JINさんの陽蜂農遠日記

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オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 予約時に保養所から確認の電話があるけど…
JINさん@ Re:再び大涌谷へ(05/16) Dさんが申し込んで下さいましたが、朝食を…
オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 朝食の食べそこないとは? 深酒? であれ…

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2019.07.06
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カテゴリ: 海外旅行
2日目のハルビン市内観光に向けて8:30にホテルをマイクロバスで出発。




ハルビン駅の前を通って、駅の右脇にある『霁虹桥』を渡る。
南崗区と道里区にまたがる 起工:1926年、竣工:1927年。
歴史は「中東鉄路(東清鉄道)」時代に遡り、築百年以上を数える。
一時期、音をとって継紅橋と呼ばれたこともあるとのこと。



霁虹桥の方尖碑に1926の文字が。哈爾濱市文物保護単位に認定。



見事な欄干の造形。
ハルビン駅への線路が下方に。







この旅行の全行程を案内してくれた王さん(左)とハルピン市内観光添乗員の蘇さん(右)。



ハルビン駅前に紅軍街が通っていた。南東に200mほど進むと右側に
ハルビン鉄道局外経貿公司の建物が街路に沿って建っていた。
ここが、哈尔滨の『旧日本総領事館跡』
杉原千畝は外務省に採用され、ハルピンの日本総領事館にロシア係として勤務していたのは
この場所だったのだろうか?



場所は紅軍街108号。



現在は『哈爾浜鉄路運輸法院』。



『哈尔滨鉄路 対外経貿有限公司』のプレート。



1924年創建後、南満州鉄道ハルビン事務所として使用されたが、
1936年に総領事館として再使用されたのだと。







『历史建筑(歴史建築)』の銘板も。
1924年建築開始、1925年落成、1936年日本総領事館になったと。



『哈爾浜鉄路運輸法院』を振り返る。



『民益街』との立体交差。



『哈尔滨鉄路局 哈尔滨通信段』と書かれたプレート。
中国語『段』は区.部門とのこと。



紅軍街の中央分離帯には花々が。



『红博广场』から『北方世貿中心ビル』。



『红博广场(旧大広場)』の旧ニコライスキー寺院跡のモニュメント。
ハルビン旧大広場(現、紅博広場)の中央寺院跡。
中央寺院は戦後もしばらく残存していたが、1966年の文化大革命で惜しくも破壊された。
今は唯一背後の博物館の建物のみが健在だと。広場の地下には地下鉄が走っていると。



『松雷商業大廈』。



东大直街の『秋林(ちゅうりん)公司』。
ハルビンでは有名な食品会社がやっている百貨店。
大列巴という人の頭くらいの巨大なパンが有名であると。



『華邑童装世界』は ハルビン市の靴店。



『圣安口腔』医院ビル。



右手に『ハルビン聖心天主教堂(はるびんせいしんてんしゅきょうどう、
中国語簡体字 : 哈尔滨圣心天主教堂)』。
中国黒竜江省ハルビン市南崗区にあるカトリックの教会であり、司教座聖堂。



正式にはハルビン・イエス聖心主教座堂(簡体字 哈尔滨耶稣圣心主教座堂)と呼ばれ、
黒龍江教区の中心的な存在であると。



『プロテスタント教会』。



『歴史建築』、1916年建築。



内部では聖歌が歌われていたので暫し聴き入る。


『ウクライナ教会』。
住所は、ハルビン市南崗区東大直街268号。



『历史建 (歴史建築)』、1922年建設開始、1930年完成。
1922年建、1930年重建、鉄筋コンクリ柱梁煉瓦造り。



『圣母守护教堂(聖母守護教会)』は1981年に『黒竜江省文物保護単位』に指定されていた。
当聖堂にはハルビン聖母守護教堂、ウクライナ教堂、ウクライナ教会、聖母守護教会、
聖母帲幪教会、中華東正教会ハルビン教会などの別称・表記が存在する。
日本語のみならず中国語でも表記には様々なものがあると。



左手に『ウクライナ教会』、右手に『ハルビン聖心天主教堂』。



再びバスにて『红博广场(旧大広場)』の『旧ニコライスキー寺院跡』の
モニュメントの横を通過する。



『红博广场(旧大広場)』には旧ソ連紅軍との協力を称える像も建っていた。



『哈尔滨』駅東口が正面に。



そして『哈尔滨 旧ヤマトホテル』を訪ねた。



『龙门贵宾楼酒店』
哈爾浜駅前に位置する、かつては満鉄が経営したヤマトホテルで、もっと以前は
東清鉄道(ロシアが満州支配していたときの満州北部の鉄道)の直営ホテルだった建物。
ステンドグラスの如き美しい色合いの車寄せの屋根。



1903
年(明治 36 年)、ハルビン駅前に東清鉄道ホテルとして建てられた。
日露戦争が勃発するとロシア軍の野戦病院や軍司令部として使用され、
終戦後はロシア軍将校クラブ( 1907 年~)、中東鉄路理事会館( 1921 年~)として
使用された。
1935 年の北満鉄路買収により満鉄の所有となり、 1937 年(昭和 12 年) 2 1 日に客室数
56 室(浴室付き 45 室)のホテルとして開業。この改修工事は北満鉄路技師の
スピリドフ・セルゲーウィチが担当した。戦後は哈爾濱軍事工程学院、鉄路医院を経て
1968 年よりハルビン鉄路局招待所として使用されたが、 1996 年にハルビン鉄路局が
経営するホテル龍門大厦に統合・改修され、 1997 年より龍門大厦貴賓楼として営業している。
『歴史建築』
旧東清鉄路管理局旅館、旧ロシア哈尔滨領事館。1901年建設開始、1903年落成。



正面入り口。



内部の回転ドア。



回転ドアの前からロビー正面を。



ロビー正面に見える大理石の階段。



当時の写真。



ホテルロビーの左右とチェックインカウンターにホテルの歴史資料が多数展示されていた。
東清鉄道ホテルとして落成されてから、哈爾浜鉄道局による経営による現在まで
114年の歴史を誇り、1937年から1945年はヤマトホテルであった。



歴史資料写真をズームで。



当時の名だたる宿泊者の写真であろうか?



1937年、愛新覚羅溥儀の弟、溥傑(ふけつ)は日本人女性、嵯峨浩(さが・ひろ)と
結婚したのだ。(ピンボケですいません)



日本人の結婚式の写真。



ホテル内にあった模型で当時の様子を再現したもの。



別の角度から。



ホテル内通路。



ヤマトホテルの大食堂。現在の名前は伏爾加饗庁。



壁の絵画。



バーラウンジとカウンター。



廊下は、アカデミー賞受賞映画「ラスト・エンペラー」をほうふつとさせるような雰囲気。



再び回転ドアを内側から。



一度、宿泊してみたいホテルなのであったが・・・。
そして隣りにあった小さな建物の上には巨大な樽が2個鎮座していた。



                              ・・・​ もどる ​・・・

                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2019.11.01 23:54:19
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