JINさんの陽蜂農遠日記

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オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 予約時に保養所から確認の電話があるけど…
JINさん@ Re:再び大涌谷へ(05/16) Dさんが申し込んで下さいましたが、朝食を…
オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 朝食の食べそこないとは? 深酒? であれ…

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2017.05.02
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カテゴリ: 海外旅行

連泊したヴィリニウスのホテルを6日目のこの日も6時過ぎに出ての早朝散歩。 

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朝の陽光の当たる街並みをネリス川の川面に映していた。 

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ロシア正教教会。 

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ヴィリニャ川に浮かぶ小さな船。

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川沿いのTibetan広場近くにあったモニュメントは何?陰陽石? 

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ロシア正教教会を背景に手を広げて立つ聖人?像。 

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ロシア正教教会をヴィリニャ川側から。 

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見つけたら幸せになるといわれる「ウジュピス人魚」 

少し悲しそうな顔をしていたが、この像もウジュピスのシンボルの一つらしい。

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ヴィリニウスのなかにあるウジュピス共和国。

ヴィリニャ川で旧市街とは隔たれた場所なのだが、ここが、独立を宣言しているのだと。

今では、ヴィリニウスのモンマルトルとも呼ばれている芸術地域とのこと。

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共和国に入る橋の上からヴィリニャ川を。

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ウジュピオ通りにある、「ラッパを吹き鳴らす天使の像」。

2002年の独立記念日に除幕された記念碑らしい。 

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逆光!! 

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旧市街と新市街の境を流れるネリス川を渡ったところにあった「エネルギーと技術の博物館」。

日本の国立科学博物館、科学技術館と同じ目的の建物?

この博物館の建物は、1903(M36)年に運転を開始した火力発電所をそのまま利用したもの。

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尖塔の女子像。

右手で掲げているのは傘がついた電灯。

ギリシャ神話のエレクトラの像で、ソ連時代に一旦撤去されたのち、1994年に再建されたと。

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ホテルへの帰路、橋の下に吊された物体を発見。 

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これは何かのモニュメント? 

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朝食を終え、8時にホテルを出発しシャウレイまでの214kmのバス移動を開始。

E272号線をひたすら走る。 

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十字架の丘に到着

十字架の丘(リトアニア語: Kryžių kalnas「クリージュ・カァルナス」)は、

リトアニア北部、シャウレイの北12kmに位置する巡礼地。

リトアニアの観光名所。2001年に『リトアニアの十字架の手工芸とその象徴』の一つとして

世界遺産・無形文化遺産に登録された。

その発祥は分かっていないが、初めてここに十字架が建てられたのは1831年のロシアに対する

11月蜂起の後であると考えられていると。数世紀を経て、十字架だけでなくイエスの受難像や

リトアニアの英雄の彫刻、聖母マリア像、肖像画、ロザリオなどもカトリック教会の巡礼者に

よって置かれるようになった。十字架の正確な数は分かっていないが、約50,000であろうと

推測されていると。

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入口の出店には様々な木製の十字架が販売されていた。

十字架と一言で言っても、宗派事に様々な形状の十字架があることを知ったのであった。

ラテン十字、ロシア十字、ケルト十字 、エジプト十字、太陽十字・・・・・。

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城壁の如き入口を潜り十字架の丘へ向かう。

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畑の中に盛り上がった丘に群がるように立つ十字架の丘。

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リトアニアの国民はほぼ全数が敬虔なカトリック信者、「十字架の国」とも呼ばれていると。

その民族の、誠実な信仰心と、芯の強さと内なる激しさが守り通した貴重な市民の遺産、

それがこの「十字架の丘」であると添乗員から。

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まさに圧巻?の光景。

世界中からたくさんのカトリック教徒がこの丘を目指してやって来ると。

1993年には時のローマ法王ヨハネ・パウロ二世もこの地を訪れ祈りを捧げたのだと。

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リトアニアは過去2度ロシア・ソ連に併合、進攻されている。

最初は1795年、ロシア化政策の強要、

遂に堪りかねた市民達は、1830年、憎きロシアへの蜂起が多発。

ロシアの報復迫害も日ごとに激しさを増す。

それは、カトリック教会の弾圧、リトアニア語の禁止などに及び、

反抗者は、2度と帰れぬシベリア流刑へと。

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その頃から、この丘に十字架が多数立ち始めたと。

処刑された人、流刑された人、その家族や知人が十字架を持ち寄り、

この地がロシアに対する怨念と祈りの場になったのだと。

しかし、更に時を経てリトアニアの最大悲劇は続く。

第一次大戦のドイツ占領でロシア・ソ連との一時的な平和条約、

それもつかの間、1940年、再度、ソ連軍が進攻、併合されてしまっとと。

ロザリオを右手にかかげて。

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何たる悲劇のリトアニア、ソ連軍のレジスタンス狩りは、悪の極致を極め、

何と5年間に数十万人がシベリアへ流刑されたのだと。

その度に増える十字架・・・。

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リトアニアの独立宣言は、1990年、暗い悲惨なソ連併合時代は、60年の長きに亘る。

一説では、何と流刑者は100万人に達したとも。

リトアニア人は抵抗もできず、ただ祈るのみ、この丘へ十字架を立て、流刑者を想い涙する・・。

それも許さなかったソ連軍。「十字架の丘」を禁域とし、むごい仕打ち。

何度もブルドーザーで十字架を薙ぎ倒し、焼き払い、丘の消滅をも・・。

しかし、人々の魂はそれに屈しなかった。倒され焼かれても、夜中に十字架を立てる。

傀儡リトアニア政府もこれには手が付けられなかったと。

 肉親を思う気持ちは権力や武力にも勝る、英々と生き続ける、「十字架の丘」。

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展望、休憩所?

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日本語の書かれた十字架は目に止まらなかった。

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昔はこちらが参道?であったらしい。

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大きなロザリオを下げて・・・・。言葉はいらない。

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十字架の丘を再度振り返る。

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再びは訪れない、訪れたくない光景。

墓地ではないことは解っていたが。

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バスに戻ったが、皆言葉少なに。

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そしてシャウレイの街中で昼食。

ドライバーも店を探して街中を2周して漸くレストランに到着。

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店は「JUONĖ PASTUOGĖ」。

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野菜スープ。

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リトアニア風餃子であるコルドゥーナイ。

水餃子のクリームシチューのようで味は「ぼちぼち」。

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昼食後はラトビア・リガに向けて約130kmの移動。

正面にシャウレイ市庁舎。

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シャウレイ州立大学。「ŠIAULIAI」の文字が。

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シャウレイ・セントピーターポール大聖堂。

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そしてリトアニアからラトビアへの国境を越えA8号線をひたすらリガに向かって走る。

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そしてこの日のリガのホテル「RIXWELL ELEFANT HOTEL RIGA 」に

到着15:15過ぎ。

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Last updated  2019.11.01 22:06:33
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