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愛・地球博は、観客数が伸びないといいつつも、混んでいる所は、いつも激混み。そのおかげで、空いている所は、激空きという状況があるようです。4/28は、長久手会場と瀬戸会場、29.30は笹島サテライト会場に居て、いろんな人の情報を聞いていると、情報通になればなるほど、どうも、会場へは、バスが一番楽で便利ということがわかってきた。まず、名古屋発のバスは、JRの駅から少し離れたバスセンターから出ていたり、東入口という、長久手会場としては、ちょっと外れた入り口という難点はあるが、途中、高速道路を通る都合で、全員着席で運行されています。つまり、JR+愛知環状鉄道や地下鉄そして、リニモに乗ると、座席が限られているため、立ったまま移動する事があり得るのだが、バスは、確実に座って行けるのである。しかも、30分ぐらいで、ついてしまう。JRは、名古屋駅から38分で着くと、いう触れ込みで、広告を打ち出しているのだが、それは、あくまでも、万博八草駅(ついつい「ばんぱくやくざ」と読んでしまう)までの話しであって。そこから、リニモに乗り換えて、始めて、会場の入り口につく。結果として、ゆうに1時間は掛かってしまうのだ。しかも、鉄道という安心感からか、宣伝がうまいからか、電車は、混んでいる事が多く、立ったまま、約1時間というのは、少々辛いかも。JRは、1時間に3本というのをウリにしているが、名古屋駅からのバスは、事実上、満杯になれば、いつでも出発しているので、5~10分間隔という感じだ。また、長久手会場と笹島サテライト会場とはしごをしようとする場合。名古屋駅から、笹島サテライト会場を結ぶ、あおなみ線は、片道200円取られるので、笹島サテライト会場を経由して、長久手会場へ行くバスは、とてもお得です。ちなみに、笹島サテライトでは、休日は、食堂が激混みするので、名古屋駅に食べに帰った方が早いケースがあるので、往復運賃より、2.5割安い、名古屋-ささしまライブ駅間1日フリーきっぷ(おとな 300円、こども 150円)を使って、名古屋駅に食べに往復する方が、お得です。30日は、名古屋で泊まれなかったために、岐阜市に来ているのですが、ここからも、長久手会場へは、バスが便利。岐阜から、長久手会場までは、1時間で到着するというからは、明らかに、鉄道より早い。しかも、旅館街のある、鵜飼い船着き場あたりから、直接バスに乗れるので、岐阜市内のバスも乗らなくて良い。じつは、このような地方都市と会場を結ぶバスはいろいろ出ているので、上手く活用すると、混まずに、快適に往復が可能なようだ。愛・地球博の会場は、とにかく、歩かされる、立たされるので、行く前、帰るときには、確実に座っていける事は、有効なポイントだ。バスが便利なのは、会場へのアクセスだけではない。瀬戸会場と長久手会場のアクセスについても、バスが便利なのだ。瀬戸会場と長久手会場のアクセスは、モリゾーゴンドラという、無料のゴンドラを使う事が多い。長久手会場内には、キッコロゴンドラという、有料のゴンドラがあるのだが、こちらの方が、無料のモリゾーゴンドラより混んでいるという状況があるとはいえ、モリゾーゴンドラは、昼間の時間帯は、待ち時間が出る事が多い。そこで、瀬戸会場と長久手会場間のバスが、有効なのである。このバスは、燃料電池で動いている。外装は、窓までラッピングされているようになっているので、外からは解りにくいが、車体の割りに、機械が大きいため、車体後部や屋根に、機器スペースがあり、車内は、1メートルぐらい客室が短くなっているようだ。しかし、モーターで駆動していることもあり、変速機を介していないせいか、後部の床が低いため、段差と傾斜は最小限に抑えられ、かなりのバリアフリーを実現している。このあたりは、技術的な見所の多い車両だ。技術的に興味が無くても、移動中は、ちょっとした、案内ビデオが流れているので、窓までラッピングされ、外が、少し見にくいことか気にならない工夫がなされている。このように、見所の多いバスなのだが、待ち時間は、ほぼ0で乗れた。しかも、着席して移動。長久手会場のバス乗り場が、解りにくいのが難点だが、細かいイベントがなされている瀬戸会場への移動には、時間の読める、バスが便利だと言える。とはいえ、余裕をもって、移動しないと、イベントに間に合わないから注意。バスの類似品は、長久手会場内を走っているが、乗ってないのはノーコメントです。グローバル・トラムという連接バスは、スピードが遅く、人混みの中を走るので。トラムの前を、係員が、危険を知らせるために、走るのが滑稽でした。どう、滑稽かというと。いまから、100年以上前。明治28年(1895)、日本に路面電車が走り出した頃。電車が走るまえに、電車が来て危険だという事を知らせるために、鐘をもった「先走り」と呼ばれる人(12-15才少年だったそうだ)が走ったそうだ。これが、路面電車のことをチンチン電車というようになった由来の一つなのだ。その19世紀のチンチン電車の由来と21世紀の万博会場での乗り物が、同じ事をしているというのが、なんとも趣深い。万博で使われた乗り物は、近未来の乗り物になることがあるというが、110年前と同じ事を、最近の万博で見ることになるとは・・・・
2005.04.30
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4/29,30の二日間、愛・地球博の笹島サテライト会場"デ・ラ・ファンタジア"の片隅のエコライフプラザにて、NPO国産材ワークショップの一環で「季節はずれのサンタクロース」という、朗読と即興演奏のイベントを行いました。となりが、ポケモンということもあり、子供連れがいっぱいということもあり、エコライフプラザという、市民展示ブースにも、ちらほらと、人がやってきます。正確に言うと、避暑に来ているという感じでしょうか。環境をテーマにした、愛・地球博ではありますが、半年間のイベントのために、日陰を作るための木を植えるのは、さすがに難しいようで。特に都会にある、笹島サテライト会場は、カンカンに日が照って、プールのないプールサイド状態。それに対して、エコライフプラザは、巨大なテントの下とはいえ、クーラーも効いているし、飲食店も最小限なので、熱源もない。さらに、今回のステージのために持ち込んだ。サラウンド・サウンドシステムからは、屋久島の自然の音と風鈴の音が聞こえ。エコライフプラザ内のフェアトレード商品売り場では、波の音が出る楽器やカリンバなどが置かれていて、試奏すると。これまた、涼しい音がするものだから、なんとなく、人が集まってくる。今回の朗読と即興演奏は、約一時間という、ちょっとした大作だったのですが。朗読のあとのミニコンサートを含め、最後まで、聞いてくれる人がいました。とはいえ、初日は、反省点も多く、栄のホテルについた後。食事に出た。連休と言うこともあり、ホテルのすぐ近くの世界の山ちゃんは、満杯。ちょっと離れた、山ちゃんも満杯だったので、女子大通り店の向かい側にある魚がウリの居酒屋に入った。お店にはいると、2階の座敷に通される。そして、席について、メニューを見ると、そんなに高くない。店の前に、値段の書いてあるものがなかったので、ちょっとひびっていたのだが、そんなこともないようだ。とにかく、オススメメニューを中心に、いろいろと頼む。とりあえず、乾杯。私は、痛風治療中なので、お酒はお休み。料理が何品か届く、これが、予想していたより、格段においしい。栄は名古屋最大の繁華街と言うこともあり、競争が厳しいのだろうか、この店は、安くて美味しい。何品目かに、アジのお頭つきの刺身の三種盛りが届いた。これで1500円だ。お魚が新鮮なため、とてもおいしい。そんなことで、ぱくぱくと食べていると、いきなり、お頭と骨だけになった、アジが、いきなり、ピクピクと小刻みに動き出したのだ。どうも、このアジは、生け簀から揚げて、すぐに調理されたようだったのだ。どうりで、新鮮なはずだ。いま、食べたお魚のお肉も、ついさっきまで生きて泳いでいたのだろう。岡さやかさんの曲に「いただきます」という曲がある。この曲は、入院していた岡さんの友達が作った詩に曲をつけたものだそうだが、この詩を、ピクピクと動く、お魚を戴きながら思い出した。このお肉 何のお肉この野菜 なんの根っこ生きていくために命をもらういただきますとても、シンプルな歌詞なんだけど。なにげなく食べているものも、全て命がある。だからこそ「いただきます」と感謝して食べる。目の前で、骨になっていても、動いている魚を見ると、命があったという事がよく分かるのだが。加工されて、魚も原型を留めない切り身の形になっていたり。スナック菓子のような状態になってしまうと。食べるという行為は、命をもらっているという実感が湧かなくなっている。だからこそ、この歌詞を耳にすることや、生きていた痕跡のある魚を食べることで、思い出し、より、食事を、ありがたく、いただくことができる。そんな話しをしていたら。次に、鯛のアラ煮が届いた。アラ煮とは、刺身などにしたあとの残りの部分を使って作った煮物であるが。身は、ほじくらなくてはいけなかったり、しゃぶりつかなくてはいけない部分もあったりと、少し、上品ではない食べ方をしなくては、行けない部分があるとはいえ。お魚のお肉の美味しい部分の煮物である。さっきの、歌の話しをしていたものだから、もう、骨までしゃぶる勢いで、食べている。いや、本当に骨をしゃぶっている。そして、最後に、ご飯を頼む。アラ煮の残り汁を、ご飯に掛ける。これが、また、絶品。鰻重なんかいらないぐらい美味しい。ということで、頭の中に「いただきます」の歌が廻りながら。残さず食べてしまいましたとさ。ちなみに、近々リリースされる、岡さやかさんのCDに、この「いただきます」が収録されます。興味ある方は、下記のページを、こまめにチェックしいると、いつから、買えるかわかります。ちなみに、山根麻以さんの昨年発売のアルバムと同じレコーディングエンジニアさんが収録しているということです。岡さやかのいとおかしhttp://ikebukuro.cool.ne.jp/sayakaok/
2005.04.29
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明日からの愛・地球博笹島サテライト会場でのイベントに出演に併せて、他の案件の打ち合わせ等があるため、一足早く名古屋入りし、愛・地球博長久手会場に行った。連休前の平日と言うことで、人出は、いまひとつだが、企業パビリオンは、行列が出来ている。今回は、始めて市民展示がなされる万国博覧会というのに、地球市民村だとか、市民パビリオン、そして、グローバルコモンと呼ばれる、各国の展示が空いているのが、寂しい。企業の技術や環境への取り組みのPRが充実したおかげで、今回の万国博覧会というか、万国博というもの自体がなんであるのかという事が、かすんでしまって、来場者に伝わっているのかもしれない。そんなことを感じながら、長久手会場を後にし、名古屋市内で、明日からの準備で足りない物を物色をして、ホテルに向かう。ホテルに着く寸前に、「世界の山ちゃん」を発見。今回の出張中に一度は行っておきたかっただけに、少し安心する。この「世界の山ちゃん」とは、手羽先がウリの名古屋中心に展開する、安い居酒屋チェーンだ。以前、名刺交換ML(http://www.ideaeast.net/meishi/)の名古屋オフ会が頻繁に行われた所で、何度か行ったお店である。瀬戸市内で、仕事を終えた相方を待って、「世界の山ちゃん」に、いざ出陣。閉店が近い時間帯だったのだが、ほぼ満席で、活気がある。席に着いて、まず、気が付いたのは、壁に貼られた「瓦版」だ。いわゆる、広報紙というものだが。これが、また良くできている。よく、広報紙というものは、DTPやワープロを使って作っているのだが、これは、手書きとワープロで作った見出しをうまく組み合わせて、温かい感じが出ている。さらに、内容も、ベタかもしれないが、適度に力が抜けている。しかも、読者との繋がりを持てる工夫、楽しく読める工夫がなされている。身の丈にあった紙面作りという、バランス感覚は、絶妙である。そして、楽しんで作っているという感じが伝わっている。この楽しいという感じは、店員からも伝わる。もちろん、いまや名古屋の名物となった「世界の山ちゃん」だからこその、ある種の成功体験からなるプライドなり余裕でもあるのだが、とにかく、外国人労働者も含めて、楽しそうに働いている。店内を見回すと、店員の顔写真も貼られている。個人情報保護法が施行されてから、過剰反応の結果として、個人を特定できる表示が減っていく中で、こういう、人が見える工夫は、開放感や、安心感を感じる。その一方で、フリーペーパーも発行をはじめている。こちらは、デザイン会社がちゃんと、手を付けているものだが、お店の近くの会社やお店、関連会社から広告をもらい、「世界の山ちゃん」を中心とした世界を、広告からもうかがい知れるようになっていた。普通の人が読んで、広告効果があるのかわかなんい、業務用の卸の会社の広告も、ここでは、いろんな人がからんで、おいしい「世界の山ちゃん」を支えているという事がわかり、直接、目に見えていない、働く人が見えてくるというのは、おいしく、食事をいただくに置いて「いただきます」と言える環境作りに役立っているようにも感じた。さて、名物の手羽先が届く。この手羽先の食べ方については、割り箸の袋に、書かれている説明書きが秀逸だった。まず、半分に折って、骨の太い方の方を歯に挟んで、肉を引っ張ると、あらふしぎ、きれいに、お肉が取れるのである。そして、残りの部分は、とにかく、シャブリ尽くす。これなら、うまく、骨が取れて、美味しく身を食べることが出来る。それにしても、相変わらず、美味しい。そして、コーチン団子スープも秀逸。160円で、こんなものが食べられるなんて・・・。驚きでしかない。他の料理も、もちろん美味しい。そんなことで、「世界の山ちゃん」のおいしさを堪能し、楽しい時間を過ごすのもいいが、「世界の山ちゃん」を中心とした世界にも注目。「世界の山ちゃん」http://www.yamachan.co.jp/追加情報1「世界の山ちゃん」の系列のラーメン屋「やどかり家」も注目。豚骨菜々ラーメン 750円は、トッピングされた、野菜炒めが、無茶苦茶美味しいので、もともとおいしいラーメンもさらに美味しくなってました。追加情報2どうも、今年から、東京に進出した模様。近々レポートします。
2005.04.28
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事故から3日経って、少しずつ、いろんな事が解ってきた。報道されている情報が、とても曖昧な表現をしているので、どの時点での速度かわからないが、非常ブレーキが掛かる5秒前以降に、いずれかの時点で、時速100キロを超える速度で走っていたと記録されていた。そのほかには、伊丹駅のオーバーランの距離を、運転士と車掌が話し合った上、短い距離で、司令室に報告していたことは、事故が起こらなかったとしても、問題だ。40メートルもの長い距離のオーバーランは、運転士のミス原因だけで発生するとは限らない。通常のブレーキシステムに問題があった可能性もある。これを、8メートルとして、報告していたとしたら。これは、ただの運転手のミスということで済まされて、ブレーキの問題が見つからない可能性も出てくる。今回、多くの報道では、時間の遅れを取り返すために、焦って、速度を出しすぎたという書き方が多いが。ブレーキシステムの問題で、カーブの手前で、減速できずに、突っ込んだ可能性も考えられるのではないだろうか。鉄道では、非常ブレーキと、通常のブレーキとは、別系統の制御システムを使っている事が多い。これは、通常のブレーキシステムと同じシステムを非常ブレーキに使うと、通常のシステムが壊れた場合、非常ブレーキが利かなくなるからだ。そう考えると、40メートルのオーバーランを隠した事は、重大な車両の問題をも隠してしまったこととなり、根本的な問題の発見を遅らせてしまった可能性もある。それでは、なぜ、距離を短く報告しようとしたのだろうか。多くのメディアでは「運転手の心理状態から見ると運転手にとってオーバーラン、時間オーバーは恥ずべき行為と思っているので遅れた時間を戻そうとしていたと思われる」という事が言われているが。もしかすると、減点主義の評価方式があった可能性もある。よく、「電車でGO」など、トレインシミュレーターゲームでは、ミスをすると減点するしくみとなっている。つまり、減点することで、評価するシステムだ。このゲームを発案した、ミュージャン、向谷実氏は、かなりの鉄道好きで、シミュレーションゲームを開発するにあたって、実際に近い、評価システムを採った可能性がある。もしかすると、運転士の評価システムは、すべて「減点」でしか、評価していないということが考えられる。出来て当たり前、出来なかったら減点という事でしか評価されない状態で、イキイキと働けるのだろうか。たとえば、主婦を例にしてみると、家事が出来て当たり前、子供を完璧に育てて当たり前。しかし、一つでもミスをすれば、減点され非難されたり、自分の自由になるお金を減らされるというしくみになっていたとすれば。息苦しくて、生活できないと思います。日々当たり前に過ごせることに、小さな幸せが見つけることが出来て、普通であることに感謝できればいいのですが。必ずしも、そうはならない。そういう気持ちになる前に、減点思考は、こころをむしばみ、普通であることへの感謝が出来なくなる状態を作り出してしまいがちだ。昨日4月26日、パーマカルチャーという持続可能な社会の提唱者、デビット・ホルグレンさんの講演を聴いたのだが。この話しの最初の方で、「環境に対する取り組みの多くは、反対するなど、否定する事が多かったが、それでは、問題の解決が出来ないと思い。肯定する方向性の環境に対する取り組みはないかということで、パーマカルチャーを始めた」というような事を言っていた。つまり、否定では、物事問題が解決できないということである。減点思考は、否定的であるがゆえに、問題解決が出来ないだけでなく、場合によっては、否定の否定を生み出す。今回の虚偽報告は、否定的な方法でしか評価されない事に対して、ウソを付くという否定的アクションだったのではないだろうか。さらに、この否定的な評価システムによる心の傷跡は、かなり大きい。それが、ミスを隠すという行動に出ることに繋がる。あるところでの話しだが。とある飲食店は、オープンして、1ヶ月ということで、スタッフもまだ慣れていないこともあり、かなりの疲労がたまり。肉体的にも、精神的にも限界が来ていた。世の中残酷なもので、こういうスタッフの苦労も空しく、お客さんが、なかなか来ない。経営的にも最悪で、なにかあれば、即刻閉鎖となる可能性があった。そんなさなかに、スタッフが過労で倒れた。呼吸困難になっている。この飲食店では、事故があり、救急車を呼ぶようなことがあると、ここの大家さんにも報告しないといけなくなる。ここの大家さんには、いままでも迷惑を掛けているので、これ以上迷惑をかけられない。そこに、たまたま、オーナーが居合わせたのだが、オーナーは、呼吸困難がたまたま軽くて収まったことをいいことに、店長に、ここであったことを隠すように指示し、全てのスタッフに口止めをした。(結局、漏れてきたんだけどね)これは、ミスをすると、または、事故があることは、恥であったり、マイナスの評価を得てしまう恐怖から出てきた行動ではないだろうか。今回の脱線事故の運転士は、どうだったのかわからないが。いままでの、人生23年間、否定的パワーの渦巻くストレス社会を生きてきた結果が、今回の事件を引き起こしたのなら、この運転士だけを責め立てるのは、おかしいのではないだろうか。この運転士を、必要以上に責め立てることは、恐ろしく強い否定的パワーである。報道などを通じ、そういう状況を見て、多くの人に、ミスを必要以上に恐れるという、心の傷を知らない間に植え付けている可能性がある。確かに、ミスは、大きな事故に繋がる可能性がある。しかし、ミスを必要以上に恐れるという心の傷は、ミスの存在を意識的に隠したり、ミスの本当の原因を見えなくしてしまう。どのようにすれば、素直にミスを認め、その問題点やその後の対応を冷静に判断できるようになるのか、これは、大きな課題ではないだろうか。また、列車が遅れるという事を恐れているというのは、鉄道会社が、列車が遅れるということを、乗客に否定的パワーで、攻撃される事を恐れていた可能性がある。スピード競争が問題だという論調が多いが。乗客にとって、速く走ることが当たり前になっていて。速く走っている事への有り難みがわからなくなっていたのではないだろうか。そのために、少しのミスに対して、激しく怒るなど、否定的パワーでまくし立てられかねない。まだ、調査は途中段階なのではあるが。一方的に、JR西日本を責めるというより、列車が遅れたとき、自分は、鉄道の職員に対し、どのような気持ちでいたか、さらに、普通に走っている電車において、鉄道の職員に対してどういう気持ちでいたかを、検証するべきではないだろうか。普段から、列車の遅れに対して、やさしい気持ちで、対応できたのなら、もしかすると、こういう虚偽の報告をしたり、しなかったのかもしれない。さらに、追いついて走ろうなんて発想もなかったかもしれない。普段からの、電車の遅れに対する、怒りが、この事故を引き起こした遠因である可能性がある。つまり、100人近くの犠牲者は、普段からの列車の遅れに対する乗客の怒りという否定パワーの結果かも知れないのだ。今回の事故について、鉄道会社だけのせいにするのではなく、自分も、乗客(利用者)という形で、鉄道を支えているという立場で、どう、鉄道の安全に協力する必要があると思う。そうすることで、自らの安全が確保できるのではないだろうか。
2005.04.27
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4/25の朝9:18分、JR宝塚線(福知山線)で脱線事故が発生し。死者が50名を超える大惨事になった。各局やネットニュースは、こぞって、速報合戦をくり広げている。だが、かなり気になる部分がある。それは、乗客の証言を、たいした検証もせずに、そのまま流しすぎることである。普段、電車に乗っている時の事を思い浮かべて欲しい。いま、時速何キロぐらいで入っているとか、いつもより、速い速度で走っているのか、遅い速度で走っているのか、あまり、気にはしていないと思う。確かに、伊丹駅でのオーバーランがあったとして、多少は、速度について、意識していたにしても、乗客は、そんなに、列車の走行状況について把握はしていなかったのではないかと考えるのが順当だろう。それと、朝の通勤電車で、しかも、始発駅から出発してから、15分ぐらい経過した所というのは、春の陽気も含め。ついつい、気持ちよく寝てしまうのが人情だ。そう考えると、速度超過について、気が付いている人は、本当に少ないのではないかと思う。それでは、なぜ、あまり気にしていない事が多いのに、多くの人が、速度超過について語ったのだろうか。事故直後の車内は、急に速度が低下したり、横転したため、たくさんの人が折り重なった。乗客は、協力し合って、上の者から、下の人を傷つけないように退いてから、車両から脱出したという。このときに、事故という、共通の現実をどう解決していくかということで、いままで他人だった乗客同士が、コミュニケーションを取り、情報を共有し、協力して問題解決行動に出るというアクションを採っている。このとき、誰かが言ったことが、全ての人の共通体験となった可能性がある。人の記憶は、基本的には、約2秒ぐらいの短い時間の記憶で、長期の記憶は、その限られた短い時間に、次の記憶に置き換える事で、長期間の記憶となるという事を聞いたことがある。そのため、ときどき、記憶のすり替えが発生し、新しい記憶に移し替える事があるという。よく、ウソを付き通すと、本当になるというとかいうけど、ウソをついていると、ウソと言うことが本人にとって本当になり、ウソ発見器に反応しなくなるという。今回は、意図してのウソではないだろうが、事故直後のパニック時に、共有した情報が、本人にとって事実になってしまう可能性があるのだ。多くの乗客が、スピードの超過を指摘しているのは、事故直後の情報の共有が影響している可能性がある。また、今回の路線は、最高速度が120キロで設計されているのだが、平行して走る、阪急宝塚線は、カーブ区間が多いなど、線形が悪く、一番速いところで、最高速度が100キロぐらいと、JRに比べて20キロほど遅い。つまり、阪急から、競合路線のJRに乗り換えると、電車が速く走っていると感じるのだ。ということは、JRでは、いつものスピードでも、速く走っていると、そんな乗客からすれば、いつもより速く走っていたと感じていた可能性もある。さらに言えば、阪急以外の関西圏の多くの私鉄も、100キロか110キロ。大阪地下鉄は75キロなので、JRが早く感じて当たり前なのだ。電車の速度に関心のある人に限って、体感速度が違って感じる可能性がある。さらに、体感速度と言えば、JR宝塚線(福知山線)は、かつては、田舎電車で、いまから、25年ほど前に電化されるまで、腕木信号で、単線で、ディーゼル機関車が引っ張る汽車が走り、戦争が終わって30年以上も経つというのに、戦争の時、機関砲で打たれた弾痕のある客車も走るような、田舎路線だった。これは、尼崎-宝塚間もしかりだ。しかも、線路は、町のはずれを走っていた。そのため、まわりは、比較的敷地の広い工場か、田んぼだらけだった。今も、基本的に、その名残があり、JR宝塚線(福知山線)の周りは、少し寂しい。一年ぐらい前にこの路線に乗ったが、宝塚-川西-伊丹は、駅だけ新しいけれども、相変わらず、沿線の風景は少し寂しい。ところが、今回突っ込んだマンションは、線路から6メートルという近距離にある。尼崎市内は、産業の空洞化というか、工場が移転して、近年は、その余った土地に、このマンションのように、集合住宅にするケースが増えているようだ。そうすると、田舎から、急に都市化の進んだ地域に行くと、線路の近くに建物が建つために、同じ速度で走っていても、体感的に、速く感じることがある。特に今回は、事故現場の手前に名神高速道路と並行して走る山手幹線産業道路の高架の下を通過するのだが。広いところから、こういう閉塞感のあるところに、突っ込むと、音の跳ね返りも含めて、いきなり、スピード感を感じた可能性がある。そう考えると、加速していないのに、視覚的には、速度が上がって感じていた人もいたのかもしれない。また、電車が遅れて発車したという事実と、事故があった事実から、電車が速く走ったと思いこんでしまうケースがある。ピークは超したとはいえ、通勤時間帯なので、乗客にとっても、時間に遅れるのは良くない。だから、速く走って、追いつきたいと思う。しかし、あまりに、時間に追いつきたいと思っていると、無意識に、自分が思っているように、行動してくれていると思いこんでしまうことがある。そんな時に、事故が起きたとしたら、あまりの惨事のために、何でも良いから原因を決め込んで安心したいという心理が働きやすい。いわゆるスケープゴートが発生するメカニズムだ。そして、とにかく原因が決まってしまったら、それに話しを合わせてしまうことがある。そんなときに、原因として取り上げられやすいのは、自分の想いだったりする。今回は、列車が遅れたため、自分と同じように、時間に追いつきたいと思い、速く走ったと思いこんでしまったという事が発生しやすい環境だったと予想される。そのために、事故後に「今、思ってみれば、速く走っていたように感じる」なんて、言ってしまっている人もいたかもしれない。乗客は、自分の感じた事を、正直にコメントしたに過ぎないが、上記の理由で、多くの、乗客は、正確に列車の速度を読み取っていなかった可能性が高い。だが、それは、人なら、だれでもあり得ることなので、そのこと自体は否定するつもりはない。座禅や内観など仏教系の修行のいくつかは、真実を知るために、ありのままを感じて受け止める訓練という要素があるのだが、それだけ、このようなことは、よくあることで、修行するなどのかなり訓練しても、悟りを開くまで、このようなことは、なかなか防げない事なのだろう。というか、そもそも、防ぐべきだろうかということもある。たとえば、落語のネタなどで、こういう人間の心理をうまく捉えたものがあったように記憶している。記憶のすり替えがあったり、錯覚があるから、人間は面白く、生活にユーモアを与えているとも言える。次に、報道機関の取材活動において、誘導するような話しの訊き方をした可能性もある。取材する側が、速度超過が原因だと思って取材をしたとき「速度について気が付いたことがありますか」など、ある種の誘導尋問をする事がある。そういう質問をすると、いくらかの人は、なんとなく、速度が超過していたというような解答をしてしまうだろう。そして、取材は、取材しやすい人から行われるため、同じ人が取材を受ける可能性が高い。そうすると、何回も似たような、取材を受けているうちに、そのうち、速度超過が原因だという気がしてくる。本人は、気づいていないだろうが、自分が体験した以外のことを、事実として証言してしまう事があるのだ。もちろん、本人は、ウソをつくつもりはないし、事実だと思いこんでしまっている。報道側も、自分の仮定を立証する証言がもらえれば、当然採用したくなる。そうすることで、本当は、本人が体験したりしていない、報道側の仮定した説が、報道されてしまう場合がある。今回の乗客の証言は、本人にとっては事実なので、ウソであるとは言わないが。なからかの形で、一部の人の意見や、報道側の意図によって、体験していないことを無意識に言ってしまっている可能性があり。その上で、報道側の都合の良いところだけを取り上げてしまわれた可能性は充分にある。鉄道ピクトリアルという鉄道のハードウェアに強い鉄道専門誌の元名物編集長が、ニュース23に出演していて、面白いことを言っていたのだが、石と線路が擦れた跡が残っている所から脱線せずに停車している電車までの距離からすると。100キロ以下のスピードで脱線し、突っ込んだ可能性もあると言っていた。今回の事故に限らず、多くの事故が複合原因で発生しているので、一つのことでは、なんとも言えないはずなのだが。速度超過が原因だということや、運転手の未熟さを指摘する所も多く、JR西日本の運転士の実名と経歴も大々的に報道されてしまっている。しかし、本当の事故原因が究明されていない状態で、乗客のコメントを利用し、報道側の仮定を流してしまい。その原因を作ってしまったと仮定した、おさらく、重大な怪我をしていると思われる若い運転手を、悪の枢軸的に取り上げてしまって、本当に良いのだろうかという疑問がある。もし、他の事が原因で、どんなにベテランの運転手でも避けられない事故だったとしたら、この若い運転手の名誉はどうなるのだろうか。その点、個人的には、JR西日本の対応に好感を持っている。記者会見では、原因が分かっていないにもかかわらず、利用者に迷惑をかけたということで、まず、謝る。ここが潔い。そして、持論を展開するのではなく、わかっている事実や情報を、冷静に、伝えようと努力をしているように見えた。これは、一見、なにを言おうとしているのかわからないという風にも受け取られるが、ありのままの情報を伝え、考えを述べないことで、バイアスがかからないように配慮した結果なのではないかと感じられた。その一方で、記者の質問は、持論を証明してくれるように誘導するような質問がいくつか見受けられた。これは、記者会見会場だけではなく、遺体安置所や病院に向かう、JR西日本関係者にも浴びせかけられていた。しかも、質問の内容が、鉄道や事故のことを知らなすぎる質問がいくつかあり。鉄道関係に詳しい専門の記者がほとんどいないという感じだった。それにもかかわらず、その無い知識で仮定した思いこみを書きたいという欲望が感じられる質問があったのは、とても残念だ。JR西日本は、責められる立場かどうなのかは、これから解ってくるのだが。もし、JR西日本に落ち度があまりないとしたら、思いこみによる報道によって信頼を落としたJR西日本に対して、報道機関は、どう、申し訳をするのだろうか。おそらく、なにもしないだろうな。あと、テレビを見ていて、気になっているのが、鉄道関係や旅行関係のテレビコマーシャルや、損害保険会社、生命保険会社のCMが消えている。これらのコマーシャルが無くなったのはわかるが、国産の自動車メーカーのコマーシャルが消えてしまったのが不思議だ。運送会社は、UPSという外国の運送会社ぐらいだった。損害保険、生命保険の自粛は、死亡重大事故ということで、出費が多くなるため、CMを一時的に止めたという、経営的な理由もあるのだろう。列車事故という、交通事故ということで、国土交通省関係の企業が、一斉に、コマーシャルを自粛したのだろうと予想される。国土交通大臣が視察したのも含め、国土交通省がらみで、大きな問題となっている事がわかるが、国土交通省と企業との関係の強さも感じられた。
2005.04.26
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25日午前9時20分ごろ、JR宝塚線(正式名称:福知山線)の尼崎―塚口駅間で、快速電車が脱線し、マンションに突っ込んだ。電車は、7両編成のうち、先頭から女性専用車両を含む3両が横転し、そのうち一両が、マンションに激突。めり込んだと報道されているが、写真を見る限り、車両は大破し、歯磨き粉の箱を踏みつぶしたような形になっている。救出作業は、かなり大変そうだ。けが人は、66人と発表されていて、死者が出ている模様。http://www.asahi.com/national/update/0425/TKY200504250075.html?ts前の駅でオーバーランをしているという情報があるので。おそらく、ブレーキの問題か、運転手の操作、または、列車の速度を調節する自動システムの問題などで、速度超過をしていたために、車体が外側に膨らんで脱線したのかもしれない。特に、この脱線したカーブは、あまりきつくないのだが、地図上で見ると、微妙に、奥に行くとカーブがきつくなる。いわゆるスプーンカーブという複合カーブになっているように見える。線路は、電車が外側に飛び出さないように、カーブの外側を高くしているのだが。複雑なカーブでは、線路の左右の高さを急に変えるわけにはいかないため、カープの出入り口や、カーブの曲がり具合が変わる地点では、カーブにあった、線路の傾きを作り出す事は難しい。脱線の多くは、そこで発生するとも言われている。そういう所に、設計速度を超過した、車両が突っ込むと、脱線をする可能性は高い。また、線路の技術と、車両の技術がシンクロしていないことで、問題が発生している可能性もある。特に、JR在来線は、新幹線とは違い、電車の形式にバリエーションが多く。車両の特性がバラバラである。それなのに、同じ線路の上を走っているのだから、車体との相性もバラバラであって当然だで、線路と電車のマッチングがなされていないと考えて良い。また、ここ、10年ほど、鉄道の利用者数が減少し、鉄道各社は生き残りをかけて、戦っている。そのため、利便性の向上のため、電車のスピードを競ったり、構造が簡単で、低価格で作れる電車を新しく購入することで、新しい電車をウリにしたりしている。特に阪神間は競争が厳しく、最近では、東京の近郊でも、同じ現象が起きている。その一方、都市部の鉄道は、土地の値段が高かったり、土地を使っている人がおおかったりするため、土地の取得が難しく、限られた土地に沿って、線路をつくらなくてはいけない。これは、列車の高速化の障害になる。事故の地点の正確な情報がないなど、いまのところ情報が少ないので、なんとも言えないが。また、日比谷線の脱線衝突事故と、今回の事故では、揺れ枕という、装置を外した、ボルスタレス台車が使われていることが共通している。この台車は、揺れ枕という、横Gを、機械的にコントロールする装置を使わなくても、その役目を機能する構造にはなっているとはいえ、ある限界を超えると、いきなり、危険な状態になるのではないかと指摘している専門家も出てきているようだ。今回の事故が、サービス合戦の中で発生した、無理な列車の高速化と、車両のコストダウンが原因だったとしたら。採算性を重視しすぎたことによる安全性軽視が問題になるだろう。それにしても、この電車に、600人程度が乗っていたと言うが、その中に、毎日新聞の記者と朝日新聞の社員が乗っていたというのが、面白い。偶然なのか、必然なのか・・・。今後の報道合戦が熱いかも。事故で、亡くなった方のご冥福を祈りします。★脱線した車両のオモチャ★ #11:30に記事を書いたのだが、いま、19時のNHKニュースで、線路上に石などが砕け散った後が見つかったという事が言われています。この事故現場のすぐ手前の、名神高速と山手幹線という交通量の多い産業道路があるのですが、そこから、誰かが石を落としたとか、高架橋のコンクリートが剥げ落ちて、線路に落ちた可能性もあるかもしれませんね。名神高速も出来てから40年以上経ち、10年前には阪神大震災に遭っています。そして、日々の、交通量の多い道路と、下からは鉄道の振動で、そして、尼崎ぜんそくという公害病もある街ですので、大気汚染や酸性雨などで、コンクリートの劣化が速いものと思われます。そんなことで、劣化した、コンクリート片が、線路に落ちたのだとしたら・・・・
2005.04.25
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4/22のアースデイに併せて、4/23.24に代々木公園で、アースデイ東京が行われた。アースデイは、1970年にスタートし、年齢・国境・民族・信条・政党・宗派を越え、いまや、世界184の国と地域、約5000ケ所で行われている、世界最大の環境フェスティバルとなっています。今回のアースデイ東京は、愛・地球博に合わせて、1970年にアースデイを始めたアメリカのデニス・ヘイズさんが、アースデイ東京に来ていた。このデニス・ヘイズさんは、スタンフォード大学学生で全米学生自治会長をしていた時に、全米中にアースデイを呼びかけ、4月22日をアースデイであると宣言したそうです。当時、20歳そこそこだったから、今、50代後半ということなのだが、35年前に始まったイベントの創始者なのに、ステージに上がっているデニス・ヘイズを見て、あまりの若さに驚いた。この若さは、どうも、見かけだけではないそうだ。ある人が、会場の片隅で、デニス・ヘイズさんに、日本のアースデイを見た感想を聞いたところ。「ここには、環境の意識が高い人が集まっていて、情報交換などが活発に行われている。しかし、一般の環境に対する意識の低い人へのアプローチが弱いような印象もあり、環境に対する意識の広がりに対する工夫を、もっとしていくと、もっと良くなるだろう。以前、アメリカで行われたアースデイでは、環境に優しい自動車を景品にしたイベントを行い。自動車メーカーの協力を得たり、一般の人を巻き込むことに成功し、環境への意識の低い人に、アピールすることが出来た」とのことだ。そういえば、アースデイ東京のオープニングで、司会の方が「アースデイは、同窓会のようなものだ」と言っていた。「アースデイの日から、この一年間、環境について取り組み、その成果をもって、再びアースデイで出会い、情報を交換し共有する。そんな日です」というような事を言っていた。確かに、今回、アースデイの会場を歩いていると、なんか、顔見知りが多くて、なんか、挨拶回りをしているようだった。ここまで、顔見知りが多いと、新しく、環境に対する取り組みをしようと思う人がいるのかと、疑問になってくる。これは、私だけでなく、別の人も言っていた。「アースデイ東京に行ったら、楽しむ為に行ったのにもかかわらず。結局、挨拶回り状態になって疲れてしまった。それと、気になったのが、去年より、お店なり展示が減ってしまったような気がする。特に、ケヤキ並木の方が、さみしくなった。」と言っていた。去年は、ケヤキ並木の方に、グリーンリバーアートが、アースデイ東京と併催されていたため、出展数が多く見えたり、今回出展しているところとは、違う空気を持った出展があった。これが、今年は、併催されていない。デニス・ヘイズさんは、毎年、アースデイ東京に来ているわけではないのに、ちょっと、見ただけで、こういうことを見抜いてしまった上。同じ事をするだけでなく、常に新しい事をしようという事を提案している。こういう姿勢が、精神的な若さに繋がっているのだと思う。とはいえ、新しい広がりへの試みも、地道ながら、行われている事も確かだ。まず、ボランティアの年齢が若くなっているように見えた。イベントのゴミの多くが飲食関係だったりするのだが。そこに目をつけ、食器を再使用することで、ゴミを減らそうというプロジェクトが行われていたのだが。高校生や大学生のボランティアが、皿を洗っている姿は、とても気持ちが良い。ここで、経験したことが、将来、自分たちのプロジェクトを立ち上げる原動力になるのではないかという予感がある。そのほかに、アースデイ東京は、代々木公園で行われているのだが、代々木公園から一歩出ると、普通の渋谷に戻ってしまい。いくら、何万人もの来場者がいるアースデイ東京も、ごく一部の人の環境への意識の強い人のお祭りでしかないという現実を突きつけられる。それを解決し、しかも、アースデイの日だけでなく、継続的に、渋谷の街中で行われる環境プロジェクトがある。それが「シブハナ」である。 http://www3.to/shibuhana/これは、「渋谷の街が花でいっぱいになったら、ゴミをポイ捨てする人も減るかもしれない!」 という発送から。渋谷駅の待ち合わせスポットの一つ「モヤイ像」の周りに、花を植え、メンテナンスをしている。今回は、アースデイに併せて、24日の日曜日という、人がいっぱいいる時間帯に、花の植え替え作業をするそうだ。ここの素晴らしいところは、どうやって、一般の環境に対する意識が低い人にアピールするとともに、代々木公園の枠からはみ出し、街という不特定多数の人がいる所で行われている。食器のリユースのプロジェクトとともに、構成員は、高校生、大学生、社会人の若者が中心と若いのも特徴。今のところ、マンパワーなどが足りないこともあり「モヤイ像」が中心になってはいるが。実績を重ねていくと、渋谷全体が、花の街になるかもしれない。当日配られていた、フライヤーにも、その願いが込められているようで、渋谷近辺の地図の上に、紫色に塗られていない、花の模様がたくさん描かれている。実は、この紫色の花の部分は、「モヤイ像」の位置であり。このプロジェクトは、まだ、ここでしか行われてない事を指しているそうだ。だが、このデザインから、明らかに、彼らのビジョンが、渋谷全体を花の街にすることである事が見えてくる。美大生が作った。少し荒削りな所もある作品だが、明確に、伝えようとする事が描かれている。そのほかの傾向としては、小さなアースデイイベントが増えたということだろうか。アースデイ東京だけを見ると、同窓会的な要素が大きいのが現状かもしれない。だが、そこから少し、視点を外して見ると、ちいさなアースデイイベントが、それぞれの形で増えつつある傾向が見えてくる。それは、「参加する」というのではなく、自分たちで出来るというか、自分たちが「参画する」という形という風に。アースデイとの関わり方が進化したからと言えるだろう。こうやって、見ていると、広がれない現状もあるが、しばらく、同じように続いてきた流れが、急速に変化しつつある予感もある。今後、日本における、アースデイのあり方が、どう変化していくか、とてもたのしみだ。
2005.04.23
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いわゆる「勝負下着」というものがありますが。「勝負下着」について、女性だけが気にしていて、男性は、案外、興味をそそられていないということが多いそうだ。 脱いでしまえば同じという話しもあるんですが、その話しは置いておいて。男性が、レースやスケスケパンティに萌えるのかと思って、女性は下着のチョイスにウキウキしてみるそうだが。実際にウケが良いのは「白パンティ」。レースやスケスケは、 逆に本命にはかれると「自分以外に?」と疑う男性が多いという。私は、女性の勝負下着は「自己満足」でいいと思っています。 まず、自分が満足しなければ、勝負もできないですからね。 その上で、勝負してくる姿勢の方が、私は燃えます。 ここで、考えなくてはいけないのは。「萌える」と「燃える」の違いで、その違いによって、「勝負下着」のあり方が変わってくると考えられます。 「萌える」というのは、「燃える」とは違って、男性が自分より下の立場に対して使うことが多く、支配的な感覚が満ちています。 だから、「萌える」のが好きな人は、純白であったりそういうのが、好まれる。 女性が男性に対して、「萌え」てもらう事を目的とするなら。それは、従う立場を表現するのがいい。それは、言い換えると、負けを表現することでもあるわけで。ある意味、勝負をしていないともいえる。だから、いわゆる、一般的イメージの「勝負下着」と印象が違ってくる。 まあ、「萌え」てほしい者同士では、その中で勝負になるので、それも「勝負下着」いえる。このあたり、下着を通して、どういう関係性を持っているのかが、透けて見えてくるのが面白い。それと、男性の「勝負下着」の件、ですが。 私には、婚姻関係のある相方がいる身ですが、勝負下着は存在します。 自分の身体に一番近い、衣料だからこそ、気持ちよかったり、身が引き締まるものを選びます。 仕事の欲と性欲が連動している面があるという説もありますが。そういう、勝負下着を着ると、気が引き締まって、仕事もはかどるという面も見逃せない効果だと思います。 あと、ゲンをかつぐという要素もあるかな。 さて、男性の中には、下着に拘りのない人もいます。その、多くが、母親や、妻にパンツを買ってもらっています。私に関しては、ここ、20年ぐらい、母親なり、相方が買った物を着用することはありません。 まあ、そのときに付き合いのある相方と一緒に選ぶということはあるんですが。基本的に自分で選びます。調べていないので、私のような男性は、少数派なのか多数派なのかわかりませんが。自分で下着を買わない男性が、女性に比べ多いように感じます。 スーパーなんかの男性下着売り場では、そこに来ている女性が、男性の下着を選んでいる姿を見ていると。 その多くの女性は、値段勝負で、私からすれば、どうでもいい、質の悪いものを買って与えているという感覚が伝わって来ます。品質の良くない物でも、黙って履く事で、自分の位置を知らしめるという構図もあるわけで、いわゆる「尻に引かれた状況」を想像させられる光景でもあります。その一方で、セクシーな男性下着を選んでいる女性は、ほとんどいません。日本では、セックスに関しては、どこか、タブー視するところがありますから。人目を気にしているのでしょうか。 それとも、相方の男性に、セクシーでいてほしくないのでしょうか。#夫に対して、所有欲がないから、安物を、履かせているという意見もありました。余談ですが・・・よく考えてみると「勝負下着」=「セクシーランジェリー」とは限らないんですよね。さらに、エッチの時に着る「プレススーツ」といわれるカテゴリーの下着は、いわゆる「勝負下着」とは、違うものである場合が多いような気がします。このあたり、「勝負下着」と、セックスという行為とは、実は、直結しない部分が多いような気もします。んなことで・・・このように、下着に関して、いろいろ見ていくと。下着を通して、「自分の言うことを聞く人」が好きな人が多いことに気が付く。そして、お互いに対等でない立場で繋がる事で関係性を築いている。そういう関係で、果たして、相手を認めた関係性が築かれているかは、疑問である。それは、「自分の言うことを聞く人」は、必ずしも、相手を認め、尊敬できる状態である必要はないからである。相手を認め、尊敬出来る事から、信頼関係を築くことが出来るとするならば。信頼関係の持てない、家族関係や、婚姻関係が、多いことを表しているのかもしれない。いわゆる「勝負下着」は、自らの能力を引き出す事に有効であるならば。「勝負下着」によって、引き出された能力に対し、尊敬の念を持つことが出来る機会が出来るわけで。そこから、信頼関係が出来る可能性が高い。どういう、関係性がベストかは解らないが。忠誠を誓うことで、信頼関係を維持する下着と、能力を引き出し、お互いに尊敬する事で信頼関係を作る下着。ものを選ぶ好みによって、様々な、人間関係が見えて面白い。ミセスローズ。さんに感謝★関係書籍★スカートの下の劇場出版社:河出書房新社ISBN:4309472419サイズ:文庫 / 215p 発行年月: 1992年 11月 本体価格:470円 (税込:494円) スカートの中の秘密の生活出版社:幻冬舎ISBN:4344401166サイズ:文庫 / 254p 発行年月: 2001年 06月 本体価格:533円 (税込:560円) 女は下着でつくられる鴨居羊子コレクション出版社:国書刊行会ISBN:4336046085サイズ:単行本 / 425p 発行年月: 2004年 01月 本体価格:2,400円 (税込:2,520円)★「勝負下着」というワードで検索された、楽天ショップ★意外と検索されないですねー。「勝負下着」という表現は、あからさま過ぎて、ページに表記しにくいのでしょうか。それと、900件以上商品が検索されたのですが、男性ものはほぼ無かったですね。
2005.04.22
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「持続可能な社会を」という言葉を良く聞きますが。それに対し、いろんな人が、いろんな方法を試しています。そんな、持続可能な社会の提案の一つが「パーマカルチャー」です。「パーマカルチャー」とは、パーマネントという持続するという言葉と、農業のアグリカルチャーという言葉を合体させて出来た言葉です。これと同時に、パーマネントと文化のカルチャーとの合成語でもあったりします。ちなみに、パーマネントの、「パーマ」は、髪の毛に施す、あのパーマと同じで、ヘアスタイルを固定し、持続するようにしたのが、パーマネントヘアー、つまり、パーマなんです。今度の4/26に、東京に、この「パーマカルチャー」の創始者の一人が来て、講演をするそうです。「パーマカルチャー」とはなんぞや。原始的共産主義とどこが違うのか、とかそういう事も、このときに聞けると思います。┏━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━┃パーマカルチャーの創始者、デビッド・ホルムグレン再来日講演、決定!┗━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ @東京ウィメンズプラザパーマカルチャーの概念をビル・モリソン氏と共に構築したデビッド・ホルムグレンが愛・地球博での講演のために来日します。東京でも特別講演会を企画しました。広く持続可能な未来デザインメソッドをうかがいます。ぜひご参加ください!http://begoodcafe.com/project/per_culture_david.html[ 日 時 ] 4月26日(火)18:00開場 18:20開演 20:45終演[ 会 場 ] 東京ウィメンズプラザ(地下鉄銀座線・半蔵門線・千代田線表参道駅下車徒歩7分)[ 参加費 ] ¥1,500(BeGood Cafe会員 ¥1,000)[ 申込み・問合せ ] TEL 03-5773-0225 info@begoodcafe.com氏名/人数/電話/E-mailアドレスをお知らせください。★関連書籍★楽天ブックスでは、パーマカルチャーを扱った書籍が、わずかに検索されました。ご参考まで。パーマカルチャー農的暮らしの永久デザイン著者: ビル・モリソン /レニ・ミア・スレー 出版社:農山漁村文化協会ISBN:454093029Xサイズ:単行本 / 203p 発行年月: 1993年 09月 本体価格:2,762円 (税込:2,900円) もう、10年以上前の本になってしまうのね。最新の情報は、やはり、直接聞くに限るのか。雑誌の記事ですが・・・というのが、検索されました。どのぐらい、取り上げられているのかは、わかりません。おそらく、1ページぐらいかな。
2005.04.21
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「13万アクセス突破しました」と書いたところ、どうやって、アクセスアップをしたのか教えて欲しいとの質問があったので、その一部を教えます。実は、1万アクセスを突破したときかなんかにも、アクセスアップ法書いたので、それとは、違うことを書こうと思います。今回の質問を戴いた方は、テーマとして、いわゆるまじめなテーマを書いている人なので、そんなブログに合った、私の行ったアクセスアップの方法を、お教えします。・自分と同じテーマや話題のブログを読むこれは、基本です。最近、楽天広場内のキーワード検索が出来るようになって、簡単になったのですが、自分の書いているブログと同じようなテーマや話題のプログを探します。そして、それを、読みます。同じ、テーマや話題だとしても、それぞれ、違う場所から、違う視点で、自分なりの書き方をしています。そうすると、自分の書きたいことが、自分の中から湧いてきます。・自分の中から湧いてきた事を、表現する自分の中から湧いてきた事を、表現することにしましょう。そこで、どこに書くのがいいのかを決めます。そのブログに、コメントとして残すのがいいのか。それとも、自分のブログに書くのがいいのかを判断します。コメントをするのであれば、自分の書いているブログのURLを記入するようにしましょう。自分のブログに書くのであれば、読んだページにトラックバックをしましょう。こうすることで、ブログが、コメントやトラックバックにより繋がります。自分のテーマや話題と同じ内容で、コメントしたりトラックバックしたサイトには、自分のテーマや話題に興味を持っている人が見に来ます。そこに、自分の内側から出てきた文章が書かれていると、書いた人がどんな人がを見てみたくなり、リンクなりトラックバック先を見たくなるでしょう。それを繰り返すことで、少しずつですが、アクセスが増えてきます。メルマガに宣伝したり、新着情報を流した方が、瞬間的にアクセスは増えますが。今回の方法は、爆発的ではなくても、ゆっくり、継続的にアクセスが増えてきます。また、アフィリエイトを気にして、商品紹介に終始してしまう書き方をしてしまっては、トラックバックスパムだと思われ、トラックバックを切られるケースがあるので、要注意。あくまでも、内容重視。アフィリエイトは、内容に沿った物で、洒落っ気があるようであれば、たくさんクリックしてもらえます。最近では、更新を数日しなくても、1日200はカウントが増えます。常に、更新することで、アクセスを増やすより、日々の更新作業を減らしながらも、確実に、ベースアップしていくので、トータルとしては、労力が少なくて済みます。是非おためし下さい。
2005.04.20
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おかげさまで、さきほど、13万アクセスを突破しました。開設以来543日目ということで、遅いのか速いのかわかりませんが、これも、読んで下さっている方のおかげかと思います。有り難うございます。ところで、最近、タイやメキシコ、オーストラリアなど、海外からのアクセスが目立ってきました。ここ、2.3ヶ月で、アクセスのあった国は、オーストラリア、ブラジル、カナダ、スイス、チェコ、ドイツ、デンマーク、フランス、香港、インドネシア、イタリア、メキシコ、ニュージーランド、ロシア、スウェーデン、シンガポール、タイ、トルコ、イギリスという具合です。楽天広場のアクセス記録は、楽天会員がどこからアクセスしたのかがわからないので、もしかすると、もっと違う国からもアクセスがあるかもしれませんね。とにかく、こういう、海外からのアクセスというのが、インターネットの楽しみですよね。
2005.04.20
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4月19日は、「養育費の日」だそうだ。最近の週刊誌は、森進一と森昌子の離婚で騒いでいるが。1/4の夫婦が離婚し、その中には、まだ、子供を育てている最中である事が多い。ここで、問題になってくるのは、離婚後の子供との面会と養育費である。ここんところ、離婚が多いとはいえ、実は、昔の日本というか、昭和初期ぐらいまでは、離婚がけっこう多かったんですよね。人生50年と言われる時代だったのにもかかわらず。一生のうち、2回、3回結婚するという事が、けっこう普通に存在した。死別も多かったにしろ、離婚もそれなりに多かったということになる。それに、情報化が進んでいない時代だから、夫婦の片一方が、逃げて行ってしまったら。その足取りも掴むことができず。別の土地で、ひっそりと暮らすという事も、今以上に容易に出来たと予想される。そう考えると、離婚が増えたのではなく、高度成長期を中心に、しばらく、離婚が少なかったという事がわかると思う。養育費は親の子供への責任のとはいえ、当時の状況を考えると、お互い行方知れずになる可能性も多いし、送金手段も今ほど簡単ではない事を考えると、養育費がきちんと払われていなかったことが、容易に予想できる。今は、通信環境が良くなり、送金も簡単だし、居所もかつてより判明しやすくなっている。これは、養育費を受け渡ししやすい環境だとも言える。しかし、実際は、養育費について話し合いがついても、最後まで払い続けることが出来ないケースが多い。それは、なぜだろうか。それは、まず、自分が生きること、そして次に身近な人が生きることを考えるからである。シングルマザーで、力強く生きている女性も多いが、かなり、頑張らないと、シングルマザーなり、片親だけで子供を育てて生きていくのは大変だ。(制度を使って、働かずに、ぬくぬくと暮らしているシングルマザーもいるという批判もありますが)それは、相当のモチベーションである。だけど、そのモチベーションは、子供が目の前で生きていることを実感しているからこそ、子育てのモチベーションが発生し、維持されている。これが、子供と離れて生活したり、または、新生活で次の子供を育てる状況になった場合、離れて暮らしている子供への優先順位が下がってしまう。まずは、自分が生きること、次に、自分の身近な人が生きていくことが優先だから仕方のないことだ。この状況は、18歳までの子供を持っている層の、収入が低いという問題と絡むので深刻な状況となる。特に20代の世帯の収入が低く。シングルで育てるのも大変だが、本人が養育費を払えるだけの収入が得られていないケースも多いように思う。特に、ヤンママ、ヤンパパと言われる、10代で結婚した場合の平均の世帯の収入は壊滅的で、全世帯の平均収入の半分以下がほとんどではないかと言ってもいいぐらいである。結婚していても、生活できない事が多く。その場合は、ヤンパパ、ヤンママの親がさらに面倒を見る形になっていたりする。そんな状況で離婚してしまえば、祖父母の支援の上でどうにかするか、周りの支援が得られないと、子供を手放してしまう事も考えなくてはいけなくなる。確かに、自分のしたことで生まれたわけなので、その責任を親がもつべきなんだけど。親の責任というものは、どこまでなんだろうという疑問もある。養育費は、支払うべきなんだろうけど、養育費を支払う能力がない場合は、支払うことが出来ないという事を主張する方が、親の責任を果たしているとも思えるんですよね。確かに、約束を守ることは大切だけど、守れない約束をしない事が、約束を守る上で大切なわけで、一般常識に囚われ、自分において、置かれている状況に合わない、約束をすることは、親の責任を果たすように見えて、親の責任を果たしていないことになる。また、守られない約束を取り付け、それを盾に、少しでも支払わなければ、責め続ける人もいるようだが、これもフェアではない。養育費は、あくまでも、決まりであるので、話し合いで、内容を変えてもいいことだと思うので、どう、フレキシブルに運用できるように取り決めをするのかが、重要かも知れない。あと、個人の払う養育費に依存しなくてはいけない構造というものも問題だ。先ほども出てきた言葉だが、「親の責任」という言葉が、強く言われる傾向がある。それだけに、責任が、親という個人に偏ってきているとも言える。それが、そろそろ限界に来ているのではないだろうか。学校で事故が起これば、すぐ、学校の責任を追及する親がいるが、親の責任が重いからこそ、ここぞとばかり、他人に責任を押しつけて、自分の責任を軽減しようとしているように見えることがある。これは、ある種の親の責任に押しつぶされかけている親の悲鳴かも知れない。「親の責任」が叫ばれることで、責任が重くなり。多くの親が、責任を取れなくなっている。これは、前述したとおり、養育費の途中からの不払いの原因の一つである。だからこそ、親の責任をシェアし、軽くする必要がある。場合によっては、養育費というシステムに拘らなくても、別居している自分の子供が育てられるしくみがあるのであれば、親の責任も軽減できるかも知れない。私の小さな頃は、近所の家で、なぜか、夕食を食べていたという事もあった。高校生ぐらいでも、友人の家で、遊んでいると、夕食を呼ばれることもあった。それだけ、豊かな時代だったのかもとれないが。地域で子供を育てていた時代の名残かも知れない。今は、他人の家で、子供が勝手に食事をいただくと、怒る親が多い。なぜ、怒るかというと、親の責任を果たしていないと思われては困るからという部分も大きい。養育費のことを考えるにおいて、親の責任がどうあるべきかを、もっと、いろいろ、考える必要があるように思う。★今回の話題の関連図書★
2005.04.19
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4/29.30の2日間、愛・地球博でイベントやります。愛・地球博といっても、名古屋市内のサテライト会場である笹島会場 デ・ラ・ファンタジア http://www.delafantasia.jp/ です。こちらは、激混みのリニモや、座っていけるけど、時間の掛かるシャトルバスに乗らずに行けるし、入場無料ということで、気楽に楽しめる愛・地球博です。今回は、市民展示館内のエコライフプラザ http://www.ecolifeplaza.jp/ でのイベントとなります。どのような内容かというと、去年の8月に、流星を見ながら、音楽と朗読を楽しむというイベントのメンツで行います。関連記事 http://plaza.rakuten.co.jp/ideaeast/diary/200408120000/今回は、NPO国産材ワークショップの一環ということで、「季節はずれのサンタクロース」という、危機的な日本の森林を舞台にサンタクロースと子供たちの心あたたまる物語に、ピアノの即興演奏が加わります。私はと言うと、即興演奏に合わせて、効果音やら、エフェクターなどを使い、音響をいじくるわけですが、音だけでない、いろんな仕掛けを考えています。リハーサルもこれからなので、どうなることやら。こうご期待。名古屋地区の人、是非遊びに来て下さい。━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━■NPO国産材ワークショップ朗読&演奏会「季節はずれのサンタクロース」入場無料 日時 4月29日(金・みどりの日)15:00(予定) 30日(土)14:00(予定) 朗読 松田和義(株式会社松田ホームサービス) 演奏・歌 岡さやか(ミュージシャン) 音響 東山高志(IDEAEAST) 原作・解説 岡本功(NPO国産材理事) 内容 危機的な日本の森林を舞台にサンタクロースと子供たちの 心あたたまる物語が始まります。 物語の展開にあわせて即興演奏+ミニコンサート 企画 NPO国産材 NPOレインボーhttp://kokusanzai.jp/chikyuhaku.html━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
2005.04.18
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4/16.17は、第10回「高円寺ハートトゥアート」だった。http://www.heart-to-art.net/この「高円寺ハートトゥアート」は、地元密着型のアートのフリーマーケットで、今回は、10回目を迎える。地域密着型といっても、商店街や自治体が始めたわけではなく、高円寺の近くに住んでいる、エディターさんを中心に、いろんなアーティストが集まって始まったイベントだ。去年の春の高円寺ハートトゥアートの一日目は、雪で大変だったのだが、今年は、3月から4月に日程を変更したためか、お天気に恵まれている。高円寺の駅に着いた。いつもなら、高円寺の駅前にも、サテライト会場があって、なにやらやっているのだが、今年は、高円寺の駅前は、工事をやっているために、イベントが行われていないので、本当にやっているのかなという感じだ。とにかく、会場方面に向かう。商店街の電柱などには、会場案内の矢印が貼られているので、会場には、すんなりといける。そして、一番大きなサテライト会場の公園にたどり着く。アクションペインティングをしている人やら、いろんな、アートグッズを売っている人がいて、天気も相まってとても楽しい雰囲気である。近所の子供たちも、アーティストたちに混じって遊んだり、作品作りに参加している。なんか、とてもほのぼのとした雰囲気だ。そんな、公園いっぱいのアートを楽しんでいると、主催者のわたなべさんが自転車にのってやってきた。実は、今回の、公園いっぱいのアートは、とび職の人が手伝ってくれたから出来たとのこと。公園を囲むように、足場用のパイプで組まれ、そこから、キャンパス代わりの、板などが吊されているが、その足場用のパイプを、とび職の人が、3人で、1時間ぐらいという素早い作業で組んでしまったのだそうだ。とび職とは、建築=アーキテクチャーの業界の人だが、アートもアーキテクチャーも、もとの語源が同じだという事を聞いたことがある。建築の技術が、公園いっぱいのアートを支え、そこで、子供たちが、アートを体験しながら遊んでいる。アートを通じて、表現する人、働く人、楽しむ人、育つ人が一体になっている風景だ。10回という節目を迎えた、高円寺ハートトゥアートだが、今後どのように、地域と繋がって発展していくのか、とても楽しみである。
2005.04.17
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東京の国際展示場駅の近くにある、パナソニックの有明スタジオで、Be Good Cafe が行われ。その中で、山根麻以さんのワークショップがあったので参加した。今回のBe Good Cafe は、4/22のアースデイに合わせて、4/23.24に代々木公園で行われる、アースデイ東京と関連し、いつもより、豪華に行われる。今回のイベントの最後には、元ルナシーのsugizoのバンドと、Goroさん、そして、山根麻以さんによる、その日だけのジャムセッションもあるなど、盛りだくさんである。会場の近くのスペースでは、ティピというインディアンのテントが建ち、その下で、民族楽器やらアクセサリーなどが売られていたり。ジャンベやダンスのワークショップが行われるなど楽しい雰囲気に包まれている。会場内では、ナチュラルフードの軽食が食べられたり、フェアトレード商品が売られていて、こちらも楽しい雰囲気だ。さて、山根麻以さんのワークショップは、有明スタジオの中で行われた。番組収録に使えるスタジオなこともあり、ハイビジョン(正確にはHD)対応のテレビカメラが、何台も設置され、カメラマンが、ステージの様子を撮影している。このあたりも、今回がスペシャルバージョンという雰囲気を盛り上げている。このワークショップを始めるにあたって、山根さんが、あるアフリカの部族の風習の話しをしてくれた。この部族では、赤ちゃんを身ごもると、その妊婦さんをつれて、女性だけで、集まるそうだ。そこで、なにをするかというと。いまから生まれてくる赤ちゃんのために、曲を作るのだ。どのようにして、曲を作るのかというと、妊婦さんとともに、集まった女性が、それぞれ、お腹の中にいる赤ちゃんをイメージして、それぞれが、音を出したり、歌をうたったりするそうだ。そして、それぞれ違ったメロディを奏でていたはずなのだが、それが、だんだん一つのメロディになる。それが、この新しく生まれてくる子供の自分だけのメロディとなる。このメロディは、その赤ちゃんが生まれる時に、村中の人で歌うのですが。それだけでなく、この人が、とても悪いことに遭ってくじけそうになったときや、すごく良いことがあった時に、周りの人が歌ってあげるそうだ。そうすると、勇気がわいてきたり、喜びを感じたりできるのだそうだ。今回のワークショップでは、この自分だけのメロディを作るような事はできないのだが、自分のために歌うワークショップとなっていた。リラックスをさせ、自分の身体をいたわり、自分の中にあるものをイメージさせながら、声を出す。そして、今回用意された、このアフリカの民族の話にインスパイアされた、簡単なメロディの曲を、会場の人全員で歌うというものでした。それぞれ、違ったイメージをもって、声を発しているのに、それが、一つのハーモニーになる面白さ。それが、楽しめるワークショップでした。
2005.04.16
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いろいろ、麻薬の取り締まりとかやってるけど、いまひとつ効果が上がっていない気がする。そこで、どうすれば、麻薬を日本国内で流通させにくくする方法を考えてみた。暴力団などの資金源にされているという麻薬。その麻薬は、なぜ、資金源として使われるのかというと、習慣性があり継続的なビジネスであることと、利益率が高いということだ。この利益率の高さは、多少リスクを負っても大丈夫なぐらいだからこそ、流通すると考えられる。となると、この利益に対して、リスクを高くすれば、取り扱いをしなくなるのではと考えてはどうだろう。たとえば、麻薬を所持していた場合、その末端価格の300から1000倍の罰金を支払わなければならなくなるという法律を作ったらどうだろう。そして、耳をそろえて払えない場合は、更正施設での労働で支払う形を取る。そうすると、大量に麻薬を持つ事自体が大きなリスクになるし、末端価格を下げなければ、捕まったときの損害額が大きくなるので、末端価格が下がり、粗利が稼げなくなる。そうなると、廃業する所も増えてくるのではないだろうか。そして、その徴収した罰金だが、そのいくらかが、更正施設など、麻薬更正団体への寄付と、警察で捕まった場合その都道府県と、税関で捕まった場合は法務省の財源となるようにする。こすうると、警察と税関は、必死で取り締まります。さらに、耳をそろえて支払えない場合の救済策として、今後、麻薬を取り扱わないという事を麻薬取更正団体に誓約した場合、麻薬更正団体への分納が認められることとする。この分納をする場合は、出頭の義務ももちろんだが、利子の支払いと共に、生命保険も掛けられる。こうすれば、麻薬の所持で捕まった人が、途中で死んでも、病気になっても、厳禁が回収できるしくみだ。ここんところ、街の防犯を口実に、警察OBに警備させる事などを進め、天下り先を求めているような警察としては、この麻薬更正団体は、格好の天下り先になる事が予想される。だから、警察も、今まで以上に、麻薬取り締まりに燃えるだろう。そして、その罰金に掛けられる倍率について、増やすときに限り、警察庁の判断で、上げることが出来るように出来れば、麻薬の流通量が減っても、更正団体に集まるお金の量をコントロールできるだろう。欠点と言えば、麻薬が、全く流通しなくなった場合。この麻薬更正団体が、経営が破綻するので、麻薬を全廃できないということだろうか。
2005.04.14
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阪神・巨人戦と言えば、かつては、視聴率を稼ぐ好カードだったのだが、12日夜、フジテレビ系で放送されたプロ野球「阪神-巨人」(甲子園球場)の平均視聴率が、8.9%(ビデオリサーチ調べ、関東地区)と、4月としては、関東地区では、過去最低水準となった。(関西では、14.3%)これは、裏番組で、NHKのBS1でも、同じ試合の中継をやっていた事が、フジテレビの低い視聴率影響しているのではないかと思う。まあ、阪神の試合展開は、打たれたり出塁するけど、得点に余り繋がらない下柳のピッチングと。冷たい雨の中、どこか、試合中止を期待していたように見えた、巨人のキャッチャーの阿部の隙を突いた、五回の赤星と藤本のダブルスチールが、さらに、阪神と巨人とのモチベーションの格差を生み、それが、試合を決めてしまった感じだ。そして、このやる気の差が、関東と関西との視聴率の差となって現れたのだろう。他のスポーツも、なんでもそうなのだが、やる気のなさというものは、不思議と、テレビの画像という限られた情報でも、伝わってくる。これは、プレイだけではなく、番組の作る側のやる気も伝わるから恐ろしい。今回のフジテレビの阪神巨人戦の低い視聴率は、大リーグ中継などで、野球中継において、気合いの入っているNHKに、フジテレビが負けしていた部分もあるのではないだろうか。ずっと、フジテレビの方の中継を見ていて、30分延長の後、試合の途中で終わったので、NHKのBS1の方にチャンネルを変えて見たのだが、同じ画角ではあるが、不思議とビシッとして見える。競合で、NHK-BS1が同じ試合をやっているのに、あまりにも、無策な中継だったような気がした。それに対し、NHK-BS1は、衛星放送の料金を別途徴収できることもあり、必死である。テレビを見ている人は、玄人ではないが、ちゃんと、やる気を見ている。今回の低い視聴率は、巨人のチームのモチベーションの低さと、NHK-BS1という競合があるにもかかわらず、地上波の有利さにあぐらをかき無策だったという、フジテレビやる気のなさが出した数字だろう。Jリーグの中継が、民放の地上波のゴールデンタイムから消えたのは、鹿島-磐田戦の視聴率が、8パーセント台になったのが、切っ掛けだという。地方では、野球にしろ、サッカーにしろ、視聴率が取れるようなので、大丈夫だが。首都圏では、民放でゴールデンタイムに、スポーツ中継が見れなくなる可能性が高くなってきたような気がしてきた。衛星放送を使えば、埼玉県でも、110試合程度の阪神の試合を、試合が終わるまで見ることが出来るという。年間に、多くの試合数をこなすプロリーグ戦は、お金を払ってテレビを見る層だけの楽しみになってしまうかもしれない。そして、地上波の民放は、お金を払いたくない番組に、今まで以上にシフトするのだろう。そういうお金を払いたくない番組は、将来、DVDなど、販売できる映像コンテンツになる可能性は低いだろう。その点、バラエティ重視路線のフジテレビは、お金を払って見るまでもない番組作りが上手だ。だからこそ、お金を払ってまで見たい番組をお金を払わさずに見せるのに力点を置かなかったことも、今回の伝統の一戦の低視聴率の原因の一つかもしれない。今回の件を例にして、キー局での地上波でのプロ野球中継の撤退も目論んでいるのかも。ライブドアとの、ニッポン放送の争いで「焦土作戦」という、価値を下げることで、思い通りにさせる作戦があったが。このやる気のない試合中継は、プロ野球コンテンツの有料化に向けて、無料放送の質を下げる「焦土作戦」なのかもしれない。
2005.04.13
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ちょっと前の話しだが・・・3/19に、映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』のタイムマシンに使われた「デロリアン」の産みの親、ジョン・デロリアン氏が亡くなったそうだ。デロリアン氏は、自動車歴史家の間で「最初のマッスルカー」と呼ばれる、ポンティアック『テンペスト』にV8エンジンを搭載した『GTO』を産み有名人に。「GTO」というのは、三菱車にもあって、元ネタは、フェラーリのGTOではなく、ギャランGTOのスタイリングそして、ディテールやカラーリングを見る限り、実際の元ネタは、ポンティアックのGTOなのである。それにしても、この時代は、新しいコンセプトの車を開発すると、その開発者が有名人になる傾向があった。たとえば、スペシャリティカーという、格好だけの数歩ーティ車というカテゴリーを作り出した『フォード・マスタング』を開発した、アイアコッカ氏や、日本では、『スカイライン』を開発した桜井真一郎氏などである。しかし、この20年ほど、こういう、カリスマ的な開発者が出てこなくなったような気がする。それは、新車の開発が複雑化し、それに伴いプロジェクトが大きくなったことで、個人の個性が見えにくくなってきたという部分があるのかも知れない。それよりも、車の嗜好性が多様化したため、一発アイデアで、バカ売れする事が少なくなった事も大きいかも知れない。それだけ、自動車産業が成熟したという事なのかも知れないけど、こういうカリスマ的な人が現れる事で、自動車開発者がモチベーションを持てなくなったとも言える。言い換えれば、自動車開発の夢が小さくなってしまった。今年は、いまひとつだが、ここ数年、F-1で勝ちまくった、ミハエル・シューマッハ氏は、21世紀のレースの偉人として名を残すと思うが。レース界以外で、今後、自動車に関する偉人が現れにくい様な気がする。思いつくところで言えば、カルロスゴーンが、自動車業界の偉人の候補というところかな。個人に頼るブランドは、強いけど、もろさもあるという面があるが、妙な安心感とか、物語性があるよね。なんか、そういう、物語性が見えなくなってきたというのは、ちょっと、寂しい気がしますよね。 ポンティアック GTO 三菱 ギャランGTO デロリアンDMC12 バック・トゥ・ザ・フューチャー 1.2.3 個人的には、1作目だけで充分なのだが。3作まとめてみるのもアリだ。おまけ バック・トゥ・ザ・フューチャー PART2 に出てくる車。
2005.04.12
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ここ最近の日本の自動車の情報を見ていると、燃費か良く、環境にいいイメージのあるエンジンとモーターで動くハイブリッド車が、かならずしも、そうではないという事が、見えてくる。たとえば、スズキが、スマートを真似て作ったと言われた、ツインという2人乗りの車体の短い軽自動車は、ハイブリッド仕様があることで話題となったが。最近のマイナーチェンジを期に、カタログから、ハイブリッド仕様が落ちた。まあ、ベースの車両に比べて、倍以上の値段のするハイブリッド仕様を、わざわざ選ぶ人が少なかったという事もあり。台数が伸びなかったということもあるだろうが。どうも、軽自動車というエンジンが小さく、車体の軽い車を、ハイブリッド化することでの重量増加は、結果として、エンジンへの負担を増やし、燃費の向上にあまり寄与しなかったというのが、発売中止の本当の理由らしいと言われている。そして、トヨタの最新のハイブリッド車である、ハリアーのウリは、ハイブリッドにすることでの、加速性能アップである。もともと、車体の重い高級多目的車は、どうしても、動力性能的に不利で、加速が弱いので、そこをハイブリッド技術を使って、ガソリンエンジンと電気モーターの両方を使えば、速くなるという理屈なのだ。確かに、そうなんだけどさ。もともと、ウリだった、ハイブリッド技術を使っての燃費向上→環境性能向上というものが、どっかに行ってしまっているよね。これで思い出したのが、今から25年前のターボ車ブーム。最初のターボ国産車は、日産のセドリック/グロリアかなんかで、燃費の向上を目的にという口実で、ターボを導入した。しかし、実際は、ハイパワー車が欲しいという高級車ユーザーの欲求に応えた車で、ガソリンをばらまく車となっていた。今となって思えば、今回のトヨタのハイブリッド車導入は、この時のターボ車導入の時と似ているような気がしてならない。ただ違うのは、スーパーカーブームの影響で、ターボが必ずしも環境に良くないという事が解っていたという状況に対し、ハイブリッド車は、環境イメージへの宣伝がうまくいっているという違いでしかないような気がする。この、情報戦略の大きな違いが、ターボ車とハイブリッド車の違いなのだ。自然環境を破壊して実施されているとか、トヨタ博と言われている、愛・地球博が終われば、トヨタの環境に良い会社のイメージを、これまで以上に売る必要がないという事も考えられるわけで。それより、速く走る車を売りたいのが、車屋としてのホンネであろう。問題は、ハイブリッドで走る車と、速い車を作る原則とが、相反するものをもっているということなのだ。車体が軽くなると、加速性能も良くなるとともに、プレーキも効きやすくなるし、タイヤへの負担も少なくなるのだ。タイヤへの負担が減るということは、コーナリングへもいい影響を及ぼし。走る、曲がる、止まるという、車の主な性能の全てが改善されるのだ。F-1など、レーシングカーは、速く走るためには、軽くする事が鉄則である。だから、軽くなりすぎると、性能差がはげしくなるのでレースとしておもしろくなくなるので、各カテゴリー毎に、これ以上軽くしてはいけないというルールを設けている。ところが、ハイブリッド技術を使っての、動力性能の向上は、車の軽量化によって、発生した車の性能アップとは少し状況が違う。まず、パワーアップしたため加速はいいかもしれないが、それだけでなく、車体が重くなったので、ブレーキやコーナーリングの方は、性能が悪くなっているのだ。ブレーキやコーナーリングがダメということは、事故を起こしやすい車という意味でもある。そして、ぶつかったあとのパワーも重い分だけ大きい。また、車体が重いことにより、燃料の消費も増えているはずだ。ターボ車に比べて、ハイブリッド車の重量増は、遙かに大きい。確かに、ハイブリッド技術で、熱効率をアップしている所もあるだろうが、今回のハリアーは、あまり、燃費が向上しなかったのではないだろうか。だから、環境性能をウリにすると誇大広告となるので、環境性能をいまひとつウリにできなかったのだろう。問題は、ハイブリッドという、いわゆる環境性能がいいというイメージを持っている事で、実際には環境性能の良くない重い高性能車が売れることは、実際の環境への改善にならないし、車体が重いことで発生する、交通事故になる確率が増えたり、車の重さの2乗なり3乗に比例すると言われる道路への負担が増えることが問題なのではないかと思う。環境にいいと言われている、ハイブリッド車なら、なんでもいいという事はやめて、ハイブリッド車の欠点というものも、もう少し注目して、トータルに考えてみてもいいように思う。おまけ情報。TVKテレビの伝統の番組「新車情報」の後釜番組の直後の10分間程度の番組が笑える。その名も「しゃこいれ娘。」トヨタの販売店の駐車場に、若い女性(美人系)ペーパードライバーを連れてきて、90秒以内にパイロンを倒さずに車庫入れさせるという番組。時間内に、車庫入れが出来なかったり、パイロンを倒したり、車庫と想定された段ボール箱を倒したら、罰ゲームがある。この罰ゲームがなんと、若い女性にコスプレをさせるのだ。しかも、その格好で、車から出てくる。あまりに、笑えたので、車庫入れが、出来た場合どうなるのかは、忘れてしまいました。しかし、こ、このノリ。どこか、初期のミニスカポリスを、彷彿させる。出てくる女性も、素人もいるだろうが、おそらくB級タレントやモデルが殆どだろうから、ここもマニアックかも。ちなみに、神奈川県ローカルの自動車販売会社が、スポンサーのために、全国放送は絶望的なだけに、マニアにはたまらない番組となるに違いない。
2005.04.11
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痛風にもかかわらず、以前から誘われていた花見に出かけることにした。今回は、隅田川に近い公園で、和菓子を食べながらの花見という企画だ。医者からは、お酒と過度の運動はいけないと言われているので、気分転換になる、お花見ぐらいは、いいだろう。しかし、その会場に行くのが、けっこう大変だった。片足を包帯で巻いているため、靴が履けず。しかも、右足の親指の付け根が腫れているために、親指に力がはいらず。普段のように普通に歩けないのだ。2足歩行において、足の親指の機能の重要さに気づかされる。駅に着くと、地下鉄丸ノ内線の四谷3丁目駅は、エスカレーターがない。そして、四谷駅で、JRに乗り換える。JR四谷駅は、エスカレーターが設置された、バリアフリー対応の駅であるが、使用頻度が高そうな、地下鉄との乗り換え口には、エスカレータやエレベーターは設置されていないのだ。JRを使う場合は、最後まで、JRを使いなさいと言っているかのように、他社への連絡が不便になっている。まあ、ホームの端ということで、狭いと言う設置条件の悪さもあろうが、一番必要な場所に設置されていないにもかかわらず。バリアフリー化された駅としてカウントしてしまっていいのかという気もする。そんなこんなで、電車を乗り継ぎ、東武伊勢崎線の東向島駅に着く。東向島駅から、会場の公園まで歩くのだが、足に包帯を巻いているため、普段の半分ぐらいのスピードでしか歩けない。そんなことで、30分ぐらい遅刻して現地に到着したのだが、和菓子を取りに行っている人がいたため、一人だけ、ほつんと待っている状態だった。われわれが、着いたおかげで、やっとスタートという感じだ。とはいえ、周りは、かなりの花見のグループが陣取っている。墨田区あたりは、平地なので、自転車文化圏というわけなのか、みんな、自転車で集まってくる。人によっては、辺りも構わず、芝生の中を平気な顔して凄いスピードで走ってくる人もいる。確か、墨田区のお隣の荒川区で、自転車運転免許なんてものを発行していたと思うが、公道ではない公園だとしても、自転車の交通マナーは、ほんとうに低い。まあ、歩行者のマナーや、サンデードライバーのマナーもあまり良くないことも含め、交通社会との関わっている事への意識の低さを感じる。あまり多くの国に行ったわけではないが、タイやイタリアでは、交通マナーが悪いのだが、躊躇せずに、相手に自分を見せながら歩くと、ドライバーは、けっこう見ていて、ぶつからずに歩くことが出来る。ぶつかるときは、相手の想像出来ない行動をした時だとも言われる。それに対し、日本の交通マナーの悪い人の動きの多くは、周りが見えていないとでも言えるほど、自分しか見ていないという感じがする。このあたりは、日本の高級車づくりにも現れているかもしれない。日本の高級車って、エンジンの音が聞こえないほど静かな車内をウリにしているし。最近こそ、ドライビング指向の高級車が増えたこともあり、傾向は変わってきたが、タイヤの状況のわからないグニャグニャハンドルに、フワフワサス、超軽くて不自然なパワーステアリングなど、車内にいる人と外界とを遮断する事を重視しているように見える。そんな、外界との関わりを遮断している車は、周りを見ていない人のニーズに応えていたのかもしれない。それとも、こういう事も考えられる。外界との関わりを遮断する事が、一種のステイタスであって、それを目指した結果。外界を感じない事が普通になってしまったのかも知れない。たくさんの人がキャンプシートの上でくつろいでいて、子供も遊んでいるのに、そのすぐ横を、自転車をぶっ飛ばして、一目散に自分たちのグループの所にいったオジサンを見て、恐ろしいものを感じた。それにしても、風が強い。近くの学校の校庭からは砂が舞い。桜の花びらは、吹雪のように散っている。今回は、強風による、寒さ対策として、暖を採る道具として、100円ショップで買い集めたパーツで作った、ストーブが導入された。しかし、日差しがきつかったために、余り役に立たなかった。帰る頃には、このストーブに「しょうきゃ君」という名前がつけられた。、今回の花見参加者は、この「しょうきゃ君」が、ゴジラの映画に出てくる、自衛隊の秘密兵器「スーパーX」のように、来年の花見の時も、改良型が出てきて、結局役に立たないという展開を、期待していた。 「スーパーX」は、この作品で登場。さて、私たちのグループ以外は、ここの地元のグループが多いようで。近所の小さな会社が丸ごと来ているような所。同じぐらいの子供を持った、母子集団。(見事に夫の姿がなかったので、同じ年齢の子供を持つ母子家庭の互助グループかも)などなど、地元の香りがする。そんなこともあって、花見を利用して、売り込む人たちもいる。いかにも、保険の代理店の営業さんという雰囲気の人が、いろんなグループに声を掛けて回っている。そんな、花見を利用した営業系の人に交じって、赤いスーツを着た女性が、挨拶に回っていた。それは、この地区の国会議員だった。さすがに、お酒を戴いたり、配ったりはしていないが、マメに、グループを回っている。そして、私たちのグループの方に来た。「○議員議員の○○です。よろしくお願いします」と言うと、他のグループと違って、あっという間に、そそくさと行ってしまった。おそらく、私たちのグループが、この地域の人間でないことを察知して、プライオリティを下げたのだろう。しかし、いくら、プライオリティを下げたとしても、最低限の挨拶だけをしておくというのは、実に抜かりがない。見事としか言いようがない。
2005.04.10
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足の痛みの方も、痛み止めや、炎症を抑える湿布の影響で、収まってきた。それでも、少し腫れているし、圧迫がきついと痛いので、包帯を足に巻いたまま病院に。前回の通院は、1メーターをいいことに、往復をタクシーを使ったが、今日は、不自由ながらも歩けるので、地下鉄で行くことにした。地下鉄丸ノ内線四谷3丁目駅は、エレベータとエスカレータが設置されていないが、地下鉄が、浅いところを走っているため、思ったより楽に駅にたどり着く。電車に乗ると、空いていたので、松葉杖なしにもかかわらず、特に片足が不自由だとは感じなかったが、新宿3丁目の駅に着く瞬間のブレーキ時に、右足の親指に力を入れることが出来ない不自由さを感じた。病院に着く。土曜日と言うこともあり混んでいる。職員の方が、みな忙しそうだ。とにかく、席が空いていたので、白人女性の横に座る。この病院は、英語、フランス語が通じるのがウリということで、外国人の方が良く来ている。前回来たときは、インド人風の男性が来ていた。リハビリテーション担当の理学療法士の方が、白人女性に話しかける。すると、白人女性が、英語混じりのフランス語で、理学療法士と話しをする。しばらくすると、女性職員が、同じ白人女性に対し、身振りを踏まえたゆっくりとした日本語で話しかける。すると、白人女性は、それを、理解し、彼女に従って、リハビリテーションのブースに移動した。この病院は、全員が、日本語の他に、英語、フランス語をマスターしているわけではないが、それなりに伝える工夫をしている。それに対し、来ている人も、ネイティブでの対応を期待せず、歩み寄る形で応えることで、コミュニケーションが成立しているのだ。まあ、ここで、治療しないと困るから、コミュニケーションしようといけない状況である事は確かだが、コミュニケーションは、歩み寄ることから始まるという、一つの典型を見た気がした。しばらくすると、自分の順番がきた。先生の所に行くなり。「痛風」ですね。と言われる。血液検査の結果を見ると、あまり、芳しくない数字が出ている。特に中性脂肪の数字が高かった。ということで、中性脂肪をへらす薬を、1ヶ月飲み続けることになる。つーことで、とにかく、中性脂肪を減らすには、歩くべしなのだが、右膝の違和感の問題もあるし、やはり、自転車かな。
2005.04.09
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ここんところ、劇忙しの上、38度台の高熱が続いた後、喉が腫れ咳が酷くなり。やっとその咳が収まったと思ったら。今度は、痛風の疑いが。一昨日の夜、近くの蕎麦屋に行こうと、靴を履いたとき、突然、右足の親指の付け根が痛くなった。その時は、靴を履くときに、親指を突き指したのではと思っていた。とにかく、痛いけど、親指を引っ張ってみる。でも、やはり痛い。夜半頃には、足は、ばんばんに腫れる。痛くて、眠れないので、ちょうど、400ネタということで、楽天日記を書く。こういう、節目のネタは、あまり、あまたを使わずに書くことが出来るので、気を紛らわせるのに適している。痛さを堪えて、横になる。こういう、激痛の時って、痛いことを認めるように心がけてみると、少し和らぐんだよね。理屈はこうだ。痛いことが悪いと思いこんでいるから、痛さを意識してしまい、人の痛さを少し感じなくなるという本能を妨げてしまう。だから、痛いという事を、認めてあげるように、痛いということに、意識を向けてあげる。そうしているうちに、いつしか、眠りについていた。翌朝、足の痛さで、目が覚める。朝ご飯を食べに、周りのものに捕まりながら、よたよたと、1階に下りる。これがやっとだ。朝食を食べて、けっこう、きつめの解熱・鎮痛剤を飲む。この薬は、先日の、38.5度の熱を出したまま、仙台に出張をした時に飲んだものだ。痛みが、少し和らいでから、病院に行くことを決意する。とりあえず、インターネットで、近隣の整形外科を検索してもらう。この近所には、慶應義塾大学病院、東京女子医大、国際医療センターなど、でかい病院はいくらでもあるが、小さい病院がなかなかない。しかも、外来は午前中。あまりに、痛いので、午前中に病院に到達するのが難しそうだ。しかも、今日は木曜日。小さな病院は、休みの所が多い。ということで、新宿3丁目に、午後もやってる、整形外科を発見。昼過ぎに、やっと痛みが和らいだので、病院に向かう。ゆっくりと、右足をかばいながら、タクシーを拾いに、表通りに向かう。坂を下って、タクシーを拾い。新宿3丁目の、鳥良のあるビルを目指す。病院につき、書類に必要事項を書き、しばらく待っていると、看護婦さんがやってきた。看護婦さんは、腫れた、右足を見て、一言「痛そう」と言う。あまりに、痛かったので、ここに来るまでに、鎮痛・解熱剤を飲んできた事を告げる。診察の順番が回ってきた。よたよたと、診察室に向かう。診察室に通されて、しばらく待つと、先生がやってくる。先生に、状況を説明すると、レントゲンを撮ることになる。レントゲン室では、2ポーズほど、撮影した。写真が出来るまで少し待つ。ものかげから、少し、レントゲン写真の現像機が見える。デジタル化されているようで、ディスプレイに、自分の足の骨と思われる画像が表示されている。出力は、フイルムだろうが、デジタル化したほうが、一度焼き上げずに、様々なトーンカーブつけたり、補正が出来るので、必要に応じて、いろんな病状を見たり、速い処理が出来るのだろう。再び、診療室に呼ばれる。結果は、骨には異常がないとのことの後に、衝撃的な事を言われる。それは「痛風の疑いがある」ということだった。どちらかというと下戸だし。無茶苦茶太っているわけではないのに、痛風とは・・・とにかく、血液検査に・・・結果は、土曜日以降。とにかく、花見の季節なのに、お酒は禁止。あまり、歩き回らないようにと言われた。ちなみに、違和感のあった右膝も診てもらった。去年の赤城山のワークショップで、自分の右膝の違和感を認識したのだが、今回、ついでに診てもらうことにしたのだ。右膝は、痛風とは関係なく、軟骨がすり減っているようだ。いわゆる、経年変化というやつみたいです。イベントの仕事で一日十何時間も立ち仕事が続いたり、重い機材を持って移動したりという、様々な仕事をしてきた勲章とも言える。さて、今回の痛風だけど、自分なりにいろいろ検証してみた。まあ、体質や普段からの生活の問題もあるのだろうが、今回の発症の直接的原因は、年度末納品の過度なストレスと、高熱や喉の痛みなど、大量の白血球が消費される状態が続いたため、細胞の死骸の一種である尿酸が異常に増えたのではないかと思う。高熱の後の喉の痛みのあるときの尿は、異様に濃い色をしていたので、おそらく、腎臓は頑張って、かなりの老廃物を外に出していたと思われます。それだけ、老廃物が出ていた。つまり、物理的に大量の尿酸が出来ていた。これが、1週間ぐらい続いていたので、腎臓の尿酸を排出する能力を超えてしまった事もあるかもしれない。とにかく、尿酸は、酸性なので、アルカリ性と反応するはずなので、アルカリ性食品を食べる必要がある。でも、ナトリウムは、痛風の原因、尿酸ナトリウムになるから、少し、遠慮を。こんなときは、カリウムの多い、野菜、果物系かな。とりあえず、今は、薬で、少し、痛みが治まっている。食生活を改善しなきゃね。あと、有酸素運動。
2005.04.08
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楽天日記をはじめて、1年と4ヶ月少しで、400ネタを掲載しました。ここまで、書けたのも、読んでくれている皆様のおかげです。いままで、まあ、いろんなネタを書きましたが・・・ちょっとおさらいします。カテゴリーの多い方から紹介します。第一位 ・「個」「孤独」「群」「共同体」(74) まあ、最初のネタが「孤独について」でした。孤独とは、一見、寂しさ、わびしさのような連想をするけど、本当は、生きる力のことなんですよね。単に連んでいるのではなく、生きていく力を持っている人同士で、共同体が出来るんだけどね。第二位 ・カテゴリ未分類(48)まあ、話題をいくつか、最初に定義したんだけど。どのカテゴリにも入らない話題が多いね。第三位 ・生きること、自然、そして、環境(45)「個」「孤独」「群」「共同体」に近い内容なんだけど、人と人間関係と言うよりも、環境とかそっちの方面の話題ですね。第四位 ・出会い(41)とにかく、いろんな人と出会いました。これも、共同体ネタにしようか、どうか迷うネタもありました。第五位 ・車、鉄道、システム、オタクネタ(40)鉄道ネタ、車ネタ、オタクネタは、明確なんだけど。システムネタって、コンピュータや社会システムと共同体って、連動している部分があるので、このカテゴリにするか迷った話題もありました。第六位 ・食べものネタ(37)意外と少なかった。けっこう、食いしん坊なんだけどな。食べものネタだけあって、食いつきが良く、アクセスや、その後のアフィリエイトが増えたりします。第七位 ・タイ・ラオス そして、アジアの国々(33)去年は、仕事で、ラオスとタイに行ってきたために、増えたネタなんですが。観光旅行では体験できないネタが入ってると自負しています。第八位 ・スポーツネタ(30)サッカーと野球ネタ中心かな。第九位 ・アート(21)意外に伸びませんでした。第十位 ・音楽ネタ(20)こいつも、意外に伸びませんでした。第11位 ・ダイエット・健康(11)ダイエットネタは、最初はアクセス伸びましたね。調子に乗ってシリーズ化しましたが、健康ネタって、生きることや、食べものネタに繋がるので、あえて、そっちのテーマで書いた回も多かったのでこんな数になったような気がします。てなことで、1000件目になるときは、この比率がどのように変わるか、自分でも興味があります。
2005.04.07
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サッカー専門誌、サッカー番組、サッカーメルマガ、サッカーチーム広報誌など、サッカーメディアはたくさんあるが、ここんところ、その一部で品質の低下が目に余るようになってきた。以前から言われていることだが、特に、地上波民放系のサッカー中継は、人気選手の寄りのカットが多く、試合の全貌が見えず、なぜ、ここで、こういうプレーになるのかが解りにくいという話しもあるが、今回は、大手のメディアでない、小さなサッカーメディアの品質の低下というより、品質が上がらないというお話しです。今回、このネタを書こうと思った理由は、あるJリーグクラブの直営通販ショップのメルマガで見かけた表現だった。-------------------------それでは、試合直前○○○レポートをお送りします。選手と番記者さんたちとのやり取りを盗み聞きしてきました。(←自分では聞かない)-------------------------※どのチームか特定できる記述は伏せさせて頂いています。Jリーグクラブの運営会社の広報または、宣伝の媒体で、なぜ、盗み聞きという、正式な取材をしないのか。しかも、盗み聞きし、しかも(←自分では聞かない)ということを、メールマガジンにヌケヌケと書いてしまうのは、運営会社としてあるまじき行為です。正式なプロセスでの取材や、他人に頼らない、独自の取材での記事を期待してメールマガジンを読んでいるのだが。今回の記述は、読者をバカにしているとしか言えない。ほんと、会社の顔に泥を塗っているようなもの。そして、一番大事なことなのだが。オフィシャルの媒体なのに、オフィシャルでない取材をしている事で、オフィシャルの情報が信じられなくなる。つまり不信感を産むことになる。チームとサポーターを結ぶ媒体の一つで、チームの経営母体の会社が出す媒体でこのような不信感を持たれる事が起きると、チームとサポーターの間の関係は崩壊に繋がる危険性が妊んでくる。Jリーグ百年構想の中に「Jリーグの各クラブは、市民・行政・企業が三位一体となった支援体制をもち、コミュニティの核として発展していく存在になることを目標としています。」という記述があります。コミュニティとは、人と人との信頼関係の中から生まれるものです。それにもかかわらず、クラブを支援する企業の出す媒体で、市民に対して不信感を持たれかねない記述をすることは、Jリーグの理念とかけ離れた行為であるとも言えます。いちおう、抗議のメールを出したところ、下記の様な返事が来た。-----------------------------今回のメルマガでは、不愉快な思いをさせてしまい、申し訳ありませんでした。○○○のメルマガは、楽しく読んでいただくために、いろいろなキャラクターを出演させて、親しみやすい雰囲気を心がけており、ご好評をいただいています。○○○は、ちょと頼りないキャラを演じていたのですが、結果的にメールの内容自体の信憑性を下げてしまうとは不本意でした。実際には、記者さんたちの取材を広報の立場として見守っていただけではなく、独自に選手に声をかけるなどして集めた情報をメールにしています。これからは、表現方法に充分に気をつけ、より楽しいメルマガをお届けしたいと思います。-----------------------------確かに、いろんな工夫をしているのは、わかったが。今後は、どこを踏み外してはいけないかは、認識して紙面を作って頂きたいものだ。だれだったか忘れたが、未成年のタレントが、犯罪を犯したことを、番組で言ってしまったのを、平気で流してしまったのと余り変わらないことに、気がついているのだろうか。さて、他に、サッカー紙の小さな記事に、にこういう見出しが・・・「大人気の坂本休氏」この見出しで内容が解った人は、天才的な洞察力だ。名誉のため、敢えて、媒体名を出さないが、記事を全文引用します。文中の"を"は、強調するため""を付けさせて頂きました。文章はそのままです。-----------------------------試合前のセレモニー。中津江村地球財団理事長を務める坂本休氏(前中津江村村長)が挨拶すると、マイクの前に立っただけで大きな声援を受けた。挨拶は「トリニヱータ大好き、浦和レッズも大好きな坂本です」と始めたため、浦和サポーターからも大きな声援を受けた。さらに「以前ブッフバルト監督"を"お会いした事があり、それ以来浦和のファンになりました」とコメントしたため、浦和サポーターからは大きな拍手が巻き起こった。試合前のセレモニーで相手サポーターからあれだけ大きな声援を受けた人はあまりいないのではないか。-----------------------------ふむふむ。こんな内容だったんですねぇ。見出しを解説すると・・・まず、普通の人には、坂本休氏と言ってもわからない。せめて、前中津江村村長と言えばわかるだろう。そして、意味不明なのが、「大人気」という言葉。なぜ、大人気なのか。そのヒントを、見出しに書くべきだろう。私だったら「前中津江村村長、相手チームを激励!?」なんてタイトルをつける。プロの編集さんだったら、もっといいタイトルを付けるでしょう。見出しが良くなければ、中身も読まない。中身を読みたくないものは、買わない。つまり、有料メディアとしての価値がないというものだ。文章のクオリティうんぬん以前の問題なのだ。さて、このような、サッカーメディアの品質が上がらない理由は、サッカーのメディアが大きくなったのが、この10年だという歴史の浅い部分と、この10年で「校閲」という風習が廃れたということがあるだろう。サッカーのメディアが急に成長した10年前、どうやって、サッカーライターや編集者を集めたのかというと、他のジャンルからの転向組と、新規にかき集めた新規組の2つの方法が使われた。特に、パソコン通信やメルマガで詳しそうな人を、サッカーライターとして、雇ったために、知識はあるが、立場が理解できなかったり、文章が書けない人が多かった。しかし、ある種のサッカーメディアのバブルだったせいか、それでも、そこそこ、食えてしまったために、それでいいと思いこんでしまった。それと同時期に、情報の高速化、印刷のデジタル化に伴う、出版の行程の簡略化野中で「校閲」という行程が省かれるようになった。「校閲」とは、印刷物や原稿を読み、内容の誤りを正し、不足な点を補ったりすること。 10年ぐらい前までは、中堅の出版社や印刷会社には「校閲」という部署があったのだが、パソコンに打ったデータが、そのまま印刷できるようになったため、原稿と印刷される前の版のチェックをする必要がなくなったため、廃止されたのだ。しかし、廃止したことで、内容の誤りを正し、不足な点を補ったりすることも、廃止することになってしまったのだ。「校閲」という部署は、編集長がOKを出したものでも、ここを通らないと、印刷されないという、独自の権限があり。記者やライターなんか、全く頭が上がらない。「校閲」をいかにクリアするかで、記者やライターが学ぶことが多く鍛えられた。「校閲」という、強烈な「他人」を意識することで、間違いが無く、他人が読んで解りやすい文章を心がけるようになったそうだ。この品質の低下は、サッカーメディアだけではないだろう。サッカーメディアの歴史が浅いだけに表面化しただけなのだ。また、ここしばらく、自費出版がブームなようだが、メルマガも含め、誰でも、ライターになれる時代だからこそ、他人が読んで解りやすい文章を心がけるようでいたいところです。
2005.04.06
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朝刊に、新宿区報が折り込まれていた。その中に、新宿区のNPOへの助成制度について書かれていた。しかし、その助成金額の低さに驚いた。なんと、年間総額が200万円だったのだ。一団体に対してではなく、あくまでも、全体予算でである。しかも、条件を見てみると、活動の本拠地と活動場所が新宿区内であるという事なので、広い地域で活動するNPOには、使えない助成金制度となっている。裏返せば、新宿区限定のNPO向けの助成金で、行政の活動の一部を激安でNPOにしてもらう方法として使われている。実は、全国の自治体には、このようなタイプの助成金制度が多く、広範囲で活動するNPO/NGOは、このような理由で、地方行政の助成金を活動資金として、アテにすることはできない。だからこそ、自ら独自で資金集めをできる構造を作る必要がある。日本のNPO/NGOは、この独自の資金源をどうするのが下手らしい。たとえば、グリンピースなどでは、先進国のグリンピースの支部の中で、唯一、赤字で、本部の支援を得ているという話しを聞いたことがある。それにしても、どのように、世界的なNPO/NGOは、資金を調達しているのだろうか。日本の中にいるかぎり、謎が多い。そういや「サンダーバード」という、作品に出てくる「国際救助隊」というのがあるが、おそらく、この組織は、NGOである。「国境無き医師団」という、世界で有名なNGOは、サンダーバードを見て、それにインスパイアされて、始まったという話しもあるぐらい、NGOのスタイルというものを見せつけたインパクトのある作品である。おそらく、「国際救助隊」は、お金持ちの道楽で始めたのではと、思っていたが、どうも、そうではないような気がしてきたのだ。それは、ピンクの六輪高級車(テレビではロールスロイス、映画ではフォード・サンダーバード)を、乗り回している、ペネローペさんの存在だ。彼女は、なぜ、ロンドンで、高級車を乗り回しているのだろうか。おそらく、資金調達をしているのだろう。さて、とのお金は、どこから出ているのだろうか。最速の乗り物で駆けつける「国際救助隊」が、活躍すると、何が起こるのか。それは、被害が即座に最小限に抑えられるということなのだ。ロンドンというと、損害保険の元締め的な組織、ロイズ保険組合が存在する。サンダーバードの放映された、1960年代、巨大災害の多発で、大赤字を出し経営危機に陥った事があった。この巨大災害を、最小限に抑える組織には、保険業界として、保険支払額より少なければ、そこに、お金を投入するだろう。そこで、目をつけたのが「国際救助隊」つまりサンダーバードだったのではないだろうか。ペネローペさんは、事件が起こると、ロンドンの保険会社を走り回り、被保険者に対し、最大に支払わなくてはならない金額と、サンダーバードが活躍したことで、押さえられる金額など、リスクに関する情報を提示して、国際救助隊の費用を出させていたのではないだろうか。いくら、非営利ではあるNPO/NGOといっても、活動資金は必要だ。だからこそ、お金を集める構造が必要なのだ。日本のNPO/NGOは、お金を儲けるのは悪だと思いこみすぎて、そういう資金集めの活動をおろそかにしている面があるのではないだろうか。そして、お金が動かない構造になれてしまう。お金が動かない構造だからこそ、助成金制度を作る方も、やっているという事実だけが欲しい程度の、最低限の予算でしか、NPO支援をしないのではないだろうか。防犯に対するNPOや、災害の被害を最低限にするためのNPO、人の健康に関係するNPOに関しても、それで、保険の支払い額が減るのなら、日本の保険会社も、そこに、お金を投じてもいいという話しもある。ちなみに、日本の特撮に出てくる組織って、公務員系って多いよね。ウルトラマンの科学特捜隊は、自衛隊の一組織っぽいし。ウルトラセブンのウルトラ警備隊は、国際組織だけど、他は、どうも公務員系。今年で30年目のゴレンジャーは、ウルトラ警備隊同様、国際防衛組織が背後についてはいるが、なんか、日本臭い。国連軍に参加している自衛隊という雰囲気がある。しかし、仮面ライダーのおやっさんは、喫茶店では、あれだけの研究開発はできないはず。ライダー少年隊は、ボランティア活動っぽいので、資金源は、どこにあるのかは不明だ。この資金源への想像力の貧困さが、日本のNPO/NGO活動が、資金面で困りやすい原因の一つかも知れない。
2005.04.05
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ここんところ、仙台出張が多いが、東京に戻るときのお話しである。夜中に、ホテルで仕事をして、9時台の東京行きの「こまち」に乗る。なぜ、秋田発のこまちにしたのかというと、録音機材で荷物が多いため、Max2階建てでは、網棚に荷物を載せきれないし、普通の1階建てだとしても、5列シートになると、シートの間隔は同じだけに、網棚の競争率が高くなるのだ。そう考えると、在来線に乗り入れる「こまち」は、車体が小さいが、4列シートのために網棚の競争率が低いと判断したのだ。仙台駅で、10名少しのお客さんが降り、ドアの下に張り出したステップを踏んで、車内に乗り込む。指定券片手に、座席の所につくと、そこは、2人の小さな男の子とスリムなジーンズをはいた気持ちが若いおばあさんの三人組と一緒だった。巨大な荷物を網棚に載せると、まもなく、列車が走り出した。仙台駅を出ようとするとき、男の子の一人が、駅に、止まっていた、古い車体の「やまびこ」号をみつけて「あ、「こだま」だ」と言った。東北新幹線なので、「こだま」号は走っていない。ここで走っているのは、中越地震の時、脱線しながらも、転倒しなかったあのタイプの、初期の東北新幹線のタイプだ。しかも、東海道新幹線では、もう、あのタイプは走っていない。しかし、絵本か図鑑かなにかで見たのだろうか、あの古いジェット旅客機とそっくりの前頭部のデザインは、子供のハートをぐっと掴んでいるようだ。走り出して、5分ほどすると、こんどは、おばあさんが、車窓を見て驚いた。仙台を過ぎた所だというのに、雪が積もっていないからだ。おばあさんに、どこからこの列車に乗ってるのかと聞くと、秋田から乗っていたそうだ。今日は、春休みということもあり、孫二人をつれて、東京に遊びに行くとのことで、朝、5時台に家を出て、この列車に乗っているとのこと。孫の二人は、時々ケンカをしたり、ぐったりと寝たりを繰り返して、列車の長旅を体験しているところだ。飛行機に乗れば、日本中、どこへでも、1時間少しという時間で着くし、空港の周りの景色は、地方の空港は、似たり寄ったりという傾向がある。それに比べれば、長時間ではあるが、車窓の変わっていく鉄道での移動の方が、土地が繋がっていること、距離があることを実感することが出来る。さて、列車は、大宮駅を発車した。車窓から見えるビル郡に驚いている。そんなとき、隣を平行して走っている、埼京線を見て、子供の一人が叫んだ。「あっ、男鹿線だ」ぶぶっ。おばあさんが「どこから来たかばれるじゃない」なんて言ってる。実は、秋田近郊のJR線は、東京の地下鉄などと同じく、路線毎に、ラインカラーを決めているようだ。その、秋田近郊の男鹿線のラインカラーが、東京近郊の埼京線と同じような緑色だったのだ。まあ、いまよく使っている、東京地下鉄丸ノ内線も、ステンレス車体に赤い線が引かれているので、つい、大阪地下鉄の御堂筋線と言ってしまいそうになる事があるが、まあ、似たようなものだろう。それにしても「男鹿線」には、参った。さて、この3人は、11時頃上野駅に着き、上野動物園に出かけていった。サクラは、まだ、つぼみだけど、秋田より一足早い春を楽しんでいったのだろうか。いい思い出になればいいね。そうそう、この3人のスケジュールで気がついたんだけど、秋田新幹線が出来たおかげで、新幹線利用で、秋田から上野動物園への日帰りが十分可能なんですよね。
2005.04.04
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生まれた時の体重が2500グラム未満の赤ちゃんを「低出生体重児(以下、低体重児)」と呼ぶそうですが。新生児に占める低体重児の割合の増加が問題になっていて、今年の10月までに、厚生労働省が妊婦向けの食生活指針を出すそうだ。厚生労働省の統計によると、1993年に8万1288人だった低体重児は、2003年には10万2320人となり、10年間で2万1032人の増加。全出生数に占める割合も、1993年の6.8%から2003年には9.1%と、明らかに増えているとのこと。出産時の赤ちゃんの体重は、その後の発育や健康に大きな影響を与えるそうです。低体重児は、栄養の摂取が上手に行えず、虚弱だったり、知能や運動能力の発達に問題が生じる場合もあるとのこと。さらに、成人になってから、糖尿病や高血圧症などの生活習慣病を発症しやすいとの研究報告もある。そして、もっと恐ろしいのが、出生時の体重が1000グラム未満の「超低出生体重児(以下、超低体重児)」です。超低出生体重児の6歳時における予後をみた調査によると、精神発達遅滞や脳性まひなど、何らかの神経学的な異常が認められた児は2割近くを占めていたそうです。超低体重児は93年には2434人だったのが2003年には3335人と約1.4倍と、低体重児の中でも、この10年間で特に増加した割合が多かったとのこと。つまり、生まれるときに必要な体重がない赤ちゃんは、将来、精神習慣病になる確率が高いだけでなく、脳や神経にまで影響をして、社会生活に支障をきたす可能性が高くなるのだ。さて、この低体重児を出産する確率が高いのは、妊娠前の体形がやせ形で、妊娠してからの体重の増加が7キログラム未満だそうです。最近は、若い女性を中心に「やせ志向」が高まっており、「妊娠中も太りたくない」と考える妊婦も増えているようです。そうすることで、子供に必要な栄養も採らないことで、赤ちゃんに栄養がいかないそうだ。また、妊娠中の喫煙も、栄養の吸収に悪影響を与える。女性は、いつでも、美しくありたいと思うものだろうが、自分の赤ちゃんの将来を奪う権利はないはずだ。★参考情報★http://nikkeibp.jp/wcs/leaf/CID/onair/kenkou/alert/366640
2005.04.03
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4/2より、丸の内に、スローなファーストフード店が登場した。名前は、BeGoodCafe MARUNOUCHI 。場所は、東京駅から地下道で繋がっている、丸ビルの1階の屋外で、緑色のワゴン車が目印になっている。ここでは、フェア・トレード、オーガニック、有機農、ベジタリアンをキーワードに、環境とカラダにおだやかな、美味しい食べ物を提供している。私が食べたのは、「カレ-・ライスパテ・バ-ガ-」390円で、ハンバーガーの真ん中に、うっすらあじのドライカレーをやさしく焼き固めたものが挟まっている。関西の食堂でよくある「うどん定食」や「お好み焼き定食」のように、お米+小麦というような、主食というか、穀物で出来た食べ物の組み合わせだが、これが、けっこうおいしいのだ。また「有機野菜の味噌トマトス-プ」も、お気に入り。和風とトマトのマッチングは、我が家の新たな料理の可能性を感じさせる感覚だ。これを、これからの季節、お日様に当たりながら、食べると、気持ちいいかも。なお、コーヒーは、エスプレッソマシーンで、一つ一つ入れているため、ちょっと時間がかかるが、そこは、スローライフな、ファーストフード店。この一手間が、贅沢さなんですよね。丸ビルの地下には、マクロビオティック&ナチュラルオーガニックのテイクアウトの出来るお店もあり、そちらの方が、メニューも多いのだが。都会とはいえ、野外で食べる感じは、都会の中にある自然を感じて食べることでもあり、これは格別だ。話しは飛ぶが、地下にある、蜂蜜専門店は、オススメ。70種類もある蜂蜜を試食して、好きなものを選べるし、種類によっては、容器をもっていけば、量り売りもしてくれる。この数日、喉が腫れて痛いし、声が出ない状態なので、試食で食べたほんの少しの蜂蜜が非常に染み入りました。どうも、この店は、阪神百貨店の地下食品売り場にも出店しているらしい。http://www.labeille.jp/
2005.04.02
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3/31より、人気ブログの一つ「ガ島通信」の藤代 裕之氏が、日経BP社のサイトで連載を始めた。その第一回目のテーマは「ライブドアとニッポン放送の問題、愛だけでいいのか?」だった。http://nikkeibp.weblogs.jp/gato/2005/03/050331ai.htmlここで、---------------------------『ライブドア堀江貴文社長の発言にはリスナーへの愛が全く感じられません。ラジオというメディアの経営に参画するというよりは、その資本構造を利用したいだけ、としか私たちの目には映りません』(一部抜粋)。この、ニッポン放送社員一同から出された声明文によって、拡散していた議論は、「愛」と「金」という二つの軸に収斂されてしまった感がある。堀江社長からは、既存メディアに楔を打ち込んだ「破壊者」、「改革派」のイメージが消え、以前から付きまとっていた「拝金主義者」というイメージが強くなった。「金でなんでも買える」などと書いた自業自得とも言えるが、「愛」という言葉でリスナーや一般市民に訴えかけたフジサンケイグループの戦略もうまかった。私のブログ「ガ島通信」にも、「愛がない」堀江社長への批判的コメントが相次いだ。---------------------------という記述があった。ここが実に興味深い。ここで、でてくるキーワードが「愛」である。田嶋陽子が「愛という名の支配」という本を出していたのですが。この本の細かい内容はさておき。この「愛」言葉には、時には、欺瞞を含むことがあるのだ。「愛」という、誰でも「善」と思える言葉で、人をコントロールして、様々な良くないことを行う。たとえば、子供に対して「この子の将来のために」とか「この子の安全のために」という一見愛情を注ぐ言葉のもとに、子供に過度のストレスや暴力を与えたり、子供が自立できる能力を奪う過保護に走ることがある。しかしそれは「愛」を語りながら、実際は、自分が達成できなかった事を、子供に達成させることで、自己満足をさせたり。単に、子供を自分で管理しやすくしているだけである。また、DV(ドメスティックバイオレンス)のカップルの場合でも、暴力の後に、愛を語ることで、共依存の体制を維持し、継続して、DVがつづくし、その事実を、外部に漏らさないようにする場合がある。今回、ニッポン放送側が、「愛」を語ったのは、メディアが、視聴者との共依存体制であることの証拠なのではないか。そして「リスナーのため」という言葉の使われ方も、「わが子のため」といいつつ、実質的には「子供」のためではなく、自分の欲求を満たすという行為と似ていて。ここにも、共依存の構造が見え隠れする。突然、ニッポン放送の株を買い占めた堀江氏に対して、「メディアを殺す」、「支配する」、「ニュースの重要度はランキングで決める」と、メディア側などから、さまざまな批評が飛び交ったが。他の人の参入が許されにくい状況で、メディアを殺しているのは、メディア自身であると考える事もできるし。メディアは、新規参入が出来ない構造になっていたため、いわゆる「支配している」状態だし。「ニュースの重要度はランキングで決める」といいつつも、「視聴率」という、ある種のランキングにやたら敏感で、視聴率の取れる番組づくりをしていて、その中に報道番組も含まれている。つまり、堀江氏に向けて発しられた言葉は、全て、放送メディア自らの行ってきた、ダメな行為そのものであり。それを、いくら堀江氏に対して言っても、多くの人の賛同を得にくかった。そこで、DVした後に、立場として強い側が先に語る場合が多いが、DVされている人に向かって「愛」を語ることで、その関係を維持する時と同じように、メディア側の人間が「愛」を語った。そして、多くの人が納得し、関係が維持された。つまり、DVのカップルと、メディアとそれに依存してしまっている人たちは、似た共依存の構造を持っていると言えるだろう。その他にも、ニッポン放送やフジテレビ側の行動を見ていると、共依存の関係を維持するために使われる手法と似た、さまざまな方法が使われている事に気づく。そして、キレ具合も似てる。それは、子供に暴力を振るう親のうち、よくあるタイプの一つの行動ととても似ている。たとえば、焦土作戦も、言うことを聞かないのなら、メシにありつけないようにする事と似ているし。タレントに、いろいろ表明させるのも、下の子を言うことを聞かすために、上の子に下の子をたしなめさせるように仕向ける行為とも似ているなどなど・・・。とにかく、いわゆるダメ親の行動とそっくりな行動が多い。また、堀江氏に対して「愛が足りない」と批判する人もいるが、共依存で過保護にしている人が、愛という言葉の元に、他人に、自分と同じように過保護にしろとけしかけたりしている様子ととてもよく似ている。そんなことで、今回の騒ぎで、日本の多くの人とメディアとの間に、ある種の情報という暴力を通じての共依存関係の存在が露わになったように思う。ジャーナリズムの片棒を担いでいると自負している放送メディアの人は、客観的に、この共依存関係について、気がついているのだろうか。または、良くないことに気がついていても、同じ事を繰り返して、改善できない。その関係が、本当に、放送メディアの発展だったり、新規に参入したいと行動に出た堀江氏のフィールドであるインターネットも含め、情報化社会のためにいいことなのだろうか。今回、「愛」を語ったことによって、状況を維持することに成功したと言えるだろう。しかし、それが、かならずしも、メディアを享受する人たちにとって有益かどうかは疑問である。「当事者同士が、いいと言っているから、いいんだ。」という話しもあるが。「愛」という言葉の魔法に掛けられ、本当は、良くないと思っている事も、言えない状況なのかも知れない。または、なんとなく、悪い状況だと、気づいているかもしれないが、本当はヤバイ状況なのに、それが当事者間で当たり前となっており、それがヤバイと感じなくなっているのかもしれない。さらに、悪い状況だと完全に認識していても、悪い状況を崩したら、生きていけないという錯覚に陥っているのかも知れない。だからこそ、無意識に「愛」という言葉の魔術をつかって、その状況を維持しようと努めたのかもしれない。今の、メディアとメディアを享受している人が、そのことに気づき、本当にいい関係性なのかを、検証してみる必要があるのかもしれない。さらに、共依存をしていることで、状況が良くないというのなら、共依存の関係をどうやって脱却するのか、アクションをしていく必要があるだろう。ちなみに、「愛」という言葉ともに、共依存を維持する危険な言葉として「やり直そう」という言葉がある。「ブエノスアイレス」という、ゲイカップルが描かれた映画の中で、よく出てくる。酷い状況なのに、その関係を維持するときに出てくる決まり文句が「やり直そう」という言葉だ。 まあ、政治の世界でいう「改革」という言葉も、同様の言葉かもね。おまけ情報。ブエノスアイレスで出てくる部屋の映像の世界を再現する方法。デジカメなりビデオカメラで、ホワイトバランスを、太陽光モード/屋外モードまたは、蛍光灯モードにして、電球の部屋で撮影すればいい。あの作品では、部屋にある、青い光りの小さなランプ(おそらく中に蛍光灯が入った電球が取り付けられているのだろう)にホワイトバランスを合わせ。部屋全体を、普通の電球で照らしたのであろう。フイルムで、あの映像を取りたければ、フィルタワークを勉強する必要があるけど、ビデオやデジカメなら簡単です。ちょっといいデジカメや、ビデオに、これらの機能がついているので、是非試してみて下さい。 ★参考文献★愛という名の支配 田嶋陽子今回は、本の題名だけで、引っ張ってきました。この本は、人によっては、好き嫌いが別れると思いますし。ツッコミ方が足りないという方もいらっしゃると思います。性という枠組みをはずして、男・女、親・子という言葉を、フジテレビまたはニッポン放送、そして、リスナーという言葉に置き換えて改めて読んでみると、おもしろいかも。
2005.04.01
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