JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.05.12
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カテゴリ: 鎌倉市歴史散歩
『​ 鎌倉散策 目次 ​』 👈リンク

そして次に訪ねたのが日蓮宗の寺・「仏行寺」。
鎌倉市笛田3-29-22。
正面に銅板を葺いた薬医門様式の「仏行寺」の「山門」。



寺号標「笛田山 佛行寺」が「山門」左手に。



題目塔「南無妙法蓮華経 日蓮大士」。



裏面には「引導精霊法界万魂」と刻まれていた。
法界とは、真理の世界、全宇宙のことで、万魂とはこの世の中の、一切の生きもののことと
されている。この塔は供養塔としてありますが、造立することが供養の目的ではなく、




側面には「笛田山佛行寺」と。



「山門」を潜って境内へ。
「仏行寺のあるここ深沢地域一帯は、名将として鎌倉幕府の創成と基盤整備に多大な貢献を
果たした梶原景時を始めとする梶原氏ゆかりの地域であり、梶原氏ゆかりの梶原郷は
いまも「梶原」という地名として残っているのだ。
梶原景時は源頼朝亡き後、有力御家人たちに敵対視され、滅ぼされてしまいます。
景季も父に従い鎌倉を去った後再起を狙いますが駿河において討ち取られます。
これをきいた景季の妻、信夫(しのぶ)はこの地において自害。その悲しみは癒やされることなく、
いつまでも悲しい泣き声が聞こえてきたといいます。村人たちは信夫の霊を慰めるため1495年
(明応4年)、仏性院日秀に供養を依頼し、この地に庵を結んだのが仏行寺の始まりと
いわれています。」と。




名将 梶原景時の嫡男、梶原景季ゆかりの寺院であり、笛田の静かな住宅地にあった。
開 山 仏性院日秀
創 建 1495年(明応4年)




「本堂」の横には竹林があった。



「本堂」前の右手には寺務所が。




そして「仏行寺」の裏山の斜面一面には「ツツジ」が植えられ、安養院と並ぶ「ツツジ」の
名所ちなっているのであったが、この日はまだ開花が進んでいなかったので、4月16日に

この日も「本堂」脇を進み裏山に向かう。



裏山の斜面への狭い通路には「やぐら」があった。



その先の途中の崖にもやぐらがあり、また多くの石像が並んでいた。



そしてこの日は斜面のツツジが開花して美しかった。













この種類のツツジの開花はこれからが最盛期。





斜面の高い場所から「本堂」の裏の「庭園」の景色を楽しむ。



池には睡蓮の葉が確認できたが、花の姿は未だであった。







そして斜面の最頂部まで行くと墓地が拡がっていた。
そして途中の通路を左に上って行く。



すると正面に現れたのが佛行寺の起源とされる「源太塚」の石碑。



2~3段の石垣に囲まれた直径5メートルほどの立派な塚.これが「源太塚」。
この塚には梶原景時の子源太景季(かげすえ)の片腕が埋められていると伝わっているのだ。
景季は木曾義仲追討の戦いのとき、宇治川の合戦で佐々木高綱と戦陣を争った人物である。
景季の妻信夫(しのぶ)は悲しみ、自害したといい、それから毎夜信夫のすすり泣きが
聞こえるので村人が信夫の霊を慰めるため仏行寺を建てた、という伝説があるのだと。
かつてはこの付近に信夫塚もあったそうだが、現在では鎌倉山に移されているのだと。



「石灯籠」。



「源太塚」を廻り込んで。
しかし、何故に「腕」のみ、しかも「片腕」なのであろうか?



そして「源太塚」を後にし、同じ細い坂道を下って行った。



再び崖の「やぐら」の中の石仏群を見ながら下る。



様々な姿の石仏が並んでいた。





様々な種類・色のツツジが咲き乱れていた。







「地蔵様」が「本堂」裏の庭園の入口に。



サルスベリの老木も新芽を出していた。



そして「本堂」裏から池のある庭園そして斜面のツツジを楽しんだのであった。







そして後日に再び。

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そして境内の寺務所前の芍薬も開花。



可憐な黄色の花。



そして再び「本堂」を見る。扁額は「笛田山」。



本堂前にはシンビジュームの花が。



こちらはデンドロビューム。



そして「仏行寺」を後にして坂道を下って行くと築地塀に歌川広重の東海道五十三次の浮世絵を
陶版の大型タイルにして埋め込んでいるお宅が右手にあった。築地塀は比較的新しかったが。



上段「日本橋」から「品川」、「川崎」と左に。



我が「藤澤」。



そして「京都 三条大橋」へと。
どの様な方がお住まいの家なのであろうか。



先に進むと左手にあったのが「笛田東芝町内会館」
この付近は東芝の社員の方々の住む住宅街なのであろうか?
しかし、近くに東芝の事務所、工場はないと思うが・・・・。



道路沿いの藤の花も満開近かった。



そして江ノ電バス「梶原口」から藤沢駅行きのバスに乗りこの日の帰路に
ついたのであった。



この日の歩数は・・・。頑張りました!!




                              ・・・​ もどる ​・・・


                   ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2022.05.19 15:21:48
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Re:古都「鎌倉」を巡る(その19):                                             仏行寺~笛田3丁目~梶原口~帰路(05/12)  
オジン0523  さん
34,000歩ご苦労様でした。
安養院と並ぶ「ツツジ」のちなっている?
仏行寺はスイレンが咲いているのでは
源太塚と合わせて行ってみますかね (2021.05.12 09:10:02)

Re:古都「鎌倉」を巡る(その19):                                             仏行寺~笛田3丁目~梶原口~帰路(05/12)  
オジン0523  さん
斜面の最長部まで行くと墓地が拡がっていた。
最長部→最丁部? (2021.05.12 18:24:43)

Re[1]:古都「鎌倉」を巡る(その19):                                             仏行寺~笛田3丁目~梶原口~帰路(05/12)  
jinsan0716  さん
オジン0523さんへ
ありがとうございます。
最頂部ですね。 (2021.05.12 20:33:50)

Re:古都「鎌倉」を巡る(その19):                                             仏行寺~笛田3丁目~梶原口~帰路(05/12)  
オジン0523  さん
梶原景時の館跡が寒川にありますね (2021.05.15 17:20:58)

Re[1]:古都「鎌倉」を巡る(その19):                                             仏行寺~笛田3丁目~梶原口~帰路(05/12)  
jinsan0716  さん
オジン0523さんへ
以前訪ねた湯河原の奥の、「しとどの窟」は、石橋山で破れた
源頼朝が隠れているのを、平家側にいた梶原景時が見つけたが
「この山には頼朝はいない」といって見逃し、大庭景親の手を
曳いて傍らの山に上っていったと伝えられる場所でした。
この功で頼朝の下で重用され出世したが、頼朝の死後に追放され
一族とともに滅ぼされた梶原景時でした。 (2021.05.15 18:42:32)

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