JINさんの陽蜂農遠日記

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オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 予約時に保養所から確認の電話があるけど…
JINさん@ Re:再び大涌谷へ(05/16) Dさんが申し込んで下さいましたが、朝食を…
オジン0523 @ Re:再び大涌谷へ(05/16) 朝食の食べそこないとは? 深酒? であれ…

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2022.12.20
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カテゴリ: 国内旅行
「具志川城跡」を後にして、「 喜屋武(きやん)の浜 」を訪ねた。



沖縄本島最南の先端に近いので、右が東シナ海、左が太平洋に当たる場所。
沖合には、貨物船の姿が。



「RKK LINE」の文字が。
略称 「RKK LINE」 「琉球海運株式会社 で、沖縄県那覇市西に本社を置く海運会社。
第二次世界大戦終了直後、米軍統治下の沖縄において官民共同出資により設立された
経緯から、主要株主には沖縄県および複数の自治体のほか、沖縄の代表的な企業が
多く名を連ねている とウィキペディアより。



右手に「喜屋武漁港」。
糸満市喜屋武5534。



エメラルドブルーの海に白い海鳥が飛ぶ。
「アジサシ」の姿に似ていたが・・・。




遠くに「慶良間諸島」の姿がかすかに見えた。
糸満市名城960。



左手の岬。その先に見えたのが「琉球ホテル&リゾート 名城ビーチ」。



ズームすると岬の最先端の砂浜に人の姿が。



結婚式の「前撮り」の様であった。



右手には、干潮時は歩いて渡れるという「エージナ島」が奥に。勿論小さな無人島。



Googleマップから切り取って。



那覇空港方面を見る。
白き高層の建物は「ホテルグランビューガーデン沖縄」であっただろうか。
そして白き砂浜には、一筋の黒き帯が。



白き建物をズームして。9階建てのリゾートホテル。




沖縄周辺に押し寄せた跡なのであろう。



那覇空港に着陸するANA機の姿。



そして「国道331号・名城バイパス」を北に向かって進む。



「名城バイパス」を進む。
糸満市真栄里地区にある各都道府県沖縄戦関係慰霊塔の建つ「県営 平和祈念公園」内の

訪ねたかったが、時間的に無理と考え諦めたのあった。



左手に見えたのが「那覇市役所」。



この時は比較的交通量が少なかった「名城バイパス」。



左手奥に「美々ビーチいとまん」。
「サザンビーチホテル&リゾート沖縄」の姿も。
10階建て、客室数448室のジャンボリゾートホテル。



運河を渡る度に上下を繰り返す国道331号。



左手のサッカーボールの如きものは航空測量大手・「パスコ空間情報処理センター」の
受信アンテナとのこと。
「パスコ」は人工衛星15基から地上画像情報を受信。地震や豪雨などの災害発生時に、
3時間程度で被災状況が把握できる画像情報を自治体や企業など顧客に提供しているとのこと。



豊見城市豊崎の運河を渡る。



「国道331号・豊見城道路」の高架は大きく右にカーブ。



左手前方に見えたのが次の目的地の「 瀬長島 」。



「瀬長」交差点を左折して「瀬長島海中道路」を進み「瀬長島」へ。



「瀬長島 ウミカジテラス」の沿岸の道路脇に車を駐め暫しの散策。
「瀬長島47ST〇RE (せながじまよんななすとあ)
沖縄初!全国47都道府県から1 500種類をこえる選りすぐりの”うまいもの"を集め、47坪に
きゅっと凝縮した食のセレクトショップです。
沖縄ではここでしか買えない、日本全国の食に出会える場所。
普段使いの珍しい調味料や、食べ歩きにピッタリなカットフルーツ、お土産に最適な御当地の
箱菓子まで、幅広く取り揃えております。」とネットから。
沖繩方言「ウミカジ(うみかじ)」とは『海風』のこと」と これもネットから。



「瀬長島 ウミカジテラス」の上空からの写真もネットから。



左手の青い海の奥に「那覇空港 管制塔」を見る。



離陸する飛行機。



ウインドサーフィンを楽しむ若者。



「MRO Japan株式会社」の航空機整備用の「格納庫」。
MROとは、Maintenance(整備)、Repair(修理)、Overhaul(オーバーホール)の略で、
航空機の整備及び修理に関わる事業のこと。
MRO Japanは日本で唯一のMRO専門会社として2015年に設立。
ここでは、多くの航空会社の機体のMROを行っているのであろう。



着陸する自衛隊機。



カレーパン専門店「もとむのカレーパン」で離着陸する飛行機を見ながらしばしの休憩。



人気の「もとむのカレーパン」と「ちゅらソーダ」のセットを楽しんだ。



様々な航空会社の機体が次々と滑走路へ。



今回の旅行で往復利用したジェットスター(Jetstar)機。



再び管制塔と格納庫を。



「瀬長島」を後にして、再び「瀬長島海中道路」を引き返す。




国道331号に戻り進むと左手に「豊見城警察署」。



次の目的地「豊見城グスク」に向かって「沖縄県道256号線」を進む。
近くに「​ 旧海軍司令部壕 ​」👈リンク があったが、既に訪ねた場所であったので
今回はパス。



そしてIphoneナビを「豊見城グスク」にセットして進む。
豊見城グスク 」域内に入って進むと下記の案内板の先で通行止めとなっており、車を空き地に
駐め散策を開始する。
右手奥にあったのが「豊見瀬御嶽(とみせうたき)」。
祠の屋根は赤瓦で葺かれ白い漆喰で固められていた。壁は淡いベージュ色に塗装され、落ち着いた
雰囲気で、緑の中に映える佇まいであった。
豊見城市豊見城。



案内柱「豊見瀬ウタキ」。



拝殿の内部。
拝殿の内部の扉の奥の壁には「豊見瀬御嶽」と刻され、香炉が1つ置かれていた。
床には拝殿内に向かって左側から火神大トングヮ、按司殿内火神、御調添、ノロウコール、
按司ウコール、龍宮鎮護、嶽根神と刻された香炉が置かれていた。
5月、6月のウマチーには拝殿正面の香炉を拝んだ後、扉を開けて中にある7つの香炉を拝み、
次に拝殿内の扉を開けて奥の香炉を拝むのだ と。



拝所の脇にある祠。御嶽に所縁のある門中ごとに分かれていた。



・・・「七原人込御」、「布織女姫御」、「瀬名按司久志間切 按司添墓」、
「長峰按司小前墓」、「・・・ガマ御墓」・・・と。



「豊見瀬嶽及び周辺御願所
御嶽は日本本土の神社に相当するもので、古い沖縄の村落(部落)には、必ずーつ以上あって
村落共同体は神を祀る御嶽を設けてこの卸嶽への信仰を中心として一切の社会的活動がなされ
宗教的支配者である神が住み給うと考えられ、部落住民の守護神である神を祀る神聖な場所で
あります。
豊見城城址内豊見瀬嶽は城址北西側にあった西原村の御嶽であると同時に字豊見部落の御嶽であり、
豊見城城址の守り御嶽てあったことから豊見城按司(城主)をはじめ、按司の生活に関係のあった
人々の霊も祀られているところであります。
この御嶽周辺には城址内にあった井戸郡を集めると共に雨乞いの神及び農耕の神でウガン山に
あったホバナ嶽又、知念森にあるヒララス嶽へのお通しも行い字豊見城集落7腹子(新地小、前ン村
渠門中、呑殿内、西原門中 赤平門中、並里門中、瀬長)の各按司神も祀ってあります。
毎年、旧暦五月四日に、那覇、久米、泊のハーリー三隻は豊見瀬嶽へ向かって参拝したと伝わって
います。
                                     平成18年4月
                                    字豊見城自治会」



「ハーリー発祥の地」碑。
沖縄では旧暦の5月4日にハーリー(爬龍船)による競漕行事が行われるが、沖縄で最大規模の
那覇ハーリーでは、関係者が豊見瀬御嶽に集い、神事に則り、行事の安全祈願を行っている。
ただ、那覇ハーリーは旧暦ではなく、観光シーズンに合わせ、今では5月3日から5月5日に
行われている。
競漕に用いられる船は舳先に竜頭の彫り物を飾っている。伝来については諸説あるものの、
14世紀後半、南山王の甥で後に豊見城城主になった汪応祖(ワンオウソ)が、中国に留学した
際に龍船による競漕(きょうそう)を見て感動し、それを沖縄に伝えたのが始まりとされる と
ネットから。



石碑の裏側。



「ハーリー由来まつり実行委員会」と。
「​​ ハーリー ​」👈 リンク



「豊見城グスク」の復元イラストをネットから。



奥に向かって進んで行くと踏切が。
この場所には以前は、お猿の電車の如きものが走っていたようであった。



更に進むと右手にあったのが「山部隊野戦病院 患者合祀碑」。
「山部隊野戦病院 患者合祀碑」は、豊見城グスク内にあった第24師団第2野戦病院壕内に
負傷兵として収容され、治療の甲斐なく壕内で息を引き取った人々の御霊を慰めるため、
1982年野戦病院関係者及び私立積徳高等女学校の生存者らによって豊見城城址公園内に
建立された と。



ズームして。
第24師団第2野戦病院壕では軍医、看護婦、学徒隊(積徳高女)らが配属され、前線から
送られてくる負傷兵らの治療看護にあたっていた。多いときは約600人の負傷兵が患者として
収容されていたのだと。



その他に「豊見城グスク」に関する案内板や石碑は見つけることが出来なかったので
車に戻り「豊見城グスク」を後にしたのであった。


                               ・・・​ もどる ​・・・


                 ・・・​ つづく ​・・・





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Last updated  2022.12.20 08:44:23
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