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Gママさん
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隠居人はせじぃさんComments
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青物横丁駅の北東に鎮座する諏方神社。
「諏訪」神社ではないようです。
調べて見ると「諏訪」とせず、「諏方」と使っているのは古来の表記であり、
かつては神社名には、この方が多かった。
現在は全国で一万有余ある諏訪神社のうち、この諏方神社は3~4社のみに
なったとのこと。

案内板等は見当たらないのでググってみると、諏方神社の北西側すぐの場所にある
顕本法華宗鳳凰山天妙国寺の開基である天目が、自身の生国である信州から
諏訪神社を勧請して弘安年中(1278~87)に創建されたと伝えられているのだと。

日蓮宗 光照山真了寺 山門。
延宝元年(1673)に天妙国寺塔頭寺院として建立。

鳥居のようなそしてインド寺院を思わせる金属製の山門の足元を、2頭のゾウが
この山門を支える。
お釈迦様の母が白象を見てお釈迦様を身ごもったとされる白象?が山門の
左右に配されていた。

異国情緒たっぷりの山門には見事な彫刻が、そして裏にも。

本堂。
この本堂の中にはペット霊園があるらしく、ペットの供養がされるとのこと。

2体の黄金仏がやはり黄金像の上で鎮座。

再び旧東街道の保土ヶ谷の松。

品川寺(ほんせんじ)。
品川寺は大同年間(806年~810年)に弘法大師空海によって
開山された品川で最も古いお寺。

真言宗醍醐派の寺院である。山号は海照山。
本尊は水月観音と聖観音で、江戸三十三箇所観音霊場の第31番。

銅造地蔵菩薩坐像 - 東京都指定有形文化財(彫刻)
山門前左手にある露座の仏像。宝永5年(1708年)に造られた、江戸六地蔵の第一番。
1708年に造立され、高さ2 . 75m。
現存する江戸六地蔵像のうち唯一頭上に傘を載せていないのだと。
震災で失ったとのこと。

海雲寺。
東海七福神のひとつである品川寺(ほんせんじ)の南隣で、青物横丁駅の東側に。
曹洞宗の寺院。山号は龍吟山。「千躰荒神」を祀る寺として知られる。

平蔵地蔵。
江戸の末1860年頃、近くの鈴ヶ森刑場の番人だったとされる平蔵の地蔵。
平蔵はある日、大金が入った財布を拾うのですが、その財布を
誠実に落とし主へ返した。しかし、平蔵はその正直さゆえに仲間から裏切られ
亡くなったと。平蔵の損得勘定のない清らかな心に感銘を受けた人々の
お参りは、今も絶えないと。

えんの行者像。

本堂。

正面に鰐口(わにぐち)と大鈴が付いた入母屋造りに唐破風の向拝を付したお堂。
私もガラガラと鳴らしお参りさせていただきました。

天井の多くの奉納額は実に立派。

力石。
境内には若者達の力競べに大正の中頃まで使われていた「力石」が。
当時門前付近には大勢の漁師や、親船から積み荷を小舟に写し取る瀬取(せどり)と
呼ばれた人々がいて、この石を何個持ち上げられるかや、本堂の間を何回持って
歩けるかを競ったのだと。

鐘楼も歴史を感じさせてくれた。

そしていよいよ鮫洲駅下の 稲荷神社に到着。
鮫洲の地名の由来は諸説あるが、鎌倉時代、品川沖で大鮫が浮いていて
腹を割いてみると、聖観音の木像が出現。
この聖観音は鮫洲観音と呼ばれ「鮫洲」の地名になったと。

鮫洲 八幡神社大祭のポスター。

品川宿の散策を終え、鮫洲駅から京浜急行に乗り再び品川駅に戻ったのであった。

東海道は5街道の中で最も重要な街道であり江戸と京を繋いでいたのだ。
その東海道の宿場の中で最も江戸に近かった品川宿を慌しく散策。
かつての品川宿は概ね現在の京浜急行の北品川駅付近から青物横丁駅付近にかけての
範囲に広がっていたのだ。今でも街道沿いには飲食店などが建ち並び、人々の往来も多い。
「旧東海道」は車両通行可能な一般道だが、東西に大きな道路があるからか、
通り抜ける車は多くなく、散策には車の通行をあまり気にする事もなかったのであった。。
歴史ある町であることを物語るように古い建物も所々に軒を並べていた。
道沿いには寺社も多く、我々観光客のための案内板なども設置され、かつての
品川宿の姿を想像しながらの散策が出来、学びの時間であったのだ。
江戸東京博物館へ(その10) 2026.05.27
「かんなみ仏の里美術館から江川邸へ」(そ… 2026.04.05
「かんなみ仏の里美術館から江川邸へ」(そ… 2026.04.04