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【四国八十八箇所霊場巡り ブログリスト】
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23番札所:薬王寺
平等寺から再び55号線を利用して、海岸線の日和佐道路を30分程走ると
阿波徳島「発心の道場」の最後を飾る23番札所:薬王寺に到着。

仁王門。

阿形像。

吽形像。

薬王寺 境内配置案内図。
国道に面して立つ単層の仁王門を入ると左手から石段が始まる。33段の女厄坂の途中右手に
鐘楼があり、石段が終わる絵馬堂を通って42段の男厄坂につながる。
上りきったところに本堂が建つ。本堂から左に進むと大師堂があって、その向かいに十王堂と
地蔵堂がある。本堂の裏には肺大師があり、右手の還暦厄坂を上ると本寺の象徴と言ってもよい
瑜祇塔が特異な姿を見せている。瑜祇塔の階下は戒壇めぐりで薬師三尊が祀られ、
1階は五智如来を祀っていて展示室にもなっており、2階は展望台で、見学は有料である。
なお、納経所は石段を下りて、仁王門に向かって右手および、鐘楼の段にある本坊入口近くの
2か所あると。

本堂に向かう参道には石灯籠が並んでいた。

女厄坂の途中右手に鐘楼。
厄除けの鐘であり厄年の数だけ打つと 厄が鳴り落ちるといわれていますが・・・・。

33段の女厄坂を上ると絵馬堂。
絵馬堂にある大香炉は、昭和34年のもの。
前方に42段の男厄坂。

手水場。

魚籃観音。
中国、唐の時代、仏が美しい乙女の姿で現れ、竹籠に入れた魚を売りながら仏法を広めたという
故事に基づいて造形されたもの。

本堂。

ご本尊は前向きと後ろ向きの二体の薬師如来像が祀られていると。

1188年の火災の時、ご本尊薬師如来は光を放ち 自ら王厨子山に避難しその後本堂が
再建され新しい本尊を安置すると王厨子山に避難していたご本尊薬師如来が再び
光を放って戻り、後ろ向きに本堂に入ったといわれ「後ろ向き薬師」として伝えられていると。

医王山 無量寿院 薬王寺(いおうざん むりょうじゅいん やくおうじ)
宗派 高野山真言宗
本尊 薬師如来
創建 神亀3年(726年)
開祖 行基
所在 徳島県海部郡美波町奥河内寺前285番地1
本尊真言 ”おん ころころ せんだり まとうぎ そわか”

鎮守堂。

肺大師。
本堂裏手にあり、ラジウムを含んだ霊水で肺病などに効能があるという。

秋篠宮悠仁親王さま御誕生 慶祝 お印「高野槇」。

太師堂。

宝形造り本瓦葺、4間半四方 文政3年(1820年)の建立。

堂内部。
弘法大師坐像〔天文19年(1550年)造〕を中心に龍猛・龍智・金剛智・不空・善無畏・
一行・恵果(各二尺)の真言宗八祖坐像をお祀りすると。

大師堂から左に進むと地蔵堂。
入母屋造り 本瓦葺、正面2間・奥行き3間。

地蔵堂内部。
地蔵菩薩半迦座像3尺5寸、聖観音立像2尺、弥勒菩薩、不動明王立像2尺をお祀りすると。

十王道堂前の灯籠群。

生前の罪を閻魔大王中心に十人の王で裁く、冥界の裁判官が祀られているのだと。

薬王寺の象徴と言ってもよい朱色と白の鮮やかな美しい宝塔・瑜祇塔(ゆぎとう)が
特異な姿を見せてくれた

昭和38年(1963年)の建立。宝形屋根をもつ宝塔形の塔。銅板葺・高さ35m。

還暦厄坂。

鎮守堂。

左:賓頭盧尊者 右:寿老人。
賓頭盧尊者は十六羅漢の第一尊者。衰老の僧形として安置されるが、文殊菩薩ともいう 。
除病の撫仏(なでぼとけ)として、広く寺院の外縁に安置されている。
寿老人は阿波七福神霊場の一つ・『富貴長寿の神様』
無病息災・厄除・長寿を授けて下さる神様で、財宝に恵まれ地位名誉を得て、健康で長生きさせて下さる。

霊牌堂。

大楠は美波町指定天然記念物。

境内から「日和佐湾」、「日和佐城」とを眺める景色もなかなかの見もの。

「日和佐城」は一昨年秋に日本百名城スタンプラリーで立ち寄った城。

本坊。

納経したという証として「納経所」で納経帳に印・「お納経」を頂きました。

そして御本尊様の分身・御影(おみえ・おすがた)も頂きました。

24番札所:最御崎寺
23番札所:薬王寺をあとにし、55号線・土佐東街道を、太平洋を左手に見ながら
室戸岬を目指してひたすら進む。
途中、右手にちょっと変ったモスクの様な建物海陽町観光協会の建物が。

広場の片隅に「すこやかに さわやかに おおらかに 平成九年 尾崎将司」
と白く彫られた石碑が。
尾崎将司は1947年 尾崎家の長男としてこの近くの徳島県海部郡宍喰町に生まれます。
1964年 地元の徳島海南高校のエース打者として春の選抜高校野球にて全国制覇し、
翌年に西鉄ライオンズに入団。わずか4年で退団してプロゴルファーに転身。
1971年 プロデビュー2年目の9月には「日本プロ」で初優勝を飾ります。
1973年 年間5勝を挙げて初めて賞金王となり、ジャンボ全盛期時代に突入。
1996年 11月17日、ダンロップ・フェニックス3連覇でプロ通算「100勝」を達成。
これを記念して建てられた石碑とのこと。

更に太平洋と海岸の景色を楽しみながら室戸岬へ。

前方に「夫婦岩」が。
室戸岬町と佐喜浜町の境にある鹿岡鼻にあり、海中からまっすぐに立つ二つの岩柱。
夫婦岩は全国各地にあるが規模が大きい部類に入るのだと。

そして室戸岬に近づくと、右手前方に白き青年大師像(明星来影寺)が。
この像は昭和59年11月、大師の徳を慕う信者や一般の方々の寄進によって建立されたもので、
青年空海の力強い生き方がしっかりときざみ込まれていると。
台座の5mを含んだ像全体の高さは21m。前回訪ねたので今回はパス。

そして室戸岬を通過し、室戸スカイライン方面へ右折。急勾配を上りきった先、左カーブを
曲がった先が駐車場。高知県の遍路の最初の寺:薬王寺からここまで約80km、90分のドライブ。
駐車場から山門までは比較的緩やかな上り坂。山門まで徒歩約3分で左手に山門が見えて来た。
いよいよ今回のお遍路の高知県の最初の寺・24番札所:最御崎寺へ。

お迎え大師像。

仁王門前にも修行大師像が。

楼門式仁王門。表と裏に、仁王像が2対立つ。

表の阿形像。

表の吽形像。

最御崎寺 境内配置案内図。
門を入ると右に袴腰造の鐘楼堂、虚空蔵菩薩石像、多宝塔などがあり、左に土俵、大師堂がある。
この先左手に手水場、納経所があり正面に本堂が建っている。本堂裏には霊宝殿、聖天堂、護摩堂
などが並び、最奥の宿坊である遍路センターの建物内には遍路休憩所がある。
![H202-Garan24[1]_R.jpg](https://image.space.rakuten.co.jp/d/strg/ctrl/9/0110b36d3ca97918872fd858f77ec0b05067d91c.15.2.9.2.jpeg)
岩見重太郎・薄田隼人塚。
豊臣秀吉に馬廻衆として仕えたと伝わる。秀頼には三千石で仕えていた。剣の道を極めるため、
諸国を武者修行の旅に出たが、天橋立での仇討の助っ人をした話や信州松本の吉田村で
狒々退治をした話など著名。大阪冬の陣と言われる慶長19年11月には大いに戦って
有名をとどろかし、さらに翌元和元年五月の夏の陣では、ついに惜しくも戦死したと。

無縁仏塚か?

境内。正面に本堂。

島田信保大僧正像。
大正13年大学を卒業し、東京・無量寺で修行した後、四国霊場第二十四番札所最御崎寺の
住職を拝命。昭和58年真言宗豊山派大僧正。平成元(1989)年2月最御崎寺名誉住職。
住職在任中、寺院の整備に尽力する一方、幅広い分野で地元室戸市の文化、社会福祉の向上に
貢献したと。

相撲練習場。現在でも使われているのであろうか?

十一面観音像。

更に境内を本堂に向かって進む。右に鐘楼堂。

鐘楼堂正面。
袴腰造、慶安元年(1648年)、土佐藩2代目藩主・山内忠義によって寄進された。
昭和59年に新しい鐘楼堂が建立された為、現在は使われていない模様。

鐘石。
くぼみに石が置いてあり、この石で大きな石を叩くと、澄んだ音色がするのです。
するとこの音が冥土まで届くのだと。一種の冥土への通信装置なのだと。

香炉堂と大香炉。

弘法大師像。

虚空蔵菩薩。

子育地蔵尊。

手水場。

多宝塔とその前に十三重塔。

昭和55年建立。RC造。但し外装である扉、連子窓、組物、彫刻、軒下一式などは木材で造作。
内装も四天柱・側柱を除き木造であろう。一辺5.5m、高さ約20m。

本堂。
空海は都での学問に飽き足りず、19歳の延暦11年(792年)頃からの約5年間、
山林修行を続けた。空海の『三教指帰』には「土州室戸崎に勤念す」(原文は漢文)とあり、
室戸岬にほど近い洞窟(御厨人窟)で虚空蔵求聞持法に励んだとされる。
寺伝によれば空海は大同2年(807年)に、嵯峨天皇の勅願を受けて本尊の虚空蔵菩薩を刻み、
本寺を開創したとされる。当初は奥の院四十寺のある四十寺山頂にあり、現在地に移ったのは
寛徳年間(1044年 - 1055年)頃といわれていると。

室戸山 明星院 最御崎寺(むろとざん みょうじょういん ほつみさきじ)
宗派 真言宗豊山派
本尊 虚空蔵菩薩(秘仏)
創建 大同2年(807年)
開祖 嵯峨天皇(勅願)、空海(弘法大師)
所在 高知県室戸市室戸岬町4058-1
本尊真言 ”のうぼう あきゃしゃ きゃらばや おんあり きゃまり ぼり そわか”
本堂内部。

本堂前からの境内。

本堂裏の鐘楼。鐘を突くお遍路御夫妻の姿が。

霊宝殿。
毎年11月の第1日曜日に公開され、重要文化財の宝物が拝観できると。
合わせて、室戸岬灯台と室戸岬特別地域気象観測所(旧室戸岬測候所)の公開があるのだと。

六地蔵。

仁王門を境内から。

大師堂。

大師像を拝顔できました。

大師堂の脇に眼病平癒の「一畑薬師」が勧請されていた。

納経所。

納経したという証として「納経所」で納経帳に印・「お納経」を頂きました。

そして御本尊様の分身・御影(おみえ・おすがた)も頂きました。

仁王門を出て最御崎寺をあとにし、徒歩にて2分程の室戸岬灯台を訪ねた。

周辺は、室戸阿南海岸国定公園に指定され、太平洋を望む風光明媚の地。
光達距離26.5海里(約49km)は日本一。

また、日本に5箇所しかない直径2.6メートルの第一等フレネル式レンズを備えた
第1等灯台でもあると。

最御崎寺の山門から駐車場に向かう帰路の参道の、山門の先の右側の低い塀に沿って、
吉井勇の歌碑が建っていた。
『空海を たのみまいらす 心もて はるばる 土佐の国へ 来にけり』

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