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隠居人はせじぃさんComments
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本丸跡(本城曲輪跡)の物見台からの相模湾の風景。

物見台からは現在の小田原城を何とか確認することができた。
その小田原城をズームで。 「太閤殿下の眺め」を皆で満喫。

小田原合戦攻防図。
小田原城は高土塁で城下町もろとも囲んだ堅固な惣構が健在とはいえ、まさに四面楚歌。
そして西方の山上にはこの総石垣の巨大城郭が。
小田原城包囲の戦いは天正十八年(1590)四月三日から始まり、結局、七月五日、
氏直は開城して降伏した。戦国大名・後北條氏の滅亡ということになったのである。
秀吉は、氏政・氏照兄弟、それに老臣大道寺政繁、松田憲秀に切腹を命じ、
氏直は高野山に追放されたと。

石垣山一夜城の構造 案内板。
案内板には、「石垣山一夜城は、最高地点の天守台の標高が261.5mあります。
(略)城の縄張りは南北方向に走る尾根を軸にして、その最高地点に本丸と天守台を設け、
南には西曲輪と大堀切を隔てて出城が、また北には二の丸や北曲輪、井戸曲輪等が
配置されています。このほか本丸の東には南曲輪等の小規模な曲輪群があります。
(以下略)
平成2年3月 小田原市」
と記されていた。

石垣山一夜城の城郭図。
小田原城は北曲輪の方角。秀吉は本丸か天守台で指揮を執っていたのであろう。

本丸跡に小さな社。

本丸跡奥の天守台跡。
ここに何かしらの遺構があることを期待して昇りつめてみたものの・・・・・・。
しかし4百年以上も前に、ここに豊臣秀吉が陣を構えていたと思うと・・・・・。

二の丸広場に下ると天守跡を支える石垣が左手に。
右手には本丸への登口。

二の丸の先に箱根方面の展望台が。

細い坂を下り、井戸曲輪跡へ向かう。

井戸曲輪は石垣山一夜城二の丸(厩曲輪)北東側にあり、もともと沢の様になっていた
地形を利用し、北と東側を石垣の壁で囲むように造られている場所。
野面積み(のづらづみ)の石垣は、西国から穴太衆(あのうしゅう)という
石工集団がやってきて手掛けた物。

この井戸は二の丸から約25mも下がった、非常に深い所に。
この井戸は「淀君化粧井戸」とか「さざゑの井戸」とも呼ばれていると。

一夜城の見学を終え、駐車場に戻る。
駐車場の奥にも刻印の入った石が展示されていた。
石垣山の西側は石丁場(石切場)になっており、この場所の発掘調査で
見つかったものをこの場所に移設し展示しているとのこと。

動物を模した木製のオブジェが風景とマッチしていて、のどかな雰囲気。
馬の親子。

アガパンサスとカンナ・ルシファーであろうか花が赤と黄色の縁が。

ベンチ、テーブルも風情十分。
穴が開いていると思い座ったベンチには水溜まりが。
あっと思ったときには遅かったのであったが、幸い乾きが早く。

店名を記したファームゲート。
その後ろには、畑と森が広がっていた。
畑では、ブルーベリーや柑橘類を育てていた。

ブルーベリーも赤みを増していた。

ファームの花壇を散歩していたら見つけた、愛し合っている姿のカエルの石の置物。
帰宅後に知ったのであるが、このファームは亡き女優・川島なお美さんのご主人
鎧塚俊彦オーナーシェフ経営の一夜城ヨロイヅカファームであるのだと。

兎も。

石垣山一夜城駐車場横には「ヨロイヅカファーム」が。
店の前のオープンテラスは、観光客で賑わっていた。

ハチミツも販売されていた。百花蜜は600円/100g 。
フランス語ではちみつはミエル「miel」。

季節ごとにフレーバーが変わっていくソフトクリームを楽しむ。
この日はブルーベリーの味が濃く美味。

国道1号線まで戻り箱根の山を登る。
前方に箱根湯本駅が。 左の歩道は先日箱根石畳制覇の為に三枚橋まで
向かった道。

函嶺洞門が正面に。

現在は通過できずに、新たに出来たバイパス道を利用。
完成から80年以上経ち老朽化し大型バスのすれ違いも危険とのことで
閉鎖されてしまったのである。正月の箱根駅伝の名所であったが。

富士屋ホテル前を通過。
一度はこのホテルに宿泊し、箱根駅伝を応援したいのではあるが・・・・。

そしてこの日は入社同期9人と先輩2人の総勢11名で酒宴を。
近況報告、体調、孫の話等々で深夜まで大いに盛り上がったのであった。

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