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Gママさん
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隠居人はせじぃさんComments
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続いて川越城本丸御殿まで足を伸ばしました。残念ながら現在は保存修理工事中で、
工事柵である、周囲のパネル展示を見ることになりました。

川越城は、長禄元年(1457)に、上杉持朝の命により、家臣のあの有名な
太田道真・道灌親子が築いたといわれています。
江戸時代には江戸の北の守りとして重要視され、代々幕府の重臣が城主と
なっていました。現存する建物は嘉永元年(1848)に建てられたもので、
本丸御殿の一部として玄関・大広間・家老詰所が残り、川越藩17万石の風格を
しのばせているとのことですが・・・残念でした。次の機会に是非。

そして近くにある三芳野神社へ。三芳野神社は、川越城の鎮守として寛永元年(1624)、
時の城主酒井忠勝によって再建されたといわれています。
この天神様は、わらべ唄「とおりゃんせ」発祥の地といわれています。妻に言わせると、
この歌の発祥の地は全国にあると・・・・・????。

川越城内にあったため、一般の人の参詣はなかなか難しく、その様子が歌われていると
伝えられています。
♪♪ とおりゃんせとおりゃんせ,ここはどこのほそみちじゃ,てんじんさまのほそみちゃ・・♪♪
この歌が解る方は『アラカン』以上?
次ぎに喜多院を訪れました。慈覚大師が830年(天長7)に創建した天台宗の名刹です。
正式には星野山無量寿寺喜多院という長い名前。
江戸時代初期、名僧天海大僧正が住職をつとめた寺として、また江戸城から移築された
三代将軍徳川家光・春日局ゆかりの建物をはじめとする、多くの文化財を所蔵している。
喜多院の名は川越をというより、埼玉県を代表する寺院とのことでした。
そしてこの天海は出自の曖昧さもあり、小説等で出てくる説として、天海が足利将軍家
12代足利義晴の子という説や明智光秀と同一人物だと言う説もある例の人物です。
確かに墓所である日光に「明智平」という場所がありますよね。うーーーーーーーん。


境内の近くで昼食を済ませて、更に歩きました。日光に輝く緑が鮮やかな景色でした。

日本三大羅漢の一つに数えられるこちらの五百羅漢は、人間の喜怒哀楽をよくとらえた
様々な表情の石仏群で500体以上が境内に並び、観光客の人気を集めていますが、
有料でしたので、脇から写真のみパチリと。罰が当たらない事を祈っています。

江戸東京博物館へ(その10) 2026.05.27
「かんなみ仏の里美術館から江川邸へ」(そ… 2026.04.05
「かんなみ仏の里美術館から江川邸へ」(そ… 2026.04.04