JINさんの陽蜂農遠日記

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2017.06.06
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カテゴリ: 国内旅行

高麗門から城内に入ると、直角に設けられた二つの城門と城壁とで囲まれた四角い空き地が。

敵の直進をさまたげ,勢いを鈍らせる枡形門 。

桝形門は要所に石落し、鉄砲狭間、矢狭間等をもつ堅固な守りの実戦的な門で、

戦国時代の面影を残していた。

DSC03520_R.JPG

そして右手の高麗門と櫓門の間の角の石垣が雁木状に積まれ、城壁には

狭間が設けられていた。  

IMG_5983[1]_R.jpg

東御門は、駿府城二ノ丸の東に位置する主要な出入口で、この門は

二ノ丸堀(中堀)に架かる東御門橋と高麗門、櫓門、南および西の多聞櫓で

構成されていた。

前方に櫓門南面(正面)が。

DSC03521_R.JPG

巨大な丸太梁。 

カンナで細かく削って丸く加工していた。写真手前の梁は曲がった木材をうまく配置。

まさに城という印象。

DSC03522_R.JPG

DSC03524_R.JPG

駿府城下町の絵図。

駿府城の東御門の近くに、かつての駿府城下町の様子を記した屏風状絵図が。

DSC03526_R.JPG

本丸堀。

駿府城には外堀・中堀・内堀と3重の堀があったが、そのなかでいちばん内側の本丸を

取り囲んでいた堀(内堀)を「本丸堀」と呼んでいる。

1896年(明治29年)の歩兵第34連隊の誘致に伴い、本丸堀は埋められたが、

1990年(平成2年)の発掘調査によりその位置を確認し、現在公開されているのは

南東の角部分。

DSC03528_R.JPG

東側(東御門から入って正面)から見た本丸堀。

堀の幅は約25mで両側は石垣となっており、本丸側石垣のうち、下段の2~3段は、

慶長期築城当初の古い積み方の打込ハギおよび算木積み(角部)が残っているのだと。

DSC03530_R.JPG

本丸堀の横には、静岡市の花・タチアオイ(立葵)が開花中。

タチアオイが市の花に制定されているのは、もちろん徳川家の葵にちなんだものだが、

徳川家の紋はフタバアオイがモチーフになっていて、このタチアオイの葉とは

異なるのだと。

DSC03531_R.JPG

本丸堀から巽櫓を見る。 

DSC03533_R.JPG

城塀には駿府城二ノ丸、東御門、巽櫓の文字看板が。 

DSC03534_R.JPG

駿府城御玄関前御門跡。

『駿府城の中枢(ちゅうすう)である本丸への出入口には、

南側の御玄関前御門(おんげんかんまえごもん)、東側の御台所御門(おんだいどころごもん)、

北側の御天守台下御門(おんてんしゅだいしたごもん)の三ヶ所があります。

この中で御玄関前御門は、本丸御殿へ至るための最も重要な門で、本丸の正面玄関とも言えます。

門は、二ノ丸側から木橋を渡って高麗門(こうらいもん)を通り、石垣に囲まれた

枡形(ますがた)内を東に折れて本丸へ入る構造になっていました。

また、門に面する二ノ丸の一画は、橋をはさんで東と西が石垣造りの土手により仕切られ、

敵が容易に進入できない仕組みになっていました。 』

DSC03535_R.JPG

駿府城二ノ丸橋方向。 

DSC03537_R.JPG

二ノ丸大手門跡。 

DSC03538_R.JPG

二ノ丸御門は二ノ丸大手門とも呼ばれる門で、三の丸から二の丸に入るための

正面出入口でしたが、1957年(昭和32年)に埋められてしまったと。

そして約70m東側に新たに出入口が設けられたのだと。

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石垣には文字が刻まれていた。 

DSC03541_R.JPG

天下普請で築かれた城ということもあり、駿府城で使われている石材にはさまざまな

刻印が見つかっていると。300を超える刻印が見つかっており、刻印の模様は150種類にも

なると。 

DSC03542_R.JPG

坤櫓( ひつじさるやぐら)に歩を進める。 

DSC03544_R.JPG

坤櫓は駿府城の二ノ丸の南西の方角に位置する櫓で、この坤(ひつじさる)という名は、

築城当時には方位に干支が用いられていて、北を子(ね)として時計回りに割り当て、

南西の方角は未(ひつじ)と申(さる)の間であるため、坤(ひつじさる)と

呼んだことに由来。

坤櫓の外見は、屋根が二重だが、内部は三階構造となっていた。

櫓は矢蔵(やぐら)とも書かれ、平時は、武器庫として使用されていたことに由来するが、

戦の時には、物見として、或いは、攻めて来る敵に対する攻撃拠点としての役割もあったと。 

DSC03545_R.JPG

共通入場券を購入し内部へ。

まずは入口のビデオコーナーへ係員に案内される。 

ビデオは「徳川家康と駿府」という駿府城の歴史を紹介した映像(約5分)と、

「駿府城坤櫓の復元」というこの坤櫓の復元工事の様子を紹介した映像(約5分)の2本。

DSC03547_R.JPG

櫓内部では、建物構造を見やすくするため、床板の一部をガラス張りにして礎石、

根太、大引や2階3階の床板の一部を取り外し松丸太の小屋組みを見ることが出来た。 

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坤櫓の構造説明図。

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建物の復元は、宝暦年間(1750年代)の絵図資料を基に行なわれたと。

発掘調査では、櫓の北東側の基底部分(櫓台)に打ち込みハギの技法で積まれた石垣が

角部分で約2.5mの高さで確認された。

確認された石垣は、現在は埋め戻して保存されているのだと。 

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写真撮影スポット。 

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家康公時代の駿府城推定復元イラスト。 

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階の床板と天井板をすべて取り外しており、1階から3階の梁まで見通すことができたので、

伝統的な工法によって復元された櫓の構造が一目瞭然。 

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徳川家康がオランダとの貿易を認めた際に出した朱印状の複製。

原本はいまもオランダ・ハーグ?にあると。 

無2_R.jpg

明治時代の駿府城の様子を示す写真類。 

DSC03554_R.JPG

残念ながら建築基準法の規制により、2階以上は入ることができないと。

そのため2階の床を抜いて天井が見えるようになっている?

2階、3階の床を抜いているので2階以上は入ることができない?

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Last updated  2017.06.06 06:59:35
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