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隠居人はせじぃさんComments
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園比屋武御嶽から緩やかな坂を上っていくと、首里城の正門である歓会門へ。

第二尚氏統第3代尚真王の時に造られたと言われ、第二次世界大戦で焼失してしまった
ものを1974年に復元されたとのこと。
石積みの城門の上に木造の櫓が組まれたもので、朱に塗られていない。
そのためか、あたかも往時のものが残っていたかのような風格。
石門の左右に石でできた立派なシーサーが置かれていた。

そしてそのままゆるい坂になった階段を上がっていくと次の門は瑞泉門。
少し急になったあたりの右脇の少し下がった所に、綺麗な水が龍の口から流れ出る湧き水が。
冊封使や国王などの飲料水として使われていたそうで、その先にある首里城二番目の
門である瑞泉門の名前の由来でも。瑞泉門は高い石門の上に朱色に塗られた櫓が
乗せられていて、かなり立派。この門の両脇にも守りのシーサーが配置されていた。

瑞泉門から階段を登っていくと、首里城第三の門、漏刻門。
そして次には、広福門という全体が朱色に塗られた木造の建物が現れる。

ここを入るといよいよ広い場所に出た。ここが下之御庭。ぐるっと見回すと、
左からこの門のある建物に造られた券売所、そして首里城の正殿に向かうための
奉神門、正面に小さくこんもりと茂った石塀に囲まれた首里森御嶽。
その右手には系図座、用物座と言われる役所があった所を再現した建物。
そして折しも奉神門の前では御開門式が行われていた。
御開門式は、首里城公園(有料区域)の開門を告げる朝の儀式。

係の女性ガイドがこの儀式を説明。

そしてドラの音とともに開城。

そして目の前には"朱色"と"白"、様々な装飾が目にも色鮮やかに飾られた正殿が姿を
現した。

正殿は琉球王国最大の木造建造物で国殿または百浦添御殿(ももうらそえうどぅん)と
よばれ、文字通り全国百の浦々を支配する象徴として最も重要な建物であったと。

正殿を二層三階建てとすることや装飾化した龍柱は日本本土そして中国にも類例がなく、
琉球独自の形式であるとのこと。

そして南殿より靴をビニール袋に入れ中に入る。
見事な柱の装飾。

そして御差床(うさすか)。国王が座る玉座。

玉座の上には、「中山世土(ちゅうざんせいど)」と書かれた『扁額』が飾られていた。
扁額は、建物の内外や門・鳥居などの高い位置に掲出される額のこと。
「中山世土」とは、沖縄が島津に支配される以前、最初に沖縄の統一王朝になった
中山王府が、中国皇帝から送られた物。
この額は中国皇帝の直筆であり「この土地は何時の世までも琉球国中山の物」で有る
事を永遠に保証する意味を現してるのだと。

そして雍正帝が贈った「輯瑞球陽」(しゅうずいきゅうよう)の額。
球陽=琉球にはめでたい印が集まっているの意。

左側には乾隆帝の贈った「永祚瀛壖」(えいそえいぜん)の扁額。
海の向こうの琉球を永く幸いに治めよとの意。
いずれも本人の筆跡や落款を再現した上で復元され飾られているとのこと。

玉座手前の龍柱は阿吽。

正殿からの中庭。修学旅行生徒の一団が記念撮影中。

首里城巡りは、正殿の拝観を終えて、隣 の「 北殿 」 に。
ここは 「 評定所 」 と呼ばれ、政治の重要案件を詮議した政府の中枢機関であると同時に、
冊封史 ( 中国 皇帝の使者 ) を接待した場所。
ここのメインは、当時の模様を再現したミニチュア模型の展示。
ガラスケースに納められた模型で、琉球王国の年間行事の中で最大の
「 朝拝御規式 (ちょうはいおきしき)」といわれる、大晦日から元旦にかけての儀式の様子が
再現されていたのだ。

北殿内には土産物屋も。ここの受付で日本百名城のスタンプをGET。

北殿の前の広場からは歓会門、そして沖縄の街、遠く海も望むことが出来た。

首里城の門の1つ「淑順門(しゅくじゅんもん)」が復元されていた。
「淑順門」は、国王やその家族が暮らす御内原(おうちばら)と呼ばれる場所への表門
とのこと。

そして1時間強の首里城めぐりを終え、再び汗をかきながらモノレール駅への帰路に
向かったのであった。
江戸東京博物館へ(その10) 2026.05.27
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