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隠居人はせじぃさんComments
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金沢旅行2日目のこの日は、ホテルでの朝食を済ませ、タクシーにて
「ひがし茶屋街」 へ。
浅野川大橋を渡り、東茶屋街交差点の手前でタクシーを降りる。
道路を渡りひがし茶屋街の入り口に向かう。

重要伝統的建造物群保存地区であり、ひがし茶屋街の名称で知られるこの地。
南北約130m、東西約180m、約1.8haで、保存地区内の建築物140のうち
約3分の2が伝統的建造物であり、茶屋町創設時から明治初期に建築された
茶屋様式の町家が多く残る。金沢の人気の観光地の一つ。

金沢には「ひがし」・「にし」・「主計町」(かずえまち)という3つの茶屋街があるのです。
お茶屋さんは「一見さんお断り」の所が多いですが、ひがし茶屋街にある
「志摩」や「懐華楼」などでは、内部を見学することができるのです。
そしてひがし茶屋街入口に到着。

9時前の為か。人でも未だ少なく独特の情緒をかもし出していた。
「ひがし茶屋街」の魅力のひとつが、町家の並ぶ街をより一層レトロに見せる
「木虫籠(キムスコ)」と呼ばれる出格。出窓のようにしつらえられた格子のことで、
長い時を経てもなお美しい姿を。インドのベンガル地方の赤色の顔料を用いたので、
「弁柄格子」とも呼ばれているとも。赤い色味が残っていて、街全体がうっすらと赤く
見えることもまた、「ひがし茶屋街」をレトロな雰囲気に。
赤の中に緑の柳の葉も印象的。

入り口付近からの茶屋街の景観。
「ひがし茶屋街」が誕生したのは、今からおよそ195年前の文政3年(1820年)のこと。
加賀、能登、越中の広大な地域を束ね、「加賀百万石」の由来となった加賀藩によって
整備されたと。しかし、およそ10年後の天保2年 (1831年)に、一度廃止となった。
その理由は、「茶屋」が風俗街(遊郭)だったから。これほど美しい景観の茶屋街にも、
意外な歴史が。

9時の開店も間近い茶屋街。

「金沢おどり」 のポスター。

城下町として栄えたこの金沢には、加賀百万石の時代より長い歴史を刻んできた
伝統芸能が、今でも数多く伝承されていると。中でも金沢芸妓は、磨き抜かれた
伝統芸と艶やかな着物姿、そして細やかな「おもてなしの心」で、高い評価を受けていると。

紅茶専門店「山屋」

「山屋」の玄関の手前の天井近くではツバメが子育て中。

「志摩」は国指定重要文化財のお茶屋。
文政三年(1820)に建てられたお茶屋の建物で、これまで手を加えることなく、
江戸時代そのままに残っており、学術的にも貴重な文化遺産として高く評価
されているとのこと。
お茶屋は、2階を客間とし、押し入れや物入れ等は作らず、あくまでも遊興を
主体とした粋な造りとなっているとのこと。

「懐華楼」。
ひがし茶屋街の中ほどにある金沢で一番大きなお茶屋。
金沢市指定保存建物として昼は一般に広く公開しているとのこと。

「箔座ひかり蔵」。

小料理屋「藤とし」

再び茶屋街の景観。朝日に道路が光っていた。

昼は季節の御膳と甘味、夜は懐石料理が楽しめると言う 「十月亭」。

妻が隙間からお客様をお迎えする小さなお嬢様を発見。

新酒が出来たことを知らせる役割を果たす杉玉が吊るされていた。

加賀麩を楽しめる「不室屋」が茶屋街の最奥に。
妻は後ほど、この店を再び訪ね加賀麩をお土産に購入。

左に折れ更に歩を進める。
ひがしやま「酒楽」 は酒屋。

「菅原神社」。
菅原神社は、名前の通り菅原道真が祀られていて、茶屋町の鎮守社。
御堂の前には何故か狛犬が左右に2体づつあり、御堂の扉にはしっかりと
前田家の家紋である梅鉢が彫られていた。

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