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隠居人はせじぃさんComments
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西大寺案内図。
現在いるのは赤丸の鐘楼門。

鐘楼門を入ると右手に千手堂。

建立は大正14年、本尊:千手観音(坐像2.5m) 天井絵:198枚(一般公募 124名より)。
かっては西大寺の末寺として、瑞雲寺 満願寺 成光寺 清平寺 園蔵寺 安楽院 普門院
千手院 般若坊 法泉寺 観音坊があったが、現在の末寺としては千手院のみになっていると。
古くは保存講(信者団体)の活動や葬儀等で使用されていたが、平成15年に中国の普陀山より
千手観音をお迎えし「供養の道場」として再興されたと。

本堂拝観案内板。

白壁の客殿。

客殿入り口には多くの犀の置物が。
案内板には
『【「犀」の縁起】 777年、大和の安隆上人が奈良の長谷寺で修行の折、
「この地に観音堂を修築せよ」とのお告げがあり、直ちに船で海路を急ぎ、西国に下向しました。
その途中、吉井川の河口で龍神より「犀の角」を授かりこの地にその犀角を鎮め、
お堂を建立しました。当時は犀角を頂戴したお寺、「犀戴寺」と号していた記録があります。
※当山ではこの縁起にちなみ、犀の置物や犀に関係する物を収集しております。』と。

本堂と客殿を結ぶ回廊。

再び本堂に戻る。

絵馬・おみくじ納処。

ここ西大寺は 百八観音霊場 第一番札所。

そして中国観音霊場第一番・百八観音霊場第一番、第二番納経所。

御朱印を頂きました。
文字は『大悲殿』。
大悲とは観音菩薩の別名で、衆生の苦しみを救おうとする仏や菩薩の広大な慈悲の心を表す。
つまり、大悲殿とは聖観音や千手観音や如意輪観音などの観音菩薩が安置されている建物のこと。
ここ西大寺は高野山真言宗別格本山で、本尊は千手観音なのです。

会陽とは「太陽のように明るく恵み深い春の心にめぐり会う」という意味であるとするのが
一般的であるが、なぜ宝木争奪戦を会陽というようになったのかは、良く分かっていない。
会陽は、福奪(ふくばい)ともいい、一年の福を奪い合う真言宗の行事で、西大寺以外の寺でも
行われている。しかし、西大寺観音院では、福は奪い合うものではなく、授かるものである
としているので、福奪という言葉は、敬遠されていると。
本堂外陣天井にある会陽絵馬はカバーがかかっていた。

左から仁王門、三重塔、本堂。

野球場と勘違いする大きなベンチ。
ここは西大寺会陽有料観覧席。

観覧席から会陽の行われる本堂手前の広場を見て祭りの姿を想像したのであった。

吉井川沿いの境内入り口には天下の奇祭 会陽(裸祭り)の看板塔が。
毎年二月第三土曜日開催されると。
今年は2月18日(土)。

観覧席から石門を見る。

褌一本の男たちによって繰り広げられる壮絶な戦い「はだか祭り」。
境内には宝木を手にした男たちの顔出しまで。
一人だったので残念ながら・・・・・。

本堂横の火灯窓(かとうまど)。
火灯窓・花頭窓は、おもに日本の、寺社建築・城郭建築・住宅建築などに
見られる、上枠を火炎形(火灯曲線)または、花形(花頭曲線)に造った特殊な窓。
ほかに、華頭窓、架灯窓、瓦灯窓などと表記すると。

帰路も吉井川にかかる会陽橋を渡る。
吉井川には多くの船が係留されていた。

牛玉所殿 を吉井川越しに見る。
拝殿・本殿・奥殿と分かれる神仏習合の鎮守堂である事が理解できる光景。

牛玉所殿の前の会陽橋を渡ると、牛玉所殿の前の会陽橋を渡ると、向州公園。
公園の隅には大きな犀の像が。
先ほども客殿入り口の犀の置物について書いた内容と同じであるが
もともとは西大寺は犀角(さいかく)を載く寺と書いて「犀載寺」と号していた。
これは宝亀7年(777)、大和の安降(あんりゅう)上人が、犀角を持った仙人(龍神)に
「この角を持って観音大士影向の聖地に御堂を移し給え」と霊告され、この地に犀角を
鎮めたことに由来する。
その後承久の乱(1221)の折、後鳥羽上皇が執権北条義時への倒幕の祈願を込めた時の
御宸筆によって「西大寺」と改められたと 説明版に。

西大寺駅の戻る途中の道路脇の植栽の見事な紅葉。
ドウダンツツジの紅葉であろうか?

民家の壁にもツタの紅葉。

西大寺駅のJR播州赤穂線のホームには会陽(裸祭り)の写真付きの案内板が立っていた。

そして再び岡山駅まで戻り吉備線(きびせん)に乗り換え吉備津神社に向かったのであった。
吉備線は桃太郎線(ももたろうせん)という愛称が2016年3月末から使用されていると。
江戸東京博物館へ(その10) 2026.05.27
「かんなみ仏の里美術館から江川邸へ」(そ… 2026.04.05
「かんなみ仏の里美術館から江川邸へ」(そ… 2026.04.04