JINさんの陽蜂農遠日記

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2025.02.07
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カテゴリ: 国内旅行
八百富神社 篠津遥拝所 」を海側から見る。
八百富神社の創建は養和元年(1181)には藤原俊成が、竹生島から市杵島比売命
(弁財天)の分霊を勧請したのが始まりと伝えられています。遥拝所の創建は不詳ですが
八百富神社が浜辺から約400m先の竹島に鎮座していたことから、当時、一般的に参拝に
訪れのは困難とされ対岸で竹島の参道の対面に当たる篠津に遥拝施設が必要になったと
思われます。宝永2年(1705)に旱魃による大飢饉が発生すると当時の領主松平義尭が
雨乞い祈願を篠津遥拝所で行い、見事念願成就したことから和歌の奉納と元文3年(1738)
には石鳥居を寄進し、その後、松平守惇は遥拝所の造営を行っています。




右側には 石鳥居、扁額には「八百富神社」 と。



境内のクロマツが生い茂る 下に 各種の「案内板」 が並んでいた。



左から
八百富神社由緒略記
神社名 正しくは八百富神社(やおとみじんじゃ) 通俗には竹島弁財天と申します。
祭神    市杵島姫命(いちきじまひめのみこと)」
由緒  当神社は養和元年三月十八日藤原俊成卿がこの地方開発のため、江州竹生島から
            勧請奉斉されたのであります。
            徳川家康公は当社の参拝せられ朱印四石八斗を寄進せられました。領主松平氏の崇敬は、

祭日    例祭 十月第三土、日曜日 月次祭  毎月十八日
境内神社 宇賀神社  祭神  宇賀御魂神 商売繁盛の神
     大黒神社  祭神  大国主命 福の神
     千歳神社  祭神  藤原俊成卿 長寿芸能の神
     八大龍神社 祭神 豊玉彦命 厄除神

三八七、三米、
うつ蒼たる林叢は暖地性植物二百余種が茂り為に文部省より天然記念物に指定せられ、
農林省よりは魚類を集めるに必要だとのことで魚つき保安林に指定されております。」



篠津遥拝所 石の鳥居由来記
宝永二年(一七〇五年)の水飢饉の折、西の郡(蒲郡市)の領主、松平義堯は篠津遥拝所
(竹島八百富神社遥拝所)で雨乞いの祈願をしました。
その甲斐あって恵みの雨が振り豊作となりました。
義堯は、敬神感謝の念あつく和歌を奉納しました。
奉納和歌一首
ゆふたす起(き)  可(か)けてそた能(の)む  ふる雨者(は)
   あま禰(ね)く三津(みつ)る  神乃(の)めく見越(みを) 義堯
【ふゆたすき かけてそたのむ ふる雨は あまねくみつる 神のめくみを 義堯】
「冬の襷(たすき)をかけて、あなた(神様)に祈りを捧げます。この降る雨が、すべての
 場所に恵みをもたらす神様のご加護であるように。」
また後年、元文三年(一七三八年)石の鳥居を寄進しました。
われら厄年にあたり、この由緒ある石の鳥居に謹んで額(竹生島神社名誉宮司生嶋竹雄書)を
奉納いたします。
平成二年七月吉日 竹島丑寅会
 昭和二十四年・二十五年 生 」。



竹島弁財天
八百富神社の御祭神は天照大神の神子天真名井の三女神の一神、市杵島姫命である。
この市杵島姫命は弁天さまとして人々に親しまれていて、当社も古くから竹島弁天の名で
有名である。
社宝の「弁財天十五童子画像」は室町時代の作であり、また、元文元年当地の領主松平氏の
家臣小田藤太夫の著した竹島縁起に「八百富神社と申し奉るは、皇太后太夫藤原俊成卿江州
竹生島弁財天勧請也」とあり、その歴史の古さを物語っている。
この竹島弁財天さまは全国的にその名を知られ、日本七弁天の一つである。近郷では三河三弁天
の一つでもあり、参詣の人々の多いことで知られている。
 平成三年五月吉日
     竹島寅卯会
      昭和ニ十五・ニ十六年 生」



冷泉為系(ためつぎ)伯御歌
竹志まの 緑久し く茂らなむ 宇ゑにしひとの 其の名もろとも
昭和六年十月二十八日、千歳神社鎮座祭式典の祭主 冷泉家二十ニ代当主、
冷泉為系伯の御詠歌」
竹島の、青々とした緑が長く茂り続けてほしい。そのように、この地に縁のある人々の名前も
共に、末永く伝えられてほしい 。」と。
平成五年十月吉日に竹島辰巳会(昭和二十七・二十八年生)が厄年を記念して建立したもの と。



「藤原俊成の歌碑」がここにも。



何となく ものあはれにも みゆるかな 霞や旅の こころなるらん 俊成
蒲郡ゆかりの藤原俊成の歌は「 羇中霞 」という題の詠作で、「ものあはれ」は王朝時代、
四季の移ろいと男女の仲、その他広くさまざまな情感を表現する言葉であった。
「何となくしみじみとした趣が感じられるよ春霞のかゝった朧朧とした風景はまさに
旅の情趣の極みであるなあ」と優艶に歌っている。
                  竹島巳午会」



八百富神社 篠津遥拝所 」を廻り込んで山側から。



扁額「 八百富神社 」。



狛犬(右)



狛犬(左)



賽銭箱 、その先に 御幣が3本 紙垂を木製の棒に挟んだ祓い具・ご神体



五七桐紋 」は、桐の葉3枚の上に、左右に5つ、中央に7つの桐の花を配したもの。
「八百富神社」のご神体は竹島全体とされ、主祭神は「竹島弁財天」こと市杵島姫命
(いちきしまひめのみこと)。五七桐紋が使われる理由は以下の可能性があるのだと
■豊臣家との関係 豊臣秀吉が五七桐紋を好んで使用していたため、その影響を受けた
 神社や寺院が紋を採用した例が多く見られます。竹島周辺は古来、海運や漁業で栄えた
 地であり、秀吉がその地の守護神として八百富神社を崇敬した可能性もあります。
■弁財天信仰 八百富神社の祭神である市杵島姫命は弁財天と習合しています。弁財天信仰は
 繁栄や財運、芸術を司る神として広まり、その象徴として五七桐紋が採用された可能性が
 あります。
■公的な地位の象徴 五七桐紋は朝廷や幕府とも関連が深く、神社が地域社会や国家的行事で
 重要な役割を果たす場合、この紋が用いられることがあります。八百富神社が地域の重要な
 信仰の拠点であったことを示しているとも考えられます と。



こちらが「 八百富神社 篠津遥拝所 」の 一の鳥居 なのであろう。



こちらは、裏山の上にある「 御鍬神社(おくわじんじゃ) 」の石鳥居。



そして次に訪ねたのが「 海辺の文学記念館 」。
竹島や三河大島を一望できる館内には、ノーベル文学賞を受賞した川端康成氏をはじめ、
蒲郡市出身の直木賞作家・宮城谷昌光氏や、芥川賞作家・平野啓一郎氏の作品なども
展示されていた。
5年後、10年後の未来に向けて手紙を投函することができる「時手紙」も、静かな人気を
集めているとのこと。
県蒲郡市竹島町15−62。



入口には「 常盤苑(ときわえん) 」と書かれていた。
「海の眺めは蒲郡」と鉄道唱歌に歌われるほどの景勝地でもある蒲郡市の、特にシンボル的な
存在である竹島とその周辺の海岸は、東海地方屈指の保養地として多くの人々に親しまれてきた。
とりわけ、明治末期に竹島海岸に建てられた料理旅館「常磐館」からの眺めは格別なもので、
大正・昭和期にわたり多くの文人たちに愛され、菊池寛をはじめ、志賀直哉、谷崎潤一郎、
山本有三、川端康成、井上靖など錚々たる作家たちの作品の中で、常磐館や竹島、蒲郡の海の
素朴な美しさが描写されてきた。
「海辺の文学記念館」は、そんな常磐館の趣きを再現した文学歴史記念館である と。


門に座ってるこの子供。
指を咥えて素っ裸で遠くをみて いて…哀愁が漂って来る?のであった。



海辺の文学記念館
年中無休 入館無料
営業時間 9:00~17:00 」と。


庭の植栽・松も美しく手入れされていた。



海辺の文学記念館」 を正面から。



蒲郡クラシックホテル 90年の軌跡 」が【第2展示室】にて開催中 と。



ごあいさつ
2024年、蒲郡クラシックホテル本館は建築から90年を迚えます。
名古屋の実業家、瀧信四郎氏が瀧家の別荘を基に1912年(明治45年)に料理旅館「常磐館」を
間業しました。この常磐館はその後、瀧信四郎氏と当時の蒲郡町による海浜リゾート開発の中核
となり、敷地内に多数の別館や付属施設を建てていきました。
その中でも、1934年(昭和9年)建築の蒲郡ホテル(現 蒲郡クラシックホテル)は、日本政府の
国際観光政策に則って新築された国際観光ホテルでした。第ニ次世界大戦中は陸軍病院として
使用され、戦後は連合国軍の接收を受けました。接収解除後は、1980年まで蒲郡ホテルとして
利用されました。
その後、建物は一時閉鎖され、蒲郡市の所有となりましたが、蒲郡プリンスホテルを経て
「蒲郡クラシックホテル」として営業され呪在に至っています。
部分的な改修が施されているものの、竣工時の外観は維持され、2022年には国の
「発録有形文化財」として認定されました。
今回の展示は、ホテルの歴史を知っていただきたく、今年一年間展示をいたします。
最後に、歴史資料・写真等を提供していただいた皆様や蒲郡クラシックホテルの歴史を探る会に
深く感謝いたします。
                        海辺の文学記念館
                          スタッフー同」



常磐館や蒲郡ホデル(現郡クラシックホテル)の開業、竹島橋や三谷の子安弘法大師像を
寄付した「 滝 信四郎氏之像 」があった。



滝 信四郎氏之像 」。
明治中期に滝家が宝飯郡蒲郡町(現・蒲郡市)の府相海岸に別荘を構えた。
滝信四郎は別荘から見える三河湾の美しさに魅了され、隣接地の数千坪の土地を購入し、
1912年(明治45年)には料理旅館の常磐館を創業 した。
当時の竹島は弁天の御開帳の時のみ木造の仮設橋が架けられていたが、 1932年(昭和7年)
には常設の竹島橋を建設して蒲郡町に寄付 した。また、 1934年(昭和9年)には多額の私財を
投じて共楽館と蒲郡ホテル(現蒲郡クラシックホテル)を開業 させた。
1934年(昭和9年)には三谷海岸の裏山に子安弘法大師像の建立を発眼し、 5年後の1938年
(昭和13年)春に開眼した  と。



常磐館オーナー「 滝 信四郎氏之像 」。



島崎藤村の詩「椰子の實」
書 杏南 広中公彦
名も知らぬ遠き島より 流れ寄る椰子の実一つ 故郷の岸を離れて 汝はそも波に幾月 

舊の樹は生ひや茂れる 枝はなほ影をやなせる われもまた渚を枕 孤身の浮寝の旅ぞ 
實をとりて胸にあつれば 新なり流離の憂 海の日の沈むを見れば 滾り落つ異郷の涙 
思ひやる八重の潮々 いづれの日にか國に帰らん
島崎藤村一詩 椰子の實を 杏南かく 」。



滝 信四郎氏之像
この銅像は、風光明媚な蒲郡をこよなく愛し、蒲郡の観光開発に多大な貢献をした、常磐館の
創始者、滝信四郎氏の像である。
名古屋で呉服商を営んでいた滝家の五代目当主となった信四郎氏は、先代から受け継いだ
滝兵右衛門商店を大正元年(一九一二)に資本金五十万円で株式会社「滝兵商店」
(現:タキヒョー株式会社)に改めた。同氏が手がけた事業を大別すると、観光関係と
繊維関係に二分される。
そのうち、蒲郡における主な事業は
  ・常磐館の開業 明治四十五年(一九一二)
  ・竹島橋を寄付 昭和七年(一九三二)
  ・共楽館の開業 昭和八年(一九三三)
  ・蒲郡ホテルの開業 昭和九年(一九三四)
  ・竹島館を寄付 昭和十二年(一九三七)
  ・子安弘法大師像を寄付 昭和十二年(一九三七)
  ・府相青年会への援助
などで、同氏は多額の私財を投じて、蒲郡の観光の基礎を築いた。
この像の建立は、蒲郡の観光開発の祖ともいえる滝信四郎氏の功績をたたえるとともに、
常磐館が培ってきた歴史的・文化的価値を再評価しようとするものである。
この「滝信四郎氏之像」が末永く市民に親しまれ、ふるさとの歴史や文化を大切にする心を
養う礎となることを願うものである。
  平成十二年五月二十八日
    蒲郡市観光協会」


奥の部屋に入る。
「GHQ」時代の写真が展示されていた。



「皇室」の方々のご訪問の写真。



近づいて。
皇室
蒲郡ホテル(現 蒲郡ラシックホテル)には、皇族の方々も宿泊されました.
昭和30年(1955年) 3月30日 上皇様(皇太子時代)
昭和31年(1957年) 10月 清宮貴子内親王
昭和32年(1956年) 4月10日 昭和天皇皇后両陛下
昭和28年(1953年)に上陸した台風13号によって大きな被害の出た蒲邵市の海岸復旧状況を視察
昭和33年(1958年) 3月 義宮正仁親王
昭和40年(1965年) 9月21日 皇太子明仁親王・同美智子妃行啓
 ※第20回国体夏季大会ヨット競技会御臨場
平成8年(1996年) 5月18日 高円宮憲仁親王陛下・久子妃礙下
 トライアスロン・ワールド・カップ蒲郡大会御臨場  
                                  など
皇族のための洋食器を、現在この「海辺の文学記念館」で展示しております。」



竹島、竹島橋、木下恵介歌碑を描いた版画。
「黄昏に 橋の灯ともりて なごみ見る 佐々木」




                                 ・・・​ もどる ​・・・



                ・・・​ つづく ​・・・








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Last updated  2025.02.07 10:12:42
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