JINさんの陽蜂農遠日記

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2019.05.23
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『旧東海道を歩く』ブログ 目次





『芭蕉天神』の石碑。



細い山道の奥にある社殿をズームで。



天竜浜名湖線のガードが前方に。
静岡県掛川市の掛川駅から浜松市天竜区の天竜二俣駅を経て、湖西市の新所原駅に至る
天竜浜名湖鉄道が運営する鉄道路線。
東海道本線から分岐して内陸部に入り、浜名湖の北岸を巡って再び東海道本線に合流しており、
掛川 - 豊橋間の北回りバイパス線ともなっている路線。



ガードの左にあった西掛川駅を見上げる。
単式ホーム1面に待合所を設けるだけの無人駅であるようだ。



『白山神社』入口。



右に曲がり進むと道路の先に大池(橘町)に鎮座する『白山神社』が。



境内参道とその先に『社殿』が。



掛川市大池850にある白山神社。



大池(橘町)にある宗心寺。



こちらが宗心寺『山門』。



『本堂』。
「五十九代宇多天皇寛平六年(894年)頃の創建と云われている。
元は法多山尊永寺の末と伝えられ、現在は日蓮宗だが昔は真言宗であった。
創建以後三百八十年経ち、文永年間鎌倉の大光山本圀寺の好堅院日教聖人が
当地に布教し、当時宗心寺住職中道院阿闍梨法師と法輪の末阿闍梨法師は日教聖人に
折伏され当寺を日蓮宗に改宗した。聖人より大光山の山号を頂き大光山宗心寺と
山寺号を改めた。中道院阿闍梨法師は日教聖人の弟子となり中道院日法と改め、
日教聖人を当寺の開山とし日法聖人が二世となる。掛川では最も古いお寺の
ひとつと云われる。」



『南無妙法蓮華経』と刻まれていた。



『目標を持とう よき未来のために努めよう 現在できることを』と。
現在できる日本橋から京都三条大橋まで『旧東海道を歩く』を目標としながら歩く
自分がいたのであった。



境内にあった神社。



この建物は?昔の本堂を移設したものであろうか?



蓮祐寺の門前にある『大池一里塚跡』の道標を何とか発見。
北塚は大池村内、南塚が長谷村地内に存在した一里塚だが両塚とも現存せず。
江戸日本橋から59里目(約232km)、京三条大橋からは59番目で
実測約285km地点。
(七里の渡しを27.5km、天竜川池田の渡し迂回分を+2kmとして測定)。



掛川市長谷の旧東海道沿いにある『蓮祐寺』。



日蓮宗、釈迦牟尼如来を本尊とする蓮祐寺の『本堂』
慶長二十年(1615年)大阪夏の陣落城のおり、服部又一郎が供をつれ京より下り
当地に移り住む事と成った。時代は変わり明治の世となり、服部一族は貫名山妙日寺に
帰依し、蓮成院日淨上人にお願いをして、当地へ法華経を広める為に布教所を
創立したのが当寺の始まりであると伝えられる。
『一条山』と書かれた扁額。



『南無妙法蓮華経』と刻まれた石碑。



更に旧東海道を進むと『大池の名残松』が姿を現す。



『逆川』が近づく。



旧東海道(県道253号線)を進む。
ここは掛川市細田地区。



正面に現国道1号線・掛川バイパスの高架橋を望む。



右手公園の奥には『高松神社』が」あった。



現国道1号線・掛川バイパスを潜り、バイパスを左に見ながら進む。



旧東海道沿い左手にあったのが『掛川聖書バプテスト教会』。



東名高速道路の下を潜り、前方にに見えて来たのが垂木川(たるきがわ)に
架かる『善光寺橋』が見えて来た。



善光寺橋西詰、垂木川に沿って旧東海道が延びる。

善光寺橋

垂木川に架かる『善光寺橋』。



善光寺橋歩道橋を進む。



『垂木川』。
延長6.4kmの川で太田川水系の宮川と逆川を繋ぐ川。



掛川市岡津地区の民家の庭には早くも鯉のぼりが泳いでいた。



旧東海道。右手にあったのが『善光寺』・『仲道寺前』を行く。



こちらは『善光寺』の『如来堂(阿弥陀堂)』。
信州の名刹善光寺と同名の寺が何故ここにあるのか沿革がはっきりしないが、
阿弥陀堂に祀る阿弥陀仏は平安時代の武官、坂上田村麻呂の守り本尊と伝わると。



『岡津善光寺由来記』が旧東海道沿いに置かれていた。
文章が消えかかっていたのでネットで調べてみると
「この地は、佐野郡小松郷岡津村と記され(現在掛川市岡津)松茸が多く取れたと
いわれている。往古延暦七辰の年(平安時代初期)に伝教大師が叡山建立の願をかけて、
自からが阿弥陀仏を三体彫刻してその一体をさずけ、奥州に延暦九年賊徒討伐のため、
勅使として坂上田村麻呂と百済王とが東に下った途中、この村に来た頃、兵が難病にかかり
徒行することができなくなり、この地にとまり病養せしめ、その一体の阿弥陀仏に願いをかけ、
そのため兵の悪病の難を逃れたといわれ、ここに善光寺堂を建立された。
この頃、諸国に難病が流行してその話を聞いて大勢の人たちがこの善光寺にお参りに来たと
いわれている。右側にあるお寺は曹洞宗仲道寺寺名であり、その昔江戸から京都まで
測量したところ、この寺がちょうど東海道の真中で仲道寺と寺名がついたと云われている。」



そしてその隣には『仲道寺山門』。



『仲道寺本堂』
現地解説板によれば享保18年(1733年)善光寺境内に堂を建て、
正法寺(掛川市高御所)の和尚を招き開かれたのが仲道寺とのこと、
つまり先に善光寺がここにあったらしい。



見事な屋根そして彫刻。



仲道寺本堂の内部。



『曹洞宗管長 江川辰三氏の告諭』。



善光寺の横を流れる小川は何故か灰色に濁っていた。



                             ​ その2 ​ にもどる。

                  ・・・​ つづく ​・・・






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Last updated  2020.05.01 11:55:46
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