JINさんの陽蜂農遠日記

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2026.01.09
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カテゴリ: 藤沢歴史散歩
天嶽院の境内、「不動殿」前に佇む、ひときわ目を引く「聖観音菩薩像」。
大きな自然石を舟に見立てた、非常に独創的で美しい「聖観音菩薩像」の姿



自然石の大きな器(石舟)の中央には、蓮華座に結跏趺坐(けっかふざ)する聖観音菩薩が
安置されていた。
石舟の正面には、大きく「感應」と刻まれていた。
これは仏教用語の「感応道交(かんのうどうこう)」に由来する言葉。
意味:私たちの祈る心(感)と、仏様の救いの慈悲(応)が、あたかも響き合うように
   通じ合うこと。
この石舟は、人々の願いを乗せ、仏様の世界へと橋渡しをする象徴的な器であると
感じさせるのであった。



左手に「 龍の吐水口(とすいこう) 」。
日本では昔から龍神が水を司る神さまとして崇められてきた。
水はすべてのいきものにとって命の源。命をつなぐ水は尊いものであり、神道(自然信仰)では
穢れや邪気を祓う神聖なものとされた。神社の手水舎で、左手、右手と水をかける行為は、;
心身を清めるために行うもので、この水を「龍神から出ている水」と見せることで
「神聖な水である」ことを表現しているのである と。



聖観音像が乗る蓮華座(れんげざ)を下から一生懸命に支えている、
「幼子(童子)」たちの姿 が。
これは、純真な心を持つ存在が仏を敬い、共に修行する姿を表しているかのよう。
・純真無垢な信仰心の象徴
 子供(童子)は、欲や汚れのない「純粋な心」の象徴。重い蓮華座を力を合わせて支える
 姿は、打算のない、ひたむきな信仰心によって仏様を敬い、支えるという理想的な信徒の姿
 を表しているのであった。
・「感應」への橋渡し
 石舟に刻まれた「感應」という言葉に関連して、この童子たちは「私たちの祈り」を仏様に
 届ける媒介者、あるいは仏様の慈悲を受け取る私たち自身の純粋な心を表現しているのだ。
・衆生(しゅじょう)の救済
 観音様はあらゆる悩みを持つ人々を救う仏様ですが、特に子供を守る仏としての性格も
 持っている。童子が観音様のすぐそばにいることは、観音様が常に弱き者、小さき者に
 寄り添い、守護していることを視覚的に示しているのであった。



聖観音菩薩様が左手に持ち、 右手をそっと添えている「蓮華(れんげ)」 には、仏教における
非常に深い象徴的意味が込められてるのだ。 右手の印相は来迎印
1. 泥中に咲く「清浄」の象徴
・煩悩の中の悟り:
 私たちが生きるこの世(泥沼)には、悩みや苦しみ(煩悩)が絶えませんが、
 その中にあっても、決して汚されることのない清らかな「仏の心」を咲かせることが
 できるという教えを表している。
・知足との繋がり:
 「欲張らず、今あることに感謝する」という教えも、まさに泥(日常の苦難)の中で
 清らかな心(満足)を見出す「蓮華」の姿そのものです。
2. 未敷蓮華(みぶれんげ)が表す「可能性」
この観音様が手にされているのは、まだ完全に開ききっていない「蕾」の状態の
蓮華(未敷蓮華)。
・人々の仏性:
 これは、すべての人の中に「仏になる種(仏性)」が眠っていることを意味。
・感應(かんのう)の導き:
 石舟に刻まれた「感應」の文字通り、観音様がこの蓮華を掲げているのは、私たちの
 心の中にある「悟りの蕾」を優しく呼び覚まし、花開かせようとしてくださっている姿。
3. 童子たちが支える「慈悲の花」
観音様の足元で幼子(童子)たちが一生懸命に蓮華座を支えているが、その上に座る観音様が
手に持つ蓮華は、いわば「慈悲の結晶」。
・純真な心で受け取る:  
 幼子のような純粋な心で仏を敬うとき、その手にある蓮華の教え(清らかな生き方)が、
 私たちの心にも伝わっていく(感應する)ことを表現しているのだ と。



相生松(あいおいのまつ) 」。
相生松とは、雌株・雄株の2本の松が寄り添って生え、1つ根から立ち上がるように見えるもの。
また、黒松と赤松が1つの根から生え出た松のこと と。



相生松 」。



昭和平成伽藍恢興之碑
「昭和」の文字がひっくり返した鏡文字のようになっていたが、「昭和」の『異体字』であると
以前に 国文学科卒の師匠より。
石碑の最上部には、北条早雲(伊勢宗瑞)ゆかりの寺院であることを示す
「三つ鱗(みつうろこ)」の家紋が鮮やかに刻まれていた。
この家紋が見守る先に、美しく整備された伽藍が広がっていた。



寺務所 」。
禅宗様式の特徴である曲線を描いた「 火灯窓 」が見受けられ、境内の静謐な空気感をいっそう
引き立てているのであった。 



「不動殿」と「浄聖殿」との間の石庭の如き庭を見る。



天嶽院の境内に建立されている「 道元禅師御道詠(ごどうえい)の碑 」。
曹洞宗の開祖である道元禅師が、自然の風景の中に仏の真理を見出した悟りの境地を詠った、
非常に有名な一首が刻まれている と。



峰の色 渓(たに)のひゞきも 皆ながら 我が釈迦牟尼(しゃかむに)の 聲と姿と
【季節の移ろいとともに変わってゆく峰々の色、そして聞こえてくる谷川のせせらぎ、自分を
取り囲んでいる自然の姿そのものの中に仏(釈迦牟尼)の姿を見る、道元禅師の澄んだ心の有り様を
素直に感じさせてくれる歌。仏は、お経やお堂の中だけにいるのではありません。
山や川や海や雲や、世の中全てのなかに仏はいます。】と。



その先右手に、入母屋造銅板葺で妻入の「 浄聖殿 」。
大棟と向拝の唐破風に獅子口、軒廻りは一軒繁垂木で組物は舟肘木、拝は猪目懸魚で唐破風の
兎毛通も猪目懸魚、妻飾は狐格子。両開きの桟唐戸と上に菱格子欄間、脇間に花頭窓
本尊の「千手千眼観世音菩薩坐像」を安置。



浄聖殿 」。



「浄聖殿」内に安置されている本尊「千手千眼観世音菩薩像」 をパンフレットから。
像高34.5センチメートル、総高83センチメートル、玉眼、金色相、寄木造の坐像。
室町後期の作と。



こちらの石像は、天嶽院の境内に置かれた自然石の灯籠(とうろう)、
あるいは「火灯窓(かとうまど)」を模した石碑のような造形物。
これまでの「雨花知佛境」や「流水識禅心」という言葉、そして道元禅師の歌と照らし合わせると、
この石像にも深い意味が読み取れるのだと。
・「空(くう)」を象徴する:
 四角い穴は「空っぽ」ですが、そこには常に「今、ここ」にある風景(仏の姿)が
 映し出されます。
・「声と姿」を捉える:
 道元禅師が詠んだ「我が釈迦牟尼の声と姿」を、この窓を通して静かに見つめ、心を整える
 ための装置とも言えるだ と。



「中雀門」の前、「淨聖殿」の対面に建つ入母屋造銅板葺の「寺務所」があった。 



玄関を正面から。



参道側入口玄関前には「掃除小僧」の姿が。
小僧さんのすぐ後ろには、味わい深い言葉が刻まれた石碑が立っていた。
掃けば散り 散ればまた掃く 庭の落葉(おちば) つきぬ思いは 人の心か
・歌の意味:
 掃いても掃いても次々に落ちてくる木の葉。それを繰り返す様子を、次から次へと
 湧き出てくる人間の尽きることのない悩みや雑念(煩悩)に例えています。
・道元禅師の教えとの繋がり:  
 「皆ながら(すべてそのまま)」仏の姿である自然の営み(落葉)を、ただ黙々と掃き続ける。
 その繰り返しの中にこそ、真の平穏があることを示唆しています と。



寄り添うように置かれた 二体の「お地蔵様(わらべ地蔵)」。
丸太の椅子にちょこんと座り、静かに合掌している姿は、これまでの境内の力強い景観とは
また異なる、穏やかで微笑ましい癒やしを与えてくれたのであった。



丸太の椅子の上に鎮座する「 蛙(カエル)の像 」も。
1. 「かえる」という言葉に込められた願い
日本語の「カエル」という音にかけて、多くのご利益を象徴している。
無事かえる:参拝に訪れた人が、事故なく無事に家まで帰れるようにという交通安全の願い。
福がかえる:失ったものや、使ったお金が再び自分の元へ戻ってくるという招福の願い。
若がえる:心身ともに若々しく、健やかであるようにという健康への願い。
2. 天嶽院の風景としての意味
この蛙は、寄り添う「わらべ地蔵」と同じ場所に置かれていた。
「感應」の心:
 石舟の聖観音像が「仏と人の心の響き合い」を表していたように、身近な生き物である
 蛙の姿もまた、道元禅師が説いた「自然のすべてが仏の姿である(皆ながら)」という
 教えの一部として、そこに存在している。
 修行の合間の癒やし:
   掃き掃除に励む小僧さんの像のように、厳しい修行の場である寺院において、ふと心を
   和ませてくれる「遊び心」や「安らぎ」を参拝者に与えてくれていた。



そして切石敷の参道を進んで行くと正面に切妻造銅板葺の「 中雀門 」。
左右に白壁の築地塀のような回廊を設けた中雀門を通して 本堂(法堂) が見えた。



功徳山早雲禅寺天嶽院 」と。



扁額 湘中早雲禅寺 」。
「湘中」とは、地理的に「相模(さがみ)の国の中」あるいは「湘南地方の中」であることを
指していると。
「湘」の由来:  
 古来、中国の「湘江(しょうこう)」の美しい風景になぞらえて、相模川の東側一帯や
 相模湾沿岸を「湘」という一字で表す慣習があった。
地域的な誇り:
 この扁額は、天嶽院が相模の国(現在の神奈川県)において、北条早雲公ゆかりの重要な
 禅寺であることを格調高く宣言している と。



「常香炉」越しに「本堂・法堂」を見る。



中雀門の真ん中に「常香炉」が置かれ、 香炉に乗っている鞠を踏む唐獅子 と、 左右の取っ手部に
取り付けられた阿形吽形の龍 が参拝者を迎えてくれたのであった。
「常香炉」には寺紋の「北条鱗」が。



鎌倉の北条と小田原の北条(後北条)。
家紋も同じ三つ鱗のようでいて微妙に違うらしい。
「正三角形の三つ鱗」は、「鎌倉時代の北条氏(特に得宗家)」が使用していたと言われている。
一方、「二等辺三角形の三つ鱗」は得宗家以外の北条氏や「戦国時代の後北条氏」が使用しており、
北条鱗紋 」と呼ばれる事がある。
ただ、得宗家が二等辺三角形の三つ鱗を使用していた形跡もあるのだと。
こちらに関しては厳密にどちらが使用していたかを区分するのは難しいと言えるのだ と。


再び「常香炉」越しに「本堂・法堂」を。



「法堂」をパンフレットより。
法堂の前は基本的に白砂で構成するのも、昔の儀式用の礼の場という名残であると。



「法堂」(左)。





見事な彫刻(右)。



見事な彫刻(左)。



「本堂・法堂」の内陣をパンフレットから。
佛師松久宗琳謹作 一佛両祖を奉安する。
(釈迦牟尼佛、道元禅師、螢山禅師)。



相中留恩記略所載 」もパンフレットより。
「相中留恩記略(そうちゅうりゅうおんきりゃく)」は、徳川家康が相模国
(現在の神奈川県周辺)に留め置いた足跡や事績(留恩)を中心に、江戸時代後期
(天保・安政年間頃)に編纂された図会形式の地誌で、特に徳川林政史研究所所蔵本を
底本とし、金沢区に関する記述(「巻之二十三 金沢」)が有名です。相模国全域を
「相中」と呼び、家康の「恩」を記録したもので、徳川家ゆかりの史跡や伝承を
まとめた貴重な資料 と。



天嶽院の歴史は真言宗の古寺「不動院」から始まる。
源頼朝公が治承四年(1180年)、伊豆に兵を挙げ鎌倉を目指す途中立ち寄り、 不動明王様に
大願成就の祈願をされたとの伝説がある。
明応四年(1495年)、北条早雲公によって伽藍の一寺が創建され、「不動院」を改め曹洞宗の
禅寺とし、虚堂玄白禅師を迎えて開山とした。
天正四年(1576年)四世住職の代に伽藍は焼失するが、玉縄城主北条綱成・氏繁公父子によって
伽藍が復興された。 更に紀伊大納言徳川光貞卿の信仰篤く、六世住職の代に七堂伽藍が完成された。
この姿が上の写真「相中留恩記略」巻之十八に記載されている。
なお天正十九年(1591年)十一月、家康公から三十石の朱印地を賜った事実がある。
安政二年(1855年)二月二十六日、二十二世住職の代に再び火災にあい、大伽藍はことごとく
焼失した。焼失を免れ現存する総門(山門)は江戸中期に水戸光圀公が建立したと伝えられる。
昭和五十一年(1976年)春伽藍復興に着手、二十年余を経て平成十年(1998年)七堂伽藍を
室町時代の様式に統一して復興した と。



「本堂・法堂」の右手に入母屋造桟瓦葺の僧堂(座禅堂)があった。
寺号の早雲禅寺から扁額の書は「雲堂」であろうか。
「不論上智下愚、莫簡利人鈍者」の文字が。
「上智下愚(じょうちかぐ)を論ぜず、利人鈍者(りじんどんしゃ)を簡(えら)ぶこと
莫(なか)れ。」と。
道元禅師が、正しい坐禅をあまねくすべての人々に勧めるために記した「普勧坐禅儀.」の
一文であると 。
(ふつう世間では思い(アタマ)の智愚ばかりを問題にしているわけだが)
坐禅するということにおいては、まるきり人間的智慧・才能の世界ではないのだから,
人間の利口・馬鹿、学問のあるなしは問題ではない。)と。



右手にあった二重石塔?。



引き返して。鐘楼方向を見る。



「聖観音菩薩像」の姿



龍樹菩薩 準提讃
準提功徳◯寂静にして心常に踊すれば一切もろもろの大難能く此人を侵すこと無し天上及び
人間福を愛くろ◯と佛の如く等し、是の如意珠に遇は◯定んで無等々を得ん若し誓願大悲の
中一人として二◯の願を成ぜずんば◯◯罪過の中に堕して本覺に還らず大悲を捨てん
御真言 ◯折戻主戻準提姿◯訶」 



「大悲願力透徹救永劫
尊像原画 永平寺初代◯◯◯伊豆修禅寺三十八世丘球学老師
尊像謹刻 岡崎市稲熊町赤松 石田彫刻石田榮一工匠
為野内家先祖代々精霊 徳翁院夏山彦聴居士善堤
喜捨て功徳之施主 藤澤市藤澤一〇四〇 野内フク媪
維時昭和丁卯六十二年七月吉祥◯辰 天嶽◯ 如拙興道代」 



福聚(ふくじゅ) 」と正面に刻まれている石灯籠。 
福が集まることを願って奉納された、寺院用の石灯籠であろう。



「聖観音菩薩像」の姿を横から。



鐘楼周辺の紅葉を再び。







梵鐘。



天嶽院の「六地蔵(ろくじぞう)
6体が横一列に並ぶ、典型的な六地蔵の配置。
それぞれに赤い頭巾・前掛け。
赤は「魔除け」「子どもの守り」「血の色=命」を象徴。



近づいて。




                                  ・・・もどる・・・



                 ・・・つづく・・・




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Last updated  2026.02.23 12:59:09
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