JINさんの陽蜂農遠日記

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2021.06.08
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カテゴリ: 鎌倉市歴史散歩
鎌倉散策 目次 ​』

「建長寺・半僧坊」からの帰路の散策を続ける。
「天狗像」の後ろ姿を見ながら石段を下る。



横から。



「羽団扇(はうちわ)」を持つ天狗像を見上げる。



そしてしばらく石段、坂道を下って行くと右手にあったのが「虫塚」。



「やぐら」の中に墓石とその近くに石塔があった。



ここ半僧坊大権現の参道にある「虫塚」は、2015年(平成25年)昆虫好きの
解剖学者、養老孟司(ようろうたけし)氏が発案。
楽天ブックス: 虫の虫 - 養老孟司 - 9784331519431 : 本


建築家・隈研吾(くまけんご)氏が設計したと。
隈研吾は2020年東京オリンピック・パラリンピックの主会場の
「新国立競技場」の設計者。

新国立競技場に込められたメッセージ——建築家・隈研吾さん | nippon.com
   【https://www.nippon.com/ja/people/e00101/】より

47都道府県で産する木材を大量に使用しており、都道府県の日本列島における
地理的位置(方角)に合わせて然るべき所に配置している。
樹木の多い周辺環境との調和も重視されている。

「虫塚」と書かれた碑が立っていた。



入口にはクワガタ姿のベンチがあった。
夏場はこのクワガタ姿のベンチに座ると熱そう!!



周囲の竹林からは数え切れないほどのタケノコがニョキニョキと。
これぞ「雨後(うご)の筍(たけのこ)」。



このタケノコはどうするのであろうか?
そして、この山には「」はいないのであろうか?



石碑には
「近代文明はおびただしい数の虫を殺してきました。それは今でも続いています。

塚にしたのは、すべてを言葉にすることはできないからです。
養老孟司
養老朝枝
隈研吾
挾土秀平




「クワガタ」。



「カブトムシ」。



そして途中左に折れ、寺名が気になった「回春院(かいしゅんいん)」を訪ねた。
「回春」とは、「春が巡ってくる」という意味。ここから転じて「病気が回復すること」や
「若返る」ことを指す言葉として用いられるようになったと。
現在の日本ではもっぱら性的に「衰えた精力を取り戻すこと」の意味で使われる
いるのであるが・・・・。



「山門」の手前の墓地に大島渚監督の墓地があるとのことであったが・・・。
石段の上に「回春院」の「山門」。



寺号標石「回春院」。



「山門」。



「復興地蔵尊」。



「本堂」前の「大覚池」。
常に大亀が住すと伝えられています。



「まん丸地蔵尊」。



「白蓮観音菩薩」。



「幽谷山 回春院」の「本堂」。
「回春院」は、第二十一世玉山徳旋(ぎょくさんとくせん)の塔所。
本尊は文殊菩薩。
本堂前の「大覚池」には大亀がいるとの伝説があり、別名「亀池」ともいう。
開祖像のほか木造韋駄天像を安置する。
「回春院」の裏山は十王岩へと通じ、途中には約50穴からなる朱垂木やぐら群がある。
『新編鎌倉志』によると、回春院の山の上には原田地蔵があったのだという。
また、建長寺が創建される前にあったという心平寺は回春院の辺りにあったのだという。
本堂前で「回春」を祈願してしばしの合掌。



「本堂」の内陣。「幽谷山」と書かれた横書額が。

回春院~建長寺塔頭~

「寺務所」。



八重桜の先の「山門」を見る。



カワセミ(翡翠)を発見。

建長寺回春院散策♪ - りあさんの世界

「わらべ地蔵尊」。



「回春院」のこの日の御朱印をいただきました。
これで元気が出そうです!?。



鎌倉市山ノ内にある建長寺塔頭である旧玉雲庵(ぎょくうんあん)が現在の
「正受庵(しょうじゅあん)」。
入口にあった「庚申塔碑」。



そして左に「正受庵」の案内板があった。



後方の建物が「正受庵」だったのだろうか。



そして再び「河村瑞賢遺跡登り口」碑があった。



墓石が正面に見えて来た。



正面が「河村瑞賢顕墓」。



「河村瑞賢顕墓石」。

河村瑞賢顕墓。

「川村瑞賢顕彰之碑
運業界の祖治河事業の先駆者河村瑞賢の墓石は元禄十二年獅子通顕により建立され、更に
通顕の墓石は享保六年義篤によって建立されたものであり二百有余年の長い間風霜に晒されて
建長寺境内塔頭金剛院跡に眠りつづけていました。自然の磨損の甚だしい所偶偶関東大震災に
よつて墓石は倒れ墳墓は破損されてしまいました。その惨状を見、傷心の情深き菅原時保管長
猊下を中心に官財界の有志相い集い「河村瑞賢墳墓保存会」を設立し、昭和九年九月墓石等の
保存工事、追憶碑を建立して河村瑞賢の優れた業績を永く後世に伝えるべくご努力なされ
ましたが、時は流れ、国家社会の現状は変遷し更めて海運・治河事業の重要性が叫ばれて
参りました。私達関係者は過去の偉大なる河村瑞賢の業績に憶いをはせ平成五年十月
「河村瑞賢墳墓平成保存会」を設立し、平成六年六月十六日毎歳瑞賢忌を期して吉田正道管長
猊下を大導師に拝請し、鍬入れ式等を挙行いたし境内整備等につとめて参りました。
茲にその意志を確認し、永く保存に関する諸行事等をいたし祟敬顕揚の念を深くするものである。
平成七年六月十六日
  河村瑞賢墳墓平成保存会 」

「川村瑞賢顕彰之碑」。<br /><br />「運業界の祖治河事業の先駆者河村瑞賢の墓石は元禄十二年獅子通顕により建立され、更に通顕の墓石は享保六年義篤によって建立されたものであり二百有余年の長い間風霜に晒されて建長寺境内塔頭金剛院跡に眠りつづけていました。自然の磨損の甚だしい所偶偶関東大震災によつて墓石は倒れ墳墓は破損されてしまいました。その惨状を見、傷心の情深き菅原時保管長猊下を中心に官財界の有志相い集い「河村瑞賢墳墓保存会」を設立し、昭和九年九月墓石等の保存工事、追憶碑を建立して河村瑞賢の優れた業績を永く後世に伝えるべくご努力なされましたが、時は流れ、国家社会の現状は変遷し更めて海運・治河事業の重要性が叫ばれて参りました。私達関係者は過去の偉大なる河村瑞賢の業績に憶いをはせ平成五年十月「河村瑞賢墳墓平成保存会」を設立し、平成六年六月十六日毎歳瑞賢忌を期して吉田正道管長猊下を大導師に拝請し、鍬入れ式等を挙行いたし境内整備等につとめて参りました。茲にその意志を確認し、永く保存に関する諸行事等をいたし祟敬顕揚の念を深くするものである。<br />平成七年六月十六日<br />  河村瑞賢墳墓平成保存会 」

「河村瑞賢顕墓石」を後にして「奥院勝上 地蔵尊道」に戻ると前方に
紅葉シーズンの如き光景が。



そして「唐門」と「方丈」の間の広場を見る。
正面に「宗務本院」の玄関が見えた。



再び「奥院勝上 地蔵尊道」と刻まれた石碑。



再び「唐門」を正面から見る。



そして「総門」が前方に。



総門を出て県道21号線まで戻ると道路脇には「從是勝上 八町」碑が。



側面には「道誌寄附 舩越講中」と刻まれていた。



「総門」を振り返る。



東外門があった場所は、現在は県道からの駐車場入口となっており、
左手に「五山第一 建長寺」と刻まれた寺名碑があり、



その左側面には「天下禅林 海東法窟」と彫られていた。



「建長寺」前からバスに乗り「北鎌倉駅」に。
昔聴いた「​ 北鎌倉 ​」👈リンク の歌を想い出したのであった。



そして横須賀線、東海道線、小田急線を乗り継ぎ帰宅したのであった。
この日の歩数は30577歩なのであった。





                              ・・・​ もどる ​・・・

                   ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2022.05.19 15:37:36
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