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『旧東海道を歩く』ブログ 目次
『鈴之御前社』は愛知県名古屋市熱田区にある神社。熱田神宮の境外末社で、祭神は天鈿女命。
地元では俗に「鈴の宮(れいのみや)」と呼ばれる。かつては精進川という川がこの宮のそばを
流れており、東海道を往来する旅人が熱田に参拝する時はこの社で鈴のお祓いを受けて身を
清めてから参拝する事になっていた。戦後、旧東海道に面した現在地に遷座した。
『鈴之御前社』社号標。
『社殿』
主祭神は天鈿女命(あまのうずめのみこと)。
そして『名古屋東港線』の大通りに出る。
熱田区伝馬1丁目にある『総本家 亀屋芳広』で一休み。
「塩豆大福」を食べたかったが品切れとのことで「車楽」を注文。
「車楽」は白あんとこしあんを合わせたあっさりあんに、ふっくら炊き上げた丹波黒豆入りの
年末年始限定どら焼とのこと。1個200円であった。
お茶も添えて下さいました。
半割にしたところを撮るべきでした。
よって『総本家 亀屋芳広』さんのHPより。
これが食べたかったのでしたが。
更に熱田区伝馬1丁目の旧東海道を進む。
『道標』や案内板が角に。
『道標』。
「道標
ここ熱田伝馬町の西端は、江戸時代、東海道 と美濃路(又は佐屋路)の分岐点で、
重要な地点であった。この道標の位置(T字路の東南隅)は、建立当時(一七九〇年)
そのままである。四面には、次のように刻まれている。
北 さやつしま(佐屋津島)
東 道
同 みのち(美濃路)
南 寛政二庚戌年(かのえいぬ)
東 江戸かいとう(街道)
西
北 なこやきそ道(名古屋木曽)
南 京いせ七里の渡し(伊勢)
北 道
是より北あつた御本社貳丁(にちょう)
なお、この三叉時路の東北隅には、これより三二年前(宝暦八年)に建立された道標があった。
道標は、「京いせ七里の渡し」以外はこれと同じである。戦災で破損したが復元され、
十mほど北側にある。」
『源太夫社(上知我麻神社)と東海道』。
「尾張名所図会(おわりめいしょずえ)にも描かれている江戸時代の「上知我麻(かみちかま)神社」。
熱田神宮の摂社で、江戸時代には「源太夫(げんだゆう)社」とも呼ばれ「智恵の文殊(もんじゅ)」
様としても知られています。江戸時代の「源太夫社」前は、東海道と美濃路の分岐点ともなり、
往来する多くの人々でにぎわっていました。
・北へ行くと「熱田神宮・名古屋城下」へ、
・南へ行くと「七里の渡し(桑名)」へ至ります。
「源太夫社」は、戦後の復興事業のため、昭和24年に熱田神宮境内に遷座され、その後、
現在の地には、別の地にあった「ほうろく地蔵」が祀られました。場所を変えながら当時から
残る「道標」が、在りし日のにぎわいを今に伝えています。」
正面に『ほうろく地蔵』。
ズームで『ほうろく地蔵』を。
「ほうろく地蔵
「尾張名所図絵」によれば、この石地蔵はもと三河国重原村(現在知立市)にあったが
野原の中に倒れ捨石のようになっていた。 ところが三河より焙烙を売りに尾張へ来るものが、
荷物の片方の重石としてこの石仏を運んできて、ここで焙烙を売りつくした後石仏を海辺の
あし原に捨てて帰った。 地元の人がこの石仏を発見し安置しようとしたが動かないので
怪しんでその下を掘ってみると、土中にこの仏の台座と思われる角石が深く埋もれていたので、
皆が不思議なことだと思いその台石を掘り出し、この石仏を置いたのが、すなわちこの
地蔵である。」
「ほうろく地蔵
「尾張名所図会(天保十二年脱稿)」によれば、この石地蔵は、もと三河国重原村
(現在知立市)にあったが、野原の中に倒れ、捨石のようになっていた。
ところが、三河より焙烙を売りに尾張へ来るものが、荷物の片方の重しとしてこの石仏を
運んできて、ここで焙烙を売りつくした後、石仏を海辺のあし原に捨てて帰った。
地元の人がこの石仏を発見し、安置しようとしたが、動かないので怪しんでその下を
掘ってみると、土中にこの仏の台座と思われる角石が深く埋もれていたので、
皆が不思議なことだと思い、その台石を掘り出し、この石仏を置いたのが、
すなわちこの地蔵である。」
堂内。
国道247号線に架かる『熱田区伝馬一丁目』の歩道橋を渡る。
こちらが海の方向。
路地を少し入った場所にあった『宮の宿赤本陣跡』案内板。
「宮の宿赤本陣跡
宮の宿は熱田宿とも呼ばれ、勅使や大名、旗本らの公用の宿泊施設である本陣が二軒あり、
赤本陣と白本陣と呼んで区別していました。本陣職を承った者は土地の有力者に限られ、
代々世襲で、赤本陣は南部新五左衛門が務め、苗字帯刀を許されていました。
天保年間(1830~44)の「東海道宿村大概帳」によれば建坪236坪となっており、
南部家の記録では、間口数16間、奥行き21間であったと記されています。
戦災によって本陣の遺構は全くない。」
そして大行列の横を通過。
ここはうなぎ料理屋の老舗『あつた蓬莱軒 本店』。この日は勤労感謝の日の休日。
「ひつまぶし」は「あつた蓬莱軒」の登録商標。
昔、仕事の帰りにここを訪ね「ひつまぶし」を食べたことを想い出したのであった。
その隣りにあったのが『宝勝院』。
「宝勝院
蓬寿山と号す西山浄土宗の寺である。 昭和二十七年近くの高仙寺と合併したが、
その際移安された木造阿弥陀如来立像の胎内から仏や菩薩などを木版刷りした摺仏(すりぼとけ)や
写経などが多数発見された。 その写経の一部に僧永厳が貞永元年(一二三二)仏道成就を願って
阿弥陀如来の造立を企てた旨の奥書があり、造像はそのころと思われる。
昭和五十八年、本尊、納入物とも国の重要文化財に指定された。 また熱田湊常夜燈は
承応三年(一八九一)まで当寺が管理をしてきた。」
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・・・ つづく
・・・
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