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沖縄県国頭郡今帰仁村に位置する城跡 ・今帰仁城(なきじんぐすく、なきじんじょう、
別名:北山城(ほくざんじょう、ほくざんぐすく))を訪ねる。
この城跡は4年前に妻と訪ねているが、その時は日本百名城スタンプラリーには
参加していなかったので、今回はそのスタンプGETも目的の一つ。

グスク交流センター内部。

このセンターの受付がスタンプのある場所。

96個目のスタンプをGET。

今帰仁城めぐりの前に昼食を。
私がオーダーしたのは、 海ぶどうそば。

そして世界遺産の今帰仁城跡巡りに向かう。

14世紀、琉球王国成立以前に存在した北山の国王・北山王の居城であったのだ。
南北350 m、東西800 m、面積37,000 m²。県内最大級の城(グスク)として名高い。

今帰仁城跡の石垣の特色はその特殊な積み方、つまり野面 積にある。
石材の特質や、あまり手を加えていない自然石をそのまま使った荒っぽさのなかに、
屏風型に美しい曲線を描いて造りあげたところにあるのだと。

大隅(うーしみ)の石垣。
高さ3~8mの城壁からは圧倒的な強さを感じたのです。

未だ発掘中の場所も。

平朗門(へいろうもん)。
平郎門は今帰仁城の正門で、その名称は『琉球国由来記』に、
「北山王者、本門、平郎門ヲ守護ス」として登場。
現在見る門は、昭和37年(1962年)に修復されたもので、左右に狭間があり、
門の天井は大きな一枚岩を乗せた堅牢な作りとなっていた。

平朗門を潜り、左右の狭間を門の内側から確認。

平郎門から大庭(うーみやー)まで続く参道は戦前に地元民によって桜の植栽とともに
直線道に整備されたと。

訳:高齢で病気がちの城主の側室 志慶真乙樽 に待望の子供が出来た
側室は目に入れても痛くないほどの可愛がりようである。

今帰仁城跡内には2つの御嶽がありました。
一つ目は大庭の北西部にある「ソイツギ」。
ソイツギと呼ばれる御嶽(ウタキ)は、五穀豊穣を祈願した聖域。

大隅(うーしみ)からエメラルド色の海が。

御内原(ウーチバル)。
御内原は今帰仁城に仕える女官の住んでいたところ。
海の見晴らしは絶景で、正面に伊是名島と伊平屋島が重なって見え、
よく晴れた日には北の方角に与論島を見ることができると。

志慶真門郭は主郭から見下ろす位置にあった。志慶真川に沿って城壁が築かれ、
志慶真門(裏門)の跡が。

主郭にはしっかりした礎石が残っていて、往時建物があった事を示していた。

主郭(俗称本丸)。
主郭は日本の城郭の本丸にあたる部分ですが、天守閣はない。
標高100メートルで今帰仁グスクの最上部。
主郭は城主の住居があったところで、山北王と今帰仁監守の住居跡が確認できるのだと。

主郭から志慶真門郭へ向かう途中の石垣。
ここの城壁は野面積みといわれるほぼ原型に近い形で残っていた。
按司の家臣たちが生活した家が建っていた場所と言われており、多くの異物が
出土したと。

主郭の右手奥の道を下って行くと志慶真門郭に出ました。
今帰仁城の東側には志慶真川の深い谷があり、これが天然の要害となっているのだ。

志慶真門郭からも遠く海が見えたのであった。

志慶真門郭の奥の石垣。
主郭の裏側(南側)に位置し、搦手門に当たる裏門の志慶真門を持つ郭。

志慶真門郭の発掘調査で4棟の掘立柱建物が発見されたと。
今は芝を張り、建物の大きさが分かるように丸太で柱を表す整備がされていた。
7~12坪程度なので、それほど大きくはなし。

志慶真門郭から主郭方向を見る。

空の青、海の青、エメラルドグリーン、山の緑、そして石垣。

主郭の裏側(南側)の法面にも礎石の如き石垣が。

帰路に着く。
かつては平郎門からはいって右よりを石垣に沿って狭い曲がりくねった石敷きの小 道があったと。
これが城内に通ずる道で大庭の南端に至るように造られ、現在、大庭の近くにわずかばかり
その痕跡をとどめている。
道に沿って大きなフクギが茂っていたが、道とともに1942年頃にとりこわされたと。

平朗門の先の発掘中の現場。

2000年11月に首里城跡などとともに、琉球王国のグスク及び関連遺産群として、
ユネスコの世界遺産(文化遺産)に登録されたのです。

今帰仁城の入口にある城跡の屋外模型。

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