JINさんの陽蜂農遠日記

JINさんの陽蜂農遠日記

PR

×

Profile

jinsan0716

jinsan0716

Keyword Search

▼キーワード検索

Favorite Blog

【頂き物いろいろ】 New! Gママさん

箱根一泊旅行 (その8… New! オジン0523さん

026年5月 京都府立… New! 隠居人はせじぃさん

エコハウスにようこそ ecologicianさん
noahnoah研究所 noahnoahnoahさん

Comments

清澄庭園@ Re:江戸・深川を歩く(その8)・清澄公園~清澄庭園へ(2/2)(07/21) New! 清澄庭園 清澄庭園 清澄庭園
オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 予約時に保養所から確認の電話があるけど…

Calendar

2020.04.05
XML

『旧東海道を歩く』ブログ 目次

田村神社一の鳥居前で国道1号線を渡ると、右手に道の駅 「あいの土山」 があった。
左手角には『歴史の道 東海道 江戸⇔土山宿⇔京』の道標も。



『東海道案内図』。
地図には1775年まで田村川は徒歩で渡っていて、その手前の今はなき旧東海道が
----で示されていた。



そして旧道口角の先には『かにが坂飴店』があったが、品物は全て売り切れか?
時間は14:01であったが。



販売していればこれが『かにが坂飴』。


      【 http://tokaido53stations.blog.fc2.com/blog-category-17.html 】より

道の駅『あいの土山』の駐車場。



道の駅『あいの土山』に立ち寄る。



多くの種類のお茶が売られていた。
ここ土山は、滋賀県最大の生産量を誇る近江随一の茶所。
江戸時代には、東海道の宿場町として栄、当時は街道名物「あけぼの茶」として
広く知られていた。これが土山茶の礎となっていた。
野洲川沿いのなだらかな丘陵地に茶畑が広がり、長い日照時間と清らかな水に恵まれて育つ
土山茶は、まったりとした深い味わいが持ち味であると。



『”あいの土山”を考える』。
”あい”の由来👈リンク  ​について、諸説を紹介していた。



琵琶湖が次第に近づいて来た。



『人生の名言・格言』が紹介されていた。
『ありがとう』
「つらいことがおこると 感謝するんです これでまた強くなれると ありがとう
 悲しいことがおこると 感謝するんです これで人の悲しみがよくわかると ありがとう
 ピンチになると感謝するんです     これでもっと逞しくなれると ありがとう
 つらいことも悲しいこともピンチものり越えて 生きることが人生だと言いきかせるのです
 自分自身に そうするとふっと楽になって楽しくなって
 人生がとても光り輝いてくるんです ピンチはチャンスだ 人生はドラマだ
 人生がとてもすてきにすばらしく よりいっそう光り輝きだすんです
 ますます光り輝く人生を ありがとう の心と共に」

『今に生きる』
今がチャンスだ          今が最善
 今の中に過去の全てが入っている  今の中に未来の全てが入っている
 今を変えれば過去の全てが変わる  今を変えれば未来の全てが変わる
 今を変えれば周りの全てが変わる  今に生きれば生命が活動する
 今に生きれば魂が輝く       今こそチャンスだ
 今ここに縁がある         自己を変えるチャンスは今しかない
 今、今、今、今の中に全てがある
 今、決意せよ  今、行動せよ  今、すぐ変われ
 人生とは今の事を言うのだ     過去の事をグズグズ悩むな
 過去はどこにもないのだ      未来の事を心配するな
 未来はどこにもないのだ      今の心の中に過去も未来もあるのだ
 今に感謝せよ           今を愛せよ
全てが完全なのだ        今とは宇宙の事を言うのだ
 ありがとう ありがとう 今に感謝                 」

『長寿の心得』
人の世は山坂多い旅の道
年令の六十に迎えがきたら
還暦(かんれき) 六十才   とんでもないよと追い返せ
古希(こき)   七十才   未だ未だ早いと突っ放せ
喜寿(きじゅ)  七十七才  せくな老楽はこれからよ
傘寿(さんじゅ) 八十才   なんの未だ未だ役に立つ
米寿(べいじゅ) 八十八才  もう少しお米を食べてから
卒寿(そつじゅ) 九十才   年令に卒業はない筈よ
白寿(はくじゅ) 九十九才  百才のお祝いが済むまでは
茶寿(ちゃじゅ) 百八才   未だ未だお茶が飲み足らん
皇寿(こうじゅ) 百十一才  そろそろゆずろか日本一
天寿(てんじゅ) 百二十五才 人は二十五才の朝食まで成長するその五倍が人世

『金のなる記』
金のたまる人             金のたまらぬ人  
一、感謝の生活をする人        一、常に不平不満を云う人
二、収入以下で生活する人       二、見栄を張り贅沢する人
三、夫婦仲の良い人          三、夫婦仲の悪い人
四、金や物を大事にする人       四、物や金を粗末にする人
五、健康に心懸ける人         五、悪友を持つ人
六、独立自尊心の強い人        六、依頼心の強い人
七、仕事を趣味とする人        七、道楽の多い人
八、一事をつらぬく人         八、三日坊主の人
九、常に節約する人          九、常に借金をする人
十、儲けをあてにせぬ人        十、一攫千金の夢を見る人
徳は元、財は来るなり徳つめば  金は自由になるものと知れ

これを、もっと早い時に読んでいれば、もう少し・・・・・と。



『盛り放題の抹茶ソフトクリーム』を購入し楽しむ。



NHKの朝ドラ・連続テレビ小説『スカーレット』のポスター。
信楽焼(しがらきやき)で知られる滋賀県信楽を舞台に、女性陶芸家「川原喜美子」の半生を
描いたドラマ。信楽焼は、ここ滋賀県甲賀市の信楽を中心に造られる陶器なのである。



『甲賀流忍者参上 分身の術』顔出しパネル。



『ぐるっと甲賀市』案内板。



頂いた『東海道五十三次 土山宿絵地図』(1/2)を持って、
本格的な『土山宿』の散策開始。



『東海道五十三次 土山宿絵地図』(2/2)。



道の駅『あいの土山』の脇を抜けると、突当り角に『生里野公園』があり、

東海道土山宿碑・土山宿案内図があった。



『あいの土山』案内図。



『東海道 土山宿碑』。
「江戸から数えて49番目の宿場である土山宿の家数は351軒、宿内人口1505人、本陣は2軒、
脇本陣はなく、旅籠は44軒の規模を持っていました。
尚、土山は近世を通じて幕領で代官が支配していました。」



周囲には茶畑が拡がっていた。



ここは『土山宿』の東口で、ここから土山宿東端の生里野地区の集落が始まり、
家々には屋号が掛けられていた。
土山宿は東海道をはさんで北土山村・南土山村の二村が並立する二つの行政組織が存在したと。



右手に『旅籠 鳥居本屋』。



『土山宿』の家々には『屋号』が掛けられていた。



『加賀屋』。



ここも『旅籠』であったのだろう。



『車屋』。



更に『東海道五十三次 土山宿絵地図』を持ちながら進んで行く。



東海道土山宿碑から程なく十字路を越えた左手に地蔵堂があった。
ここには新しい道標・生里野地蔵公園碑・上島鬼貫句碑 「吹けばふけ櫛を買いたり秋乃風」 が。



従是左江戸へ百十里
  右京都へ十五里
東海道近江国土山宿名生里町 と刻まれた最近の石碑か?



『地蔵堂』。



着色され、赤い涎掛けの二体の地蔵尊。



『生里野地蔵公園』。



この石にも何か刻まれていたのであろうか?



『生里野地蔵公園碑』。



『上島鬼貫句碑』。
「吹けばふけ 櫛を買いたり 秋乃風」。



「上島鬼貫
上島鬼貫は、伊丹で生まれた俳人で、東の芭蕉、西の鬼貫とも言われ、独自の俳諧の
境地を拓いた人である。 この俳句は、上島鬼貫が、貞享3年(1686)の秋に、東海道の旅の
途中、土山に寄り、お六櫛を買い求め、鈴鹿の山へ向かう時に詠んだ句である。」
以前は「大阪の伊丹」と記入されていたようだが、伊丹市は兵庫県にあるので
白く消したのであろう。
「お六櫛
江戸元禄の頃、 江戸元禄の頃、信濃の国の櫛職人が伊勢参りを終えて京都見物に行く途中、
ここ土山宿の生里野で重い病気になり、生里野の民家で養生させてもらって一命をとりとめ、
京へと旅立つことができました。
その旅人は信濃へ帰国した後、土山で受けた恩恵に報いようと、櫛の製法を伝授すべく
再度土山を訪れました。この櫛は「みねばり」などの木を材料にして作られ、土産物として
大変人気がありました。最盛期には十軒余りの業者が櫛に関わっていましたが、今は姿を
消してしまいました。」



そして『お六櫛商 三日月屋』。



これが、わずか10cmにも満たない幅におよそ100本もの歯をもつ「みねばりの木」で
作った櫛・『お六櫛』。
お六櫛は中山道の薮原宿の名物で、元禄年間に藪原宿に住んでいたお六という娘が
みねばりの木で作った櫛が由来で、現在でも薮原で作られていると。
1669年に木曽の旅人が伊勢参りをした後、京見物の途中に病に倒れ、土山で介抱してもらい
助けられた。そのお礼に、「お六櫛」を木曽から送るので、この土山で販売しなさい……と
いうことが商売の始まりだとか。
これにより、江戸時代の土山宿はお六櫛を商う店が多くあり、街道の名物になっていたとのこと。
三日月屋の先にもお六櫛商を掲げた木札が数軒あったが、どの家も三日月屋となっていた。
おそらく薮原の三日月屋から仕入れた櫛を東海道を旅する人々に個々に販売していたのでは。





ここも『お六櫛商 三日月屋』。



先に進むと右手に『扇谷伝承文化館 があった。
は、江戸時代、宿場町として栄えた土山宿で扇や櫛を販売していた商家
『扇屋
 を地域の住民が購入し、平成21年に改修したものである。



『扇屋 伝承文化館』。



『扇屋』。



内部のひな祭りの段飾りが。



こちらにも。



『太田南畝の改元紀行より』
「田村川に橋あり。右のかたに橋番所あり。橋を渡りて左にゆく。
杉たてる中をゆくに、田村明神の大門也。土山の宿にいりても櫛うる家多し。
土山亀井ぐし、又御櫛所お六櫛など、かきたる札だせり。此処のところの蕎麦名物也。
改元紀行より」



『扇屋伝承文化館』
「扇屋伝承文化館は、江戸時代、宿場町として栄えた土山宿で扇や櫛を販売していた商家
「扇屋」 を地域の住民が購入し、平成21年に改修したものです。
地域の良き古き文化を後世に伝える拠点とともに、旧東海道を散策する人の憩いの場に
なることを願っております。どうぞご気楽に入館ください。」



『扇屋伝承文化館内部』。



『羽子板』。



『親王飾り』。




                              ・・・​ もどる ​・・・

                  ・・・​ つづく ​・・・








お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

Last updated  2020.04.26 06:40:59
コメント(0) | コメントを書く


【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! -- / --
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

© Rakuten Group, Inc.
X
Mobilize your Site
スマートフォン版を閲覧 | PC版を閲覧
Share by: