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隠居人はせじぃさんComments
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車は荒川を渡る国道140号親鼻橋(おやはなばし)を渡る。
遠くに秩父鉄道の高架橋も見えた。

和銅遺跡入口を左折し山道を更に上る。

坂道の横の小さな駐車場に車を駐め、和銅採掘露天堀址の見学に向かう。

「和銅 の 神 の 恵 み 案内板」
聖 神 社 か ら 美 の 山 へ 続 く 坂 道 を 上 っ て い く と 、 ま も な く 街 な か の
騒 ひ じ りが し さ か ら 離 れ 棚 田 が 広 が る 山 里 風 景 が 目 に 飛 び 込 ん で き ま す 。
さ らに 「 和 銅 露 天 堀 り 跡 」 へ と 続 く 、 こ の 木 々 の 間 の 道 を 進 む と 、
ま る で 時代 が 昔 に 戻 っ た か の よ う な 錯 覚 を 覚 え ま す 。
飛 ぶ 鳥 よ り も 速 く 毎 日 都 へ 和 銅 を 送 り 届 け た 「 羊 太 夫 の 伝 説 」 が
残 され て い る こ と な ど も あ っ て 、 さ ま ざ ま な 場 面 で 当 時 に 思 い を 馳 せ る
こ とが で き る 場 所 、 そ れ が 「 和 銅 遺 跡 」 と 言 え る で し ょ う 。
神 の 恵 み の 和 銅 十 三 個 を ご 神 宝 と し て 祀 り 、 聖 神 社 が 和 銅 元 年
( 七 0八 年 ) 二 月 十 三 日 に 創 建 さ れ て か ら 、 黒 谷 に は 「 十 三 」 に
ま つ わ る 縁 起が 残 さ れ て い ま す 。 十 三 氏 子 ( 十 三 戸 の 氏 子 の こ と ) が
住 ん で い る 「 美の 山 」 を 流 れ 下 る 十 三 谷 、 春 秋 の 祭 り も 十 三 日 に
決 ま っ て い ま し た 。十 三 個 の 和 銅 石 の う ち 大 小 二 個 は 現 在 も 宝 物 庫 に
伝 え ら れ て い ま す十 三 谷 の う ち 何 本 が 銅 洗 堀 に 合 流 し 、 何 本 が 荒 川 や
横 瀬 川 に 直 接 流入しているか今 と な っ て は 確 認 の 手 だ て は あ り ま せ ん が 、
沢 筋 の 数 は十 三 本 に 近 い よ う で す 。な お 、 銅 が 産 出 さ れ る 土 地 特 有 の
植 物 と 言 わ れ る 「 花 筏 (は な い か だ)」(俗称「筏草(いかだそう)」 や
俗 称 の み し か 伝 え ら れ て い な い 「 一 葉 羊 歯(ひとはしだ) 」 が 和 銅 山 に
だ け あ る と い う 話 な ど も 、 こ の あ た り で は 言 い 伝 え ら れ て い ま す 。
秩 父 市 秩 父 市 和 銅 保 勝 会」 と。

「銅が出た 論より証拠 花筏 大濱利重」 の立て札が。

花筏の木か?
別名、ヨメノナミダ(嫁の涙)。北海道南部以南の森林に自生する。
葉の上に花が咲くのが特徴であると。

そして和同開珎を模した巨大モニュメントが目の前に現れた。
日本通貨発祥の地と。

「和銅露天堀り跡」の説明板。
「和 銅 露 天 掘 り 跡 を 間 近 に 見 る こ と が で き ま す 地 質 学 上 で は
「 出 牛 ー 黒 谷断 層 」 と 言 わ れ ま す が 、 造 山 運 動 に よ る 基 盤 の
秩 父 中 古 成 層 と 、 堆 積 に よる 第 三 紀 層 の 断 層 露 頭 に 噴 出 、 凝 結 し た
自 然 銅 が 和 銅 ( ニ キ ア カ ガ ネ ) と呼 ば れ た の で す 。
新 編 武 蔵 風 土 記 稿 ( 文 政 十 一 年 ・ 一 八 二 八 年 ) に 土 地 の 人 の 言 い 伝 え と
し て 「銅 山 の 様 子 」を 「東 に 向 か っ て 急 坂 の 小 道 を 八、 九 町 (一 キ ロ 弱)も
曲 が り く ね り し て よ じ 登 る と 頂 上 に 出 る 。 大 岩 が に ょ き に ょ き そ び え
立っ て い る 。 そ の 色 は 銅 色 ( 赤 黒 く 光 沢 の あ る 色 、 つ ま り あ か が ね い ろ )
がか っ て い る 。」と。

露天堀址か。

巨大モニュメントの和同開珎の文字の凹みにお賽銭が。

そして車で上って来た坂を下り、聖神社に立ち寄る。

元明天皇の時代に武蔵国秩父郡(現在の埼玉県秩父市)から自然銅(ニギアカガネ)が発見され
708年(慶雲5年)正月11日に朝廷に献上された。これを大いに喜んだ元明天皇は、
同日に元号を「和銅」に改元し、その後日本最初の流通通貨となる和同開珎を発行した と。
和銅の発見、献上を喜ばれた朝廷は、勅使を遣わし祝山に神籬(神霊の宿るところ)を建てて
金山彦尊を祀り祝典を挙げた。聖神社の創建は和銅元年2月13日で、祝山から銅洗堀を隔てて、
蓑山(箕山、美野山、美の山)を背にした清浄の地を選んで遷座せられ、オホヒルメムチノ
ミコト(天照大神)、クニトコタチノミコト(国常立尊)、カムヤマトイワレヒコノミコト
(神武天皇)が併せ祀られました。
その創建当時、採掘された和銅石13個(神社に現存するのは大小2個)と、元明天皇下賜の
銅製の蜈蚣(百足)雌雄一対が御神宝として納められ、今に伝えられていると。

聖神社一の鳥居と黄色の幟。

手水舎。

聖神社本殿。
現在に残るのは文化4年(1807)8月再建のもので、昭和38年(1963)社殿を秩父市中町の
今宮神社本殿から移築改修したと。

こちらが本殿移築時に、移設された旧本殿。

本殿前にも巨大な和同開珎のモニュメントが。

御朱印を頂きました。

和同開珎の丸い形の多くの絵馬。

金運成就 宝くじ 当選祈願。
ズラリと並んだ絵馬には「宝くじで1億当たった」だの「ロト1等当選」だのと
効果抜群?。もちろん私も、しっかりがっちりと拝ませていただきましたが・・・・。

ご祭神は金山彦命、国常立尊、大日孁貴尊(天照大神)、神日本磐余彦命(神武天皇)の4柱に
元明金命(げんめいかがねのみこと。元明天皇)を合祀すると。
また伝説によると、黒谷の獅子舞は左甚五郎が黒谷の地に立ち寄り、竜頭を刻み聖大明神
(聖神社)に奉納したことに始まると。

和銅鉱物館。
和銅鉱物館には聖神社秘蔵の左甚五郎作の竜頭を源とする「黒谷の獅子舞」の獅子頭なども
陳列されていると。更に自然銅はもちろん、日本全土、東アジア、アメリカまで含めた
広範囲に渡って収集された和銅関連の鉱石類、350点余りが展示。

この聖神社は、和同開珎発祥の地であることから「銭神様」とも呼ばれ、お金の神様として
有名。宝くじ祈願、ビジネス開運祈願、財布供養、馬券祈願に御利益があると。

宝くじ当選御礼に年内に必ず来ることを誓って!!、聖神社を後にしたのです。
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