PR
Keyword Search
New!
Gママさん
New!
隠居人はせじぃさんComments
Calendar
高麗門から城内に入ると、直角に設けられた二つの城門と城壁とで囲まれた四角い空き地が。
敵の直進をさまたげ,勢いを鈍らせる枡形門 。
桝形門は要所に石落し、鉄砲狭間、矢狭間等をもつ堅固な守りの実戦的な門で、
戦国時代の面影を残していた。

そして右手の高麗門と櫓門の間の角の石垣が雁木状に積まれ、城壁には
狭間が設けられていた。
![IMG_5983[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/2/e71f20f76224b88d90c8c8ac8cb7e66fe6d88370.15.2.2.2.jpg?thum=53)
東御門は、駿府城二ノ丸の東に位置する主要な出入口で、この門は
二ノ丸堀(中堀)に架かる東御門橋と高麗門、櫓門、南および西の多聞櫓で
構成されていた。
前方に櫓門南面(正面)が。

巨大な丸太梁。
カンナで細かく削って丸く加工していた。写真手前の梁は曲がった木材をうまく配置。
まさに城という印象。


駿府城下町の絵図。
駿府城の東御門の近くに、かつての駿府城下町の様子を記した屏風状絵図が。

本丸堀。
駿府城には外堀・中堀・内堀と3重の堀があったが、そのなかでいちばん内側の本丸を
取り囲んでいた堀(内堀)を「本丸堀」と呼んでいる。
1896年(明治29年)の歩兵第34連隊の誘致に伴い、本丸堀は埋められたが、
1990年(平成2年)の発掘調査によりその位置を確認し、現在公開されているのは
南東の角部分。

東側(東御門から入って正面)から見た本丸堀。
堀の幅は約25mで両側は石垣となっており、本丸側石垣のうち、下段の2~3段は、
慶長期築城当初の古い積み方の打込ハギおよび算木積み(角部)が残っているのだと。

本丸堀の横には、静岡市の花・タチアオイ(立葵)が開花中。
タチアオイが市の花に制定されているのは、もちろん徳川家の葵にちなんだものだが、
徳川家の紋はフタバアオイがモチーフになっていて、このタチアオイの葉とは
異なるのだと。

本丸堀から巽櫓を見る。

城塀には駿府城二ノ丸、東御門、巽櫓の文字看板が。

駿府城御玄関前御門跡。
『駿府城の中枢(ちゅうすう)である本丸への出入口には、
南側の御玄関前御門(おんげんかんまえごもん)、東側の御台所御門(おんだいどころごもん)、
北側の御天守台下御門(おんてんしゅだいしたごもん)の三ヶ所があります。
この中で御玄関前御門は、本丸御殿へ至るための最も重要な門で、本丸の正面玄関とも言えます。
門は、二ノ丸側から木橋を渡って高麗門(こうらいもん)を通り、石垣に囲まれた
枡形(ますがた)内を東に折れて本丸へ入る構造になっていました。
また、門に面する二ノ丸の一画は、橋をはさんで東と西が石垣造りの土手により仕切られ、
敵が容易に進入できない仕組みになっていました。 』

駿府城二ノ丸橋方向。

二ノ丸大手門跡。

二ノ丸御門は二ノ丸大手門とも呼ばれる門で、三の丸から二の丸に入るための
正面出入口でしたが、1957年(昭和32年)に埋められてしまったと。
そして約70m東側に新たに出入口が設けられたのだと。

石垣には文字が刻まれていた。

天下普請で築かれた城ということもあり、駿府城で使われている石材にはさまざまな
刻印が見つかっていると。300を超える刻印が見つかっており、刻印の模様は150種類にも
なると。

坤櫓( ひつじさるやぐら)に歩を進める。

坤櫓は駿府城の二ノ丸の南西の方角に位置する櫓で、この坤(ひつじさる)という名は、
築城当時には方位に干支が用いられていて、北を子(ね)として時計回りに割り当て、
南西の方角は未(ひつじ)と申(さる)の間であるため、坤(ひつじさる)と
呼んだことに由来。
坤櫓の外見は、屋根が二重だが、内部は三階構造となっていた。
櫓は矢蔵(やぐら)とも書かれ、平時は、武器庫として使用されていたことに由来するが、
戦の時には、物見として、或いは、攻めて来る敵に対する攻撃拠点としての役割もあったと。

共通入場券を購入し内部へ。
まずは入口のビデオコーナーへ係員に案内される。
ビデオは「徳川家康と駿府」という駿府城の歴史を紹介した映像(約5分)と、
「駿府城坤櫓の復元」というこの坤櫓の復元工事の様子を紹介した映像(約5分)の2本。

櫓内部では、建物構造を見やすくするため、床板の一部をガラス張りにして礎石、
根太、大引や2階3階の床板の一部を取り外し松丸太の小屋組みを見ることが出来た。

坤櫓の構造説明図。

建物の復元は、宝暦年間(1750年代)の絵図資料を基に行なわれたと。
発掘調査では、櫓の北東側の基底部分(櫓台)に打ち込みハギの技法で積まれた石垣が
角部分で約2.5mの高さで確認された。
確認された石垣は、現在は埋め戻して保存されているのだと。

写真撮影スポット。

家康公時代の駿府城推定復元イラスト。

階の床板と天井板をすべて取り外しており、1階から3階の梁まで見通すことができたので、
伝統的な工法によって復元された櫓の構造が一目瞭然。

徳川家康がオランダとの貿易を認めた際に出した朱印状の複製。
原本はいまもオランダ・ハーグ?にあると。

明治時代の駿府城の様子を示す写真類。

残念ながら建築基準法の規制により、2階以上は入ることができないと。
そのため2階の床を抜いて天井が見えるようになっている?
2階、3階の床を抜いているので2階以上は入ることができない?

江戸東京博物館へ(その10) 2026.05.27
「かんなみ仏の里美術館から江川邸へ」(そ… 2026.04.05
「かんなみ仏の里美術館から江川邸へ」(そ… 2026.04.04