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隠居人はせじぃさんComments
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恩賜箱根公園前の駐車場に車を停める。
県立恩賜箱根公園は、「旧函根離宮」跡地に広がります。
観光地「箱根」の中心かつ離宮跡地だけあって、公園からの眺めは秀逸 。
ツツジ、サツキの開花シーズンは絶景となると旅友Sさんより。

公園から箱根関所に向かうと、駐車場の横に「箱根八里」の歌詞が刻まれた石碑が。
♪♪箱根の山は 天下の険 函谷関も 物ならず
万丈の山 千仞の谷 前に聳え 後に支う
雲は山をめぐり 霧は谷をとざす
・・・・・・ ・・・・・・・♪♪
小学校時代に学び、歌った、作曲:滝廉太郎の「箱根八里」の懐かしき歌。

階段の下に「箱根関所資料館」が見えてきた。

資料館前からの芦ノ湖。
天気が良ければ、右隅に白き富士山が見えるとのことであったが・・・。

江戸口千人溜。
江戸口御門の手前にあり、旅人たちが関所改めを待つ待機場として利用された広場。
入場料400円(100円のシニア割引)を支払いチケットを購入。
箱根関所資料館も本チケットで入場できると。

江戸時代、幕府は江戸を守るため、全国に関所を設置。江戸時代初期には、
豊臣方の残党などの脅威があり、関所は軍事的な拠点として機能。
やがて平和な時代となるにつれ、関所の役割も治安維持のための警察的機能へと
移り変わっていきました。江戸時代260年間にわたって機能してきた関所も、
幕府が倒れた後、明治2年にその役目を終え、廃止されたのだと。

箱根関所 全体配置図。
上が江戸方面。
![data_02[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/2/51f0319bb6258b6e4d78dfbe30ea13fed53f4b35.15.2.2.2.jpg?thum=53)
箱根関所 江戸口御門。
高麗門という形式の門で、その高さは6.1m。
屋根や外観は「栩葺(とちぶき)」、「渋墨(しぶずみ)塗り」。
栩葺とは杮葺(こけらぶき)の一種で板厚は1~3センチメートルの
最も厚い板(栩板)を用いる方法。箱根関所の復元建物では、史料により
杉の赤身が使用されているとのこと。
渋墨塗りとは柿渋と松木を焼いた煤(松煙)を酒類(アルコール)溶剤に混ぜた塗料。
防虫・防腐効果があるので、建物の化粧として用いられていると。
パウザー状の松煙を膠(にかわ)で固めたものが書道で使う墨であると。
いずれにしろ日本古来の伝統技術。
江戸方面から来た場合には、この門から中が箱根関所の構内で、
西へ向う旅人はこの門の前で身支度を整え、関所の中へと入ったのだと。

国指定史跡 箱根関所。
箱根関所が江戸幕府によって、この地に設置されたのは元和5年(1619)とのこと。
全国に設置した53箇所の中でも規模が大きく重要な関所。
![P1000010[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/2/455cdcb6e0f9fb43218dba682d847fac72cce98a.15.2.2.2.jpg?thum=53)
まずは左手の足軽番所へ。
昼間は足軽が控えていたり、夜は足軽が寝ていた場所。
建物内には足軽のための部屋や休息所、不審な武士などを留め置く「揚屋(あがりや)」
関所破りをした罪人などを一時的に拘置する獄屋(牢屋)などがあった。

獄屋(牢屋)。
もちろん窓はなく太い格子で囲まれており、頑丈に造られていた。
「お玉が池」と呼ばれる由来のお玉は、伊豆の実家が恋しくなってしまい
この箱根関所破りを行い、捕まってしまったのであったがこの獄屋に入ったのであろう。

足軽番屋の建物で実際に使われている「継手(つぎて)」のサンプルが置かれており、
自分の手でこの継手を外したり、組んだり出来るようになっていた。
継手とは木材を長く使うために同じ方向に木材を継ぐ事。

そして見上げると、この継手が組み込まれた屋根裏の梁材が確認できた。

土台の光付け(ひかりつけ)も見事に。
デコボコした石の上に木材をぴったり取付ける加工技術のことを
光付けと呼ぶのだと。
もともと、物の形を合わせるために転写する事を「光る」というので、
この作業全体も「光付け」と呼ばれるのです。
土台を石垣の上に光付けする方法はまず、柱の下部に白紙等を巻き付け
コンパスの先で石をなぞりこれをもう一方に付けた鉛筆等で石の凹凸を
写し取るのです。
次に写し取った石の凹凸形状にしたがって柱の下部を加工。
内部断面も同様に数本の対角線を引き、これをなぞり、必要箇所の石の凹凸を
写し取ります。
石の上部に石灰を撒き、木材と石の密着具合を石灰の付着量で確認しながら仕事を進めると。
全体に石灰がまんべんなく付くようになるまで、木材を削っては石に乗せて確認し、
ひっくり返してはまた削り・・・と延々と気の遠くなるような作業を繰り返すと
土台の光付けが完成するのだと。

足軽番所の休息所にはマネキンがいて当時の雰囲気が。
関所役人の下で江戸口御門や京口御門の門番をはじめ遠見番所での
芦ノ湖の見張りなど、種々の仕事をしていたのだと。

高札所。
かなり達筆ですべては読めず。昔の人はこれが読め理解できた?
高札場とは、幕府や領主が決めた法度(はっと)や掟書(おきてがき)などを
梅、杉、檜等の木の板札に墨で書き、人目を引く場所に掲示しておく場所及び物。
すなわち掲示板。
帰宅して調べてみると、この高札の掟書きの内容は以下の通りだと。
一、関所を出入る輩、笠・頭巾をとらせて通すべきこと
一、乗物にて出入る輩、戸を開かせて通すべきこと
一、関より外に出る女は、つぶさに証文に引き合わせて通すべきこと
附、女乗物にて出る女は、番所の女を差し出して、相改むべきこと
一、手負・死人並びに不審なるもの、証文なくして通すべからざること
一、堂上の人々(公家)・諸大名の往来、かねてよりその聞こえあるは沙汰に及ず、
若し不審のことあるにおいては、誰人によらず改むべきこと
このように箱根関所では、出女・けが人・死体、また不審な人やものを厳しく
改めていたことが理解できたのです

番所の裏には「雪隠」が。

雪隠とは、便所のことです。足軽が利用するためのもので、
旅人は利用できなかったと。中が丸見え。
![img_4[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/2/6013ec931ea96610795f75bb47d24620dd6c80b7.15.2.2.2.jpg?thum=53)
雪隠の横から木柵沿いに階段を上り遠見番所へ。

箱根関所で唯一の二階建ての建物。
四方に開かれた大きな窓から二名の足軽が昼夜を問わず交代で、芦ノ湖や街道沿いを
見張っていたのだ。

外繋。
足軽番所と京口御門の間にあり、旅人の馬をつなぎ止めるために、
頑丈な太い柱と桁を組んだもの。

京口御門。
江戸口御門の対面側にあります。江戸口御門と同じく高麗門という形式の門で、
その高さは6.1m。

京口千人溜。
当時、関所の近くに宿があって、関所改めを待つ旅人たちに場所を提供していたと。
この写真には当時の宿の様子が写っていると。

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