JINさんの陽蜂農遠日記

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2020.07.28
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カテゴリ: 国内旅行
​「芭蕉庵史跡展望庭園」内の柱には「富嶽三十六景 深川 萬年橋下」が描かれていた。
なかなか、撮影角度が難しく・・・。



これが葛飾北斎の原画。
「江戸時代の深川は、隅田川をわたった東側で「川向こう」呼ばれ、新興地ゆえの自由な
雰囲気があり、新しいものがどんどん出来る、いきいきとした街だったようです。
万年橋も往来の人々で大変賑わっています。本図は、隅田川に浮かぶ船の中から、
万年橋を見上げたような構図が印象的です。橋のカーブが美しいアーチをもって描かれ、
鮮やかな藍色で全体にすっきりと仕上げられています。」



柱の別の面の橋の名は?新大橋?







「本所深川繪圖」安政5年(1858)。



「観光高札 赤穂浪士ゆかりの道
元禄15年(1702)12月、本所吉良邸を急襲し、本懐をとげた赤穂浪±47名は、泉岳寺に
向かうために竪川一之橋を渡り、絵図 線のように隅田川沿いの道を南下して永代橋を
渡ったといいます。途中、小名木川の万年橋、佐賀町あたりの上之橋・中之橋・下之橋を
渡って、永代橋のたもとでひと息を入れたと伝えられています。
ここから北に伸びる道は、当時の道筋が残っている場所です。
赤穂事件で、将軍綱吉は、赤穂藩主浅野長矩を即日切腹させました。綱吉の裁断については、
武士道精神に反すると武士や庶民から批判されています。
この道は、時代が武断政治から文治政治に移り変わろうとした元禄時代の出来事が




「芭蕉庵史跡展望庭園」近くにあった「正木稲荷神社」。



扁額は「正一位 正木稲荷神社」。



「正木稲荷の由来
かつて深川元町万年橋北側に柾木の大樹あり、その樹にほど近い隅田川の中州上に当社
「正一位稲荷大明神」存す。

おでききの神様」との名高く、寛政十年(1798)、昭和6年の文記にも当社の名が見られ、
文政十年(1827)6月16日には曲亭馬琴の妻女お百も「腫物平癒」の願かけに参詣の
記録あり。昭和初期の祭礼には下町情緒豊かに、花柳界の「キレイドコロ」が人力車を連ね
大変賑わっていた。
 ぴいぴも売れる柾木の御縁日
 陸奥米の籾の間に稲の神
 柾木のぴいぴい吹きながら野掛也
ご当社を読む句も残っている。
戦災後、先代三木常正宮司はじめ地元秋田勝三郎、飯田源次郎、塙善之助各氏世話人となり
社殿復興す。そして平成2年の今日玉垣御社殿改修に際し、崇敬者の賛同を得て
現状の整備を成す。」



横面外、道路に面して黒御影の石碑があった。



「正木稲荷由来
近年柾木稲荷が正木稲荷に改められ、祭神は宇迦魂命(うかのみたまのかみ)と応神天皇を
祭り、例祭は毎年二月初午の日である。
創立は年代不詳、江戸時代古くより当社はあったようである。為永春水著「梅歴」の挿絵に
当社が描かれ、奉納の幟に「柾木稲荷大明神、天保五年(1834)二月初午等」と書かれ
名の知れた稲荷社であった。
当社は江戸切絵図「本所深川絵図」に『マサキイナリ』と記載されている。この絵図は
文久二年(1862)版である。また江戸名所図絵では「真先稲荷明神社」とも稱されている。
江戸には稲荷社もっとも多く、この絵図には著名な稲荷社だけが記されている。当社はその
一つであった。昔は柾木の大木があったので、この社名がつけられた。隅田川から小名木川へ
入る目標として尊重されていた。また子供が柾木の葉を丸めてピーピー鳴らしていたのである。
またその葉が腫れ物によくきいたともいわれている。その祈願には全快迄「ソバ」を断ち、
全快すれば「そば」を献じて報賽する信仰があった。
葉は厚く滑らか、長楕円形、六月頃淡緑色の四弁花を沢山つける。実は球形、開いて
赤色の種子をだす。
小名木川の水路は行徳(千葉)の塩を直線コースで江戸に運ぶため、天正十八年(1590)に
水路が開かれ、江戸が世界一の人口になるにつれ重要な河川となり、寛永六年(1629)
現在の河幅に開鑿され、船舶取締りのため当社の隣に船番所が設置された。寛文元年(1661)
船番所は大島9丁目の小名木川と中川の交査する場所に明治維新まで置かれた。
また当社の近くに芭蕉庵があって、大正10年11月東京府が芭蕉翁古池の跡とし旧跡に指定した。
しかし昭和56年この旧跡は芭蕉記念館に移転した。
江東区の地図にも当社は記載されており、昔より町内持(維持経営)である。」



社殿内陣。
御祭神 宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)
例祭日 5月丑の日
創立年月は詳ではないが、当地の鎮守の深川神明宮の摂社または末社とも伝えられる。
万年橋際に鎮座していたことから「万年橋稲荷」とも称されていた。腫れ物の治癒に霊験
新たかで、その祈願には全快までそばを断ち全快すればそばを献じる。



「新大橋・萬年橋・柾木の杜 安藤広重画」



そしてここが「江東区芭蕉記念館分館」であったが閉館中であった。



そして次に訪ねたのが「芭蕉稲荷神社」。



扁額「芭蕉庵史跡 芭蕉稲荷神社」。



朱の鳥居を潜る。



狭い境内右手には「芭蕉庵跡」碑。



「史跡 芭蕉庵跡」碑。



碑の前にはカエルが。
これが大正6年(1917)津波来襲のあと発見された、芭蕉が愛好したといわれる
石造の蛙のレプリカであろうか。



そしてもう一匹。



「芭蕉記念館」碑。
比ヨリ北百五十米 と。



「深川芭蕉庵旧地の由来
俳聖芭蕉は、杉山杉風に草庵の提供を受け、深川芭蕉庵と称して延宝8年(1680)から
元禄7年(1694)大阪で病没するまで、門人の杉山杉風の生簀の番屋を改築して
芭蕉庵として住んでいました。
ここを本拠とし「古池や蛙飛びこむ水の音〔貞享3年(1685)春・芭蕉庵・詠〕」等の
名吟の数々を残し、またここより全国の旅に出て有名な「奥の細道」等の紀行文を著した。
ところが芭蕉没後、この深川芭蕉庵は武家屋敷となり幕末、明治にかけて滅失してしまった。
たまたま大正6年(1917)津波来襲のあと芭蕉が愛好したといわれる石造の蛙が発見され、
故飯田源次郎氏等地元の人々の尽力によりここに芭蕉稲荷を祀り、大正10年(1921)
東京府は常盤1丁目を旧跡に指定した。
昭和20年(1945)戦災のため当所が荒廃し、地元の芭蕉遺蹟保存会が昭和30年(1955)
復旧に尽した。
しかし、当初が狭隘であるので常盤北方の地に旧跡を移転し江東区において
芭蕉記念館を建設した。」



「俳聖芭蕉翁生誕三百五十年祭記念」碑と
芭蕉句碑「ふる池や蛙飛び込む水の音」



そして「社殿」。



朱の「芭蕉稲荷大明神」の幟旗。



「芭蕉稲荷神社」を後にし、万年橋通りを北に進む。



左手にあったのが「旧新大橋跡」碑。
常盤1丁目6番9号、万年橋北交差点の西北角の歩道に標柱が建っていた。
現在の新大橋と永代橋の丁度真ん中当たりになるのか。



「旧新大橋は元禄6年(1693)12月、この地先の墨田川に架設起工し52日間で完成し
長さ百間幅員三間七寸あり当時橋名は両国橋を大橋と称していたので、この橋を新大橋といった。
近くの深川芭蕉庵に住んでいた芭蕉は新大橋の工事中
 初雪や かけかかりたる 橋の上
の句をよみ、また橋の完成をみて
 ありがたや いただいて踏む 橋の霜
の句をよんだ。



そして「深川芭蕉通り」を東に向かって歩く。



材木商の材木置場が左手に。



多くの丸太や竹が。



「常磐一丁目」交差点右手角にも材木商が。



そして左手には「(株)田口屋酒店」が。
店の前でビールを飲むオジサンもいたが、グッと我慢。



そして時間は12:42、この日の目的の一つでもあった
「深川めし」を楽しもうと「みや古」へ。



メニューがズラッと。



「深川めし本家 みや古」の暖簾。



「深川めしの由来
古来より深川特産のあさりは、種々の調理法があり池波正太郎先生の作品にも
度々登場しております
剥き味と長ねぎの味噌仕立ての知るかけ丼や炊き込み飯等がありますが当店の二代目春義が
戦前に調理人として諸国の板場修行し、その体験と味覚を充分に発揮してあさり持ち味を
最大限に出し 独創的な炊き込み飯が当店の「深川めし」であります
戦後は、諸般の事情に依り供膳を中断しておりましたが、近来は、水質も良好となって
良質な「あさり」が採集されてます。
再度の研究を重ね風味を一層加えて食器をも考慮して現在の「本家深川めし」として客膳に
供しましたるところ絶大なるご好評を頂きまして御陰様にて千客万来の賑わいであります。
この上は、尚一層の御愛顧をお願い申し上げます。」



店内は空いていて、客もまばらであった。



深川めしと天ぷらのセットを注文し大いに楽しむ。
茶碗蒸し、吸物、煮物、小物、新香がセットについていた。
天ぷらは海老、カボチャ、ピーマン他。



蒸篭で蒸し上げ、風味豊かに炊き込まれた深川めし。
昆布ダシに塩、醤油、酒などを加え、あさり、ねぎ、油揚げを軽く煮た煮汁でご飯を炊くと。
炊き上がる直前に具を乗せるという調理法であると店のオネイサンから。




                              ・・・​ もどる ​・・・

                   ・・・​ つづく ​・・・​





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Last updated  2020.07.28 21:30:40
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