JINさんの陽蜂農遠日記

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オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 予約時に保養所から確認の電話があるけど…
JINさん@ Re:再び大涌谷へ(05/16) Dさんが申し込んで下さいましたが、朝食を…
オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 朝食の食べそこないとは? 深酒? であれ…

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2019.03.11
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カテゴリ: 海外旅行
『ベレンの塔』の観光を終え、再びバスに乗り『発見のモニュメント』に向かって
バスは走る。
右手に見えたのがベレン灯台 (Farol de Belém・Belem Lighthouse)。
1940年の「国際博覧会(Exposição do Mundo Português)」の為に作られたのだが、
本来の灯台の役割は当初からないとのこと。
また、灯台の背後には「日本庭園(Jardim do Japão)」という庭園があると。 



インド通りを走ると再びシントラ線の電車が。
車体には多くの落書きが。



そしてバスを降り発見のモニュメント( Padrão dos Descobrimentos)を訪ねる。




巨大なモニュメントだが、上空から見るとこの様に見えると。
上がテージョ川。


          【https://jp.pokke.in/padrao-dos-descobrimentos/】より

記念碑は 52 メートルの高さのコンクリート製で、キャラベル船の船首の曲線に似せてあると。
建築家コッティネッリ・テルモと彫刻家レオポルド・デ・アルメイダが、ポルトガルで
開催された 1940 年の国際博覧会( Exposição do Mundo Português )の象徴として
ベレン灯台と同時に制作したもの。
独裁者アントニオ・サラザール時代の典型的な、過去のポルトガル栄光の時代へのロマン思想を

最初に作られた記念碑はもろい素材で制作されたため、 1960 年にエンリケ航海王子の
500回忌を記念してコンクリートで再度制作されたのだと。



記念碑正面にある石畳には多くのポルトガル人航海者が大陸や国に到達(発見)した年が
記述された世界地図のモザイク画が描かれていた。




1427年、エンリケの派遣したディエゴ・デ・シルベスによって「発見」された
アゾレス諸島(Açores) とマデイラ島(MADEIRA)の文字が。
1434年 エンリケ航海王子の派遣隊が前人未踏のボジャドル(Bojador)岬の通過に成功,
さらにアフリカ西海岸の金と奴隷を求め,エンリケが死亡した1460年には
GUINE(ギニア)の南のシエラレオネまで達したのだ。



ポルトガルの場所には、ポルトガル国旗の中央に表されているシンボルが
はめ込まれていた。
五つの青い盾はオーリッケの戦い(1139年)をめぐる初代ポルトガル王アフォンソ1世の
伝説にある敵の五人の王を、青い盾の中にある五つの白い円はキリストの
五つの聖痕(せいこん)を表すと。
聖痕とは、イエス・キリストが磔刑となった際についたとされ両手,両足および脇腹,額の
傷を現すのだと。
下部の一つは外れてしまった模様。誰かが持ち去ってしまったのであろうか?



1488年、ブルトロメウ・ディアスがジョアン2世(ポルトガル王)の命でアフリカ周航を指揮。
暴風で流され、アフリカの南端の岬を発見。
後にジョアン2世により「喜望峰(きぼうほう)」と名づけられ、アフリカを迂回する
東インドへの航路発見の可能性がさらに高まったのだ。



ポルトガル人のアフォンソ・デ・アルブケルケによるホルムズ(Ormuz)への侵攻は
1507年。



1498年にはヴァスコ・ダ・ガマが喜望峰を回り、インド西岸のカリカット(CALECUTE)に
到達して香辛料をポルトガルに持ち帰った。
セイロン島(スリランカ)支配開始は1505 年。

「発見のモニュメント 喜望峰」の画像検索結果

東南アジアの国々。
1512年、現インドネシアのモルッカ諸島へとポルトガルが上陸。
このモルッカ諸島は、香辛料の中でも特に貴重なナツメグが取れる唯一の地域であったため、
この地域をめぐって西欧各国で争いが激化した。
最初はスペインと香辛料の独占をめぐって争ったが、ポルトガルが支配権を勝ち取った。
その後、世界の覇権がポルトガルからオランダへと移り変わった17C前半に、オランダへと
支配権が移って行ったのであった。

「発見のモニュメント」の画像検索結果

そして日本へ。



日本の場合、ポルトガル人が種子島に漂着した1543年ではなく、ポルトガル船が
豊後に漂着した1541年が記述されているのだと。
1543年8月、種子島にポルトガル人が漂着し鉄砲が伝えられたことは日本の歴史でも
有名な史実だ。その鉄砲は驚異的なスピードで日本中に広まり、日本の歴史に大きな影響を
与えたのであった。
しかし、ポルトガル人が日本にたどり着くには長い年月がかかっている。
1415年、エンリケ航海王子が北アフリカのセウタを占領、イスラム教徒から奪った
その町を基点に、西アフリカ航路の開拓に力を注いだ。そして1488年にアフリカ南端の
喜望峰に到達し、インドやマラッカ、中国南部に進出するようになった。
そしてセウタ攻略から130年後、ようやく日本にたどり着いたのだ。  
それから6年後の1549年8月15日、マラッカを出航したポルトガル船に乗った
フランシスコ・ザビエル(Francisco de Xavier)は、52日目の10月6日鹿児島の浦港に
到着し上陸したことから日本のキリスト教時代が始まったのは高校時代に学んだのであった。 
豊臣秀吉の時代になってキリスト教徒への弾圧が始まり、さらに、徳川家康以後は組織的に
行われるようになった。このような経緯を辿ったのは、キリスト教の布教がポルトガルの
独占貿易と表裏一体をなし、布教の裏には常に大国ポルトガルの影があったからだと
言われているのだ。



ポルト・セグーロ(PORTO SEGURO)は、ペドロ・アルヴァレス・カブラルが
大西洋を横断しブラジルを発見し、初めて上陸した(1500年4月22日)地である。



床には直径50メートルの「風のバラ」の説明文が。
このモザイクは1960年に南アフリカ共和国から贈呈されたものであると。
「発見のモニュメント」は「1960年」に「エンリケ航海王子の没後500年」を記念して
建てられたのだと。
以上の詳細は【​ 大航海時代の幕開け〜 ​】⬅リンクを参照下さい。

「ESTA rosa dos ventos foi oferecida」の画像検索結果

正面から。



航海用の「天球儀」のモニュメント。



発見のモニュメントの、「大航海時代に活躍した偉人たち」の説明。


                           【るるぶポルトガル】より

西側の像。
東西併せてヴァスコ・ダ・ガマをはじめとする33人の偉人像を従えて、堂々と
エンリケ航海王子の像が。



西側の人物の名前を再び。
エンリケ皇太子を入れて17名。

「発見のモニュメント」の画像検索結果
            【http://kitagawa.ws/padraodosdescobrimentos/】より

右から
①エンリケ航海王子
②フェルナンド聖王子- ジョアン1世の王子、エンリケ航海王子の弟
③ジョアン・ゴン・サルベス- 航海士
④ジル・イアネス- 航海士
⑤ペロ・デ・アレンケーレ- 頭だけ見える像。航海士
⑥ペドロ・ヌネス- 15世紀の数学者



右から2番目が
⑦ペロ・デ・エスコバール- 肩より上が奥に見える、航海士
⑧ジャコメ・デ・マイオルカ- 天文学者
⑨ペロ・ダ・ゴビリャン- 15世紀の冒険家、陸路でインド到達
⑩ゴメス・イアネス・デ・ズラーラ- 年代史家、作家



右から
⑪ヌノ・ゴンサルヴェス- 画家
⑫ルイス・デ・カモンイス- ルネサンス期の詩人。航海者を著作『ウズ・ルジアダス』で讃えた
⑬フエレイ・エンリケ・カルバーリョ- 神学者



右から
⑭フェルナン・ゴンサロ・デ・カルバーリョ- 神学者
⑮フェルナン・メンデス・ピント- 作家
⑯ドナ・フィリパ・デ・レンカストレ- ジョアン1世の王妃、エンリケ航海王子らの母
⑰ペドロ・デ・コインブラ- ジョアン1世の王子、エンリケ航海王子の兄



⑯ドナ・フィリパ・デ・レンカストレ(ジョアン1世の王妃、エンリケ航海王子らの母)
 をズームで。



再び西側の全景を。



記念碑の中に入ることも出来、小さなスペースがあってリスボンの歴史を展示している他、
屋上までエレベーターで上がれるのだと。
屋上は、狭いが、ベレン地区やテージョ川の素晴らしい眺めを堪能することが出来る
とのことであるがここも残念ながら・・・・。
記念碑の内部にある小さなスペースでは、リスボンの歴史を展示していると。



階段の北側の正面には金属の2つの碑文が。
エンリケ航海王子の碑文。
月桂冠の上に「NO V CENTENÁRIODO INFANTE D. HENRIQVE 1460-1960」と
書かれていた。「エンリケ王子の500回忌に。1460年―1960年」と。
大航海時代とは、西ヨーロッパの15世紀初めから17世紀初めにかけて、イベリア半島の
2国(ポルトガル、スペイン)をその先導者とし、それまでの地中海世界から目を地球全域に
向け、主として大洋航海によって、それまでヨーロッパでは伝説的・空想的領域にあった
世界の各地が、探検航海により次々に現実に確認されていった時代をいう、と
ウイキペディアなどで説明している。
1385年ジョアン1世がアヴィス朝を開く。ジョアン1世の第5子であるエンリケ航海王子により
   大航海時代が始まり、1438年には、エンリケ航海学校も設立される。     
1415年にエンリケ航海王子がジブラルタルの対岸北西アフリカの「セウタ」を攻略したことが
   大航海時代の始まりと言われる。      
1498年には、ヴァスコ・ダ・ガマがインド航路を発見する。  
1500年にはカブラルがブラジルを発見する。                  
1519年にはマゼランが世界一周を実現する。                   
      この時期が、交易する世界各地からの富と文化でポルトガルが最も栄えた時代である。
15世紀から17世紀と言えば日本では室町時代から江戸時代初期、ほぼ戦国時代に当たる
のであった。



ポルトガル王国は、15世紀のヨーロッパ人の世界探検において先駆的な国であった。
1494年のトルデシリャス条約によって、新世界はスペインとポルトガルの領域に分けられたのだ。
トルデシリャス条約とは                             
15世紀の末、世界はスペインとポルトガルによって分割された。
ポルトガルは地球を東回りに、アフリカ大陸南端の喜望峰を経由し、インドに達した。
スペインは地球を西回りに、西インド諸島に達した。
この航海とその後の支配こそが、ヨーロッパの植民地体制の始まりである。
イメージ 3

1494年6月7日にスペインとポルトガルの間で結ばれた条約で、当時両国が盛んに
船団を送り込んでいた「新世界」における紛争を解決するため、教皇アレクサンデル6世の
承認によってヨーロッパ以外の新領土の分割方式を取り決めたのであった。  
世界全体をポルトガルとスペインだけで二分しようという条約で、他の国々にしては
誠に得手勝手な条約であったのだ。
本条約において西アフリカのセネガル沖に浮かぶカーボベルデ諸島の西370リーグ
(1770km)の海上において子午線にそった線(西経46度37分)の東側の新領土がポルトガルに、
西側がスペインに属することが定められた。
名称の由来は、条約が批准されたカスティージャのトルデシリャスの地名からとられている。
南アメリカの大部分がスペインの植民地だったにもかかわらず、この条約の効果として
ブラジルだけがポルトガルの植民地になっていたのであった。

左側には、 「AO INFANTE D. HENRIQVE E AOS PORTVGVESES QVE DESCOBRIRAM OS CAMINHOS DO MAR」 ( ヘンリー王子とポルトガルの海の道を発見 )と。
その下に錨が。 


モニュメント東側。



再び、人物名は下記とのこと。

「発見のモニュメント」の画像検索結果
           【http://kitagawa.ws/padraodosdescobrimentos/】より

先頭は「大航海時代の先駆的指導者」の
①「エンリケ航海王子(1394年〜1460年)」
 船首に彫られているのは、カラヴェラ船を手にしたエンリケ航海王子。
 併せて西アフリカの海岸からギニア湾、マデイラ島、アゾレス諸島、
 カーボベルデまでの地図を持っているのだと。
 カラヴェラ船の名前はポルトガル語の「オーク材(Carvalho)」に由来すると言われているが、
 正確なところは定かでないのだと。
 エンリケ像の高さは9メートルあると。
 発見のモニュメントは、それ自体もカラヴェラ船の形になっている。
 後ろ側からみると、帆柱が十字架のフォルムになっていたのであった。
②「アフォンソ5世」、アフリカ・ポルトガル帝国を造った人物。



③「ヴァスコ・ダ・ガマ(1460年頃〜1524年)」、インド航路を発見。



④「アフォンソ・バルダイア」(航海士)
⑤「ペドロ・アルヴァレス・カブラル」はブラジル発見者。 
⑥「フェルディナンド・マガリャインス(マゼラン)」、史上初の世界一周達成。
⑦「ニコラウ・コエーリョ」(航海士)



中間部一番左手前は
⑧「 ガスパル・コルテ=レアル
  1500年、ポルトガル王マヌエル1世は ガスパル・コルテ=レアル を新しい土地の発見と
    アジアへの北西航路発見のため北大西洋へ派遣したと。

 次が
⑨「アフォンソ・デ・ソーサ」、9代インド総督
⑩「ジョアン・バーロス  」- 歴史家
⑪「エステバ・デ・ガマ  」- 大航海時代の船長
⑫「バルトロメウ・ディアス」 - 喜望峰を初めてまわりインド洋へ到達



左から
⑬「ディオゴ・カオン 」 -  コンゴ川に到達した最初の人物
⑭「アントニオ・デ・アブレウ 」 -  モルッカ諸島に到達した最初の人物
⑮「アフォンソ・デ・アルブケルケ 」 -  ポルトガル領インド第 2 代総督(副王)
    後ろから2番目が日本で 1549 年にキリスト教布教活動を行った
⑯「フランシスコ・ザビエル」- イエズス会宣教師
一番後ろが
⑰「クリストバウン・ダ・ガマ 」-  航海士・騎士。



祈りの姿の⑯「フランシスコ・ザビエル」をズームで。



再び東側全景を。



モザイク地図のポルトガルの場所に埋め込まれていたものと同じものが最頂部に。



そして発見のモニュメントと向かい合う如く、この後訪れたジェロニモス修道院が見えた。



雲ひとつない青空にジェロニモス修道院が白く輝いていた。




                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2019.11.01 23:46:13
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