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11日、しばらく和式旅館に泊まってなかったので、久し振りにと思い、知人を誘って釜の淵公園を望む宿に1泊した。青梅線青梅駅で下車し、駅前真正面の道をまっすぐに下ってゆく。住宅街の中を抜ける細道と階段道路を通ると多摩川を見下ろす吊橋の袂へ着く。人道橋「鮎美橋」から見た多摩川の河川敷。右側には激しく水が流れた痕跡が残り、昨年10月12日の台風の爪痕と思われる。対岸に渡ってから見上げた人道橋(吊り橋)の鮎美橋。同エリア内に移築保存されている旧宮崎家住宅。市内北部の成木地区にあった農家。19世紀初頭の築とのこと。旅館の五階から眺めた釜の淵公園。多摩川が大きく蛇行する場所に位置している。広い河原は、夏場になるとBBQなど楽しむ人で大人気である。ゆっくり風呂に入って汗を流した後、地ビール、地酒を呑みながら楽しく夕餉をいただいた。たまには和式旅館でくつろぐのも気分転換・骨休みになってとても新鮮で良かった。
2020年01月15日

三連休の11日、東京都小金井市になる「江戸東京たてもの園」を観覧してきた。(その4)引き続き東地区の観覧。宮城(皇居)正門石橋飾電燈。明治初期の製作。写真では見辛いが、見事な意匠が施されている。鋳物であると思う。複製品の戦前の煙草「朝日」。証紙まできちんと再現されている。「大日本帝國 專賣局證票」と書かれていた。戦前の煙草は敷島、金鵄、桜、譽、光などの銘柄が知られている。仕立屋の店内にあったガス燈。キャンピング用ランタンと同様にマントルが装着されていた。電燈の普及に伴い、ガス燈は明治後期以降急速に廃れていった。下谷(台東区)にあった居酒屋店舗。江戸末期の築。震災・戦災を奇跡的に免れた建物とのこと。立派な建物は江戸の銭湯。足立区千住元にあったもので昭和初期の建築。銭湯「子宝湯」前では正月明けの特別企画として地元有志による獅子舞が披露されていた。醤油店。港区白金にあった。昭和8年築。大田区にあった農家。名主を務めた家柄とのことで豪農らしい堂々とした造りである。江戸時代後期築。最後に中央エリアに戻り、見落とした伊達家門を見る。港区白金にあった宇和島伊達家の江戸屋敷の門。大正時代の造営。同家は維新後華族に列せられ、侯爵となっていた。旧大名家である侯爵家に相応しい立派な門である。これで江戸東京たてもの園内のすべての観覧が終了した。歩き回って結構疲れた。400円でこれだけのボリュームがあるのはとても有益であった。(おわり)
2020年01月14日

三連休の11日、東京都小金井市になる「江戸東京たてもの園」を観覧してきた。(その3)今度は東地区の観覧。万世橋(神田)にあった交番。明治後期築。カイゼルひげを生やし、サーベルを吊った邏卒が似合いそうな交番である。火の見櫓の上部。上野にあったもので大正末期築。50年ほど前まで実際に使用されたが、高層ビルの建築や電話の普及などで消防署の望楼はその役割を終えた。中央区にあった新富邸。関東大震災の教訓から木材部分を外側に露出させない工法で建てられている。神保町にあった荒物店。昭和初期の建築。都内を走っていた路面電車。東京の市電は現在荒川線だけとなっている。右が神田にあった生花店、中央が同じく神田にあった文具店。いずれも昭和初期の建築。左側の土蔵は、内部が麺類中心の和食レストランとなっている。このテーマパーク内には洋食、和食のレストランが各1箇所、メインエントランス建屋内に喫茶店が1箇所ある。右側から先ほどの荒物店、生花店、文具店、和食堂と並んでいる。小岩(江戸川区)にあった和傘店。大正末期の建築。白金台(港区)にあった乾物店。昭和初期の建築。(続きます)
2020年01月13日

三連休の11日、東京都小金井市になる「江戸東京たてもの園」を観覧してきた。(その2)引き続き西地区の観覧。信濃町(新宿区)にあった洋館。明治末期に獨國人の建築家が建てたとのこと。その建築家はゲオルグ・デ・ラランデという人で、神戸市北野異人館街にある「風見鶏の館」の設計者でもある。瀟洒な洋館の内部は洋食のレストランとなっており、若干昼食には早かったが、遅くなると混んで来そうなので、ドイツビールと共に洋食(ジャーマンライス)を戴いた。堀口捨己設計の家、大正末期築。懐かしいボンネットバスも展示されていた。続いて中央地区の観覧。旧自証院霊屋。市ヶ谷(新宿区)にあったもの。江戸時代初期築。屋根の裏側は東照宮を思わせる派手な装飾が施されている。高橋是清邸。赤坂御用地の南側にあった。2・26事件の現場となった。明治35年築。同じく高橋邸。昭和11年、陸軍の青年将校が指揮する近歩三の部隊に襲撃され、高橋は銃弾6発を受けて即死した。なお、高橋邸のあった場所は現在公園となっている。昭島市にあった実業家(蚕業)の館。大正中期築。(続きます)
2020年01月12日

三連休の11日、東京都小金井市になる「江戸東京たてもの園」を観覧してきた。この博物館は”小明治村”と言った感じで歴史的な建物を公開保存している施設である。都立小金井公園の中にある。この小金井公園は桜の名所で観桜に訪れた事はあったが、博物館施設は見ずに通過した。今回はじっくり見てみようと思った。中央本線、武蔵小金井駅で下車し、バスに乗る。10分ほど乗車で小金井公園前のバス停に着く。落葉した桜の木が侘しい冬の公園を通り抜けて博物館の入口へ辿り着く。立派な建物が江戸東京たてもの園のエントランスとなっている。紀元2600年記念式典のために皇居前広場に造営された式殿であったとのこと。昭和15年に行われた式典の後、小金井の地に移築され「光華殿」と命名されて現在に至っている。昭和15年といえば支那事変の真最中で既に戦時下であった。大日本帝國の國威発揚と言った観点からも威厳のある建物が造られたのだろう。その光華殿で入場料金400円を払って先へ進んで行く。建物が30棟ほどあるので、ちゃんと見学すればかなり見ごたえがある。マニアの方であれば400円で丸一日楽しめるだろう。最初に西地区から観覧を始める。最初に午砲。江戸城内に置かれ明治初期から昭和初期まで東京市民に正午を知らせた。昭和4年からサイレンに変わって役割を終えた。練馬区常盤台にあった写真館。撮影用の電気照明も満足に無い時代なので、建物北側に大きな採光窓がある。日差しの入らない北側からの採光なので日陰も出来ず写真撮影に適した自然な灯りとなったらしい。(昭和12年築)三井財閥の邸宅。昭和27年築。奄美地方の高倉(倉庫)。亜熱帯地方の湿気やネズミの害などを避けるために収納部分がかなり高い位置にある。(江戸時代末期築)倉庫内へはこの入口から出入りする。三鷹にあった農家(名主を務めた家柄)。江戸時代後期築。玄関が特徴的である。八王子で武士兼農民として要衝警備にあたった同心の家。江戸時代後期築。世田谷区にあった農家。江戸時代中期築。この家は珍しい事にかまどに日を入れての展示となっていた。貴重な文化財たる古民家であるので火を炊くことなど論外と思ったのだが、実際は逆で、煙でいぶすことで屋根や建物を保全しているとのこと。内部で火を使わないと屋根材は数年で葺き替えが必要なってしまうが、煙の効果で二十年程度は葺き替えが要らないとの説明であった。(続きます)
2020年01月11日

令和2年、皇紀2680年、明治153年、大正109年、昭和95年、平成32年、西暦2020年が明けた。大晦日・元旦ともに好天で穏やかな日になりました。本年も平和で健やかな年になりますように。(写真はいずれも知人から戴いた初日の出になります)
2020年01月01日
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