JINさんの陽蜂農遠日記

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オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 予約時に保養所から確認の電話があるけど…
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オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 朝食の食べそこないとは? 深酒? であれ…

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2017.11.01
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​​ 【四国八十八箇所霊場巡り ブログリスト】 👈リンク​​

21番札所:太龍寺

「西の高野」と言われる、四国霊場の中でも群を抜く、壮大なスケールを誇る

「第21番札所 太龍寺」のロープウェイ駐車場に到着。

ロープウェイが開通したのは、平成4年7月の事と。

ロープウェイの駅の駐車場と入口の間に架かっている朱の「開運橋(かいうんばし)」と

鷲の里駅( 道の駅鷲の里・観光物産センターに併設)。

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太龍寺ロープウェイ。 

徳島県那賀郡那賀町の鷲の里駅(道の駅鷲の里に併設)から阿南市の太龍寺駅を結ぶ

四国ケーブル(株)のロープウェイ路線。

太竜寺山の山頂に所在する四国八十八箇所第21番札所の舎心山太龍寺への直通路であり、

多くの参詣者で賑わう。従来同寺は徒歩でしか登れないうえ、遍路ころがしの一つと呼ばれる

難所であったが、このロープウェイ路線の開通で多くの参拝者が容易に登れるようになったと。

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太龍寺の本堂が描かれた遍路ポスター。世界遺産への登録を目指していると。

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太龍寺ロープウェイは全長2,775mで西日本最長。

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101人乗り、所要時間約10分。切符は往復2470円。 

この日の往路は、我々2人と中年御夫婦の4名のみ。

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2つの山と1級河川・那珂川越えを行う珍しいロープウェイ 。

支柱の数:2基 支柱の高さ:1号支柱42m 、2号支柱24m。ケーブルの直径:60mm。

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ゴンドラの床にグレーチングの設置された孔が。

下方に那賀川(なかがわ)という川が綺麗に見えた。

徳島県を流れる那賀川水系の本流で、一級河川。

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「山犬ヶ嶽の尾根に5匹の狼がおります。」とガイドから。

石像だがここから何とか小さく見えたがかなりの大きさであると。

いったいどうやって運んだのか。ガイドによるとこのロープウエイを使っての作業と。

歩き遍路にはここは阿波の三難所と言われているところ。

「一に焼山、二にお鶴、三に太龍」と。

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山犬ヶ嶽には、今から千二百年ほど前の平安時代に、 たくさんの日本オオカミ(山犬)の群れが

暮らしていたそうで、 弘法大師 空海は、舎心ヶ嶽 岩上で百日間の修行中、 山々に響くオオカミの

遠吠えを聞いたのだと。

天気が良ければこの様にズームで。

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              【 http://newsnaka.blog6.fc2.com/blog-entry-109.html 】より転載

ロープウェイ山頂駅の太龍寺駅に到着。

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太龍寺 境内配置案内図。

山門から長い参道を進むと右側に六角経蔵、護摩堂、持仏堂(本坊)、納経所があり、

この先の石段を上って行く。石段の途中に鐘楼門が設けられている。上り詰めて左に進むと

奥に本堂が建ち、その左後ろに求聞持堂がある。本堂とは逆の右に進むと橋を渡った先に

大師堂拝殿がある。履物を脱いで拝殿回廊を回り込んで拝殿裏に行くと大師堂奥殿がある。

多宝塔は本堂と大師堂の間の丘の上に立つ。

なお、ロープウェイ利用の場合は、山頂駅舎出口の前の石段を上り詰めると本堂の正面にでる。

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山頂駅舎出口の前の石段を上る。 

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ロープウェイ利用者用の手水場。

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更に階段は続く。 

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旅友のSさんはご自分の年齢の「70歳・息災延命」の場所で記念写真を。

しかし写真を見ると密かに1歳サバを読んでいた、いや逆サバ行為。

人は誰でも年齢より若くありたいと願うもの。 

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そして本堂へ。

空海(弘法大師)の24歳での著作である三教指帰(さんごうしいき)の序文に

「阿國大瀧嶽に…勤念す」と記されており、大瀧嶽は現在の大竜寺山であると考えられている。

19歳で都の大学での学問に見切りをつけて修行に入った空海が、現在の境内の600m ほど

西にある舎心嶽の岩上で百日間の虚空蔵求聞持法を修したとされる。

山号はその舎心嶽から、寺名は修行中の空海を守護した大龍(龍神)にちなんでいると。 

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延暦12年(793年)に桓武天皇の勅願によって堂塔が建立され、空海が虚空蔵菩薩像などを

刻み安置したと伝えられている。

皇室や武家からの信仰が篤く寺勢は栄えたが、天正年間(1573年 - 1592年)に長宗我部元親の

兵火によって焼失し衰退、その後も復興と荒廃を繰り返すが徳島藩主蜂須賀家の保護によって

再建されたと。 

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舎心山 常住院 太龍寺(しゃしんざん じょうじゅういん たいりゅうじ)

宗派  高野山真言宗

本尊  虚空蔵菩薩 

創建  延暦12年(793年)

開祖  桓武天皇(勅願) 空海(弘法大師) 

所在  徳島県阿南市加茂町龍山2

本尊真言 ”のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おん あり きゃまり ぼり そわか” 

ご本尊の「虚空蔵菩薩」 と書かれた扁額。

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境内の多宝塔、観音堂へ向かう道。 

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弁財天堂。 

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多宝塔への階段を上る。 

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多宝塔。

法界虚空蔵、金剛虚空蔵 宝光虚空蔵、蓮華虚空蔵、業用虚空蔵と五尊で

一組の五大虚空蔵が奉安されていると。功徳は息災増益すなわち災を除き寿福を授ける尊像。

特に天変地異の安穏を折り、60年に1度巡る辛酉歳の除災に祈願された。

この多宝塔は江戸時代・文久元年(1861)辛酉歳に建立、銅瓦葺、高さ 約18m、一辺6.38m。

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天気が良ければ大鳴門橋が見えるのであったが、一面白の世界。 

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太師堂。 

高野山奥の院を模倣し、拝殿の彫刻は四国八十八カ所中最も繊細な描写で

中国の神話、民話が刻まれていると。

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太師堂内部。

宗祖弘法大師傾が安置され、大師の十弟子が璧に描かれていた。

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奥殿 御影堂(みえいどう)

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御影堂内部。 

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中興堂。 

長範僧正(第4世・平安後期)と亮山僧正(第22世・江戸前期)を祀っている。

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長年の歳月を経て、隣どうしに生えている杉と桧の根が共存した『異株同根』と呼ばれる樹。 

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岩肌に這う根の廻りにも小さな数々の仏像が。     

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龍美聖観音。 

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修行大師像。 

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相輪橖(そうりんとう)(江戸時代 文化13年 1816年)。

相輪橖の建っている場所には興願寺に譲った三重塔が建っていたと。

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鐘楼門。

鐘楼門内部には、綱がぶら下がっており、天井に掛かる鐘を鳴らすことが出来た。

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こちらが歩き遍路の境内への道。  

この下に仁王門があったが様だが・・・・・。

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本坊、持仏堂と続く境内。 

本坊は明治27年(1894)の火災により焼失し、再建されて現在に。

寺務をかね寺の職員が生活する場所。

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持仏堂内部。

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龍天井。

竹村松嶺による龍の絵が大廊下の天井に描かれていた。 

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護摩堂。 

明治27年(1894)の大火災により焼失し、再建され現在に。

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護摩堂には「大龍嶽」と書かれた扁額が。

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護摩堂内部。

本尊は興教大師作とつたわる不動明王。 

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六角経蔵。 

仏教のすへての経典すなわち一切経を収蔵する施設のことでこの経蔵には版木印刷の

一切潅が収められていると。以前の一切経は三代将軍徳川家光公の寄進による物であったが

焼失し、現在の一切経及び経蔵は安政3年(1856)に収蔵されたものと。

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納経所前のハイビスカスも雨に濡れていた。 

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桔梗の花も。 

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納経所。 

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納経したという証として「納経所」で納経帳に印・「お納経」を頂きました。

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そして御本尊様の分身・御影(おみえ・おすがた)も頂きました。 

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ロープウェイ山頂駅に向かって下る。

山城の如き城壁。 

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ロープウェイ山頂駅。 

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太龍寺から700m程登った山頂に祀られた修行大師像の写真が待合室に。

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あと1ヶ月もすればこの写真の如くの紅葉の世界が。

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帰りのロープウェイは我々二人占め。 

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蛇行する川を越えて大龍寺から下るロープウェイ 。

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道の駅出口に「コイの袋入れ 鯉の袋は再利用します」と。

朱の開運橋の下の池には大きな鯉が泳いでいたので、この鯉を掴み取りして入れる袋?

おそらく鯉の『餌』の袋入れであり『餌』の字が抜けている事間違いなし。

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22番札所:平等寺

195号線に戻り阿南市に向けて走り、途中右折し284号線に入り、木材置き場のあるT字路を

右折し 住宅街を走ると左手に22番札所:平等寺の駐車場があった。ここまで14km弱、25分

の行程。小雨の降り続く中遍路開始。

階段の上の山門(仁王門)が迎えてくれた。

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入母屋造楼門、金剛力士(仁王)像を安置。 

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阿形像。 

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吽形像。

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平等寺 境内配置案内図。

道路に面した13段の石段を上がって山門をくぐる。左に鐘楼があり、その先に大師堂、

その横に小さな観音堂がある。右には納経所があり、その先に手水場が、左に鏡の井戸と

地蔵石像の祠がある、正面に42段の男厄坂が左には緩やかな33段の女厄坂があり

上り詰めると本堂が建つ。本堂左のほうに護摩堂がある。 

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仁王門を潜り境内を見る。 

寺伝によれば、空海がこの地で厄除け祈願をすると五色の雲がわき金剛界大日如来の梵字が

金色に現れた。さらに、その端相に加持すると薬師如来像が浮かび上がったので、錫杖で

その場に井戸を掘ると乳白色の水が湧いた。

その水で身を清め百日間の修行をした後薬師如来を刻み、堂を建てて本尊として安置したのに

始まるという。寺名は、この霊水により、人々の平等な幸せを願い、また、一切の衆生を

平等に救済する祈りを込めて「平等寺」と称されたという。

七堂伽藍や12の末寺を持つまでに栄えたが、天正年間(1573年 - 1592年)に

長宗我部元親の兵火で焼失した。享保年間(1716年 - 1736年)になって照俊阿闍梨によって

再興されたと。

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修行大師像。 

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水子地蔵尊。 

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鐘楼。 

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本堂から仁王門へ数本の綱が渡されていた。

「縁の綱」、「善の綱」と呼ばれこれに手を触れれば、本尊に触れたと同じ功徳(くどく)が

あるという。

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手水場。 

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緑の紅葉と洋蘭ががあしらわれていた。

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地蔵菩薩。 

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六地蔵。 

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その脇にも様々なお姿の石仏が。 

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白水の井戸。

この水は万病に効くとの言い伝えがあると。 

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本堂への階段には1段1段に1円玉が奉納されていた。 

これは厄年の人が、年齢の数だけ1円玉を置くことで、厄が落ちると言われているのだと。

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階段を上がり本堂に到着。 

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本堂を斜めから。 

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本堂前の花堂には多くの生花が奉納されていた。 

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本堂内部。 

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ご本尊の薬師如来像。 

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脇陣の不動明王坐像 。

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内陣の天井絵は四国八十八箇所の本尊を外陣の天井絵は多くの草花が描かれていた。 

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ご本尊「薬師如来」 と書かれた扁額。

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仁王門まで繋がれた綱。 

本堂から眺める仁王門の背景の山が弘法大師が寝ているように見えるのだと。なるほど。

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米国の人類学者フレデリック・スタール( (Frederick Starr)博士(1858~1933年)が

四国遍路でこの寺を訪れた際に残した資料が本堂に展示されていた。

博士は文献に記録が残っている中で最も古い外国人遍路とされるのだと。

大正6年&10年に歩き遍路を二度、大正10年の歩き遍路は35日で結願していると

書かれていた。 

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英語で「南無大師遍照金剛」を意味する「To the Honor of Kobo Daishi」 とサイン入りで

書かれていた。

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仁王門下に寺を後にする和服の女性群の姿が。

午前中は、この方々が太子堂前の黄色のテントにて、お接待をしてくれていたのだと

納経所の女性から。

時間は既に12時過ぎ。もう少し早く辿り着けば良かったのだが・・・・。

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白水山・ミニ八十八ヶ所巡礼道。 

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護摩堂。 

不動明王坐像、脇仏:聖徳太子・毘沙門天が鎮座。

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太師堂。 

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大師像を拝顔できた。 

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納経所前から太師堂、護摩堂を見る。 黄色のテントには人の姿はなし。

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御納経を頂く旅友Sさん。 

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納経したという証として「納経所」で納経帳に印・「お納経」を頂きました。   

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そして御本尊様の分身・御影(おみえ・おすがた)も頂きました。  

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Last updated  2020.06.15 15:05:55
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