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隠居人はせじぃさんComments
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56号線・大洲街道を走り、内子の街へ。
内子町立内子中学校入り口道路横に車を停め散策開始。
車を降り振り返ると正面に、
上芳我家住宅主屋( かみはがけじゅうたく しゅおく )が現れた。
芳我家は内子木蝋(もくろう)生産の基礎を築き、その発展の中心となった家で、本家を「本芳我」、
街道筋上手にある分家を「上芳我」と呼びならわしていると。
木蝋とはハゼノキの果皮から圧搾によって得る油脂。

内子町の町並み保存の目的は、そこにあるものを生かすまちづくりにあるのだと。
都会を目指すのではなく、歴史・風土に培われてきた伝統や文化に価値を見出し、
街に誇りを持って人々が暮らすまちづくりを目指していると。


虫籠窓(むしこまど)は、伝統的な民家の壁にみられる明り窓で、漆喰で塗った連子を
入れてあり、虫籠のように見えるためこの名が付いた。

古い街並みを二人占め。

八日市・護国の町並みの特徴は、浅黄色と白漆喰で塗りごめられた重厚な外壁を持つ、
棟を街路と平行に通した平入造りで、街路に面した壁面が通っている。
町並みには隣家との間に道路や水路を配した路地空間があり、他所では見られない
独特の造形美を醸し出していた。

歴史ある家の前には、樹木が炭になり束ねられていたが、その上に竹細工の
トノサマバッタ?が2匹。

本芳我家住宅土蔵 ( ほんはがけじゅうたく どぞう )。
明治22年(1889)に建てられた豪商本芳我家の屋敷。本芳我家は、
江戸後期から木蝋生産を始めたとされ、明治期には「旭鶴」の商標で海外
にも製品を輸出するほど隆盛を極めた。上芳我家を筆頭に分家や分家の分家が
相次ぎ、下芳我家や中芳我家などと呼ばれる分家が13家できたのだと。
本芳我家は街道の西に面して主屋と土蔵が建ち、主屋の背後に炊事場、
北に庭園がとられている。
主屋と土蔵の道路に面する部分は漆喰彫刻などを用いて凝った意匠が。

土蔵
壁はこの地方でよく見られる、浅黄色の漆喰で塗られていた。

主屋の懸魚(けぎょ)。
懸魚とは屋根の破風 (はふ) の中央および左右に下げて、棟木や桁 の先端を隠す装飾板。
![306[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/2/f8de86d6b4283873dd7a1f15476bb9182a7f25f5.15.2.2.2.jpg?thum=53)
鏝絵(こてえ)は漆喰による浮彫。
土蔵造りや大壁造りの装飾用として外壁にしばしば行われているとのこと。
鶴の鏝絵。

亀の鏝絵。

土産物屋 民芸 つちのこ。

中央は旧町章。その周りを4分割し町の花サツキを配し、周りには「エコロジータウンうちこ」と
「おすい」の文字が。

2階の城壁と1階の木製格子窓が美しかった。

内子は、木蝋で栄えた街。木蝋は、びんつけ、膏薬などの医薬品、化粧品など用途が
広いのだが、もともとの目的の中心は蝋燭。その伝統の和ろうそくを今に伝えるのが、
大森和ろうそく屋。
美しい絵柄の絵ろうそくが陳列されていた。

八日市地区から坂町地区の境にある枡形。

坂町地区への入り口に『旧街道 へんろみちこんぴら街道』 の文字が。

坂町地区の街並み。

大量のとうもろこしが行儀よく並んで吊されていた。

こちらは懐かしき竹とんぼ。

そしてゴム鉄砲も。

美しいなまこ壁。本来は外壁の瓦の目地(ジョイント)を漆喰で詰めたもの。
盛り上がっている形が なまこのようなので、なまこ壁とよばれているのです。

本芳我家。
八日市・護国の町並みのなかでひときわ豪華な邸宅。
国の重要文化財に指定された本芳我家住宅。
本芳我家は、江戸時代に内子の木蝋生産の基礎を築き、大規模に経営した豪商で、
明治22年(1889)に建てられたと。分家のひとつに上芳我邸が。

邸内は非公開ですが、建物の外観、後の時代に整備された庭園や随所に施された
漆喰細工などは見学可能。

ポストも瓦屋根。

水準点も大切に守られていた。

そして消火器も。

旧内子銀行頭取別邸・庭園入口。
その昔、内子の町で力を持っていたのは、木蝋生産と輸出で財をなした芳賀氏。
その芳賀氏の分家の一つ、中芳我家の二代目当主は内子銀行の頭取を務めた。
彼が建てた別邸がこちら。

白そして浅黄色の壁が続く。
そして人数の少ない歴史ある街並みを楽しんだのであった。

上芳賀家の鬼瓦鳥衾(とりぶすま)。

内子町立内子中学校入り口に戻る。

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