PR
Keyword Search
New!
Gママさん
New!
隠居人はせじぃさんComments
Calendar
極楽橋に向かう。
二の丸から三十間長屋のある本丸附段へ渡る所にある橋で、昔、金沢御堂に
参詣する人は朝、念仏を唱えながらこの橋を渡り、夕方、日本海に沈む夕日を
拝んで極楽往生を願って帰ったと云われている。擬宝珠のついた木製の素朴な橋。

金沢城内の橋ではっきり名称のついている橋は珍しいとのこと。
極楽橋下の二の丸と本丸を隔てる空堀。

三十間長屋。
本丸附段にある2層2階の多聞櫓。実際には26間半だと。
宝暦の大火(1759年)で焼失した後、安政5年(1858年)に火薬庫として再建。
金沢城に現存する長屋建築としては唯一のもの。

いたる所に山百合に似たウバユリ(姥百合)の花が咲いていた。

2015年3月7日に開園した玉泉院丸庭園が眼下に。
饗応の場として活用された「兼六園」に比べ、藩主の内庭としての性格が強い庭園だったと
考えられていると。庭園は、城内に引かれた辰巳用水を水源とする池泉回遊式の
大名庭園で、池底からの周囲の石垣最上段までの高低差が22mもある立体的な造形。
滝と一体となった色紙短冊積石垣などの、意匠性の高い石垣群を庭の構成要素とする、
他に類を見ない独創的な庭園とのこと。

色紙短冊積石垣。
石垣の上部に滝を組み込んだ特別な石垣。滝口には黒色の坪野石でV字形の
石樋をしつらえ、落水の背後には色紙形(正方形の石材に加えて短冊形(縦長方形)の
戸室石を段違いに配しています。城郭石垣の技術と庭園としての意匠とが見事に
融合した金沢城ならではの傑作。

滝口の黒色の坪野石で作られたV字形の石樋。

段落ちの滝より望む庭園。
玉泉院(ぎょくせんいん)というのは、女性の名前で、なんと織田信長の娘(4女)であると。
彼女(1574-1623)は、名前を永といって、利家とまつの長男であり加賀藩2代目の
利長に嫁ぎ、この場所を屋敷としたのだと。

正面に一の島、そして左に二の島、三の島が。

段落ちの滝。
発掘調査では、斜面を4段で流れ落ちる滝の遺構が確認されたと。

江戸時代に露地役所(庭の整備管理に関する役所)があった場所に
休憩所「玉泉庵」が。ここで庭園の緑を楽しみながら一休み。

正面には一の島と二の島を結ぶ橋が。

池の周りを歩くごとに景色が変わっていく面白さがあるのが、池泉回遊式庭園の特徴。

玉泉院丸庭園を後にし徒歩にて尾山神社に到着。
折りしも結婚式のカップルそして親族、参列者が移動中。

巫女に先導され赤の唐傘をさして幸せそうなカップル。

尾山神社神門は、棟梁・津田吉之助の設計施工により1875年(明治8年)11月に完成。
洋風建築を模した擬洋風建築の中でも中国風の混入した数少ない例の一つ。
1階を木骨煉瓦造石貼付の3連アーチとし、2階・3階を木造漆喰塗りで階を追うごとに
小さく作っている。各階の肩が垂直ではなく竜宮城のようにカーブしており、
中国南方の寺院の門の作りになっている。

神門には加賀藩の家紋「「加賀梅鉢紋」が刻まれていた。

尾山神社は、藩祖「利家」と奥方の「まつ」を祭っている神社で、元々、1599年に
利家を合祀して創建された卯辰八幡宮を、明治6年(1873)に卯辰山から
現在地に移して出来たのがこの尾山神社。

本堂正面には「尾山神社」の文字が書かれた「扁額」が。

和洋中の三様式が取り入れられ五色のギヤマンが綺麗で、観光客の絶好の撮影ポイント。

夕刻のギヤマンが夕日に映える頃や、日没から午後10時までの明かりが点灯する頃は
更に見頃であると。

境内には金沢城跡の発掘調査(金谷出丸)中の場所も。

境内には前田利家の凛々しい騎馬像が。
矢を防ぐ母衣(ほろ)を背中につけて。
そして槍の又左の名の通り、トレードマークの大槍を右手に。

お松の方の大きな碑。松は利家の正室。利家とは従兄。
尾張から12才で嫁にきて2男9女を儲け、利家や加賀藩を内から助け、
前田家の忠義を示すため、徳川家康のもとで人質として15年江戸で暮らし、
最後は金沢城に帰り、71才で亡くなったと。

妻は尾山神社のガイドブックを購入。

神門は洋風と和風の混淆したデザインでまるで龍宮城の如し。
3層目の大きな窓の色ガラスがどこから見ても美しく輝いていたのです。

神門の二階に上がる階段は急。

再び正面からの鳥居、神門。

そしてこの日の観光を終了し、香林坊からバスにてホテルに戻ったのであった。
江戸東京博物館へ(その10) 2026.05.27
「かんなみ仏の里美術館から江川邸へ」(そ… 2026.04.05
「かんなみ仏の里美術館から江川邸へ」(そ… 2026.04.04