JINさんの陽蜂農遠日記

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2020.01.01
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『旧東海道を歩く』ブログ 目次

国道1号線沿いに歩き、しばらく進み、「市場町」の交差点で左の道・県道327号線に入る。



市場町の信号を越えた先に、市場村の解説と藤川宿の案内板が立っていた。



『東棒鼻(ひがしぼうばな)』
藤川宿の東の入口へ到着。棒鼻とは宿場の出入口を指す。



『東棒鼻』
「「棒鼻」とは、宿場の出はずれ、すなわち出入り口のことである。東にあるので
「東棒鼻」と呼んでいる。
藤川宿に棒鼻が再現されたのは、東海道ルネッサンス活動の機運が盛り上がった平成元年である。
なぜ藤川に再現されたかというと、江戸時代の浮世絵の絵師・歌川広重が東海道五十三次の
藤川・「棒鼻ノ図」に描いたからである。絵の中には、八朔(はっさく=八月一日)の御馬進献の
行列がちょうど藤川の棒鼻にさしかかるところで、辺りに境界を示す傍示杭、道の両側に
石垣を積んで土を盛った宿囲石垣(しゅくがこいいしがき)を描いている。
最近、明治二十年ころ写された写真が見つかり、宿囲石垣が写っていたことから、
その存在も認められた。
とにかく、現在、藤川宿といえば「棒鼻」と言われるぐらい、藤川宿の象徴となっている。」



榜示杭『従是西 藤川宿』。



『東棒鼻跡』
「宿場の出入口を棒鼻(棒端とも書く)といわれ、地元の街道往還図には宿囲石垣とある。
広重の藤川宿棒鼻の版画は幕府が毎年八朔、朝廷へ馬を献上する一行がここ東棒鼻に
入ってくるところを描いたものである。」



安藤広重の東海道五拾三次之内・藤川『棒鼻の圖』 
広重は毎年幕府から朝廷へ馬を献上する一行がここ東棒鼻に入ってくるところを描いています。
絵の中央に立つ杭は、宿場の境を示す傍示杭で 、この棒杭が宿場の端(はな)にあったことから、
ここを棒鼻と呼ぶようになった。
傍示杭の左は関札、手前は高札。札を付けて西へ向かう馬は、八朔(はっさく)の
お馬献上行列と思われる。お馬献上とは幕府から朝廷へ馬を差し出すことで、
八朔とは、旧8月1日のことである。



こちらが本物?の
安藤広重の東海道五拾三次之内・藤川『棒鼻の圖』
地方役人たちが土下座している。御弊をたてた駒と一緒に御馬献進の一行がゆく。
幕府は毎年8月1日に朝廷に馬を献上することになっており、広重は天保3年にこの行列に
参加した。図は藤川宿に差しかかるこの行列を迎える様子が描かれている。
愛らしい黒赤二頭の馬。夕雲がたなびく。一行を迎えて犬まで座っているところが面白い。
街道の脇に立つ棒鼻が宿場の外れを表わしている。



道標『藤川』
「京へ46里27丁、岡崎へ1里半、赤坂へ2里9丁、江戸へ78里29丁。」



『是より西、藤川宿 岡﨑宿へ一里二十五町』案内板。



『是より西、藤川宿  岡﨑宿へ一里二十五町 ~藤川の歴史と文化を訪ねて~』
秋葉山常夜灯
 宿場の出入口付近に、寛政7年(1795)に建立の秋葉山常夜灯が」現存しています。
商家「銭屋」
 問屋場跡から家数にして5軒ほど先の南側に今も残る商家。連子格子が昔のにぎわいや
 旅人の姿を思い出させる味わいの深い建物です。
脇本陣跡(藤川宿資料館)
 脇本陣橘屋大西家は中町の東海道北側にあり、明治天皇御小休所の座敷もありました。
 昭和30年に藤川村が岡崎市と合併するまでは、役場が置かれていました。脇本陣で
 現存するのは門のみですが跡地全体は岡崎市の史跡に指定されています。
 現在は宿場町の模型等を展示した藤川宿資料館として利用されています。
十王堂(芭蕉句碑)
 元禄期に建立されたと伝えられる藤川の十王堂。
 その境内には「ここも三河 紫麦のかきつばた」と詠んだ芭蕉の句碑が建てられています。
 これは寛政5年(1793)に西三河の俳人が再建したと記されています。
棒鼻跡
 平成4年に、棒鼻モニュメントが復元されました。東は国道一号との分岐点、西は藤川小学校の
 前に整備されています。
道標(吉良道)
 東海道から左へ分岐する脇道を吉良方面へ通じる道「吉良道」と呼んでいます。
 この道は塩の道として利用度の高い道でした。現在でも吉良道の道標が残っています。
藤川の松並木
 天保14年(1843)には、34間(「町」の間違い。約3.5㎞)の長さが続いていたと伝えられる
 藤川の松並木。昭和38年に市指定の天然記念物になった際には、幹周り2㍍のクロマツ90本が
 町の西はずれに約1キロに渡って東海道の左右に立ち並んでいたと言います。 



『むらさき麦栽培地』
「今から三百年ほど前、俳人・松尾芭蕉は「ここも三河 むらさき麦の かきつばた」
の句を残しました。これは、むかし藤川宿一帯で紫色に染まる麦が作られていたからで、
これを「むらさき麦」と呼んでいました。しかしこの麦は、戦後、作られなくなり、
幻の麦となってしまいました。
平成6年、地元の人々の努力によって再び栽培されるようになり、以後、毎年5月の中旬から
下旬にかけて、その美しい色を鑑賞することができます。」



国道1号線の下の県道327号線脇の『秋葉山常夜灯』。



静かで落ち着いた道筋。



棒鼻の冠木門をくぐり、細い道を抜けて右へ鍵の手に曲がり車道にもどる。
『藤川宿の「曲手(かんねんて)』
「地元の人たちは、この辺りを「曲手」(かねんて)と呼んでいる。
曲手とは、直線状に来た道を直角に右に曲がり、また左へとクランク状に曲がる道をそう呼んだ。
別名「桝形」とも言われている。
藤川宿の曲手は、慶安元年(1648)に、三河代官が藤川宿東端に、約500mほどの街道を
造り、地割りをして市場村の人々を移転させ、加宿市場村を設けたときに、その東はずれを
意識的に道を曲げて付けたことによるものと思う。その効用は外敵から宿場町を守るためとか、
道を曲げることによって、街道の長さをふやし、そこに住む人をふやしたとも言われている。
この付近は、当時、道中記にも書かれて繁盛した茶屋「かどや佐七」跡が曲がり角にあり、
常夜灯(秋葉山灯篭)、そして東棒鼻などがあり、江戸期の面影を止めている。」



『市場町格子造りの屋並』



『市場町格子造りの屋並』
「藤川宿でも往時を偲ぶ町屋造りは市場町が一番です。格子造りの静かな佇まい、
そして町民が町を愛する気持ちが伝わる町、総代始め町民が一体となり日本の歴史の足跡を
残す町として現在も、何軒か残っております。」



先に進むと右の津島神社標示の両脇に堂々とした常夜燈がどっしり構えていた。
神社は奥の名鉄名古屋本線を越えたところにある。
『市場町公民館(旧市場公会堂)』が写真左手に。







『市場町公民館(旧市場公会堂)』
「建設竣工は大正6年7月、当時額田岡﨑地区では、現市の文化財である朝日町の公会堂が
大正4年建設され、それにつぐ公会堂として百戸弱の町内で造ったことで評判となり絵葉書として
残っています。当時としては小屋組みが合掌工法と云う近代工法を駆使した建物で町内に住する
堂宮大工山田許一氏が主となり完成、百年後の現在も長い風雨に耐え、正確無比を誇る完全木造で
津島神社の境内にあり社務所も兼ね町民の和と長い歴史を育んできた公民館です。」



『市場町公民館(旧市場公会堂)』を正面から。



連子格子の民家。
江戸時代の商家銭屋の建物(写真)が残っていた。
格子戸で大屋根が前に出て雨水が下の溝へ落ちるようになっている。
類焼を防ぐために庇の両側に「軒卯建」がある。




祝日の翌日で休みなのか車の姿はなし。



駐車場『定』。駐車場も「藤川宿」らしい趣。いろいろと工夫の跡が。



『歴史に息づく住みよいまち』案内板。



東海道の宿駅設定にあたり、人口が少ないため幕府は近隣の集落を移住させ細長い宿場町を造った。
宿の町並みの長さは9町20間(約1km)に人口1,200人ほどの宿場だった。

『東海道中膝栗毛』では宿の東西の棒鼻付近の茶屋の様子を「棒鼻の茶屋軒ごとに生き肴をつるし、
大平皿、鉢を店先に並べたて旅人の足をとどむ」と紹介している。
弥次さんはゆで蛸を食べたと。



道路脇にはところどころに連子格子の民家が。



『徳性寺』
この寺も名鉄名古屋本線、国道1号線の北側に位置する寺院である。



左手奥には『明星院(俗称 ほうえんさん)』が。
現在は真言宗醍醐派。
入り口の緑の門から本堂も垣間見えた。この緑の門は、イヌマキの生垣だと。



参道そして境内には『片目不動尊』の幟が並んでいた。



『片目の不動尊』
『明星院』の本尊は不動明王立像で、「片目の不動尊」と呼ばれ、永禄5年扇子山の戦いで
敗走する家康をかばい、矢を受け片目となったと伝えられている。
本尊の片目不動尊にはこんな逸話がある。永禄5年(1562)、戦況が劣勢になった家康
の背後から白衣の武者が現れて次々敵を倒してゆくので、誰かと考えていると敵の矢
が白衣の武者の片目に刺さり、武者は消えた。戦さに勝利し、帰りに明星院に参拝し
たら、本尊の不動尊の目に矢が刺さっていた。家康は先の白衣の武者が不動尊とわか
って、以来崇拝したという。



『本堂』。
明星院は、真言宗醍醐派の寺院で、三河新四国三十三番・三十四番札所になっていると。
一か所なのに何故二つの番号が有るのかと不思議だったが、本堂が三十三番札所で、
向かって左側にある「神変大菩薩」の堂が三十四番札所と。




「元々明星院は愛称ほうえんさんで親しまれ、元来、方位学・易学等を主とする密教系
寺院で創建は不明であり、市場と共に加宿市場に来たと伝えられている。ただ、幕末
から明治初頭にかけて寺小屋を営み、日本の近代化に先がけ藤川学区の教育の芯をな
した学問処であり、今も筆子塚等の足跡が見られ、それにまつわる文書等も現存して
いる。醍醐派に転宗は歴史的に新しく、明治以来建学の精神が受け継がれている。」



『岡崎市指定文化財』
 ・工芸 蔵王権現懸仏



『明星院』案内板。



『大聖殿行者堂』。
中央に「神変大菩薩」像。
神変大菩薩は役行者、役小角とも呼ばれ、弘法大師空海が、真言密教を開く前から密教の修行を
された偉大な行者さんで、真言宗の中でも特に醍醐派では大切にされている行者。
醍醐派を開かれた聖宝理源大師は、修験道を大切にされた方で、恵印灌頂、伝法灌頂と二つの
法流を大切に守ってきているのだと。



『筆子の塔』



『筆子の塔』
「明星院の寺子屋で学んだ子どもたちが大人になりお師匠様を偲んで建立した。
二代目のお師匠様の塔には百八十名の子どもたちの名前が刻まれている。」



『法 印塔復元』石柱。



『三佛堂』



『扁額』。



中央に『観世音菩薩像』。
右に『地蔵菩薩』、左に『文殊菩薩』。



『招福堂』



『開運招福の大黒さま』
「渓流釣りに行った村人が中洲に埋もれていた大黒さまを見つけ、大切にお守りしたところ、
村人はいつも思いが叶い幸せに暮らすことができた。「幸せをひとり占めにしてはいけない」と
思い、明星院に納め開運招福の大黒さまとして祀られている。」



中央に『大黒様』。



『寺子屋跡』の立て札が民家の前に。



『寺子屋跡』
「寺子屋は平屋造りで八畳一間と一間幅の廊下があった。
・午前は七・八歳から十歳まで
・午後は十歳から十二・三歳まで   
の四百人ほどが学んでいた。」



『藤川宿高札場跡』の立て札の新旧が。



『藤川宿高札場跡』
「この高札場跡は藤川宿と市場町との境にあり明治21年新政府地積作成に当たり、本来
三間四方あり、大きな高札場であった。加宿後、棒鼻は移動したと思われるが高札場
はそのまま幕末を迎えたと思われる。ことに特異なことは地積公園を作るに当たり、
藤川と市場との字界(境界線)設定につき、地元両町にて高札場を二つに割り、また
東海道も道路中央で鍵状に割った特異形状となっている。長年経過のうち代替地等で
民間地となり現在も残っている。」



『藤川宿の高札場跡』
「「高札」とは、立て札ともいい、法度、掟書、犯罪人の罪状などを記し、交通の多い市場、
辻などに掲げられた板札をいう。その目的は一般の人たちに法令を徹底させるためのものであった。
藤川宿の高札場はここの場所にあり、記録によると
「一、高札場 高(たかさ) 壱丈(いちじょう) 長さ 弐間半(にけんはん) 横 壱間 」
とあり、規模の大きい、広い場所であった。
ちなみに、当時掲示されていた高札は、八枚あったようで、大きいものは横23センチ、
縦53センチもあり、もし当時あったものを八枚並べるとすれば、正面に横二面ずつ、四段に掲げて
常時掲揚していたのであろうか。
現在保存されている高札は六枚あり、いずれも岡崎市文化財に指定され、内、三枚は資料館に
掲示してある。」




                              ・・・​ もどる ​・・・

                  ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2020.05.01 15:35:53
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