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隠居人はせじぃさんComments
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『旧東海道を歩く』ブログ 目次
二宮町から小田原市に入る。
小田原市の市章(シンボルマーク)は、梅の花と、海の波形をうまくデザインしたもので、
これは70年前の市制施行に際し、広く公募した中から選ばれたものであると。
押切橋交差点の先から押切坂を振り返る。
押切橋を超えて進むと右手にあったのが『三宝神社』。
比較的小さな社殿。
そして進むと『再び二宮町の道標』が目の前に。
先ほど小田原市に入ったが再び小田原市を出て二宮町に入るのであった。
帰宅して調べてみると、この辺りは市境が入り組んでいる事を下記ブログから理解したのです。
「 小田原市-二宮町/市町村境界の謎
」(☚リンク)
この市境の経緯についても書かれていますので興味のある方はアクセスしてみてください。
すなわち坂を上ると塔台橋でまた二宮町に戻り、その後道路の中央が市境となっており、
中央の分離線の右側は小田原市、左側は二宮町になるのです。
そして坂を上り切った橘インター入口でその先は道路の両側が再び小田原市に入るのです。
この付近かなり複雑に境界が入り組んでいたのであった。
『塔台橋』。
下を流れる塔台川。
マンホールも「小田原」から「二宮町」にしっかり戻るので、
下も向いて歩くと面白いのであった。
再び二宮町の汚水マンホール蓋。
MY TOWN NINOMIYA の文字と、中央に町の木・椿の花のデザイン。
カラーマンホールであれば椿の花は真っ赤なのであろう。

そして再び小田原市へ。
西湘バイパス・橘IC入口が左手に。
日本橋から76Km。
浅間神社信号があり右手にあったのが『(前川)浅間神社(まえかわあさまじんじゃ)』。
(前川)浅間神社の『石鳥居』。
『拝殿』。
御祭神は木花咲耶姫命 ( このはなさくやひめのみこと )。
拝殿脇の土盛りの場所にあった石碑には何と書いてあるのだろうか?
富士塚に立つ『富士講?大神』であろうか。
こちらは『震災復興紀念碑』。
『境内社』
そして更に進んでいくと相模湾が前方に見えて来た。
『光る海』。
真鶴半島そしてその先に三ツ石が見えた。
『史跡 車坂』
東前川あたりの右手にある碑で、太田道灌、源実朝詠歌の記念碑。
太田道灌が車坂で夕立に出合ったとき詠んだものであると。
源実朝は洪水で渡河できないときに詠んだ歌。阿仏尼の歌もある。
『鳴神の 声もしきりに車坂 とどろかしふる ゆふ立の空』 太田道灌
戦国兵乱の世の和歌集に「平安紀行」があります。「平安紀行」の作者は、
太田道灌とする説と異説とする説がありますが、その前文に「車坂という里にて
ゆう立しきりに降りそいえば」とあり、この時に詠んだものです。
『浜辺なる 前川瀬を逝く水の 早くも今日の 暮れにけるかも』 源実朝
「吾妻鏡」建保元年の条に記録があり、源実朝が鎌倉を出て箱根、伊豆の二権現に
参拝する際、前川まで来た時、正月でも洪水があったとみえ河を渡ることができず、
日暮れまで待つ間に詠んだものです。
『浦路行く こころぼそさを 浪間より 出でて知らする 有明の月』 北林禅尼(阿仏尼)
「十六夜日記」は、阿仏尼が夫の逝後、先妻の子為氏と我が子為相との相続争いの
訴訟のため、京を発ち鎌倉に下る紀行文です。その前文に酒匂に泊り、あす鎌倉へ入るとあり、
この時に詠んだものです。
そして100m程の右手に『従是大山道』と刻まれた石碑が。
奥に秋葉常夜灯と小さな石の祠が並んでいた。
羽根尾、井ノ口、秦野と山の中をぬって蓑毛へと向かう大山詣の西からの参道口らしい。
不動明王が乗っているのでよく目立つ道標。
顔が何となく可愛らしいのであった。
少し先の信号の所に、双体道祖神と坂下(文字)道祖神(下・左)が並んでいた。
坂下道祖神碑は最近のものの様であるが、双体道祖神は風化の具合から考えて、
かなり年代を経ているのではと。
右手に『近戸神社(ちかとじんじゃ)』と書かれた石碑があったが、
調べてみると線路の向こう側の神社であったので今回は訪ねなかった。
道路脇のミカン売り場。
日本橋まで(から)77Km。
坂を上り切った右手、中宿公民館前にも双体道祖神(下・中)?があったが
これも風化が激しく年代不詳。
そして予定になかった右手『清正公堂』。
石材店の裏にある戦国武将の加藤清正を祀るお堂。
「加藤清正」は何故か見過ごせなかったので立ち寄って見た。
建物・堂?もあったが中には入らず。
『日蓮上人像』。
『法徳地神』
何となくあやしい場所なのであったが・・・・。
そして再び海岸線に。
右手に『カトリック国府津教会』の看板があった。
『國府津カトリック教會』。
『カトリック国府津教会(教会堂名:七つの悲しみの聖母)』
創立は1951年 で住所は「神奈川県小田原市国府津4-5-57」
国府津教会はアイルランドの聖コロンバン会によって創立されたのだと。

敷地は松の古木で囲まれていた。
カトリック国府津教会の聖母像。
聖母像の光背には、“Je suis l'Immaculee Conception (私は無原罪の御宿りです)”
の文字が並んでいる。なかなか凝った意匠なのだと。
無原罪の御宿り(むげんざいのおんやどり)とは、聖母マリアが、神の恵みの
特別なはからいによって、原罪の汚れと咎(とが)を存在のはじめから一切受けて
いなかったとする、カトリック教会における教義であるのだと。








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