベルを質的に上げることが可能で、力と力がぶつかリ合う、というものではありません。カラダの内側にある感覚を鍛えて、練り上げていくようものなんです。皮膚感覚、神経、イメージ・・・こういったものを時間をかけて磨いていくことによって、カラダの使い方の精度を極限まで上げていこう!っていう世界です。その延長には、実は同時に、健康づくり、ということもあります。(最近、整体武術っていうのも出てきていますよね。これも私の現研究テーマなんですよ。)ともあれ、繰り返しになりますが、時間に追われる、現代社会に生きる私たちは、どうしても、カラダ感覚を磨く時間が少なくなります。歩かない、ご飯はお腹が空かなくても3回は最低食べる、・・・・・・(効率が上がって、時間にゆとりができてもおかしくないのに、よく考えるとへんな話ですよね!)カラダと対話をする時間は数十年前と比べても、激減しているはずです。ちょっと長くなりましたが、要は、最近、変な事件がしょっちゅう起こって、半ば麻痺気味ですよね!昔は起こってないような残忍な事件が多発しています。その昔と比べて、変わっていること。その変わっている部分に注目し、今の日常生活に新たに取り入れ直すのは、とてもシンプルだけれど、有効な方法の一つだとインスパイア大澤は思います。あなたはどう思います?ということで、今日もここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。あなたの今がステキなステキな今になりますように、心からお祈りしています♪
2006.05.19
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先日、日経新聞夕刊の記事で気になるものがありました。それは、最近「昭和史」の著作でも話題になっておられる半藤一利さんをインタビューした、「シニア記者がつくるこころのページ」です。以下少しだけ引用します。「猛烈な勢いで普及した携帯電話は怖いですね。自分の嫌いな情報はカットして好みの世界に没入できる。画面が小さいので短い言葉、勢いのあるメッセージが伝わりやすく、論理的なプロセスが省略される。集団催眠を演出する小道具として、政治家に利用されないかと心配です。」と・・・半藤氏が言われているのは、(昭和時代から続く日本人の特徴は、)「とりわけマスコミに煽られて、一旦燃え上がると、熱狂そのものが権威となって人々を引っ張ってきた歴史だ」っていうことなんです。その実例として、氏は、先回郵船選挙の際の小泉首相の一言、「オレは殺されても」は一つの国民的熱狂であり、集団催眠の一つだと、指摘しています。うーーん。今回の26歳の民主党選挙も少し似たようなニオイを感じますねー。国民的なレベルではなく、この場合は地域的な、ということにはなりますが・・・。まぁ、政治はややこしいので、これ以上の言を差し控えます。それよりも、やっぱり注意したいのは、(氏も携帯メールの問題としても指摘しているように)IT時代の私たちのあり方、です。最近では、HPはもとより、メルマガ、ブログ、SNS、ビジネス系では、情報販売、セミナービジネス、アフィリエイト、ドロップシッピング・・・・・・そして、パソコンだけでなく、携帯モバイルも日に日に技術レベルは上がっています。こんなIT情報の渦の中で、気づかないうちに起こっているとも言える集団催眠、あるいは洗脳。これって、半ば無意識のうちに進んでいくのが怖いですよね。もちろん、楽天ブログをやっている私たちは、少なくとも、大なり小なりの催眠状態(笑)にはあるか、と思いますね!まぁ、大人になってからITツールに触るのはよしとしても、子どもの頃から、習慣として(ITツールに)触れ続けるっていうのは、かなり怖いと感じます。最近起こっている低年齢化した殺人事件は、IT時代の私たちのあり方が、まさに問われているのではないでしょうか?・・・・・・・・とつらつら書いていくと、全くまとまりません。ともあれ、今の時代は、頭の使いすぎで半ば催眠状態(!)、加えて、カラダを使わなさ過ぎなのは、ほとんど疑う余地なし、でしょう。一言でまとめるとすれば、【IT時代に必要なカラダの使い方】これが、今本質的な一面として求められているんですよね。それで、私インスパイア大澤はまぐまぐで【感じるカラダですか?】っていうメルマガを書いてきました。そして、今その発展継承型として、独自配信型のメルマガコミュニティをスタートしたんです。(まぐまぐでも、メール交換のやり取りがあった方には、 順次ご案内中、です。)最低、メールアドレスと、名前くらいは明確にしたコミュニティーからまずスタートしよう、っていうことなのです。ということで、バーチャルで匿名型の空間、まぐまぐのメルマガは(急遽)しばらくお休みします。で、メールアドレスと名前のやり取りがある方々と、まずは、濃いコミュニティーの場づくりを今スタートしています。上記に明記したように【IT時代に必要なカラダの使い方】をテーマに、よりしなやかに行動する、関係性の場を少しずつ構築していきますので、このプロジェクトに興味のあるあなたは、私書箱にご連絡くださいね。ということで、今日もここまで読んでいただき、ありがとうございます。あなたの今が最高の今となりますように・・・♪
2006.04.25
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ウォーキングレッスンみたいなのが今人気なんですよね?○○ーク○○さんとか○○○○KOさんとか・・・それだけ、美しく若々しく歩くって魅力的なことなんですね。そりゃそうです。背筋が曲がって、顔は下を向き、ゼイゼイいいながら、歩いていてはやっぱり美しさという観点でも、良くないですものね~。さて、それはさておいて、歩くということを考えるときに、楽に、スイスイと歩くには何が大切だと思います?例えば、筋肉を鍛えるとか・・・!?これって実は、私も長い間悩んでいたことなんです。毎日走りこんでいれば、確かにカラダは軽くなる。それは筋力がついて、カラダを支える力が強くなるから、と至極当たり前の結果ですよね。で、でも、走るのを止めると、とたんに今度は筋肉が落ちてくるジレンマに襲われる。そして、調子が落ちる。また走る。調子が上がるしばらくして走るのをちょっとお休みする。ちょっとカラダがだるい・・・・・・・・・うーーん。これって年取っても続けれらるのか・・・!?って考えて、あーでもない、こーでもない、といろいろなカラダ感覚を独自に研究していました。そして最近・・・ある尊敬するヨガの先生のおかげで、ついにフワフワ浮くような軽い感覚で筋力でガツガツ歩かなくても、歩けるようになりました。フワフワ、と言っても、地面にシッカリグラウンドした感覚で・・・ですから、もちろん浮ついたようなものではありません。体軸をしっかりもったまま、まるで、各駅停車の電車から、リニアモーターカーに切り替わったような強烈なスイスイ感覚です。この違いはどこから?それは、一言で言ってしまうとすれば、【骨と筋】にポイントがあります。骨は、そのものズバリですが、筋は主として、カラダの奥のほうにある、インナーマッスルとよく言われる筋肉です。この筋は、通常行うトレーニングではほとんど鍛えることができないようです。でも、骨と筋の使い方が変わると、日常動作が見事に変わります。なぜにこんな話をするのか?なぜって、今、あまりにもカラダが軽視されすぎているから、です。キレル、とか、ウツっていう現代病も、心的な問題ももちろんあるのですが、そのベースとなっているカラダへのアプローチを忘れがちなんですね。もちろん、ストレス、といった最近当たり前となった感覚もカラダへのアプローチが有効になります。そもそも、スイスイと弾むように歩く人が、ストレスを感じる間があるかというと、まぁ・・・普通はあまりないんですよね。(笑)ということで、大澤インスパイア塾(仮称)では、新しい価値観、時代のウェーブを創るために新しい関係性のコミュニティーをスタートしました。様々な環境には既に私たちを変える要素が隠れています。そんな環境の場の一つとして、大澤インスパイア塾は、IT時代のカラダ感覚を実践研究する場を提供します。地道に、そして継続的に、大きな視野で取り組んでまいります。ここに何かを感じるあなたは、私書箱の方に気軽に声をかけて下さいネ。(当面はオンラインベースですが、 拠点は大阪にもっています。)ということで、今日もここまで読んでいただいてありがとうございます。あなたの今が輝く今となりますように・・・♪
2006.04.10
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うーーん。(ちょっとうめき声。笑)これは、文章を書くのが大層だ、というわけではありません。ここ数年来、強化研究している、カラダ感覚についての中身が一気に深まるなかで、その実を言葉にするのが難しくなってきた、ということです。とりわけ、このような(楽天日記)パーソナルな、短い日記では・・・。(あまり日常的なスタンスから離れると、 この人ついに・・・なんて思われそうですし・・・。笑)が、形にしないことには、(世の中貢献的意味合いでも)勿体無いので、今、インスパイア大澤も小さな私塾のようなものを開くことを、既に準備検討中です。志高い精鋭のために・・・。それはさておき、今、本当に時代の変わり目、ですね。一言で言うとすれば、20世紀来に出てきたたくさんの知見が、統合されつつある時代。そんな感じが強くします。で、話は少し飛びますが、心理学なんかでも、知(識)や技術的なスタンスだけでなく、カラダも含めた全体感覚ということが、たくさん言われ、実践され始めているように思います。当然、私たちの知らないところでも、流れとしての統合が、いろいろな形で進んでいるのかもしれませんね。と、まぁ、かなり漠然としたお話ですが、(独り言でもあります。)無理に(笑)まとめてみるとしたら、要は、今までの習慣、常識を超えた【何か】が生まれようとしている。それは、本来(もともと)あったものかもしれないのだが、裏側に隠れていた【何か】が、ようやく表に出て、一つになろうとしてる、そういう時代なのかもしれない。(つまり、単に表が裏になり、裏が表になる、というレベルではなく、 表裏が一緒になって、スケールアップする、というような ニュアンスですね。)そんなお話でした。イヤー、かなりわかりにくい、ですね。(笑)すみません。まぁ、もっとカンタンに言うと、今現在の常識の多くは、10年後、30年後の非常識かもしれない!ってことですね。何も今に限ったお話ではなく、歴史を通じてそういう部分はたくさん観られます。でも、現在のプロセスはその程度が特に大きいのでしょう。こういう貴重な時代に生かされている、ということに、私たちは時に眼を向けたほうがいいのかもしれませんね。今日もここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。あなたの今がステキな瞬間となりますようお祈りします♪
2006.03.30
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うーーん。これは言語化が難しい。でも、個人的な覚書程度には書いておこうと思う。例えば、お茶の作法や武術で言うところの礼法には、形式だけではない【何か大きな力】があったのだろう、というのを、実際に体感してしまったのです。それは、私とあなたが対峙して、【私は私】【あなたはあなた】ということで、完全に分離して、向き合っているのではないのです。それは、あなたと私の間に生まれる【何か】に向けて、その【何か】に導かれるように、自然に礼(お辞儀)が成り立つんです。イヤー、言語化すると、難しい、ですね。(笑)実際に目の前でやるとカンタンなんですが・・・その礼は別に相手を意識しなくても、極々当たり前に、すっーーっと、ほとんど合致したタイミングでのお辞儀となります。そして、その礼をした後は、その場がまとまり、話も物事も極めて自然に、そして充実した形で進むんです。って、話だけでは信じられない、ですよね!(笑)まぁ、当たり前ですね。ともかく、私の研究対象は今やこのようなコンテンツとなっています。IT時代に失われつつある、カラダの使い方、が中心テーマですね。ちょっとだけ分かりやすい例示をしておきますと、今、目の前の相手の話をあまり良く聴かないで、自分の自己主張、必要なことだけをするっていうのは、例えば、レストランのウェイター、ウェイトレスさんでもよくありますよね?残念ながら・・・ですが。実は先日、ファミリーレストランで、そういう出来事があったのです。ウエイトレスさんは、私たち客の方をよく見ないで、出来上がった料理をボン、ボンと音を立てて置き、やっぱり私たちを見ないで、【どうぞごゆっくり!】と言って戻っていかれました。別に文句を言っているわけではないのです。(笑)現代では日常茶飯事です。それって、実は怖い話ですが・・・それはさておき、このような場と、上記のような礼の場とでは、明らかに【力】が違いますよね。もっと有体に言うとすれば、運とかツキの力もこのような積み重ねだと感じています。なんとなく、言わんとする雰囲気、ご理解いただけますか!?とりわけ、家族内でのコミュニケーションでは、人と人が向き合うときの伝統に伝わる礼法を、形式としてではなく、感性として今一度見直すべき時が来ているように思います。コミュニケーションの一番のベースとして、ネ!もちろん、向き合うっていうのは、これはあくまで一例であって、いろいろな場で色々な応用が考えられます。ちょっと抽象的で分かりにくいですね。でも、これ以上書くともっとややこしくなりそうですので、今日はこのくらいにしたいと思います。ここまで読んでいただいて、ありがとうございます。あなたの今が輝く今、となりますように♪
2006.03.14
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【今ハマッテるんです。】それは、なんと座卓。今、家でパソコン打ったり、書き物をするのはほとんど座卓です。座卓っていうともう一つイメージがつかめないかも、ですね。脚折れテープルって言った方が分かりやすいですよね。いわゆる、四角いミニテーブルです。もちろん、そのときの気分で、時々広いデスクも使いますが、今は、パソコンも無線LANで、コードを引っ張りまわす必要もないから、座卓、とても重宝しています。あっ、パソコンは当然ノートですが・・・そして、基本は正座。でも、正座はずっとは続けられないから、時々胡坐(あぐら)に切り替えます。これやると、よく言われるように、やっぱり日本人は腰腹をベースとした民族なんだなぁ、と実感が湧きます。お腹や腰にドッシリとした力が湧いてきます。(文章もあんまり軽いものはかけなくなるような氣が・・・笑)同じ2時間の仕事でも、終わった後の感じが、テスクと座卓ではあまりにも違うんです。まぁ、以前は、デスクに向かい、椅子の上に正座したりしてました。それはそれで、なかなか良かったのですが、どうやら、デスクとの関係で高さが、ピッタリとはカラダに合ってなかったようです。それと、椅子の上の正座では地べたに比べちゃうと、安定感では負けちゃいます。あ、そういえば、今、日本の相撲が外国人に押されたり、男女の生殖機能の低下・不調、婦人科疾患の増加、肩こり・腰痛・脳疾患・ガンの増加、若年層の体力低下・・・・・・などなどが言われてますよね?これも、正座文化の消滅から来ている、と、ある識者は言っているんです。以前は、そんな話、自分が(正座を)やってなかったから信じられなかったかもしれませんが、今はシッカリ納得!ですね。ところで、私の家は、ダイニングは掘りごたつなんです。テーブル椅子ではないので、食事は正座で食べるんですよ。(で、足が疲れたら、掘りごたつに足を入れる、と・・・)これのメリットは、食べ過ぎないってこと。正座して食べると、腰が入って内臓がより良いポジションになり、食べ過ぎると、胃の窮屈感がわかるんです。そして、腹八分目、の心地良さも実感できます。だから、食べ過ぎず、消化機能も良く働くんですね。また、これは比較すると良くわかりますが、椅子に腰掛けるのと違って、明らかに肩が緩みます。つまり、パソコン仕事でも肩が凝りにくい、ってこと。・・・と、正座の効用について、ブツブツと一人ごちてみました。IT時代、そして飽食、運動不足、ストレス過剰の時代に手軽に、しかもタダでできる健康法。【正座】日本が誇る、腰腹文化の伝統。あなたにもお勧めしますね。あっ、でも正座が出来ない硬いカラダになられたあなた。(これは結構問題なんですよ。)そんなあなたはまず正座できるカラダを取り戻すこと。大丈夫。インスパイア大澤もほぼ2年がかりで、しっかり正座できるカラダを取り戻したんです。出来ます出来ます!だいじょうぶでーす。最後に、まぁ、ここで一番お伝えしたかったのは、日本で伝統的に伝わってきた、【正座】という型には、(私たちが久しく忘れてしまった)日本人の生活の智慧が他にもいろいろ詰まっているのかもしれない、っていうことです。またさらに、最近の私自身の研究では、【挨拶】とか【礼(お辞儀)】にも深い智慧が隠されていた、っていうこともあるのですが、この項ではこれくらいにしておきます。今日もご来訪いただき、ありがとうございます。あなたとのご縁に感謝します♪
2006.03.06
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例えば、イメージでキャッチボールをするとします。まずAさんがBさんに向かってボールを投げる。(マネをする)Bさんは、はーい!と取ります。そこには気持ちのいい対話、一つのコミュニケーションが成り立ちます。が、もし、ここで、Bさんがプイッと横を向いてコレを無視すると、Aさんはどのように感じるでしょう?(これ実際にやってみられるとよくわかりますよ。 ホントに○○○悪いですから・・・)あるいは、Aさんがボールを投げてきているのに、Bさんが本を読んでいたら、その場の感じはどうでしょう?また、あるいは、Bさんが携帯メールを打ち始めたら・・・実は、現代のコミュニケーションで起こっているのは、コレに極めて近いようです。【上の空】コミュニケーションって言ってもいいかも、ですね。で、一番怖いのは、上の空であることに気づいていない、つまり気づいていないことに気づいていない(ちょっとややこしい。笑)ということが、実際に今たくさん起こっているんですね。はい。もちろん、私自身も反省を込めてのお話です。(やってますよ!絶~対・・・みーんな。笑)でも、大人のコミュニケーションが、もし、【上の空】コミュニケーションだすると、子どもはいったい・・・!?とツイツイ考えてしまいますよね。今日もここまで読んでいただいて、ありがとうございます。あなたの今がステキな今、となるようにお祈りしてます♪
2006.02.22
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姿勢を正して、【肩が凝る】【腰が痛む】これって一見へんですよね!でも、こういうのって、実際しょっちゅう(本当言うと毎日!)体験してるんですね。それは、例えば、知り合いの結婚式。パリッとスーツを着て、背筋を伸ばして・・・で、家に帰ると、あーっ、ウォーっ、疲れた!となります。この場合の原因っていうのは、外的には、【人目(という引力)】と、結婚式という場での【関係性】なんです。カンタンに言っちゃうと、普段から会ってお付き合いしている仲間同士では、そんなに疲れないんですね。そして、もっと根本にある原因は、カラダの【こだわり】とか【引っかかり】、そして【満たされない想い】なんですね。カラダは毎日の生活及び思考習慣のもとに、一人ひとり行きたい方向が違います。ある人は、背中を丸めた姿勢がカラダの【こだわり】をバランスさせる姿勢だったり、またある人は、首をグッと後ろに倒した姿勢で、とても心地良く息が通る。つまり、逆に言うときっちりと背筋を伸ばした【一見いい姿勢】は、その人にとって、疲れる姿勢なんです。その人の【こだわりやこわばりがある】現在のカラダにとっては、ネ。だから、いい姿勢っていうのは、無理やりつくっても意味がなくて、自然にそうなる必要があるっていうことです。その方法論というか、実際に隠された楽な姿勢(といっても、これは背中が丸まったりしている)を見通して、そこから自然に楽に、整った姿勢を取り戻す【やり方】はもちろん別にあるんですよ。ここでは長くなるのと、言語化してもあまり意味がありませんので、敢えて触れませんが・・・いずれにしても、カラダをベースに発想すると、さまざまな気づきと、その反応(行動)がいともカンタンに得られます。カラダって、私たちが想像する以上にとてつもなく賢こそう、ですネ。あっ、そうそう、最近のライブドア事件や耐震基準偽装、東横インなどの問題は、【カラダ発想】してない、最たるものですよね。アレは、モロに【頭発想】から来ています。頭って、かなり要らんこと、考えるんですね!私もそうですが、ホントに(頭は)ろくな事考えません。(笑)と今日のトピックはあまりまとまっていません。少し難解でしたでしょうか。ごめんなさいね。でも、ここまで読んでいただいたあなたに感謝します。ありがとうございます♪
2006.02.14
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普段ほとんど意識しないものの中に、大切な要素が結構隠されたりしてますよね!そのうちの一つが【引力】。私たちが、この地球の大地から飛ばされないために人知れず(笑)働いてくれています。また、もっと大きく捉えると、地球は、月とか太陽とも眼に見えない【引力】が働きあっているんですよね。まぁ、私は天文学や物理学は専門ではないので、詳細は専門家にお任せするとして・・・ここでは、人と人との間にも【引力】が働いている、っていうことをお伝えしたいと思ったんです。例えば、何かあの人、一生懸命やってるな~。何か引かれちゃうなー、っていうのがそれです。ここからお互いを尊重した、新しい関係性が生じて、新たなる変化が生まれます。地球と月で言えば、潮の満ち引きもそれに当たるのでしょう。いわゆるシンクロニシティー(共時性)っていうことも【引力】とは無縁ではないですね。なんでこんなお話になったのか?それは・・・、カラダ感覚を養うときに、普通、よく【重力】に身をまかせよう、ということを言って、実際にそのようにすることがあります。でも、よくよく考えると重力だけではないな!と。他にも働いているものがありそうだ!あっ、そうそう。【引力】もだよね!ってところから始まった次第です。この引力がカラダ感覚に大きな影響を及ぼすことが最近の研究で体感できました。具体的には、色々な要素や関係性があるのですが、敢えてカンタンに言うとすれば、AさんBさんCさんというお互いを信頼した3人と全く初対面で緊張気味のDさんEさんFさんという3人では、やはりABCの3人のグループの方が、カラダ感覚を鍛える際に、より良い感覚を得やすい、っていうお話です。つまり、【関係性の質は、そこから得られる果実に影響する】っていうことが言えそう、ですね。ということは、お付き合いする人はそのお互い同士にとっても、やっぱり大切だな~!ってことですよね。人は出会いという触媒によって変化する。そこに介在するのが、【引力】。自らがどういう種類の【引力】に引かれるのか、を時には見つめてみるのも面白いかも、ですね。数字第一主義【引力】が好きなのか、あるいは、マッタリ系【引力】に引き寄せられるのかはたまた、充実感【引力】が心地良いのか・・・・・・・・・あっ、ちなみに、インスパイア大澤が最近引かれる【引力】は、キーワードで言うと、『中庸』『バランス』『文武両道』『(頭でなく)丹田を満たす』系などなど、です。今は、バランス重視に引かれているんですね。まぁこれも、時、所、人によって、人それぞれです。ということで、ここまでお付き合いいただき、ありがとうございます。あなたの今が最高に充実したものとなるよう、お祈りします♪
2006.02.02
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うーーん。昨年来の耐震基準偽装事件をはじめ、ライブドア事件もあって、やっぱり今年も激動の年になりそうですね。評論家的なスタンスではなく、自らが生きていくためのヒントとしなければ!と、インスパイア大澤は感じました。私自身はとりわけ、これからの時代は、虚実をよーーく見極めないと、右往左往することになりそうだな、と想った次第です。もうちょっと具体的には、とりわけ、今話題の株価の数字を競う、っていうのは【虚】です。経済活動としては、今の世の中に必要なものではありますが、人間が生きていくためにその競争が絶対に必要なもの!ではありませんね。そういう競争よりも、むしろ野菜や穀物の方が大切。もっと言えば、きれいな空気・水・土、そして生命そのもの、太陽、引力・・・の方が主なるもの、です。で、こっちが【実】。(でも、既にお気づきのように、 現代社会は、まるで、 水・空気・・・生命、太陽、引力が【虚】、 経済や科学・技術が【実】 のようになっています。)つまり、経済活動は今の世の中で重要なものなのですが、それ以上に大切な原点が存在している、っていうことです。(もちろん、全体としては 虚実のバランスがあって、世の中が成り立っています。)そのような、生きていく原点をしっかり腹に落とした上で、お金儲けするもよし、そこそこ中庸に生きるもよし、足ることを知って過ごすのもよし、と、人それぞれですよね。好き好きです。ところで、【虚実】は実は身近な部分でもたくさん出てきます。一つだけお伝えしますと、例えば、肩こりっていうのは、表に出てきた【実】の症状ですね。この実の裏には、必ず【虚】である原因があります。肩こりの場合は、いろいろ考えられますが、まぁ、眼の疲れから肩こりが発生したとしましょう。そうすると、肩を揉むだけでは、肩こりは治りませんよね。(一時的には良くなったかに見えますが・・・)そう。眼の疲れを何とかしないと・・・。つまり、【虚】を満たすことによって、初めて【実】も満ちるんです。虚実は裏表なんです。そして、現代社会の特徴は、この両面のバランスがとても悪くなっていること、です。(現代の医学が、症状、結果からしか見ない、 っていうのも象徴的です。)一方向からだけしか観ない、という傾向が強くなっているんですね。それゆえ、これからは、少しずつその振り子の逆ブレ現象が起こるのは、必至だと思います。(今回のような、世の中を騒がせる事件を経過 しながら・・・)私の、海水をヒシャクで汲みだすような活動も、実にこの【虚実のバランス】を強く志向しているんですよ。まだまだ力不足ですが・・・と、一見、少し難しいお話になりました。でも、とても大切なことなので綴ってみました。あなたのインスピレーションを誘起することが出来れば幸いに思います。ここまで読んでいただき、ありがとうございます。
2006.01.25
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最近は、もっぱら、頭で考えるよりも、頭を含めたカラダ全体で【感じる】ことを常日頃から実践しています。そうすると分かってきたことが、現代社会は、情報が溢れているようで、実は、その(溢れている)情報はデジタル情報だ!っていうことなんです。少し前に、この楽天日記上で、【情報断食】なんてことを書きましたが、その背景には、最近の情報って、どうも【しっくりこない】なぁ、っていう実感がありました。まぁ、一言で言って、なんかカラダの内側が震える情報がないなぁ、と・・・どうしてだろう・・・?と考えているうちに、デジタル 対 アナログ の図式が現われてきて、それは、実と虚、あるいは表と裏、という対比でも言えるなぁ、っていうインスピレーションをいただきました。詳細を話し出すと、日記レベルでは難しいので、簡潔に一人ごちますと、私たちって、【外観的な損得や成功】を追っかけすぎかな!?っていうことに気づいた次第です。つまり、デジタルや実、表の物事や情報には、必ずそこには観えない、アナログ、虚、裏情報があるっていうことです。そして、その両面から観て、初めて、【心の底からインスパイアされる情報や物事】と出会うのだろう、と・・・。逆に言うとすれば、アナログ・虚・裏情報のほうに、今は大切な部分が隠されているのかな、っていうことです。実際は、両面大切なのですが、今という時代は、デジタル・実・表へのこだわりが強い、時代なんですね。でも、おそらくこれから少しずつ変わってくるだろう、というよりも、実質的な【大転換期】にある!とインスパイア大澤は感じています。このあたりの細かいニュアンスは、私の今注力している、【感じるカラダですか!?】(当ブログトップページにご紹介しています。)っていうメルマガで、色々な角度からご紹介してますので、ご縁があるあなたは、登録して読んでみて下さいネ。ということで、今日もここまで読んでいただいてありがとうございます。あなたの良き一日をお祈りします!ご縁に感謝♪
2006.01.14
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あけましておめでとうございます。昨年は、今までなかったほどの量・質の、様々な実体験を重ね、自らの血と肉を濃くするよう、努めてきました。そして、それを受けて、今年インスパイア大澤のテーマは、【自らの立ち位置をシッカリと!】です。別の言葉で言うとすれば、人としての【原点回帰】となります。今、巷では、たくさんの情報が溢れかえっています。が、しかし、その多くは、そのままでは全く使えない情報です。自らが必要な情報を選び取り、自らの覚悟でもって、使いこなす!ということが求められている、と思います。これは、昨年度の自分自身の反省も踏まえています。たとえ、世間で超一流と騒がれている人からの情報であっても、個々の人間には使えない、活かせないものはたくさんあります。溢れかえった情報に惑わされることなく、自らの立ち位置を不動のものに・・・非常に遠大な課題ですが、今年は覚悟して取り組みます。そして、立ち位置を変えないということで、もう少しつっこむとすれば・・・立場や肩書き、名声、貧富、目に見える活動・・・などなど、外観的なものに惑わされない、ということも大切にしたいと思います。【松の木を松の木として見る】【人をその人として見る】これは一生かけてやるほどのテーマですね。人間はスグに観念や思い込み、また時には人の噂だけで、物事を判断しますから・・・と、決意表明的になりましたが、この場はあくまでも日記。しかも今は、週記(ペース)も書けていません。(苦笑)それでも、昨年同様、少ないながらも氣合を込めた言霊を(自らに)投げかけていこうと考えています。ご縁のあるあなたと、今年はさらに濃いお付き合いができれば幸いです。どうぞよろしくお願い申し上げます。
2006.01.04
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私たちの物事に対する感受性って本当に一人ひとり違いますよね!ある人にとって、身を乗り出すようなトピックであっても、別の人にとっては思いっきり退屈だったりと・・・夫婦や恋人同士はもちろん、親子でもこれは同じです。一例を挙げますと、先日、ある会合がありました。と、AさんとBさんが大激論を交わしています。その議論に対して、私はたまたまオブザーバー的な役割で見守っていたのですが、Aさんは、Bさんに対して、【そこが理解できない!】とばかりに、執拗に質問を投げかけ、攻撃的に論戦を挑みます。一方で、Bさんは周りの眼や自分の立場を氣にしてばかりいます。それは独り言のように時に言う言葉で分かるんです。【あっ、立場が逆転した】って何度か繰り返していたのです。Aさんは、Bさんの言っていることに対し、質問を投げかけながら、問題を解決することにフォーカスし、Bさんは、相手に理解をしてもらうよりも、自分の立場を守る方に集中しているわけですね。結論から言いますと、どちらも正しいことを言っていたのです。がしかし、それは、見事に平行線を辿り、結局議論は議論にならなかった、次第です。(笑)論戦の内容に触れると長くなるので、ココでは端折ります。が、要は、一つの議論という場でも、個々の感受性はやはり全く違うのがこの例を見るまでもなく、よくわかります。つまり、何が言いたいか、といいますと、ある一つのことを言った場合でも、ある人は、共感するし、ある人は、疑問を持つし、またある人は、退屈だと感じるということです。逆に言うとすれば、そのように色々な感受性を持つ人がいるから、面白い、とも言えますよね。まさに【それでいいんだ!】の世界です。このところ、【多様性】という言葉に魅かれ、今また新しい個性のコミュニティーに触れて、自らの感受性の受け皿(容積)を拡げている、インスパイア大澤でした。人間業って本当に面白い・・・ですね!(笑)ここまで読んでいただき、ありがとうございます。有難いご縁に感謝しつつ、あなたの今日一日がステキなものになることをお祈りしてます♪
2005.12.26
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みんな理屈では分かっていることだとは思うのですが・・・人間の力は、その多くの部分が無意識に影響されています。朝起きるときからも、始まってますよね。【もうちょっと寝たい~】【心地良い目覚めだー!】と自分と会話しながら、ある人は、すくっと起き上がり、朝の一仕事にかかる。また、ある人は、もう10分、もう15分・・・と睡眠を延長する。(笑)これなんかも、モロに無意識、潜在意識レベルの影響なんですね。意外と、起きないといかん(いけない)!と意識で思っている人が起きられなかったりするんです。意識 VS 無意識 では、圧倒的に無意識のパワーが大きいようです。ちなみに、もっと分かりやすく言うとすれば、無意識はイメージ、想像力の世界と密接に繋がっています。朝起きるときでも、起きることで、自らの仕事が進み、世の中のお役に立ち、お金もがっぽりいただける、というイメージが強ければ、すくっと爽やかに起きることができます♪が、なんかしんどいな!また、今日もあの嫌な○○さんの顔を見ないといけないのか~、となると、起きられません。いくら意識で、さぁー起きるんだ~、ってカラダをムチ打ってもネ。だから、よく言われることではありますが、この無意識のイメージパワーを意識する(ちょっとややこしい。笑)ことはとても大切なんですね。そして、さらに言うとすれば、カラダの感覚を鍛える~体感覚ですね!~と、この無意識と意識のリンクと方向付けが、かなりうまく行きます。(無意識を意識付けると、実は時空連続体が出てきて、シンクロが起こりやすくなるんです。)とは言え、今は、変な事件が毎日のように起こりすぎて、カラダと心(カラダと心はもちろん一体です。)の感覚にある種のマヒ状態がジワジワ進行しつつあります。社会的な現象として・・・。ということで、意外と無意識のマイナス面にたくさん縛られて、無意識をコントロールするのが難しい、というのはこの感覚マヒが大きい、のです。逆に言うと、今流行のイメージトレーニングとかイメージング力をフル活用するためには、カラダの感覚とイメージを繋げるのが効果的なんですね。最近の身体感覚とか、古武道、整体、武術のブームも、実はみーんな繋がってるんですよ・・・!とちょっと私自身の覚書風でちょっとややこしいお話となりました。わかったような、分からないようなお話でごめんなさい。でも、ここまで眼を通していただいたあなたに感謝!ステキな一日となりますことをお祈りいたします♪
2005.12.14
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