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隠居人はせじぃさんComments
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時間に余裕があるとのことで、知覧特攻平和会館へ立ち寄りました。
バスから降りると、知覧茶をPRする急須と湯飲みの大きなオブジェが。

知覧平和公園内 施設案内板。
知覧特攻平和会館、陸上競技場、多目的球場、サッカー場、庭球場、弓道場、
相撲場、武道館等各種施設がありました。

敷地内に入ると、先ず目に付くのは特攻隊員像と飛行機が。
この飛行機は航空自衛隊初等練習機『T-3』。航空自衛隊防府北基地で長年活躍し、
平成17年に用途廃止され、知覧町が借り受けたものであると。

一式戦闘機「隼」。
一式戦闘機は、第二次世界大戦時の大日本帝国陸軍の戦闘機。
太平洋戦争における主力機として使用された。総生産機数は5,700機以上で、
旧日本軍の戦闘機としては海軍の零式艦上戦闘機(零戦(ぜろせん))に次いで
2番目に多く、陸軍機としては第1位。
これは実物ではなく復元模型とのこと。

特攻銅像「とこしえに」。
像の解説板には
「特攻機は、ついに帰ってきませんでした。国を思い、父母を思い
永遠の平和を願いながら 勇士は征ったに違いありません。
御霊のとこしえにやすらかならんことを祈りつつ りりしい姿を永久に伝えたい
心をこめて開聞の南に消えた勇士よ」

母の像「やすらかに」。
像の解説板には
「特攻隊の若い命は、ついに帰らず出撃の瞬間まで求めたであろう母の姿
この晴れ姿をせめて母上に一目最後の別れとお礼を一言
胸も張り裂けそうな、その心情は母もまた同じであったろう
今ここに立つ母の姿とこしえに母を 共にやすらかに母の温かいみ胸で
御霊のやすらかならんことを世界の平和を祈念して」

巨大な石灯籠。

特攻隊の歌の石碑。

一 ああ薩南の此の地より 敵撃滅の命を受け まなじり決し若人が
翔び立つ姿尊しや その名特別攻撃隊

こちらの石灯籠の前の碑には
「散るために咲いてくれたか桜花 散るこそものの見事なりけり」と。
増田利雄軍曹 飛行第105戦隊 21歳の歌とのこと。

知覧特攻平和会館。

知覧は、太平洋戦争末期の沖縄戦において、陸軍の特攻基地が置かれた町。
この特攻平和会館は、その当時、人類史上類のない爆装した飛行機もろとも肉弾と
なり敵艦に体当たりした陸軍特別攻撃隊員の遺影、遺品、記録等貴重な資料を
収集・保存・展示。当時の真情を後世に正しく伝え、世界恒久の平和に寄与するもの。
二度と悲劇が繰り返されぬよう、戦争の悲惨さ、平和・命の尊さを教えてくれたであった。

館内は撮影禁止。
特攻隊員の写真と手紙が出撃順に展示されていた。
皆若い。若いゆえに手紙の内容は、母親へ宛てたものが多いが皆達筆。
先日のニュースでは、遺族も高齢化し、手紙、遺書をこの平和会館に寄贈する人が
多くなって来たと。
しかし、遺された写真の中で、少なくとも悲愴な様子をしている隊員は見当たらないのであった。
子犬を抱いたり遊びに興じたり・・。出撃前の瞬間に微笑みを浮かべている者すらいるのです。
しかしその裏で知覧特攻平和会館の展示は悲哀に満ちていたのです。
特攻隊員と遺族の慟哭が聞こえてきたのです。
そしてロビーには知覧飛行場の歴史を紹介する映像(CG)や陶板絵画(知覧鎮魂の賦)、映画
「月光の夏」で知られるフッペルのピアノ等が展示されていた。

三角兵舎。
特攻隊員の寝床。


敵の目を欺くため、松林の中に半地下壕をつくり、屋根には杉の幼木をかぶせ
擬装してあったと。ここは暗く狭く、寂しいところ。
特攻兵の中には、この寝床でガタガタ震えたり、泣いたりしていた人も居たのだと。

特攻平和観音堂。
特攻で無くなった1,036名の慰霊のために建てられた。
特攻の母・トメさんの尽力もあったと。私も合掌。

ミュージアム知覧。
南薩摩の歴史と民族を多角的に紹介している博物館。
音や映像で楽しむシアターや武家屋敷の調度品や古文書を展示している
ギャラリーなどがあるとのこと。

「帰るなき機をあやつりて征きしはや 開聞よ 母よ さらば さらばと」
(飛び立つ直前に詠んだ辞世の句)。特攻隊員は開聞岳方面へ飛び立つのだと。

ホタル「石碑」 。
特攻隊員から母親のように慕われた女性が、軍の指定食堂「富屋食堂」の女将「鳥濱トメ」。
6月6日、宮川三郎軍曹はトメに言った。「俺はホタルになって、おばちゃんに会いに来るから、
宮川来たかと追わないでくれよ。」と・・目に涙を溜め・・・。 トメと家族は送り出した。
そしてその夜、本当に一匹のホタルが富屋食堂に舞い込んで来た。
トメは叫んだ。「このホタルは宮川三郎さんですよ。同期の桜を歌って下さい。」と。
出撃を待つ特攻隊員、トメや娘達も、泣きながら同期の桜を歌ったのだと。
そしてこの日が、ほぼ最後の沖縄特攻作戦となったのだと。

旧陸軍戦闘指揮所跡には「映画 ホタル ロケ地」の案内板が。

2007年に元東京都知事の石原慎太郎が「俺は、君のためにこそ死ににいく」という
映画を製作総指揮。その記念にか、このような石碑が建てられていた。
「短い青春を 懸命に生き抜き 散っていった特攻隊の若者たちが 「お母さん」と
呼んで慕った富屋食堂の女主人 鳥濱トメさんは、折節にこの世に現れ
人々を救う菩薩でした。」 と刻まれていた。

平和会館の前庭にある平和の鐘。

コミュニティセンター知覧文化会館。

戦後70年。日本人は過去の「戦争の真実」を見つめ、国を守ること、平和を守ること、
生きることと死ぬこと、そして他国との交わりを真剣に考えなければならないのである。
我々はここ「知覧からの手紙」の真意をしっかり胸に受け止め、子供達にそして世界に
伝えていかねばならないと。
そして酷暑の中、今日は長崎に原爆が落とされた日そして70年目の終戦記念日が
近付いて来たのである。
江戸東京博物館へ(その10) 2026.05.27
「かんなみ仏の里美術館から江川邸へ」(そ… 2026.04.05
「かんなみ仏の里美術館から江川邸へ」(そ… 2026.04.04