JINさんの陽蜂農遠日記

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2017.08.20
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カテゴリ: 国内旅行

漆の分野の研究はここ10年の間に大いに進展しているのだと。

考古学や美術史の研究者、植物学や分析化学の自然科学系の研究者が共同で研究して

新しいことがわかって来た。その成果がこの展覧会であると。

そして日本の漆文化の始まりを物語る遺跡が、この福井県の鳥浜貝塚。

DSC08161_R.JPG

1962年護岸工事中に川底から見つかった縄文の遺跡。

土器、斧、丸木舟などが発掘され、「縄文のタイムカプセル」と。 

1_R.jpg

はるか縄文の昔から、日本人は漆器を作っていたのだと。

DSC08162_R.JPG

漆器に塗ったのはこの漆の木から取れる樹液。

縄文の人々はこの樹液をいつから利用していたのか。 

DSC08163_R.JPG

実はウルシの仲間には極めてよく似た2つの木があるのだと。

ヤマウルシは日本各地に自生するが樹液はほとんど採れない。

樹液がふんだんに取れるのは中国原産のウルシ。

日本には中国大陸から持ち込まれたと。

ウルシとヤマウルシは木材の構造が極めてよく似ていて、発掘当時、僅かな木片から

判別することは不可能であった。

DSC08168_R.JPG

植物学者たちが日本全国のウルシとヤマウルシを徹底的に調査した結果、

発掘から20年経った2004年に鳥浜貝塚から発掘された漆はヤマウルシではなくウルシである

事を同定したと。内部の道管の径の分布の違いから判明したと。

さらに2012年、工藤さんたちはこのウルシと判明した木材を最新機器で年代測定に挑戦。

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装置が導き出した数値は1万2600年前。これは従来の説を大きく遡るもの。

これまで中国で見つかった最古の漆製品は7400年前のもの。

日本に漆が入ったのもそれ以降であるというのが定説であったが、今回の調査で定説より

5千年以上遡る時代にすでに日本にウルシが持ち込まれていた可能性が色濃くなったと。

調査結果は、1万2千年前の人々が何らかの目的でウルシの木を守り、育てていた可能性が

強くなった。当時何のために育て利用していたかはわかっていないと。

土器の修復や道具の接着のために樹液を用いていたのかもしれないとの指摘もあると。

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現在、国産ウルシのおよそ80%を生産する岩手県浄法寺町。

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手入れされたウルシの林から樹液を取る作業は漆掻きと呼ばれる専門の職人の手によって

行われている。

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漆の樹液は外の堅い樹皮を削り取った後、その部分に細く傷をつけることによって

染み出てくるのである。

DSC08177_R.JPG

漆は樹液を採取するまでに木の成長に10~15年の歳月がかかり、「ウルシ掻き」によって

一本の樹からはわずか200mlしか採取できない。 しかも採れるのは1年のみで

その後、その漆の木は切り倒してしまうのだと。

漆掻きは縄文時代から4000年間、殆ど同じやり方で行われていると。

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朱色の漆。

透漆(すきうるし)に赤い顔料を混ぜてつくる赤漆。

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縄文時代、漆に混ぜた赤の顔料は2種類。酸化鉄のベンガラと水銀の鉱石を製錬した水銀朱。

水銀朱の方がより鮮やかな赤を表現できると縄文人も解っていたと。

関東から1000kmも離れた北海道から水銀朱を運んできたのではと。

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司会は井浦新,高橋美鈴、国立歴史民俗博物館教授・日高薫さん。

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「赤漆塗刻歯式櫛」 福井県鳥浜貝塚出土。

年代測定の結果、約6100年前のものと判明している。ツバキ属の木材を削りだして作られている。

一枚板から9本の歯を削りだした刻歯式と呼ばれる堅櫛。頭部のU字形の大きな2本の角状突起は、

再生する鹿角の生命の永遠性や不老長寿の表徴とされている。縄文時代の櫛には、霊獣と漆の呪力

が込められていた。縄文の朱漆が塗られた最高傑作の一つと。

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日本の漆文化・漆技術に大きな転機が訪れたのが6~8世紀の飛鳥時代・奈良時代。

中国大陸から新しい高度な洗練された技術が遣隋使、遣唐使等によって入って来たと。

その中に漆工芸の技法も数多く。

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「螺鈿玉帯箱(らでんぎょくたいばこ)(模造)/現品:正倉院御物」。

螺鈿とは貝殻の真珠層を切り抜き貼り付ける技法。

玉帯をおさめる円形印籠蓋造りの箱。奈良時代の螺鈿は木地に嵌入したものが多いが、

この箱は漆塗面に螺鈿を施した唯一の奈良時代の遺品。木製黒塗で、蓋の中央に八弁八葉の

唐花が金平脱(金の花文や鳥文を描いて、はりつけたり透し彫りにした文様である裁文を

貼り、漆をかけた後に漆塗膜だけを削り文様を表す手法)と螺鈿で

表わされ、そのまわりに八個の花枝文が旋回状に描かれている。

そして各々の花芯には彩色の花文を沈めた上に水晶玉を嵌め込んでいる。

さらに側面にも花弁、雲、飛鳥などを螺鈿で表わしている。

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阿修羅像(あしゅらぞう)国宝 興福寺蔵。

脱活乾漆造(だっかつかんしつぞう)。

「脱活」とは「張子の虎」のように内部が空洞と言う意味で

「乾漆」とは「漆」が乾いて堅くなったと言う意味。

木製の芯木で像の骨組みを作り、その上に粘土(塑土)を盛り上げて像の概形を作る。

この上に麻布を麦漆で貼り重ねて像の形を作る。麦漆とは漆に麦粉(メリケン粉のようなもの)を

混ぜてペースト状にしたもので、接着力が強い。

像の形が完成した後は、背面などの目立たない部分を切開して中味の塑土を掻き出し、

補強と型崩れ防止のために内部に木枠を組むと。

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乾漆技法の最高傑作・阿修羅像。

左の顔 ⇒ 右の顔 ⇒ 正面の顔 と、阿修羅の成長過程を表しているともいわている。

顔は幼さが残り、子供の様に細い腕 。

繊細な表現は漆を使ったからこそ可能になったものと。

正面と右の顔。

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正面と左の顔。 

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・正面の顔:仏の教えに出会った瞬間(驚きと嬉しさのまじった表情)

・左側の顔:今までの自分を後悔している姿  又は  過ちを認めきれない姿

     (唇をかみしめている表情)

・右側の顔:人間界を哀れんでいる姿 又は  懺悔(ざんげ)をしている姿(悲しげな表情)

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「脱活乾漆造」は中国から伝来した技術だが中国では古代の「脱活乾漆像」は残っていないと。

それだけに古都奈良の「脱活乾漆像」群は世界的な貴重な遺産。

現在でも、その乾漆の技法を後世に伝えようとしている細野勝氏。

阿修羅像のレプリカを作ることによってその技法を紹介。

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               ・・・続く・・・






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Last updated  2017.08.20 00:50:39
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